2009年7月 1日 (水)

ブックオフは本のゴミ屋さん

今年の春先、二人の息子を連れて在米の藤原肇さんとお会いした時、ブックオフのことが話題になったことがあります。その時、藤原さんがブックオフのことを「ブックオフは本のゴミ屋さんだからね…」と喝破したとき、本好きな長男(高一)が呆気にとられた顔をしていたのを思い出します。

私の住んでいる街も御多分に漏れず、ブックオフが公害…、ではなくて郊外にあります。私は時々仕事中の息抜きに、子ども達を連れて車で件のブックオフに行くことがあり、オンラインの古本屋さんでも手に入らない本や、手に入るにしても高い値が付いている本などを探し出して入手するのが狙いですが、それ以外にも初めて接した本でなかなかの良書が定価の半額、時には105円で売っていることもあり、そうした場合は必ず購入することにしています。子ども達にもマンガ本以外は買ってやるから、好きなだけ選んでも構わないと言っているので、結構彼らなりに気に入った本をたくさん探し出してきます。その意味で、ブックオフにとって我々親子は良いお得意様かもしれません。藤原さんもロスにあるブックオフという本のゴミ捨て場に時々寄り、掘り出し物に当たることが時々あるとのことでした。

そのブックオフですが、ご存知のように集英社、講談社、小学館という日本を代表する大手出版社、そして大日本印刷がブックオフの株を取得したニュースは記憶に新しいところです。このあたりのニュースは6月27日付の東京新聞が詳しいので、記事のコピーを載せておきましょう。以下の記事をクリックして下さい。特に注目すべきは最後のページ右下のイラスト「ブックオフをめぐる出資の流れ」であり、この図を眺めることによって現在の出版業界の潮流が読み取れると思います。
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ところで、上記の記事の中で、『だれが「本」を殺すのか』を著した佐野眞一氏は、今回の動きについて以下のように述べています。

すでに書店の淘汰は進んでおり、今回の動きで廃業が増えるとも思えない。出版三社の狙いはまだよく分からず、あまり大げさに考える必要はないのかもしれない

この佐野氏の発言を目にして、筆者は物足りなさを感じました。何故なら、筆者にとって本は単なる物ではないからであり、本を物扱いにしてバナナの叩き売りよろしく売りまくっているブックオフに対して、佐野氏は本と物の違いについて何か発言しなかったのでしょうか…。

藤原さんは本を非常に大事にする人であり、たとえば7年ほど前、東明社という出版社が自社の書庫を売却するため、藤原さんの本をはじめとして多くの本を裁断するということになった時、藤原さんは自著を含め、東明社から刊行された貴重な図書を買い取ったのでした。現在、その時の本は拙宅に大量に保管してあり、希望者には有償で頒布しています。以下は頒布本の案内のページですが、本に対する藤原さんの言葉の数々をページの最後の方にまとめてありますので、関心のある方は一読下さい。

「宇宙巡礼」書店のご案内

なお、近日中に藤原さんの新著が出る予定であり、詳細は以下の掲示板(投稿No.156~)を参照願います。

藤原肇の最新刊発売

ともあれ、上記の大手出版社の台所は火の車であるという情報を筆者は掴んでおり、その辺りから今回のブックオフ株の取得の裏を読み取っていく必要がありそうです。

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2009年1月 3日 (土)

『シルクロードの経済人類学』

B090101 最近、栗本慎一郎氏の新著『シルクロードの経済人類学』(東京農大出版会、2007年8月1日刊)を手にしました。きっかけは、昨年の暮れにお会いした某ジャーナリストが同書を高く評価していたからであり、日頃から注目していたジャーナリストの言葉だけに、帰宅後私は早速オンラインで申し込んだのでした。その後、数日して届いた同書を一読していくうちに、私の北ユーラシア史観が音を立てて崩れていくのが分かりました。2ヶ月前、山形明郷氏の『邪馬台国論争 終結宣言』(星雲社)を読んで、自分の東アジア史観を根底から覆されたという体験をしたばかりであり、まさか同様の体験を2ヶ月もしないうちに再び体験するようになろうとは、夢にも思いませんでした。

同書から得た最大の収穫は、日本文化の土台(基礎)は「北のシルクロード(草原の道)」の遊牧民族が持ち込んだ文化であるという“史実”を知ったことであり、そのおかげで中国や韓国経由で今日の日本文化の土台(基礎)が構築されたという、従来の固定概念に囚われていた自分に気づいたことでした。さらに、ユーラシア大陸に存在していた遊牧民族の思考行動様式を同書で学んだことにより、長年にわたって中華思想や西洋思想の観点から捉えていた北ユーラシア史観から解放されたことにも繋がりました。

ここで、「草原の道」について簡単に触れておきましょう。私たち(40代以降)がシルクロードという言葉を耳にして最初に思い浮かべるのは、1980年代前半にNHKが中国領土内のシルクロードに足を踏み入れ、世界で初めて特集として放送したシルクロードではないでしょうか。NHKが放送したシルクロードは、タクラマカン砂漠からパミール高原を越えて長安に至る道であり、私たちにとって書籍や雑誌などを通じて馴染みのシルクロードです。しかし、実際には長安に至る道は他にもあり、それが「海のシルクロード」と上述の「北のシルクロード」です。以下の地図をクリックしてください。

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出典:Mr & Mrs Abraham's世界紀行

北のシルクロードが日本に及ぼした影響は、縄文中期から晩期かけての三内丸山遺跡(冬至夏至ネットワーク)、さらには古墳時代以降の大和三山を中心とする日本各地(聖方位)にも及んでいるのですが、このあたりは栗本氏が著した『シリウスの都 飛鳥』(たちばな出版)に目を通していただくとして、本稿では北のシルクロードについてさらに詳しく追求してみたいと思います。

北のシルクロードが日本に及ぼしたものの中で最も重要なものとして、栗本氏は「七世以降の律令制の整備と官僚制度および法概念の整備であって、これらはまさしく天皇制の基盤確立に繋がるものだ。またそこに宗教観までもが加わるとすれば、“関わった”と言うより“基本要素を引き継いだ”とさえ言いうるのではないか(p.11)」と述べており、さらに栗本氏は以下のように言葉を続けています。

 

 
 これら多くの基礎となるものをこれまでの歴史学では「中国から」あるいは「中国から朝鮮を経て」来たと言ってきたが、間違いである。技術的なもの(たとえば漢字)は確かに多数、中国朝鮮からやってきている。中国朝鮮の影響を日本が受けなかったということは絶対にない。しかし、主要な要素は「中国朝鮮を通らずに北から」日本へやってきていると考えるべきだ。
 たとえば法概念のように、確かに一見中国から日本へ持ち込まれたように見えるのでもそうだ。法は慣習の原点をよく調べると元は北方の遊牧民の世界において育まれたものが中国へ持ち込まれて、それが日本へ来たと考えるべきものが多い。そもそも中国は、隋や唐の大帝国が成立するまで紀元前からずっと北方世界の影響下にあったからである。そして隋も唐も鮮卑族の影響下に建国された帝国であったことが、(いささか政治的な判断に基づいて)不当に無視されていることも問題だ。要するに、これまでもとはすべて中国のものだと言われてきた「風水」や道教的な諸要素も、いずれも元来は北のシルクロードのものであったと考えることが出来る。確かにそこに漢民族文化の味付けがあったことも間違いない。だが、日本人はそれらの基となる北の文化とはなじみの深い民族であったから、必ずしも中国経由でそれを採り入れる必要はなかったのである」(p.11~12)

(注:栗本氏の本にも書いてあることですが、皇帝が遊牧民出身だったのは何も隋や唐だけではなく、その前の北魏も遊牧民鮮卑の築いた王朝だったという史実があります)

ここで、栗本氏の言う「いささか政治的な判断に基づいて」という下りを以下に補足しておきましょう。

私は四書五経をはじめとする、中国の主な古典は一通り揃えて目を通してきたし、特に唐詩といった漢詩が好きで、何処かへ旅に出るときは必ず旅行鞄に詰めていくのを専らとしています。その反面、中国の歴代の史書は嘘が多い事実も知っており、また現在の中国共産党の非情さといった面は、現在読み進めている『中国はチベットからパンダを盗んだ』(有本香著 講談社+α新書)を例に取り上げるまでもなく知っていたつもりだったし、人類の智恵が鏤められた中国古典の延長線で一方的に中国に畏敬心を抱いたことはないつもりでした。それでもなお、栗本氏の本を読み進めながら、まだまだ自分の中国に対する認識が甘かったと反省した次第です。中国の史書の正体は嘘偽りのオンパレードであり、鮮卑だの卑弥呼だのといった相手を侮辱するような漢字を多用しているという点に大きな特徴があります。

それはともかく、北のシルクロードの遊牧民族はどのような思考・行動様式を持っていたのでしょうか。この点は栗本氏の他、余裕があれば杉山正明氏、川田順造氏、岡田英弘氏らの書籍、殊に遊牧民族に関する書籍も、栗本氏の本と比較検討の意味で目を通すのも一考かと思いますし、さらには栗本氏の思想の根底を成すカール・ポランニーの一連の書籍(たとえば、ちくま学芸文庫で発行している『経済の文明史』)などにも目を通すといいかもしれません。本稿では、北のシルクロードの遊牧民族を理解するには、北のシルクロードとはどのような場所だったのかについて栗本氏の書籍を引用する形で述べた上で、遊牧民族の思考・行動様式に絞って筆を進めてみたいと思います。

最初に草原の道、すなわち北のシルクロードとは、どのようなルートだったのか確認してみましょう。以下の地図をクリックしてください。

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『シルクロードの経済人類学』p.8

真ん中の点線の道が通常知られているシルクロードですが、このように天山北路でもなく南路でもない、その北を通っている草原の道(北のシルクロード)、すなわち太い一本の矢印で引いた道こそが本物のシルクロードでした。そのあたりについて栗本氏は以下のように説明しています。

 

 
 真のシルクロードは、歴史において、あるいは歴史が書かれるようになるもっと前から遊牧民たちが支配し動かすルートにあった。地理学や歴史学からではなく、交易や移動に対する人類学や経済史や社会学の研究がなかったことがこの真実から目がそらされた原因のひとつである。
 シルクロードの根源的背景、すなわちユーラシア大陸の歴史における大きな流れを考えるなら、真に絹や民族や貴重財が移動したのは草原の道であったことは間違いない。そここそ、蘇我氏や天皇制の成立に大きな影響を持っていたユーラシアにおける本当の「文明の高速道路」(西突厥研究者内藤みどり氏)であった。その道なら、重たい鉄も比較的簡単に運搬できた。車輪が使えるからである。前三〇〇〇年前から南シベリア・エニセイ川上流域で栄えたミヌシンスク文化末期のタガール文化(前三〇〇〇~前一〇〇〇)では、各種の車輪が発明されていたことが知られている。それはいわばこの草原の道のためである。(p.63~64)

北のシルクロードとは、実際はどのような道だったのか、上記の引用でお分かりいただけたのではないでしょうか。次に、遊牧民族とはどのような思考・行動様式の持ち主だったのかを見ていきましょう。突厥を例に同じく栗本氏の書籍から引用してみ ます。

 

 
 簡単にだけ述べておくと、一見混乱のように見えるものはすべて遊牧民の国家が本質的に連合国家だったから起きたことにすぎない。逆に他国民から見るとまったく統一されているように見えても、内部ではカガン(皇帝)と副カガンは相互にかなりの独立性を保ちつつ協調していたし、指導部にずれが生じ混乱が起きたかに見えてもわずかな時間でシステムを復元させる力を持っていた。治下にあった諸王国に対しても、相当以上の自治権が与えているのが普通だが、軍事や税についてのように厳しく管理が徹底されているものもあった。これはまさしく、かのパルティアなどにも見られた遊牧民の帝国の特徴なのである。これを農耕民族中心の帝国観から見ては間違える。
 だから、五八三年東西突厥に分裂したといっても、二国が永続的に分立して完全に対立抗争するといった様相ではまったくなかった。その後、七世紀初頭でも東西突厥皇家は対立とともに協力も行っていて、なんと立場の相互交代をも繰り返した。東突厥系のアシナ氏が西突厥の皇帝になったり、また西突厥を追われた皇帝(タルドゥ)が東突厥の皇位を占める(バガ・カガンとして五九九年即位)ということも起きた。また東の第二可汗国は西突厥アシナ皇家滅亡後もモンゴル高原に勢力を残していた。有名なオルホン川流域の突厥オルホン碑文は、この第二可汗国のビルゲ可汗(~七三四)のころのものである。これは西側や中国側の歴史家には理解の外に出るものであったろうが、遊牧民の帝国では決して異常なことではない。パルティア帝国がそうであったように、争いは争いでありながら、帝国の政治的宗教的統一性はそれなり以上に保たれていたのである。(p.70~71)

この栗本氏の突厥に関する記述を読むだけでも、朧気ながらも今までに抱いていた遊牧民族に対するイメージとは異なるものを感じていただけたことでしょう。ともあれ、必要なのは遊牧民族の本来の姿を知ることであり、その意味で栗本慎一郎氏をはじめ、杉山正明氏、川田順造氏、岡田英弘氏らの書籍に目を通すと良いのではないでしょうか。以上の作業を行うことで、今まで遊牧民族に対して抱いていた間違ったイメージを払拭し、改めて己れのユーラシア史観を再構築していただければ幸いです。

最後に、同書では草の道の遊牧民族といったテーマ以外にも興味深いテーマがありますので、以下に列記しておきましょう。なお、聖方位に関しては、読者からの要望があれば『シリウスの都 飛鳥』(栗本慎一郎著 たちばな出版)を取り上げてみたいと思います。

★ 蘇我氏

 
 かくして3世紀以降、北シルクロードから渡来した人々が宗教や政治の主体となったわけだが、これらの集団の最終的代表が蘇我一族であり、聖徳太子(で象徴される一団)であろう。最新の諸研究が示すように、聖徳太子はおそらく実存の人物ではなく、実存したのはただ蘇我氏の一団だった可能性が高いが、個人としての聖徳太子が実際にいてもいなくても彼らが律令制、大化の改新以降の天皇制の基礎を築き、弥勒仏教を導入し、日の本やスメラミコトの名称を導入し、漢字やそれを用いた日本史の編纂を行ったのである。
 その日本史『天皇記』(スメラミコトノフミ)はおそらく北シルクロード自出の日本王権の正当性を述べていたものだから、六四五年の乙巳の変のクーデター後、最緊急の課題として蘇我邸が急襲され焼却されたと考える。そのことのほうが蘇我入鹿の殺害より重要であった可能性が高い。そして聖徳太子や蘇我氏が書いた歴史に対抗して反蘇我勢力側が作らねばならなかったのが『日本書紀』と『古事記』である。要するに、今日に繋がる日本文化の基礎は彼ら(蘇我氏とそれに主導される一団)が築いたものだ。そして、聖方位について以外はどれも日本文化の基礎的要因だったと誰もが公式に認知しているものである。間違いなく蘇我氏こそ日本を日本にした帝王だったのだ。蘇我氏は北日本を土台にし、九州の王・物部氏を倒し、継体天皇に代表される北陸系の勢力(これも渡来勢力?)も抑え、全日本を統一した現実の帝王だったのだ。確かに蘇我一族宗家は乙巳の変(六四五年)で一掃された。しかし、その影響(そこまでの仕事)が日本を築き、その後の日本を大きく決定づけたことは間違いない。(p.20~21)

★ 聖方位

 
 聖方位とは、日本の著名な研究家で古代史家の渡辺豊和教授(京都造形芸術大学)が最初にペルセポリスと日本の巨大前方後円墳および主要神社、仏閣に共通する不思議な方位として発見し研究されたもので、真北から20度西に振った特別な北を持つ方位のことだ。言うなれば、北が20度西に振れている角度である。これを私は「聖方位」と名づけ、日本を中心にペルセポリス、バビロンなど多くの実例とその関係を研究したのが『シリウスの都 飛鳥』(たちばな出版 二〇〇五年)だ。

-------中略---------

 聖方位は実は、冬至の深夜の太陽シリウスの位置に関係する。冬至の深夜12時が新年の始まりならば特に関係がある。シリウスは大体南南東の夜空に輝く。基本的には真南から20度ほど東に振れた角度の空にである。そのシリウスを遙拝したとすると、その背中に当たる真後ろの方角は真北から20度西に向くことになる。これが聖方位だ。日本ではあるものの真後ろに当たる角度を「後ろの正面」と言って特別視するが、それはここから来ているというのが私の説である。(p.178)

★ 日本語

 
日本語はアルタイ語系と言われても一応、孤立語の性質のほうが強いということになっている。日常的ないくつかが似ているということから相互の共通性を一方的に仮定する議論はもうたくさんであろう。誤報や単語は「本質的な」ものについてだけの検討をなすべきだろう。その場合、何が本質的なのかという点についてはこれまでいかにも無勝手流の推測がなされてきた。だから、今のところここから決定的なものは引き出せないと考えるべきだ。けれども、すでに述べたとおり、王権や宗教および聖性などに関するものは別だ。これらは特別に重要なものであり、そこにおいて日本語と北ユーラシア諸語との共通性が大きいことは逆にあまりにも無視されてきた。スメラ、アスカ、ナラ、テン、ヤマト、マホロバなどの決定的に重要な語はいずれも北ユーラシアとの繋がりを示すものではないか。そして何よりも、蘇我およびサカであろう。(p.15~16)

★ 古墳

 
日本に突如生まれた巨大古墳の文化は、北のシルクロードどころかユーラシア草原の特定の地域に紀元前から広がっていたクルガン(巨大盛り土墓)と繋がるものであることは疑いない。(p.17)

★ ユダヤ

 
ところで、六五七年、東部分のアシナ家は権力を失ったが、それはイステミ系ながらトンヤブグの子の兄シェグイの系統の家系であった。西にはトンヤブグの子(名前不詳、王名はイルビス Irbis)を始祖とするアシナ朝カザール王国が残った。そこから今日のハンガリー、ブルガリアが生まれ、ロシア人諸王国(公国)が大きな影響を受け、そこから今日のユダヤ人の主流・アシュケナージ・ユダヤ人の主軸が生まれた。(p.155)

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2008年10月27日 (月)

『邪馬台國論争 終結宣言』

B081001マヨのぼやき」というブログがあります。数ヶ月前に何かのきっかけで同ブログを訪れたところ、たまたまフルベッキ写真が話題になっていました。しかし、同ブログのオーナーであるマヨさんが、フルベッキ写真に写っているのは本物の坂本龍馬だの、高杉晋作だのという具合に書いているので、拙ブログのフルベッキシリーズを紹介した上で、マヨさんのフルベッキ写真に対する誤解をズバリ指摘したところ、素直に間違いを認めるマヨさんを見て大変驚いたものでした。なぜなら、他人から指摘されるのは普通であれば余り良い気持ちはしないものであり、却って開き直られることが過去に度々あったからです。しかし、マヨさんはそうした連中とは異なり、素直に自身の間違いを認めたのですから、誠実で信頼するに足りる人物だという印象を持つに至ったのであり、爾来いろいろと情報交換を行うようになった次第です。

そんなある日、マヨさんが「卑弥呼はころされた」という投稿をしていました。その投稿のコメント欄に山形明郷という人の著した『邪馬台國論争 終結宣言』という題名の本を、マヨさんが紹介していたのに目が止まったのです。あの古代史に強いマヨさんが推薦する本なのだからと云うことで、至急インターネットでサーチしてみたところ、ラッキーなことに絶版となっていた同書がインターネットの古本屋にあることが分かり、迷わず購入を決めました。そのお礼を同記事のコメント欄に書いたところ、マヨさん本人から以下のような回答がありました。

サムライさん、いつもどうも。山形氏は本物です。これ以上の本は出ていないでしょう……以下略

数日後、同書が届いたので早速目を通してみました。装丁が非常に丁寧であり、かつ色鮮やかな地図も何枚か目に飛び込んできました。そして、何よりも格調高い山形氏の文章が気に入ったのです。どうしてこれだけの格調高い文章を書けるのだろうと思いつつ、同書の冒頭に栃木県婦人ペンクラブ会長の吉田利枝先生の書評を最初に読み、さもありなんと思った次第です。大変優れた書評なので以下に吉田先生の書評を全文転載しておきましょう。

 

 
書評

 著者・山形明郷氏は、在野の古代東アジア史研究家である。

 我が国の古代史をめぐって、往年の松下見林、新井白石、本居宣長以降三百余年の歳月を閲しながら、今日尚古代の一国邑「邪馬台国」の確たる所在、その実相さえも明証し得ぬまま、いつ果てるともなき論争が終結をみない現況を座視し得ないとされる著者が、意を決して古代アジア・日本列島の実相究明にその人生の大半を耗して精魂を傾け、漸くにして成就させたこの著作は、日本史学界はもとより、我が国史を後世に伝承させる汎日本国民への空前絶後の一大偉業である。

 未だに記述文化不毛の草創期の我が国が、その古代史形成に当たって依拠したのが、歴史大国・隣邦中国が蓄積保蔵する萬巻の大史録中の一誌(志)「魏志倭人伝」であった。これに依拠以降の我が国は、これを「日本古伝」と看做し、おしなべての国民が教育されて今日に及んでいる。

 古代中国の魏朝期、陳寿なる一吏員の筆になる右「魏志倭人伝」は撰者自らが「倭国」に出赴たわけではなく、当時の歴史的断片たる官府の記録や、自国近域の伝風聞、倭使からの情報や魏使の報告書等による雑記文的二千文字の小誌である。

 しかるに我が史学界は、散漫・粗笨の謗りを免れ得ないこの小誌を今日尚固執し続け、しかもこの叙述内容への驚くべき曲解、誤認の視座から、些かの躊躇もなく「倭」は日本国、「倭人」は日本民族と即断して疑わず、更に同誌上に登場する「女帝・卑弥呼」も、この倭国日本列島内の王朝「邪馬台国」に君臨した強大な首領だったとし、これらの所在地域に、「九州」、「近畿(大和その他)」等を各々が立論してその正当性を互いに譲らず、また古代の面影を遺して列島内各地から発掘・出土の遺構・墳墓・武具・刀剣・馬具さては金印・鏡・貨銭・玉等々を見分の都度も亦曲解、誤認の「倭人伝」を基底に繰返す憶測、謬見が賑う紛々の論争は、いよいよ真個の古代東アジア・古代日本の史実を遠ざけている。

 このような、現日本古代史が内包する曖昧模糊たる迷雲を払拭し、確固たる日本古代史の再構築を期する為には、何よりも先づ「魏志倭人伝」への固執、且つ歪曲の旧弊から決別し、「広大なアジアの一角に生きてきた古代日本の視座からの究明を」翹望される著者は、古代東アジア史研究家ならではの漢文字に通暁の非凡の手腕を駆使して、広汎な古代文献、即ち先にふれた有史四千余年の星霜が蓄積、保蔵する歴史大国・中国の古史録(原書)を本国からとり寄せて座右にし、畢生の大業に挑まれた。

 「正史二十五王朝史」総冊実に二百八十九冊・三千六百六十八巻に上る驚異の大冊原書に加え、「戦国策」「国語」「春秋左伝」「十八史略」「高麗史」「三国史記」等々、更に、現・人民中国編集委員会が発行する「月刊・人民中国」そして、李鐘恒氏をはじめとする現・朝鮮半島内学者と共に、在日朝鮮公民として亦斯界で活躍される全浩天氏諸兄の関係著作論文、その入手に苦労されたであろう往年の「大満州国地図」「中国歴史地図」をも机辺にされ、これら厖大、広範な古文献、多彩な諸資料を丹念に解読・精読を重ね更にこれら叙述内容への精緻な比較・照合・検索・検証に亦精魂を傾けられ、待望久しかった私どもは、この程漸くにして上梓完成されたこの珠玉の大著に見えることができた。

 まさに著者・山形明郷氏ならではの蘊蓄に彩られた峻厳・明晰の一大論証であり、余りにも長歳月に跨った紛々の論争に、鮮烈な「終結」を宣した我が国古代史界希有の大書である。

一九九四年 水無月の佳き日に

吉田先生も書評で述べておられるように、山形氏が目を通したという同書にある参考文献の一覧表を見て圧倒されました。同一覧表にあった『史記』、『国語』、『春秋左伝』、『三国志』、『十八史略』、『山海経』などは愚生も一応は目を通してはいるものの、あくまでも和文に翻訳された翻訳本に目を通したに過ぎず、その点、山形氏の場合は何十冊にも及ぶ参考文献を全て原典で読み通したというのですから、彼我の知的レベルの違いに圧倒されたのでした。そうした優れた漢籍の素養が有るからこそ、山形氏はあのような味わい深い文章を書けるのだということがよく分かったものです。

さて、同書の本文に目を通し、結論として山形氏の主張は本物であることが分かります。同書の白眉は何と云っても古代朝鮮の所在地を明白に解明してみせたという点にあり、それにより以下の◆印の結論に達するのですが、同書の冒頭から目を通した一読者としてどれもが納得できるものでした。以下の点について素直に納得できるということは、換言すれば過去の『魏志倭人伝』に対する解釈や卑弥呼像が全くの間違いであったことが分かるということに他ならないのです。

◆ 古代朝鮮・楽浪・前三韓の所在地は、旧満州であった(現在の朝鮮半島ではなかった)
◆ 卑弥呼の正体は、遼東侯公孫氏の係累であった(日本の卑弥呼ではなかった)
◆ 倭の所在地は、古代「韓」半島であった(日本ではなかった)

以上の三点のみを以てしても、日本さらには東アジアの古代史を根底から書き直さなければならないのは一目瞭然です。ともあれ、『邪馬台國論争 終結宣言』との出会いにより、己れが今までに築いてきた歴史観を根底から再構築しなければならなくなりました。そして、同書との出会いは拙ブログで公開しているフルベッキ写真シリーズを立ち上げた当時を思い出させてくれたのです。つまり、フルベッキ写真の存在を知った当時の自分は本当に驚いたものであり、本当に、坂本龍馬、高杉晋作、伊藤博文、西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、大村益次郎、果ては明治天皇が写っているのだろうか、ことの真偽を確かめてやろというのが、一年間にわたって合計で100ページを超える「近代日本とフルベッキ」を某国際契約関係のコンサルティング会社のウェブに掲載し、その後は慶応大学の高橋信一先生とさらにブログでフルベッキ写真について追究してきたきっかけとなったのですが、今では、坂本龍馬、高杉晋作、伊藤博文、西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、大村益次郎、明治天皇はフルベッキ写真には写っていないことを明白に断言できます。しかし、、坂本龍馬、高杉晋作、伊藤博文、西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、大村益次郎、果ては明治天皇がフルベッキ写真に写っているという俗説を信じている人たちが未だに多いのが今日の日本であり、今の私にはそうした人たちと邪馬台国が九州だ近畿だのと未だに言い争っている人たちとがだぶって見えてきたのでした。

ともあれ、わずか一葉の写真の真実を追究するだけでも、かくも多大な時間とエネルギーが必要です。だから、日本では常識となっている上記の「邪馬台国=九州 or 近畿説」を覆すだけの証拠を、何百巻もの原書を調べ尽くして抽出してみせた山形氏の仕事を目の前にすれば、インテリジェンスが分かる者ならば誰もが山形氏が導き出した結論を率直に信用し納得できるはずなのです。同書冒頭の書評にある吉田利枝先生の、「我が国の古代史をめぐって、往年の松下見林、新井白石、本居宣長以降三百余年の歳月を閲しながら、今日尚古代の一国邑「邪馬台国」の確たる所在、その実相さえも明証し得ぬまま、いつ果てるともなき論争が終結をみない現況を座視し得ないとされる著者が、意を決して古代アジア・日本列島の実相究明にその人生の大半を耗して精魂を傾け、漸くにして成就させたこの著作は、日本史学界はもとより、我が国史を後世に伝承させる汎日本国民への空前絶後の一大偉業である」という言葉は決して誇張ではありませんでした。

残念ながら、同書は絶版であり、私がサーチした限りオンラインの古本屋さんでは『邪馬台國論争 終結宣言』の入手は不可能です。よって、最寄りの図書館で探していただくか、東京・神田の古本屋街などに出向いて探していただく他はなさそうです。山形氏のホームページもあるものの、私がそうであったように、それだけでは十分に納得できないでしょう。『邪馬台國論争 終結宣言』は、その人の持つ今までの東アジア古代史観を、根底から覆してしまうだけのパワーを秘めた本であり、その意味でも是非一度は同書を紐解くようお勧め致します。

・比較図(画像をクリックしてください)

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2008年10月17日 (金)

『免疫力を高める生活』

B081017 2ヶ月前に夏休みを利用して、下の息子(中学一年生)を連れて比国レイテ島を訪問したものの、息子が滞在中に下痢になり、帰国しても治らないので近所の医者の診断を受けました。最初はアメーバ赤痢かもしれないということでしたが、検便の結果はシロでした。そうだとすれば潰瘍性大腸炎の可能性があるということで、近くの大学病院で精密検査を受けるべく紹介状を作成してもらい、再び大学病院でも検便や血液検査などを行ったのですが、やはり結果は同じくシロでした。そうこうするうちに今までになく腹痛がひどくなったと息子が訴えてきたので、急ぎ同大学病院を再訪、その場で緊急入院ということになった次第です。掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】の道友に別件でメールした折りに息子の件に触れたところ、西原克成医学博士の著書に潰瘍性大腸炎について言及している箇所があるとメールで教えてくれたのでした。そこで、久しぶりに『免疫力を高める生活』(サンマーク出版)を再読し、改めて西原先生の凄さを再認識した次第です。

恐らく、息子だけではなく全国にさまざまな難病に苦しんでいる人たちが多いことを思い、改めて西原先生の著した『免疫力を高める生活』をベースに西原先生の革新的な治療法について以下に述べてみます。以下を一読の上、西原先生の考え方に共鳴していただけるようでしたら、是非とも『免疫力を高める生活』を入手して今後の生活にご活用ください。

最初に、世間一般では潰瘍性大腸炎をはじめとする難病についてどのように考えているのか、難病情報センターというサイトで確認してみたところ、潰瘍性大腸炎の原因について以下のように書いてありました。

「原因は明らかになっていません。これまでに腸内細菌の関与や本来は外敵から身を守る免疫機構が正常に機能しない自己免疫反応の異常、あるいは食生活の変化の関与などが考えられていますが、まだ原因は不明です」
http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/009.htm

しかし、西原先生は潰瘍性大腸炎の原因を突き止め、また大勢の潰瘍性大腸炎の患者を完治させています。私は言葉こそ交わしたことはないものの、共通の知人(藤原肇氏)を囲む集い(脱藩会)で西原先生にお会いしたことが数度あります。西原先生は数多くの本を出版されていますが、そのうちの一冊『免疫力を高める生活』(サンマーク出版)に以下のように冒頭に述べています。

「私の研究所が、いわゆる難病に苦しむ人たちの間で「医療界の駆け込み寺」といわれているのは、原因不明で根治が難しいとされる免疫病の治療に、大きな成果をあげているからでしょう」(p.2)

さらに、以下のようにも西原先生は述べています。

「眼科、耳鼻科の病気をはじめ、消化器、循環器、泌尿器、呼吸器、婦人科系などの病気も、治し方と予防法は同じ。とにかく、免疫力を高める生活に切り替えるだけでよいのです」(p.4)

免疫力の高め方には以下の七つの方法があり、それらの背景を正しく理解して実践すれば難病も完治すると西原先生は述べておられます。


(1) 鼻で呼吸する
(2) 両顎でよく噛む
(3) 上向きで寝る(骨休みする)
(4) 冷たいものを飲み過ぎない、食べ過ぎない
(5) 軽い運動とリラックスを心がける
(6) 太陽の光を浴びる
(7) 「心に優しいエネルギー」を取り入れる(「心に優しいエネルギー」とは、要するに笑いや入浴の心地よさを味わう、すなわちリラックスのことです)

何故、上記の七つの方法を実践するだけで、潰瘍性大腸炎といった難病が治せるのかという点については割愛しますので、ここは是非同書にあたって頂ければ幸いです。

なお、本ブログでは西原理論について二年前にも言及しています。併せて一読ください。

『内臓が生みだす心』

『究極の免疫力』

以下は西原理論で直せる難病の例です(クリックしてください)。

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2007年5月 8日 (火)

『幕末維新の暗号』

B070508 『あやつられた龍馬』(祥伝社)や『石の扉』(新潮社)といった一連のフリーメンソンものを書いている加治将一氏が、『幕末維新の暗号』((祥伝社))という新著を出したと【阿修羅】という掲示板のトップページに紹介されていたので、早速クロネコヤマトのブックサービスに発注をかけると同時に、本ブログ【教育の原点を考える】でフルベッキに関する貴重な論文を寄せて頂いている高橋信一先生にも即メールでお知らせしました。すると、すぐに高橋先生からメールで応答があったのであり、その後幾度がメールのやり取りを行った結果、加治将一氏『幕末維新の暗号』の書評をアップしようということになりました。よって、ここに高橋先生の書評に続いて私サムライの書評を載せますので宜しくお願い致します。

書評:『幕末維新の暗号』

■TVディレクターvs.作家
私が加治将一氏の新著『幕末維新の暗号』を読了してつくづく思ったことは、過日私がアップした『覇王不比等』を著した黒須紀一郎氏の著作と比較して、同じ小説とはいえ両書には雲泥の差があるという点でした。思うに、この違いは黒須氏がテレビのフリー・ディレクターであり、加治氏が作家であるということに由来するのでしょう。『覇王不比等』でも既に読者の皆様に紹介しましたが、アマゾンドットコムに載っていた書評にあった、「売文を商売にする作家よりも、テレビや映画のディレクターやシナリオライターに、本当に有能な人が多い」、という発言の正しさがここでも証明された形になります。

ただし、誤解のないように一言添えておきますが、作家の中にも本物はやはりいるものであり、その一人が『曼陀羅の人』を著した陳舜臣氏です。拙ブログでも同氏の『曼陀羅の人』を取り上げていますので、一度是非ご訪問いただければ幸いです。
曼陀羅の人

