2012年2月25日 (土)

民をあはれむ

昨年の1010日、筆者は「平成24年度の御製カレンダー」という記事を書いた。その時、「112日の歌会始の儀において、今上陛下の御製、皇后陛下の御歌、皇太子殿下の詠進歌以下が講ぜられた後、平成24年度のカレンダーの昭和天皇陛下の御製を組み合わせて立体構造にすることにより、皇紀暦2672年(西暦2012年)の大きな流れが掴める」と書いた手前、ここに立体構造の構築を試みてみよう。

最初に、平成24年度の御製カレンダーに掲載されている御製は以下のとおりである。

昭和天皇

あらたまの年をむかへていやますは民をあはれむこころなりけり

もえいづる春の若草よろこびのいろをたたへて子らのつむみゆ

うつくしく森をたもちてわざはひの民におよぶをさけよとぞおもふ

国のため命ささげし人々のことを思へば胸せまりくる

新米(にひよね)を神にささぐる今日の日に深くもおもふ田子のいたつき

静かなる世になれかしといのるなり宮居の鳩のなくあさぼらけ

次に、歌会始の儀で披講された御製・御歌・詠進歌は以下のとおりである。

天皇陛下

津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる

皇后さま

帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず

皇太子さま

朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ

皇太子妃雅子さま

春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く

秋篠宮さま

湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影(ぎょえい)を見つつ人ら嬉しむ

秋篠宮妃紀子さま

難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる

秋篠宮家長女眞子さま

人々の想ひ託されし遷宮の大木(たいぼく)岸にたどり着きけり

常陸宮さま

海草(うみくさ)は岸によせくる波にゆらぎ浮きては沈み流れ行くなり

常陸宮妃華子さま

被災地の復興ねがひ東北の岸べに花火はじまらむとす

三笠宮妃百合子さま

今宵(こよひ)揚(あ)ぐる花火の仕度(したく)始まりぬ九頭竜川の岸の川原に

寛仁親王家長女彬子さま

大文字の頂に立ちて見る炎みたま送りの岸となりしか

高円宮妃久子さま

福寿草ゆきまだ残る斐伊川の岸辺に咲けり陽だまりの中

高円宮家長女承子さま

紅葉の美(は)しき赤坂の菖蒲池岸辺に輝く翡翠(かはせみ)の青

高円宮家次女典子さま

対岸の山肌覆ふもみぢ葉は水面の色をあかく染めたり

高円宮家三女絢子さま

海原をすすむ和船の遠き影岸に座りてしばし眺むる

以上、歌会始の儀で披講された御製・御歌・詠進歌の多くが、昨年の311日の東北沖大震災を下敷きにしており、先帝の御製「あらたまの年をむかへていやますは民をあはれむこころなりけり」に代表されるように、“民をあはれむこころ”で満ち溢れていることが分かる。

なかでも、筆者が注目したのが皇太子殿下の「朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ」である。先帝の「静かなる世になれかしといのるなり宮居の鳩のなくあさぼらけ」にある「あさぼらけ」と、皇太子殿下の「朝まだき」が根底で繋がっていることが分かるのだし、新しい一日の始まり、すなわち新しい時代が皇太子殿下によって始まる事を暗示しているのではないだろうか。特に、十和田湖は八甲田山の噴火によって出来たカルテル湖であり、北朝鮮の白頭山と八甲田山は白頭信仰で深く結び付いている。この白頭山信仰は「シベリア・シャーマニズム(ツラン)」が底流にある。

さて、スリーマイルおよびチェルノブイリを遙かに上回る史上最悪の福島原発事故により、日本全土が放射性物質に汚染されてしまった今日、サバイバル術の一つが飯山一郎氏の提唱する乳酸菌ヨーグルトと乳酸菌風呂である。その飯山一郎氏が2月15日「天皇陛下 万歳!(1)」と題した記事を書いた。

同記事の中で筆者が思わず息を飲んだのは、(放射性物質の為)「国民が死ぬときは、今上陛下もともに崩ず」という行だ。確かに、放射性物質は目に見えないものの、確実に我々の身体を蝕んでいることは否定できない。中でも最も恐ろしいのは内部被曝であり、これについては肥田舜太郎氏と鎌仲ひとみ女史が著した、『内部被曝の脅威』(ちくま新書)を一読すれば内部被曝の恐ろしさが十分に分かるが、さらに恐ろしいのはそのために最終的に大和民族が滅亡してしまう可能性だ。万一にも皇統が絶えることがあれば日本人は精神的支柱を失い、延いては民族としてのアイデンティティすら失うことを意味する。そこで、皇室と大和民族の行く末を見極めるため、2月24日に同志と一緒に栗原(茂)さんを訪ねた。

