『明治維新の極秘計画』
落合(莞爾)さんの新著『明治維新の極秘計画』が、11月29日に発売されてから十日が経過したが、大手マスコミは無論のこと、ネット界ですら書評は今のところゼロだ。あのアマゾンすら、未だに誰もカスタマービュー(書評)を書いていない。
無理もない。学校教育を受けた我々は、孝明天皇は慶応2年(1866年)12月25日に天然痘が原因で崩御(宝算36)され、睦仁親王が明治天皇として即位されたと教わってきたので、今回の落合説には大いに戸惑うはずだ。一方で、孝明天皇と睦仁親王は暗殺あるいは毒殺され、代わって大室寅之祐が明治天皇に即位したという、ネット界隈で飛び交っている説を頭から信じている人たちも、今頃は頭が“大”混乱しているのではないだろうか。落合さんは以下のように主張する。
「我々の知る明治天皇は、確かに睦仁親王ではなく大室寅之祐である。しかし、孝明天皇と睦仁親王は暗殺若しくは毒殺されたのではなく、京都皇統(國體天皇)として“お隠れ”になったのである」
この落合説、あまりにも信じがたい内容に思えるかもしれない。しかし、筆者はこの落合説を全面的に支持する。
最初に、筆者が2年半前に作成した以下のPDFファイルに目を通していただきたい。
「ochiai01.pdf」をダウンロード
京都皇統あるいは東京皇室と書いてあったり、堀川辰吉郎や杉山茂丸の名が登場したりと、一層頭が混乱してくるかもしれない。このあたりは『明治維新の極秘計画』で落合さん自身が述べているように、来年発売される予定の第三弾に譲るとして、注目して頂きたいのは「皇室インナーサークル」である。落合さんは「さる筋」という表現をしているが、実はこの皇室インナーサークルのことを指している。筆者が自信をもって落合説を支持できるのも、筆者も「さる筋」との少なからぬ交流があり、直に深奥の皇室情報を得ているからこそ、確信をもって落合説を支持できるのだ。
落合説を信じられるかどうかは、偏に「日本天皇の本質が国民国土の安全を祈念する国家シャーマンだからです」(p.10)という、落合さんの言葉の意味するところを何処まで理解し得るかにかかっているように筆者は思う。ともあれ、『明治維新の極秘計画』のポイントを以下に転載(p.12)しておこう。
(1)孝明天皇が崩御を装い、皇位を南朝皇統の大室寅之祐に譲る。
(2)睦仁親王及び、妹の皇女壽萬宮・理宮も薨去を装い、父・兄と共に隠れ家に隠棲する。
(3)隠れ家として、水戸斉昭が堀川通六条の本圀寺に「堀川御所」を造営する。
(4)大室寅之祐は睦仁親王と入替わり、孝明の偽装崩御後に践祚して政体天皇に就く。
(5)堀川御所に隠棲した孝明は國體天皇となり、政体に代わり皇室外交と国際金融を担当する。
(6)一橋慶喜は将軍就任を回避し、尹宮(時に青蓮院宮)と公武合体政権を建てる。
(7)幕府は十四代を以て大政奉還し、幕藩体制を終了させて立憲君主制の新政体を建てる。
並行して、世界戦略情報誌『みち』の掲示板で筆者は以下のような内容の投稿を行った。
『明治維新の極秘計画』では上記の二冊、殊に『徳川慶喜公伝』を高く評価している行を読んて感動し、これは是非とも目を通さねばと思って四巻を購入しまし た。どのくらいの期間で読了できるか分かりませんが、「堀川政略」を念頭に読み進めていくことで、何等かの己れなりの発見があるのではと期待しています。
「コーヒーブレイク」No.92
世間では徳川慶喜公への評価はさほど高くはない。しかし、あの渋沢栄一が著した『徳川慶喜
公伝』(平凡社東洋文庫・全四巻)に目を通した落合さんは、今までの慶喜公に対する態度を大きく変えたことが同書p.62「『徳川慶喜公伝』こそ真の史書である」に書かれている。
誰にせよこれを読めば、徳川慶喜公の心情とそれに基づく行動の意味が真に理解できるはずです。しかるに巷間の史書・史談が悉く(ことごとく)慶喜公の心情を理解しておらず、公の行動を曲解して評価を誤り、甚だしきは見当違いの罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を浴びせているのは、稗史(はいし)小説家は言わずもがな、史家といえども同著を繙(ひもと)いていないことを示しています。
来春発売されるであろう、落合シリーズの第三弾が今から楽しみである。
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