■インテリジェンスvs.インフォメーション
黒須紀一郎氏の『覇王不比等』や陳舜臣氏の『曼陀羅の人』がインテリジェンス・レベルの本であるとすれば、加治将一氏の『幕末維新の暗号』はインフォメーション・レベルの本に過ぎないという点もここで指摘しておきたいと思います。インテリジェンスとインフォメーションの違いは、拙ブログでもたびたび取り上げていますのでここでは敢えて繰り返しませんが、参考として以下の2本の拙ブログの記事を一読していただければ、ある程度はインテリジェンスとインフォメーションの違いを理解していただけるものと思います。
空海の夢
聖徳太子と日本人

■誠実さ
聖徳太子と日本人』では、最後の方で『否定できない日本』(文春新書)を著した関岡英之氏の本をインフォメーション・レベルに留まっている本と批評しましたが、それでも引用先を米国政府の『年次改革要望書』であることを正確に書いている点は当然とは云え常識ある態度だと思うし、また日本人に『年次改革要望書』の存在を広く知らしめた功績は大きかったと思います。

それに反して、加治氏の場合はどうでしょう。関岡英之氏の場合はノンフィクションであり加治氏の場合は小説というフィクションだという違いはあるにせよ、高橋信一先生が『小説「幕末維新の暗号の検討結果」』でも述べておられるように、他人の説を盗用し、恰も自説の如く小説に書く加治氏は、人間として当然持つべきモラルが欠けていると謂わざるを得ません。たとえば、以下の高橋先生の書評が好例です。

(17) p.269・・・「鍋島直彬」の存在の仮説は私のオリジナルである。出展を明示しないのは、盗用である。彼が明治元年に長崎にいた理由は戊辰戦争に勇んで参戦しようとした直彬が鍋島直正から長崎警備を命令されたためである。通例なら、佐賀本藩の仕事であった。慶応元年の所在証明は別にする必要がある。

『小説「幕末維新の暗号の検討結果」』

とあるように、「鍋島直彬」についての情報を最初に知った者の一人が私であり、かつ拙ブログにアップロードしているだけに、間違いなく「鍋島直彬」の存在の仮説を初めて発表したのは高橋先生であることを此処に証言しておきたいと思います。

また、『幕末維新の暗号』は明治天皇すり替えという日本のタブーを取り扱っていますが、これは加治氏のオリジナリティでは全くなく、故鹿島昇氏の『裏切られた三人の天皇』(国民社)を下敷きにしていることは明らかです。『裏切られた三人の天皇』については拙ブログでも若干ふれていますで参照頂ければ有り難く思います。
明治天皇(2)

なお、『幕末維新の暗号』は小説という形を取っているにしては、何故か巻末に主要参考文献を掲げています。そして、その中に『裏切られた三人の天皇』も羅列してありました。『幕末維新の暗号』の中での明治天皇に関する記述は『裏切られた三人の天皇』無しには成り立たなかっただけに、流石の加治氏も知らんぷりはできなかったようです。

■品性
高橋先生の『小説「幕末維新の暗号の検討結果」』を一読すれば明白のように、小説とは云え加治氏の『幕末維新の暗号』は嘘が余りにも多い本であり、多くの読者を惑わせる愚書です。

同じ小説でも、黒須純一郎氏の著書群には品性が感じられました。その点、加治氏の本からは全く品性は感じられなかったのですが、何故かとよくよく考えてみたところ、高橋先生といった他人の説を平気で盗用するといった人格の問題もさることながら、『裏切られた三人の天皇』といった本をそのまま下敷きにして加治氏に都合よく編集しているだけの本である点が大きいように思えます。その点、黒須純一郎氏の『覇王不比等』を一読した後、改めて中国の兵法書である『孫子』、『六韜』、『三略』を紐解いてみたいという衝動に駆られたことを思えば、品性だけでなく作者の持つ人間的な深みにおいても天地ほどの開きがありそうです。

加治氏の本に惑わされる読者が一人でも減ることを祈りつつ本稿の筆を擱きます。

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2007年4月11日 (水)

『役小角』

B070411 今回取り上げる『役小角』も『覇王不比等』同様に黒須紀一郎氏の作品です(ちなみに、役小角は「えんのおづぬ」と読む)。前回、『覇王不比等』の最後の方で取り上げた「くずもん」を代表する人物こそが役小角ですが、役小角が『日本書紀』に登場することは一切なく、『日本書紀』の編者は役小角をはじめとする「ぐすもん」の存在を故意に隠そうとしたことが分かります。しかし……。

『日本書紀』は、巻第二十八のすべてを費やして、壬申の乱を事細やかに記している。そして、その狙いは、大海人の決起が決して反乱などではないことを強調することにあった。それともう一つ、小角の率いる賀茂の民参戦の隠蔽である。『日本書紀』に記載された壬申の乱のどの箇所にも、役小角もしくはそれを思わせる一族の名はない。しかし、僅かに痕跡を留めた箇所は、幾つかある。いくら『日本書紀』の編者が隠そうとしても、これだけの大乱を詳述してしまえば、どこかに綻びは出てしまうものである。

『役小角』第二部 p.243

役小角やその一団が壬申の乱に参戦した痕跡が『日本書紀』の何処に記してあるかは、拙ブログを訪問してくれた皆さんが『役小角』第二部を読む際の楽しみに残しておくとして、当時10人中9人までが渡来人という日本にあって、当然ながら「くずもん」である土着系住民は10人中1人程度でした。しかし、役小角を代表とする「くずもん」は渡来人にはない、理解の及ばない世界の住人だったのです。そうした役小角らの教えを伝承した代表的な人物の一人が後に登場する空海でした。その空海が修験道の開祖とされている役小角から引き継いだものの一つが錬金術であったことは明白であり、そのあたりの詳細は 佐藤任氏の著した『空海のミステリー―真言密教のヴェールを剥ぐ』 (出帆新社) を一読すると良いでしょう。また、佐藤任氏の著作に関して意見交換を行ったスレッドがありますので、ご参考までに以下に紹介しておきます。
空海の夢

さて、役小角ら「くずもん」は何も太古の昔の人たちではなく、現代も「サンカ」と名を変えて生き続けています。尤も、サンカというと河原乞食を連想する読者も多いかもしれませんが、それは違います。藤原肇氏の著した『朝日と読売の火ダルマ時代』の中で役小角を引き合いに出した以下のような対談がありました。

 歴史的にサンカを生態人類学的に調べたら、海系統と山系統の2つの流れがあって、海系統の海人(あま)は海や川で漁をする海部で、山系統の山人は山岳地帯に住む山部であり、海部と山部の総支配人をアヤタチと呼び、これがサンカの大統領に相当します。そして、アヤタチの住む所が丹波のアヤベであり、出口王仁三郎はサンカ出身だから、その後に政府の大弾圧で徹底的に破壊されたが、大本教の本部を京都府の綾部に置いたのだし、丹波はサンカ文化にとって本拠地のようです。

 出口王仁三郎は本名が鬼三郎だった通り、確かにサンカ出身だったのは明らかだが、それで綾部に本部をつくったというのはどうかな。
丹波は古くから全体としてサンカの聖地で、大統領はしばしばアヤタチ丹波であるし、丹波、丹後、但馬はサンカ王国の中心だった。だが、出口王仁三郎や大本の話は明治のことだし、歴史的にみれば割に最近の出来事であり、中世に起源を持つサンカの歴史にとっては、それほど決め手になるとはいえないな。

 その意味で一気に古代に溯って考えると、奈良時代の役小角に関係しているようだし、深山で修行した山伏の生活にも結びつき、起源的には随分と古い時代になるようです。だから、エリアーデが論じる宗教史のような、きわめて文明の問題との関連で、学問的に文化人類学の側面からもアプローチして、きちんと整理しなければならない。また、どうしても関連領域が拡大してしまい、漂泊民と定住民という生活様式に基づく、部落問題と農民との関係という古い枠組を越え、新しいパラダイムの捉え方が必要になりました。そして、サンカの問題を社会的に理解するには、漂泊民の問題として山人と谷人の問題があり、仙と俗の間の情報理論が明らかになりました。

『朝日と読売の火ダルマ時代』 p.91~93

以上の箇所だけを紹介すると、いかにもサンカあるいはくずもんは過去の話として考える読者が出てくる恐れがあります。しかし、現実はそうではなく、今日においてもサンカは実存するのであり、しかも日本社会にかなりの影響力を持っています。そのあたりを述べた下りを『朝日と読売の火ダルマ時代』から差し障りのない範囲で引用しておきましょう。

 それは昭和史だけではなく明治史にも共通で、鉄道と電力会社の経営に関しては、山岳地帯や河川領域を握っていたから、サンカ系統が支配する傾向が濃厚でした。

 地方の鉄道は森林や鉱山の開発が関係して、山岳地帯の土地の買収や工事のせいで、山を支配していたグループが強かったし、水力発電所も同じ理由によるわけですが、それに、明治時代の電力事業はすべてが民間でやり、地方のブルジョワが式心を出し合ったし、鉄道の建設も民間会社がやっていて、国営化はずっと後になってからでしたね。

 明治政府を動かした薩長の武士のほとんどは、足軽などの下級武士が中心だったから、資金的には行商や両替を営む商人や、換金商品の生糸や鉱産物を扱う豪農に、産業を育てる資金を仰いだわけです。それが工場や発電所の建設になったり、鉱山開発や鉄道の付設に結びついたし、明治の後半になると化学工場も生まれ、ナントカ電工という工場が育ちます。それが揖斐川電工、昭和電工、日窒コンツェルンにと育ち、化学工業のほとんどが川筋者との関係で、サンカ系統の企業家に活動の場を提供した。

 それは川の利権と結びついていたわけですね。

 鉄道が敷かれるまでの運輸の主体は船であり、木曾川や淀川は筏の輸送でも賑わい、河川の利権と結びついた形で産業が発達し、明治となって石炭が使われた時には、筑豊地帯は遠賀川の川船が大繁盛して、川筋者がこの世の春を謳歌したものです。それを扱ったのが火野葦平や五木寛之の小説で、筑豊炭田地帯の川筋者のあらくれ物語であり、別の意味では都市化の中でのサンカの立志伝です。また、漂泊者が居着いたのがイツキであり、それを浪民のロマンとして描いたのが『風の王国』で、五木寛之はサンカからのメッセージを託しました。

『朝日と読売の火ダルマ時代』 p.97~98

以下も『朝日と読売の火ダルマ時代』で述べられているサンカに関する重要な内容ですので引用しておきましょう。

 漂泊生活のパターンを持って移動するサンカは、定住する農民や耕作人に較べて自由奔放で、行動力に富んでいる人間に属します。だから、戦国時代や社会が不安定な変革期には、古い秩序からはみ出して生きているだけに、新しい勢力として台頭する力を持っていた。しかも、戦国時代の終わりに野武士や商人となったり、幕末に商人や産業人として進出して、新しい時代の覇者になることが出来たのです。
私は地質学を専門にして生きてきたお陰で、大学時代にはダム工事の関連の仕事をしたし、ヨーロッパでは石炭開発の仕事をしており、アフリカでは鉱山の開発に関係しました。私自身がある意味で山師として生きたことは、ある意味でサンカや山伏の生活に共通だし、徳川時代や明治時代は鉱山開発が重要で、明治の日本の産業発展史と一致します。

 これまで日本人はサンカと部落民を混同して、一種のタブーのように扱って来たが、これはとんでもない間違いであり、そのために多くの誤解と悲劇の種となった。部落や同和というのは行政上の概念で、特定な歴史的な事情によって、文化的、経済的な改善が著しく立ち遅れた地域に住む者を指し、地域の住民の認定であっても身分ではなく、失業者や身体障害者と同じ扱いなのです。ところが、日本人のほとんどはこの区別が分からずに、サンカを同和問題とごちゃ混ぜにして、差別と誤解してタブーにして来ました。

『朝日と読売の火ダルマ時代』 p.93~94

朧気ながら、サンカの特徴を掴んで頂けたのではないでしょうか。時代は正に情報大革命という大転換期に突入しようとしており、そうした時代にあっては「自由奔放で、行動力に富んでいる人間」であるサンカあるいはサンカ的気質を持った人たちが活躍する時代であると思います。私自身も、「自由奔放で行動力に富む」サンカ的な生き方をしたいと思う今日この頃です。

以上、『日本書紀』にまつわる日本のタブーの一部について言及してみました。今後も機会があれば『日本書紀』関連のテーマを取り上げてみたいと思います。

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2007年4月10日 (火)

『覇王不比等』

B070410 最初に、黒須紀一郎氏の『覇王不比等』(作品社)を一読してみたいと思うに至ったのは、アマゾンに載っていた以下の書評がきっかけであったことを告白しておかなければなりません。

われわれは日本史で壬申の乱について教わったが、その実態が何だったかについて先生は説明しなかった。また、「万葉集」で天智天皇の歌について教わったが、この天皇が誰であるかについての説明は無く、天皇は天皇としてそれ以上は教えようとしない。だが、大学の授業の時に天智天皇は天武天皇によって殺され、それが壬申の乱だったと教えられて仰天した。しかし、それ以上の秘密が日本史には隠されていて、天智天皇は百済系の支配者として君臨したのであり、天武天皇は新羅系の支配者だった事実について、この本は藤原不比等の生涯を軸にして描き、日本最大のタブーに挑んでいる点で、非常に衝撃的な内容によって貫かれている。人はこれを小説だと思いたいだろう。だが、タブーとされている歴史の真実を語るためには、小説の形をとらなければならないことが多いし、そういった仕事は売文を商売にする作家よりも、テレビや映画のディレクターやシナリオライターに、本当に有能な人が多いということを本書は証明していると痛感させられた。特に第二部が圧巻である。

この書評にある「売文を商売にする作家よりも、テレビや映画のディレクターやシナリオライターに、本当に有能な人が多い」という主張は、笠原和夫の『昭和の劇』などを読んだことのある私にとって大いに肯ける事実でした。

さて、黒須紀一郎氏の『覇王不比等』は三部からなる小説ですが、第一部の「鎌足の謎」のあとがきを読み、目を見張った箇所があります。

埴原和郎のシミュレーションによれば、
「7世紀の日本の総人口539万9800人の内、渡来人と土着系住民との比率は8.6対1となる」
という。
つまり、10人の内9人までが、大陸または朝鮮半島から渡って来た人たちということになる。7世紀までの日本には、様々な民族が共存していたのである。古代史を考える上で、これは重要である。そして不比等の活動も、この問題を抜きにして語ることはできない。

『覇王不比等』第一部p.294

上記の下りを読むまでは、10人の内1人程度が大陸や朝鮮半島からの渡来人と記憶していたし、埴原和郎氏の本も所有しているだけに慌てました。早速書架から20年前に購入した埴原和郎氏の『日本人の起源』(朝日選書)を見つけ出し、パラパラと捲ってみたものの、「10人の内9人までが、大陸または朝鮮半島から渡って来た人たち」という記述は見つからず、今度機会があれば同書を再度じっくりと紐解いてみたいと思います。科学的人類学の描く日本人成立のシナリオというサイトでも埴原説を紹介しており、「10人の内9人までが、大陸または朝鮮半島から渡って来た人たち」について明瞭に述べてはいませんでしたが、埴原説の骨格を述べた文章だと思うので参照願います。

次回取り上げる『役小角』と関連することですが、日本の峻険な山々に住む人々の主流が縄文時代から日本に住んでいた原住民らであり、平地に定住していた人々が渡来人が中心だったと私は思います。そして平地に住んでいた人々の頂点にいたのが上記のアマゾンの書評にもある「天智天皇は百済系の支配者として君臨したのであり、天武天皇は新羅系の支配者」の天皇だったということで、正に日本のタブーに属する事柄だったと言えます。だからこそ、黒須氏は小説の形を取ったのでしょう。

藤原不比等に話を戻すとして、不比等の父、藤原鎌足の出自については『覇王不比等』に目を通していただくとして、第一部を読み進めながら、第七章「乙巳の変」に入ろうとするあたりから、当時は10人中9人が渡来人であったことを考えれば多分藤原鎌足も渡来人だろうという推測が働いたのであり、鎌足の正体が明かされた下りを読むに及んで、やはりという思いでした。しかし、その後に衝撃が待っていました。渡来人は渡来人でも鎌足が単なる渡来人ではなかったのです。鎌足が日本に来た目的を説明した同書の下りを読みながら、いくら“小説”とはいえ真に迫っていたので背筋が寒くなりました。それだけ、第一部の第七章「乙巳の変」は私にとって迫力ある章でした。

その他、斉明天皇・中大兄皇子(後の天智天皇)らは何故勝ち目のない白村江の戦に兵を送ったのかという疑問も、アマゾンドットコムの「天智天皇は百済系の支配者として君臨した」というコメントが不気味に脳裏に浮かぶのだし、さらには佐々克明氏の「天武天皇は、新羅の王子金多遂である」という説も説得力をもって迫ってきます。このあたりは天智と天武の関係を取り上げた「天智と天武の関係について」というサイトや、藤村由加氏の『額田王の暗号』(新潮社)を参照にするとよいかもしれません。そして、そうした天智天皇・天武天皇兄弟を中心テーマとして追求したのが『覇王不比等』の第二部と言えるでしょう。

最後の第三部は稀代の大政治家であった不比等の総仕上げの仕事を追った部ですが、まさに「日本」を生んだのは不比等であったと納得させられるような内容でした。その最終部の後、作者・黒須紀一郎氏はあとがきで以下のように述べています。

「夫れ葬は蔵すなり。人の見ることを得ざらむことを欲す」
不比等は死を目前にしても尚、必死にこの言葉を呟いている。これこそが、彼の生きざまであった。
生前の不比等は左大臣になることも、また大政大臣になることも望まなかった。彼の欲したのは地位や名誉ではなく、自分の理想を完遂できる実権であった。
「秘すれば花なり」という言葉があるが、不比等は自分の業績を秘することによって、逆に藤原氏という巨大な花を咲かせた。しかもその花は、1300年後の今日でも枯れることなく咲き続けている。

『覇王不比等』第三部 p.268

ところで、『覇王不比等』の第三部が終わろうとするあたりで、以下のような暗示的なシーンが登場します。

「刀根、お前は自分の顔をよく見たことがあるか。お前やわしの顔は、この大和に住む大方の“渡りもん”とはだいぶ違っておるじゃろう。わしらこそがこの大和を最初に開いた“くずもん”の子孫じゃ。この国はわしらの国じゃった。それを、海を渡ってやってきた“渡りもん”たちが奪ったんじゃ。刀根、心配するな。たとえ都の軍勢を全部相手にしてもわしは決して退きはせぬ。追われたらこの山に逃げ込め。他の皆にもそう伝えるがよいぞ」

『覇王不比等』第三部 p.121~122

刀根という男に向かって語っているのは、やはり黒須紀一郎氏が著した『役小角』の主人公、役小角です。では“くずもん”とはどのような人々だったのでしょうか。次回、同じ黒須紀一郎氏の『役小角』を取り上げつつ、“くずもん”の正体に迫ってみたいと思います。

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2007年4月 9日 (月)

『聖徳太子と日本人』

B070409_1 私は大分前から聖徳太子は架空の人物であると主張している大山誠一氏に関心を持ち続けていました。そして、いずれは同氏の書籍を手にしてみたいと思っていたのですが、最近になって『日本書紀』が編纂された背景に関心を持つようになり、そのため『日本書紀』を取り上げた色々な著者の書籍を手にする機会が訪れ、初めて大山氏の本を手にした次第です。私は書籍に赤や青の下線を引いたり、コメントを書き込んだりする癖があるのですが、大山氏の『聖徳太子と日本人』は久し振りに赤線や青線だらけの本になりました。

同書は、聖徳太子が実在していなかったことを証明してみせた上で、では何故「聖徳太子」という架空の人物が誕生したのか、あるいは誕生させる必要があったのかという点について、史料の検証を慎重に進めつつ、大山氏の鋭いインテリジェンスで以て炙り出した本と言えるでしょう。ここで、聖徳太子が架空の人物であるとするテーマは『聖徳太子と日本人』の中心テーマなのですが、今回は『日本書紀』を中心に据えて書評シリーズの一環として筆を進める形を取っていることもあり、ここでは聖徳太子は実存していなかったという視点を持つことが、日本の古代史の真相に迫る意味で如何に大切かということを指摘した大山氏の言葉のみを転載しておくだけに留めたいと思います。なお、聖徳太子が実存していなかったという大山説の詳細については、『聖徳太子と日本人』に直接あたっていただければ幸いです。

720年に編纂された『日本書紀』の中で、聖徳太子という人物が出現し、彼の名において憲法十七条がだされたのである。くどいようであるが、それは、推古朝の出来事ではない。すべて、『日本書紀』が完成した養老4年(720年)当時の出来事である。日本の古代史を正しく理解できるか否かは、そこの所を正確に認識できるかどうかにかかっている。
『聖徳太子と日本人』p.121

さて、今回の書評シリーズの中心テーマである『日本書紀』という本題に入ります。流れとしては、大山誠一氏が『聖徳太子と日本人』の中で『日本書紀』と藤原不比等の関係を鮮やか浮かび上がらせている箇所を簡単に紹介した後、私が同書で最も感銘を受けた天皇制についての大山氏の私見を取り上げるという形を取りたいと思います。

最初に、大山氏が『日本書紀』と藤原不比等との関係について述べている箇所を以下に転載しておきましょう。

彼(藤原不比等)の権謀術数により持統11年(697年)、15歳になった孫の軽皇子(文武)に位が譲られたのである。直ちに、不比等の娘の宮子が文武の夫人となり、やがて701年に首皇子(のちの聖武天皇)が生まれ、ここに持統と不比等の血を引く王統が出現する。恐らく、文武即位に際して成立した高天原・天孫降臨・万世一系の論理は、この首皇子の誕生まで見通したものであったと考えてよいであろう。とすれば、この記紀の論理を構築した人物として、藤原不比等以外の人物を考えることはできないのである。
『聖徳太子と日本人』p.227

「記紀の論理を構築した人物として、藤原不比等以外の人物を考えることはできない」とする大山氏の説に初めて接した読者は驚かれたかと思います。その藤原不比等についての詳細は次回の『覇王不比等』全三巻(黒須紀一郎著 作品社)で詳しく取り上げることにして、急ぎ『日本書紀』と天皇制というテーマに入りましょう。何故なら、天皇制を考えることの意味は、取りも直さず『日本書紀』誕生の真相に迫ることを意味するからです。

712年に成立した『古事記』は、その高天原を基点として構想された一種の歴史書であった。しかし、その完成前から、このような疑念が生じていたのである。やはり、高天原ではなく、中国思想を踏まえた天皇の理念が必要であった。その結果、『古事記』とは別に『日本書紀』が編纂され、そこで、天皇のあり得べきモデル、いわば模範のようなものとして、中国皇帝の理念を体現した人物像が創造されることになる。もちろん、それが、<聖徳太子>である。
『聖徳太子と日本人』p.70~71

『古事記』のような素朴な歴史書ではなく、中国思想の評価に堪えられるものでなければならない。就中、国家秩序の頂点にあるべき天皇が、実態はともかく、理念として中国の皇帝と対比しうる存在として位置づけられたものでなければならない。それが実現すれば、日本も、真に中国的な国家に生まれ変わったと言える。為政者たち、不比等も、長屋王もそう考えていたのである。
そのためには、単に、中国の古典に通じているというだけではなく、現実の中国の皇帝の姿を目にし、皇帝を取り巻く官僚や社会の動き、また、文化・思想状況に精通している人材が必要である。そうでなければ『日本書紀』は完成しないのである。
不比等や長屋王が、そう考えていた時、適任者が帰国した。道慈である。
『聖徳太子と日本人』p.87~88

『聖徳太子と日本人』の各章で私が白眉と思った章は第八章の「聖徳太子と天皇制」であり、殊に私が目を見張ったのは、P.211の「図6 日本列島の壁」でした。この図を目にして、初めて大和朝廷のできた奈良盆地という地勢の意味を私は正確に理解できたのです。以下は大山氏の天皇制についての見方を示した文章です。

天皇制とは、どのようなものか。誤解を恐れず、私見を述べれば、日本という島国に生まれた唯一の価値観であり、宿命でもあると思う。決して、多様な価値観の一つではない。他に代わるものはない、唯一のもの、そういう価値観である。しかし、それを生み出した島国は、人類史的にみても、決して小さくも、均一でもない。とてつもなく、巨大で、複雑で、多様な世界である。だからこそ、天皇制が成立し、<聖徳太子>も誕生する必要と必然性があったのである。
『聖徳太子と日本人』p.227

ここで、大山氏は「それを生み出した島国は、人類史的にみても、決して小さくも、均一でもない。とてつもなく、巨大で、複雑で、多様な世界である」と述べていますが、その大山氏の主張を正確に理解することが、大山氏の言う「天皇制」を真に理解するためにも必要となります。よく、日本は糸魚川静岡構造線を境にして東日本と西日本とに別れ、それぞれ社会が異なるといった主張を耳にしたり本で目にしたりします。しかし、糸魚川静岡構造線ではない大山氏の「図6 日本列島の壁」を目にして、私は思わず息を呑んだのでした。詳細は『聖徳太子と日本人』に譲るとして、以下に重要と思われるポイントを転載しておきましょう。 (下の図はクリックすると拡大されます)

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上の図6には、日本列島を南北に貫く太い線がある。北は、親不知から始まり、飛騨山脈・立山・白山の山地を経て伊吹山へ。さらに鈴鹿山地を経て、伊賀を取り巻く山脈が続き、そのまま深い紀伊山地にいたっている。長く高い山並みが続いていることが理解されると思う。私は、これを日本列島を東西に分かつ壁と称したい。もちろん絶対的なものではないが、この壁が、東西の人々の日常的な交流をさまたげてきたことは、関ヶ原を境とする東西の違いを考えれば理解できるであろう。その際、注意すべきは、太線が部分的に途切れていることで、これは若干の谷間や峠を示している。つまり、この巨大な東西を分かつ壁にも若干の切れ目があり、それが関ヶ原付近と、伊賀・伊勢と大和を結ぶ初瀬川やいくつかの峠の存在である。前者は、近江と伊勢湾を結びつけており、後に不破関が置かれる交通の要衝である。当時は、主に伊勢湾沿岸から近江・若狭を経て山陰へ達する交通を保証していた。後者は、伊勢湾沿岸と大和盆地を結んでいるが、重要なことは、初瀬川にしろいくつかの峠にしろ、どれも、三輪山の麓、纏向に達していることである。

ということは、纏向の地が、大和盆地から伊勢湾沿岸への出口ということになる。伊勢湾沿岸から来れば、ここが大和盆地への入り口となる。つまり、この地は、壁を境にした場合、西日本と東日本とを結ぶ接点に位置していることになる。まず、このことを確認しておこう。

次に、弥生後期の東日本の情勢であるが、伊勢湾北部の尾張を中心とする東海系の土器が、北陸・東山・東海O東日本全体に広がっているという。このことは、壁の東側にありながら、西日本とも密接な交流を持つ伊勢湾北部の勢力が、東日本全体の交流の中心となったことを意味する。

『聖徳太子と日本人』p.211~213

以上の考察をベースに大山氏は天皇制に関する独自の持論を展開しています。その中で目が釘付けになったのは「権力とは情報なり」という言葉であり、その情報が集まる場所こそが奈良盆地だったという点でした。地勢的条件を含めた諸々の要素が複雑に絡み合い、世界に例のない「天皇制」が誕生したという大山説は面白く、まだまだ検討の余地はあるとは思うものの、今後は私も自分なりに追っていきたいテーマだと思った次第です。そうした史料の検証を重ねた後、大山氏は「天皇制」とは以下のようなものであると結論付けています。

天皇とは、結局、都の情報の象徴だったのである。吉田氏が、いみじくも「天皇を核とし、摂政・関白・院(上皇)、征夷大将軍などがその権力を代行する」と称したように、生々しい権力はむしろ、他の存在に代行される。それは、究極の調停者としての宿命であったと思う。調停者に求められるのは、権力ではなく、権威だからである。天皇制は、生の権力としては、最初から存在してはいなかったのである。究極の調停者であること、常にバランスの上にあり直接大地に接しないこと、これが天皇制の宿命である。その限りにおいて、天皇制は永続すると思う。その意味で、天皇制は日本そのものだからである。
『聖徳太子と日本人』p.219~220

吉田氏の「天皇を核とし、摂政・関白・院(上皇)、征夷大将軍などがその権力を代行する」という天皇観は、今までに多くの書籍などで目にしてきた天皇観であり、基本的に大山氏の天皇観と私の天皇観はほとんど重なっていると言えるでしょう。私は世界を3年間にわたって放浪してきた人間ですが、旅立つ前に父と色々と語り合った日が幾日かあり、ある日「日本人にとっての天皇制とは何なのだろう」と父に尋ねたことがありました。その時の父は「天皇がいなければ、日本はまとまらない」といった旨のこと述べていたことが記憶に残ります。そして、大山氏の以下の言葉も父か言わんとしていたことと重なっていることに改めて気づかされたのでした。

天皇制こそ、日本そのものであり、日本を理解する最大の鍵だと思っている。簡単に言えば、もって生まれた日本人の身体のようなものである。好むと好まざるとに関わりなく、自分自身なのである。過度に肯定するのも、否定的になるのもよくない。冷静に観察し、より高度に超越すべきであろう。
『聖徳太子と日本人』(大山誠一著 角川ソフィア文庫)p.399~401

最後に、蛇足ながら天皇制と『否定できない日本』(文春新書)を著した関岡英之氏について言及しておきましょう。「二一世紀の今日、高天原と天孫降臨は、もう誰も信じていないのだから、残った万世一系に関しても、そろそろ、不比等の呪縛を解き放つ時期がきたのではなかろうか」(『聖徳太子と日本人』p.247)という大山氏の忠告にも拘わらず、天皇制を「過度に肯定」しているのが『否定できない日本』(文春新書)を著した関岡英之氏です。関岡氏の『否定できない日本』を読んだ当時の私は「久々に日本に本物の憂国の士が登場した」と喜んだものでした。ただ、直後に購読して読んだ同氏の『なんじ自身のために泣け』は、アマゾンで高く評価されていたので取り寄せてみたものの、三年間の放浪生活を体験した私の目から見れば高評価に値するような本ではなく、単なる旅行記だったので一読後はゴミとして捨ています。その後、講談社から『奪われる日本』という本を出したというので取り寄せて読み進めたところ、出だしはなかなか良い本だったのですが、同書の第三部「皇室の伝統を守れ!」まて読み進めた私は唖然としたのでした。以下は同書からの引用です。

記紀の記述に基づく初代神武天皇から数えて二千年以上、歴史上の実存としても少なくとも千五百年有余も、単一の家系・血統を維持してきたという王室は世界に比類がない。万世一系というのは比喩でも誇張でもなんでもなく、まさに文字通り古今無双、唯一無二のかけがえのない存在なのである」
『奪われる日本』(関岡英之著 講談社現代新書)p.169~170

依然として万世一系という神話を信じている人たちが多いということは知っていますが、『否定できない日本』(文春新書)を著した関岡英之氏のような人までが万世一系を信じているのかと最初目にした時は驚きました。しかし、よくよく考えてみれば、『否定できない日本』にせよ『奪われる日本』にせよ、インフォメーションレベルに留まっている本にすぎないのであり、決してインテリジェンスのレベルの本でではないという当たり前の事実に改めて気づいたのです。関岡氏は、「万世一系という論理は、697年に、自分たちの子孫を天皇にしたい持統と藤原不比等が作ったものである。それ以前はなかったのである」(『聖徳太子と日本人』p.245)という大山氏の言葉を噛みしめる必要があります。

次回は『日本書紀』の編纂の中枢にいった藤原不比等という人物について筆を進めていきたいと思います。

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2007年4月 8日 (日)

『日本書紀』

B070408 『日本書紀』は、日本人なら誰もが知っている古典ですが、そのわりには全巻に目を通した人の話は余り耳にしませんし、私もそんな一人でした。ところが最近、その『日本書紀』で確認したい箇所が次々に出てきたので、そろそろ手許に置いても良い時期だと思い、アマゾンで同書を探してみたことがあります。幾つかあった『日本書紀』の中で、宇治谷孟が口語訳した『日本書紀』(講談社学術文庫)が良さそうに見えたので、早速アマゾンのショッピングカートに入れ、続いて[注文ボタン]をクリックしようとした時、ふと思って日本の古典を並べた書架に目を向けると、『日本書紀 上・下巻』(宇治谷孟訳 講談社学術文庫) が目に飛び込んできたのでした。5年前ほどに購入していたのをすっかり忘れていたのです。現在、同書を寝室のベッドの横に積み、就寝前に他の古典や数多くの書籍と並行して少しずつ読み進めているところです。ちなみに、並行して読み進めている他の古典は、『六韜』(林富士馬訳 中公文庫)、『三略』(真鍋呉夫訳 中公文庫)、『抱朴子・列仙伝・神仙伝・山海経』(葛洪他訳、平凡社)です。その他古典以外の書籍も並行して読み進めていて、いずれ書評に取り上げたい本が多いのですが、今回は『日本書紀』と関連して読み進めた書籍のみに絞り、シリーズの形で数冊取り上げていきたいと思います。

ここで『日本書紀』の話題に戻りますが、ここ半月ほどにかけての私の読書傾向は正に『日本書紀』を軸にしたものであり、『日本書紀』に関連したさまざまな書籍を漁りながら思ったことは、『日本書紀』は一種の“踏み絵”だということでした。つまり、『日本書紀』をどのように捉えているかによって、その人の思想が浮き彫りになるということです。何故なら、『日本書紀』の行間には日本のタブーが至る所に隠されているからであり、その日本のタブーを何処まで炙り出せるか、炙り出したら何処までそのタブーを受け容れることができるかは、その人の持つ思想なり人生体験によって異なってくるのではないでしょうか。

以上の点を踏まえ、『日本書紀』とは何か、『日本書紀』に隠された日本のタブーとは何かといった点を中心に、支障のない範囲で筆を進めていきたいと思います。ご参考までに、今後予定している『日本書紀』関連のテーマは以下のとおりです。

第一回・『聖徳太子と日本人』(大山誠一著 角川ソフィア文庫)
天皇制とは何か、架空の人物・聖徳太子を創った『日本書紀』、『日本書紀』編纂の中心人物であった藤原不比等など

