「この道」 小錦八十吉
東京新聞の夕刊に元大関小錦の手記が連載されていますが、特に今日の記事(第111回目)には心を打たれました。最近取り上げている在米の国際コメンテーター・藤原肇氏の「愛国心」に相通じるものがありそうです。
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東京新聞の夕刊に元大関小錦の手記が連載されていますが、特に今日の記事(第111回目)には心を打たれました。最近取り上げている在米の国際コメンテーター・藤原肇氏の「愛国心」に相通じるものがありそうです。
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岡崎勝(おかざきまさる)
名古屋市立小学校教員
1952年生まれ。愛知教育大保健体育科卒。学校マガジン『おそい・はやい・ひくい・たかい』の編集人、自立独立組合「がっこうコミュニティユニオン・あいち」の執行委員などを務める。著書に『学校再発見! 子どもの生活の場をつくる」『がっこう百科』
(編著)など。
軽視される「議論をつくす」
教育基本法が「改正」されて半年がたつ。全国で学力テストが実施され、着々と教育が「改苗」されている。だが、「改革」は、現場を少しも良くしていないし、「改正」は、大きな問題を残していった。
新学期が始まった学校は、どこも「落ち着かない」ものだ。私の仕事をしている小学校でも、新しい担任や新しい教科書、新しい児童会活動や学級の係り活動など、教室が本格的に動き出すのに時間がかかる。
友だちと学校生活をうまくやっていくために、どんなふうに役割を分担するかを、子どもたちは学級会で話し合い、「決めごと」をつくる作業に取り組む。「先生が決めた方が早い」という子どもの声もときにあがる。だが自分たちの生活は自分たちで考え、試行錯誤しながらよりよいものを追求して欲しいと思う。子どもの動きが円滑になるまで、私たちは慎ましくアドバイスしながらじっと待つ。教員の「指導力」と「忍耐力」が試される時期である。
私は、昨年の教盲基本法「改正」の経過を思いだし、子どもたちの学級会に比べ、「なんと情けない、結局、でかい声が、勝っただけなんだ」という想いがわき上がってくる。私にとって「でかい声」は、桐喝的な力を誇示できるが、中身の論議を吹き飛ばしてしまうという意味である。
教育基本法も法律だから、手続きに則って改変する「可能性」は保障されていると思う。しかし、当然のことだが、民主主義は多数決「主義」の社会ではない。一番重要なのは「論議をつくす」ということなのだ。果たして今回の「改正」で論議が尽くされたのだろうか?
政府レベルの論議は、一番大事な時期に、不正タウンミーティング問題で終始し、総理は論議を尽くしたという。しかし、実質的には、与党によって強行採決されたとしか言いようがない。強行採決は「論議打ち切り」を前提としている。
政府、国会レベルだけでなく、もっと問題だと思うのは、学校現場や保護者市民のレベルでこの「基本法」が、十分に論議されていないことである。それは、「改正」したこと以上の問題があると思う。
私が改正に反対した理由の一つに、「現場の学校の現実は、教育基本法とは、程遠いものである」ことをあげた。子どもたちの自殺や子どもの虐待があいついで報道されたことによって、子育てや学校教育の現実が非常に厳しいことが分かってきたのだ。それなら、よけいに「個の尊重」という旧基本法の理念に立ち返るような論議や施策がなされなければならない。
学校の現場では、友だちの意見を十分にまず聞くこと、声に出して言えない子の気持ちを察することを教えてきたはずだ。それは、個人が大事にされない教室は教室全体が死んでしまうと思うからだ。個人の意見を聞くのは面倒くさいものだし、納得するにも時間がかかる。論議には、意地もいるし、我慢も必要になる。何より集中力が欠かせない。それを承知での民主主義なのだ。旧教育基本法は、それを念頭に置いて「個人の尊厳と自由」を重視した。
「先生、面倒だから、多数決にしてよ」「最初から負けることわかってんのにやだよ」「多数決にしていいかという姦決をしたらいいよ」といった仲問を大切にしようという論議から学ぶことは多い。
職員会でも意見を言わない教職員、意見を言わせない管理職、そんな大人社会こそ「面倒くさがりで、忍耐力がない」のではない.か。「改正」教育基本法とこれからつき合いながら、もう一度、教育の「基本」とは何かを足下から点検するしかない。「でかい声」でない、静かな「教養と知性、自由と個性」で、忍耐強く「改正」の改正を求めていきたい。
今、一番危険なことは、思考と試行を停止してしまうことだ。学校評価制度や学力テストをはじめ、子どもたちをとりまく世界では、今まで以上に、他者からの評価をすべてとし、評価で強迫される社会になろうとしている。
「国を愛すべき」という前に、「愛せる国」とはどんな国かを考える。そんな面倒なことから逃げないでいたい。「生きる力」と「忍耐力」が必要なのは、私たち大人なのだ。
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昨日(5月20日)は埼玉県飯能市で開催されたツーデーマーチの2日目であり、私も小学校6年生の息子のサッカーチームの父兄として18キロの山道コースに挑みました(左側の写真が完走の証です)。普段は自宅でパソコンに向かって翻訳の仕事をしている私にとって久し振りの運動であり、流石に疲れましたが心地よい疲れでした。今後も機会を見て山歩きなどで健康を維持していかねばと痛切に思った次第です。ところで、昨日はヤマモト・ジョージという俳優だか歌手だかが参加したというので、帰宅後インターネットで調べてみたら歌手の山本譲二でした。
第5回 新緑飯能ツーデーマーチ
この山本譲二に関して以下のような投稿が地元飯能市の掲示板にありました。
| 263 名前: まちこさん 投稿日: 2007/05/20(日) 20:44:39 ID:t/EUdtEA [ ntsitm221116.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp ] ゲストのジョージ山本は5kmコースに参加。 | |
山本譲二に関する投稿は上記の一件だけでしたので事の真偽のほどは私には分からないものの、もし、この話が本当であれば、山本譲二が車に乗り込むのを目撃した大人は兎も角、子供たちの目にどのように映ったのかと心配になった次第です。目を日本の芸能界に転じてみれば「やらせ」のやり放題という感じであり、そのあたりの実情は「きっこの日記」に目を通すとよいと思います。
テレビを信じるナンミョー予備軍たち
さて、全員の子供たちか完走した後、市役所でコーチの訓辞があった際、一人の子がサッカー部を退団するということで、その子からお別れの言葉がありました。聞く話では中学校受験のためとのことです。受験と言えば、私の上の息子は現在中学校二年生であり、最近行われた中間試験の数日前から相当悩んでいる様子が傍目から分かりました。彼は県内でも有数の県立の進学校(高校)を目指すため、私の知人の塾で頑張ってきた甲斐があって、学年で10番目程度に入りました。しかし、塾の先生は二学年が勝負だということで5番目以内に入るようにと厳しく指導しているようであり、そのあたりが息子に負担になったようです。そこで、試験の前日、私は以下のような言葉を息子に投げたのです。
| 受験のための丸暗記の勉強だけに没頭していては駄目だ。たとえば、「大化の改新は645年に起こり、中大兄皇子と藤原鎌足らが蘇我氏を打倒して始めた古代政治史上の一大改革」と教わっただけで、後は丸暗記するだけで終わりだろう。そんな無駄なことを記憶するのに精を出すより、今の中学生という時期は大勢の友達と付き合い、部活(サッカー)を楽しみ、学校で最も優れた図書館という先生のところに行って様々な本、殊に和漢洋の古典と言われている本を、内容は深く理解できなくても良いから、沢山読破して欲しいな。そうした体験を通じて、自分が一生を賭けたい分野を探し出すように努め、その分野で最高の先生がいる大学を目指せば良いではないか。東大だ京大だといったハコモノで大学を選ぶのは間違っている。日本では最高学府とされている東大にしても、世界レベルで見れば200番台目に辛うじて入る大学に過ぎない。実際に東大を出ているお父さんの叔父さんたちを見れば分かるだろう。ともあれ、世界を見渡せば一流の教授が集う大学が沢山ある。自分が一生を賭けたい分野を見つけ、その分野で最高とされる教授の所へ行くべきだな。 | |
