2012年12月 9日 (日)

『明治維新の極秘計画』

Horikawa 落合(莞爾)さんの新著『明治維新の極秘計画』が、11月29日に発売されてから十日が経過したが、大手マスコミは無論のこと、ネット界ですら書評は今のところゼロだ。あのアマゾンすら、未だに誰もカスタマービュー(書評)を書いていない。

無理もない。学校教育を受けた我々は、孝明天皇は慶応2年(1866年)12月25日に天然痘が原因で崩御(宝算36)され、睦仁親王が明治天皇として即位されたと教わってきたので、今回の落合説には大いに戸惑うはずだ。一方で、孝明天皇と睦仁親王は暗殺あるいは毒殺され、代わって大室寅之祐が明治天皇に即位したという、ネット界隈で飛び交っている説を頭から信じている人たちも、今頃は頭が“大”混乱しているのではないだろうか。落合さんは以下のように主張する。

我々の知る明治天皇は、確かに睦仁親王ではなく大室寅之祐である。しかし、孝明天皇と睦仁親王は暗殺若しくは毒殺されたのではなく、京都皇統(國體天皇)として“お隠れ”になったのである

この落合説、あまりにも信じがたい内容に思えるかもしれない。しかし、筆者はこの落合説を全面的に支持する。

最初に、筆者が2年半前に作成した以下のPDFファイルに目を通していただきたい。
「ochiai01.pdf」をダウンロード

京都皇統あるいは東京皇室と書いてあったり、堀川辰吉郎や杉山茂丸の名が登場したりと、一層頭が混乱してくるかもしれない。このあたりは『明治維新の極秘計画』で落合さん自身が述べているように、来年発売される予定の第三弾に譲るとして、注目して頂きたいのは「皇室インナーサークル」である。落合さんは「さる筋」という表現をしているが、実はこの皇室インナーサークルのことを指している。筆者が自信をもって落合説を支持できるのも、筆者も「さる筋」との少なからぬ交流があり、直に深奥の皇室情報を得ているからこそ、確信をもって落合説を支持できるのだ。

落合説を信じられるかどうかは、偏に「日本天皇の本質が国民国土の安全を祈念する国家シャーマンだからです」(p.10)という、落合さんの言葉の意味するところを何処まで理解し得るかにかかっているように筆者は思う。ともあれ、『明治維新の極秘計画』のポイントを以下に転載(p.12)しておこう。

(1)孝明天皇が崩御を装い、皇位を南朝皇統の大室寅之祐に譲る。
(2)睦仁親王及び、妹の皇女壽萬宮・理宮も薨去を装い、父・兄と共に隠れ家に隠棲する。
(3)隠れ家として、水戸斉昭が堀川通六条の本圀寺に「堀川御所」を造営する。
(4)大室寅之祐は睦仁親王と入替わり、孝明の偽装崩御後に践祚して政体天皇に就く。
(5)堀川御所に隠棲した孝明は國體天皇となり、政体に代わり皇室外交と国際金融を担当する。
(6)一橋慶喜は将軍就任を回避し、尹宮(時に青蓮院宮)と公武合体政権を建てる。
(7)幕府は十四代を以て大政奉還し、幕藩体制を終了させて立憲君主制の新政体を建てる。

並行して、世界戦略情報誌『みち』の掲示板で筆者は以下のような内容の投稿を行った。

『明治維新の極秘計画』では上記の二冊、殊に『徳川慶喜公伝』を高く評価している行を読んて感動し、これは是非とも目を通さねばと思って四巻を購入しまし た。どのくらいの期間で読了できるか分かりませんが、「堀川政略」を念頭に読み進めていくことで、何等かの己れなりの発見があるのではと期待しています。
「コーヒーブレイク」No.92

410z84fmbkl_sl500_aa300__2 世間では徳川慶喜公への評価はさほど高くはない。しかし、あの渋沢栄一が著した『徳川慶喜 公伝』(平凡社東洋文庫・全四巻)に目を通した落合さんは、今までの慶喜公に対する態度を大きく変えたことが同書p.62「『徳川慶喜公伝』こそ真の史書である」に書かれている。

誰にせよこれを読めば、徳川慶喜公の心情とそれに基づく行動の意味が真に理解できるはずです。しかるに巷間の史書・史談が悉く(ことごとく)慶喜公の心情を理解しておらず、公の行動を曲解して評価を誤り、甚だしきは見当違いの罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を浴びせているのは、稗史(はいし)小説家は言わずもがな、史家といえども同著を繙(ひもと)いていないことを示しています。

来春発売されるであろう、落合シリーズの第三弾が今から楽しみである。

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2012年4月29日 (日)

『金融ワンワールド』

Totoro_2 15年ぶりという落合完爾著『金融ワンワールド』(成甲書房)を一気に読み終え、脳裏に浮かんだのが左のパズルである。ご存じの方が多いと思うが、宮崎駿監督のアニメ映画「となりのトトロ」だ。無数ともいえるピースで完成させた縦79cm×横54cmの大パズルであり、今でも完成品を拙宅の茶の間に飾ってある。宮崎駿氏はトトロの森に近い所沢在住であるが、同パズルは以前同市に住み、現在は沖縄で生活する弟嫁からのプレゼントであった。落合さんがワンワールドという、今までに誰も知らなかった世界を研究している姿と、多数のピースを当てはめて一つの絵に完成させようと、取り組んでいた沖縄の弟嫁や姪の姿が重なって見えたので、落合さんには失礼を承知の上で比較させて戴いた次第である。

B120429 ともあれ、「となりのトトロ」ならぬ「ワンワールド」という、途方もないパズルの完成を目指して、落合さんが取り組んでいる様子が本当に良く分かった『金融ワンワールド』を一読して、改めて筆者自身も同じく「ワンワールド」というパスワードの完成を目指しているパズル狂の一人だと気付かされた。しかし、同じパズル狂であっても、かなりの部分を完成させた落合さんと異なり、筆者の場合は生涯取り組んだとしても、果たして完成するかどうかという状態だったのだ。しかし、落合さんの新著が発行されたお陰で、ここへきて多数のピースが一気に埋まった感があり、大変感謝している次第である。ただ、同じワンワールドというパズルの完成目指すパズル狂同士と書くのは、正直言って躊躇する。なぜなら、『みち』の4月15日号の巻頭言で天童竺丸氏が述べているように、本来の落合氏は「ゆくゆくは野村證券の社長に予定されていた」ほどの人物であり、小生のような一介の翻訳者では逆立ちしても敵わぬ、凄い経験や人脈の持ち主だからだ。それを惜しげも無く、『金融ワンワールド』という形で公開してくれた落合さんに、この機会に感謝の意を表しておきたい。