第二回・『覇王 不比等』全三巻(黒須紀一郎著 作品社)
『日本書紀』編纂を行った藤原不比等の正体、『六韜』、『三略』など

第三回・『役小角』全三巻(黒須紀一郎著 作品社)
里と山と、空海、『抱朴子』、その他

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2007年4月 2日 (月)

『月に響く笛 耐震偽装』

B070402 『月に響く笛 耐震偽装』は、発売後直ちにイマイルに発注して取り寄せた本でした。仕事が忙しかったこともあり、また他の本と並行して読み進めていたため、読了するまでに大分時間がかかりました。そして漸く読み終えてつくづく思ったことは、藤田氏が中国古代の兵法書である『孫子』か『六韜』に多少でも精通していたら、今回の耐震偽装事件は違った展開を見せたかもしれないということでした。同書を読む限り、藤田氏が直接相手にしたのは官僚や大手マスコミだったのですが、実はその背後に目に見えぬ本当の敵がいたのです。

本当の敵については後述するとして、最初に耐震偽装とはどのような性格の事件だったのかについて述べてた箇所を同書から引用しておきましょう。

問題の根源は、構造計算プログラムの評価と認定そのものにあったのだ。認定をした国土交通省と、事前の評定を行った日本建築センター、この両者が偽装問題をもたらした原因を作っていた

『月に響く笛 耐震偽装』(藤田東吾著 イマイル)p.174

私も最初はそうでしたが、上記の簡単な引用だけでは、何故全ての悪の根源が国土交通省と日本建築センターにあったと藤田氏が主張するのかピンと来ないと思います。よって、ここは是非同書に目を通すことをお薦めします。ともあれ、さらに同書を読み進めていくうちに藤田氏の以下の言葉に出会い、深い共鳴を覚えたのでした。

日本が真の意味で「法治国家」になる為にも、この耐震偽装事件の真実は白日の下に晒されて、誰が悪いのかを明らかにし、遺族と被害者の前に謝罪をさせ、償いの機会を与えなければならない。それが、日本国民としての一人一人の義務なのだ。

『月に響く笛 耐震偽装』(藤田東吾著 イマイル)p.344

上述のような藤田氏の姿勢は、官僚や大手マスコミについて言及している箇所にも如実に現れています。

 僕は、この次官発表を聞き唖然とした。親御子供の首を絞めて殺した。子供が素直に悪い人の行いを見つけて報告したら、親はその人たちを咎めるのではなく、発見したお前が悪いと言って、自分の子供の首を後ろから突然諦め殺した。薄まる意識の中で光が闇に変化する中でも、子供は親を信じて愛する気持ちは失われないことを、手に力を加える親は感じようともしなかった。僕は正直、国土交通省に対してそう思った。

 今となっては憎しみも消えたが、当時の建設指導課、いや国土交通省の北側一雄大臣、佐藤信秋事務次官、山本繁太郎住宅課長、小川富吉課長、他課長は、公務員としての原罪を背負ったと思う。自覚する繊細さも既に失われているかもしれないが、罪は歴史に刻まれた。国民への奉仕の精神を捨てて、利権構造を死守することに自分達の魂を葬った。必ず罪を贖わなければいけない時が来る。

『月に響く笛 耐震偽装』(藤田東吾著 イマイル)p.82~83

 僕は、この事件を経験するまでは、自分に利害関係が生じないような、記事や報道は鵜呑みにしていたと思う。今、それは間違っていたと実感している。全てに穿った眼差しを注げというのではない。正しく見ようとし、考えようとする姿勢を、取り戻しただけだ。この事件の体験に従えば、渡辺恒雄も、読売新聞の記者も、リアルタイムの笛吹雅子も、河上和雄も、そしてテリー伊藤も、報道番組に出る者の資格があるかどうか。たとえ彼らが他の局面では評価を得ている人達だとしても、耐震偽装に関しては、羊頭狗肉であったと思わざるを得ない。

『月に響く笛 耐震偽装』(藤田東吾著 イマイル)p.377~378

このような藤田氏ですから、小泉首相(当時)にメールを発信したという下りを読んだ時も驚きはしませんでした。しかし、余りにも小泉純一郎という人間の正体を知らなすぎる人の言葉です。ご参考までに、藤田氏が小泉に送信したというメールは以下のような内容でした。

2006・3・15 12:02
差出人:
宛先:
内閣総理大臣 小泉純一郎様


私はイーホームズという会社を経営する藤田東吾と申します。
今般、大きな社会問題となった耐震偽装事件を世に公表した者です。
この事件が建築業界を揺るがし、住民や日本国民が建築や建築行政に対する信頼を低下させてしまったことを建築行政に携わる民間機関の代表者として深く反省しております。小泉首相にもご面倒をおかけしていること深くお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。
私は、この事件をなぜ公表したのかを小泉首相にお伝えしたくてメール致しました。
私は、民間開放によって、この業界の先駆者として業務を続けてきた誇りと使命感を持ってこの事件を世に公表しました。この事件が民間開放以前から、建築業界の闇の部分として一部の者達によって行われてきた事実。確一認検査制度や大臣認定プログラム制度の不備や盲点を突いた犯罪が繰り返されてきたことを見過ごすわけにはいかなっかのです。私は、民間の指定機関だからこそ公表できたと考えています。この公表によって耐震偽装事件が二度と生じない法改正が行われるなら大きな民間開放の成果です。
次のようなことを言う人もいます。公表したのは青すぎたのではないか?行政などなら発覚しても表に出さなかったのではないか?確かに旧態依然の社会であるならそうした通念がまかり通っていたかも知れません。私は、二十一世紀の日本はそんな時代であってはいけないと思います。間違ったものを間違ったものと指摘し情報公開できる社会でなければなりません。耐震偽装のような人の命や財産を無視した不法行為を世に問うことができなければ、プロ集団としての民間指定機関の意義と誇りを失うことになります。私は社会正義を持って公表したことに一切の迷いはありません。耐震偽装事件を世に公表してから五ヶ月近い時が経過しました。現在、会社には技術職を中心とする一三〇名の社員が誇りを持って仕事をしています。私どもは第一公表者でありながら一部の報道等によって傷ついた信頼と業績を一刻も早く回復し、この社会的意義のある事業を日本の為に続けていかねばなりません。私はそう信じております。
小泉首相、私はこの事件を世に問い、正すことができたのは行政改革、民間開放の大きな成果だと信じでいます。この思いをお伝えしたくメール致しました。公務ご多忙の中お時間をとらせてしまうことお許しください。深く感謝申し上げます。

イーホームズ株式会社 eHomes Inc. 代表取締役 藤田東吾
東京都新宿区南元町八番地多士ビル

『月に響く笛 耐震偽装』(藤田東吾著 イマイル)p.399~401

藤原肇氏の『小泉純一郎と日本の病理』(光文社)および同書の英語版『Japan's Zombie Politics』(Creation Culture Co., Ltd. Publishing)、松田賢弥氏の『無情の宰相 小泉純一郎』(講談社+α文庫)などに目を通してきた人たちであれば、小泉前首相に上記のようなメールを送信した藤田氏に対して唖然とする他はないであろうし、孫子の「敵を知り己を知らば百戦危うからず」という教えが咄嗟に脳裏に浮かんだ人たちも多かったのではないでしょうか。「僕は、マスコミとは真実を伝えるのが仕事だと思っていた」(『月に響く笛 耐震偽装』p.366)という藤田氏は余りにもナイーブすぎました。

さらに付言するとすれば、藤田氏は最近注目されている関岡英之氏の一連の著書に目を通すべきでした。特に『拒否できない日本』(初版が平成16年(2004年)4月20日であり、耐震偽装事件前に発行された本)は、日本人に「年次改革要望書」の存在を広く世に知らしめただけではなく、1998年6月に建築基準法が全面的に改正された背景も具体的に教えてくれる好著です。今回の耐震偽装事件に直接的にも間接的にも関与してくる、建築基準法の全面的改正についての詳細は同書に譲るとして、今回の耐震偽装事件を引き起こした真の黒幕は、第一にアメリカ政府、さらには小泉前首相および竹中平蔵といった取り巻き連中なのです。アメリカに言われるままに官から民へという名の規制緩和を推し進めてきた小泉純一郎の責任は非常に重いと言わざるを得ません。それ以上に、日本人としての誇りに傷をつけたことは永遠に消すことのできぬ汚点として歴史に残るのです。ここで、小泉純一郎という人間の正体を知りたい読者は、『Japan's Zombie Politics』(Creation Culture Co., Ltd. Publishing)をお薦めします。同書は『小泉純一郎と日本の病理』(光文社)の翻訳版という形を取りますが、著者の藤原氏に言わせれば「内容的には日本語版に較べて、少なくとも百倍は良くなったと確信しており、自分の言葉と思想を取り戻せたと思います」という内容なので是非一読ください。
 英語版Japan's Zombie Politicsの出版について

なお、同書の前書き、目次、後書きも以下のURLに転載してあるので、一度目を通すと良いでしょう。
Japan's Zombie Politics

追伸】規制緩和と耐震偽装の関係については、SENKIというウェブ新聞を一読ください。
 小泉「改革」のツケが回ってきた コスト優先が招いた耐震偽装事件

【追伸2】上記のテーマから外れますが、以下の灰色の囲みは『月に響く笛 耐震偽装』の中でも深く共鳴した箇所の一つだったので転記しておきます。

 新宿支店の立入検査に立ち会っている際中に、24日の朝から行方不明になっていた森田氏の乗り捨てた車が茅ヶ崎市で発見されたとニュースが流れた。森田氏は翌26日土曜日に遺体となって稲村ガ崎の海岸で発見される。偽装事件を取り巻く奥行きは深く広がるばかりだった。
 発見と同時に警察は即座に自殺と断定した。「何故簡単に決めてしまうのか」と不思議に思ったが、年が明けて1月に沖縄でHS証券の野口氏が遺体となって発見され自殺と警察が断定した時には、もっと「何故」という気持ちが強かった。僕は一回しか会ったことのない森田氏より、数回の対面とフランクな会話をした野口氏の方をよく知っていたからだ。
 野口氏はイーホームズの株式公開に関しては、幹事証券に参加しようと来社していた。また、異業種交流会でもお会いしたともあり、自殺を簡単にするような人ではなかった。というよりできない人だ。独り身ならまだしも、小さな子供がいる父親が、たとえ厭世の気持ちがあったとしても、いざとなったら自殺なぞ実行できるものではない。子供の父親が自殺したと生涯烙印をさせてよいと思う親であるわけがない。僕自身深く深く実感するところだ。森田氏にもお嬢さんがいると聞く。僕は「耐震偽装」によって、この時点では命の被害は住民の誰においても生じていないのだから、森田氏が自殺する理由が考えられなかった。勝手に、自殺の理由を考えたのは警察とマスコミだ。堕落しきった日本のマスメディアは、一体、何を目的に存在しているのだと憤りを感じるばかりだった。
『月に響く笛 耐震偽装』(藤田東吾著 イマイル)p.330

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2007年2月22日 (木)

耐震偽装

本日の東京新聞に一ページの三分の一を使った『耐震偽装』(藤田東吾著 イマイル)の広告が掲載されましたので、スキャンして先ほどアップしました。4月頃に本業が一段落した頃、同書の書評を本ブログにアップしたいと考えています。
http://www.nextftp.com/tamailab/etc/togo_fujita.htm

サムライ拝

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2005年10月30日 (日)

『小泉純一郎と日本の病理』

b051030 私が開設しているホームページ【宇宙巡礼】で取り上げている在米の藤原肇氏の本が、『小泉純一郎と日本の病理』と題して光文社ペーパーバックスより発行されました。今朝の段階でアマゾンでの売上は第16位です。以下はメールマガジン【日本脱藩のすすめ】で読者にお知らせした『小泉純一郎と日本の病理』の案内です。

********************************************************************

              日本脱藩のすすめ  臨時増刊号
                
              『小泉純一郎と日本の病理』

                                                          2005/10/29
********************************************************************



■■■ 『小泉純一郎と日本の病理』
■■■ 
■■■ http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/books/

 一年ぶりに、藤原肇博士の新書が発売されましたのでお知らせ致します。
数日前もアマゾンの売上ランキングで120位近くまでいきましたが、それ
だけ多くの人たちに注目されていることが分かります。しかし、鹿砦社社長
松岡利康氏の逮捕・長期勾留が物語るように、昨今における権力側の締め付
けが厳しさを増しており、今回の新書『小泉純一郎と日本の病理』も、いつ
発行禁止になるか予断を許さない情勢です。よって、万一のことを考え、心
ある読者は今のうちに入手されておくことをお勧めします。なお、同書に目
を通した読者の一人から同書の書評が届きましたので、本人の了解を得た上
で以下に転載します。


◆◆ 「うっかり一票、すっかりゾンビ」に対する頂門の一針
◆◆ 一目山隋徳寺

 構造地質学のプロとして地球の診断医であるだけでなく、同時にメタサイ
エンティストであり、歴史学徒でもある著者は、既に4半世紀にわたり数多
くの著書で、我々に日本の亡国現象を指摘し、それに対する深いダイアグノ
シス(診断)を明示し続けてきた。

 しかし、私を含め、日本の若い世代はその的確な診断書の数々を日本がか
かった業病の治療作業に活かしきる力を持たず、その努力も怠ったため、日
本はついに病膏肓に入り「腐」から「死」に至って、ついには国民が911
選挙において小泉首相に大権を付与するところにまで立ち至ってしまってい
る。

 本書はペーパーバックス・スタイルの手頃な書籍であるが、一読すれば、
ただでさえ大きな変動が予想される世界のなかで、我々がこれから祖国日本
において、いかにとんでもない時代を生きることになったかが深く感得でき
る力強い内容と情報を持った書である。そして、本書を読めば、開いてしま
った地獄の釜の蓋をいかに速やかに閉じるかに叡智を絞ってとりくまなけれ
ばならないということが身にしみて理解されるはずである。

 不幸中の幸いと言えるのは、著者が、国民が911選挙の結果を眺めて、
自分たちは過ちを犯したのではないかとはたと反省する絶妙のタイミングを
捉えて、このインパクトあふれる『小泉純一郎と日本の病理』を世に出し、
ゾンビ達に支配されて前後不覚の死に体に陥った日本に頂門の一針を叩き込
んでくれたことである。

 願わくは、少しでも多くの人が本書を手に取り、その頂門の一針の衝撃を
分かち合い、「ゾンビ政治」と「賎民資本主義」による政・官・財・宗と闇
社会の構造的癒着と腐敗・暴走を阻み、人材の枯渇、教育の荒廃を改めよう
とする決意を共有して、自ら本気で目を開き、目を覚す契機としてほしいも
のである。

 小泉政権が今後の日本と日本人をどこへ導いていくのか?に対する著者の
答えはP294に端的に記されているが、それが誇張や脅しではないことは、本
書を読み終えた者は戦慄をもって感得することであろう。 

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2005年10月24日 (月)

『新石油文明論』

b051024 今秋開催予定の脱藩道場総会に、『新石油文明論』(槌田敦著 農山漁村文化協会)が取り上げられることになり、参加する予定の私は早速オンライン書店に発注をかけました。そして、数日後に届いた同書を一気に読了したのですが、久々に読み応えのある本に出会ったなという幸せな気分に包まれた次第です。以下、例によって印象的に残った個所を一部列記しておきましょう。

 ところで、自然科学者や経済学者が、地球環境や社会について的確に対応できないそもそもの原因は、それらの学問の基礎となる物理学の現状にある。現在の物理学には、孤立した系または平衡状態にある系、つまり物質やエネルギーが出入りしない物質系を論ずる熱力学しか存在しない。このような孤立・平衡系の熱力学では、物質やエネルギーの出入りする生命や人間社会を含む現実の世界が理解できるわけがない。
 そこで、基本に戻って、物質やエネルギーの出入りする開放系の熱物理学を新しく構築することとした。この開放系の熱物理学なら、活動維持、いわゆる持続可能性の条件が得られる。それは、入力出力物質循環複合循環、そして遷移の5つの条件から成り立つ。
『新石油文明論』p.2

ここで述べられている「開放系の熱物理学」は、同書の白眉とも云うべき画期的な概念です。槌田氏の説く「開放系の熱物理学」については、同書にじっくりと目を通して理解するのも良いでしょうし、直ぐにも「開放系の熱物理学」について知りたいというのであれば、以下の図サイトを訪問してください。
『環境問題』を考える

ご参考までに、以下は「開放系の熱物理学」の図です。

circulation01
物質系が活動を維持するための条件

この図は、私たちにとって身近な車のエンジンや飛行機のエンジンの全行程を、今まで見慣れたピストンリングの図を使わずに、別の観点から図示したものであり、この図に「開放系の熱物理学」の基本概念が凝縮されているのです。同書ではそのあたりを以下のように述べています。

 「エントロピーは発生するばかりで、消滅することはなく、エントロピーが溜まれば活動は止まってしまうと熱物理学は教えている。しかし、活動を維持する不思議な物質系が存在する。それはエンジン(生命を含む)である。
『新石油文明論』p.89

詳しい解説は同書に譲るとして、槌田氏の説く「開放系の熱物理学」は、今まで私たちが抱いていたエントロピーの固定概念を打ち破ってくれるだけではなく、エンジンに限らず、生命、人間の諸活動、社会、さらには地球、宇宙の活動も上図に当てはまることも教えてくれるのです。そして、ここで云う“諸活動”が、本ブログでも取り上げたことのあるホロコスミックス(宇宙システムを構成する多次元構造を示すの図)に行き着いたのは、私にとって自然な成り行きでした。

ともあれ、御用学者の多いご時世で、世の中の間違った常識に囚われることなく、己れの信じるところを貫くというのは並大抵ではなく、その点からも私は槌田氏の姿勢に心を打たれのでした。その槌田氏の著した書籍ですから、私が考えていたこと一致することが多いのも決して偶然ではないのでしょう。例えば、現在は地球温暖化で騒いでいますが、私は逆に近い将来において地球は寒冷化するのではと思っていただけに、槌田氏も同意見であることを知って我が意を得たりと思ったのです。

その他、原発が無駄な代物であるという点についても槌田氏と意見の一致を見ています。槌田氏の場合、原発について以下のように厳しく糾弾しています。

 …原発の運転続行は、人類の遺伝子の破壊を進め、人類の安全を脅かす重大犯罪である。
『新石油文明論』p.27

原発について言及するにあたり、槌田氏は過去勃発した代表的な原発事故についても述べています。すなわち、・ウィンズケール原発事故、・スリーマイル原発事故、・チェルノブイリ原発事故、・美浜原発事故の四つの代表的な原発事故です。中でも、尤も深刻だったのが日本で発生した美浜原発事故だったというのですから、驚く他はありません。詳しくは同書の25ページを読んで頂くとして、美浜原発事故をはじめとする過去の原発事故が、大惨事にならずに“軽傷”で済んだのも、人類にとっては非常にラッキーだったと云えそうです。(チェルノブイリ原発事故は大変な事故だったのではないか、という声が聞こえてきそうですが、あの程度の事故で済んだのは人類にとって幸いだったとしか言いようがないと、同書を読めば理解していただけるでしょう)

それでも、同書を読み進めていくなかで、今まで常識と思っていたこと、正しいと思っていたことが間違いであったことを槌田氏に指摘され、愕然とした私でした。斯様に、“世の中の常識”を信じ込むことの怖さを思い知らされたのであり、以下はそのような下りの一例です。

 南極のオゾンホールはフロンが原因ではない。オゾンの少ない高層成層圏の大気がオゾンの多い南極の低層成層圏に流れこんだから生じたのである。温暖化論にしてもオゾンホール論にしても、本文中で述べる政治や企業の利益と結びついており、最近の自然科学者はこれらの代弁者に成り果てている。
『新石油文明論』p.1

私は半導体業界で計13年仕事をしてきた人間です。半導体の関係者ならご存じの通り、かつては半導体製造においてフロンは不可欠でした。フロンを大量に使用する半導体製造装置のセールスマンとして、私はヨーロッパ・アジア諸国を飛び回り、売り込んでいた人間だっただけに、フロンによるオゾン層破壊のニュースを耳にするたびに肩身の狭い思いをしてきたものです。それだけに、槌田氏の「南極のオゾンホールはフロンが原因ではない」という下りを読み、安堵したというよりは唖然としてしまったのでした。ここに、世の中の噂、より具体的には大手マスコミが流すニュースを鵜呑みにすることの怖さを、改めて痛切に思い知らされたのでした。

また、メールマガジン【日本脱藩のすすめ】の何処かに「21世紀の最大の課題は、環境問題である」と私は書いたことがあります。槌田氏も環境面での最大の問題点が寒冷化と砂漠化であるとズバリ指摘しているのであり、さらには砂漠化の犯人は自由貿易であると明確な論理で以て語っておられた下りも印象に残ります。

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2005年10月11日 (火)

『教育の原点を考える』 最終章

b050615先ほど、『教育の原点を考える』の最終章「学問をすることと人間」をアップしましたのでお知らせ致しします。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/edu/edu.htm

以下は、第Ⅴ章の中で特に印象に残った下りです。

藤原肇 福沢諭吉は徳川藩という小さな枠組を脱藩した日本人なんです。だから、ぼくは『日本脱藩のすすめ』という本を出版した時、はるか百年昔に書かれた『学問のすすめ』をしみじみと思い出しました。日本脱藩をすることは学問をすることと意味が同じだからです。

藤原氏の「日本脱藩をすることは学問をすることと意味が同じ」という発言を読み、咄嗟に現在某コンサルティング会社に毎月投稿している「世界放浪の旅」を思い出したことでした。

早川聖 現在の若い世代やこれから日本に生れてくる世代の将来について考えるなら、明治以来の日本の教育の歴史の中にはっきりと読み取れる通り、この国ではボヤボヤしていると、とんでもない方向に子供たちを連れて行くために、教育を通じて洗脳しようとする一派がいると声を大にして警告せざるを得ません。

早川聖氏が心配していたことが、だんだんと現実的なものになりつつあることは、私が過日の『暗黒日記』でも述べたとおりです。論より証拠、9・11選挙結果を読めば日本は間違いなくかつて来た道に再び戻りつつあることが分かります。

松崎弘文 そのラテン語がフランス語とドイツ語を経由して、ケルト語と入り混って英語になったのだし、その英語がアメリカという植民地でさらに世界語への一歩を踏み出す。そして今度は日本語、スペイン語、中国語、朝鮮語、インドネシア語の要素をとりこみながら、太平洋語化していくならば、日本にはこれまで英語を第一外国語として教えて来たべースもある。だから、日本の教育システムをその方向で新路線にのせるのは急務です。

松崎氏の発言を読み、メールマガジン【日本脱藩のすすめ】第24号に「パシフィカル語」と題する記事を書いたことを思い出しました。また、同メールマガジンの第62号で「言葉 過去と未来(1)」と題する言葉に関する記事を載せています。関心のある方は併せて一読ください。

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2005年9月30日 (金)

本ブログの今後について

m022 6月12日にブログをスタートしてから、早いもので今日で3ヶ月半が経ちました。その間の体験により、ブログとはどういうものか良く分かりましたので、掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】を将来“改装”してブログ化する際に、今回の体験を十分に生かしたいと考えてます。なお、『教育の原点を考える』の電子化も、電子化プロジェクトメンバーの一人、相良さんが最終章のチェックを行っている最中であり、まもなくアップできると思いますので暫くお待ち願います。ともあれ、以前から再三お伝えしてきましたように、3ヵ月半にわたって教育を主テーマに毎日書き続けてきた本ブログの更新は、明日の10月1日以降からは不定期となるものの、今すぐに閉鎖するというわけではなく、当面は不定期更新を続けながら残しておきたいと思いますが、将来においてブログ版「藤原肇宇宙巡礼」が開設された場合、本ブログの閉鎖を視野に入れています。

3ヶ月半にわたってブログを毎日書き続けることが可能だったは、過去において書き連ねてきた私自身の原稿、地質学者の藤原肇氏をはじめとする大勢の先達の原稿の一部を編集し、それに一言二言個人のコメントを付け加えた形ものを数多く投稿してきたことにより、毎日の更新が可能だったと云えると思います。しかし、そうした過去の“原稿”、特に私自身の“原稿”がそろそろ無くなりかけたのが、更新が不定期になる大きな理由の一つです。また、8月の下旬に久しぶりの映画の台本の翻訳が入り、ブログに向かう時間がほとんど取れないという時期がありましたが、その時は苦し紛れに過去の“原稿”を引っ張り出してきて、10回シリーズにわたる「フルベッキ写真」を流したのですが、今から振り返るに怪我の功名だったと思います。何故なら、フルベッキ写真シリーズを通じ、高橋さんをはじめとする多くの人たちと知り合うことができたからです。

ともあれ、この3ヵ月半で過去の原稿を中心に大分“放電”(ブログへの投稿)してきましたので、ここ暫くは仕事と教育を中心に、残りの時間を“充電”(読書、セミナー参加等)にあてていく予定です。それでも気が向けばブログに書くことがあろうかと思いますので、忘れかけたころにご訪問ください。その意味で、ブログ【教育の原点を考える】を今後も宜しくお願い申し上げます。ご参考までに、本ブログの各カタログについては、今後は以下のように取り扱う予定です。

【教育】…既に 「暗黒日記」にて定義した教育について、今後も書き続けていきたいと思います。何となれば、教育こそ国の根幹だからです。
【エネルギー】…毎月、某組織のエネルギー関連の記事の翻訳を担当していることもあり、20世紀を動かしてきた石油文明から、21世紀を動かしていくであろう情報文明にスムーズに移行するための道標になればと願いつつ、筆を進めていく所存です。
【フルベッキ】…その後、高橋先生が精力的にフルベッキ写真についての調査を根気よく続けておられ、その後も時折戴く報告メールに書かれた新しい発見に目を見張ることがしばしばです。高橋さんに頼んで、フルベッキ写真について調査のまとめをお願いしている最中です。
【書籍・雑誌】…過日、某官庁に勤める弟と本のことで話し合った際、「忙しいので月に一冊がせいぜい」と言っていました。私の場合はフリーランスであることからまとまった時間も取れることもあり、同年代と較べて割と書籍を良く読む方だと思いますので、今後もこれはと思う書籍を順次皆様に紹介していくつもりです。
【経済・政治・国際 】…今後もブログに書いても支障の出ない範囲で書き続けます。過日の9・11選挙の正体のように、タイムリーな話題を取り上げていくかと思えば、大久保利通などのように過去の政治家や財界人を取り上げることもあります。
【翻訳】一人の翻訳者として、翻訳の仕事そのもの以外に、翻訳ビジネスあるいは翻訳の将来についても関心がありますので、今後も時々翻訳についての情報を流していくつもりです。

最後に、今後は不定期になるのにもかかわらず、上記のカテゴリー以外に新たなカテゴリー【フリーメーソン】を設けることにしました。本ブログでも時折フリーメーソンについて書き連ねてきましたが、このテーマは非常に重要なテーマであるだけでなく、現在の私たちの生活は無論のこと、21世紀を生きる人たちの行動・思考様式に大なり小なりの影響をもたらすであろうことは必定であることから、新たにカテゴリーとして独立させることにしたものです。今月は20日あたりまでバタバタしていますが、それ以降にでもフリーメーソンについての第一弾を書く予定です。

今度もブログ【教育の原点を考える】を宜しくお願い申し上げます。

1998年9月30日にサラリーマンを辞め、今日でちょうど7年目のサムライ拝

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
 散歩コースの里山では手入れが行き届かなくなり、ミドリヒョウモンを見かけることが少なくなりました。それではと、手入れがされている里山に足を伸ばしたところ、いました、いました。(むうじんさん)

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2005年9月26日 (月)

『丸山真男 音楽の対話』

b050926 昨日に引き続き、アマゾンドットコムに『丸山真男 音楽の対話』の書評を書いたことを思い出したので、この機会に転載しておきたいと思います。

生まれながらにして名著の地位を約束された本

 『丸山真男 音楽の対話』は、下手な音楽のプロも足元に及ばぬほど音楽に造詣が深かった丸山眞男と音楽との関わりについて述べたものであり、丸山眞男の息遣いが伝わってくるような本である。特に以下の丸山の発言は強く筆者の印象に残る。

 「音楽という芸術のなかに『意志の力』を持ち込んだのはベートーヴェンです。『理想』と言ってもいい。人間全体、つまり人類の目標、理想を頭に描いて、〈響き〉=〈音響感覚〉でそれを追求し、表現する。凄まじい情熱ですね。これを『ロマンティック』と言わずして、他に何がありますか。『ロマン』は単なる情熱やセンチメンタリズムではない。人間の理想の追求が『ロマン』なのですから……。

『丸山真男 音楽の対話』(p.75)

 「音楽のなかに『意志の力』を持ち込んだベートーヴェン」という丸山の発言を目にした読者は、今までとは違った角度からベートーヴェンを聴くようになるのではないだろうか。まさに、「人間全体、つまり人類の目標、理想」という丸山の発言にあるように、ベートーヴェンは18世紀という時代精神の申し子であり、紛う方なきフリーメーソンであった。

 なお、今までに丸山眞男の一連の著書に目を通したことのある読者は既にお気づきの通り、丸山の著書群には執拗低音(バッソ・オスティナート)という音楽用語がたびたび登場する。この執拗低音は、丸山思想を真に理解するためのキーワードとされており、執拗低音とは何かということについて教えてくれるのが本書だと思う。したがって、本書は丸山の音楽に対する熱い思い、丸山の息遣い、人となりが伝わってくる本というだけではなく、真摯に丸山眞男の思想を追求したいという人にとっては欠かせぬ本なのである。その意味で、本書は生まれながらにして名著の地位を約束されたといっても過言ではない

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2005年9月25日 (日)

『ミトコンドリア・ミステリー』

b050925 2年ほど前に、アマゾン・ドットコムに『ミトコンドリア・ミステリー』(林純一著 講談社)についての書評を載せたことがあり、過日紹介した『究極の免疫力』と併せて読むと面白いだろうと考え、以下に当時の書評を再掲します。

ミトコンドリアについての一般知識を身につけたいというの入門者に対しては、『ミトコンドリアと生きる』(瀬名秀明・太田成男共著 角川書店)、あるいは『ミトコンドリアはどこからきたか 生命40億年を遡る』(黒岩常祥著 NHKブックス)などを紹介した方が本当は親切なのかもしれない。それでも敢えて本書をミトコンドリアに関心のある読者に推薦するのは、『ミトコンドリア・ミステリー』を通じて、筆者である林純一氏の研究者としての姿勢に、野武士的なものを読者に嗅ぎ取って欲しかったからである。ちなみに、筆者は『内臓が生みだす心』を著した西原克成博士のように、我が道を行く野武士的な生き方を貫く科学者に共感を覚える人間であることを告白しておく。

無論、『ミトコンドリア・ミステリー』から伝わってくるのは、林氏という一研究者の持つ清々しい生き様だけではない。林氏の研究が今後のミトコンドリアの研究に大きな影響を及ぼすことが予想されることから、そうした林氏の研究内容を知るだけでも一読の価値はあると思うのである。すなわち、ミトコンドリアDNAの突然変異のために癌になるというのが、従来のミトコンドリア研究者の説の主流を成していた。そうした従来説を林氏が完膚なまでに打ち砕き、ミトコンドリアDNAが癌の原因ではないことを実証してみせたのである。また、老化が起こるのはミトコンドリアのためと専ら信じられているが、この老化説も林氏は実験によって完全に否定しただけでなく、同時に「ミトコン ドリア連携説」という独特の林説を提唱されたのである。

ともあれ、科学の分野に限らず、日本という環境下では主流となっている説に異論を持ち出すのは非常に勇気の要ることであり、そのために干されることも少なくない。それでも敢えて自説を曲げず、従来の主流であった説を覆した林氏に心からの拍手を送りたい。

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2005年9月24日 (土)

九州で体験した奇妙な地上巡礼(下)

先週に引き続き、「九州で体験した奇妙な地上巡礼(下)」をアップしましたのでお知らせ致します。質問・意見などがあれば、掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】でお願い致します。

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2005年9月23日 (金)

中島敦

nakajima 日本文学に関心のある者なら、中島敦の作品を幾つか目にしているとことでしょう。過日紹介した『志に生きる!』(江口敏著 清流出版)でも、「軍国日本に彗星のごとく現れた早世の作家」と題して、以下のように中島敦が紹介されているのが印象に残ります。

中島敦

 中島敦の『弟子』『李陵』といった作品は、その質の高さからいって、普通なら作家が二、三十年の歳月をかけて辿り着く水準の作品です。しかもそれを彼は短期間のうちに、ほとんど一気呵成に書き上げている。これらの作品に描かれている清澄高雅な人間観や世界観、そして格調高く美しい文章を、呻吟しながら書いたのではなく、渾々と湧き出るように書いたところに、彼の天才作家としての真骨頂があるように思います。彼の作品の大きな特徴の一つは、中国の歴史に題材をとっていることですが、それは、彼が漢学者の家に生まれたというだけではありません。中国の歴史には、最近の天安門事件にも見られるように、実存的人間の極限状態がしばしば現れています。したがって、中島にとって中国の歴史は、人間・社会・自然のシビアーな緊張関係を描く上で、一つの宝庫だったに違いない。中国の歴史に題材をとることによって、現代の人間が直面する問題をより明確鮮明に描き出せたのだと思います。また、中島敦には〝引用の思想〟とでも言うべき考え方があります。近代文学は作家主体の〝我〟という問題に悩んできましたが、彼は〝我〟を捨てて、古典の中に描くべき世界をみつけた。『李陵』の中に『述而不作』(述べて作らず)という言葉がありますが、まさに彼の到達した作家としての姿勢がそうでした。これは、夏目漱石の〝則天去私〟にも通じる態度だと思います…

『志に生きる!』p326

b050923 私は二十代の頃は坂口安吾、檀一雄、今東光、柴田錬三郎などの無頼派の作家の作品を好んで読んでいた一時期がありました。今東光の本か柴田錬三郎の本か忘れましたが、漢文が得意なシバレン(柴田錬三郎)が中島敦にだけは漢文では敵わなかったと正直に告白しているのを読み、あれだけ漢文の素養のあるシバレンにして敵わないと言わしめた中島敦という人物を改めて見直したことでした。その中島敦の『弟子』『李陵』には25年前に接しているはずですが、その後再読した記憶はありません。数ヶ月前に時間があったので仕事部屋の本棚を整理していた時、中島敦の一連の作品を目にした記憶があったので、今でも仕事部屋の何処かに眠っているはずだと思って、時間の取れた一昨日、仕事部屋の大掃除をやりながら探してみたところ、角川文庫版の『李陵・弟子・名人伝』がありました。昔を思い出すようであり、近いうちに再読してみたいと思います。