半日近くにわたって栗原さんの話に耳を傾けながら、まさに皇室インナーサークルでなければ窺い知ることのできない深奥の情報の提供を受けた。そして分かったことは、女系宮家、雅子妃、愛子様、悠仁親王殿下等の件を含め、昨今の大手マスコミやインターネットを賑わしている、皇室に関する喧しい賛否両論は殆どが絵空事にすぎないということである。さらに、「天皇陛下 万歳!(1)」の記事にある飯山一郎さんや小生のような心配のし過ぎも不要である。ブログ[木庵先生の独り言]の木庵氏が語っているように、われわれ民は単に「東日本震災のときの、天皇陛下と皇后陛下の被災者の方に心から同情なさっている姿を鏡にして、己もあのようにへりくだりたい」という気持ちでいれば十分なのだ。

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2011年11月11日 (金)

生命の設計図

本日は 11/11/11 と区切りが良いので、今までのブログ名「教育の原点を考える」から「舎人学校」に変更した。その記念すべき日の初記事として、『みち』250号(平成19年5月15日号)に掲載された、天童竺丸氏の記事を以下に転載しておきたい。なぜなら、自分が今進んでいる道で間違いないことを教えてくれたのが、同記事に他ならないからだ。

巻頭言 栗原茂「生命の設計図、それが神である」 天童竺丸
●分子生物学者の渡辺格さんが「生命の設計図は遺伝子の構造の中にない」と言われたことについて本欄で少しく考えを記したところ、同志の栗原茂さんから「渡辺格さんと直接会って話をした」と教えられた。聞き捨てならぬことである。

 それについて、ぜひとも栗原さんにじっくり話を聞きたいものだと願っていた矢先、何と栗原さん自ら渡辺さんとの話を踏まえ「生命の設計図はどこからくるか」という問題について一大論文を書き上げ贈って下さった。

 それはA4判用紙に一行四一文字、一枚四〇行の体裁で書かれ、全体では前文を含めると一六頁になる。ざっと計算しただけでも、原稿用紙にすれば六〇枚以上にも及ぶ、大へんな労作である。それも、先の巻頭言を読まれてからほとんど時間の経たない内に届けて下さった。一気に書き上げられたもの思われる。

 おそらくは拙文の隔靴掻痒的な稚拙さとズバリ的に迫れない逡巡とを見るに見かね、自ら筆を執って結論を下されたものと推察する。

 栗原茂さんが「生命の設計図はどこからくるか」という問題に対し下した結論は、「それは神からくる」というものだった。

●栗原茂さんが渡辺さんに直接会ったのは今を去ること一八年前の平成元年のことだった。ちょうど昭和天皇が崩御されて年号が平成に改まった年の秋であった。実はそのとき、もう一人の碩学がいて、話は三人の鼎談の形式で行なわれたという。その辺りの消息について、栗原さんから戴いた文章から引用させてもらう。(原文は句読点を限りなく省略した難解な文章であるため、読者の便宜を考えて句読点を付加し、一部の語句を改変したことをお断りしておく)

 渡辺格七三歳と出会うのは同年秋、場所は藤井尚治六八歳が瞑想を行なう所で、およそ二時間の坐禅の後に約二時間の鼎談が続いた。議題は宇宙生命の本質について。相互の意見交換を行なうことで空間を埋めたが、刻まれる時間は、世俗が支配される交流回路とは異なって、天空を透過する直流回路のごとく無駄なく働いた。

 ここに登場する「藤井尚治六八歳」とは、銀座内科診療所院長として永く著名であった。同時に、早くにハンス・セリエ博士のストレス学説に注目し日本におけるその研究と紹介に貴重な業績を残した人物でもある。

 懇切にも栗原さんがわざわざ持ってきて貸して下さった藤井さんの著書二冊のうちの一冊、『脱魂のすすめ』(一九八三年、東明社刊)の奥付にある「著者略歴」には次のように記されている。