■ 落合莞爾全集に向けて
『みち』の4月15日号の巻頭言で天童氏が、「本書(『金融ワンワールド』)はこれから展開されるであろう落合莞爾著作集の総論に相当する著作なのである」と述べている通り、今日までの落合研究の成果がぎっしり詰まっている本なので、大凡を理解しようとするだけでも大変なスルメ本だと思う。その一端を以下に羅列するが、近く新しい掲示板をサムライが管理人の一人として立ち上げる予定なので、『金融ワンワールド』に目を通した大勢の読者に、色々と投稿して戴ければ大変有り難い。

以下、『金融ワンワールド』で印象に残った箇所である(青色は『金融ワンワールド』からの引用、→以下の黒色の記述は小生)。

・初めて大本教とフリーメーソンの対立を解説した書(p.68)
→その通りだと思う。筆者もまだまだ大本教の全容を掴んでいるわけではなく、その意味で今後も『みち』や『月刊日本』での大本教に関する投稿に注目していきたい。『月刊日本』だが、三浦小太郎が「近代の闇 闇の近代」で取り上げている大本教論に注目したい。また、今年の二月にお会いした栗原茂氏が、「大江山霊媒衆→大本教→東西本願寺→皇室」という流れを教えてくれたことがあるのを思い出す。

箕造りたちにサンクァという自らの呼称を冠せたパワー・エリート衆の目的は何であったか。それは、政治家・銀行家・高級官僚・実業家・学者として日本社会の表層に顕れ始めた自分たちの出自を隠すためではないか、と思われます。(p.124)
→サンカの研究に関しては過去における落合さんの研究は優れており、上記のサンカ説も傾聴に値する。

・ワンワールドの中核を成すものの正体は、太古メソポタミアで、シュメルの南岸潟部にいた族種。自称を持たない族種なので、真相を知る人は「ヴェネツィア・コスモポリタンに」と読んでいますが、これは秘史に属し、これまで明言した者はいないようです。(p.83)
→ヴェネツィアに関しては、天童竺丸氏の『悪の遺産ヴェネツィア』を推薦したい。拙ブログでも取り上げたので以下を参照のこと。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2012/03/post-091b.html

・ようやく到達した(以下の)表ですが、まだ完成品ではありません。なぜなら、本来のユダヤ人とされてきた人種の驚くべき正体が判明したからです(p.086) 
→以下の表は、従来のユダヤ観を覆してくれるのではないだろうか…。

Oneworld01

・「明治天皇=東京皇室」と「堀川天皇=京都皇統」が誕生した)(p.83)
→近い将来、落合莞爾全集の中に組み込まれるものと思うが、関心のある方は『月刊日本』および『ニューリーダー』の落合記事を参照。両誌に長年目を通している読者であれば、『金融ワンワールド』のp.83にある「日本天皇が太古にシュメルから渡来したことは、欧州王室の夙に知るところでした」もスンナリ読めるはずである。

・日本民族の三大源流
■縄文人
(1)土着アイヌ人
(2)先住海人族「ヘイ」
(3)渡来シュメル族「タチバナ」

■弥生人
(1)縄文末期に渡来した古イスラエル北王国十支族(海部・物部・秦)
(2)海部氏が率いてきた倭族

■古墳人
(1)崇神天皇以後の渡来系騎馬民族
(2)応神天皇に秦氏が朝鮮半島から呼び寄せたツングース系人
(p.110)

→栗原茂氏が「アイヌが日本に土着する以前から天皇家の遠祖が居り、アイヌを支援したのでアイヌは恩義を感じて天皇家のために尽くした」という話、および栗本慎一郎氏の著した『シルクロードの経済人類学』、特に青森県の三内丸山遺跡が脳裏にあるので、上記の「三大源流」と照らし合わせてみて、今後の研究課題にしたい。

・ゼロ金利は、ヴェネツィア・コスモポリタンが、経済社会の位相(Phase)の変化を感じ取って採用したものと私は考えます。決して喜んでしたわけではないが、萬やむを得ず採用したのです。(p.198)
→先日、優れたエコノミストから直接お話を伺う機会があっただけに、このあたりは正に同感である。

・今思えば赤面の至りです。私は、経済社会の金融史的な位相(Phase)が、完全に転換していたことに気がつかなかったのです。(p.212)
→冒頭で紹介した、「ゆくゆくは野村證券の社長に予定されていた」ほどの落合さんの言葉だけに、一層同氏の誠実さを感じさせる行であった。同書の中で最も感銘を受けた箇所だったことをここに告白しておこう。

・私は、SDIには公表されない本当の「スターウォーズ作戦」があったと観ています。すなわちHAARP計画です。地球社会を根本からコントロールしているのは、このような巨大な計画なのです。(p.257)
→その通りだと思う。我々の想像以上にHAARP計画は進んでいるのが実態だ。過日の311にしても人工地震だという噂が絶えないが、仮にそうであったとしてもアラスカのガコナハープが、あのような拙く悲惨な地震を起こすようなことするはずがないことは、ガコナハープを日本で最もよく知る識者から直接確認している。

・本稿(『金融ワンワールド』)は、世界でも日本でも、金融ワンワールドと軍事ワンワールドの競合により大局が生じているという観点に立ち、金融ワンワールドの核心がユダヤではなくヴェネツィア・ワンワールドであることを明らかにし、その文派が日本にもいることを示しました。
 日本では天孫騎馬民族と海洋民族という「日本在住ワンワールド」が競合しながら歴史を形成しましたが、地政学上のリムランド(縁辺地域)に属する日本が、世界経済に雄飛しえたのは、実にその競合がうまく働き、秩序を誇る倭人族の勤勉と相まった結果というのが本稿の結論です。
 今後も、日本民族が三大源流の合作競合により発展するとの自信をもって当たれば、現下の経済的難局も切り抜けることが出来ると考えています。
(p.260)
→心強い結論(宣言)であると思う。

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2012年4月16日 (月)