ともあれ、中島敦の影響もあり、二十代の頃の私は中国古典を原典で読んでみたいと思い、中国語に挑戦したのですが、残念ながら結局中国語をモノにすることは出来ませんでした。しかし、その当時のカセットテープやテキストを今でも手許に残していますので、子どもたちが関心を持つようになれば譲ろうと思っています。また、私は【中国古典】というホームページを作成しています。ただ、7年も前に作り始めたホームページであるのにも拘わらず、未だに完成していないホームページでお恥ずかし限りです。

『志に生きる!』の中島敦編「軍国日本に彗星のごとく現れた早世の作家」を読んだ私は、手許にある『管子』、『十八史略』、『唐詩選』など、久しぶりに沢山の中国古典を紐解いてみたいという思いに駆られたことを此処に告白しておきます。

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2005年9月17日 (土)

九州で体験した奇妙な地上巡礼(中)

先週に引き続き、「九州で体験した奇妙な地上巡礼(中)」をアップしましたのでお知らせ致します。質問・意見などがあれば、掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】でお願い致します。

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2005年9月16日 (金)

『高島易断を創った男』

b050916 数日前に『陰陽道』(長原芳郎著 雄鶏社)について紹介しましたが、数ヶ月前に伊藤博文について調べていた折り、『高島易断を創った男』について掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】に投稿したのを思い出しました。投稿したのはスレッド「★近代日本とフルベッキ」であり、新島茂という人に『高島易断を創った男』を紹介してもらっています。私は直ちに同書を取り寄せ、スレッド「★近代日本とフルベッキ」に以下のような感想をアップしたのでした。

オンラインで発注した『高島易断を創った男』が本日宅急便で届きましたので、新島さんに教わった同書の最終章である第六章「国家の運命を占う」に早速目を通してみたところ、同書(p.181)の以下の記述目が止まりました。

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伊藤(博文)と会ってしばらく話した後、(高島)嘉右衛門は今度の満州行きを何とか中止できないかと持ちかけた。勘のいい伊藤はすぐに自分の満州行きに関して嘉右衛門の立てた易の結果が好ましいものではなかったことを察した。死を覚悟して旅立とうとしている伊藤は自分に易の結果を告げるように嘉右衛門を促した。
…中略…
今日に至るも伊藤の真の暗殺者が誰であったかは謎に包まれてたままであるが、嘉右衛門の易は見事に的中し。
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伊藤を暗殺した黒幕について、多少は推測が書いてあるかと思いましたが、結局同書には暗殺の背景については何も書いてはなかったものの、改めて易の神秘性を再認識した次第です。また、伊藤暗殺の占いに関するテーマ以外で、同書の中でも思わず息を呑んだのは、p.175の以下の下りでした。

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三十八年五月、バルチック艦隊がフランス領安南に停泊しているとき、嘉右衛門はウラジオストックに向かうバルチック艦隊の航路に日本海軍のこれに対する勝敗の機を占い、水沢節の初爻を得た。この卦を得た嘉右衛門は、日本海軍は本拠を動かず敵の艦隊の航路を知ることが出来ると解している。
…中略…
明治三十八年五月二十七日午後一時三十九分、日本海軍の連合艦隊は沖ノ島付近でバルチック艦隊を発見、東郷平八郎司令長官の考案した「丁字戦法」が功を奏して日本海軍が圧勝、バルチック艦隊は壊滅した。
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今まで、日本海軍がバルチック艦隊の航路をズバリ予測し、それを破ることが出来たのは、偏に東郷平八郎あるいは平八郎の側近(知謀)の優れた〝インテリジェンス〟とばかり思っていただけに、それが易であったとはあまりにも意外でした。同時に、ちょうど一年前に「人間の知識などは九牛の一毛」と語っておられた藤原博士、そして故今泉久雄さんが著した『易経の謎』(光文社)を思い出したことでした。今の私の気持ちは、同書のあとがきに書いてあった以下の記述で言い表せると思います。

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今日の日本を代表する数学者の一人、丹羽敏雄氏は、「世界は数値と物質だけで説明することは不可能で、宇宙の眼に見えない『霊』的な側面を認めなければならない」ということをはっきり断言されている。(『数学は世界を解明できるか』)
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易経を迷信と見るか真理と見るかで、その人の人間性なり器の大きさが窺い知れるというものです。

上記の私の投稿に対して、新島茂氏から以下のような返答が届いています。

36 名前: 新島茂 投稿日: 2005/04/16(土) 13:25:18
昭和32年に出ている紀藤元之助著「易聖高島嘉右衛門」という本にはこんな風に書かれています。長い引用文になって恐縮ですが、今この本は入手しにくいので、ご参考までに。紀藤さんは故人ですが、「実占研究」という雑誌を40年間大阪で発行していた易占家の方で、この本のもとになったのは易学研究という研究誌に昭和20年代より連載されていたのが纏められたものです。


…博文は春畝と号し書を良くし、嘉右衛門には易、繋辞伝の辞を特に書いてくれたりした。…いくたびか出た「高島易断」のうち伊藤は諸所に顔を出すが、その身上の占をしたことはあまり書かれていない。
伊藤が満州視察に赴いた頃の嘉右衛門は既に脚が悪く、その出発も挨拶に来た伊藤を寝床の上で見送ったくらいだし、三十九年以後は「高島易断」も増補や改訂を行っていないから、凶刃にたおれる伊藤の安否を占したことは掲載されていない。
「ぢゃァ行ってくる」そう云って立った博文に「気をつけてお出なせえ、易は艮為山の九三でしたよ」と嘉右衛門は云った。前に見ておいたのだが、あまり良い卦ではないので黙っているつもりだったが、やっぱり気に掛るので得卦の名だけ告げた。「ありがとう。其の背に艮まりて其の身を獲ず、其の庭に行きて其の人を見ずか」伊藤はこの運命的な彖辞を軽く口誦んで、嘉右衛門の病床を去った。卦というものは嘉右衛門のいう通り神の語学だ。繋辞伝に、「其の命を受くるや響の如く、遠近幽深有ること无く、遂に来物を知る」とある。嘉右衛門は自身の判断を告げなかったが、伊藤も遂にきかずに出かけた。
伊藤がいざ出発という夜急に停電した。ローソクよランプよと騒いだら、一番先に灯を点して来たのは岐阜提灯だった。凶事のあと「あれが予兆だったらしい」などと側近の間で語り合われたが、伊藤は出発の二、三週間前に嘉右衛門から得卦をきいてい、その夜は池上本門寺のお会式で熱狂的な法華太鼓が響いてくるのをきき、「法華の太鼓に送られて出かけるか」と呟いたという。彼は或いは死を予感していたのかもしれない。
「高島易断」の中の艮の九三は、「止塞開き難し。自ら事を設け意の如くならず、心痛の余り背筋凝結して卒倒するの象あり、門前にて怪我する象あり、屈伸を得ずして上下隔絶し、心安からざるの甚だしき意あり。此の爻変じて剥となる、将に落ちんとするの象、助けなきなり。党類の首長、其心堅固にして手段を尽くし、半途にして腰折るる象あり。」とある。
嘉右衛門及び博文が、この卦を見て果たしてこのままの占断をしたかどうかは不明だが、兇漢の名が安重根と云い、(根は艮と同音、同義即ち重根は艮為山である)
凶器を振るって刺殺したのだから、卦辞・爻辞そのままの状況だっと云える。

未だに伊藤暗殺事件には謎が多いのですが、それについて同じくIBDのウェブ機関誌『世界の海援隊』に伊藤暗殺について寄稿していますので、近日中に再掲したいと思います。

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2005年9月14日 (水)

『曼陀羅の人』

b050914 数日前、松岡正鋼の著した『空海の夢』をアップしましたが、藤原肇氏(地質学者・元オイル・ジオロジスト)が空海関連の書籍について比較していたのを覚えているでしょうか。

「空海の間脳幻想について」今年は空海が渡唐して1200年目だということもあり、空海について池口和尚との三回にわたる対談をまとめ終えた段階で、「性霊集」を読み直したいという気持ちになった。私は似たテーマの本を数冊ほど同時に読むという癖があり、今回は久しぶりにA「空海の夢」,B「空海の風景」,C「曼荼羅の人」を並列方式で読み、いわゆる直列方式から離れて読書を試みた。結論だけ書くとこれまでの評価はABCの順だったが、今回の並列方式の読書の結果はCABになったのであり、十数年前は「空海の夢」に強い印象を受けたので、「アメリカから日本の本を読む」にも書評したのだった。今回の再読を通じてCにはインテリジェンスの面白さを感じ、Bはあくまでもインフォメーションの本だと思い、Aはその中間だという印象を強くしたことが興味深かった。(このヒントを叩き台に議論が賑わって欲しい)

残念ながら、私は司馬遼太郎の『空海の風景』を読んだことはありませんが、陳舜臣の『曼陀羅の人』であれば10年ほど前に目を通しており、当時はワクワクしながら一気に読了したのを覚えています。その『曼陀羅の人』を最近再読した藤原氏は高く評価していますが、その理由として『曼陀羅の人』にはインテリジェンスの面白さがあり、『空海の風景』はインフォメーションだけの本である、と藤原氏は述べています。

私の場合、十代の頃から日本を飛び出し、今日に至るまで修業を積み重ねてきましたが、それは偏に「己れのインテリジェンスを高める」ための修業であったと云っても過言ではありません。このインテリジェンスは、言葉としては日本語の書籍などにも良く見受けられますが、インテリジェンスという概念を正しく伝えている書籍は皆無に近いのが実状です。そこで、5年ほど前のメールマガジン【日本脱藩のすすめ】で、インフォメーションとインテリジェンスの違いについて書かれた個所を、『インテリジェンス戦争の時代』から引用しているのを思い出したので参考までに以下に再掲しておきましょう。

 最初に知能。知能とは、寄せ集められ整理された情報、すなわちインフォメーションをそれぞれ関連づけながら、グループ化する能力を指します。言わば、インフォメーションの分析と統合です。これによって一次情報というインフォメーションの段階では隠れて見えなかったものが見えてくるようになり、全く新しい価値体系を得ることになるのです。この情報力を身につけるのが最初の目標です。
 次に知慧。これは、高度な専門的訓練を通して、初めて身につく情報力です。つまり、知慧とは、全体と部分の関係で分析と統合化を行なうと同時に評価を下すことによってプライオリティを決める能力、すなわち、総合したものを判断して評価出来る能力を指します。このレベルに達すると、実務経験を通して身につけた高度な判断力を駆使して、未知の要因を予測する推察力ないしは想像力が生まれてきます。
 最後に智慧。インテリジェンスの最高のレベルに相当するものです。このレベルに達している日本人はほとんどいないようです。それほど困難な智慧というレベルに達している日本人の一人である藤原さんの言葉を借り、智慧とはどのようなレベルなのか覗いてみましょう。
 「インテリジェンスの最上位において問われるのは、決断と指令における卓越した能力と、それを複雑な状況の中で使いこなす才能であり、豊かな経験と鋭い直観力に恵まれた人材が、天の時と地の利という状況を正しく判断して、決定を勇敢に実践することである。この段階ではわずか数人のトップの人材が、孤独の中で決断に関与することになるし、最終的な連帯責任を取ることになる。また、組織は常に階層構造で成り立っており、企業や政治機構の最高責任は一人のトップに集中し、その人間の人格の高潔さと品位が、インテリジェンスの真の価値を決定付ける。なぜならば、組織を統括する最高責任者の人間的な信用は、その人の理想や人生哲学の質に関わっており、その品格が説得力として機能するお蔭で、組織体の自己安定に貢献することになるし、仮に相対的に優位に立とうとする動機があっても、卑劣な取引や背信行為を相手に感じさせないのである。」(『インテリジェンス戦争の時代』p.9)

インテリジェンスを正しく理解するには、藤原肇氏の『インテリジェンス戦争の時代』の一読を皆さんにお勧めしたいのですが、残念ながら絶版ですので古本屋で探してもらうより他はありません。幸い、毎年春と秋に脱藩道場総会を都内で開催しており、藤原肇氏も参加者の一人として顔を出していますので、インテリジェンスとは何かと知るためにも実際に参加してみて、藤原肇氏からインテリジェンスについて直に吸収すると良いかもしれません。今秋は11月前後に開催を予定しており、掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】で案内を出しますので、参加希望者は案内を見落とさないようにしてください。大勢の皆様の参加を期待しています。

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2005年9月13日 (火)

『暗黒日記』

b050913 先日、本ブログで紹介した『志に生きる!』で、『暗黒日記』を著した清沢洌を取り上げています。その中で最も印象に残ったのは以下のくだりでした。

清沢洌 戦争への道に反対し続けた外交評論家

『暗黒日記』は国家最優先の統制主義、官僚主義に対する批判など、当時の日本社会の病理現象を見事に衝いているが、清沢が最も力説したかったことは教育問題だった。昭和20年2月16日の日記で清沢は、「教育の失敗だ。理想と教養がなく、ただ「技術」だけを取得した結果だ」と記し、日本が破局を迎えようとしている原因を教育に求めている。

『志に生きる!』p.115

今回紹介した岩波書店の『暗黒日記』は、本来の『暗黒日記』の全分量の三分の一のみを収録したものなので、残念ながら昭和20年2月16日付けの日記は割愛されています。それでも、“清沢思想”のエキスは満遍なく岩波書店の『暗黒日記』にも行き渡っていると思います。以下は例によって私が同書に赤線や青線を引いた個所の一部です。(『暗黒日記』の表紙の写真をクリックしてみてください。表紙に書かれた文章を読むことが出来ます)

この戦争において現れた最も大きな事実は、日本の教育の欠陥だ。信じ得ざるまでの観念主義、形式主義そのものである。
『暗黒日記』p.155

私のコメント:本ブログを開設した際、本ブログの方向付けとして「広い意味での教育」について取り上げる旨、6月12日の本ブログに述べました。そして、『暗黒日記』の中で清沢が繰り返して述べるところの「教育」こそが、本ブログで伝えたかった「広い意味での教育」なのです。しかし、清沢が指摘する「日本の教育の欠陥」が、戦後において改善されたわけではなかったということは、9・11選挙の結果を見れば明らかです。清沢が『暗黒日記』の中で繰りかえして述べている、「どうしようもない(日本の)国民」は、今日に至っても全く変わるところがなかったのです。

日本の指導者は「学問」などというものの価値を全く解しない。無学の指導者と、局部しか見えない官僚とのコンビから何が生まれる!
『暗黒日記』p.183

私のコメント:まさしく、今の日本です。

国際関係は最も広汎なる総合的知識を必要とする。宗教と、思想と、政治と、経済とは素より状勢判断に必須のものだ。この判断は国内において最も無知なる軍人がやるのだから駄目なはずだ。
『暗黒日記』p.186

私のコメント:清沢の謂う「国際関係は最も広汎なる総合的知識」を身につけさせる…、それこそ今の子どもたちに必要な教育なのですが、今の日本の教育では望むべくもありません。

それにしても、この言論圧迫時代を、弧城を守り通して来たのは石橋湛山氏の『東洋経済』だけである。
『暗黒日記』p.215

私のコメント:『暗黒日記』を通じて伝わってくるのは、当時は如何に言論の自由が圧迫されていたかという事実です。そして、今日の日本も、真綿で首を絞めるように徐々に言論の自由が失われつつあります。 鹿砦社社長・松岡利康氏の逮捕が、日本で失われつつある言論の自由を物語っています。

頭山満が死んだそうだ。愛国心の名の下に、最も多く罪悪行なった男だ。同時にまた最もよく日本人の弱点を代表している男でもあった。
『暗黒日記』p.234

この世界から戦争をなくすために、僕の一生が捧げられなくてはならぬ。
『暗黒日記』p.245

僕は淋しくなった。小泉(信三)の如くは最も強靱なるリベラリストだと思った。しかるに今、それがまったく反対であることを発見した。
『暗黒日記』p.251

日本で最大の不自由は、国際問題において、対手の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国になることはできぬ。すべての問題はここから出発しなけくてはならぬ。
『暗黒日記』p.262

私のコメント:ここでも再び「教育」が顔を覗かせています。清沢洌の謂う「教育」は、本ブログの「教育」と基底で相通じるものがあるのであり、『暗黒日記』は単に戦中という昔のことを書いた日記というだけではなく、日本の近未来も描いているのではと錯覚しそうです。“今”の日本を理解する意味で、『暗黒日記』は貴重な本であると謂えるのではないでしょうか。

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2005年9月12日 (月)

『陰陽道』

b050912 『陰陽道』(長原芳郎著 雄鶏社)の存在を知ったのは掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】を通じてであり、同掲示板の中で同書を紹介している一文を目にしてピンと来るものがあったので、即座にオンラインの古本を扱うサイトから取り寄せたのでした。同書には一度目を通しただけに過ぎませんが、現代科学しか信じない人たちの目からみれば、『陰陽道』は誠に摩訶不思議な本であり、トンデモ本として斬り捨てられる可能性が高い本かもしれません。一例として、同書の「太宰治と森鴎外」という項を以下に引用してみましょう。

太宰治と森鴎外の墓

 三鷹の禅林寺に、愛人と玉川上水に投身心中をした太宰治と、明治文壇の巨匠森鴎外の墓が向い合ってある。妙なことに、太宰治の墓へは、ブームのように参詣者が多い。それにひきかえ森鴎外の墓は、ひっそり閑としている。共に文壇の寵児であったのに不思議なことである。「墓相」ということもあるかも知れんから、ぜひ陰陽道の立場から観てこいと友人にすすめられた。
 両者の墓は、まことに質素で悪い墓相(悪いものは三角、丸にしたり華美に流れたりしたものはいけない、質素でなければならない)の墓ではない。ただ、太宰の墓は東を向き、森の墓は西を向いている。前に説明した如く、東は発展、繁栄を示し、西は隠れる、引退する意味がある。
 墓の向きにも方位があって、東から南までの向きが吉相ときれる。家庭の神棚や仏壇も同じで、神も仏もお墓もみな日当りのよいところが好きなのである。
 八卦の分類を練習する意味で、墓の向きの吉凶を説明する。

東向き=三碧、十二支は卯=発展する。名声がでる。
東南向き=四録=二支辰巳(巽)商売繁盛。
南向き=九紫、午=尊敬される。
西南向き=二黒未申(坤)ぞくにいう裏鬼門で、後家になる。妻を失う。妻が病気。
西向き=七赤・酉=色情の悩み。娘の悩み。借金。
西北向き=六白・戌亥(乾)=主人不在。精神病がでる。
北向きH一白、子=一家が流転する。常に病に悩む。
東北向き=八白、丑寅(艮)=ぞくに表鬼門のことで相続人が欠ける。

墓の華やかなけばけばしいのを凶相とする。質素を旨とし、生垣で囲む程度がよいとされている。地の気で説明したが、土の生気は循環するのがよいので、墓の敷地をコンクリートで堅めるのは良くないことになっている。太宰治の墓は、東を向いているから参詣ムードが起きたといえばそれまでだが、現代人には納得できない。私がこれを予言すれば、彼の文学が、権力に対する反逆、弱い人の味方、愛と真実を求める精神に貫かれていて、第二次大戦時、またその直後の青年に大きな影響をあたえた如く、昭和四十七年を頂上として再びその亡霊が現世に活躍する教示である。

『陰陽道』p.144

皆さんの家の墓はどの方角を向いているでしょうか、また、上記のくだりに思い当たる節があるでしょうか…。「これは迷信だ、そんなものがあるわけない」と謂われればそれまでですが、この広大な宇宙の芥子粒のような地球で、長生きしてもせいぜい百年という人間の知識なぞ、九牛の一毛にしか過ぎないのです。人間の智慧を超えた世界が存在していることを、直感的に悟ることができる人は幸せ者と謂えるでしょう。『陰陽道』は入門書的な性格を持つ書籍であり、人智を超えた世界の存在を感じ取れる人たちにお勧めします。同書は既に絶版ですが、幸いなことに、オンラインで古本を扱うサイトに多少の在庫があるようです。

今回、何故急に『陰陽道』を引っ張り出してきたかというと、掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】でも時折投稿されていた風水師のK師が先週の金曜日(9月9日)の夕方に上京という滅多にない機会が生じたので、毎年の春と秋に一時帰国される藤原肇博士も参加される脱藩道場総会、あるいは同じく藤原銀次郎さんが世話人として藤原肇博士を囲む会として開催しておられる脱藩会に、毎回のように出席しているメンバーに声をかけてみたところ、なんと当日全員の6名の方が集ったのです。これには流石に私も正直びっくりしたものです。また、K師夫妻と私の3名以外に、6名が集まったのですから、奇しくも9月9日に9名が一堂に会したことも不思議な気がします。ともあれ、『陰陽道』の「太宰治と森鴎外の墓」の項にもある方角の神秘性も、無論K師の口から出ました。また、動物には未来を予知する不思議な力があり、半年後に台風が上陸することも動物の力を借りることによって予測可能であるという点もK師から学びました。そしてつくづく思うは、自然を観察することの重要性であり、時にはパソコンから離れ、折角自然に恵まれた環境に住んでいるのですから、これからは健康のためにも野山を歩いていこうと、K師と逢った日の帰り道の車中でつくづく思ったことでした。

動物たちの持つ不思議な力と謂えば、私は掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】のスレッド「相似象」に、以下のような東京新聞の記事を転載したことがあり、今回もK師が東京新聞の記事について話題にしておられました。

タイ南部でゾウが命救う
津波察知?旅行客乗せ丘へ走る

 【バンコク2日共同】ゾウが津波を事前察知、観光客の命救う─。スマトラ沖地震の津波が起きた昨年12月26日、被災地になったタイ南部の海岸にいた観光用のゾウが、津波の来襲する前に近くの丘に向け“疾走”、背中に乗せていた外国人観光客約10人の命を救っていたことが2日、分かった。

 ロイター通信によると、甚大な被害を受けたタイ南部カオラックで飼われていたゾウ8頭は、スマトラ沖で地震が起きたころ、突然鳴き始めた。すぐ静かになったが約1時間後、再び鳴き、客を乗せていた複数のゾウが突然丘に向かってダッシュ。客なしのゾウもつながれていた鎖を引きちぎって後に続いた。

 当時、ビーチには外国人観光客ら少なくとも3800人がいたが、逃げ遅れ、津波にのみ込まれたという。

東京新聞 2005/01/03

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2005年9月10日 (土)

九州で体験した奇妙な地上巡礼(上)

本日のホームページ【宇宙巡礼】にアップしたのは、「九州で体験した奇妙な地上巡礼(上)」という記事であり、来週・再来週にわたる3回シリーズでお届けします。私の下手な言葉で同記事を紹介するよりは、同記事の冒頭を紹介する方が良いでしょう。メタサイエンスに関心のある訪問者は、時間があれば記事に目を通してみてください。また、質問・意見などがあれば掲示板[藤原肇の宇宙巡礼]でお願い致します。

九州で体験した奇妙な地上巡礼(上)

構造地質学を修め、長年国際石油ビジネスをてがけてきた藤原肇氏は、自らを称して「地球のストレスの専門家であり、地球が患者だという特殊な医学部門のプロ」と呼ぶ。型にはまらない根っからの自由人である氏は、科学から政治・経済、はては文明論に至るまで、その奥に潜む問題をかたっぱしから俎上にのせて論駁し、独自の見解を提示してゆく日本人にはめずらしいタイプである。とりわけこれまでの近代科学の限界を越えた、新世紀の学問原理としての〝メタサイエンス〟を提唱している点などはまさにユニークの一語につきる。

「日本には真のサイエンスがない」と嘆く藤原氏。そうした意昧深長な言葉を軽妙な語り口で論じる〝特殊な医学部門のプロ〟が、この春、奇妙な連鎖反応に導かれて旅をした。

本稿は、その藤原氏が体験した日本漫遊記である。

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2005年9月 8日 (木)

『空海の夢』

b050907 『空海の夢』(松岡正鋼著 春秋社)は二度ほど目を通した記憶があり、そのたびに同書から刺激を受けていました。以下は『アメリカから日本の本を読む』から引用した『空海の夢』の書評です。

空海の夢

 一回目を読み終ったあと、カバーの図柄をぼんやりと一五分以上も眺め続けた本である。頭の中が白く乾いて、無闇矢鱈にすがすがしかった。空海という人問の存在を知り、場面としての生命の海が眼前に彷彿と拡がった。

 それだけでなく、現役のエディトリアル・ディレクターとして活躍する著者が、私と同時代に生きるより若い世代であると知ったことが嬉しかった。文明の変革期であり時代の転換点に位置する現代は、本物の知識人が種として絶滅に瀕している時代だからである。

 『もくじ』に続いて本文に入る間の黒いページに白抜き文字で、「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」とあるのが、強烈なショックをもたらせた。

 解説は本文中にあって、著者も肺腑をえぐられる印象を持ったようだが、『秘蔵宝鑰』の序にあるこの章句には、空海の決定的な生命観が籠っている。

 彼の名の空が私の用語のドライウェアを示し、海が生命と結びついてウェットウェアを意味するとしたら、日本が生んだ不世出の哲人は、宇宙生命そのものを体現していることになる。

 「空海は全存在学の思想系譜にこそ位置づけされるべき」と確信し、「空海ほどElan vitalを日本において主唱した思想家はいなかった」と著者は言い切る。そして、空海には《意識の進化》と《言語の進化》という二つの大きな視座があることにより、「生命の普遍性や言語の普遍性に対する信じられないほどの今日的考察がある」事実を確認した著者は、その背後にあるコトダマの底流にふれるために、エディトリアル・オーケストレーションの妙を最大限に発揮してみせる。

 「生命が意識を持ったということは、ほぼ同時に言語あるいは記号系をもったということだ」に始まる、人類史と生命史の語り口は絶妙である。情報系の視点で捉えた生命史のパースペクティブは、実に広く深くダイナミックである。地質学を専攻にした私が大学四年を費して学んだことのエッセンスに相当するものが、僅か十数ページに抽出整理してあったので、私は感嘆の吐息をもらしたほどだ。

 知識量を誇る単なる博識やIQの高さくらいなら、たやすく心を動かす私ではないが、そのレベルを超えて情報系の文珠を見た思いがしたので、私は目を見張ってしまった。

 「思想は時代を横なぐりにする。しかし、空海は時代をタテになぐった」とか、「空海は人物そのものではなく、その奥にゆらぐキ一フメキにのみ感応できた」といった表現は、修辞を超えて物事の本質に喰いいる発想であり、誰にでも書ける文章ではない。

 これだけ核心に迫る表現力を操る日本の文士に、これまで出会ったことがないが、『仮名乞児の反逆』と題した空海の青春譜は、まさに大河小説のエッセンスであり、甘露を含む澄んだ水質と豪快な水量を、緻密な構成の中で描きあげている。

 また、インドから中国に伝来した密教の物語りは、それ自体プラネタリー・ドラマの一部を構成するだけでなく、コスミック・シンフォニーの響きを持つ。

 日本史もアジア史も思想史も、著者にとっては生命史の一部になっている。全体の明晰性を反映して細部まで透き通った水になり、読む者を目がけてノアの洪水のように襲いかかってくる水勢のダイナミズム。『空海のアルス・マグナ』と題して、『絶対の神秘』に始まって、『象徴の提示』、『儀礼の充実』、『総合と包摂』、『活動の飛躍』と並んだ表題を眺めているだけで、頭の中をコスミック・シンフォニーが鳴り響く思いが拡がっていく。

 呼吸の芸術であるシンフォニーは宇宙生命の流れの韻律である。《ジュピター》として名高い第四一番の壮大な響きからすると、ニックネームのない交響曲四〇番は、私にとって《クウカイ》の名でもいいと思えてきた。第二楽章のアンダンテと第三楽章のメヌエットには、たゆたいのモチーフをたたえた《イロハ歌》が感じられる。モーツァルトの明るさが空海の冥さと、妙に整合していくのが面白い。

 私はこれまで本書を二度読んだに過ぎないが、読むたびにより深い味わいを体験できたことからして、真言密教の開祖空海に対して、松岡さんが今後どのようなアプローチをし、どんな形で無言の対話を行間に埋めこんでいるかを探る楽しみがありそうだという予感がする。

 奥行きの深いテーマ故に、私はこれまで著者と空海の世界の一部をかい間見ただけにすぎないかもしれない。それに、死ぬまでの問に更に何度となく読みかえし、そのたびに異った味わい方が出来るタイプの本だ、との印象も強い。しかも、一度と言わず何度でも、本書を読んでみたらいかが、と若い世代の人にアドバイスするのが心楽しく思えるのだから、素晴らしいではないか。

『アメリカから日本の本を読む』p.189

上記の書評を『アメリカから日本の本を読む』に書いた藤原肇氏は、その後掲示板[藤原肇の宇宙巡礼]に以下のような投稿をしておられます。

「空海の間脳幻想について」今年は空海が渡唐して1200年目だということもあり、空海について池口和尚との三回にわたる対談をまとめ終えた段階で、「性霊集」を読み直したいという気持ちになった。私は似たテーマの本を数冊ほど同時に読むという癖があり、今回は久しぶりにA「空海の夢」,B「空海の風景」,C「曼荼羅の人」を並列方式で読み、いわゆる直列方式から離れて読書を試みた。結論だけ書くとこれまでの評価はABCの順だったが、今回の並列方式の読書の結果はCABになったのであり、十数年前は「空海の夢」に強い印象を受けたので、「アメリカから日本の本を読む」にも書評したのだった。今回の再読を通じてCにはインテリジェンスの面白さを感じ、Bはあくまでもインフォメーションの本だと思い、Aはその中間だという印象を強くしたことが興味深かった。(このヒントを叩き台に議論が賑わって欲しい)

上記のスレッド[空海の夢]にも書きましたが、同スレッドの中で私は「空海二度渡唐説」をはじめとする、興味深いサイトの数々を紹介しました。関心のある方は是非スレッド[空海の夢]を一度訪問してみてください。

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2005年9月 5日 (月)

『志に生きる!』

b050905 『志に生きる! 昭和傑物伝』(江口敏著 清流出版)は、文字通り昭和の代表的な傑物を描いた本であり、同書に一貫して流れているのは、“反骨精神”あるいは“野心(のごころ)”であると言えるでしょう。そうした傑物には到底及ばないものの、私も自分なりに志に生きてきたつもりであり、それ故に二人の息子の名前にも「志」の字をあてているほどです。今という時代は志を貫き通すのが大変困難な時代であるだけでなく、志そのものを何処かに置き忘れたかような人たちが増えてきているだけに、志に生きる大切さを改めて思い出してもらうためにも、一人でも大勢の人たちに同書に目を通して欲しいと願う次第です。徳富蘇峰のような人物も傑物(ずばぬけてすぐれた人物)の一人に数えている点については異論がありますが、それでも同書はその人の持つ反骨精神の度合いを測る恰好なリトマス紙の役割を果たすように思います。いつものように、以下は『志を生きる! 昭和傑物伝』に目を通した中で印象に残った個所をコメント付きで引用したものです。

河合栄治郎

 明治41年、栄治郎は念願の第一高等学校に入学した。当時の校長はキリスト教徒であり、高い西洋的教養を身につけた理想主義者の新渡戸稲造博士だった。当時の一高はバンカラ主義が幅を利かせ、新渡戸校長の個人主義、理想主義は一高の鋼健尚武の気風と相容れない軟弱思想だという反発が強かった。論争を挑まれた新渡戸は大勢の寮生を前に、「自分はあながち一高の伝統的校風を破壊しようとするものではない。本意はただ、人生の目的に単なる立身出世ではなく金を儲けることでもなく、個々人の人格、すなわち個性の尊厳を認識して、そのすこやかな成長をうながそうとするにある。諸君よ、果たしてこれが一高の校風と矛盾撞着するだろうか。鋼健もよい、尚武もよい、しかし私の教育の究極のねらいは人格の向上にこそある」と説いた。会場は水を打ったように静まり、泣いている生徒もいた。栄治郎もその一人だった。日本古来の国粋主義であり立身出世主義者であった栄治郎が、人格至上の理想主義に回心した一瞬だった。

『志に生きる!』p.184

私のコメント:上記の新渡戸稲造の言葉に出逢えただけでも、同書を購入した価値はありました。新渡戸博士の説く「教育の究極のねらい」に深い共鳴を覚えます。

井上成美

 いつの時代でも、リーダーの立場にある人には見識が求められると思います。国際的な視野に立って、国をどう導いていくかを判断する能力が必要なことはもちろんですが、自分が正しいと信じたことについては、筋を曲げないで、どこまでも貫いていく逞しさも一つの見識ではないでしょうか。自分の信じる道を貫き、敗れれば潔く退く。そのためには決して栄達を望まない。井上(成美)さんにはそういう見識が見事に備わっていたと思います。常に辞表を懐にして任に当たるという覚悟がありました。この井上さんの見識、覚悟は現代の企業社会にももとめられるものだと思いますが、井上さんほどの覚悟をしているリーダーは果たして何人いるでしょうか。

『志に生きる!』p.29

私のコメント:信念を貫かねばならないのは何もリーダーに限りません。私たち一般人にとっても、人間として人生を生きていく上での必要な心構えであると思います。

最後に、やはり同書に登場する出口王仁三郎の項で、以下のようなに「出口王仁三郎は有栖川宮熾人(たるひと)の落胤である」という記述がありました。

出口王仁三郎

 しかし、喜三郎(出口王仁三郎)には他の弟妹にはない、もう一つの出生の秘密があった。それは、のちに第二次大本事件の裁判でも審理された、有栖川宮熾人親王の落胤という秘密である。喜三郎の母・世弥は娘時代、叔父の経営する伏見の料理屋へ奉公に出、熾人親王の子を宿した。前後して、親王は東京遷都のため東上。妊娠を知った世弥は逃げるようにして故郷へ帰り、母と謀って、近所の奉公人を養子婿に迎え、七ヶ月後、早産の子として喜三郎を生んだ……