藤井尚治(なおはる) 医師、法博
大正一〇年東京生まれ。
昭和一七年東京大学医学部卒、同精神科入局。
昭和一八年軍医として応召。
昭和二二年復員後セリエ博士に共鳴、杉靖三郎氏らとともにストレス研究に従事。
昭和三〇年銀座内科医院長。
昭和四六年財団法人ストレス研究会理事長


 そして藤井尚治さんは平成九年四月一九日、折しも数え年七六歳の誕生日に亡くなられた。

『還元主義を超えて』(一九六九年)でニュー・エイジ運動の旗頭となったハンガリーに生まれた亡命ユダヤ人、アーサー・ケストラーが来日したとき銀座内科に藤井さんを訪ねてきて歓談を尽したというエピソードは、藤原肇・藤井尚治『間脳幻想』(東興書院、一九九八年刊)で読んだことがある。直接お会いしたことはないので、同書に纏められた対談および「あとがき」から得た印象だけに頼っていえば、まさしく機略縦横、天衣無縫を地で行くような天才肌の人である。

 藤井尚治さんについて、栗原さんはこう書いている。

 藤井はノーベル賞ノミネートの評議を求められる立場にあるため、デルブリュックを含め訪日学派の目的を本人に聞くまでもなく知り得ており、決して自らの立場を明かさない。当然渡辺も、藤井が何者かは表面上のことしか知り得ない。

 その藤井尚治と渡辺格と栗原茂とが交わした鼎談がいかなるものであったか。栗原さんはただ「刻まれる時間は、世俗が支配される交流回路とは異なって、天空を透過する直流回路のごとく無駄なく働いた」と素っ気なく伝えるのみである。

●栗原さんから渡辺格と話したという話を最初に教えられたとき、渡辺さんが「生命の設計図は天空から来る」という意味のことを語った、と聞いたと思って、先に「遺伝子の構造の中に生命の設計図はないと断言された渡辺さんは、ではどこから生命の設計図は来るのか、ちゃんと話をされていた。それだけは言える」と書いたのは、どうやら私の早とちりによる勘違いだったようである。

 というのも、栗原さんが次のように書いて教えているからである。

 参考に値しない現代ジャーナリズム主義から報道される情報は、渡辺に限らず発信が誰であれ、すべて意の制御が利かない情と知の先行だと知るべきである。

 筆者の知る渡辺は、現代学術に多くの矛盾を指摘しうる能力を備えていたが、学派という無理からぬ生き方もあり、相当の悩みを抱えストレスに苦しんでいた。それが生命の儚さに通じる死霊の研究とも共感するのだろうが、神の正体が本義の時間と空間に刻まれる情報とは気づかずに、鬼籍に入ることとはなった。(合掌)

 つまり、栗原茂さんの考えによれば、傍線を施した所にあるように、神とは「本義の時間と空間に刻まれる情報」であり、後に詳しく紹介するように、「その神から生命の設計図は来る」と言えるのだが、渡辺格さんはそれに気づいていなかった、と手厳しい判断を下していることになる。

 実証を旨とする分子生物学者として、渡辺さんが神を持ちださなかったのは一種の学者的良心だったともいえようが、現代科学の矛盾と限界に気づいたからには百尺竿頭をさらに一歩進めて、現代科学を乗り越える地平に立つべきであった、というのが渡辺さんと鼎談を交わした栗原さんの思いであるようだ。

 だから、栗原さんは次のように批判する。

 渡辺が「遺伝子の構造の中に生命の設計図はない」と断言しうる根拠は、分光のスペクトルを観測する法に卓越したからで、フィンランドに行って電子立国を手助けした窪田規(くぼたただし)も同じであって、色の観測法に優れた者なら等しく知るところであり、あえていうなら、物理化学の基本なのである。

 ただし、理を学ぶ術の分野に生きる学派は、言霊を批判あるいは懐疑的に捉えて成り立つ職能集団であるゆえに、核心を突くことができない。もっぱら科(とが)を学ぶ術の制度により、細分化された学派が競い争うことから、総論賛成・各論反対という無責任な態度に終始するのみである。