『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』

B120416 『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を著した鬼塚英昭氏に対する第一印象としては、他のジャーナリストやライターは腰が引けて書くことも出来ない内容、すなわち「住友銀行…佐藤茂…宅見勝…平和相互銀行事件…イトマン事件…住友グループ襲撃事件の一連の利権構造」を堂々と書いているあたり、肝の据わった人物だと思う。

しかし、残念ながら同氏がヤクザに関して拠り所としていたのは、二次資料に相当する書籍や新聞雑誌のみであり、直に石井進、宅見勝、司忍、後藤忠政といった大物と接触しての取材は皆無であることが分かる。そうした大物から命がけで取材を敢行し、危うく命を落としかねない体験も多い、栗原茂という人物を小生は知っているだけに、鬼塚氏のヤクザに関する筆に迫力が感じられないのだが、これはやむを得ないことかもしれない。

それは兎も角、何よりも気になったのは、鬼塚氏は山口組などのダーティな部分のみしか描いておらず、たとえば昨年の東北沖大震災で大勢の東北の人たちのために動いた後藤組の活躍など、彼らの持つ任侠という一面に一切触れていないあたりに、鬼塚氏の正体を見たような気がする。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2011/04/post-219c.html

また、孝明天皇は伊藤博文に暗殺されたという噂は、故鹿島昇氏の『裏切られた三人の天皇 明治維新の謎』が噂の出所となっており、ネットでの孝明天皇暗殺説もほとんどが同書に由来していると云っても過言ではない。当然ながら、鬼塚氏も鹿島昇天皇観から一歩も出ていない。小生も長い間にわたって鹿島昇天皇観に囚われていたが、それを打ち破いてくれたのが落合莞爾氏であった。ともあれ、孝明天皇暗殺などと根本から間違えているため、鬼塚氏の田布施に関する記述についても眉唾物であると云わざるを得ない。

さらに、先帝(昭和天皇)と瀬島龍三に対して、鬼塚氏は良い印象を抱いていないことが分かる。これは、皇室インナーサークルの栗原茂氏とは全く逆の立場となり、先帝は我が命とすら信じていた栗原茂氏と、鬼塚氏との間に横たわる溝は途方も無く深い。果たして先帝(昭和天皇)の実像は如何なるものであったのか…。今後も鬼塚氏の今回の著作と鈴木正男の著した『昭和天皇のおほみうた』との間を彷徨う日が、当面は続きそうな気がする。『昭和天皇のおほみうた』については、以下を参照。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/11/post_c07d.html

最後に、鬼塚氏は同書のp.143で以下のように書いている。

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「てんのうはん」に疑問を感じる人は、松重揚江の『二人で一人の明治天皇』を読むことをすすめる。『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』p.143
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この松重氏もフルベッキ写真に明治天皇や西郷隆盛が写っていると、盛んに世の中に吹聴している詐欺師であり、このような人物の本を「すすめる」ようでは駄目だ。

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2012年3月 9日 (金)

『悪の遺産ヴェネツィア』

B120229 天童竺丸氏の『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』を漸く読み終えた。読了してつくづく思うのは、己れを産み育んでくれた瑞穂の国・日本への天童氏の温かい眼差しであり、憂国の至情であった。そのあたり、以下の同氏の言葉にも滲み出ているのが分かる。

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あえて蟷螂の斧をもって、ヴェネツィアとは何なのかを考えることにしたのも、ヴェネツィアの「悪の遺産」が脈々として世界権力の現在の工作に生きているからであり、その歴史的実体の解明が日本にとって緊急に重要な課題のひとつであると信ずるからである。(『悪の遺産ヴェネツィア』p.10

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主題の「ヴェネツィア」だが、以下に天童氏が簡素に述べている。

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 地中海交易を中心に欧亜を結ぶ国際交易を支配し、その後ヴェネツィア党として英国の中枢を乗っ取って東インド会社を設立、アジア植民地を開拓し、アフリカおよび南北両米大陸の資源を手中に収めながら、両次の世界大戦と冷戦とによって露独日など民族主義国家を壊滅させたのち、米国を世界の警察権執行人として使嗾しつつ、経済至上の世界一元化を推進してきた寡頭世界権力の中枢を為す重要な系脈として、ヴェネツィアはこんにちなお依然として侮るべからざる存在である、と私は考える。(『悪の遺産ヴェネツィア』p.910

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ここで筆者が注目したのは「露独日など民族主義国家」の行である。ここ数年、ヴェネツィアが壊滅させたはずの露独日が、再び不死鳥のように蘇りつつあることから、ヴェネツィアが今度こそ露独日の息の根を止めようと、あらゆる手段を数年前から講じていることをご存じだろうか。そうしたヴェネツィアの気持ちを代弁しているのが、フランスの知の巨人ジャック・アタリのようで、コスモポリタン某が自身の掲示板に以下のように述べている。

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ジャック・アタリがフランスの放送で、「消滅への道をたどっているのは、日本とドイツとロシアだ・・・」と断言していたのを知り、これは凄い発言だと思った日が偲ばれますが、日本では。米国、中国、北朝鮮の没落を言う人が多いようです。

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コスモポリタン某には祖国日本への“温かい眼差し”が感じられず、ジャック・アタリの発言を褒めちぎっているだけで終わっているのは誠に残念だった。それは兎も角、ジャック・アタリの「露独日」という発言の裏を筆者なりに読み取れるようになったのも、天童氏の『悪の遺産ヴェネツィア』のお陰である。『悪の遺産ヴェネツィア』は世の中に1冊しか存在していないことから、同書に述べているヴェネツィアの“歴史的実体の解明”を、簡単な解説を交えて今後も時折読者にお伝えしていきたいと思う。それにより、ヴェネツィアの正体を一人でも多くの読者が知り、ヴェネツィアという凶暴な台風の今後の進路を予測し、十分な事前対策を講じるためのヒントにして欲しいと思う。

最後に、飯山一郎氏の掲示板『放知技(ほうちぎ)』で同書の「世界権力の正体を明かす」という章を筆者は紹介しているが、此処でも改めて紹介することで今回は終わりとしたい。

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●世界権力の正体を明かす

 前回までウェルフ家の消長を追ってドイツの黒い森や地中海、はてはパレスティナまでさんざん彷徨ってきた。やたらカタカナ名前がいっぱい出てきて、しかも同じ名前で父子だったり敵同士だったり、読みづらくて仕方がないとの苦情をさんざん頂戴した。