『志に生きる!』p.343

私のコメント:『ニューリーダー』という優れた経営誌があります。私が『ニューリーダー』を定期購読しているのは、在米の地質学博士・藤原肇氏の対談記事が時折掲載されているというのが主な理由なのですが、実はそれ以外にも落合莞爾氏の「佐伯祐三・真贋論争の核心に迫る 陸軍特務吉薗周蔵の手記」というテーマの連載記事にも注目しているからなのです。尤も、『ニューリーダー』は大分前から定期購読していましたが、落合氏の記事にじっくりと目を通したことはありませんでした。それが1年ほど前、藤原氏に落合莞爾氏の記事の凄さを教えていただき、帰宅後改めてじっくりと落合莞爾氏の一連の記事に目を通してみたところ、そこに書かれている内容の凄さに戦慄を覚えたのでした。一般の目に触れる本ブログに落合氏の記事の内容について詳述する訳にはいきませんので、関心のある方は一度『ニューリーダー』を手にしてみてくださいとだけ此処では述べるにとどめておきます。ちなみに、出口王仁三郎も「佐伯祐三・真贋論争の核心に迫る 陸軍特務吉薗周蔵の手記」に時折登場します。

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2005年9月 3日 (土)

1980年・日本の破局(下)

本日、ホームページ【宇宙巡礼】にアップしたのは、先週に引き続き堺屋太一氏の対談記事の第二弾です。例によって、この記事について述べたいことがある方は、掲示板[藤原肇の宇宙巡礼]に積極的に投稿してください。お待ちしております。

1980年・日本の破局(下)

次回は、在米の藤原肇博士(地質学)が体験された不思議な旅の談話を3回にわたってお届けします。メタサイエンスに関心のある方には必読の記事です。
■九州で体験した奇妙な地上巡礼(上)…9月10日アップ予定
■九州で体験した奇妙な地上巡礼(中)…9月17日アップ予定
■九州で体験した奇妙な地上巡礼(下)…9月24日アップ予定

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2005年9月 1日 (木)

『教育の原点を考える』 第IV章

b050615今月アップする『教育の原点を考える』は、第IV章の「戦後教育の問題点」です。例によって、私にとって印象に残った下りをピックアップしておきましょう。

藤原肇 民主的というのは、その中に競争という人間的な属性を内包しているのです。なぜなら、自分を他人と区別するところに民主主義の始まりがあるのだし、それを意識して自分の生き方を通じて証明することにより、生の充足を確認するからです。

私のコメント:変な平等主義が蔓延した今日の日本では、藤原氏の「自分を他人と区別するところに民主主義の始まりがある」という意見を理解できる人がどれだけいるでしょうか。視点は異なりますが、私のお気に入りブログ「先生に一言!」でも以下のように述べています。
【先生に一言!】やっぱり違う 男と女の脳

早川聖 要するに、サラリーマンや役人向きの人間がやけに増えている、ということです。学歴はやけに高いが教養が丸でなく、しかも、器量が狭い上に忍耐力に欠けた若者が多いのは、戦後の日本の教育界の生んだ最大の欠陥ですな。しかし、私にいわせるなら、これは自由競争の不足と過保護による甘やかしのせいであり、国家主義者が悪のりするような民主主義の欠陥ではないのです。

私のコメント:周囲を見渡すと、意外と早川氏の発言にある人物が多いのではないでしょうか。

早川聖 戦国時代と同じで、実力があるとなると国籍や出身校に関係なく、どこにでも仕事がある。これからの人材は、そういったタイプの普遍的な価値を持つ、実力で勝負のできる人間のことでしょう。

私のコメント:私も早川氏と全く同意見であり、時折周囲の友人・知人にも説いて聞かせますが、大概は「お説はごもっともですが…」で終わってしまうのが常です。

ともあれ、本日アップした第IV章の「戦後教育の問題点」を、一人でも多くの教育関係者に目を通して頂ければ大変有り難く思います。

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2005年8月27日 (土)

1980年・日本の破局(上)

本日、ホームページ【宇宙巡礼】にアップしたのは、堺屋太一氏の対談記事です。これは堺屋太一氏と藤原肇氏が今から四半世紀前に1980年代を予測した対談であり、官僚である堺屋太一氏と国際ビジネスマンである藤原肇氏との間には、発想に大きな開きがあるのがよく分かると思います。この記事について述べたいことがある方は、掲示板[藤原肇の宇宙巡礼]に積極的に投稿してください。お待ちしております。

1980年・日本の破局(上)

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2005年8月20日 (土)

「軍医」森林太郎と「文豪」森鴎外 捩れた人格

先週、「“明治の大文豪”森鴎外の隠された真実」という対談記事をアップしましたが、本日は同記事の続編ともいうべき『「軍医」森林太郎と「文豪」森鴎外 捩れた人格』 をアップしましたのでお知らせ致します。今回も相変わらず西原氏が森鴎外に対して辛辣な批評を加えています。私の場合は事前に『森鴎外 もう一つの実像』(白崎昭一郎著 吉川弘文館)に目を通していましたのでショックも軽くて済みましたが、初めて森鴎外の裏の顔を知った人たちはショックであったものと推察します。

なお、今回アップした『「軍医」森林太郎と「文豪」森鴎外 捩れた人格』 を巡り、興味深い情報・意見交換が行われていますので、以下の「藤原肇の宇宙巡礼」を一度訪れて戴ければ幸いです。

森鴎外 もう一つの実像

前回同様、一読して意見がある方は、【藤原肇の宇宙巡礼】に遠慮なく投稿して下さい。お待ちしております。

次回、いよいよ堺屋太一氏が登場します。
■1980年・日本の破局(上)vs.堺屋太一…8月27日アップ予定
■1980年・日本の破局(下)vs.堺屋太一…9月3日アップ予定

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2005年8月17日 (水)

『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』

b050817 『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』(深田匠著 高木書房)は、読み応えのある本であると思います。たとえば、同書の国連に関する記述について私は賛成であり、本ブログにもその旨書きました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/07/post_1464.html

ただ、国際政治に関するユニークな視点を提供してくれる意味で同書は読む価値があると思いますが、何分にも著者の深田氏が極端な保守主義の思想の持ち主なので、それを念頭に読み進めていかないとミイラ取りがミイラになりかねませんので注意が必要です。例えば、深田氏の保守思想が良く表れているのは以下の記述でしょう。

 私は「大東亜戦争こそが、人類に対する日本の最大の使命の入口の扉であった」と先述した。「一つの世界」が成立するためには人類平等が前提になる。その人類平等の世界を到来せしめたのは大東亜戦争だ。日本は人類の進化を司る何らかの「法則」によって選ばれ導かれ、自らの手で「最後のユートピア」へと連なる入口の扉を開けた。私は日本が神国であり大東亜戦争が聖戦だというのは観念論ではない。事実その通り、日本は人類の進化のために選ばれた国なのだ。日本がキリスト教暦紀元前の時代から実に二千六百数十年間、この万世一系の天皇を護持し続け、さらに天皇が神道文明の伝統を護り続けてこられたその目的、その意義、その使命の全ては、この「人類最後のユートピア」を築くために他ならない。そしてそれはパール判事が夢に見た「世界連邦」の始まる瞬間でもある。 
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.574

大東亜戦争を“聖戦”と断言し、天皇家が“万世一系”であると固く信じ、日本こそ人類平等の世界を到来せしめる“神国”であるとする深田氏の思想は、何かユダヤ教の選民思想を彷彿させるものがあり、到底受け容れることはできないものの、そうした思想的立場の違いを抜きにしても、同書を読むことによって“二つのアメリカ”といったユニークな視点が得られる他、国際政治に纏わる情報入手の観点から、落穂拾い的な本としての利用価値がある本であると思います。 ここで、深田氏の主張する“二つのアメリカ”については、同書の第四章「米国の世界戦略」に詳しいので目を通してください。ただ、深田氏は「量子理論や宇宙物理学・幾何学などをベースにして構築を試みてきた神哲学体系は、その到達した結果として神道に回帰した」(『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.565)と述べていますが、例えば宇宙物理学について言えば、深田氏はビッグバンやブラックホールの存在を信じているようであり、将来においてビッグバン説が否定されたとしたら深田氏が構築を試みてきたという神哲学体系はガラガラと音を立てて崩れ落ちるのは必定で、そうなったら深田氏はどう対処するのだろうかと、人ごとながらも心配になります。なお、私はビッグバンやブラックホールの存在を信じていません。そのあたりについては、本ブログの間違いだらけ宇宙論で既に述べました。 ところで、以下は例によって私が同書に引いた多くの赤線や青線の一部です。

 「土井たか子が実は帰化した在日北朝鮮人で、土井の実姉は朝鮮労働党幹部と結婚して平壌に住んでいる」という説が巷で飛び交っているが、この件についての真偽はまだ不明である。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.35

 「日本はアメリカの属国だ」と主張する方々に改めて申し上げたいのだが、それは十数年前までの古い感覚であり、ジワジワと中共の日本内部侵食か続いた結果、今や日本はアメリカではなく中共の属国になりつつあるのだ。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.125

 性犯罪者や快楽殺人者のDNAが家系に同じ傾向の者を多く誕生させることは優生学でも証明されており、昔から言うように「血は濃い」のである。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.207

私のコメント:優生学を説く深田氏の思想は、どこか渡辺昇一氏の思想を思わせるところがあります。

 公明党は、1999年4月に韓国政府がそれまで認めなかった創価学会の韓国法人「韓国仏教会」の認可と交換条件に、在日韓国人への参政権付与を密約している。これは学会の利益のために国家の未来を売り渡したということだ。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.220

 現在使用しているアメリカの中学・高校用の教科書には、(日本の敗戦および中国内戦における国民党軍の敗退によって)「全世界人口の四分の一近くの人類が共産主義陣営に組み込まれることになってしまった。中国を失った責任者を追求する共和党は、トルーマン大統領とアチソン国務長官を激しく攻撃した。共和党はさらに、共産主義者が侵食している民主党の諸機関が蒋介石に対する援助を意図的に抑えたために国民党軍は崩壊してしまった、と批判した」という記述がある。つまり民主党の容共主義とそれを批判する共和党といった図式は、アメリカでは教科書にも載る公知の事実なのだ。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.309

私のコメント:「二つのアメリカ」を説く深田氏だけに、なかなかの説得力があります。

 保守派知識人の中でも日本の核武装に反対する人物が多く存在しているが、この核保有の是非をめぐる見解こそが、自立思考の真の保守主義者なのか、いわゆる「戦後民主主義」の中で職業的に保守を標榜しているだけなのか、それをあぶり出す「踏み絵」ではないだろうか。親米だのといった白黒二元論の幼稚な色分けではなく、日本の核武装を認めるか否かこそ、真の保守とエセ保守(営業保守)を区別するバロメーターとなることを私は指摘しておきたい。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.424

 中共と北朝鮮という2ヶ国が日本を仮想敵国として核ミサイルの照準を向けている以上、日本は緊急迅速に核武装を行い、また中朝と戦争になっても引けを取らないだけの人員・平気・装備の大々的拡張を行って、中共との軍事力の均衡を図ることが必要となる。それが日本を他国の核攻撃から守る唯一確実な方法であり、妄想的な観念平和主義ではなく現実的な平和維持戦略ということなのである。非核政権を含め日本が自らの軍事力を抑えることは、何の平和維持にもつながらないばかりか、敵対国の攻撃を誘発する要因でしかない。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.426

私のコメント:深田氏は核をはじめとするハードだけが平和を維持すると主張していますが、そんなことはありません。ハード以上に大切なのがインテリジェンスであり、頭脳を用いたソフトな戦略を展開することを考えるべきなのです。よって、私は『タレイラン評伝』(ダフ・クーパー著 中公文庫)あるいは『インテリジェンス戦争の時代』(藤原肇著 山手書房新社)を深田氏に推薦したいと思います。

 現在の日本には、政治に関心のないノンポリシーの層を除けば保守主義とマルクス主義の二つの層しか存在しておらず、欧米でいうところのリベラル層(中道及び中道左派)は存在していない。16世紀イギリスから発祥した「人間は自由かつ機会平等」という本来の意味でのリベラル(自由主義)とは、現代の日本に置き換えるとコンサーバティブ(保守主義)の思想と同一のものとなる。一方、共産党の一党独裁支配により自由を弾圧し、強烈な不平等階層社会(例えば北朝鮮は「3階層・51分類」)を構成するマルクス主義とは、完全に反リベラルの思想である。しかし何故か日本ではマルクス主義を信奉する左派の政治家(無自覚マルキストを含む)がリベラルを自称するという不可解な現状にあるのだ。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.471

 実現の可否は別にして私が理想と考える仮想政権は、日本再生のグランドデザインを持つ石原慎太郎首相、平沼赳夫副首相兼官房長官、阿倍晋三外相、西村真悟国防相、高市早苗文部相、伊吹文明経済再生・金融相、平沢勝栄情報相、米田建三国家戦略担当特命相、また民間からであれば加瀬英明氏・中村粲氏・小室直樹氏・中西輝政氏らの閣僚登用が最適であり、税制改革特命相を任命するなら渡部昇一氏おいて他にない。さらにそれに加えて、日本国籍を持つフジモリ元大統領に日本政府顧問に就任して頂ければ、対テロ対策や危険管理の有力なアドバイザーになるのではないだろうか。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.528

私のコメント:ブラックユーモアもいいところであり、果たして深田氏は正気なのだろうか…。尤も、深田氏の思想的背景を考えれば、深田氏の考えそうな仮想閣僚ではあると思います。

 地政学上においては日本人が決して忘れてはならない二つの方向が存在している。一つはランドパワーとシーパワーは必ず衝突し対決する運命にあるということ。そしてもう一つは、もし対決をどちらかが避けた場合は、避けた側が相手側の属国となるしかし国家として生き残る道がなくなるといとう方向である。日清戦争も日露戦争も、シーパワーとランドパワーの対決であった。米ソ冷戦もそうだ。今回のイラク戦争も、米国のシーパワーとイラクのランドパワーとの対決である。そしてこのイラク戦争において米国のイラク攻撃を支持した主要国は、日本、英国、イタリア、オーストラリアなど全てシーパワーたる海洋国家(および中間国家)であり、反対したロシア、中共、仏、独は全てランドパワーたる大陸国家である。賢明なる読者諸氏はもうお分かり頂けたであろう。世界は全て地政学で動いているのだ。私が本書で述べてきた全ての国際情勢は、地政学に基づいての二つのパワーの衝突なのである。
『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』p.550

私のコメント:異見はあるかもしれませんが、「二つのアメリカ」と共に、地政学に関する深田氏のユニークな考察は、『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』のもう一つの優れたものであると思います。

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2005年8月16日 (火)

『人類の月面着陸は無かったろう論』

b050816 最近の東京新聞に以下のような記事が載っていました。

110億円で月旅行
米社が2人募集、08年にも

【ニューヨーク10日共同】宇宙旅行をあっせんしている米国のスペース・アドベンチャーズ社は10日、民間人を対象にした月への宇宙観光旅行を計画していると発表した。募集は2人で、参加費用は1人当たり1億ドル(約110億円)。早ければ2008年ごろの実現を目指す。

 民間人を対象にした宇宙旅行は徐々に始まっているが、国際宇宙ステーション(ISS)までにとどまっており、月への旅行が実現すれば初めてになる。

 同社によると、ロシア宇宙庁と契約し、旅行には宇宙船ソユーズを使用。船長はロシアの宇宙飛行士が務める。宇宙船とは別に打ち上げられたロケットと地球の周回上でドッキングし月に向かう。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/detail/20050811/fls_____detail__034.shtml

この記事を読んで思い出したのは、副島隆彦氏が書いた『人類の月面着陸は無かったろう論』という本です。同書で「人類は月に行っていない」と副島氏は主張しており、もし人類が月面着陸に行っていたことが判明したら、筆を断つとすら副島氏は宣言しているのですから、それなりの覚悟と自信があってのことでしょう。しかし、実際に世の中に目を向けてみるに、副島氏の人類の月面着陸は無かったろう論に対して反論している人たちが大多数のようです。たとえば、[トンデモの部屋]というホームページは、『人類の月面着陸は無かったろう論』を否定しているサイトの一つといえるでしょう。

その後、[トンデモの部屋]と対比させながら、地元の図書館から借りてきた『人類の月面着陸は無かったろう論』の一部を読んでみたところ、以下のような[トンデモの部屋]の記述に目が止まりました。(下線を引いてあるのは、『人類の月面着陸は無かったろう論』からの引用との由)

 私が少しだけ調べて分かったのは、静止衛星というのがあって、これは、かなりの遠くを飛んでいることが分かった。(P.33)

 調べるまで知らんかったのか!? 衛星放送の電波はどこから来ると思ってたの?

 静止衛星がなぜ3万6000キロの遠距離にあるのか、といえば、それは、地球の引力(重力)あるいは向心力と、自転から生まれる遠心力が均衡する点だから、そこで衛星が静止できるのだろう。(P.33)

 大間違い! 衛星の公転周期は地球から遠ざかるほど長くなり、高度3万6000キロではほぼ24時間になるので、地球から見ると天空の一点に静止しているように見えるからこう呼ばれる。

 ちなみに、うちの8歳の娘が持っている小学生向けの図鑑にも、静止衛星についての正しい解説が載っていた(^^;)。この人は小学校からやり直したほうが良さそうである。

 もし、6回の月面着陸が実在するというのなら、その痕跡と残骸の機材が、今なら地球から精密な高性能望遠鏡で見えるはずなのだ。(P.43)

 ハワイ・マウナケア山にある国立天文台の望遠鏡「すばる」(口径8.2m)は、分解能が0.2秒角(1度の1/1万8000)である。38万km離れた月の場合、0.2秒角はおよそ350m。つまりこれより小さいものは見えない。

 2004年の今は、相当にものすごいマイクロ波式の望遠鏡や電波望遠鏡もあるから、月の表面ぐらいは、何でも写し出せるはずなのだ。(P.43)

 e-VLBIでも分解能は20ミリ秒角(1度の1/18万)で、月面に向けても35m以下のものはとらえられない。

 それ以前にこの人、電波望遠鏡の原理が分かってないフシがあるんだけど。

以上は[トンデモの部屋]からの一部引用ですが、実際に人類が月に行ったか否かを云々する前に、『人類の月面着陸は無かったろう論』および[トンデモの部屋]とを単純に比較して読めば、[トンデモの部屋]に軍配を上げざるを得ません。

人類が初めて月面に着陸したという世紀のニュースを報道した新聞を、私は今でも大事に保管していますし、人類が月面着陸したというのは今でも事実だと思っています。ただ、副島隆彦氏が人類は月面着陸をしていないと発言したり、脱藩会でよく顔を合わせる知人のUFO研究家、竹本良氏がNASAによるUFOおよびET隠蔽について発言したりしていたので、私自身のアポロ計画に関する知識不足も手伝って、ひっとしたら彼らの言うことは本当かもしれないと思っていた一時期がありました。

ところで、そもそも私が副島隆彦氏に見切りをつけたのは、船井幸雄氏のような人物との対談本(『日本壊死―新しき人目覚めよ』)を出版したからであり、それからというもの私の副島氏に対する見方がガラリと変わったのです。そのためでしょうか、最近は副島氏の粗ばかりが目につくようになったのです。しかし、かつては日本のことを憂い、一生懸命にやっている評論家だと思って期待していたただけに、現在の副島氏を見ていると大変残念な気持ちになります。なお、私は船井幸雄氏という人物についてメールマガジンに一筆書いていますので、関心のある方に以下のメールマガジンを一読頂ければ幸いです。

メールマガジン【日本脱藩のすすめ】第59号

メールマガジン【日本脱藩のすすめ】第60号

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2005年8月15日 (月)

『阿片王 満州の夜と霧』

b050815 本日は敗戦60周年ですが、8月15日に相応しいテーマの本を最近読みましたのでご紹介します。その本とは、過日書いた「ホリエもんの錬金術」に投稿してくれた野牛一刀斎氏のコメントにあった本であり、1年ほど前に『週刊新潮』に短期連載された佐野眞一氏の記事の単行本です。野牛氏のコメントを読んだ私は、早速にクロネコヤマトのブックサービスを通じて『阿片王 満州の夜と霧』(佐野眞一著 新潮社)を取り寄せてみました。そして入手した同書を通読していくうちに、次第に里見甫という人物に惹かれていく自分がいました。そうした里見甫の人となりは、特に同書の第八章「孤高のA級戦犯」に鮮明に描かれているので、同章を中心に里見甫という人物を上手く描いていると思われる個所を以下に抜粋しておきましょう。

 他人にすべて罪をなすりつけて口をぬぐう田中隆吉の節操のなさや、自分を大きく見せることだけに躍起となる児玉誉士夫の小物ぶりとは対照的に、自分の知っている範囲のことはすべて答えるが、知らないことは知らないときっぱり断る里見の答弁は、男らしくて惚れ惚れする。
『阿片王 満州の夜と霧』p.256

 里見さんについては、父から「私欲のまったくない人だった」と訊いています。たしか、テレビに笹川良一が出演していたとき、父は「笹川と里見はまったく違う。里見は私欲のために動かなかったが、笹川は私欲で動いて財産を築いていた。里見はもしカネに困ったら笹川のところへ行けばいくらでももらえる立場の人なのに、そういうことは一切しない人だった」
『阿片王 満州の夜と霧』p.279

上海の麻薬王とまで云われた里見甫は、帰国後はひっそりと余生を送っていますが、そんな里見を同書は以下のように描いているのが印象的でした。

 戦後の余生と見定めた里見にとって、バラと女と宗教は、失われた満州と失われた上海、そして自分の手のなかからこぼれ落ちていったアヘンと謀略工作を取り戻すための、見果てぬ夢のなかをさまようアヘンの陶酔にも似たたまゆらの愉楽だったのだろうか。
『阿片王 満州の夜と霧』p.288

同書は単に里見甫その人について筆を進めているだけではなく、阿片を目的に日本が日中戦争に突入した背景についても述べているのであり、戦争の裏に阿片があったという史実は、今まで一般に対して極力伏せられてきただけに、大変貴重な本となりそうです。

 (日本)軍部を無謀な日中戦争に踏み切らせた心理的理由の一つとして、中国の軍閥たちが独占するアヘン利権を武力で収奪することにあったことは確かだ。
『阿片王 満州の夜と霧』p.138

阿片と旧日本軍との深い繋がりについては、『阿片王 満州の夜と霧』以外にも沢山の阿片戦争に関連した書籍がありますので、今後は折りあるごとに他の本についても取り上げていきたいと思います。

さて、里見甫という黒幕について言及したついでに、もう時効だと思いますので黒幕に関連した個人的な体験を書いておきましょう。

『阿片王 満州の夜と霧』を読み進めながら脳裡に浮かんできたのは、二十代の時に体験した韓国旅行でした。私にとって初めて韓国旅行であり、時期も今と同じ夏でした。下関からフェリーで釜山港に入り、一週間ほど韓国の各地を訪れた後、再び釜山港に戻り、翌日は再びフェリーで帰国するのでホテルに泊まろうと思い、道行く人に尋ねたところ、近くの某ホテルが良いと教えてくれたのです。ホテルに着き、雨に濡れてドブネズミのような格好でホテルのフロントでチェックインをしていると、サングラスをかけた小柄な日本人がいつの間にか横から声をかけてきたのです。Tシャツとジーンズというヒッチハイカーの格好をしてチェックインしている私をジロジロ見つめながら、「びっしょりだなぁ…、それにしても凄い格好だ!」と呆れたように言い放ったのです。それが、当時の日本の某政商O氏の“秘書”をしていたというK氏との出逢いの始まりでした。K氏は、「泊まるなら俺の部屋の隣にしろ」と云い、フロント係に対して隣の部屋のカギを私に渡すように指図し、その日から数日間にわたり、K氏と行動を共にするという何とも奇妙な数日を過ごすことになったのです。

たまたま私が宿泊したホテルも政商O氏の所有するホテルだったようで、K氏の話によると某政商O氏は、ソウルにもさらにグレードが上のホテルを所有しているとのことでしたが、我々が宿泊している釜山のホテルは中クラスのホテルであり、頻繁に韓国に出張しているK氏の顔を余り知らない同ホテルは落ち着けるとのことでした。それでも、隣のK氏の部屋の前にはベルボーイが受付用デスクと椅子を置いて24時間にわたって周囲を見張っていました。チェックインの後、荷物を部屋に置いて俺の部屋に遊びに来いというので、荷物を自分の部屋に放り投げて、ノコノコと隣のK氏の部屋に遊びにいくと、そこにいたのはK氏だけではなく、日本語が堪能な韓国人美人がK氏の横にいたのです。その女性は韓国の女優だとK氏は紹介してくれましたが、韓国の芸能界に暗かった私にとっては初めての“韓国人女優”との対面でした。暫く歓談していると、「サムライ君も1人では寂しいだろう」と云って、何やら電話をしてくれたのです。するともう1人の韓国人美女が我々の部屋に尋ねてきました。何でも、K氏の横にいる女優の“友人”だとのことです。

それからの数日間は、韓国企業の社長らしい人たちが来てはK氏と商談しているのを傍らで耳を傾けたこともあれば、近くのカジノに行きK氏とは顔馴染みの女将とコイコイ(花札)を楽しんだこともあります。物凄く賭博に強い女将で、K氏や私は徹底的に負かされました。無論、夜は夜で酒を酌み交わしながらK氏と色々な話もしています。私が本田技研に勤めていると云うと、「ホンダ…、あぁ、あのオートバイ屋さんか。本田(宗一郎)さんとは顔なじみだから、今から電話してやろうか」と云われたり、私が十代の時に南米大陸を半年ほど放浪した話をすると、チリで事業進出するから来ないかと云われたりしたものです。その他にも色々と語り合っていますが、これ以上K氏との話の内容を述べるわけにはいきませんので割愛するとして、K氏の話から印象に残ったものの一つは人と人との出逢いについての話でした。人と人との出逢いについてK氏は、「この広い宇宙の芥子粒のような地球という場所で、しかも150億年の今という時に、人と人とが出会うということは、これは物凄い“奇跡”なのだよ、サムライ君」としみじみとK氏は語ったものです。

そうした奇跡というのか奇妙といとうのか分かりませんが、K氏との体験も明日で終わりという前日、一流料亭、一流カジノに連れて行ってもらっただけでなく、ホテルでかかった費用も一切合切K氏が払ってくれたので、「それでは申し訳ない」と云うと、「今度、信州あたりで会ったら、信州ソバでも奢ってくれれば十分」とK氏は静かに言うのでした。そして翌日、後ろ髪を引かれるような思いで私は釜山を離れたのです。会社の出勤に間に合わせるため、帰りは飛行機で帰国したのですが、飛行機はJAL(日本航空)だったと記憶しています。K氏が親切にも座席を確保してくれたのでした。

帰国してから友人に韓国での体験を話すと、「お前、担がれたんじゃないのか…」と当時は良く言われたものです。しかし、当時のことを改めて振り返ってみるに、K氏はほぼ間違いなく某政商O氏の右腕だったのだと思います。その後の人生で様々な人物との出逢いがあり、私なりに人を見る目が若いときよりは肥えていますし、さらには本物の詐欺師との出逢いを体験し、時には痛い目にも遭っているので、少なくとも今では人物の本物と偽物の区別くらいはできるようになっていると思います。ちなみに、某政商O氏とは故小佐野賢治のことです。ただ、『阿片王 満州の夜と霧』を読み終えた時、里見甫と較べて小佐野賢治の人物が小さく見えて仕方がなかったことを、ここに告白しておきます。

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2005年8月13日 (土)

“明治の大文豪”森鴎外の隠された真実

仕事部屋の本棚に、『森鴎外 もう一つの実像』(白崎昭一郎著 吉川弘文館)という題名の本が置いてあります。書名の副題から想像がつくように、同書は文豪・森鴎外の〝表〟の顔ではなく、軍医・森林太郎の〝裏〟の顔を描いた本です。同書の後書きで著者の白崎昭一郎氏は、「脚気こそは鴎外の最大のアキレス腱であった」と表現しているのに目が止まります。何故、脚気が鴎外にとっての最大のアキレス腱であったのか、本日アップした記事・「“明治の大文豪”森鴎外の隠された真実」の対談者の1人、西原克成医学博士は以下のように語っています。

西原 具体的には、脚気に対しての森林太郎の偏見で、それに基づいて彼が実施した『日本兵食論』の誤りです。脚気の問題で森林太郎が犯した致命的な過ちは、日本の医学史において恥ずべき汚点であり、脚気は陸海軍で日清戦争直前に克服されていました。ところが、白米中心の陸軍兵食にこだわった森軍医は、軍医部長の麦飯給与の進言を退けた。それで、戦闘で死んだ者よりも脚気で死んだ者のほうがはるかに多い、という大失策を犯したのです。

また、上記の対談記事の中で「森鴎外は女癖が悪かった」という話もあり、森鴎外に対して抱いていた“日本の誇る文豪”というイメージが崩れ落ちてしまった人もいるのではないでしょうか。森鴎外のもう一つの裏の顔を、西原氏は以下のように述べています。

西原 『舞姫』はあくまでも彼の自己弁明の作品であり、実際の生活と小説はあまり関係ないのです。現にエリスとは同棲して結婚の約束をしており、それで彼女は日本まで追いかけてきた。それだけではなくて、森は女悪くてその道に通じていたから、東京からベルリンにきた軍人たちに女を世話し、後でそれを暴いて筆誅を加えて攻撃している。自分のえげつなさを隠して、他人のことをあばいて騒いだのです。陸軍の誰それはあれをしたこれをしたと暴き、自分はまるで聖人君子のような顔をした。日本人はその虚像に騙されてしまったのです。
上記は本日アップした西原氏の対談記事の一部ですが、全文を読んでみたいという方は“明治の大文豪”森鴎外の隠された真実をクリックしてください。一読後、意見がある方は【藤原肇の宇宙巡礼】でご遠慮なく述べて下さい。お待ちしております。

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2005年8月10日 (水)

『紙の爆弾』9月号

0509kami 『紙の爆弾』の出版元である鹿砦社の松岡社長が逮捕された後、残された同社の社員が『紙の爆弾』の発売は続けると鹿砦社のHPに書いていました。しかし、本当に出版ができるのだろうかと心配していましたが、その後無事に宅急便で同誌が届いたのであり、心配は杞憂に終わりました。早速ページを開いてみると、予想していた通りに松岡社長逮捕に関する記事で埋め尽くされていました。そして、記事を書いた人たちのほとんどが、鹿砦社が警察との裏の繋がりの深いアルゼを追求したことにより、アルゼ関係の警察OBの逆鱗に触れたのを逮捕理由としていたのが印象的でした。無論、そうした可能性は否定できないのも確かなのですが、松岡社長を逮捕することにより、却って自分たちと鹿砦社との間で起こっている騒動が世間の注目を浴びてしまうことが容易に想像できることから、検察を動かしたのがアルゼと関係する警察OB、あるいはプロ野球の阪神関係者であると明確に断言できないのではないでしょうか。そこで他に考えられるものに何があるかと考えるに、権力の中枢に近いところが検察を動かしたという線も考えられます。もし、この推察が当たっているとすれば、権力側に相当の焦りがあったことは確かであり、その根拠が掲示板【宇宙巡礼】で実際に傍聴した永岡浩一氏の発言などです。

 神戸地裁はもともと反動的ですが、1年生の裁判官が完全に検察とグルになり、検察の作ったであろう作文を読むのみ、松岡社長の弁護士の質問にはすべてはぐらかせ、勾留した理由を、証拠隠滅の恐れがあると言っても、民事訴訟や国家賠償請求になっているのに、それはおかしいと弁護士が追求したら、全て「答えられない」とか、全くお粗末でした。

永岡氏や他の傍聴者の発言から、周到に準備した上での逮捕ではないことが明白であり、上(権力側)が慌てて逮逮捕を「指示」したという可能性も残ります。逮捕を「指示」した権力側として考えられる人物に、例えば阿倍晋三氏がいます。山岡俊介氏が『紙の爆弾』に書いた「阿倍王国は崩壊寸前! 阿倍晋三の地元・下関市長選で公選法違反が告発された」といった記事があるのですが、その程度の記事で阿倍氏が慌てふためいたと考えるにしては、記事そのものに(阿倍をはじめとする権力を動かすほどの)パンチ力がないような気もします。恐らくは別の記事か何かによって生じた権力の焦りだったのかもしれません。その他、松岡社長の逮捕は(サラリーマン記者を除く)ジャーナリストへの“見せしめ”だという意見も一部にありますが、それにしては神戸地裁の仕事ぶりはお粗末でした。

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2005年8月 9日 (火)

『ゲーテの「ファウスト」と<カタカムナ>』

b050808 昨日ゲーテについて少し取り上げましたので、それに関連して『ゲーテの「ファウスト」と<カタカムナ>』について言及してみたいと思います。

最初に、初めてカタカムナという言葉を耳にした人たちには信じられないことかもしれませんが、縄文時代をさらに遡った太古の日本には「カタカムナ人」が存在していたと云われています。そうしたカタカムナ人が直感で森羅万象を感じ取り、それを象形文字の形で遺したのがカタカナ文献ということになります。この文献を発掘したのは楢崎皐月氏と云い、1949年に兵庫県の金鳥山で出逢った平十字なる謎の人物からカタカムナ文献を借りて筆写した後、独りでカタカムナ文献の内容の解明に努めたと云われていますが、このあたりの話は謎が多くて信憑性に欠けるところもあります。それは兎も角。その楢崎氏の後継者に宇野多美恵女史がおり、宇野氏が設立した相似象学会から『相似象』という学会誌が長年にわたって刊行を重ねていて、カタカムナ文献を研究する者にとって貴重な基礎文献となっています。私が本格的に相似象について取り組んでみようと思ったのは2年ほど前でしたが、その後に風水師のK氏と知り合ったので相似象についての話をしてみたところ、「若い頃に相似象に取り組むのなら兎も角、中年になってからでは遅い。(相似象の世界に入るのは)諦めろ」と言われてしまいました。相似象の奥義を究めるには並大抵のことではないのだなと、K氏のアドバイスに耳を傾けながら思ったものの、それでもカタカムナ文献について知りたいという欲求は抑え難く、例えば最近は宇野氏が著した『相似象』の1984年2月刊の特別号である、『ゲーテの「ファウスト」と<カタカムナ>』と題した本を読み進めています。せめて、カタカムナ文献とはこういうものだということだけでも知りたい、というのが密かな私の願いです。

