『古写真研究こぼれ話』
昨日(5月25日)、高橋(信一)先生の講演会に久しぶりに顔を出してきた。場所は東京は四谷三丁目にあるスナック、「春廼舎」(ハルノヤ)で、テーマは「捏造写真の系譜-坂本龍馬の妻お龍、唐人お吉、西郷隆盛の写真を検証する-」というものだった。このスナックで、不定期だが「江戸史談会」という集いが開かれており、過去に高橋先生から二回ほどお誘いを受けていたが、仕事の都合でなかなか実現しなかった。昨夜は三度目の正直ということで漸く参加できた次第である。高橋先生の貴重なお話の他、本邦における本物の古写真研究家の方々との名刺交換を行い、古写真分野の人脈を広げることができたのは収穫だった。帰り際、高橋先生の貴重な私家版『古写真研究こぼれ話』を謹呈していただいた。400ページを超える、浩瀚なる古写真研究書であり、今後の貴重な古写真史料となりそうだ。
昨日お会いした古写真研究家の一人、森重和雄氏のブログに古写真研究家を紹介した記事がある。
いつも不思議に思うこと
その中に、昨日お会いした数名の古写真研究家のお名前があった。
最初に、古写真全般の専門家である石黒敬章先生。『英傑たちの肖像写真』で森重氏とともに編集協力をされている。
それから、下岡蓮杖および横浜写真が専門の斎藤多喜夫先生。 『幕末明治 横浜写真館物語』等を執筆されている。
また、昨日は席が隣同士だった、小川一真が専門の国立民族学博物館の添野勉先生。昨夕は席が隣同士ということもあり、千里の国立民族学博物館を巡って話が弾んだ。
さらに、『「フルベッキ群像写真」と明治天皇“すり替え"説のトリック』の斎藤充功氏も顔を出しておられたので、名刺交換を頂戴してきた。ミリオン出版から出るであろう、明治天皇シリーズの第二弾が楽しみである。
その他、旧河内国丹南藩の家老の曾孫という杉浦さん、奥会津の出身で「奥会津戦国風土記」というブログを開設している、宮下さん等とも話を交わした。
最後に、以下は当日配布された高橋先生の挨拶文である。
捏造写真の系譜
一坂本龍馬の妻お龍、唐人お吉、西郷隆盛の写真を検証する一
高橋信一
キヨソネ作製したものも含めて西郷隆盛の肖像画は多数現存しています。私はその最大公約数としての隆盛の人物のイメージを持っていますが、今まで登場した偽写真で似たものは見たことがありません。偽写真から隆盛の肖像画は作れません。真影を残さなかった隆盛の真意についての逸話は数々あります。それでも人々の思い込みを反映して偽写真の捏造は彼の生前から繰り返して行われ、現代の「フルベッキ写真」に繋がっています。私はこの追究のために古写真の世界に入りました。文系でなく、理系の人間として古写真を見て来ました。
先ず・西郷隆盛がどのような人物だったのか、顔の特徴について従来言われていることを見直し、肖像画と偽写真を多数ご紹介しようと思いまず。私が集中的に研究して来ました「フルベッキ写真」に隆盛が写っているにしても、明治元年正月以降明治8年頃まで使われたスタジオで撮影されたもので、慶応元年には存在し得ない写真なのです。にも拘わらず、似た人物の当て嵌めに幻想されて思い込む人々が多く、騒ぎをドンドン大きくしています。この誤解を解きたいと思って研究をしています。
次に下田の唐人お吉についても本人でない写真が下田の記念館を中心にまことしやかな理由をつけて宣伝に利用されています。お吉の偽写真の撮影は明治10年頃、横浜の外人写真家、スチルフリードによって行われ、その後はいろいろな写真館から水彩で色付けされて、「横浜写真」のアルバムに明治30年代まで、利用されてきました。何種類もあるいろいろなポーズの写真を示して、彼女が当時の売れっ子モデルだったこと、イタリア系の混血だったという説もご紹介します。
最後に坂本龍馬の妻お龍の偽写真について、私の疑問点をご説明してみたいと思います。若い為写真が、もしも本物のお龍だったら、何歳の時の写真なのか、スタジオの背景から、撮影はいつ頃でなくてはならないかを撮影した写真家内田九一のスタジオの変遷から推測します。お龍はいつ東京に出てきたかは明確になっていませんが、現在ある資料と写真は符合するのかについて疑問点をお話します。偽写真と晩年の本物のお龍の写真との違いを指摘して、彼女の妹たちとの遺伝学的な比較研究の重要性を他の人物(松平春嶽の子供たちの兄弟姉妹、津田梅子、大隈綾子)を例にして強調したいと思います。
歴史上のヒーロー、ヒロインには、それに相応しい写真が嘱望されて、その偽写真の捏造に繋がっているのかもしれませんが、古写真は真の歴史の資料としてもっと大事にして欲しいと思います。面白半分の勝手な当て嵌めは、過去に生きた人たちを冒涜するものだと思います。歴史に傾倒する方々には他人の言ったことを鵜呑みせず、古い文書文献を読み込むのと同じようにご自分の冷静な目を古写真にも向けていただきたいと思います。
平成25年5月25日 江戸史談会
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