 そして何よりのご批判は、こんな西洋中世史の些細な事柄をいまさら読まされて、いま国家存亡の危機にあるときに何の意味があるのかというお怒りだった。

 ごもっともである。そして、そのお怒りに対しては、わが筆力の不足をただただお詫びするしかない。ただ、なぜにいまさら西洋中世史をなぞり返して、ウェルフ家という一貴族の歴史をたどってきたのか、弁明をしておく必要は感じている。それが改めて、本稿の意図をご説明することにもなるからである。

 歴史を偶然の所産と観る見方もあれば、特定の勢力の意図に基づいた人為の所産と観る見方もある。

 われわれは後者、すなわち世に謂う「陰謀史観」にかならずしも与するものではない。ひとつの意図で貫かれていると見ると、その意図に反する事柄や逸脱・祖語とも見るべき事件が歴史の随所に見られるからである。

 歴史はそれほど単純ではあるまい。大きくはこの地球の変動があり、ときどきに剥き出しになって人間を圧しつぶしてきた自然の猛威もある。また、敵対する強力な勢力が出現し彼らの前に立ちはだかることもあるだろう。ひとつの勢力の意図通りに歴史が作られたと見ることは、とてもできない。

 しかしまた一方、歴史をすべて偶然の所産と観るには、あまりにも暗合・符合するもの、出来すぎた事件が多いのも事実である。

 とくに「戦争の世紀」ともいわれ、戦争と殺戮に彩られた先の二〇世紀には、天然資源の独占を通して世界を支配しようという意図が数々の事件の背後に見え隠れする。そして、天然の膨大な資源に恵まれたアフリカ大陸がいま、数々の戦争と革命とクーデタと疫病とによる殺戮の果てに、荒涼たる死の大陸と化しつつあることを偶然と見るならば、それは知の怠慢であり精神の荒廃であると誹られても仕方あるまい。アフリカ大陸に住み着いていた人々は天然の富に恵まれていたがために、その富の纂奪・独占を狙う勢力の犠牲となって大量殺戮に処されたのである。

 二一世紀には彼らの邪悪なる意図の鉾先が、このアジアに向けられる徴候がある。すなわち、エネルギーをめぐっての血で血を洗う動乱が仕掛けられようとしているのだ。アフリカ大陸の悲劇はけっして他人事ではない。

 われわれは、世界の覇権的支配を意図するこの特定の勢力を、「世界権力」と呼んでいる。日本でも戦前からこの一派をユダヤ人と観て、「ユダヤの陰謀」なるものへの警戒を発した諸先輩があった。たしかにユダヤ人は世界権力の一翼を担う重要分子ではあるが、その本質はあくまで「宮廷ユダヤ人(ホーフユーデン)」に止まるというのが、現在の研究成果の教えるところである。すなわち、黒い貴族という主人に仕える従僕の地位にすぎない。

 それは、一介の運転手から米国国務長官へと成り上がりながらエリザベス女王に忠誠を貫いて爵位を得たヘンリー・キッシンジャーの役割に端的に見ることができる。また最近では、「金融の神様」ジョージ・ソロスもこうした「宮廷ユダヤ人」の典型的人物である。

 永年にわたって英国アリストテレス協会を牛耳った哲学者カール・ポッパーは、かつて一世を風靡したアダム・スミスやトーマス・ホッブス、ジョン・ロック、チャールズ・ダーウィンやハックスレー兄弟、バートランド・ラッセルなどと同じく、英国ヴェネツィア党による世界支配のための理論を提供する御用学者である。

 その主著『開かれた社会とその敵』は自由な市場原理による競争社会という理論を掲げつつ、実は社会秩序ないし国家存在を目の敵にしてその破壊を指示する戦闘指令書だった。カール・ポッパーの忠実な弟子となり、恩師の過激な理論の祖述的実践者となったのが、ハンガリーに生まれたナチス協力ユダヤ人の息子であるソロスだった。

 ソロスは恩師の「開かれた社会」理論を実践する役割を与えられて、金融バブルを世界各国で仕掛けたが、ソロスの投資会社であるクォンタム・ファンドに原資を提供したのは誰あろう、英国女王その人である。

 英国女王の私有財産の運用を任されて実力を発揮したソロスは「金融の神様」などと畏怖され、またマレーシアのマハティール首相など各国指導者の怒りを買ったが、何のことはないインサイダー情報によるインサイダー取引の実行責任者だったにすぎない。

 注目すべきはソロスのもうひとつの活動である。彼は世界各国とりわけ東欧圏を中心に「開かれた社会基金」(Open society Fund)を創設して、「慈善事業」にも精を出しているといわれたが、じつはこの「慈善事業」なるものが曲者で、ソロス基金こそソ連の崩壊を導き、東欧圏の社会主義からの離脱を促進した「トロイの木馬」であったのだ。

 中共の支那に対しても、ソロスの「開かれた社会」工作は仕掛けられていた。その支那側の協力者が趙紫陽である。一九八九年に起きたいわゆる「天安門事件」は、このソロスによる中共政権解体工作に対し、鄧小平など当時の中共指導部が断固たる粉砕措置に出た事件である。

 汚れ役はもっぱら「宮廷ユダヤ人」に任せみずからは超然としているのが、英国女王を表看板とする黒い貴族である。その英国王室という表看板を掲げるに当たって、いかに永年の執拗な粒々辛苦があったか、その前端をつぶさに見るために、縷々ウェルフ家の歴史を本稿でたどってきたのである。ゲルフ領袖とされたウェルフ家が現英国王室ウィンザー家となるには、永い永い紆余曲折の歴史がある。それこそ、「特定の勢力」の意図通りには、歴史が進まないという何よりの証拠である。

 そして、中世イタリアの都市国家の間あるいは貴族同士の争闘という矮小化された形で一般にも伝えられている教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いは、ドイツないしイタリアをも巻きこんで一大地中海国家へと国家的統合を目指す勢力に対して、これを分断し宗教的・精神的呪縛の軛に縛りつけてみずから地上権力としても君臨しようとするローマ教皇と国家間の分裂抗争こそ商売の最大好機と見るヴェネツィアとが結託して粉砕しようとした動きにほかならない。

 ダンテ・アリギエーリやニッコロ・マキアヴェッリが悲願としたイタリアの国家的統合を妨げた最大の障害は、ヴェネツィアという一都市国家とローマ教皇庁の存在であった。そしてさらに言えば、ローマ教会をして地上権力へと変質させたのは、ヴェネツィアの無神論的自由市場理論だった。