そうした宇野女史のカタカムナとの取り組みを如実に述べた下りがあります。

三人の師はまだ不徹底であつた。宇野八十歳で独学の原因

孔子も老子も釈尊もゲーテも、彼らの思想は皆、それに一生をかけた結果のものである。かつて筆者は彼らの思想にココロから共振を感じ、一歩でも彼らに近づきたいと夢にまで念願した。その心が本当に本気であつた証拠に、唯々、『釈迦の言葉は漢訳辞典ではなく、釈迦の話した原語で聴かねばわからぬ』という老師の言葉にしたがう一心で難解な梵語を学び、又『孔子の言葉は孔子の体験を通して感受しなければならぬ』といわれれば本当にそうだと思う一心で説文.殷虚文字.甲骨文.尭舜の世までさかのぼり、そして又、ゲーテがファウストを書き上げた八十歳の心情を、富永老師の直観にしたがって吟味したいばかりに、ドイツ語を(単位をとる為でもドイツ文学を学ぶ為でもなく)寸暇のない家事仕事の合間に独習したものである。

(『相似象』第十号 p.195)

[カタカムナ]
http://www.astralscience.com/katakamuna/

※上記のURLはカタカムナに関する基礎的知識を与えてくれるだけでなく、様々なカタカムナ関連のサイトも紹介していますので、一度訪問してみるといいかもしれません。

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2005年8月 6日 (土)

「今、問題なのは日商岩井だ」

この記事は、若者に人気のあった『PENTHOUSE』の1983年6月号に載った記事です。1983年当時の私は、当時の日商岩井本社ビルの裏にあったヨガの先生の実家である店に数度足を運んだことがあるだけに、20年以上も経った今日に至り、再び当時の日商岩井に関する記事を目にするのは妙な気分になったものでした。しかし、その後の日商岩井は2003年にニチメンと合併し、さらに1年後の4月1日を以て日商岩井の社名から双日という社名に変わったのであり、時の流れを感じさせます。

http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/nisshoiwai.htm

1975年に安宅産業が倒産していますが、歴史は繰り返すと言われているように、1983年当時の日商岩井も安宅産業と同じ道を歩みつつありました。しかし、その後の日商岩井は社名が変わりながらも辛うじて今日まで生き延びてきたのはご存じの通りです。そうした日商岩井の過去を取り扱った同記事の中で、特に注目すべきは以下の下りでしょう。

 石油やLNGは現代における戦争のバリエーションである。国際政治を動かすほどのダイナミズムと多くのドラマを生みだす。石油、LNG開発は三井グループのIJPCの例を見てもわかるように、国際政治、国際経済を舞台にした大きな賭けである。この賭けは最大の勇気とともに冷静な判断と細心の調査が必要条件であることは言うまでもない。安宅事件はこのことを痛切にわからせてくれたはずだ。
今、問題なのは日商岩井だ

なお、同記事で取り上げてあるドームゲート事件は、『無謀な挑戦』という本にもなっており、同書は筆者の承諾を得て電子化してアップしてあるので、関心ある方は目を通してみてください。。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/petro/petro.html

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2005年8月 5日 (金)

『丸山真男 音楽の対話』

b050805 7月30日に「一流教授の下で学べ」と題した投稿をしたところ、幾人かの訪問者がコメントを寄せてくれ、その中の1人の西登日東沈さんが『丸山真男 音楽の対話』を取り上げていました。西登日東沈さんへの回答は以下のURLをクリックしてもらうとして、偶然ですが私も1年ほど前にアマゾン・ドットコムに『丸山真男 音楽の対話』の書評を投稿していますので、以下に転載させていただきます。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/07/post_dfeb.html

生まれながらにして名著の地位を約束された本

 『丸山真男 音楽の対話』は、下手な音楽のプロも足元に及ばぬほど音楽に造詣が深かった丸山眞男と音楽との関わりについて述べたものであり、丸山眞男の息遣いが伝わってくるような本である。特に以下の丸山の発言は強く筆者の印象に残る。

 「音楽という芸術のなかに『意志の力』を持ち込んだのはベートーヴェンです。『理想』と言ってもいい。人間全体、つまり人類の目標、理想を頭に描いて、〈響き〉=〈音響感覚〉でそれを追求し、表現する。凄まじい情熱ですね。これを『ロマンティック』と言わずして、他に何がありますか。『ロマン』は単なる情熱やセンチメンタリズムではない。人間の理想の追求が『ロマン』なのですから……。」

『丸山真男 音楽の対話』(p.75)

 「音楽のなかに『意志の力』を持ち込んだベートーヴェン」という丸山の発言を目にした読者は、今までとは違った角度からベートーヴェンを聴くようになるのではないだろうか。まさに、「人間全体、つまり人類の目標、理想」という丸山の発言にあるように、ベートーヴェンは18世紀という時代精神の申し子であり、紛う方なきフリーメーソンであった。

 なお、今までに丸山眞男の一連の著書に目を通したことのある読者は既にお気づきの通り、丸山の著書群には執拗低音(バッソ・オスティナート)という音楽用語がたびたび登場する。この執拗低音は、丸山思想を真に理解するためのキーワードとされており、執拗低音とは何かということについて教えてくれるのが本書だと思う。したがって、本書は丸山の音楽に対する熱い思い、丸山の息遣い、人となりが伝わってくる本というだけではなく、真摯に丸山眞男の思想を追求したいという人にとっては欠かせぬ本なのである。その意味で、本書は生まれながらにして名著の地位を約束されたといっても過言ではない。

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2005年8月 4日 (木)

『謎のカタカムナ文明』

b050804 カタカムナという言葉は、今までに一度や二度は耳にしたことがあると思います。本日ご紹介する『謎のカタカムナ文明』(阿基米得著 徳間書店)は、私にとってカタカムナ文献の入門書となった記念すべき本ですが、同書を的確に評価している本に、『アメリカから日本の本を読む』があります。

謎のカタカムナ文明

 俗な表現だとオカルト・ブーム、もう少し改まった言い方なら、ニュー・サイエンスが多くの人の関心を集めている。しかも、これは日本だけではなくて、世界的な現象である。
 ある意味で、これは世紀末現象だ。また、これは一つの文明から別の文明への過渡期を示すと共に、これまでわれわれが慣れ親しんできた価値観やモノを理解する上での基準であるパラダイムが、有効性を喪失している事実の露呈でもある。
 こういう不確実性が支配する時期は、焦躁感が人びとをおし包む。この不安な気分から逃れたいということで、宗教にすがる人もあれば、芸術に耽溺したり政治活動に熱中する場合もある。
 そして、共通する意識として最も強いものは、行く手を指し示す現代の松明と呼べる何かが欲しい、というひたむきな願望が渦となり、独得な時代性を生むのである。また、そんな思いに駆られて暗中模索する時に、いつの時代に有効なのは、歴史をさかのぼって過去の中に解答を捜す努力をすることだ。
 なぜなら、過去は未来の序章に他ならないからである。
 過去の中に現在がかくあるための選択があったという事実からすると、現在に向けて過去からのばした線の延長上に、未来が位置している確率は大きい。しかも、螺旋状に発展する進化のパターンからすると、過去のモデルには学ぶべき教訓が多く存在し、問題は次元の展開をいかに行うかにかかわっている。
 そこで多くの人が過去に分け入り、色々なものを掘り出してきた。だが、普遍的な価値が無かったが故に、歴史のフィルターで選別され見捨てられていたのに、古いというだけの骨董趣味で無理にスポットライトをあてられているものも実に多い。
 占星術、超古代文書、古代秘術といったものだけでなく、最近の日本で賑やかに行われている復刻本や全集ものなど、玉石混交というより、そのほとんどがキワモノにすぎない。
 この出版社が『謎シリーズ』と銘うって売り出している本の大半はその手の仲間だ、という読後感を残している。その理由は、有効性が無かったが故に亡びていた情報が、商業主義のお囃子と共に、時代の新しい粧いでこの世に蘇生させられているせいである。
 だからといって、全体否定をしてはいけないのであり、ガラクタであるが故に絶滅して、長い間暗黒の底に沈んでいたものと、タブー視されてきたが故に地下にもぐっていたものとの区別は大事である。カタカムナ文献との出会いのエピソードを信用するかどうかはともかく、この本の中の相似現象学としてのテクノロジーを扱う風景工学や錬金術の取り扱い方はなかなか真面目で、著者の視座が堅固な技術観の足場に支えられていることが分る。
 単なる人騒がせで売らんかな主義を満たそうとしているのではないという意味で、巷間に氾濫している類書とは性格を異にしている。その点で、本書はオカルト・サイエンスの入門書をちょっと読んでみたいという人には恰好であろう。
 偶然なことに、公害の産物で何の役に立たないヘドロのようオカルトの本が、日本列島にはあふれているのに、この本は大分まともだと思いながら読み進んでいたら、ヘドロについての記述に出くわした。
 カタカムナという謎のことばで言うミトロカエシによると、ヘドロこそ生命誕生の最も基本的なメカニズムを持ち、物性還元エネルギーの母体を構成するという。「気体のガス、液体の水、固体の土がここではほど良く混りあい、コロイド状になっている……。このよう状態の下では、想像もつかないことが起っているのだ」という記述は、気体、液体、固体という三つの相が異相界面作用をすると、宇宙的規模の現象が起ることの分りやすい解説である。これはケルヴランの生体内原子転換説や、その実証として有名な、一九六四年六月二一日午後五時に、世界最初のナトリウムの低温低圧下でのカリウム原子核への転換を記録した、桜沢如一『無双原理・易』の実験と共に、ことによると二一世紀をリードする、原子転換工業の突破口になるかもしれないアイディアを内包している、と思った。
 また、『性の魔術が人類を救う』という章の、《水素シ12》とか《オルゴン》についての共鳴は、私はまだいささかの抵抗を感じる。だが、性器の優位に縛られて来た性から、エロスをパーソナリティ全体の愛の表現形式として捉え直す相似現象は、セックス・アニマル化している現代日本人に対して、極めて適切なメッセージを含んでいるようだ。
 「ヒノキの大樹の下で、一人の男が太い幹によりかかっていた。まるで親しい恋人とあい対しているかのように、彼はゆっくりとくつろぎ、なにごとかを語りかけながら、幹の表面を大きく指をひろげた手のひらで、愛情をこめて愛撫した。
 やがて大樹は男のしぐさに反応するようになり、ゆっくりとした細やかなうねりのようなものの交流が、見えない次元で起りはじめた。男と大樹、この二つのものは強く結合し反応しあって結びつき、完全に一体となり、区別というものが無くなっていた。
 少しずつ男の体内には大樹のもつ植物の力が満ちていった。(中略)
 涼しい風が吹いていた。そして、大きな枝をのばしたヒノキの大樹と、一人の男が立っていた」
 これだけ素晴らしい生の歓喜の描写は、明治以来の日本文学の中で、ついぞ出くわしたことがないが、このあたりに、現代の日本人が喪失している大事な感受性の根源があるのではないか。
 カタカムナ文明の存在はともかくとして、馥郁とした古代精神の片鱗を味わう可能性を秘めた本として、「あらゆる本である一冊の本」と謳いあげるこの本を、ロスのスモッグで汚れた頭の洗濯のために、マリプの海辺で読んでみるのも、健康法としていいかもしれない。

〔ノート〕
 (1) 生体内原子転換説……フランスの生化学者ルイ・ケルブランが主張した原子転換説によると、自然界ではバクテリアや酵素の働きで低温低圧下においても、原子が転換するという。自然食運動の指導者桜沢如一は、自製の装置を使ってナトリウムを常温下においてカリウムに原子核転換するのに成功している。
(2) マリブ……サソタモニカの海岸から一五キロ北方に位置する高級住宅地。本当の富豪たちの邸宅があり、ロス近郊では最高級の場所。

今日『謎のカタカムナ文明』を取り上げたのをきっかけに、今後も折に触れてカタカムナ文献について様々な角度から筆を進めていく予定です。

http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/books/yomu/katakamuna.html

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2005年8月 3日 (水)

『究極の免疫力』

b050803 今日紹介する『究極の免疫力』(講談社インターナショナル)を書いたのは、嘗て本ブログでも取り上げた『内臓が生みだす心』の著者である西原克成氏です。『内臓が生みだす心』については、己れの生命観を根底から覆された本として、訪問者の皆さんに紹介したのは記憶に新しいところでしょう。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/06/post_2c24.html

さて、同じ西原氏の著した『究極の免疫力』もなかなかの良書であり、今までの私たちの〝医学的常識〟が如何に間違っていたものであるかを痛切に思い知らせてくれる本です。ご参考までに、以下はアマゾン・ドットコムから引用した同書のデータです。

出版社/著者からの内容紹介

●身体を温めると、なぜ病気が治るのか?
●口呼吸が万病を招いている
●短時間睡眠は短人生の恐れ
●離乳食は2歳を過ぎてから

 現在、多くの人々が健康に生きるための「免疫力」に注目し、テレビや雑誌などのメ ディアでも、さかんに取り上げられています。しかし、免疫力の本体については、意 外なほどふれられていません。著者の西原克成氏は、長年の臨床経験と進化生物学の 研究を下に、細胞のレベルで免疫力の根源を見いだしました。
現代人の生活は、細胞レベルのリモデリングを妨げ、無用に細菌を身体の中に取り入 れてしまう行動様式に満ちています。例えば、よくかまずに食べたり、身体を冷やし たり、睡眠を十分にとらなかったり、口で呼吸をしていると、身体中の細胞に細菌が 蔓延し、難病といわれる免疫病を引き起こしてしまいます。身体をきちんと温かく 保っていれば、全身のミトコンドリアが生き生きと活動し、細胞のリモデリング=新 陳代謝がスムーズに行われます。このリモデリングこそ、私たちの生命が流れる渦の ようなものなのです。
当たり前の正しい生き方をすれば、私たちは病気から逃れて生きることができます。 しかし、日本の医学は、残念なことに、こうした根本的なことには目を向けていませ ん。日本医学が、人間の身体を総体的にとらえなくなったことが、難病が治らないま まにされている原因にもなっています。
健康に生きるためには、生き方を改めなければなりません。口呼吸を鼻呼吸に改め正 しく呼吸し、身体を冷やさず、正しい食物をよく噛んで食べ、よく眠り、正しくエネ ルギーを摂取して生きていれば、文明が進んで疫病の多くが克服された現代社会で は、健康生活が手にいれられるのです。

上記のアマゾン・ドットコムの引用を読み、「あれ? 今までの医学的常識と違うぞ」と気がついていただくことが、正しい医学的常識を身につける第一歩となるのであり、正しい医学的常識を身につけられるという点だけでも同書を手にする価値があると思います。なお、以下は同書の中から特に印象に残った個所です。

東京大学の場合、歯科学教室が設立当初から今日に至るまで崩れていたため、東京大学の医学部のレベルはすでに明治時代から最低の状態に陥らざるを得ませんでした。そして現在の平成の世にも、A教授のごとく学力も倫理観もない東京大学の医学部の一部の教授たちが今日的に明治時代の誤りを再現するような人選を行っています。そして、血液製剤のエイズ感染が発生するという失態が露見するまでの戦後の日本医療のほとんどすべての重要事件が、東大医学部出身者にゆだねられてしまってきました。今日の日本の医学がおかしくなったのは、そうした背景があったのです。
『究極の免疫力』p.70

『スポック博士の育児書』は1946年にアメリカで書かれ、ベストセラーになったもので、日本では当時の東大教授の高津先生によって昭和41年(1966年)に監訳されました。大学紛争の頃からインテリ層に浸透し、育児のバイブルのような扱いをうけました。しかし、1970年代にアメリカで発生した乳児ボツリヌス症事件で2歳半までの赤ちゃんの腸の特性が大人とはまったく異なることが明らかになり、スポックの育児法は全面的にアメリカで否定され、代わって昔の日本式の2歳半まで母乳中心に切り替わりました。
『究極の免疫力』p.81

免疫病がミトコンドリアの障害でおこっていることに気づいている人はまだ皆無といってよいでしょう。身体の中で赤血球以外のすべての細胞はミトコンドリアをもっています。
『究極の免疫力』p.227

余談になりますが、今月の中旬から下旬にかけて、『ニューリーダー』という雑誌に半年前に掲載された西原氏の対談記事を皆さんに紹介する予定ですが、対談の主テーマは明治を代表する文豪・森鴎外についてであり、その森鴎外を徹底的に批判した内容の対談になっています。お楽しみに。

■〝明治の大文豪〟森鴎外の隠された真実 「日本最悪の医者」としてその犯罪を裁く(『ニューリーダー』 2005年2月号 )…8月13日アップ予定

■「軍医」森林太郎と「文豪」森鴎外 捩れた人格 〝虚飾の栄達〟とその贖罪に見る日本人の〝貌〟(『ニューリーダー』 2005年3月号 )…8月20日アップ予定

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2005年8月 2日 (火)

『日経新聞の黒い霧』

b050802 『日経新聞の黒い霧』(大塚将司著 講談社)という本に目を通しました。過日、私は日経新聞の落日について投稿していることからお分かりのように、以前から日経新聞社の動向について関心を持っていました。詳細は以下を一度再読していただければ幸いです。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/07/financial_times_b7c0.html

私がアマゾン・ドットコムに日経についての書評を投稿したのが、当時の鶴田卓彦相談役が退任してから2週間後の2004年4月14日でした。日経の記者が株主総会で鶴田社長の解任を要求する株主提案を提出したという内容を新聞記事で読み、それが頭の片隅に記憶として残っていたこともあり、同書を読み進めながら、「あの時に株主提案を出したのが、本書を著した大塚将司氏だったのか」と思い出した次第です。日経内部に居ないと書けないような内容を多く含む同書であり、当時そして恐らく現在でも根底では大差ないであろう日経の実態が良く描かれており、日経さらには日本の大手新聞社には本物のジャーナリズム精神を持つ記者がほとんどいないのかという理由が、同書を読むことで理解できるのではないでしょうか。これは、岩瀬達哉氏の著した『新聞が面白くない理由』(講談社文庫 )を読めば一層明らかになります。

ところで、私は本を読むときに線を引きながら読む癖がありますが、同書についても多くの線を引いています。そうした線を引いた中から、これはと思う下りを以下に羅列しておきましょう。

 「日経らしさ」。
 日経新聞社の編集局で頻繁に使われる言葉だ。
 私は長いこと、その意味するところがよくわからなかったが、鶴田社長時代になってそれが徐々に見えるようになってきた。どうやら「日経らしさ」とは、米国の受け売り、世論迎合、事なかれ主義だけを是とすることのようだった。理念とか哲学とは無縁の「情報サービス会社」として風見鶏のように臨機応変に立ち回ることが重要で、それは本来の言論報道機関の役割を放棄することを意味していた。
『日経新聞の黒い霧』 p.159

 90年以降の経済政策の結果、多くのサラリーマンたちが人生設計を狂わせ、苦しみもがいている。その責任は政治家、官僚、企業経営者だけに帰属するものではない。経済を専門とする日経新聞の責任も重い。しかも、この間、私は記者、デスクとしてその最前線にいた。意図してスクープだけを追い、ジャーナリストとしての自覚に欠けていたのは紛れもない事実である。
『日経新聞の黒い霧』 p.193

 「君な、新聞社なんて、最も遅れているんだ。組織の内部は1970年代くらいの日本企業並みじゃないか。いや60年代かもしれないぞ。まあ、つい最近まで大手銀行だってそうだったけど、この金融危機で相当変わっている。まだソニーみたいなわけにはいかないが、徐々に変わってきている。新聞社だって変わらないと、生まれ変わった日本の経済社会についていけない。そんな遠くない将来、そういう時がやってくる。その突破口を開いたのは君だろう。それでいいじゃないか」
『日経新聞の黒い霧』 p.336

 「君ね、日経新聞社のこと、言論報道機関だなんて思っている人は大企業にはほとんどいないよ。単なる情報サービス会社なんだよ。そりゃ、面と向かっては誰も言わんさ。第四の権力なんだから、反撃が怖い。でも、内心ではそう思っている。
『日経新聞の黒い霧』 p.337

最後に、以下に過去私が書いたジャーナリズム論の一端を転記しておきます。これをきっかけに、社会の木鐸としてのジャーナリストの使命とは何かについて、再び考えを巡らせて頂ければ幸いです。

本来、ジャーナリストの使命は権力の監視にある。日本の権力が辿ってきた道程を振り返ってみよう。先の第二次世界大戦による敗戦の後、祖国復興の意気に燃えていたのは何も日本国民だけではなかった。日本の権力の中枢を担う自民党にも高い理想を持って祖国の為に尽力した政治家も少なからずいたのである。やがて、そうした先人達の努力が実り、高度成長期を経て完全な復興を遂げた日本であったが、その反面、1970年代頃前後から政界が利権の漁場と化し、愚民政策による日本社会の退廃が進んだのも周知の事実である。その後の日本は経済大国の道を歩み、やがてバブル景気に沸き、日本中が好景気に酔いしれていたまさにその時、突然バブルが弾けたのであった。それからの日本は十年以上の長きにわたる平成大型不況に突入し、今日に至っても依然として大型不況からの出口を見出せぬどころか、さらに奈落の底へと突き進んでいる。このように、日本が亡国寸前にまで陥った原因の一つに、ジャーナリズム精神の墜落が挙げられるのではないだろうか。社会の木鐸という言葉を持ち出すまでもなく、権力を監視し、警告を発していくのがジャーナリスト本来の使命のはずであるが、ジャーナリストのサラリーマン化と言われて久しく、最近の日本のジャーナリズム精神の墜落は目を覆うばかりであり、とても政界や財界、あるいはマスコミ界自身に対して「鋭い知的洞察をもって(権力による)その邪用・誤用を戒める」だけの覇気は、日本のジャーナリスト、より正確には大手マスコミには最早無いと断言しても差し支えないであろう。時代は、我々自身で「鋭い知的洞察をもって(権力による)その邪用・誤用を戒める」よう要求しているのである。そして、そのために必要となる武器こそがセマンティックスなのだ。ここに、「個人の生き方に知的判断を回復させようとする努力」のすすめを説く所以である。
『日本脱藩のすすめ 第三回・意味論のすすめ』

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2005年8月 1日 (月)

『教育の原点を考える』 第III章

b050615先ほど、『教育の原点を考える』の第III章「絶対主義と皇国教育」をアップしましたのでお知らせ致しします。 http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/edu/edu.htm 以下は、第III章の中で特に印象に残った下りです。 同章の冒頭は以下のような出だしになっています。
藤原肇 明治一四年(一八八一)の政変と呼ばれるクーデタで、大隅重信や福沢諭吉の門下生を政府から追放して、伊藤博文の絶対主義路線がはっきりします。その反動として、秩父事件や加波山事件のような反抗と弾圧が、明治の日本に激動の渦をまき起した。結局は、民権運動がしめ殺されていく中で国粋主義と絶対主義が支配的になり、民学を押しのけて官学の力が強まったことは、明治憲法と同時に教育勅語が発布になって、狂信的な水戸学的な思想がすべての教育機関に押しつけられた事実に象徴的に現われています。しかも、伊藤に協力して師範学校の軍隊教育化などを推進した文部大臣の森有礼でさえ、憲法発布の日に国粋主義者に暗殺されるほど、反動の嵐はすさまじくなっていく。
本当に、明治14年の政変は日本の将来を左右した分水嶺でした。その時の中心人物の1人であった大隈重信について、私は拙ブログでも取り上げていますので、一読していただければ有り難く思います。 http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/07/post_a6bb.html
松崎弘文 しかし、日本のようにボス政治がまかり通っている国では、よほど準備して地方分権の努力をしない限り、各地方各市町村ごとに小さな文部省ができてしまい、いよいよ混乱することも考えられます。

早川聖 現にそれが口実になって、教育委員を任命制にする工作が文部省によって行われたのだし、一番いい例が自治体警察の運命です。戦後アメリカの制度を導入して自治体警察が生れたけれど、結局は国家警察に吸収されてしまった。日本人は体質的に中央集権的なものが肌に合っていて、お上に隷従するのが好きなんですな。

藤原肇 そこに教育問題の根幹があって、隷属思想が日本文化の特性であるならば、教育によって日本文化を乗りこえるような人間を育てなければいけない。

早川聖 そこまで言い切ってしまうから、藤原さんはラジカルで危険思想の持主だと烙印を押されてしまうんです。日本人がもっと民主的な考え方を身につければいい、といっておくだけで済むのですよ。現に、大正デモクラシーと呼ばれる時代は、中道的で人間的な印象を人びとに与えることに成功したが故に、あの絶対主義の時代にあっても、デモクラシーが一時的に花開くことができたんですから……。

『教育の原点を考える』は四半世紀前に発行された本ですが、それからの日本は根底的に全く変わっていないようです。拙ブログ[教育の原点を考える]は、己れを取り囲む日本人としての壁を乗り越えるためのヒントになればと思って始めたのですが、ほとんど反応もないのも、末期症状の日本だからこそなのでしょう。 追伸 『教育の原点を考える』の電子化が完了する今年の9月30日まで、本ブログの投稿を精力的に続けていきたいと思います。それ以降は拙ブログの更新を停止(場合によっては閉鎖)、あるいは停止とまではいかなくても更新の頻度を大きく下げる予定(月に数回程度)です。よって、もう暫くの間は五月蠅いかもしれませんが、お付き合いのほど宜しくお願い致します。ともあれ、6月中旬からブログを体験することにより、ブログとはどういうものか分かりましたので、関与している掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】に何等かの形で反映出来ればと思っています。 http://jbbs.livedoor.jp/study/2491/

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2005年7月29日 (金)

『反「暴君」の思想史』

b050729いつの日か書評を書いてみたいと思っている本の1冊に、将基面貴巳氏の『反「暴君」の思想史』(平凡社新書)があります。この本は、某識者をして戦後の日本の十大名著の1冊に加えたいと言わしめたほどの良書です。かなり前のことですが、私の知人の1人が同書について感想を述べたことがあり、アマゾン・ドットコムにも投稿されていますので、以下に転載しておきましょう。
将基面貴巳著『反「暴君」の思想史」について

  生まれながらにして古典となる運命を持つと予感させる稀代の良書

 本書は、将来日本で「共通善」思想受容史の研究書が書かれるとしたら、特筆大書されるだけでなく、亡国の淵にあえぐ多くの日本人の目を覚まさせ、思想的基盤を再構築し回天への行動を取らせる契機となるだけの強いインパクトを持った歴史的名著である。

 著者将基面さんは、学者・歴史家の使命への深い洞察と祖国へのコミットメントに基づいて、専門の中世末期のヨーロッパの政治思想の学識を最大限に生かしつつ、その専門性の枠に捉われることなく、幅広い学識と時空を超えた俯瞰的な足場の上に立って、比較政治思想史のアプローチを使って、古今東西の思想を鏡として、日本人の政治的思惟の特性を明らかにし、日本人が陥りやすい思想的短絡の不毛性をも懇切に指摘しつつ、暴政の打破、亡国の救済の鍵となるべき思想が何かということを明確に読者の肝に銘じてくれる。

 また、本書は国際的な碩学の手になるものだけあって、意味論を踏まえた用語定義や概念規定がたいへんにすぐれており、政治を学び考えようとする者の思考整理に大いに役立つものである。そして本書は、後学の者が比較政治思想史的アプローチによって政治思想の有無の検証や内容の差異を明らかにする際のたいへんすばらしい手本となる良著でもある。

 さらに、著者の学者の使命に関した倫理意識と義務感が卓越して素晴らしいことも特筆されるべきであるといえる。私は、本書を読み返すたびに、著者の若い血潮が、真の憂国の情と、学者の立場で故国に対して果たすべきことを成すべき時に、きっちりとやり遂げて置きたいという厳しい使命感で脈打っていることをひしひしと感じる。

 著者は本書の出版によって、日本を祖国に持つ国際的な政治思想史学者として、また世界的レベルで生きる現代の知識人として、ノブリスオブリジュを充分に果たしており、じつに感服すべき業績を残した。本書はまさに、著者の高度なボンサンスが存分に体現された名著である。

 本書を手に取るものは、暴政に対して立ち上がる勇気を強力に支える思想的基盤を培うことができるだけでなく、比較政治思想史アプローチのエッセンスをおおいに学ぶことができよう。そのうえ、生まれながらにして古典となる運命を持つと予感させる稀代の良書に廻り会う喜びを体験できたら、それは「素晴らしいの一言に尽きる」というものであろう。

 丸山眞男の「忠誠と反逆」と読み合わせるとさらに学習効果がでよう。

これだけ素晴らしい書評を書かれると、これから同書の書評を書こうと思っている者にとって大変やりずらい面がありますね。事実、上記の書評が書かれたのが2002年10月であり、いまからおよそ3年前ですが、アマゾンドットコムでは友人の投稿以降は、他の誰からも同書に対する書評の投稿がありません。これだけの書評を書ける知人を誇りに思った次第です。

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2005年7月26日 (火)

『属国・日本論』&『石の扉』

b050726 IBDのウェブ機関誌に「近代日本とフルベッキ」というシリーズを最近まで執筆していましたが、坂本龍馬を取り上げた際に、評論家の副島隆彦氏の『属国・日本論』について書評を書いたことがあります。一読してみて思ったことは、『属国・日本論』は良書の1冊ということでした。それなのに、船井幸雄氏のような人物と対談本(『日本壊死―新しき人目覚めよ 』ビジネス社刊)を出すとは、一体全体どういう了見なのか、呆れるしかありませんが、それは兎も角、『属国・日本論』は推薦するだけの価値はあり、「近代日本とフルベッキ」に書いた書評の一部を以下に転載致します。

副島隆彦の代表作・『属国・日本論』
この『属国・日本論』(五月書房)について、筆者自身が副管理人を務める掲示板[藤原肇の宇宙巡礼]の「若き日の修験者・空海のコスモロジーと錬金術」というスレッドに、以下のような書評を先月投稿した(一部訂正)。 http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/2491/1089401588/

エンセンさん、『思想劇画 属国日本史 幕末編』のご紹介ありがとうございました。その後、副島隆彦氏のホームページ[学問道場]を訪ねてみたところ、須藤よしなおさんという学問道場のメンバーの方も『思想劇画 属国日本史 幕末編』の一部を紹介していました。

ただ、エンセンさんの紹介してくれた『思想劇画 属国日本史 幕末編』の一部を拝見したものの、副島氏の「バカヤロー! ふざけたことをぬかすな!」といった台詞に代表されるように、品のない副島氏の言葉のオンパレードといった感があり、故手塚治虫の作品を知る一人として、『思想劇画 属国日本史 幕末編』は手にする気が起こりません。内容的には良いものだけに大変残念だと思ったのですが、『思想劇画 属国日本史 幕末編』は同じ副島氏が著した『属国・日本論』(五月書房)の「幕末・明治期編」を劇画化したものと後に知り、取り敢えず『属国・日本論』をオンライン書店を通して取り寄せて一読したところ、予想に反してなかなかの良書でした。特に深く共鳴したのは以下のくだりです。機会があれば拙稿「近代日本とフルベッキ」で紹介させていただく予定です。

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政治の流れを大きく背後で動かしているのは、軍事力とそのための資金である。このリアルな事実を抜きにしてあれこれ見てきたようなことを書いてある本は駄本だ。現実の政治を知らない学者たちの、厳密な文献考証だけでも駄目である。どれだけの軍事援助をどのような勢力が行ったのかを見きわめようとするリアルな眼を持たなければ、幕末維新期の謎を解明することはできない。 『属国・日本論』P.200
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このくだりを読んでピンと来たので、同書を最初から最後まで目を通してみました。そうした中で思わず息を呑んだのは、「なぜ佐藤栄作元首相はノーベル平和賞を受賞したのか」という題名の章でした。佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞した理由と、それが20年後のソビエト連邦崩壊に結びつくまでのプロセスを、ものの見事なまでの副島氏のインテリジェンスで以て炙り出している箇所を読み、思わず唸った次第です。

ただ、二カ所惜しいところがありました。

一つは、「甘粕正彦(大杉栄と伊藤野枝を殺害した軍人でもある)」(P.233)とある点です。確かに通説ではそうなのですが、大杉栄と伊藤野枝を殺害した真の犯人は甘粕正彦ではないという説もあるのです。そのあたりの詳細は『賢者のネジ』(藤原肇著 たまいらぼ出版)の「第八章 大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁」に書かれていますので参照願います。

二つは、米国のシンクタンクを分類するのに、〝リバータリアン保守派〟(P.120)という表現を副島氏が用いている点です。しかし、欧米の識者であれば、個人であれシンクタンクのような組織であれ、自らをリバータリアンと名乗るような危ないことはしないはずです。「本当のリバータリアンというのは、自身がリバータリアンであることを徹底的に隠すのが本来の姿であり、自分がリバータリアンであることを公にすれば、命が幾つあっても足りない」というのがリバータリアンという存在であると、知人の在米の某識者が語ってくれたのを思い出します。

 上記にもある通り、「政治の流れを大きく背後で動かしているのは、軍事力とそのための資金である」という副島氏の考察は正鵠を射ており、筆者も前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「第六回 国際政治のすすめ(政治編)」に、「金融ヘゲモニーとの軍事ヘゲモニーこそは、パクス・アメリカーナを推進していく両輪に相当する」旨のことと書いていて、副島氏同様に軍事力とその資金が世界を動かしていると考える一人である。時間があれば、会員の方は前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「第六回 国際政治のすすめ(政治編)」に再度目を通していただければ有り難い。

 また、副島氏のいう「政治の流れを大きく背後で動かしているもの」を捉えるには、前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「最終回 再び日本脱藩のすすめ((総編)」にも述べたように、「上次元より観察して物事を的確に判断すること。例として、日本の経済・政治の現状を正しく把握するには、次元を一つ上げてアジア全体の経済・政治の流れを掴むようにし、アジアの経済・政治の現状を正しく把握するには、さらに次元を一つ上げて世界全体の経済・政治の流れを掴むようにすること」が出来るように修行を積むことが肝心なのである。