 したがって、渡辺が「遺伝子の構造の中に生命の設計図はない」と断言はできても、「では生命の設計図はどこから来るか」という問題に答えを出せないのは仕方ない。

 生命の設計図について鼎談の中で出現した回答は、渡辺の所見でもなければ、藤井や筆者の見解でもなく、悠久の時間を刻む空間の中に身を浸した者のみに運ばれてくる情報であり、言葉を換えて言えば、その情報こそが神なのである

 文章の表面的な字面だけに拘るなら、これは見神の体験を語っているように受けとれるかも知れない。もしそうであるなら、神を見るという神秘体験を経験したことのない者には、想像するだにできない無縁な話ということになるだろう。

 だが、奇しき縁あって日ごろ親しく薫陶をいただいている私には、これが単なる神秘体験を語ったものではないことが分かる。神秘体験だけならば、言葉になりえないもので、あえて言葉にするにしても、こういう文章でなくもっと象徴的にしか語れないはずだ。栗原さんはそうではない。神秘体験は確かにあったのだろう。だが、それを開かれた言葉に表現すべく、栗原さんが壮大な努力を重ねてきたことを、私は知っている。

 ここで注目すべき個所は二つ、傍線を引いた部分である。ただ最初の言霊云々の部分は、栗原さんが言霊理論に刮目してメンデレーエフの元素周期表を読み替え、その足らざるを補うという難業を完遂したことを知らなければ、ほとんど意味をなすまい。

 栗原さんの日ごろの教えは、言霊の考えこそが現代科学を乗り越える鍵であるというものだが、日本語の一音一音に意味があることにやっと気づいた私としては、言霊について一知半解の言辞を連ねることは差し控えて、後日に期すというほかない。

 ただし、後段の傍線部については、私にも言えることがある。不思議にも、栗原さんに会うと、何も言葉を交わさなくてもビンビンと響いてくるものがある。私の中の何かが共振して止まない感じなのだ。共振し合うのかどうか、それは分からない。栗原さんの方の反応が審らかでないからである。

 そのかすかな手がかりを頼りに言うのだが、ここで栗原さんは、「生命の設計図がどこから来るか」という問いそのもの、問いの立て方自体が間違いだと言っているように思われる。

 生命の設計図がどこから来るのかと尋ねることはどこまでも原因を求めていく一種の還元論に陥ることである、との洞察が栗原さんにあるのだと考えられる。

 だから「その情報こそが神である」という言葉が出てくるのだ。そして、前の引用個所(傍線部分)で、神の正体を「本義の時間と空間に刻まれる情報」だと言っているのとも符合する。

 生命の設計図がどこから来るのかという問いに即していえば、生命の設計図はどこからも来ない、生命の設計図そのものが神なのだから……というのが、栗原さんの感得ではなかろうか。 

 そしてそれは、「渡辺の所見でもなければ、藤井や筆者の見解でもない」と言っていることにも連動している。個人が立てた学説とか見解ではないとすれば、その場にいた者に感得された何かであろうと推測するしかない。

 ただ、生命の設計図がどこから来るかと問うことを止め、設計図そのものが宇宙を形づくる「情報」の一環だと捉えることは、大逆転の発想だと言わなければならない。

 だが、「本義の時間と空間に刻まれる情報が神の正体である」と言われても、難解すぎてすぐには理解できない。ここに使われている「情報」という言葉からして、われわれが普段使っている内容とは違う意味を孕んでいるようである。

 それは栗原さん自身もよく分かっている。だからこそ、わざわざ原稿用紙六〇枚以上にも垂んとするメモを届けて下さったのである。

●本論に入る前の注意書きとの意味で表裏二頁の「前文」を書いて下さったと思われるが、その前文の部分に普通の論文なら結論部に来るような洞察が満ちている。

 すなわち、設計図は元より実証なくして描けるものではない。生命とは混沌から発するものであるが、その混沌もまた自らを制御しうるエネルギーをすべて備えているのである。

 例えば、銀河系から誕生している太陽系に限定してみても、悠久の時間と空間がなければ生まれ出るわけもなく、時空に刻まれる情報(実証)なくして、設計図など描きようがないのである。

 さらに、地球生命についてみても、陽光が水を生み出す空間の距離関係から、水に相応しい生命の禊祓を通じて悠久の時間を刻む細胞一個ずつに遺伝情報が刻まれる。

 ただし、遺伝子は太陽と地球と月、つまり混沌が整備に向かう過程の情報を所有しなくても生きられるという特徴をもつ。なぜなら、遺伝子とは染色体一部の生命であり、地球本体に対応する大気圏がなければ、生きていける根拠がなく、また水の星を補佐し補完する月の働きなくして生きていける根拠がなく、禊祓なくして染色体は生まれないからである。