 この「市場経済理論」すなわち「自由交易理論」は、なにも英国ヴェネツィア党の御用学者たるアダム・スミスやカール・ポッパーらの発明ではない。もともとヴェネツィアの専売特許的主張なのである。

 キッシンジャーが唱えた「勢力均衡理論(バランスオブパワー)」とて、その地政学的粉飾を剥ぎ取ってみると、「自由にのびのびと商売ができるのが何よりいいのだ」というヴェネツィアの本音が聞こえてこよう。

 その本音はのんきに聞こえるかも知れないが、こと「自由交易」が犯されそうになるや、ヴェネツィアは本気になった。国家の存亡を賭けても、「自由交易」を犯す敵との戦いを敢然と挑んで止まなかった。第四次十字軍を誑かして東ローマ帝国を一時的に中断しラテン帝国を樹立したのも、トルコ帝国との度重なる海戦にめげなかったのも、「自由交易」という国家的悲願を守るためだったのだ。

 寡頭勢力による巧妙な支配の機構によってみごとなまでに自国の国家的秩序を保ちつづけた(もちろん例外的な国家危機もあった)ヴェネツィアは、イタリアないしヨーロッパの各国に対してはさまざまな粉飾を凝らした「自由な競争こそ社会発展の原動力」などという御都合主義理論を撒き散らして徹底的な不安定化工作を発動しつづけた。これすべて、みずからが商売をやりやすい状態を保つためである。

 イグナティウス・ロヨラのイエズス会創設とマルティン・ルターによる宗教改革運動の両方とも、そのスポンサーはヴェネツィアだった。ゲルフとギベリンの抗争では味方同士だったローマ教会の強大化を牽制するためである。宗教改革は外から仕掛けられた揺さぶりであり、イエズス会は内奥深く打ちこまれた楔に喩えることができよう。

 そしてさらに、このヴェネツィアの主張はみずからいっさいの歴史記録を残さなかったフェニキア=カルタゴが黙々孜々として実践したところのものである。

 メソポタミア文明とエジプト文明の狭間にあって海洋交易都市として繁栄したフェニキアの存在は、いまではアルファベットの元になるフェニキア文字の発明によってわずかに記憶されるにすぎないが、もし彼らをして語らしめれば、「自由交易経済」こそ人類発展の原動力であると言いつのって、まるでソロスの口吻を彷彿とさせるに違いない。

 ユダヤ人の王ダヴィデが思い立ちその息子ソロモンによって実現されたエルサレム神殿およびソロモン宮殿の建設は、設計から資材の調達、施工に至るまでことごとくテュロスの王ヒラムの協力なしには実現できなかったであろう。

 ソロモンの栄華をもたらした「タルシンの船」による交易も、いわばヒラムの勧誘による投資事業だったのだ。強権による独占を主張しないかぎり、投資家は多いほどリスクが分散されるのは古今の真理である。交易品の調達から交易船の建造、そして実際の交易事業まで、すべてはテュロスの王ヒラムの意のままに運ばれたに相違ない。

 二大文明の間隙に位置し交易で栄えたフェニキア海岸都市群は一時期ペルシア帝国に従属させられ、最終的にアレキサンダー大王によって破壊されたが、そのひとつテュロスは地中海全域に交易中継のための植民都市を建設しており、それらの中心だったアフリカ大陸北岸のカルタゴに拠って生きのびた。

 そのカルタゴは数次のポエニ戦争によってローマ帝国に滅ぼされたとされるのだが、実はカルタゴは亡びなかったというのが、本稿の仮説である。たしかに、アフリカ大陸北岸の植民都市そのものはローマによって徹底的に破壊されつくし、塩まで撒かれて地上から姿を消した。そして、カルタゴがスペインなどの各地に建設した交易拠点もローマに簒奪された。

 しかしカルタゴの遺民たちは秘かにローマや各地に潜入し、ジッと時の経つのを窺いつづけた。そして、ローマ帝国の分裂・衰退の時が来るや、アドリア海の深奥、瘴癘はびこる不毛の小島に忽然として姿を現わしたのである。

 フェニキア=カルタゴの遺民でなくして、誰がこのような悪条件の重なる不毛の地に都市を建設しようなどと企てよう。テュロスしかり、カルタゴしかり、ニューヨークしかり、彼らが拠る海洋都市は、「海に出るに便なる」ことが必要にして充分な条件であるらしい。彼らには、陸の民には窺い知れない嗅覚と美学とがあるのであろう。その不毛の地に都市国家を建設するために注ぎこまれた途方もない富と努力を想像すると、気も遠くなるほどだ。

 彼らを誰がヴェネツィアと呼びはじめたのか。自称か他称かは知らないが、VeneziaVeni- は紛れもなくローマ人がフェニキア=カルタゴを呼ぶときの名称Poeniである。V音とP音ないしPH音は相互に容易に転訛しうるからである。ローマに破壊され尽くしたカルタゴの末裔ヴェネツィアが、ローマを再建しようとするあらゆる試みを粉砕してきたのも、無理からぬところではある。

 二〇世紀はフェニキア=カルタゴの末裔たちが自らの最終的勝利を宣言して繁栄を謳歌した世紀であった。一八世紀に呱々の声を挙げた革命の嬰児は一九世紀の一〇〇年をかけてじっくりと養育され逞しい闘士へと成長を遂げる。そして二〇世紀に入ると、最初に血祭りにされたのが「新たなるローマ」を標榜していたロマノフ王家のロシア帝国であったのは革命勢力の本当の出自がどこにあるかを示して象徴的である。そして、「連合国」なる新たなる装いを纏った革命勢力は第一次の世界大戦によってハプスブルク帝国とトルコ・オスマン帝国を倒し、第二次世界大戦によって独第三帝国と日本帝国を解体させたのである。二〇世紀前半に各帝国に対する武力制覇を成し遂げた世界権力は執拗にも第三次世界大戦というべき金融戦争を各国に仕掛け、国家破綻を世界中に撒き散らかしてきた。そして二一世紀が到来する。「自由市場」「開かれた社会」「グローバリゼーション」を地球規模に蔓延させ、向かうところ敵無しとなったはずの彼らを自滅が襲ってくる。その運命や、如何に?