このように諭すように語り聞かせたところ、様子も大分落ち着いたようであり、高校受験という下らないプレッシャーから解放された様子が手に取るように分かり、親父としても安堵した次第です。それにしても、一流中学・高校・大学に進学すれば、卒業後は官公庁や一流企業に就職でき、生涯安定した生活ができると勘違いしている親が未だに多いのには驚かされます。そうした親に受験とは何かを考えてもらう意味で、私が管理しているホームページ【宇宙巡礼】から、受験に関連した言葉を最後に羅列しておきましょう。
| 考え方を学ぶよりも結果を覚えこむという、後進国型の技術主義にガンジガラメになっていることが、自由な個人に育つべき若者たちの精神を窒息させているのだが、日本という枠組の中から見ている限り、突破口はおそらくみつからないだろう。閉された世界で絶対的な威力を持って君臨する価値観に対して叛逆するのは、なみ大低のことではないのだ。だが、その枠を乗りこえて一歩外の世界に踏み出したとたん、このロジカルな価値の基準はその意味を全く失ってしまうことが多い。そのいい例が受験地獄である。日本全体を狂気に追いやり、著者の青春を灰色に塗りこめている画一的な受験競争は、実体の核心に気づくやいなや、たちどころにその意味を失ってしまう。受験地獄の実体は大学に入れないことではなく、志望する有名校に入るのが難しいだけであり、狂躁曲に踊る姿が哀れだというだけにすぎないのだ。その有名校が自分の人生にとって、果してどれだけ本質的であり、生きざまの充実にどこまで意味を持つかを考えたことが無いか、あるいは、その無関係さに気づいていないだけのことである。 そうであれば、有名校や大会社という評判は、世界のレベルでは単に日本国内というローカルな名声にすぎず、そこに気づくことで人生は一転してしまう。しかも、問題は所属する組織の名前や肩書きではない。世界に通用する普遍的な価値基準は、個人としての今のパーフォーマソスと将来に向けてのポテソシアルであり、すべてが人間としての生きざまと魅力にかかわっているのだ。その上、世界の次元では、まったく新しい文明時代が始まろうとしているのであり、新時代にふさわしい人材に成長することが、最優先の人生の課題になるのである。 | |
| だから僕は日本の若い人に、日本を脱藩する勇気を持ちなさいと呼びかけるのです。日本の大学受験熱にうかされたり、塾なんかに行ったところで、手に入れるものはタカが知れています。せいぜい有名商社や大銀行に入杜するくらいであり、そういうところの優れた人間は、現在ではいかにそこから脱出するかを悩んでいるのです。前田百万石の旗本になって二人扶になるか、一匹狼をしばらくやってみるかの選択が待ち構えているなら、僕は一人の自由人としての体験をもとに、一匹狼をやるようにと自信を持ってすすめたいと思いますね。 | |
動態幾何学(Curvilinear geometry)には厳めしい響きがあり、何かとてつもなく難しそうな感じで、これは頭が痛いと思う人がいるかもしれない。言葉の持つイメージは確かに難解に見えて、非常に大変だという印象を与えてしまうが、第一印象の強さに驚いてしまう必要はない。それは最近の中学生の数学に[集合]があるのを見て、何だかさっぱり分からない記号が多いが、自分が時代遅れになったのかと驚くのに似ている。新しい概念に初めて出会った場合には、常にそんな印象を持つのが人間であり、最初に外国語を習った日の当惑と同じである。 [This is a book.]という文章を黒板に書いた先生が、最初のジスは主語でコレという意味を持ち、次のイズは三人称のビー動詞だが、不完全自動詞だから補語のブックを持ち、これが単文という基本文型だと説明したら、誰だって目を白黒するに決まっている。 だが、アメリカやイギリスに行けば英語は共通語で、幼稚園児でも英語を喋っており、文法などを知らなくても不自由はしないし、慣れるだけで誰とでも意思疎通ができる。 数学も似たようなもので一種の言葉だから、慣れてしまえば無意識で言葉が使え、方程式は一七文字の俳句や五言絶句と同じで、考えを濃縮するルールの種に過ぎない。最初に俳句を作った時は難しく考えるが、言葉のリズムが分かれば簡単であり、季語の約束が面倒くさいと思えば、俳句にしないで川柳にしたらいい。 それと同じことで、方程式の代わりに図を描くのが幾何学で、三角形や円は子供の時から描いたはずだし、子供の学習はまず塗り絵から始まるのだから、図形で表現する幾何は川柳の身近さを持つ。それを難しいものと思い込んでいるのは、今の学校教育のやり方が悪いからであり、図形が表現するのは文字のない太古の昔から、人間にとって身近な思考の表現手段だった。歌えば楽しい音楽という表現の形式が、中学校の授業では短三度とかフーガだといって、知識として教えこもうとするために、音を楽しむ音楽が苦痛になることが多い。 それと同じで本来は楽しくて仕方がない図形発想が、入試のための幾何学の解法の複雑さのために、楽しみが苦痛になってしまっただけで、問題は日本の受験地獄の現状にあるのだ。 知識は力の源泉として必要なものだが、知識はそれ自体が静態的なもので、発想や判断という動態的なものに比べ、次元において遥かに劣っている。 ところが、日本の教育制度は知識に偏重し過ぎており、これは近代の始まりの頃には有効だったが、二一世紀には余り重要度がないものである。 しかも、これは知識の多さや記憶量で人間を計る、受験制度の悪い習慣が支配するためであり、一流校に入るために聳える受験地獄の関門が、どれだけ若者を苦しめていることだろうか。 このような知識万能が日本を支配したのは、技術至上主義の路線を適進するために、産業社会としての経済的な理由のせいである。大量生産の設備を能率的に動かす、巨大組織の部品(パーツ)として役立つ人間教育は、マニュアル(教科書)に忠実で知識の量を誇るから、人材が日本のような規格型にならざるを得ない。 こうしてパブロフの犬のように国民を育て、人間が規格品外にならないように、偏差値を使って選別しているのだし、荘園の領民に似た奴隷的な人間になる儀式が、受験地獄の隠れた正体(実態の意味の全体)に他ならない。 しかも、国内では最高と思われている東大が、米国の大学を除くと67番目に過ぎず、アメリカを含む全世界で200位以下なのに、国内に向けて輝いた虚像に幻惑され、青年たちは世界の三流校に憧れている。教育制度が経済的な理由に基づいて、人間疎外のシステムとして機能しているのなら、即刻この迷路から抜け出す必要がある。 日本の大学入試は教育制度ではなく、若い世代のエネルギーを無限に摩耗させ、ブラックホールに等しい存在として機能するなら、この虚妄の構造の放置は悲惨ではないだろうか。 『経世済民の新時代』(藤原肇著 東明社)p.58~60 | |
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私が管理しているホームページ【宇宙巡礼】に、「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」 という記事をアップしましたが、同記事は新世紀を生きる子どもたちにとって最良の指南書になり得ると思い、急遽本稿をアップする次第です。
私は息子たちと彼らの将来について語り合うことが多いのですが、下の子(小五)は昆虫博士を目指すと言って奥本大三郎氏が著した子ども向けの『ファーブル昆虫記(1)~(8)』(集英社)などに熱心に目を通したり、学校の後に近辺の野山で虫と接しているようです。一方、長男(中一)は実業家を目指すといって、『マクロメガ経済学の構造』(松崎弘文・藤原肇共著、東明社)に目を通したり、インターネットで株関連の情報を熱心に目にしたりしています。尤も、日本の株式といっても情で動いているようなもので、かつ今日に至っても相変わらずインサイダー取引が横行している世界であり、さらには野村證券に代表されるように個人投資家を大切にせずに機関投資家を優遇するという世界です。そうした背景を上の子に教えた上で、「日本の株式市場なんか相手にするのではなく、シカゴ商品取引所(Chicago Board of Trade)を相手にしてみたらどうだ」、とアドバイスしています。そうすれば英語の勉強になるだけでなく、世界規模での穀物の相場を追うことにより、真のインテリジェンスを身につけるための土台造りになると思うからです。