 難解な文章であると白状しなければならない。よくよく注意して、前後を睨みながら読まなければ、意味が通らない。

 たとえば、ここに言われている混沌は「自らを制御するエネルギーをすべて備えている」とあるが、もしそうであるなら、混沌とは秩序と同義であることになる。われわれの通常の言語では、混沌と秩序は正反対の意味をもつ対立語なのだが……。

 能う限り栗原さんの意図に則しつつ真意を推し量ることで、何とか前後の脈絡をつなげていくしかない。

 群盲象を評すの愚に陥ることを覚悟でいうのだが、太陽系の誕生からして悠久の時空に刻まれる情報がなければ実現しなかった、というのが栗原さんの言いたいことであろうか。

 さらにいえば、太陽系のみならず、銀河系の誕生そのものも、この悠久の時空に刻まれた情報がなければ誕生しなかったと言えるのではないか。

 だが、「水に相応しい生命の禊祓を通じて悠久の時間を刻む細胞一個ずつに遺伝情報が刻まれる」とは、にわかには理解の及ばない表現である。

「水に相応しい生命の禊祓」とは何か。「悠久の時間を刻む細胞」とは何か。通常の常識ではとても歯が立たないと諦めたくなる気持ちにも駆られる。

 だが、ここには大事な何かがある。どうしても分からなければ、栗原さんを捕まえて、一語一句について意味を尋ねることも、幸いなことにできないわけではない。

 それに、ただ私のためにこれほどの労を惜しまれなかった志に応えるためにも、この難解な文章に立ち向かい、誤解を恐れずに私なりの理解を通さなければならない。栗原さんが下さったこの一文は、これまでのささやかな営みの次なる第一歩に必ず繋がるという確信があるからである。

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2010年12月 1日 (水)

古事記とハープ

1年ほど前の拙記事「『古事記』序」に、「アラスカ州ガコナのハープの研究者が、現在『古事記』を解読しようと血眼になっている」と書きましたが、当時はそのように語る栗原茂さんの話に、半信半疑で耳を傾けていた自分がいました。しかし、半年が経過した今年の5月の舎人学校に至って、漸く本当の話だと「確信」が持てるようになった次第です。何故、最先端を行く米国アラスカ州のガコナ・ハープが、1298年も前に成立した古事記に力を入れているのかという訳は、栗原さん自らが執筆したガコナハープ報告書「文明の未来図 ガコナハープ」に詳しいので参照してください。

このように、“時代の最先端を行く”古事記について、国体の観点から解説を行う栗原さんの話に耳を傾けるようになって、たとえば、『マンガ古事記 上巻』(サンマーク出版)を出版した、東京外国語大学名誉教授の奈良毅氏の語る古事記論が、実に底の浅いものであることが一目瞭然に分かるようになってきました。例えば、同教授が古事記には医学上の正確なことが書かれていると主張しているユーチューブがあります。

古事記の記述が科学的、医学的に正しい理由は?

筆者なりに掻い摘んで云えば、同教授の主張は次の通りになるでしょう。

「女性は10~11歳で初潮を迎えるが、男性は2~3年後の13~14歳になって漸く生殖器が大人になる。だから、伊邪那美命(いざなみのみこと=女神)が先に伊邪那岐命(いざなぎのみこと=男神)誘って、みとのまぐあいをしたところ蛭子や淡島が生まれるという行は、女性の方が性に成熟度が早いので、その頃に女性から誘っても未だ男性は生殖器がねんねの状態だから、子どもの出来ようがないことを示している。しかし、男性も生殖器が大人になった頃に女性を求めると、その時点では女性はすでに成熟しているので、健全な子どもが生まれるわけである」

このような“チン説(珍説)”を奈良氏は主張していますが、これではマンガ以外のなにものでもありません。

筆者は舎人学校の模様を必ず報告書にして関係者に配布していますが、たとえば今年の5月10日の報告書だけでも、古事記に関するメモ書きに以下のようなものがあります。時間の経過とともに報告書が溜まってきましたので、栗原流古事記に関して、支障のない範囲で本古事記シリーズにおいて、解説を交えながら追々取り上げていく予定です。よろしくお願いいたします。