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2012年3月 8日 (木)

『西郷の貌』

B120308 高橋信一先生からメールが届き、加治将一氏が新著『西郷の貌』を祥伝社から出したという連絡を戴く。早速、小生も同書を斜め読みしてみたが、フルベッキ写真に明治天皇、岩倉具視親子、横井小楠らが写っていると相変わらず信じ込んでいることを知り、どうしようもない作家先生だと呆れる思いであった(『西郷の貌』p.76)。

また、同書に「天皇という虚構」(p.57)という一節もあるので目を通してみたが、一読して山崎行太郎氏の「マンガ右翼・小林よしのりへの退場勧告」に登場する、小林よしのり氏の天皇観を彷彿させるに十分だった。加治将一氏は1948年生まれ、小林よしのり氏は1953年生まれと、二人ともマルキシストの影響を強く受けた日教組の申し子だから、あのような天皇観を持つに至るのも無理もない。

ところで、加治氏は「万世一系は虚構である」と主張しているが(p.63)、このあたりは小生が喜んでセッティングするので、尊皇派の栗原茂氏と堂々と議論をして欲しいと切望する。それとも、『西郷の貌』はあくまでも小説だと逃げるのかな…(苦笑)しかし、掲示板でハンドル名をコロコロと変えるような連中と較べれば、まだ加治氏は潔いと思う。ハンドル名を変えても、分かる人には分かるものである。

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一人の人間がどんなに言葉を変えても独特の癖が出てしまうんです。人間一人の脳みそで何十人もの書き方は無理なんです。どうしてもパターン化します
http://maglog.jp/nabesho/Article1374632.html
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加治将一「西郷の貌」の問題点

高橋信一

 前作「幕末維新の暗号」の妄想を正当化したいと、いろいろな写真を漁っていることは理解出来るが、歴史の事実の検証能力の不足は解消していないと思われる。不足分を空想で補う手法は変わらない。それが作家の役割と言ってしまえば、その通りである。様々な歴史の周辺状況を書き込んでもっともらしさを演出しているが、ここでは写真関連についてのみ問題点を指摘することにする。
 70ページに掲載された写真は、元治元年12月から慶應元年1月にかけて薩摩藩主島津忠義の名代で島津久治と珍彦が長崎のイギリス艦隊を表敬訪問した時に、上野彦馬のスタジオで撮影された写真であることは以前から知られていた。この「島津久治公一行」の写真は「フルベッキ写真」が撮影された明治元年より4年先立つ元治年間に作られた上野彦馬の初期のスタジオのひとつで撮影されたことを如実に表している。このスタジオは一部改造されながら使われ、慶應3年始めに坂本龍馬の有名な立ち姿の写真の撮影にも使用されたものである。本文の中で、作者は鹿児島の博物館の職員に「全員の名前は知られている」と言わせているのに、事実を真面目に検証しないまま勝手な当て嵌めを行っている。使用した写真は解像度が悪く、オリジナルのものではないと思われる。オリジナルはイギリスの古写真研究家テリー・ベネット氏の「Early Japanese Images」に取り上げられている。
 島津久治の長崎訪問については「写真サロン」昭和10年12月号で、古写真研究家の松尾樹明が「写真秘史 島津珍彦写真考」として説明しており、写っている人物数名を明らかにしている。また、昭和43年刊行の「図録 維新と薩摩」には13名中11名の名前が上げられているが、西郷隆盛従道兄弟、樺山資紀、川村純義、東郷平八郎らは含まれていない。唯一、仁礼景範のみが当っていることには敬意を表したいが、他の既に知られた人名が間違いであると言える根拠を示すのが先決ではないか。解像度の悪い写真を用いたため、似てもいない右端の人物「床次正義」の顔を「フルベッキ写真」の「黒マント」の男と同一視している。ふたつの写真の撮影時期が近いというなら、両者は酷似していなければならない。「島津久治公一行」の写真に写っている「床次正義」の家紋は西郷家の「菊」ではない。
 東郷平八郎の伝記を確認したが長崎に留学した記録はない。彼が慶應元年に留学した証拠として長崎県立歴史文化博物館所蔵の松田雅典が伝えた「英学生入門点名簿」を上げているが、これは長崎奉行所管轄の「済美館」教師柴田昌吉が運営していた私塾の学生名簿であり、柴田が慶應3年4月に幕府に徴用されて江戸に出た後を継いだ兄の松田雅典が残したものであることは名簿中の記載から明らかである。「済美館入門学生」の名簿ではない。名簿には慶應元年9月に入門した人物として曽我祐準の名前があるが、「曽我祐準翁自叙伝」にある「この年5月に長崎に出て柴田塾に入門した」という記述と符合する。その他の同時期の柴田塾入門学生として、曽我が親しくした十時信人、関沢孝三郎、江口栄治郎、柘植善吾が符合する。その名簿に記載されている「東郷平八」が東郷平八郎であるかどうかは別にしても、この人物が入門したのは、名簿の記載状況から慶應元年でなく、慶應3年4月以降であると言える。「名簿」をしっかりと隅々まで読み直すべきである。
 その他の間違いは343ページの三条実美と岩倉具経が写る写真の解釈である。前作の発表の際にも私が「教育の原点を考える」ブログで指摘したことだが、無視している。こちらの写真は明治2年8月に来日したオーストリアの写真家ウィルヘルム・ブルガーが長崎の上野彦馬の「フルベッキ写真」のスタジオを借りて撮影したステレオ写真の片割れである。全体像を示せば、ステレオ写真のホルダー兼用の台紙にはブルガーの記名の印刷が見えていたはずだが、都合が悪いと見て掲載時にトリミングして隠してしまったのである。三条がこの時東京にいたのは自明である。
「フルベッキ写真」が撮影されたスタジオは明治元年以降に本格的に使用されたものである。慶應元年前後には存在しなかったことは「島津久治公一行」の写真を例にして明白である。撮影時期を混乱させるのはいい加減にしてもらいたい。
(平成24年3月6日)

左の写真は『西郷の貌』(p.366)に載っているもの、高橋信一先生が訂正した写真は以下のpdfファイルで確認のこと。
13men 「saigo01.pdf」をダウンロード

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2012年3月 5日 (月)

『横田めぐみさんと金正恩』

B120228 国際アナリストの飯山一郎氏の新著『横田めぐみさんと金正恩』が、衝撃のデビューを果たしてから早くも2ヵ月近くが過ぎた。発売当時は大都市の大型書店でしか入手できなかったので、筆者は池袋の大型書店まで買い求めに上京したほどで、アマゾンといった大手のオンラインショップですら入手困難な本であった。今ではネットでも入手できるようになり、かつ売れ行きが好調とのことだが、それにしても一体全体どうして同書に注目が集まるのか? その理由として幾つか挙げられると思うが、著者の見るところ主なものは以下の2点だ。