 オンラインで公開している『竜馬がゆく』の「BOOK」データベースによれば、「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ龍馬一人がやったことさ」と勝海舟が語ったと書いてある。果たして勝の言っていたことは本当なのだろうか。『属国・日本論』では以下のように述べている。

 坂本(龍馬)は、薩長同盟=薩長密約(1866年1月21日、京都の薩摩藩邸で、西郷隆盛と木戸孝允が合意した攻守同盟六ヶ条)を仲介した幕末史上の重要人物とされる。しかし一介の脱藩浪士が何のうしろだても無しに、このような政治力を持てるだろうか。背後にはやはり、ジャーディン・マセソンとその日本対策班であったグラバーと、イギリスの外交官たちがひかえていたと考えるべきだ。
『属国・日本論』(副島隆彦著 五月書房)P.176

 一般に、明治維新は下級武士を中心に日本人だけの力で成し遂げたものであるというのが日本での通説になっているようだが、『属国・日本論』はそうした通説に対して否と答えているのであり、筆者も『属国・日本論』に全く同感である。論より証拠、グラバー自身が薩長の仲を取り持ったと述べた記録が残っており、それにより龍馬の背後にはグラバー、さらにはジャーディン・マセソン商会がいたことが明らかである。

 グラバーはのちに薩長同盟、鹿児島訪問、倒幕という文脈のなかで自分を位置づけ、「つまり自分の一番役に立ったのは、ハーリー・パークスと、それから薩長の間にあって壁をこわしたことで、これが自分の一番手柄だったと思います」と自負している。(『史談会雑誌』)(杉山伸也著『明治維新とイギリス商人』岩波新書、1993年)

 グラバー自身もこれぐらいの白状は、どこかでやっているものである。いったいこのグラバーの背後に日本を属国にして管理してゆくためのどれほどの策略がめぐらしてあったのか、今のところこれ以上は分からない。 まるで日本人だけで、それも情熱に燃えた下級武士たちの力で明治維新ができたと考えるのは底の浅い歴史認識である。

『属国・日本論』(副島隆彦著 五月書房)P.200

 以上、龍馬を表に立てて資金面の援助を行い、薩長に武器を売り込むように指図をしていたのがグラバー商会、ジャーディン・マセソン商会であり、さらにグラバー自身が告白しているように、日本の青写真を設計していたのもグラバー商会、ジャーディン・マセソン商会であったことがお分かりいただけたと思う。では、龍馬の背後にいたグラバー、ジャーディン・マセソン商会とは、そもそも何者だったのだろうか。

上海にあったのは(今でも香港にある)ジャーディン・マセソンという大商社である。このジャーディン・マセソンは現在でもイギリスで四番目ぐらいの大企業であり中国の利権を握りしめてきた商社である。このジャーディン・マセソンの日本支社とでも言うべき商社がジョン・グラバー商会である。おそらく、彼らは全て秘密結社フリー・メイソンの会員たちであろう。私は陰謀理論(コンスピラシー・セオリー)をことさら煽りたてる人間ではないが、この事実は、日本史学者たちでも認めている。この上海のジャーディン・マセソンが日本を開国に向かわせ、日本を自分たちの意思に従って動かした組織だと私は、判定したい。
『属国・日本論』(副島隆彦著 五月書房)P.170

b050727  上記のように、副島氏はジャーディン・マセソン商会およびグラバー商会を「フリーメーソンの会員たち」といった簡単な記述で済ませているが、幕末明治にかけての日本、さらには今日に至るまでの日本にフリーメーソンが大きな影響を及ぼしてきたのであり、そのあたりをテーマに取り上げた『石の扉』(加治将一著 新潮社)という題名の本が最近発売されている。中でも本シリーズ「近代日本とフルベッキ」と関連して注目すべきは同書の「第五章 解き明かされる明治維新の裏」であるが、内容的には副島氏が『属国・日本論』の中で説いている幕末維新期の域を出ていない。しかし、フリーメーソンの全体像を把握するには格好の書であるので、『属国・日本論』同様に一読をお薦めする所以である。

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2005年7月24日 (日)

『Forbes』 健康管理

0509_forbes 昨日紹介した日本語版『Forbes』9月号に、「アームバンドで24時間“健康チェック”」という記事も載っていますが、これがなかなか興味深い記事です。

http://dappan.hp.infoseek.co.jp/dojo/trans/pic/forbes050901.htm

私のようにフリーランス(翻訳)の仕事をしていると、ほぼ毎日、一日中パソコンの前に坐って仕事をしているので、健康管理に十分気を配る必要があります。私の健康管理と云えば、若い頃に始めたヨガということになるでしょうか、ほぼ毎日20年続けています。お陰様で、同世代の人たちと比較して大病を患ったこともなく、年に一回の健診を受けても全く悪いところは見当たりません。ただ、3年ほど前にタバコを止めたことから、体重が増えました。そこで、1年ほど前からヨガ以外に何か運動をやろうと思いつつも、結局運動らしい運動は今日に至るまで何もやっていません。歩いて数分の所にスイミング・スクールがあるので、そこに通うことも考えましたが、物臭な性格ということもあり、実現に至っていません。スイミング・スクール以外に、高校生の時に合気道をやっていましたので、自転車で10分程度の所にある合気道道場に通うのも良いかなと考えたこともあります。それにしても、いつになったら自分は重い腰をあげるのやら(運動を始めるのやら)…。

同記事に、「ヘルスケア(健康医療)分野にも〝実力主義〟を導入すべきだ。最高の健康管理というのは、病気にならないために、最善努力をすることだ」とあり、耳が痛いです。さらに、「太った人は保険料率が高くなるかもしれない」とあっては、一層プレッシャーを感じざるを得ません。それにしても、同記事の見出しに「体のどこが悪いのかを教えてくれたのがこれまでの医学。だが今は、体のどこが悪くなるかをコンピュータが教えてくれる時代になった」とありますが、このあたりに情報革命が目の前に迫っていることをヒシヒシと感じさせてくれるものがあります。

ところで、一日中パソコンの前に坐っていて困るのは、何も運動不足になるということだけではありません。一日中パソコンの画面を眺めているために起こる、目の疲れも相当なものです。私自身も、昨年の11月までは目の疲れに大変悩んでいました。朝からパソコンに向かって仕事をしているので、目が疲れるのも止むを得なかったのですが、それにしても夕方あたりになると思わず目蓋を押さえてしまうほど、目が疲れて疲れて仕方がありませんでした。ところが、去年の11月に風水師であるKさんと出逢ったことで、一日中パソコンのモニターを見つめていても、全く目が疲れない方法を幾つか教えてもらっのです。残念ながら、これらの方法はKさんとの約束で本ブログで公開するわけにはいきませんが、ここではヒントを一つだけ教えておきましょう。以下のURLをクリックしてみてください。

http://homepage2.nifty.com/tnatori/trans/health.html

上記HPのオーナーも私同様に翻訳者ですが、同HPのオーナーが書いているように、世の中には目に良いドリンクが確実に存在しているのは確かです。ただ、上記HPを読む限り、どのような成分が本当に目に良いのか、上記HPのオーナーは未だよく分かっていないようです。ともあれ、11月に目の疲れを取る方法を教えてくれたKさんから、目によいドリンクの事業化に挑戦してみたらどうかと云われ、一時はその気になって賛同者を集めたりしましたが、その後本業(翻訳)が忙しくなったこともあり、残念ながら実現に至っていません。しかし、これからの世の中は、今まで以上にパソコンに接する仕事が増えていくことが予想できることから、Kさんがヒントに出してくれたビジネスの種を開花させてみたいと、ふと思うことがあります。このように、世のためになるビジネスの種を持っているというのに、己れの健康管理同様に腰が重いのは自分の悪い癖です…。

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2005年7月23日 (土)

『Forbes』 Xbox

0509_forbes 昨日発売された日本語版『Forbes』9月号に、「Xboxの戦略180度転換でソニーに挑むマイクロソフト」という記事が載っています。
http://dappan.hp.infoseek.co.jp/dojo/trans/pic/forbes050902.htm

拙宅の場合、壊れた分も含め、任天堂のゲームボーイが新旧合わせて5台もあり、その他に任天堂のゲームキューブ、ソニーのプレイステーション2も揃っていて、残るはXboxのみとばかり、敵(子どもたち)はXboxを虎視眈眈と狙っているようです。実は、数ヶ月前、仕事でプレイステーション2関係の記事を翻訳していた際、敵にプレイステーション2のことについて色々と尋ねたまでは良かったのですが、「今時、プレステ2を持っていないのは時代遅れ」、「お父さん、やっぱり本物を体験しないとリアルな記事書けないよ」とか何とか言われ、結局敵の総攻撃を防げずに落城してしまったという苦い思い出があります。過去の失敗の体験から、敵にXboxの記事を敵に見せては一大事とばかり、『Forbes』9月号に目を通した後は、敵に見つからないように仕事部屋の本棚に隠しました。しかし、記事を読むに、今年のクリスマスに発売されるXboxは、私のようにゲームの素人をターゲットにしているとあり、今からどのようなゲーム機なのだろうかと期待しているもう一人の自分がいます…

最近、下の子(小4)のクラスの子どもたちが書いた「将来の夢」という作文集を読みました。そして、自分の子どもではありませんでしたが、将来は「任天堂の社長になりたい」という子が2人、「任天堂の社長は無理だから、せめて部長になりたい」という子が1人いたのには驚くと同時に、夢がないなぁ……とため息をついた次第です。任天堂はすでに完成した企業であり、そんな会社の社長なんかになるよりは、自分自身の力で新しい事業を立ち上げ、それを大企業に育てた方が、遙かにロマンがあるのではないでしょうか。無論、事業を興して大企業に育てるだけが人生ではなく、来る情報化社会を睨んでのスモールビジネスも悪くはありません。私は、子どもたちが中学生高校生あたりになったら、『日本脱藩のすすめ』という本を薦めるつもりですが、その本には以下のようなことが書かれています。(同書は残念ながら絶版ですが、数年前に著者の許可を得た上で以下に電子化済みです)

http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/dappan/dappan.html

●ビジネス・ノウハウを武器にして、やる気を持った小集団が創意と挑戦の気概に燃えて、既存のビジネス領域に進出を企てているのです。最初のうちは困難に遭遇して苦しいことも多いですし、涙をのんで敗退しなければならないかもしれませんが、幾ら大きなものでもマンネリに陥っていれば、必ず新進気鋭の者に隙をつかれるものです。それに組織が小さければ経費は最小限度で済むので、いざとなったら耐久度は抜群ですから、とことんまで耐えぬけば、いつかは微笑む時を迎えることが可能になります。しかも、自分でビジネスをやることによって自らの創意を生かし、実力を試すことができたら、人生これくらい楽しいことはないし、これ以上の生き甲斐を感じることはありません。

●ベンチャー・ビジネスというのは、問題意識とソフトウエアが非常に優れていて、この人ならこの種の問題に関して世界一とか、関西で一番わかっているという人物が寄り集まり、しかも必要最低限度だけの人間だけで構成し、不必要な者はいっさい組織の中に入れないで運営する事業です。

 ...........中略.............

 組織の発展の歴史をふりかえってみるなら、仕事を分担して能率をあげるという原理に従って、組織は複雑化し拡大してきたのは確かです。複雑化することによって不必要なものをとりこみ、拡大したことによって多くのものを失ってしまったという事実に注目するなら、不必要なものを切り棄て、必要があるにもかかわらず失ってしまったというものを取り戻す努力をすることも、発展の別の側面ではないでしょうか。マックス・ウェーバーが喝破した通り、官僚制というのは人間が作り上げた最も合目的的な機構であり、合理性の特徴を持ちうるものであると言えますが、組織内部の個人の能力の活用と、構成員としての個々の人材の実力の自律的増進という意味では、あまりにも多くのものを喪失しているのも事実ではないでしょうか。特に、素早い決断をするプロセスと、組織の機動性を保持するためには、最小限に複雑化し、最小限に拡大するという態度に徹しなければならず、それを実現してビジネスをやっているのが、実はベンチャー・ビジネスの正体です。ベンチャー・ビジネスは規模の単位によって大きさを計る、小企業とか零細企業とは本質的に異なった理念で成り立つものであり、外見的には似ていますが、中身は気が遠くなるほどの違いを持つといえるでしょう。


●ベンチャー・ビジネスは非常に経済合理主義に徹した組織体ですから、不要なものはいっさいかかえこみません。無駄と考えられる経費は全く使いません。事務所にしても、大きなビルに入って立派な看板をかける必要もありません。誰かメンバーが持っている会社の中の一室に陣取ったて構わないし、ホテルの会議室を三ヶ月間借りて仕事を仕上げ、目的を果たしたら、さっさと解散するなり、新しい組合わせで別の組織体と共同事業を始めてもいいのです。ある意味で課題を遂行するためのゲリラ組織ですから、特別任務が終わった段階で組織は解体されて再編成されるのは当然でして、この解散能力がベンチャー・グループの活力源とも言えます。特に、労働力指向型に比べると技術指向型のものが、技術指向型のものに比べると知識指向性の高い組織体の方が、より経済合理主義に徹しており、同じベンチャー・ビジネスでも最新技術とノウハウを誇るものになればなるほど、情緒性は乏しくならざるを得ない現実があります。日本人は分かれたり解散するのが苦手ですし、不要なスタッフを切り離すのは非人情だという家族主義的気分が、温情の形で価値観の基準になっていて、みな組織の中にかかえこむのがほとんどです。一度雇ったらクビは切れないし、組織が非生産的な人間の重みで動きが取れなくなっても、自滅寸前までそこにしがみついています。しかし、組織は運命共同体ではなく、ある課題を実現する目的で作られた乗りものにすぎない以上、ビジネスをやる組織は、目的の変更によって自由自在に動ける状態にない限り、自らの重みに耐えかねて自滅してしまうのは世の習いではありませんかね。

●ベンチャー・ビジネスというのは、多分にプロフェショナリズムと結びついており、企業家精神が科学的研究や技術開発能力と結びついてビジネスを営む状態で組織化されたものとでも規定できるのではないでしょうか。

ところで、子どもとゲームと言えば、ゲームばかりやる子どもの脳が危ないと騒がれた一時期がありましたが、その出所は森昭雄氏という大学教授が著した『ゲーム脳の恐怖』(生活人新書)ではないでしょうか。しかし、同書は初歩的な間違いがあるようで、アマゾン・ドットコムなどで叩かれていますし、『社会的ひきこもり 終わらない思春期』(PHP新書)という本を著した、ひきこもり研究の第一人者である精神科医の斎藤環氏も、『ゲーム脳の恐怖』を批判している一人です。
http://www.tv-game.com/column/clbr05/

私自身は、2人ともサッカーで身体を動かしている上、自然に恵まれた環境の中にいるのだし、引きこもりどころか毎日のように友達が拙宅に遊びに来ている有様なので、ゲーム脳だの引きこもりだのは今のところ心配していません。ただ、時々ゲームに夢中になっていたら、「少し目を休ませろ」と注意する程度です。尤も、つい最近までは、ゲームばかりしているので、「外で遊べ」と叱ったことが幾度かありました。

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2005年7月14日 (木)

『明治14年の政変』

b050714 「近代日本と大隈重信」という観点から、明治の元勲・大隈重信の足跡を振り返ってみた場合、明治14年の政変を取り上げないわけにはいかないでしょう。何故なら、明治14年の政変は大隈が深く関与していたからという理由だけではなく、その後の日本の運命を大きく左右した事件だったからです。そこで本日は、1年前にIBDのウェブ誌に載せた書評を一部公開します。書評の対象となった本は、元駐日韓国公使で大阪市立大学客員教授だった姜範錫氏が著した、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』(朝日選書)という本です。

大隈重信

明治14年の政変とは一体どのような政変だったのか、中学・高校時代の日本史で学んだはずであるが、おさらいの意味でCD版の百科事典『マイペディア』に当たっておこう。


明治14年の政変:1881年(明治14年)参議大隈重信とその一派が政府から追放された事件。1880年民権派の国会開設請願運動は頂点に達し,政府は憲法制定と国会開設を決意したが,開設時期に関して大隈は即時開設,伊藤博文,井上毅(こわし)は漸進的意見で対立した。1881年3月大隈は伊藤にはからず急進的な意見を左大臣有栖川(ありすがわ)宮を経て上奏。これを6月末伊藤が知り大隈との対立が激化した。このころ開拓使官有物払下事件が起こり,民権派の政府攻撃が高まった。反大隈派はこれを大隈が福沢諭吉らと結んで行った反政府陰謀であるとして,10月大隈とその一派を罷免した。同時に1890年を期して国会を開設し,その前に憲法制定を行うという詔書を公にして,プロイセン的な欽定憲法の制定にのりだすとともに,開拓使官有物払下を中止,伊藤・井上馨(かおる)を中心とする薩長藩閥政権を確立,明治国家体制形成のその後の方向を決定した。
『マイペディア』

 ここで最初に告白しておかなければならないことは、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』に接する前の筆者は、上記の『マイペディア』にも記述されているように、明治14年の政変の直接のきっかけは「北海道官有物払下事件(開拓使官有物払下事件)」であるとばかり思っていたという点である。すなわち、北海道官有物払下事件に乗じて一気に天下をとってしまおうとする大隈一派の陰謀説として捉えていたのである。筆者がそう考えていたのは、造船疑獄やリクルート事件などで代表されるように、日本では官有物の払い下げに必ず汚職が付き纏ってきたという暗い歴史が筆者の頭にあったからであり、かつ疑獄のルーツが北海道官有物払下事件に求められるだけに、明治14年の政変の大きなきっかけとして北海道官有物払下事件という疑獄を筆者は結びつけて考えていたのである。しかし、明治14年の政変は北海道官有物払下事件が起因であるとする筆者のそれまでの固定観念を、同書は物の見事なまでに打ち砕いてくれたのであり、同書を読み進めながら、「ある事象に関する情報を収集し、分析し、評価して、行動に移す」というインテリジェンスとはこういうことを指すのかと改めて思い知らされると同時に、論理という名の大理石を丁寧に積み重ねたような姜範錫氏の著作『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』に目を通した後、未だに己れのインテリジェンスの至らなさにため息をついた筆者でもあった。それにしても、これだけの良書でありながら絶版となっているのは実に惜しいという気がする。インターネットで調べたところによれば、姜範錫氏は他にも『征韓論政変 明治六年の権力闘争』(サイマル出版会)という本も出しており、残念ながらこの本も絶版扱いとなっているようだ。

 さて、肝心な姜範錫氏本人の明治14年説であるが、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』の冒頭で述べている以下のくだりを示せば、あとは同書の本文がどのような展開を示しているかは、ある程度明治時代についての知識を持ち、勘の鋭い読者であれば多少は推測できるのではあるまいか。


 明治14年の政変は明治6年の政変で確立された薩長藩閥主導の体制に対して、この体制の一角になお座を占めていた肥前出身の参議大隈重信を頂点とする政治的集団がなにかを挑み、挫折した政治的事件として捉えてはじめて、歴史のながれに沿った位置づけが可能になるのではないだろうか。明治政権の確定過程の観点からみれば6年政変の〝正〟、14年政変の〝反〟、そして〝合〟としての明治22年の憲法制定である。
『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』

 詳細は同書に譲るとして、同書の白眉は「6年政変の〝正〟、14年政変の〝反〟、そして〝合〟としての明治22年の憲法制定」として捉えているところにあり、ヘーゲルによって定式化された弁証法論理である正反合に準えて、明治14年の政変を「反」として捉えているあたりの姜範錫氏は流石と思わず唸った次第である。「正」である明治6年の政変は、同じ姜範錫氏が著した『征韓論政変 明治六年の権力闘争』を参照してもらうとして、「反」である明治14年に対する姜範錫氏自身の説を如実に示しているくだりを、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』から以下に引用しておこう。

 以上、明治14年年初における大隈、伊藤、井上の同志的結合関係が、国会開設要請の全国的運動の大きなうねりの中で政治的友敵関係へと変貌し、10月における大隈とその政府内党与の全面的退陣に帰結していった過程を通じ、明治14年政変の実相の解明を試みてみた。その結果、「政変」をもたらしたことの始まりは、大隈一党が薩長体制とは一線を画する独自路線を決意し、薩長藩閥政権へ取ってかわる姿勢と行動を実際にとったためであったことが明らかにされたと思う。薩長政権を実際に脅やかすことがなかったならば、「政変」に際しての常軌を逸した薩長の一連の行動を有効に説明することはむずかしい。
 参議大隈が薩長体制における〝伴食的〟立場からの離脱を決意するにあたっては、薩長「一、二種族の専有」打破に執念を燃やしつづけた小野梓の一連の献策が少なからず作用したであろうこともほぼ明らかにされたと思われる。
 薩長体制側にとっては〝獅子身中の虫〟ともいうべき大隈らの動向は、イギリス型政党内閣制を導入することによって薩長藩閥体制を立憲的、制度的に克服することを試みたものであったため、薩長側もこれを表立って斥けることができなかった。そこで、開拓使官有物払下事件にことよせての陰謀的手法(いわゆる大隈陰謀説)をも動員して大隈一党を一せい放逐するに至ったのである。
『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』

 ここで、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』を通じて得た筆者なりの明治14年の政変観を述べるとすれば、次のようなことがいえよう。すなわち、明治14年の政変は、単に大隈重信とその一派が政界から追放されたという性質の事件だけではなしに、政治形態としてイギリスをモデルにした「君民共治」という立憲君主制を構想していた大久保利通の遺志を継ぐ大隈重信およびその一派の追放を意味していたのであり、ここに大久保が構想していた「君民共治」、即ちイギリス型政党政治が日本に根付く機会を奪い去った一大痛恨事が明治14年の政変であったといえよう。そして、その後の歴史が物語っているように、明治14年の政変を境に日本はプロシア精神に基づく絶対主義と、その絶対主義を支える軍隊、官僚制、皇国教育等が盛んになっていくのであり、その御破算が1945年8月15日だったということになる。歴史に「もし」は禁物であろうが、もし大久保・大隈のイギリス路線が明治の日本に敷かれていたら、今日見る日本はまったく違った国になっていたのではあるまいか。

 ところで、もう一点、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』を読みすすめていく中で目から鱗が落ちる思いをしたのは、例の大隈奏書(明治14年3月に大隈重信が左大臣有栖川宮に提出した憲法に関する意見書)の起草者についてであり、筆者は通説通りに福沢諭吉の弟子であった矢野文雄の手による起草とばかり思っていたが、実は小野梓の思想が色濃く刻まれた奏書であることを『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』によって知り、ここにも世の中の通説を鵜呑みにすることの危険性を痛切に思い知らされたのである。ここで、何故今日に至っても大隈奏書は矢野文雄の起草であるという通説が罷り通っているのかと云えば、71歳だった矢野自身が『大隈侯昔日譚』に以下のような文章を遺しているからだ。


 さる著書に、当時大隈さんから岩倉さんに差し出したと云う、立憲制度樹立の意見書なるものがのっていた。それを読んで見ると、たぶん福沢先生が書いたものであろうとしてあるが、これは福沢先生の文章ではない。わが輩が書いたもののようである。
『大隈侯昔日譚』

 「わが輩が書いたもののよう」など、いかにも耄碌した老人の書き方である。その証拠に、有栖川宮とすべきところを岩倉と書き間違えている点などが挙げられよう。ともあれ、通説になっている「大隈奏書の起草者=矢野文雄」という図式は間違った説であり、正しくは「大隈奏書の起草者=小野梓」という説であることを理解して初めて、明治14年の政変の全容が掴めるのである。

蛇足ながら、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』を読みすすめながら何故か小野梓に惹かれる筆者であったが、同書の中に「18歳から22歳にかけての最も知的吸収度高い時期に英米を中心に世界のかなりの地域を見聞した経験は、生涯小野の知的活力の淵源になったに違いない。しかし言語上の制約、それにも増してほとんど実費で生活を支えなければならぬ苦労が重なったため、小野にとっては刻苦勉励の留学であったと考えられる」というくだりを読み、小野に親近感を抱いた訳が分かったのである。それは、筆者も小野と同じ歳の頃に、3年間の世界放浪の旅を体験してきた人間だったからだ。

 ところで、大隈重信の〝ライバル〟であった伊藤博文であるが、中江兆民が大隈と伊藤を並べて評しているので以下に引用しておこう。


  両者の間に逕庭なし、強て其相違を求めば、薄紙一枚の差あるのみ。伊藤は才子利口者としての頂点に達せり。世の才子利口者を学ばんとする物到底伊藤の上に出づべからず。大隈は其に反して英雄豪傑の天地にをる。しかれども其風格の低き、俗臭の大城、到底英雄豪傑の最下層を出でざる也。即ち一は才子小人の絶頂、一は英雄豪傑の下底、この間の差、薄紙一枚のみ。
『一年有半』(中江兆民著 岩波文庫)

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2005年7月12日 (火)

『Financial Times』

0507FT 『Financial Times』は世界の一流の経済紙であり、同じ日本の経済紙である『日本経済新聞』とはまさに月とスッポンといった感があります。数年前、アマゾン・ドットコムに『日本経済の「闇」がわかるFTの読み方』(藤原直哉著)という本について書評を投稿した際、私のFT(フィナンシャル・タイムズ)に対する見方を示しましたので以下に再掲します。
FTのすすめ
2004/04/14

藤原直哉氏が、FT(ファイナンシャル・タイムズ)・WSJ(ウォールストリート・ジャーナル)・日経(日本経済新聞)の三紙を比較しているのを興味深く読んだ。藤原氏は、日経新聞が日本のビジネスマンに読まれている理由として横並び主義を挙げており、「この新聞さえ読んでおけば、上司に何か質問されても答えに窮することはないし、取引先へ行けば雑談のきっかけになる。なんとなく安心だから、朝の日課として読むのである」と解説している。世界を舞台に活躍するビジネスマンにとって、日経は購読する価値が全くない新聞である上、この3月31日に漸く例の鶴田卓彦相談役を退任させることができたという低落ぶりで、旧態依然とした体質が世界中に明らかになってしまった。そうしたことから、日経が来る情報大革命の大波に翻弄され、やがては海の藻屑となることは容易に予想できよう。

WSJについて藤原氏は、「WSJは、あくまでもアメリカの国益と国民感情を重視した、アメリカのための新聞なのである。だから、この新聞ばかり読んでいる人には、ほんとうの世界情勢はわからない」と切り捨てており、小気味がいい。確かに、WSJは視野狭窄のユダヤ系アメリカ人が牛耳る新聞だから当然の話なのである。

FTについて藤原氏は、「FTも、しょせんはアングロサクソンの価値観から解き放たれることはない」としながらも、「世界でもっとも信頼できる英国の高級経済紙」であるとFTを高く評価している。藤原氏がFTを高く評価する背景については同書に譲るとして、藤原直哉氏と同姓の藤原肇というフリーランス・ジャーナリストもFTを勧めている一人であることをこの場で触れておきたい。私の場合、藤原肇氏との交流が長いことから、藤原氏にすすめられて若い頃から欧米の一流紙や雑誌を購読してきた。おかげさまで、現在ではコンサルティング業務の一環として、FTやIHT(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)の要約や全訳を主要官公庁に配信することも多い。ともあれ、その藤原肇氏が『夜明け前の朝日』(鹿砦社)という本を出しているが、これはジャーナリズム精神が墜落した日本のマスコミを徹底的に叩いた本なので、本書と併読されると得るものが多いと思う。

最後に、本書はFT入門書という性格も備えており、これから世界を舞台に活躍したいという、若い日本人にも読んで欲しい本であることを付言しておこう。


FTを参考資料として活用している興味深いブログに、「Investor's Eye」というのがあります。これは30年間マーケティング・ビジネス界に身を置き、現在は某大学の教授になっている人のブログですが、関心のある人は訪問してみると良いでしょう。たとえば、7月10日の日記は、「今週のファイナンシャル・タイムズ週末版から気になる記事をピックアップしてみた…」という書き出しから始まっていました。
http://professor-snape.txt-nifty.com/investors_eye/

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2005年7月 7日 (木)

『紙の爆弾』8月号

kamibaku200508 かつて、『噂の眞相』という月刊誌がありました。『噂の眞相』は、世の悪を徹底的に追及し、不正を暴く良心的な雑誌でしたが、残念ながら1年ほど前に廃刊に追い込まれています。幸いなことに、『噂の眞相』が当初持っていた反骨精神を受け継ぐ形で、鹿砦社が『紙の爆弾』という月刊誌を今年の4月に創刊しています。本日発売の8月号では、『Forbes』前アジア・太平洋支局長で、『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日』や『泥棒国家の完成』などを著したベンジャミン・フルフォード氏が投稿していますので、この機会に同誌を手にしてみては如何でしょうか。なお、以下の注文フォームからの申し込みに限り、送料が無料になるとのことです。単なる芸能界スキャンダルを追うだけでなく、政治・経済面の不正を徹底的に追及していく姿勢を、今後も『紙の爆弾』が貫いていく限り、私は同誌を支援していくつもりです。
http://www.rokusaisha.com/0test/tyumon01.html

■『紙の爆弾』8月号、スクープ、過激記事満載で7月7日発売!

 4月に創刊した月刊『紙の爆弾』だが、“3号雑誌”を通過し、かの『噂の眞相』なき後の空白感にあった多くの読者を獲得し、本格的スタートを切る。
 7月7日発売の8月号からカラーグラビア(8ページ)を新設し、今回はイラク戦争の悲惨な現実を、タブーとなり隠蔽された多数の写真によって訴えた。昨年われわれは、ブックレット『もうひとつの反戦読本』『徹底暴露!! イラク侵略のホンネと嘘』でも巻頭カラーグラビアで、志半ばにして異国の地で斃れた2人の外交官らの惨殺写真を掲載したが、不当に配本を制約されたりして広く読者に届けることができなかった。外務省から抗議も受けた。われわれは懲りていない。これが“三度目の正直”だが、今回は果してどうか。
 かつて1960年代から70年代初め、われわれはベトナム戦争のリアルな報道によって、戦争の悲惨さを知り、それに怒りを覚え、ベトナム反戦運動は高揚した。今、どうだろうか? 戦争はキレイ事ではない。隠蔽された戦争報道で、イラク侵略の本質がゴマかされることを許してはならない。
 8月号ではリアルタイムなスクープ記事も少なくない。詳しくはタイトル一覧をご覧になっていただきたいが、特にジャスダック上場のパチスロ大手企業にして、警察癒着のひどい社会的犯罪企業「アルゼ」関係では、われわれの告発がまともに採り上げられるならば、おそらくアルゼのみならず(普通だったら一つの会社が崩壊するスキャンダルだ)、パチンコ・パチスロ業界を揺るがせかねないだろう。本年春、われわれが単行本(『アルゼ王国 地獄への道』)によって告発したアルゼ連結子会社「セタ」による「偽造紙幣事件」は、A級の証拠資料を所有していた人物(雑誌『政財界』元顧問・小早川茂氏)を警察が急襲し、それらA級資料を一切押収していき、このことで不発に終わろうとしている。アルゼの顧問弁護士=中村信雄弁護士による、偽造された「被害届」に基づいて、阿吽の呼吸で早速警察は動いたが、ここにアルゼ-警察間の連繋プレーを見て取れる。
 しかし、自ら「なんでもアルゼ」などとうそぶき、“スキャンダルの総合商社”との異名を持つアルゼのこと、新たなダイナマイト・スキャンダルをわれわれは入手した。
 考えてもみよ、上場企業の創業者オーナーの自宅が銃撃されたということは、民主主義社会を揺るがせかねない一大事だ。これをマスメディアは報道さえしない。警視庁記者クラブ詰めの記者は知っていたはずだ。また、今回、違法基板(裏ロム)の現物も入手し、証拠写真も撮った。警察高級官僚出身者を代表取締役に戴く、この会社が、警察庇護の下に違法行為をやりたい放題やっている事実を、今回われわれは、動かぬ証拠と共に告発する。アルゼとの死闘も佳境を迎えた。その警察高級官僚→参議院議員という華麗なる経歴を、2億円もの“トレード・マネー”といわれる大金と引き換えに、悪魔に身を売った阿南一成アルゼ社長の晩節が汚されるのは必至だ(阿南社長は、6月29日の株主総会で続投が承認されたが、もはや“泥沼”から抜け出せない証だ)。───
 さらに、世界的経済誌『Forbes』前アジア・太平洋支局長、ベンジャミン・フルフォード氏も、われわれの巨悪と社会的犯罪企業に対する確固たるスタンスを理解していただき、インタビューに応じてくれた。これまでにない豊富な内容が盛り込まれた本号が、これで引き締まった。『噂の眞相』の総括記事関係で作家・安部譲二氏にも取材に応じていただき、「あなたたち、頑張れ、ガンバレだよ」とエールを送っていただいた。
 月刊『紙の爆弾』は、山岡氏ら勇気ある執筆陣、フルフォード氏や安部譲二氏ら心強いサポーターと共に、真に巨悪とタブーと闘う雑誌として自らを鍛え上げていくであろう!