さて、「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」 を子どもたちに目を通してもらい、(1)「これからの世界はどうなっていくのか」、(2)「どのような生き方を目指すべきか」、(3)「どのような職業に就くべきか」といった点について子どもたちなりに自分の頭で考えて答えを出すようにさせると良いと思います。「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」に書かれている内容は大人にも難しいと思いますが、頭脳の柔軟な中学生や高校生という年代に「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」のような頭の痛くなるような文章を読ませるべきであると私は思います。鉄は熱いうちに打てではありませんが、若いうちから古典や「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」のような内容の文章に親しむべきなのです。
最初に、「(1)これからの世界はどうなっていくのか」ですが、「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」の冒頭にも書いてあるとおり、人類が過去に二度体験した大革命に匹敵する第三の大革命、すなわち情報革命の時代を現在の人類は迎えています。現在進行中の革命は、私たちのハード面の生活環境を一変してしまうだけではなく、今日の人類の持つ思考・行動様式というソフト面も劇的に変えてしまうはずです。ちなみに、私が属する翻訳業界は図1の真ん中の「2」(労働力から技術集約型への移行期の産業社会)に相当します。文学作品や論文といった分野の翻訳では今後も人間の頭脳による翻訳に頼る他はありませんが、その他一般の翻訳(特許申請、メーカーのカタログやマニュアルなど)はいずれ機械に置き換わるでしょう。換言すれば文学作品や論文の翻訳などは人間(M)が中心になって今後も行っていくと思いますが、その他の翻訳は殆ど機械(T)で間に合うはずであり、そうした方向に大方の翻訳会社はシフトしていくはずです。ただし、翻訳業界が(K)型の産業に移行することはないでしょう。何故なら、翻訳とは主に情報が未加工の状態であるインフォメーションを扱っているのに過ぎないからであり、情報の加工技術ともいえるインテリジェンスをさほど必要としない業界だからです。なお、ここで言うインフォメーションとインテリジェンスの違いは、かつて執筆していたメールマガジン【日本脱藩のすすめ】の第15号で述べてありますので、関心のある方は一読ください。
今後はどのような世界になるのかという、大雑把なイメージを子どもたちに掴んでもらったら、次に(2)「どのような生き方を目指すべきか」という点についてですが、これは反骨精神を持った人間に育てることが必要だと思います。換言すれば、自分の頭で考え行動できる人間に育てることを目指すべきなのです。そのためには、時の権力に対しても堂々と対峙するだけの気構えを持つことが必要となり、(たとえ会社という組織に属していたとしても)会社という組織に飼われた社畜の立場に甘んじるのではなく、たとえ会社を辞めても家族を路頭に迷わさないだけのモノを身につけておくことが必要です。
会社を飛び出しても食っていける職業としてコンサルタント、作家など色々とありますが、これからの社会で(3)「どのような職業に就くべきか」を考える場合、「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」の以下の文章に注目すべきでしょう。
| 21世紀の文明の決め手になるのは智慧であり、知識集約型社会の活力源が情報であるが故に、インテリジェンスに卓越した人材の育成と適材適所は、何にも増して優先で緊急の度合いがとても高い。 |
以上、中学生のうちからインテリジェンスを磨いていけるよう、子どもたちを仕向けていくことが大切です。
ここで教育の観点から離れて、「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」の中心テーマであるメタサイエンスに目を向けておきましょう。最初に、「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」を執筆した藤原さんが、世界で初めてメタサイエンスの入門書である『宇宙巡礼』という書籍を著している事実を指摘しておきたいと思います。また、英文のメタサイエンスに関する論文「Holocosmics」もあります。なお、これは『宇宙巡礼』には書かれていないことですが、「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」の図7にある直角転移次元飛躍は重要です。「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」には、直角転移次元飛躍の重要性について以下のように書かれています。
…多次元構造を自在に思考する頭脳の持ち主が、21世紀において惰報社会の主役を演じるのであり、次元の飛躍をする秘密の鍵はメビウスの輪にあって、これは一回の捻り(90度×2)を行うことに決め手がある。 |
上の子に「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」を数日前に渡しましたが、どのような質問が飛び出して来るか父として今から楽しみです。なお、息子に対しては、「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」には将来の進路を考える上で大変重要なことが書かれてあるとのみ伝えてあります。
※ 「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」をWordファイルにまとめてみました。ご活用ください。
「21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦」
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皆様、大変ご無沙汰しております。本業(翻訳)が多忙であった上、実母の介護に追われていたため、本ブログの更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。
ところで、本ブログにはアクセス・カウンタ機能があるのを最近になって知りました。早速調べてみたところ、すでに2万アクセスもあったのには驚くと同時に、大変有り難く思った次第です。よって、以前のように毎日とはいきませんが、これからも折に触れて更新を続けていきたいと思いますので宜しくお願い致します。
さて、現在、二人の息子(中学校1年生・小学校5年生)が、地元飯能市の東飯能駅前にある学研CAIスクールに通っています。二人とも親が無理に行かせたわけではなく、自ら進んで塾に行きたいと言うので同スクールに通わせることにしたのであり、二人が同スクールに通い始めてから2年近くが経ちます。
同スクールでは毎年2回ほど、子供たちの学習状況などについて保護者を対象に個人面談を行っており、小生も先週の26日(日)の夕方にアポを取って同スクールに行き面談を受けてきました。その時、何処かの掲示板で同スクールが話題になったという話を息子たちがお世話になっている先生から聞いたので、帰宅後グーグルで調べたところ以下のようなやり取りを発見したのでした。
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256 名前: まちこさん 投稿日: 2006/04/05(水) 22:11:10 ID:K91C2OgA [ p5141-ipad37souka.saitama.ocn.ne.jp ]
新小5の親ですが、市内学習塾情報をお願いします!!