※ 以下は、2010年5月10日付けの報告書からの古事記に関する抜粋
最初の三柱(天之御中主神、後高御産巣日神、神産巣日神)は黄道(惑星の軌道)を現す。それに対して続く二柱(宇摩志阿斯訶備比古遅神と天之常立神)は白道(月など衛星の軌道)を現す。以上までは地球以外の惑星でも発生した出来事である。しかし、水の惑星である地球には他の惑星では発生しなかったものがあった。それが光合成であり、それによって植物と動物、最終的に人類が誕生した。これが国之常立神から伊邪那美神に至る神世七代の神々である。だから、最初に「意」(最初の三柱)があって人間としての原動力が生まれ、次に「情」(続く二柱)があり、最後に意と情の働きで知(神世七代)が生まれた。

「独神成り坐して、身を隠したまひき」は重要な行である。これは、公は一つだけであることを意味しており、また、「エネルギー」がないと何も生まれてこないことをも意味している。だから、古事記の冒頭で「独神成り坐して、身を隠したまひき」が幾度か出てくるのに注目する必要がある。つまり、我々は「無」から生じたということも、同行は示しているのだ。さらに、他国の神話は冒頭から男神と女神の物語で始まっているのに、古事記だけはそうではない点に目を向ける必要がある。男神と女神以前の世界を、実に古事記は苦労して示したのである。

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2010年10月23日 (土)

古事記 深奥の世界

東京の池袋にある文明地政学協会では、『世界戦略情報 みち』(以降、『みち』)を毎月二回発行しています。同誌は、歴史・政治・経済・天文・民俗・古典など、分野が多岐に渡る情報誌で、各々の記事は何れも独特の優れた視点で書かれています。そうした記事の一つに、「アッシリア文明史論」という連載記事があり、筆者は過日の記事でも述べた栗原茂さんという皇室インナーサークルです(詳しくは、『真贋大江山系霊媒衆を参照。同記事では高松宮と栗原さんとの交流について述べた)。

その文明地政学協会の一角で、栗原さんを囲んで舎人学級という集いが平均して月に2回のペースで開かれ、そこでは『みち』に毎号掲載される栗原稿の輪読の他、古事記の上巻(ふることふみ・かみつまき)の誦習が行われ、その後は直会(なおらい)に入って酒を酌み交わしながら、栗原さんの国体レベルの講話に耳を傾けるというのが通常の流れです。筆者も舎人学級に末席を汚すようになって1年が経ち、漸く今では上巻の三貴子(みはしらのうづのみこ)の誕生までは、古事記本を見ないでも諳んじることができるようになりました。

 それは兎も角、何故に筆者がそこまで古事記に取り組むのかという具体的な理由は、『みち』の平成22年10月1日号以降、すなわち「アッシリア文明史論」(19)以降から数回にわたって、古事記上巻について栗原茂流の解釈論が展開されているので参照していただくとして、本稿では舎人学級に参加する舎人の一人として、栗原流の古事記を学んでいる理由をお伝えすることにより、筆者なりに理解した範囲の栗原流古事記の輪郭を掴んで戴ければと思います。

最初に栗原流古事記を筆者が学んでいる理由を述べるとすれば、それは、「己れは何者で、己れは何処に行くのか」ということを知るためであり、譬えで云えば自身の人生という航海に不可欠な羅針盤を、手に入れるためなのです。尤も、その羅針盤は目の前に『古事記』本としてあるのですが、この古事記を自家薬籠中の物にしていく必要があり、そのスタートラインに立てるのは早くて来年(皇紀暦2671年)の秋頃になると予想しています。それまでは栗原さんの解く古事記解釈論を素直に学ぶ「守」の段階に筆者は居るのであり、その次に栗原流古事記ではなく、自分なりの古事記論を組み立てていく作業「破」の段階に進み、最終的には筆者独自の古事記論を確立した「離」の段階まで進みたいとは思っていますが、果たして自分に残された少ない時間の中、何処まで行けるのか今の段階では皆目分かりません。しかし、少なくとも「守」の段階を終えて、次の世代に栗原流の古事記を手渡す作業だけは、最低限行っておきたいと思っています。