【鹿砦社】http://www.rokusaisha.com/

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2005年7月 5日 (火)

『翻訳に役立つ Google活用テクニック』

b050705 『翻訳に役立つ Google活用テクニック』(安藤進著 丸善株式会社)は、検索エンジングーグル(Google)の使い方について書かれたハウツー本であり、一応は翻訳者に的を絞ってはいるが、特に翻訳者ではなくても毎日英語の情報に接するビジネスマンにも役に立つ本です。姉妹書として、同じ著者の筆による『Googleに聞け! 英語の疑問を瞬時に解決』(丸善株式会社)も出ているが、『翻訳に役立つ Google活用テクニック』に目を通した人には少々物足りないかもしれません。しかし、インターネットに接するようになって日も浅いという人たちにとって、『Googleに聞け!』は格好の「グーグル入門書」であると思います。

ところで、過日も述べたように、私はイカロスという会社の「日英特許翻訳 入門コース」という通信教育の受講を開始したばかりですが、「日英特許翻訳 入門コース」のテキストに何となく違和感を抱いていました。テキストの何処に違和感を感じるのかと思っていたら、最近同テキストで英文百科事典についての記述を読み、どうして違和感を感じていたのかという理由が分かったのです。単刀直入に言えば、テキストに書かれている情報が古いということに尽きます。

ライナ: liner です。上記の段ボール同様、関連の英文資料を探すことで訳語を見つけることができます。あるいは、英語版のVisual Dictionaryなどから段ボールの構造に関するページを参照してもよいでしょう。百科事典の代表格であるBritannica Encyclopediaでは、papermaking(製紙)の項目を読むと liner が出てきます。英文の百科事典は参考資料としては見逃せない存在で、和英辞典や日本で造られた専門辞書などからは探しにくい用語を調べたいときには重宝します。
『日英特許翻訳 入門コース Second』p.36

イカロスの「日英特許翻訳 入門コース」に掲載されている、最新の公開公報番号が平成11年(1999年)であり、グーグルが日本で広く知られるようになったのは2000年9月以降であるという2点から考えるに、同社のテキストは1999年後半~2001年前半の間に作成されたものであるものと思ってほぼ間違いないでしょう。もし、2001年後半以降に作成したテキストであれば、特許翻訳者に限らず、大勢の翻訳者から高い評価を受けているグーグルについて詳しく記述してあっても可笑しくないはずなのに、何処にもグーグルの威力についての記述が見当たらないのです。もしかしたら、単に私が見落としているだけなのかもしれませんが、少なくとも全部で6冊あるテキストの内、最初の2冊に関しては詳細なグーグルの威力に関する記述は無いようです。

また、今回取り上げた『翻訳に役立つ Google活用テクニック』自体にしても、発行が2003年10月15日と2年前であり、それ以降グーグルに加わった新機能については、当然のことながら取り上げていません。例えば、「ディスクトップ」というグーグルの新機能などです。ちなみに、「ディスクトップ」とは、自分のパソコンのハードディスクに格納してあるファイルを一瞬のうちに検索してくれる優れモノであり、秀丸(テキストエディタ・ソフト)のgrep機能に似ています。「ディスクトップ」の詳細については、直接グーグルのホームページで確認してもらうとして、インターネットの世界は日進月歩の勢いで進化していることを改めて実感したものです。
http://www.google.co.jp/

ところで、拙宅には大分前に購入した書籍版のブリタニカ百科事典(英語)がありますが、記憶では確か30万円前後したと思います。しかし、現在では翻訳作業時に紐解くことは全くなくなりました。1枚のDVDに収められているというブリタニカ百科事典(英語)も発売されていますので、それを入手してパソコンにインストールしてもいいのですが、現在のところグーグルで十分間に合っているので購入する気持ちが起きません。
http://www.britannica.co.jp/hometop/nenkan-e/

ご参考までに、『翻訳に役立つ Google活用テクニック』についてアマゾン・ドットコムに載っていた書評で、印象的な書評を幾つか取り上げておきます。

狭量な私はこの本をライバルに見せたくないと思ってしまったほどだ。

この本によって翻訳者の調査活動の意義が変わり、その範囲が飛躍的に拡張したと思います。

『翻訳に役立つ Google活用テクニック』には思い出があります。現在はJTF(日本翻訳連盟)の専務理事を務める高崎栄一郎氏が、STC(Society for Technical Communication)の翻訳学習会の座長を1年ほど前まで務めていました。私も1年半前に同翻訳研究会に出席し、数年ぶりに高崎氏にお会いしています。2回ほどSTC翻訳学習会に参加しましたが、最初に参加した時の講師は技術翻訳者の山本治男氏、その次に参加した時の講師が佐藤康夫氏であり、テーマはそれぞれ富士通のアトラスを駆使した英文和訳(山本氏)および和文英訳(佐藤氏)についてでした。その後の会合が安藤進氏を招待してのグーグルについての講演会だということを知り、高崎氏に次回も参加したい旨伝えたのですが、生憎仕事の〆切に間に合わなくなる恐れが出たために、学習会の数日前になって参加を諦め、代わり出版されたばかりの安藤氏の『翻訳に役立つ Google活用テクニック』を購入したという思い出があります。その安藤氏ですが、過日久しぶりにJTFのホームページを訪問したところ、JTF主宰の安藤氏の講演会が、「効率改善:ネット検索で翻訳の品質向上を目指そう」というテーマで行われるということを知りました。グーグル検索術に関心を持っている方は、この機会に参加されると良いでしょう。

公演:「効率改善:ネット検索で翻訳の品質向上を目指そう 」安藤 進(技術翻訳者・青山学院大学・多摩美術大学講師)
日時:7月12日(火) 14:00~16:40
場所:翻訳会館
概要:『翻訳に役立つGoogle活用テクニック』『Googleに聞け!英語の疑問を瞬時に解決』(丸善)など、翻訳のためのネット検索では第一人者として有名な安藤進氏が20年以上にわたる豊富な翻訳体験を語る。実際に検索エンジンを使用しながら、インターネットそのものを表現辞典として活用するための最新テクニックを紹介する。参加者からの質問に応えながら進めていく予定である。

その他詳細は以下を参照願います。
http://www.jtf.jp/04Z.html

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2005年7月 4日 (月)

『横井小楠』

b050703昨日の続きです。

鵺的存在の幕藩正学

 次に、士農工商の「士」は武士を意味していないということについて一言述べるとしよう。尤も上記の引用を注意深く読めば、朱子学で云う士農工商の「士」は日本で云う武士のことではないことを朧気ながらも察することができると思うのだが、念のため「士」について説明した個所を以下に引用しておく。


 儒教でいう四民すなわち士農工商の「士」は、「さむらい」ではない。読書人であり読書人中から選ばれて官僚となったものを指す。政治の学である儒教のテキストをよく勉強してすぐれた政治ができると評価される人材、それが士である。中華帝国においては、そういう人材を官僚に抜擢する方法として科挙が設けられ、中国における近世すなわち宋以降(宋以後近世説は内藤湖南…宮崎市定に従う)では、どのような出身であろうと科挙に通るだけの学力があればただちにトップレベルの官僚に就任できるたてまえになっていた。そういう道を選ぶことも、選ばないことも自由であり、むろん途中でやめてもよかった。
 だから、日本の近世徳川時代の武士を、士農工商の士に当てて、あたかも儒教では日本の近世武士のごときものを「士」と呼んでいるかによそおったのは、実に無理無体なのである。日本の近世武士は、身分統制令によって強制的に固定された支配階級であり、しかもその中での主従原理は強烈で、将軍や藩主は家臣に対して生殺与奪の全権を持つ。そうして、そういう身分関係の全体が世襲されている。似ているところなど、ちっともありはしないのである。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.328~329

 以上のように、儒教本来の姿とは似ても似つかないのが徳川幕府および諸藩の儒教、なかんずく正学としての朱子学であったことが明確にお分かりいただけたと思う。ご参考までに上記の引用は『横井小楠 儒学的正義とは何か』の「増補2 アジア型近代の模索」からであり、筆者はこの増補2を『横井小楠 儒学的正義とは何か』の白眉とすら思うのだが、それは兎も角、「実学」・「士」同様に徳川幕府および諸藩によって歪曲されてしまった「忠」と「孝」等についても増補2で解説を加えており、「実学」・「士」・「忠」・「孝」といった儒教が持つ本来の理念を徳川幕府および諸藩によってかなり歪曲された事実を知らない人が圧倒的に多いと思われる今日、横井小楠を真に理解するためにも是非目を通して欲しい増補である。ともあれ、ここで改めて強調しておくべきことは、小楠のように儒学的正義を貫こうとする行為の意味するものは、日本流に歪曲・矮小化された儒教とは真っ向から対立すること、換言すれば幕府諸藩と対立することに他ならないということであり、これは容易に想像できるように当時であれば非常に勇気の要ることであった。

 ここで、本稿冒頭で筆者が「〝徳川政府〟から明治政府へという転換期」と表現したことを思い出していただきたい。実は、松浦氏が云う「世襲武士支配体制」は明治になっても根本的に改められておらず、寧ろ徳川政府の編み出した鵺的正学をそのまま引き継いだのが明治政府なのであり、それが今日に至っても日本および日本政府に影を落としているといえよう。そうしたニュアンスを込めて本稿冒頭の「〝徳川政府〟から明治政府へという転換期」という表現になったのであり、明治政府さらには今の日本政府も〝徳川政府〟と精神的に何ら変わるところがないということを暗示したつもりである。だからこそ、幕末維新期を「中世から近世へ」と表現するのに躊躇し、代わりに「〝徳川政府〟から明治政府へ」としたのである。さらに、産業革命に続く情報革命が世界を覆いつつある今日であるというのに、もしかしたら人間性としては徳川時代よりも現代の日本人の方が劣っているのではという気がしてならず、幕末維新期には居たフルベッキ、佐久間象山、横井小楠、福沢諭吉、西郷隆盛らに相当するだけの人材が周囲を見渡しても見あたらないということからして一層の現実味を帯びてくるのである。


出でよ、21世紀の小楠

 時折、以下のようなことを考えることがある。「もし、横井小楠が暗殺されず、病も回復して新政府で存分に腕を振るったとしたら……」。歴史に「もし」は禁物であろうが、もし小楠が暗殺されず、かつ病気から回復し、新政府に長く尽力していたら、と思うと残念でならない。何故なら、松浦玲氏の言葉を借りれば、「日本は明治維新で西方覇道に切替え、そのことにより植民地化をまぬがれたけれども、西方覇道の手先になってしまった」という誤った道に日本が進むのを防止してくれたであろう人物こそが、横井小楠のはずだったからである。


 小楠は最後まで儒学者であり、その儒学的理想を日本に実現し、世界に拡げようと念願し続ける政治家であった。小楠をここまで追跡してきた私には、彼の理想が、実現不可能だとはとても思えない。多年講学し続け、その上、越前藩や幕府での実践を得た、ずっしりと手ごたえのある思想だと感じられる。むろん小楠自身もそう自負していた。明治元年の廟堂では、おそらく彼一人が、自分を中心として世界に仁義の大道を敷くというほどの大構想を持ち、それを本気で実現するつもりだったのである。
 暗殺は、その大構想を、まだ実現の緒にもつかないうちに絶ち切ってしまった。小楠を失った明治政府からは、自分のところでまず正義を確立し、それを世界に及ぼすという理想の存在は、まったく感じとれない。世界の大勢にいかにうまく乗っていくかということばかりが前面に出ており、国内体制も、その目的に沿ってつくりかえられていく、明治元年に横井小楠という参与がいたのは、夢かまぼろしかという感じが強い。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.279

 人材が枯渇している今日、〝平成の横井小楠〟の出現は望むべくもないのだろうか……。

出典:世界の海援隊 http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/

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2005年7月 3日 (日)

『横井小楠』

b050703 私は、6月26日の「フルベッキ」で述べたように、IBDのウェブ機関誌『世界の海援隊』に1年にわたって「近代日本とフルベッキ」と題したシリーズを連載したことがあります。内容は、フルベッキおよびフルベッキと縁のあった、幕末から明治にかけて活躍した元勲を取り上げたものであり、そうした人物の一人として横井小楠を取り上げたことがありました。以下は私が執筆した横井小楠についての一節ですが、かなりの長文ではあるものの、国家破産などと穏やかならぬ噂が飛び交う今日の日本において、静かに横井小楠の思想を振り返ることは決して無駄にはならないと思い、今日の日本にとって何等かのヒントになるであろうと思われる個所を、「近代日本とフルベッキ 第2章・横井小楠」から抜粋してみました。しかし、何分にも長文であることから、本日および明日の2回に分けて転載しますが、心ある訪問者に一読して戴ければ幸いです。

小楠の儒教的正義

  筆者は冒頭で黒船来航か当時の日本にもたらしたインパクトの大なることを述べたが、松浦玲氏は黒船来航を幕末維新に歴史の舞台に登場した人物を評価するための一種のモノサシにしているようである。ご参考までに、以下は松浦氏が自著『横井小楠 儒学的正義とは何か』(朝日選書)の中で黒船来航について言及している個所である。


 いつのころからか、幕末維新期の人物について考えるには、まず嘉永六年ペリー来航のときにその人物が何歳であったかを調べる、というクセがついてしまった。ペリー来航に始まる動乱の中で自己形成をとげたのか、すでに一応の思想を確立したあとでこの衝撃を迎えたのかによって、その人物への迫りかたがずいぶん違ってくるのだ。
 文化六年(一八〇九)に生まれた横井小楠は、ペリー来航の嘉永六年(一八五三)には、数え年で四十五歳である。
 人の成長パターンはさまざまだけれども、四十五歳までには、その人がなにものであるか、わかってしまっているのが普通であろう。
 小楠の場合もそうである。彼にとって最も本質的な自己形成は、三十代から四十過ぎにかけての時期におこなわれた。その期間の辛苦で、彼は、自分の学問=政治思想の根幹となるものをつくりあげていた。だから彼は、できあがった思想家として、ペリー来航以後の新局面に対処したのである。その思想を一口で表現すれば、自分が究め尽くした儒学的正義こそが一切の政治の基本だ、ということになろうか。
 このことの意味は、非常に大きい。これから吹き荒れるヨーロッパ・アメリカ型近代の攻勢に対し、アジアの思想を代表してたちむかうだけの足場を小楠は築いていたわけである。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.5

  以上の松浦氏の言葉で大凡の察しがつくように、黒船来航に及んでペリーとの応対についてまとめた『夷虜応接大意』を著したほどの小楠であったことからして、西洋思想・技術に並々ならぬ関心があったことが容易に想像できるものの、それでも小楠の儒学的な思想基盤は不動であり、微動だにしなかったのだと思う。ここで、〝小楠が究め尽くした儒学的正義〟とは何かという点について解説するにあたり、改めて儒学さらには朱子学とは何かという点について見直しを行なう必要がある。何故なら、松浦氏自身も心配していることだが、儒学そのものを正確に把握している人があまりにも少ないからであり、ここで多少のページを割いてでも松浦氏の『横井小楠 儒学的正義とは何か』をもとに儒学について簡単に説明しておくべきだと思ったのである。そうしないことには、横井小楠の思想を正しく理解できないばかりか、徳川幕府の正体を見抜くこともできないであろう。

 最初に、現在の儒学に対する既成概念を捨て去り、本来の儒学の根底思想に戻るためには以下の二つのポイントを押さえておく必要がある。

・朱子学とは実学のことである。
・儒教でいう士農工商の「士」とは、武士のことではない。

 朱子学あるいは儒学というと、何となく〝観念的〟、〝理論的〟等の言葉を思い浮かべるのが普通ではないだろうか。しかし、実のところ朱子学とは至って実学そのものと云えるのである。そのあたりについて、松浦玲氏は以下のように正直に告白しているので目を通していただきたい。


 朱子学が実学だ、あるいは朱子学も実学だということは、経学の勉強をきちんとやったひとや中国思想史専攻のひとにとっては、ごくごく当たりまえの常識であるらしい。しかし、日本史出身で経学の伝統とも無縁だった私には、比較的新得の知識である。小楠のことを調べて、発足時肥後実学党の「実学」はどうしても朱子学を意味しているに違いないと気付くまでは、むしろ朱子学と正反対のものが実学だと思っていた。朱子学は観念的体系で、それとは反対の実際的な、実用的な、プラクチカルな学問が実学だというのが、私の育った「知的世界」における常識であったし、今でもそうである。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.298

 上記のくだりは『横井小楠 儒学的正義とは何か』の「増補1 実学と儒教国家」からの引用であり、「増補1 実学と儒教国家」は同書の中でも優れている章の一つであると筆者は思っている。何故なら、増補1は小楠の思想の根本に関わってくるだけに、増補1を読んでいない読者は横井小楠の思想を真に理解することは不可能であると云っても過言ではないからだ。そして、「増補1 実学と儒教国家」を筆者が通読して学んだ最大のものは、以下の引用にもあるように朱子学は実学であるという事実そのものである。このあたりは『横井小楠 儒学的正義とは何か』の中でも重要なポイントの一つであるので、少々長くなるが実学について言及している重要個所を以下に引用しておこう。

 つまり小楠は、学問思想にもとづいて現実政治の処理方針を立てるその立てかたに朱子学の真骨頂が現れていると考えた。だからこそ、彼らの実学党の講学は、その面を最も重視した。朱子学が政治的実践の学であることを真正面から受けとめ、そのとおりに講学し行動したのだといえよう。むろんこれは、朱子そのひとの学問と政治的実践に照らしてみて、完全に正解である。
 しかし肥後藩主流にとっては、朱子学をそのように正解したことが、最も許しがたく危険千万に思えたであろうことは疑いない。彼らにとって、幕府の正学であり藩の正学である朱子学が、幕府や藩の政治を是非論評するなど、とんでもない話であって、それがとんでもないことは説明の必要がないほど自明なのであった。
 だがそれにもかかわらず、より立ち入って考えれば、小楠の方が正確であることは朱子学(より大きく儒学)の根本性格に照らしみて、動かしがたい。肥後藩主流派といえども、つきつめられればそれを承認しなければならない筈である。実学党運動の既成秩序に対する破壊性は、まさにここにあった。日本全体が非政治的実践的に曲解した朱子学に安住していたところへ、不粋にも正確をふりかざして、それが実学だと主張するグループが現れたのである。そうして、小楠らの言う方が正解であり正論であることは、幕末の知識階級にとってごく初歩的な知識に属している。そうでありながらそこに目をつむっていた、まさにそのところに切りこんでいるところに小楠らの運動の猛烈さがあり、忌み嫌われる理由があるのだった。
 朱子学ないし儒学の理想主義をストレートな政治批判と政治的実践としてもちこめば、現実の日本の幕藩武家政治は、ひとたまりもない。だが、そういう理想主義的主張が陽明学や古学その他朱子学以外の学派的主張として展開されれば、幕府ないし藩主流としては、異学だからそういう勝手な批判をするのだと、しりぞけることができる。しかし、小楠ら肥後実学党の場合は、それを朱子学として主張している。藩主流からみれば「正学」を逆手にとられたかたちになっており、そこに、憎しみもひときわという感じになる大きな原因があろう。
 小楠ら、「正解」朱子学を日本武家政治批判としてストレートにもちこんだ場合、一番摩擦を起こすのは、近世幕藩武家社会の武家世襲原理なかんずくその頂点にある将軍および藩主世襲原理である。
 朱子学の目標を一口で言えば、為政者が聖人となって理想政治を行なうことである。学問をするのは聖人になるためで、聖人は到達可能である。そうして、為政者が朱子学的な意味で聖人となれば、それで完全無欠の政治が保証される。為政者は聖人でなければならず、そのことはとりわけトップの座にいるものつまり天子に対して最も強く要求される。これを日本の幕藩体制に移せば、将軍および各藩藩主が聖人でなければならない。肥後実学党とりわけ小楠は、それを要求した。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.306~308

 「為政者は聖人でなければならない。とりわけトップの座にいるものに対して最も強く要求される」というくだりは、サメの脳味噌と云われた前首相の森喜朗氏、口先だけの軽薄者である小泉純一郎現首相と対極に居るのが聖人であると云えば理解は早い。さらに付言するとすれば、堯舜孔子の道から程遠い所にあるのが今日の日本ということになる。

出典:世界の海援隊 http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/

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2005年7月 1日 (金)

『教育の原点を考える』 第II章

b050615先ほど、『教育の原点を考える』の第II章「学校の源流をめぐって」をアップしましたのでお知らせ致しします。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/edu/edu.htm

以下は、第II章の中で特に印象に残った下りです。

早川聖 それでいいのです。教師は人間を育てるという仕事柄からして、社会的な尊敬を与えられるのだし、常に批判精神を持つ独立した人格として人びとの鑑になるのも、豊かすぎることによって、人間として堕落しないということの反対給付に他ならない。人間は豊かすぎるとほとんどの場合が精神的に堕落するし、教師が精神的に堕落したらこの世は終りです。しかし、そうだからといって貧しさの中に追いこんでもいけません。

理想の教師像を、余すところなく説明した早川聖氏の言葉と謂えます。特に、「教師が精神的に堕落したらこの世は終わりです」という言葉には、重みがあるのではないでしょうか。教師としての矜持を保つため、人を育てるという大きな仕事を背負う教師は、お金に恵まれ過ぎると良くないという早川翁の戒めです。これは、何も教師に限らず、一般人にも言えることです。お金を持ち過ぎることの弊害を、もしかしたら子どもたちも何となく知っているようであり、一時は私の子どもたちの通う学校で、「良い人はドラえもん、悪い人はホリエモン」という言葉が流行っていました。私がライブドアの堀江貴文氏を批判したわけではなく、他の父兄が批判し、それを耳にした子どもたちが「良いのはドラエモン、悪いのはホリエモン」というのを流行らせたのだと勝手に想像してますが、子どもたちの言っていることはまともであり、なかなかやるわいと思った次第です。ただ、清貧は良いが、赤貧はいけないですね。いくらお金に困っているかとはいえ、お世話になった会社に乗り込んで、そこの社長を脅したり、友人・知人をぺてんにかけて金を巻き上げたりするというのは、人間して最低であって詐欺師以外の何者でもありません。逆に、清貧であり続ければ、人間としての精神的な美しさを保ち続けられるのです。

早川聖 要するに、学ぶのはそれぞれの個人だが、教えるのが誰かということです。もちろん直接教えるのは情熱を持った教師に違いないが、制度としての教育が教師の情熱と意欲をベースにするのか、それともその背後に国家権力や教会、あるいは専制君主や独裁者といった、特殊な目的意識を持った存在がひかえているのかどうかの問題です。私自身の立場は、教育は教師に始まって教師に終ると考えるので、本来あるべき教育というのは、学習も学問も勉強も含んだ幅広いもののはずだとおもいます。
藤原肇 ぼくは学問ということばが好きだし、教育ということばより高度で幅が広く、しかも主体性をより多く含んでいるので、教育より学問を上位のものだと確信しています。またルイ・アラゴンの詩の一節に、「教えるとはともに希望を語ること、学ぶとは、誠実を胸に刻むこと・・・・」という素晴らしい表現があるけど、これは早川さんが考えるところの、教師に始まって教師に終るという師弟関係のパターンの中でしか生きません。その意味で、学問をするための教育の場というのは、すべての権力的なものから独立していることが望ましい、といえる。

早川聖氏の言うように、学習・勉強・学問などを含んだ幅広いものが教育と言えるのか、あるいは藤原肇氏の言うように、学問は教育の上位概念なのかどうかは兎も角、そのあたりの判断の拠としてクローズアップされてくるのが、セマンティックス(意味論)だと思います。セマンティックスは、一般に日本では馴染みのない概念ですので、いずれ機会を改めて取り上げることにしましょう。いずれにせよ、今の日本で真にセマンティックスを操れるのは、小室直樹、正慶孝、藤原肇の三氏しかいないと云われています。尤も、こう書くと「俺だって意味論については知っている」と言う人たちが必ず出てきますが、そう思う人たちに対しては、「意味論音痴が日本を亡ぼす」を熟読してもらい、その上で再度意見を述べるようお願いしています。意見の内容によっては、「意味論音痴が日本を亡ぼす」の対談者も目を通すであろう、掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】での投稿をお願いするかもしれません。

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2005年6月29日 (水)

『虚数の情緒』

b050629 太田明氏の『百人一首の魔方陣』を取り上げたので、今朝は『虚数の情緒 中学生からの全方位独学法』(吉田武著 東海大学出版会)も取り上げておきたいと思います。私はアマゾン・ドットコムにおいて、『虚数の情緒』についての書評を行ったことがあります。

きたる情報化社会の必読書

『虚数の情緒』の副題が「中学生からの全方位独学法」となっていることから、中学生向けの数学の参考書かと勘違いされかねない本である。しかし、中身を紐解いてみると、単なる中学生・高校生向けの数学の参考書の域を遙かに超えており、これからの情報化社会を生き抜くにあたって、必要不可欠なインテリジェンスを兼ね備えた百科全書派を目ざしてもらうべく、若い人たちに一読を勧めたくなるような本であることが分かる。このあたりは、吉田氏自身が自著のはしがきで「本書は人類文化の全体的把握を目指した科目分野に拘らない"独習書"である」と述べていることからも、本書が単なる数学の参考書ではないことが明らかだ。これからの情報化社会という新時代を生き抜いていくだけの、逞しい人間に成長していって欲しいと子供に願う読者は、我が子に本書をプレゼントしては如何だろうか。

無論、本書は現役の国際ビジネスで活躍されている読者にも有益な本になると思う。また、学生時代は数学か苦手だったという読者も、数学に対する苦手意識から抜け出すのに本書は格好の書となるかもしれない。ただ、何分にも本書は千ページにもなる分厚い本であり、満員の通勤電車の中で読むには躊躇するような、広辞苑なみのサイズと重さである。仕事のない休日に、のんびりと自宅で紐解くべき類の本なのかもしれない。

アマゾン・ドットコムでは、私以外にも25人の読者が『虚数の情緒』にコメントを寄せていて、コメントの内容も千差万別ですので関心のある方は目を通してみると良いと思います。印象としては、一部に例外があるものの、数学の専門家は概して『虚数の情緒』に批判的であり、私を含め、数学の素人は一般に『虚数の情緒』に対して好意的なコメントを寄せていると言えるかもしれません。

アマゾン・ドットコムの25名の方々のコメントを読んだ後も、『虚数の情緒』を子どもたちに進学のお祝いとして、プレゼントしたいという気持ちに変わりはないものの、同書はあくまでも足がかりであり、それから発展して個々の分野で先達が遺してくれた優れた書籍・論文などに取り組んでいって欲しいと願っています。某識者が、「数学が分からないのは人間ではない」と発言したことがありますが、この発言部分だけを取り上げれば、暴論だ!…という喧しい批判が外野から飛んできそうです。ともあれ、「数学が分からないのは人間ではない」という根拠について、折に触れ述べていくことが必要なのかもしれません。

ところで、筆者が『虚数の情緒』を評価している理由の一つは、黄金比およびフィボナッチ数列について、さわり程度ではあるものの、真面目に言及している点です。

最初に、黄金比については、IBDのウェブ機関誌『世界の海援隊』に発表した「幾何学のすすめ」と題する寄稿に、私は以下のように書いたことがあります。

このように、黄金の三角形が秘めている神秘的な力に魅せられたが故に、エジプト人は黄金分割を秘伝中の秘伝扱いにしたのだろうし、それを受けついだピタゴラス教団の人びとも、秘伝を外部にもらさないように秘密結社の形で秘伝を大事に守ってきたのであり、その伝統が今日のフリーメーソンにも引き継がれているのだと筆者は思う。かように、数学や芸術哲学は無論のこと、鉱物学、金属学、医学、心理学など、幅広い知の全領域に思考が及ぶ百科全書派の人間だけが真に習得することの出来る、人類至高の智慧こそが黄金比に他ならないのである。ここに、古代エジプト人の「黄金比の中に宇宙の秩序が有る」という信仰にも似た確信に、筆者も同意する所以である。

続いて、フィボナッチ数列については、やはり上記IBDのウェブ機関誌『世界の海援隊』に発表した「メタサイエンスのすすめ」と題する寄稿に、以下のように書いたことがあります。

フィボナッチ数列は、動物や植物の生長パターンだけではなく、株・金(ゴールド)相場など、人間の営みである経済活動からも見出すことができる。それを裏付けるように、フィボナッチ数列を謳い文句に相場で儲けようと盛んに宣伝しているサイトが多い。しかし、そうしたサイトの大半は、フィボナッチ数列を餌に一儲けしようとする山師たちが見よう見まねで予想屋的な商売をしているだけに過ぎないようだ。フィボナッチ数列とは、単に金儲けに使うようなケチなものではなく、秘伝の部類に属するものである。現在の日本はモラルも倫理も劣る人間で支配されていることから、そうした連中にフィボナッチ数列を公開することはタブーなのかもしれない。しかし、そうした危険性はあるものの、21世紀科学の方法論として絶大とも言える威力を持っているのがフィボナッチ数列であることも確かである。そして、日本もフィボナッチ数列に習熟していくことが、21世紀を生き延びるためにも不可欠になる。本稿に目を通した読者の中から、フィボナッチ数列、メタサイエンスに関心を抱いた読者が一人でも出現したとすれば、筆者冥利に尽きるというものだ。

黄金比、フィボナッチ数列、メタサイエンス等について、さらに深く追求してみたいという方には、『間脳幻想』(東興書院)および『宇宙巡礼』(東明社)を推薦します。

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2005年6月28日 (火)

『百人一首の魔方陣』

b050628 藤原定家が編集したという『小倉百人一首』は、日本人なら誰でも知っていますが、その百人一首が実は陰で魔方陣に結びつくという事実は、残念ながら殆ど知られていません。百人一首と魔方陣との繋がりを徹底的に解明した本の1冊に、太田明氏の『百人一首の魔方陣』があります。掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】に、太田氏自ら投稿しておられる貴重なスレッドがありますが、その中でも重要と思われる投稿を厳選し、以下に再掲してみました。以下のスレッドを読んだ上で、さらに太田氏の著した『百人一首の魔方陣』読み進めてもらいたいところですが、残念ながら太田氏の『百人一首の魔方陣』は絶版です。しかし、アマゾン・ドットコムなどで、古書として今でも入手可能ですので、入手したいという方はお試しください。
http://www.amazon.co.jp/

百人一首と言えば、下の子が小学校二年生の時、百人一首を素読させる時間を担任の先生が設けてくれたことがあります。和製版の古典素読といったところであり、今では担任の先生に感謝の気持ちで一杯です。

「百人一首の魔方陣」
1 名前: 太田 投稿日: 2004/11/27(土) 12:45 はじめまして。「百人一首の魔方陣」の作者の太田です。 ここで藤原さんがそのことで書き込みをされ、野田さんが、 百人一首が魔方陣になっているならそれは凄いことだ、と 思われていることを知って、ちょっと書き込んでみたくな りました。   本の序文にも書いていますが、「百人一首」と「魔方陣」という 言葉が結びつくと聞いただけで、それだけで拒絶反応を示す人が 大勢いることは私も重々承知しています。この二つの言葉はそれ ほど相容れないものです。 私も笑い者になるのは嫌ですから、曖昧な根拠だけではおそらく、 この本は書かなかったでしょう。 にもかかわらず、あえて書いたのは、それだけの根拠があったから ですが、それよりも私が読者に知ってほしかったのは、数学が和歌 の中に秘密のこととして定家のみならずそれ以前の歌人からずっと 引き継がれているのだ、ということです。 それが何を意味するのかを読者に考えて貰うためには、証明が絶対 に必要ですので、非常に読みにくい本になってはしまいましたが、 真剣に論証を追って下さった読者は、一様に驚かれています。 私も自分の書いたことすべてが正しいというつもりはありませんが、 それでも公開の議論に応じるだけの論証は出来たと考えています。 もしも私の主張が正しいなら、これまで情緒的側面からのみ捉えら れてきた和歌というものが、実はまったく違った論理的側面を備えており、 それが如何なる理由によるのか、秘匿されながら残し伝えられてき たということになります。 いうまでもなく、その意味するところは非常に大きなものがあり、 多くの智恵を結集して研究するだけの価値があるものです。 中でも特に、理学系の頭脳が必要です。  5 名前: jeek 投稿日: 2004/11/28(日) 22:39 太田様 はじめまして。 jeekと名乗らせていただきます。 私は、「百人一首の魔方陣」が出た当初から注目して読んでおりまして、 今まで何回繰り返し読んだかわかりません。 大変面白い内容でした。 さて、私は、百人一首の魔方陣に代表される数学がいわゆる古今伝授の 奥義であったという意見には満足できません。 数学以上の何らかの意味や内容がこめられているような感じがするのです。 おそらくそれは神道の奥義に関係するかと思います。 もちろん、あの時代に、あれだけの数学があったということ自体が驚き な訳で、それももちろん重要ですが、太田さんの結論である、パイや黄 金比などの数学的な理論が奥義だったとは思えないのです。あえて言わ せてもらうならば、百人一首などにある数学的な構造は、神道の奥義へ の入り口なのではないかと思われるのです。 あと、これはあくまでも私の直感なのですが、和歌の根源が祝詞にある とすれば、古今伝授の根源も神道に求められるのではないでしょうか。 もちろん、太田さんの仮説も大変魅力的です。 (地球上の遺跡を結ぶ個所など) 本書の続編はまだかと首を長くして待っています。 以上、一読者の感想でした。 8 名前: 太田 投稿日: 2004/11/30(火) 14:13 5.> のjeekさんへ。 神道についてはまだ手を付けておりませんので、ご意見に対しては 肯定も否定もできません。ただ一つだけ言えることは、後陽成天皇 の言葉です。関が原の合戦において、細川幽斎が石田三成の軍勢に 包囲されたとき、後陽成天皇はわざわざ勅使を遣わして窮地に陥っ ていた幽斎を救いましたが、その理由として天皇は 「(古今伝授者としてただ一人生存している)幽斎が死ねば、神道の 奥義も、和歌の秘密も消えてしまい、本朝の掟は虚しくなってしまう」 と述べています。この言葉はjeekさんの言われていることを裏付け ています。 それにしても「神道の奥義」とはいったい何でしょうね。私ももの すごく興味があっていずれ調べてみたいと考えていますが、なにし ろ極端に情報の少ない世界ですから、そこに入り込むだけで一苦労 しそうです。 もしかしてjeekさんは、古今伝授と神道の関係を何か掴んでおられ るのでは? ところで『百人一首の魔方陣』ですが、私は、"動かしようのない事 実"を提示して、和歌は数学的構造を有している、ということを主張 しているだけです。 「あとがき」の数学的比率も別に結論としている訳ではありません。 『百人一首』を魔方陣に組み上げた目的は当然ある訳で、単なる遊 びであったとは思えません。 ということは、そのメッセージは何処かに隠されているはずで、 もっとも可能性の高いのはやはり、出来上がった魔方陣の中、では ないでしょうか。であれば、それは魔方陣を組む鍵、つまり定家が 「これらの歌仙を選んだ目的は自分の心の中に有る」とした歌仙の 中にこそ隠されているべきではないか、そう私には思えたのです。 歌仙の配置には特別な意味がありますので、それらを組み合わせた ところ自然に数学的比率が出てきた、ということです。 jeekさんの仰るように、数字はあくまでもその奥にある"何か"へ導 くための、いわば手引きをするための道具、だと私も考えています。

以上だが、上記の「百人一首の魔方陣」の投稿全てに目を通してみたいという訪問者は、以下をクリックして下さい。それにしても、藤原定家が『百人一首』に魔方陣を組み入れた本当の目的は何であったのか、興味は尽きないですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2491/1101527110/l100

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