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260 名前: まちこさん 投稿日: 2006/04/06(木) 07:51:33 ID:fg/9MOPA [ FLH1Aen187.stm.mesh.ad.jp ]
>>256
東飯能駅前にある学研CAIスクールがお勧め。一人ずつパソコン使って
授業するんだけど、きちんとマンツーマンで教えてくれるので、基本的には
家庭教師と一緒。
多くの子供達の中で切磋琢磨しながら勉強するのが好きな子にはあんまり
向いていない。
うちは今年の春まで行かせていたけど(卒業したのでやめました)、とてもよい
先生達ですよ。ご夫婦で、とても丁寧に教えてくれますし、一人一人の子供を
よく見てくれます。
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264 名前: まちこさん 投稿日: 2006/04/06(木) 20:53:16 ID:Vf/eO2ac [ softbank219183192152.bbtec.net ]
>>260
東飯能駅前にある学研CAIスクールがお勧め。同感です。
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同スクールの先生には失礼ながら、学習塾であれば何処も同じようなものだと思っていたのですが、どうも塾によって差が出てくるようで、愚息の通っているスクールは評判の良いスクールであることを知り嬉しく思った次第です。
だが、それ以上に息子の先生の話から深く共鳴したのは、「私が学研CAIスクールを始めたのは、地元に何らかの形で貢献したいと思ったからでした。それがたまたま教育だったのです」という言葉でした。実は、この言葉の中に閉塞感に覆われた今日の日本を立て直すキーが隠されています。
国際政治コメンテーターの藤原肇氏が『マチュアライフ』に寄稿した記事があり、そこに答えが書いてありますので以下に転載しましょう。記事名もそのものズバリ「社会への恩返しのすすめ」というものです。
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社会への恩返しのすすめ
失政で長びく不況と金詰まりのために、企業は人件費を削減しようと、早期退職者の募集や昇進停止などを始め、40代で転職の肩叩きをしている。その一方で、社会危機回避のため、年金受給年齢引き上げや定年延長が言われているが、退職金の年金への繰り入れの方が優先ではないか。日本人の平均余命が世界最長の水準に達し、出生率が大幅に低下して社会の老齢化が進むから、定年延長は一見もっともらしいが、果たして正しい選択かどうかは疑問だ。定年延長は、情報革命の進展で社会が知識集約型になり、組織と個人が非固定的なネットワークで結ばれるのに、仕事と個人の関係が流動化するのを阻害する。
年金の保障ネットは第2の人生の支えであり、それが第2の職場かボランタリー活動になるかは、個人の能力や好みによって違うが、いずれにしても組織に従属する生活態度の限界は見えている。50歳を過ぎたら人生の軸足を社会への恩返しに移し、それに意義を感じて生き甲斐にする人が増えることで、荒廃した日本を立て直せるのではないか。
1980年代の中曽根内閣から竹下内閣時代に、カジノ経済で投機による金儲けが蔓延して、日本は拝金主義に毒されてしまい、その後の長い不況のために、社会は余裕を失い、日本は閉塞感で息苦しい社会に成り果てた。政府の累積赤字は税収の20年分に近く、その借金の山を築き上げたのは、中央と地方政府の両方で行政が肥大化し、日本の社会に恐竜が君臨しているためである。
その克服には小さな政府を指向するとともに、企業や団体が地域社会の〝企業市民〟として、社会に利益還元をする思想に従う必要がある。その原動力は社会人意識の確立した個人である。円熟した世代が知恵と経験を生かして、自発的な行動としての恩返しに参加することが、開かれた社会を作るのだ。
たとえ僅かでも老後の貯金と年金があれば、爽やかに人生を生きることは可能だ。力ーネギーが「人間はカネを持ったまま死ぬのは恥だ」と言ったのを思い出して、自力で社会への貢献を目指す人が増えることを期待したい。
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今日の各新聞にも、「自殺者が4人に1人がプロミスをはじめとするアコム、アイフル、武富士、三洋信販といった消費者金融の借り手」と報道しているように、一方では人を死に追いやった上に、保険金を遺族から掠め取るような、社会への恩返しの逆を行くようなニュースに接する毎日だけに、息子のお世話になる先生の言葉を耳にして、日本もまだまだ捨てたものではないと嬉しく思った次第です。
※消費者金融はまさに悪魔のビジネス・モデルであり、詳しくは須田慎一郎氏が著した『下流喰い』(ちくま新書)を参照
6月12日にブログをスタートしてから、早いもので今日で3ヶ月半が経ちました。その間の体験により、ブログとはどういうものか良く分かりましたので、掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】を将来“改装”してブログ化する際に、今回の体験を十分に生かしたいと考えてます。なお、『教育の原点を考える』の電子化も、電子化プロジェクトメンバーの一人、相良さんが最終章のチェックを行っている最中であり、まもなくアップできると思いますので暫くお待ち願います。ともあれ、以前から再三お伝えしてきましたように、3ヵ月半にわたって教育を主テーマに毎日書き続けてきた本ブログの更新は、明日の10月1日以降からは不定期となるものの、今すぐに閉鎖するというわけではなく、当面は不定期更新を続けながら残しておきたいと思いますが、将来においてブログ版「藤原肇宇宙巡礼」が開設された場合、本ブログの閉鎖を視野に入れています。
3ヶ月半にわたってブログを毎日書き続けることが可能だったは、過去において書き連ねてきた私自身の原稿、地質学者の藤原肇氏をはじめとする大勢の先達の原稿の一部を編集し、それに一言二言個人のコメントを付け加えた形ものを数多く投稿してきたことにより、毎日の更新が可能だったと云えると思います。しかし、そうした過去の“原稿”、特に私自身の“原稿”がそろそろ無くなりかけたのが、更新が不定期になる大きな理由の一つです。また、8月の下旬に久しぶりの映画の台本の翻訳が入り、ブログに向かう時間がほとんど取れないという時期がありましたが、その時は苦し紛れに過去の“原稿”を引っ張り出してきて、10回シリーズにわたる「フルベッキ写真」を流したのですが、今から振り返るに怪我の功名だったと思います。何故なら、フルベッキ写真シリーズを通じ、高橋さんをはじめとする多くの人たちと知り合うことができたからです。
ともあれ、この3ヵ月半で過去の原稿を中心に大分“放電”(ブログへの投稿)してきましたので、ここ暫くは仕事と教育を中心に、残りの時間を“充電”(読書、セミナー参加等)にあてていく予定です。それでも気が向けばブログに書くことがあろうかと思いますので、忘れかけたころにご訪問ください。その意味で、ブログ【教育の原点を考える】を今後も宜しくお願い申し上げます。ご参考までに、本ブログの各カタログについては、今後は以下のように取り扱う予定です。
【教育】…既に 「暗黒日記」にて定義した教育について、今後も書き続けていきたいと思います。何となれば、教育こそ国の根幹だからです。
【エネルギー】…毎月、某組織のエネルギー関連の記事の翻訳を担当していることもあり、20世紀を動かしてきた石油文明から、21世紀を動かしていくであろう情報文明にスムーズに移行するための道標になればと願いつつ、筆を進めていく所存です。
【フルベッキ】…その後、高橋先生が精力的にフルベッキ写真についての調査を根気よく続けておられ、その後も時折戴く報告メールに書かれた新しい発見に目を見張ることがしばしばです。高橋さんに頼んで、フルベッキ写真について調査のまとめをお願いしている最中です。
【書籍・雑誌】…過日、某官庁に勤める弟と本のことで話し合った際、「忙しいので月に一冊がせいぜい」と言っていました。私の場合はフリーランスであることからまとまった時間も取れることもあり、同年代と較べて割と書籍を良く読む方だと思いますので、今後もこれはと思う書籍を順次皆様に紹介していくつもりです。
【経済・政治・国際 】…今後もブログに書いても支障の出ない範囲で書き続けます。過日の9・11選挙の正体のように、タイムリーな話題を取り上げていくかと思えば、大久保利通などのように過去の政治家や財界人を取り上げることもあります。