■ 己れは何者か…

現在は一時中断していますが、栗原さんの著した200ページ近くの『家紋講座』があります。この本は(発売未定)植物学の基礎から始まって、氏姓鑑識に進む内容であり、現在は同書を参照しつつ、己れ自身の家系を調べている最中です。ソクラテスではありませんが、汝自身を知ることが栗原流古事記を理解するための第一歩なのです。

■ 己れは何処に行くのか…

己れ自身が何者かを知ることが最終ゴールではありません。次に、己れの身に明日、明後日、そして将来にわたって、何が起きるかを知ることが肝心です。譬えで云えば、暗礁に乗り上げないように航海を続けていくことが、長い人生を生き抜く上で大切なのです。よって、自身だけではなく自身の身の回りで起きている出来事、すなわち国際政治・経済の正確な潮流を掴み、それに基づいて己れの行動指針を決定していかなければなりません。そして、世界の動向を知るための最大のヒントが、実は古事記に隠されており、ここに世界のリーダーたちが必死になって古事記の解釈に取り組んでいる所以があります。筆者の場合、未だに「守」の段階で修行中の身でありながら、現在から西暦2012年(皇紀暦2672年)あたりまでなら、朧気ながら何が起きるのかが見えつつあります。そのヒントは“対発生”にあります。数字で表せば“2”ですが、それに対してアテン一神教から発生したユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教は“3”という数字を重視しており(たとえば三位一体)、ここに一神教には対発生という概念が無いことを如実に物語っています。そして、その欠陥を一神教の国々(日本を除く他のG8)が悟ったのが、2000年に開催された沖縄サミットでした(中国もG8メンバーではなかったものの、開催前に小渕総理から招待状を受けていました。しかし、中国は日本からの招待を断って欠席しており、ここに実は中国が傍若無人な振る舞いを続けている理由があるのですが、今回は割愛します)。

このように、沖縄サミットに参加したG8が悟った対発生(同時発生)は一神教に欠けている概念であり、そして何故に古事記は2という数字を大切にするのか、何故に以下のように次々と神々が対発生したのか…。それは、万物はすべからく対発生によって発生するという素粒子論に基づきます。(99柱に振り仮名を添えたPDFファィルを作成しました。今後続く古事記関連の記事に幾度か引用しますので、ダウンロードしてご活用ください)

「99.pdf」をダウンロード

宇麻志阿斯訶備比古遅神・天之常立神

國之常立神・豊雲野神

宇比地邇神・妹須比智邇神

角杙神・妹生杙神

意富斗能地神・妹大斗乃辨神

淤母陀琉神・妹阿夜訶志古泥神

伊邪那岐神・妹伊邪那美神

対発生という観点から考えると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の母胎であるアテン一神教が発生したのと時を同じくしてツランが発生したという、栗原さんから直接聞いた秘話も確かに合点がいきます。そして、従来のアテン一神教が行き詰まり、世界が混沌としている今日、一方のツランが眠りから目を覚まし、アテン一神教と対となって世界を動かしていくのではと、思うのでした。

最後に、舎人学級に1年以上参加させて戴いたことにより、舎人として大事なのは公(おおやけ)という道を踏み外さない人生を歩むことであり、決して私利私欲という私(わたくし)に囚われた人生を歩んではならないと、常日頃念頭におきつつ日々を送っていきたいと思うに至ったことを、ここに記しておきたいと思います。

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2009年9月27日 (日)

『古事記』序

このたび、新たに古事記シリーズを立ち上げることにしました。最初に、筆者と古事記との関わりを簡単に述べておきます。

古事記を初めて手にした、高校時代のほろ苦い想い出…
B090900_2 筆者は高校三年生の時、二週間ほど九州一周の旅を体験しています。高千穂も訪問地の一つに入れていたので、九州に発つまでに『古事記』に目を通しておこうと、購入したまでは良かったのですが、如何せん内容が当時の自分には余りにも難解だったこともあり、結局20~30ページほど読んだだけでギブアップ…。その後は、古事記とは縁のない生活を長年にわたって送っていました。また、古事記とは単に権力者が都合の良いように書いた、「偽書」に過ぎないと、当時の筆者は信じていたのです。