(1)金正恩の母親が横田めぐみさんであると主張している“奇想天外な”本であること(同書p.178

(2)出版を巡って多くの謎に包まれた本であること。

最初に(1)だが、金正恩の母親が横田めぐみさんであると飯山さん同様に主張している識者は、周囲を見渡す限り『月刊日本』誌の山浦嘉久氏くらいのものだ。

ここで、右翼の動きに詳しい人の話によれば、依然として拉致問題を“引き起こした”とされている金正日を、徹底的に憎んでいる右翼が殆どというのが現実なのだ。ところが、ここへ来て一水会の最高顧問である鈴木邦男氏が、同書について数本のツイートで言及していることが分かった。これが右翼の北鮮観に、どのような影響を及ぼしていくか注目していきたい。

次に(2)の「決定からわずか二週間で出版されたという謎」であるが、『月刊日本』3月号(p.49)で山浦嘉久氏が以下のように述べている。

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今回、飯山一郎氏の著書が急ピッチで、多額の資本を投下して出版された背景には、莫大なユダヤマネーが動いていたと推測できる。

そして、横田めぐみさんがついにその姿を現した時、世界史を揺るがす、日本・北朝鮮・ユダヤを巻き込んだ地殻変動が起こるだろう。

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ここで注目すべきは“ユダヤマネー”である。このように書くと、また“ユダヤ陰謀論”かとウンザリする読者も少なからずいると思うが、取り敢えずは『横田めぐみさんと金正恩』の「在朝日本人と移住イスラエル人」の章(p.53)に目を通して戴きたい。

B120304 要は、1930年代に日本で進められたユダヤ難民の移住計画、すなわち河豚計画がここに来て再び蘇ろうとしているのだ。なお、英語の本だが『The Fugu Plan』(マーヴィン・トケイヤーおよびメアリ・シュオーツ共著)があり、ユダヤ人ラビのトケイヤーも「河豚計画を裏舞台で推し進めているグループ」の一員であったことを匂わせる本なので、関心のある方は紐解いてみると良いかもしれない。

最後に、飯山氏が連載中の「金正恩の恐るべきIT戦略!」に目を通すことをお勧めしたい。筆者は飯山氏の掲示板『放知技』で立ち上げた「ツランという絆」というスレッドで、『横田めぐみさんと金正恩』の白眉は、「金正恩の超小型水爆とは?」の章(p.67)だと書いたが、「金正恩の恐るべきIT戦略!」ではさらに驚愕の北鮮関連の軍事情報が展開されている。一例として(12)の「光ファイバーによる世界最先端のイントラネットを全土に、しかも4セットも、構築してしまった」という発言だ。山浦嘉久氏が日本人で最も北鮮を知る男として高く評価している飯山氏の発言だけに、筆者も情報の内容は本当であると判断して差し支えないと考えている。

さて、筆者は「ツランという絆」で『横田めぐみさんと金正恩』の続編として、ツランを取り上げて欲しいと書いた。しかし、考えてみればツランという存在が世の中に広まると困るのが、河豚計画を推し進めている宮廷ユダヤなので、出版の資金が出るわけもなく諦めるしかない。

B120229 なお、この宮廷ユダヤだが、彼らを背後で操っていると思われる集団について述べた貴重な書籍を筆者は入手した。天童竺丸氏の筆による『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』で、400ページ以上にも及ぶ浩瀚な本だ。この本は、実は1冊しかこの世に存在していない幻の本である。もともとは栗原茂氏が機関誌『みち』に「アッシリア文明史論」を執筆するにあたり、参考資料として過去の『みち』に連載した天童竺丸氏の「悪の遺産ヴェネツィア」を、天童氏自らが1冊に纏めたものである。そこで、「アッシリア文明史論」の連載が昨年末で終わったのを機に、栗原氏に頼んで同書を譲ってもらったというわけである。現在読み進めているが目から鱗の連続であり、近いうちに読後感を本ブログに書きたいと思っている。

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2012年3月 4日 (日)

『発酵マニアの天然工房』

B120303 昨日の雛祭りに地元の同窓生が7人ほど居酒屋に集まり、酒を酌み交わしながら老親のこと、自分たちの老後のこと、子どもたちの将来などが話題に出た。そして、いつしか話題が福島原発事故に展開していった。かつて、ある所で福島原発の話題が出たとき、飯山一郎氏の乳酸菌風呂や豆乳ヨーグルトを話題に持ち出したことがあるが、気違い扱いにされた苦い体験をしているので、その後は乳酸菌に関する話題を人前で出すことは滅多になくなった。それでも、昨日集まった同窓生は瓦礫の処理などについて自説を述べる者もいたし、サムライを昔から知っている連中ばかりだったので、久しぶりに乳酸菌風呂や豆乳ヨーグルトについて話題に出してみたのだった。

ともあれ、楽しい一時だったが、帰宅してから『発酵マニアの天然工房』(きのこ著 三五館)を紹介するのを忘れていたのに気づいた。

筆者は東京都心は最早人間の住む所ではないと思っている。その点、飯山一郎氏も同意見のようだ(◆2012/02/29(水) 頭狂から逃げ出す大企業!?)。しかし、仕事や学校といった理由で、東京を脱出したくても脱出出来ない人たちが多いのも事実だ。では、どうするか? 筆者が思うに、現時点で出来る最善の策は飯山一郎氏の唱える「乳酸菌風呂」、「乳酸菌豆乳」、「乳酸菌掃除」だと思う。乳酸菌の作り方などは飯山氏のホームページを読めばいいが、むしろ『発酵マニアの天然工房』を入手して、そのまま書いてあることを実践する方が遙かにベターだ。「乳酸菌風呂」、「乳酸菌豆乳」、「乳酸菌掃除」だけでなく、乳酸菌を使って洗濯をしたり食器を洗ったり出来るということも書いてある。また、市販のシャンプーの代わりに乳酸菌で髪の毛を洗ったり、歯磨き粉ではなく乳酸菌で歯を磨いたりするという話も興味深い。