【翻訳】一人の翻訳者として、翻訳の仕事そのもの以外に、翻訳ビジネスあるいは翻訳の将来についても関心がありますので、今後も時々翻訳についての情報を流していくつもりです。
最後に、今後は不定期になるのにもかかわらず、上記のカテゴリー以外に新たなカテゴリー【フリーメーソン】を設けることにしました。本ブログでも時折フリーメーソンについて書き連ねてきましたが、このテーマは非常に重要なテーマであるだけでなく、現在の私たちの生活は無論のこと、21世紀を生きる人たちの行動・思考様式に大なり小なりの影響をもたらすであろうことは必定であることから、新たにカテゴリーとして独立させることにしたものです。今月は20日あたりまでバタバタしていますが、それ以降にでもフリーメーソンについての第一弾を書く予定です。
今度もブログ【教育の原点を考える】を宜しくお願い申し上げます。
1998年9月30日にサラリーマンを辞め、今日でちょうど7年目のサムライ拝
写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
散歩コースの里山では手入れが行き届かなくなり、ミドリヒョウモンを見かけることが少なくなりました。それではと、手入れがされている里山に足を伸ばしたところ、いました、いました。(むうじんさん)
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訪問者の皆さんは、ダウジングについて一度や二度は耳にしたことがあると思います。ダウジングについて分かりやすい定義を行っているのは、[超常現象研究最前線]というホームページにあるダウジングの謎のページでしょう。以下にダウジングの謎に書かれているダウジングの定義を引用しておきます。
| ダウジング:振り子やいろいろな形の棒を使って、地下の水脈などを探し当てる技術のことである。4000年以上の歴史があるといわれ、現在でも、水道管の位置を探し当てたり、地雷を発見するために利用されている。伝説によれば、真言宗の開祖・空海もまた、旅の途中、各地でダウジング・ロッドを操り、井戸を探し当てたとされる。実際、それらは空海井戸と名付けられ、現在まで残っている。 |
数年前、私は東明社という出版会社の吉田寅二社長のお供をして、横浜の宍戸幸輔宅を訪れたことがあります。宍戸氏はダウジングの大家であったことから、色々とダウジングに纏わるお話をしていただき、いつしか私もダウジングに興味を持つようになったのでした。その後宍戸氏の自宅には幾度か訪問し、宍戸氏のためにホームページを作成したことを思い出したので、久しぶりにアップしてみました。
http://www.nextftp.com/tamailab/sisido/j/
私は宍戸氏からダウジング用の振り子をプレゼントしてもらい、実際にやってみたところ確かに振り子が威勢良く回るのであり、狐につままれたような気分になったものでした。果たして、振り子を回しているモノの正体は何なのだろうか…、と当時から追求して今日に至っています。
ここで、ダウジングにはダウジング・ロッドを使う方法以外に、振り子を使う方法もあり、以下のURLには親指と人差し指とで振り子の紐を持っている状態の写真が載っていますのでご覧ください。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/2-6.htm
さて、ここで再びダウジングの謎に目を通していくと、振り子を動かしているものの正体は不覚筋動であると書いてあります。
| ダウジングは、ロッド自体がまるで意思があるかのように動く。もちろん、ロッドはあくまでもロッドであり、意思を持った生命ではない。ダウジングの特徴として、1.ダウザーは意識的に力を加えていない。2.金属であれ、プラスチックであれ、あるいは木製であれ、いかなる素材のロッドでも反応する。3.ロッドは人間が持たないと反応しない、が挙げられる。もし、ロッド自体が勝手に動くのであれば、人間が手で直接持っていなくとも反応するはずである。ロッドを動かしているのは決して未知なる力ではなく、いろいろな情報に無意識に反応するダウザー自身、もっといえば誰にでも備わっている不覚筋動なのだ! |
普通であれば、「なるほど、振り子を回していた正体は不覚筋動だったのか」、と納得できたのでしょうが、宍戸翁が伝授してくれた振り子のやり方は従来とは全く異なるのです。実際に宍戸翁が振り子を回している写真をアップしましたので確認してみてください。
http://www.nextftp.com/tamailab/sisido/j/fig/pic02.htm
以上、二つの写真を較べてみればお分かりのように、普通の振り子は直に振り子を結んだ紐を指に挟んで持ちますが、私が宍戸幸輔氏に伝授してもらった振り子の場合、振り子の紐を直接手で持っているわけではないのに、それでも振り子は威勢良く回るのが不思議なのです。ともあれ、振り子を回しているモノの正体について性急に結論を出す前に、「若き日の修験者・空海のコスモロジーと錬金術(上)」といった記事や手許にある佐藤任著『空海と錬金術』を再読してみるつもりです。もしかしたら、そうした記事や書籍に、振り子を動かしているモノの正体を知る手がかりが書いてあるかもしれません。
最後に、今日の投稿を読まれてダウジングに関心を持った訪問者のために、ダウジングに関する優れた記事を以下に紹介しておきましょう。
ダウンジングを巡る科学と擬似科学の谷間
写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
私は、むうじんさんが写真にいつも添えている言葉が好きです。
2-3年前に雑木林の伐採が行われた場所で思いもかけない花に出会いました。この前に見かけたのが5年前・・・そう言えばその時も雑木林の伐採後でした。咲いたのは2年間だけで、林が藪になってからは見かけません。この場所も藪になりつつありますので来年は期待薄でしょうね。
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2年ほど前に、IBDの機関誌『世界の海援隊』に「経済学のすすめ」と題する拙文を投稿したことがあります。経済に関心のある人たちに以下を一読してもらえれば嬉しく思います。
メタサイエンスという21世紀科学の潮流について世界で初めて本(『宇宙巡礼』 東明社刊)の形にして世界に発表したのは、本シリーズでもたびたび登場する在米の藤原肇博士であった。筆者はその藤原博士の著作を通じて、あるいは博士から直にメタサイエンスについて教えを受けた一人であり、本シリーズでも第二回「メタサイエンスのすすめ」の他、ほぼ毎回のようにメタサイエンスについて様々な角度から取り上げてきたので、読者の頭の片隅にメタサイエンスという言葉がインプットされたのではと思う。ともあれ、今回は経済が主テーマであることから、経済をメタサイエンスの観点から捉えるために重要となるツールの一部を以下に列記しておきたい。 ■MTKダイアグラム MTKダイアグラムについての解説は“ORGANIZATIONAL STRUCTURE OF THE OIL INDUSTRY”に譲るが、いずれにせよ経済という人間の営みを真に理解するためには、今までの経済学の知識を一端捨て、改めて文明次元の視座から社会の変遷を眺めつつ、エネルギーがどのような現れ方をしているのかを観察することにより、ダイナミックな相の変化を捉えていくことが必要なのである。 ■太陽黒点に基づく景気の循環理論 太陽黒点とゴンドラチェフの波からお分かりのように、ゴンドラチェフの波は景気の変動に及ぼす太陽黒点と密接に関係した波であり、人為的な操作でどうなるものでもないことが一目瞭然である。黒点の経年変化と景気変動との関係が明らかにされた経緯について、藤原博士が以下のように述べているので一読されたい。
ジェボンズの景気循環論を高く評価したのはシュンペーターであった。日本では景気循環説が経済学者やエコノミストの間で引用されていることが多いものの、藤原肇博士をはじめとするごく僅かな人間しか景気の循環理論の有効性に気づいていないのは残念である。 ■ガウス座標 ガウスの予備段階としてφ座標を藤原博士は用意されている。このφはフィボナッチ数列のことであり、自然の摂理を探求するにあたって物凄い威力を発揮する数列だが、第二回「メタサイエンスのすすめ」で既にそのあたりを述べているのでここでは繰り返さないこととする。それはさておき、次のガウス座標について藤原博士は以下のように述べている。