サラリーマン生活から足を洗うと、古事記の方から筆者に近づいてきた…
筆者は1998年に一部上場の電子部品メーカーを辞め、フリーランス(翻訳)になりました。もし、あの時に会社を辞めていなかったら、今でも古事記は偽書であるという固定概念に縛られたままだったかもしれません。しかし、正社員という安定した地位を投げ捨て、フリーランス(翻訳)という道を選択したことにより、サラリーマン時代には考えられなかった世界の人たちとの多くの出会いを、矢継ぎ早に体験したのでした。そうした中、5年後の2003年に大きな転機が訪れます。その日は忘れもしない2003年(平成15年)3月15日(土)、東京都内にある栗原茂氏の自宅を初めて訪問した時でした。初めての出会いであるのにも拘わらず、栗原氏は親切にも2時間にわたって色々と語り聞かせてくれたのであり、その時の話は今でも鮮明に覚えているほど印象深いものでした。なかでも古事記の話は強烈でした。

B090901 爾来、「古事記」について筆者なりに色々と調べてみました。中でもユニークな古事記の解釈本だと思ったのは、山田久延彦氏が著した『真説 古事記』四部シリーズです。技術屋である自分にとって、同じく技術屋である山田氏の古事記に関する諸説は、奇想天外な説ではあるものの、非常に面白い内容のものが多かったのでした。たとえば、銅鐸は古代のコンピュータである、といった山田氏の主張などです。ともあれ、いつの日か自分なりに山田説を咀嚼して、自分のアイデアも加味して、ブログにでも発表したいと思っていたほどです。

B090902 しかし、後になってさらに凄い本に出合います。それは、『百人一首の魔方陣』(徳間書店)を著した太田明氏の『日本古代遺跡の謎と驚異』(日本文芸社)と、『古代超文明の謎と驚異』(日本文芸社)でした。詳しくは同書を紐解いていただくとして、同書の凄い点は、日本の古墳、エジプトのピラミッド、英国のストーンヘンジを、地球幾何学の観点で結びつけることが出来るという実証をした古書こそが、記紀、万葉集、風土記に他ならないと喝破したところにあります。『日本古代遺跡の謎と驚異』の裏表紙を見ると、以下のような下りが目に飛び込んできますが、読者の皆さんはどう思われるでしょうか。

人類の歴史は太古に仕組まれた、ある計画に沿っていた!

B090903  もしもある日突然に、「人類の歴史は、太古に仕組まれた、ある計画に沿ってつくられてきた」との結論を得たら、あなたはどう反応するだろうか? 現実から遊離した、まるで空想の世界を漂うような感覚を覚えるのではないだろうか。私自身、自分の研究がよもやそのような世界の扉を開くことになろうとは、夢にも思わなかった。しかし、この十数年間の研究を通じて積み上げられてきた成果によると、そう結論せざるを得ないのである。「われわれの歴史の進路を方向づけようとした意思が古代に働いていたこと、そして、その意思に沿って人類が活動してきた」ことを、まさに私の研究は論理的に証明しているのだ。 

 本書は一般向けに書いたものであるから、わずらわしい数学的部分はできるだけはぶき、結論の重要な部分のみを記述し、それらの根底に潜む、太古の人間の構想を浮かび上がらせることを主眼とした。とくに地球規模で広がる彼らの事業の、その意味を解く鍵となる日本の遺跡の解明に力点を置いた。

このように、ますます古事記の世界にのめり込んでいった筆者は、最近になって上述の栗原氏が古事記の勉強会を来春から始めるということを知り、現在は準備段階として行っている月2回の古事記(ふることふみ)の誦習会に参加することにしたのです。そうした中で知り得た、従来にない古事記の世界を少しずつ本ブログにアップしていきたいと思います。たとえば、アラスカ州ガコナのハープの研究者が、現在『古事記』を解読しようと血眼になっているといった話です。古事記には現在、さらには未来の技術も織り込まれているというのが栗原氏の主張であり、筆者も最初は半信半疑でしたが、すでに山田久延彦氏や太田明氏の書籍に目を通してきたこともあって、かなり免疫が出来ていたのでしょう、今では素直に栗原氏の話に耳を傾けることができるようになりました。

なお、古事記シリーズを始めたものの、何分にも翻訳業という時間を取られる生業をしていることから、筆の進め方としては古事記という主テーマを中心に、エッセイ風に自由に書き連ねていく形をとりたいと思います。気まぐれな性格のため、次回の投稿はいつの日になるやら…(苦笑)

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