ともあれ、『発酵マニアの天然工房』は家庭の主婦にとって役に立つ情報が満載というだけではなく、親しみやすいイラスト・図・写真が沢山あって読みやすい実用的な本だ。無論、男連中にとっても役に立つ記事もある。たとえば、「おいしい『お酒』の世界(p.54)というページ…。

お酒…、あれ、きのこちゃんは18歳じゃなかったっけ…、お酒は二十歳になってからだぞ…、なんて固いことは小生は言わない(笑)。ともあれ、大切な我が子を放射性物質から守る最良のバイブル『発酵マニアの天然工房』は、各家庭に1冊備えておきたい本だ。

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2012年3月 2日 (金)

『これから50年、世界はトルコを中心に回る』

 B120302 佐々木良昭氏が著した左の新書を読了し、書名の「これから50年、世界はトルコを中心に回る」という理由も納得出来たし、トルコと繋がりを持つ日本の企業や個人が増えていくに違いないとつくづく思った次第である。さらに言えば、同書は日本の企業の長期的な企業戦略に有益な情報をもたらすだろうし、個人レベルでもトルコと繋がりを持つ人たちが今後は増えていくと思われるので、そうした人たちにとってトルコとの架け橋的な存在の本になることだろうと思った。

一般にトルコは親日的だと言われている。そのあたりの理由を同書では以下のように述べている。

1. 日露戦争における東郷平八郎司令官、乃木希典将軍の功績(p.161

2. エルトゥールル号遭難事件(p.162

このあたりは近代史に関心を持つ読者なら説明の要はあるまい。注目すべきは以下の著者の言葉だ。

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 以上二つの出来事が日本とトルコを親密にさせたわけだが、実はそのはるか以前から、両国の間にはただならぬ因縁がある。

 6世紀の中央アジアに突厥という遊牧国家があった。

 一時はササン朝ペルシアと共闘して一大帝国を築いていたのだが、583年に内紛により「東突厥」と「西突厥」とに分裂し、唐の攻撃によって東突厥は600年代に、同じく西突厥は700年代に滅びている。

 滅亡後、突厥の民の一部は西に向かってオスマン帝国の民となり、また一部は東に向かって日本に渡り、日本民族に溶け込んだとされている。

 もしそうであれば、オスマンの末裔であるトルコ人と日本人は「突厥」という同じ根っ子を持っていることになる。世界の民族学者の中には「日本人とトルコ人は同族だ」という認識を持つ者もいるほどだ。

 なお、その「突厥に住んだ人々は「ツラン」とも呼ばれている。

 「日本人もトルコ人も同じツランじゃないか」

 という言い方をされることも少なくない。(p.164165

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 関連して、謎の民族とされているシュメールの末裔こそがツラン、すなわち突厥をはじめとする中央アジアの遊牧民族であると喝破した人物がいる。文明地政学協会の天童竺丸氏である。天童氏の説については、『放知技(ほうちぎ)』という掲示板のスレッド「ツランという絆」で紹介したので、関心のある方は同スレッドのNo.138以降を一読願いたい。

佐々木氏の新書と「ツランという絆」で紹介した天童説とを繋ぎ合わせてみると、明らかにシュメール民族が中央アジアの遊牧民族の遠祖であり、さらには日本民族もシュメール民族の血を受け継いでいることが分かるのではないだろうか。

 

なお、佐々木氏のブログによれば、「あるテレビ局がこの本をベースに特別番組を作ることが決まりました。3月中の取材、4月初旬の放映のようです」とのことであり、期待したい。

[トルコに関する本を出版しました」


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2012年1月21日 (土)

『日本の宿痾』

B120121 一度だけお会いしたことのある角田儒郎氏が、『日本の宿痾 大東亜戦争敗因飲む研究』と題する、350ページ以上にも及ぶ浩瀚な新刊本を出版するということで、このたび数名の同志と共に同書の校正を引き受けた。本業(翻訳)の合間の校正だったとはいえ、予定日数を大分オーバーしてしまったのは、内容的に惹かれる個所が多い本だったからだ。なかでも印象に残ったのは以下の行である。

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わが国の滔々たる洋化の流れの中で急速な堕落に至らなかったのは、何よりもご皇室が健在だったということと、まだ官民ともに、武士道の高い精神が消えることなく残っていたからである。(p.330)
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これは幕末明治の近代日本について述べた行だが、『月刊日本』の執筆陣、とりわけ落合莞爾氏、山浦嘉久氏、佐藤優氏の三氏による寄稿、さらには皇室インナーサークルの栗原茂氏の話から皇室本来のお姿を知りえただけに、「何よりもご皇室が健在だった」という角田氏の言葉に大いに頷けるものがあった。

以下の仁徳天皇の御製…

高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり

ここにこそ民を思うお気持ち(大御心)が表れており、これは昭和聖徳記念財団が今年発行した『昭和天皇御製カレンダー』の冒頭の御製「あらたまの年をむかへていやますは民をあはれむこころなりけり」、さらには東北御巡幸時の今上陛下の「津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる」と、根底で相通じていることは言うまでもない。

大御心と絡めて、角田氏はデモクラシー(民主主義)について以下のように述べている。

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デモクラシーの本義が「民意の尊重」にあるならば、それはまさにわが国の伝統だったのであり、何もいまさら欧米に教えを乞う必要などはなかったのである。(p.324)
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この民主主義なる制度は、はたして理想的な政治形態だったのか」(『日本の宿痾』p.322)と疑念を持った角田氏は、戦後の日本人が無条件に受け入れてきた民主主義の見直し作業を行い、ついには民主主義の正体を見抜いたのであり、それが上記の言葉となった。

ともあれ、敗戦後から半世紀以上もの時間が経過し、「もともとわが国には、百姓(おおみたから)を大切にするというご皇室の伝統があった」(『日本の宿痾』p.322)現実を忘れている人たちが多いことを鑑み、敢えて刊行前の角田氏の書籍を取り上げてみた。

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2011年5月 1日 (日)

『蠢太郎』

明日発売される『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に注目。その注目して欲しい漫画とは、裏天皇をテーマにした『蠢太郎』だ。監修が志波秀宇氏、劇画は村上もとか氏である。

筆者は監修者の志波秀宇氏とは一度お会いし、蠢太郎から裏天皇に至るまで色々とお話を伺っている。無論、そのものズバリの事実を描くわけにはいかず、ある程度脚色されているが、じっくりと眺めれば隠されているメッセージが読み取れるはずだ。

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