ガウス座標は現在のサイエンスのレベルでは普及にほど遠く、実用化は50年先になるということもあり本稿ではガウス座標の説明は省略するが、それでも関心のある読者は『超経済学 波動理論で新世紀の扉を開く』のp.215から読み進めるとよい。尤も、残念ながら本書は絶版であって入手不可能であるが、神田の古本屋街を精力的に回れば運良く入手できるかもしれない。あるいは地元の図書館で借りるのも一手であろう。 | ||
写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
巾着田のヒガンバナ。
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昨日、偶然にも空海を取り上げましたが、松岡正鋼氏の著した『空海の夢』の表紙を眺めながら、いつしか古代に思いを馳せていた自分がいました。それで2年前に古代をテーマにIBDに投稿したのを思い出したので、本ブログに再掲することにより、訪問者の皆さんにも古代に思いを馳せてもらえればと願う次第です。
2001年12月23日、68歳の誕生日を迎えた明仁天皇が特別記者会見を開き、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であることが、続日本紀に記録されていることについて語り、日本の皇室と百済との血縁関係について、初めて公的に認めたことは記憶に新しい。その中で、中央日報をはじめとする韓国のマスコミが、天皇の発言を大きく取り上げたのに対し、日本のマスコミの取り扱いが極端に小さかったのが対照的であった。それにしても、天皇家の遠祖が朝鮮人であることを天皇自ら認めた発言の持つ意味は大きく、歴史のベールの一枚が剥がれたと思った読者も多かったのではないだろうか。 天皇家と歴史との関連で思い出したことは、日本人のルーツを古代シュメールに求める研究が、戦前の日本において盛んに行われていたと物の本に書かれていたことだ。シュメールと日本が結びつけられたのも、バビロンのイシュタル門に皇室の正紋である十六菊花紋と瓜二つの模様が刻まれていること、天皇を意味するスメラミコトがスメラ(シュメール)尊(ミコト)と解釈できるといった類似点によるものだろう。しかし、優秀なシュメール族の末裔である日本民族は、世界を支配する資格を持つといったプロパガンダとして、戦前のシュメール研究が日本の軍部に利用されたという一面も見逃すわけにはいかない。そうした戦前の反省もあり、戦後はスメラというラテン語読みを止め、シュメールという英語読みに切り替えたのである。以上のような経緯があるにせよ、シュメールがさまざまな形で日本に影響を及ぼしてきた可能性は高い。 そのシュメールを指して、「歴史はシュメールに始まる」と語ったのは歴史家のS・N・クレーマーであった。紀元前3500年頃のメソポタミア南部に、ウルク期の都市国家を建てたシュメール人が、楔形文字・法典などを作ったことはよく知られている。さらに、シュメール人は高度な数学を操り、天文・灌漑・精錬・造船などの技術を身につけていたという。また、シュメール人の遺したギルガメシュ叙事詩は有名であるが、そのギルガメシュ叙事詩によれば二院制議会が存在していたとある。法に基づく裁判も行なわれたようであり、それは出土した法律文書や数々の判例を記した粘土板からも明らかである。学校と思える遺跡も発掘されており、そこからは教科書や生徒が宿題を筆記した粘土板ノートも多数発見されている。このように、古代文明といえば新石器時代に少々毛が生えた程度のものといった、従来のイメージから大分かけ離れているのがシュメールなのである。それにしても何故、荒涼としたメソポタミア南部という地をシュメール人は選んだのか、そもそもシュメール人とは何者であり、何処から来たのかといった点は今もって不明とされている。 その後、さしもの高度な文化を誇っていたシュメールもついにその終焉を迎えるときが来た。時は紀元前2004年、山岳騎馬部族のエラム人やセム系のアモリ人との戦いに敗れ、ついにシュメール最後の王・イビシンがエラム人の捕虜になって連れ去られたことにより、ウル第三王朝は滅亡した。イビシン王同様に捕らえられた多くの文官・農民・職人といったシュメールの人々は、そのままメソポタミアの地に残って新国王の元で生活を続けたのだろう。そのように考える根拠は、シュメールの地がエラム人やアモリ人などに支配された後も、行政・農業・工業などにシュメール方式が引き継がれているからだ。しかし、シュメール人全員がメソポタミアの地に残ったわけではない。ここで、シュメール人が航海術に長けていた海人であったことを思い出す必要があろうし、新国王の支配下に入るのを逃れたシュメール人の中には、船を使ってメソポタミアの地を後にした者もいたことであろう。彼らの最初の逃亡先がインドであり、シュメール人がインダス文明の担い手になった。その後、インドを始点に長い歳月をかけて広い太平洋各地に散らばっていったシュメール人は、それぞれの土地の先住民族と融合していったのである。その一部が日本にも流れ着き、日本の建国に大なり小なりの影響をもたらしたのではないだろうか。 ここで、黄河文明が誕生したころの古代中国に目を転じてみよう。結論から先に言えば、古代中国もオリエント文明と深い関わりを持っていたのである。民間の歴史研究家である鹿島昇氏は、自著『秦始皇帝とユダヤ人』(新国民社)の冒頭で以下のように述べている。
殷人を例に挙げるとすれば、鹿島氏は様々な角度から検証を重ねた上で、「殷人は初期がヒクソスで、終期がカルデア人を中心とするアラビア海の海人である」という結論を出している。 鹿島氏同様に、岩田明氏という民間の歴史研究家が『十六菊花紋の謎 日本民族の源流を探る』(潮文社)という本を著しており、岩田氏の場合は殷について以下のように述べている。
鹿島氏と岩田氏の古代中国史の捉え方にズレがあるものの、オリエント文明からの影響を大きく受けたのが古代中国であると主張している点で一致している。蛇足ながら、世の中に出回っている古代中国・朝鮮・日本の通史は基本的に間違いであると、鹿島氏は一連の自著の中で述べていので、その例を古代中国に絞って以下に示そう。
以上の例からだけでも、鹿島氏はかなりユニークな史観の持ち主であることがお分かりいただけると思う。その鹿島昇氏は多数の本を執筆しており、筆者も鹿島氏の本を10冊近く入手している。鹿島氏の本はどれも世の中の“常識”と大きくかけ離れているため、にわかには信じがたいという読者が多いはずである。また、必ずしも具体的な証拠を挙げている訳ではなく、かなりの部分において推測を頼りに結論を導き出すのが鹿島氏のやり方である。だからこそ鹿島氏の著書はユニークで面白いのだが、同時に批判的に読み進めることを忘れないようにしたいものだ。無論、中学・高校の歴史教科書に書かれている内容を鵜呑みにすることも良くなく、あくまでも己れの頭で考えに考え抜いた史観を構築することが大切であると思うし、それこそがインテリジェンスを身につける第一歩となるのである。 始皇帝の焚書坑儒の例に見るように、権力者によって握り潰されたり改竄されたりしてきたのが歴史という記録であり、そうした歴史の“嘘”を見抜く眼こそインテリジェンス能力に他ならず、ここにインテリジェンス能力を身につけるすすめを説く所以である。本シリーズで幾度か繰り返していることだが、インテリジェンスは来る情報化社会において不可欠なものである。その日に備えて今からインテリジェンス能力を磨く意味でも、折にふれて歴史の森を散策したいものである。 | ||||
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秋の到来を告げるツルボ
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子どもたちにとっての今年の夏休みは、親の目から見ても有意義なものだったのではという気がします。
■夏休み最後の日に行った八景島シーパラダイズ
8月31日、横浜市にある八景島シーパラダイズに子どもたちを急遽連れて行きました。その日のハイライトは、何と言っても上の子(小学校6年生・男)が一般向けのサーフコスター(ジェットコスター)に初挑戦したことに尽きます。上の子はサーフコスターの面白さにすっかり病みつきになり、怖がる弟(小学校4年生)の手を無理矢理引っ張って一緒に乗せたところ、弟もサーフコスターが大のお気に入りになったようで、日暮れ近くまで二人でサーフコスターで遊んでいました。お陰様で、清沢洌の『暗黒日記』など、ノンビリと日陰で読書することができました。ところで、翌日は二学期の始業式といとうのに、何故わざわざ夏休み最後の日にシーパラダイズに連れて行ったのかというと、「夏休みの宿題をすべて終わらせたらシーパラダイズに連れて行く」と約束を前々からしていたからなのです。
今年の夏は子どもたちにとって大変忙しいながらも、充実した夏休みだったのではという気がします。サッカーの合宿・練習・試合や学習塾の夏期集中講習、学校のプール、そして友達付き合いにと、思う存分夏休みを楽しんでくれた二人でした。ところが、あと数日で二学期も始まるという時になって、二人とも漸く慌てて夏休みの宿題に着手、夏休みも残すところ後1日という8月30日になって、辛うじて宿題を終わらせることができたのでした。特に上の子の場合、自由研究、読書感想文、卒業記念用の表紙(イラスト)、計算ドリルを仕上げなければならなかったのですから大変でした。
二人とも父が頑固なのは百も承知であり、「夏休みの宿題が終わらない限り、シーパラダイズには連れて行かん」と突っぱねる父を、さぞかし非情な人間だと思ったことでしょう。それでも数日間二人が頑張る様子を仕事の傍ら眺めていたので、自由研究と読書感想文をアドバイスしてやったりした効果が出て、ギリギリの8月30日の夜に漸く夏休みの宿題すべて終了したのでした。
8月30日ですが、私は上の子の進捗状況を横目で睨みつつ、9月1日締め切りの医学関係の日英翻訳に必死で取り組んでいました。私は睡眠もそこそこにシーパラダイズに行くという当日の8月31日の朝、午後3時ころに起きて辛うじて推敲を終えていない和文英訳をプリントアウトし、バックに詰め込んで出発したのです。そして、埼玉の片田舎から横浜の八景島シーパラダイズに着くまで電車で3時間以上(往復ではありません、片道で3時間以上です)かかるのを幸いに、車中でプリントアウトしたものを赤ボールペンを片手に念入りに推敲を行ったという次第です。お陰様で面倒な推敲もシーパラダイズに到着する前に終わったので、シーパラダイズに着いてからは子どもたちが水族館を見学したり、乗り物に乗っていたりしている間に、ノンビリと昼寝をし(8月31日、シーパラダイズの橋の下で大の字になって昼寝をしていた、流浪の民である“サンカ”みたいな怪しい人物を見かけた人がいたとしたら、それは間違いなく私です…^^;)、本を読むことができました。
今年初めてバイキングとサーフコスターのスリルを面白さ味わった上の子は、「この勢いでブルーフォールにも挑戦してくる」と言って、勇んでブルーフォールに向かって行きましたが、半時間後すごすごと戻ってきて言うには、「お父さん、やはり怖いから(ブルーフォールに挑戦するのを)止めた。来年になったら挑戦したい」と言ったものです。この正直さに、思わず誉めてやりたくなりました。
■その他
サッカーの合宿、試合、練習の他、学習塾での夏期特別講習、西武球場での観戦(奮発してボックス席で観戦。日本ハム戦で松坂投手が投げた8月24日の試合)、街の花火大会、お祭り、学校のプールと、子どもたちにとっては充実した夏休みだったのではないでしょうか。しかし、それ以上に二人の子の記憶に残るのは、夏休みも終わる数日前に宿題を駆け込みで何とか終わらせたことと、その“ご褒美”として丸1日シーパラダイズで思い切り遊ぶことができたということになるかもしれません。
ともあれ、夏休みの宿題に関しては私も子どもたちに対して大きなことは言えず、自分の小学生・中学生の時を振り返ると、毎年夏休みの宿題は二学期が始まる一週間前に大慌てで取り組んでいたのが恒例であったことを思い出します…。
http://www.seaparadise.co.jp/
八景島シーパラダイズ
写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
埼玉県では絶滅危惧Ⅱ類となっている、カワラナデシコ
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本ブログでは、「サムライ」というハンドル名を用いていますが、サムライは私が3年間の世界放浪の旅の途中で出逢った人生の先輩のニックネームでした。その人生の先輩の名前を本郷七郎さんと云い、本郷さんについてメールマガジン【日本脱藩のすすめ】に以下のように書いたことがあります。
(第11章) 三十輻共一轂 三十の輻、一つの轂を共にす。 當其無有車之用 其の無に当たりて、車の用有り。 挺埴以爲器 埴を挺めて、器を為る。 當其無有器之用 其の無に当たって、器の用有り。 鑿戸以爲室 戸ゆうを鑿って以て室を為る。 當其無有室之用 其の無に当たって、室の用有り。 故有之以爲利 故に有の以て利を為すは、 無之以爲用 無の以て用を為せばなり。 意味(電脳仙人倶楽部):[例えば三十本の棒が一点に集まり車輪の真ん中には空っぽの穴があってそこに車軸が入るから車の用を為す。また土をこねて器をつくるにしても器はその中が空っぽだからこそ器の用を為す。あるいはまた部屋をつくるにしても土の壁に穴を掘って出入り口をつくり、その中を空っぽにするからこそ部屋となる。だから有用なものとは、その中が空っぽで何もない事で、何もないからこそそこにものの用が生まれると言うもの。] 解説(電脳仙人倶楽部):《この章は実に解り易い話で、しかもそれが決して陳腐なものとならないのは、あたかも明快に物の「存在と無」についての哲学的命題を解こうとするからだろう。しかもこの解かり易さは「無」を以って「道」を語り、「有」を以って「生命の有様。」を語り、「老子」全体その八十一章の中にしっかりと組み込まれて今に伝わる。これまでは何やら漠然としたその物言いが、にわかに身近な物に例えられて語られるが、確かに茶碗の中まで土がつまっていたら、それは茶碗の用を為さないし、家だってそうである。「だから有る物の有用性とは、それは空っぽで何も無いから、そこに物の用が働きを持つ。」と、逆に「無」の有用性を説いて、有るか無いか解らない様な「道」の有用性を併せて説明しようとする。この事は別の章でも、「優秀な人材などというものは無くてよいもの。彼はせいぜい一部所の長ぐらいには使えるが、そんな優秀さなどは要らない。」と同じような事を説いている。人は優秀さを競う。ぼーとなんかしていられない。優秀な技術、優秀な資格、そんなものをどんどん取り込んで頭の中を一杯にし、有りもしないものを求めるより、目の前の手にする事のできるものを大切にする方が先だ。時代は物質文明の時であり、掘り出した石がダイヤモンドの原石なら、せいぜいカットに磨きをかけてこれを大切なものとする。いやまさに老子はそんな現代の風潮にも痛烈な皮肉をこめる。しかしいったい、道祖神や「道」を説く事を好んで老子のことばを伝えて来たかつての日本はどこへ行ってしまったのだろうか。科学が「核」の恐怖をして我々の生活を豊かなものにするというその万能性を失い、またその限界を露呈する今、我々は「知恵のことば」の前に自らの優秀さを「無」にして、現代に新たな調和を作り出すための価値観を再構築する必要があるのだろう。しかもそれはこころの世界の事だから、我々がそうしようと想えば叶う事で、現代は、この「想うこころ」が萎えてしまった時代でもあるのだろう。知識優先の時代に、意識の萎えた時代に我々は生きているに違いない。誰しも子どものようなこころを持ち続ける事も難しい事で、いつまでも子どもである事を許す社会でもない。しかし「道」に照らすなら勉強する事は本当に必要なのだろうか。》 第11章を目にするたびに思い出す人物がいます。本郷七郎さんといい、昭和40年代前半のある日、用があって銀行に行ったときの話です。銀行の窓口で待っている間、たまたま手にしたのがヨーロッパのスイスの街並みやアルプス山脈の神々しいグラビア写真集でした。そして、本郷さんはその写真を眺めているうちに無性にヨーロッパに行きたいという思いに駆られたのです。そして、本郷さんの夢は実現しました。しかし、数カ月間ヨーロッパを廻って帰国するはずが、「流れる雲を追って地の果てまで」と旅を続けているうちに、結局7年半の海外放浪の旅になってしまったのです。 見方によっては、本郷さんの7年半は、自分の出世に結びつくわけでもないし、また、長年日本を留守にしていたため、なかなか自分の国に馴染めないという、いわば、自己危機に陥って、苦しむといったさんざんな目に会っています。 一流大学を出て、一流企業に就職することを人生の最大目標とする人たちから見れば、なんという無駄な生き方だと捉えられるのではないかと思います。 しかし、本郷さんにとっての7年半が、かけがえのない体験として、今日の本郷さんの人生に活きています。 必死になって日本社会に復帰した本郷さんは、その後、ガムシャラに仕事に励み、現在では小さいながらも一つの会社の専務取締役を担当するまでになりました。また、最近は心にゆとりができ、7年半の間撮りまくった写真が、今までは辛くて見るのも嫌だったのに、今では写真を眺める喜びが出てきたそうです。 若い頃は、本郷さんのように空白の期間を持つことは大切なことです。7年半という期間はともかく、脱藩道場でも若いメンバーに少なくも1年間程度の海外武者修行をすすめる所以です。老子流に言えば、無用の用のすすめということになりそうです。 |
以上、本ブログのサムライの由来でした。
写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
ヤマホトトギス
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数日前に『丸山真男 音楽の対話』を取り上げていますので、クラシック音楽に関して2年前にIBDのウェブ機関誌に寄稿したものを以下に再掲しておきます。
筆者の場合、原稿を執筆する時は自宅の仕事部屋に籠もり、クラシック音楽(CD)をBGMにパソコンに向かってキーボードを叩いていることが多い。尤も、筆者の場合はクラシック音楽に関しては素人の域を出ず、楽器演奏にしても二十代前半に通信教育でクラシックギターを数ヶ月練習したに過ぎない。拙稿の第一回目「日本脱藩のすすめ」の中で、三年間の海外放浪の途中にニューヨークの日系レストランでアルバイトをしていたことを書いたが、その同じレストランでやはりアルバイトをしていた三浦さんという先輩がいた。三浦さんはニューヨークに来る前はスペインに滞在しており、当地でクラシックギターの師匠に従事して練習に励んだという変わり種だった。その三浦さんが仕事を終えた後にアパートで「禁じられた遊び」を弾いてくれたことがあり、筆者は非常に感動したことがある。その時の三浦さんの演奏がよほど印象に残ったのだろう、帰国後の筆者は早速クラシックギターを購入し、ギターの通信教育を申し込んだのだった。そして、いつの日か大勢の友人・知人の前で「禁じられた遊び」を弾いてやろうという夢を見ていたのだが、結局果たせずに数ヶ月で挫折している。 さて、クラシック音楽がテーマである本稿では、丸山眞男(1914~1997)を最初に取り上げたい。丸山がクラシック音楽に造詣が深かったことは有名な話であり、そのあたりを如実に物語っているのが『フルトヴェングラー』(脇圭平・芦津丈夫著 岩波新書 絶版)である。最初に、丸山がフルトヴェングラーについて語っているくだりを以下に紹介しよう。 丸山眞男:若い批評家などがフルトヴェングラーのジャケットに解説を書いて、芸術は宗教じゃないんだから盲目的な傾倒はこまる、とか、冷静に聴け、なんて説教しているのを見ると、「しゃらくせえ」(笑)といいたくなる。こういう小賢しい言い草をする輩に限って、宗教的体験に無縁などころか、本当に内面的な音楽的感覚からも遠い、ただちょっと「耳のいい」才子が多い(笑)。 『フルトヴェングラー』(p.122)
丸山のフルトヴェングラーへの傾倒ぶりが一目瞭然に分かる文章ではないか。それにしても、あの碩学の丸山が「しゃらくせえ」などと言うあたり、微笑ましく感じるのは筆者だけではあるまい。 上述の『フルトヴェングラー』、さらに本稿の書評で紹介している『丸山真男 音楽の対話』(中野雄著)等に目を通してからというもの、筆者は折りあるごとにフルトヴェングラーの数々のCDに耳を傾けてきた。手許に『クラシックCDの名鑑』(宇野功芳・中野雄・福島章恭共著 文春新書)という本があるので、同著の中からフルトヴェングラーの演奏に対する評価の一部を引用してみよう。 ■シューマン《交響曲第4番》ベルリン・フィル 1953年 ・「シューマンの《四番》だけは他のどこのレコードを持って来ても、1953年のフルトヴェングラーのスタジオ録音には敵わない。(宇野功芳) ■シューベルト《グレイト》ベルリン・フィル 1942年 ・おそらく彼(フルトヴェングラー)の数多いレコードの中で最も、燃え切り、自己の内面を赤裸々にさらけ出したのは、ベートーヴェンの《第五》とこのシューベルトの《グレイト》であろう。(宇野功芳) ・(第二次大戦という状況下における)指揮者(フルトヴェングラー)と楽団員の明日なき思いが聴く者の胸を抉る。(中野雄) ■ベートーヴェン《交響曲第9番》バイロイト祝祭管 1951年 ・フルトヴェングラー《バイロイトの第九》は、戦禍で中断していたバイロイト音楽祭の復活記念コンサート(1951年7月29日)のライブである。平和到来の喜びの背後には、ナチズムとワーグナー思想(反ユダヤ主義)の関わり、フルトヴェングラー自身のナチ協力疑惑(裁判の結果無罪)など、複雑にして微妙な問題が潜んでいた。音楽が再現芸術である以上、「空前」であっても「絶後」の名演はありえないはずであろうが、背景にあるこうした事情を考えてみると、この演奏から得られる以上の感動がこの地球上で再現される可能性は、限りなくゼロに近い。(中野雄) 筆者の場合、ベートーヴェンの交響曲に関しては、フルトヴェングラーの他にトスカニーニ、ワルター、イッセルシュテットらの演奏も聴いてきた。その中で、フルトヴェングラーの指揮するベートーヴェンの交響曲の場合、魂が強く揺すぶられるような、何か強烈なパワーが出ているのを感じるのである。それは、フルトヴェングラーの融通無礙な演奏の姿勢から来ているのかもしれない。換言すれば、楽譜から滲み出る作曲者(ベートーヴェン)の魂を掴みとり、フルトヴェングラー自身の「思想」なり「哲学」で以て語りかけているからこそ、フルトヴェングラーの演奏が心に響いたのだろう。単に楽譜を忠実に演奏するだけであったならば、筆者の心をかくも強く動かすまでには至らなかったはずだ。 次に、『フルトヴェングラー』の以下の箇所に注目してみよう。 彼(フルトヴェングラー)の有機的音楽観には、まぎれもなくゲーテの思想が流れ込んでいる。自然研究家としても知られるゲーテは、つねに有機体をプラスとマイナス、拡大と収縮、弛緩と緊張、呼気と吸気などの極性作用を通して生成発展する生命として把握していたのである。 ゲーテの自然研究は、『植物のメタモルフォーゼ』(1790年)という自然科学論文として結実しているのはご存じの通りである。そして、このゲーテの自然科学観は、拙稿第二回・「メタサイエンスのすすめ」で述べた黄金比がその根底にある。さらに、ゲーテの自然観は中国の陰陽原理を連想させるものであり、それが老子の『道徳経』および『道徳経』をビジュアライズ化した『易経』へと繋がっていくのである。 また、ゲーテはヨーロッパ中世に興ったルネッサンス精神の継承者の一人であり、百科全書派を彷彿させる幅広い教養を身につけた巨星であった。そして、ゲーテはフリーメーソンの一員として、ドイツさらにはヨーロッパに大きな影響をもたらしたのは言うまでもない。無論、かのモーツァルトもフリーメーソンのメンバーであったことは周知の事実であり、論より証拠、モーツァルトの歌劇『魔笛』にフリーメーソンの儀式か色濃く出ていることからして明らかである。なお、日本でフリーメーソンというと、未だに得体の知れないもの、秘密結社のような扱いをされるが、日本でのロータリークラブのように、欧米では何も珍しい存在ではなく、隣の家がフリーメーソンだったということがざらにある。そのフリーメーソンが門外不出の「智慧」として、代々メンバーに伝えられてきたものの一つに黄金比がある。そして、J・S・バッハの作品群に黄金比が見え隠れしているのはよく知られている事実だ。 バッハと言えば音楽の父として知られているが、ここでヨーロッパのクラシック音楽の歴史を顧みるに、クラシック音楽が初めて記譜されたのは中世キリスト教の典礼音楽が最初であったことが思い出される。そして典礼音楽の最高傑作と言えば、バッハの《マタイ受難曲》をおいて他になく、まさに人類の至宝、最高の宗教音楽と言えよう。かかるクラシック音楽が誕生した近代とは、思想と芸術の多くが宗教から離れ、人間へと関心が移ってゆくという時代であった。そうした時代の中にあって、人間を超えた存在である神というものを己れの音楽で表現したのがバッハだったのではないだろうか。しかし、バッハは信仰のみに生きた人間ではなかった。同時に、狭い意味での宗教を超えていたのがバッハだったのである。齢を重ねていくにつれ、筆者もいずれバッハに帰っていくのだろうか。 |
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