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2012年3月

2012年3月12日 (月)

悪の遺産ヴェネツィア(1)

過日、天童竺丸氏が著した『悪の遺産ヴェネツィア』について簡単な書評を試みたが、いきなりヴェネツィアだの黒い貴族だのと書いても、何のことか分かって戴けなかったと思うので、以降数回にわたって解説を試みたい。

最初に筆者の場合、ロスチャイルドやロックフェラーなどの宮廷ユダヤを操る、得体の知れない“黒い貴族”(世界権力またはワンワールド)が存在していることは既に知っていたが、“肝心な黒い貴族”の正体がよく分かっていない状態であった。ところが、『悪の遺産ヴェネツィア』に目を通すことによって、長年の疑問が一気に氷解したのである。

B120312 9年前、筆者の頭の中にあった世界権力像は、米国と英国というアングロ・サクソン、およびロスチャイルドやロックフェラーといった宮廷ユダヤの連合体であった。当時、「国際政治のすすめ」と題した記事を、某国際契約コンサルティング会社のウェブに掲載して戴いたことがある。その時に最も参考になったのが、『国際寡占体制と世界経済』(岩城淳子著 御茶の水書房)であった。同書の場合、ヴェネツィアについて言及していないものの、少なくとも“狭義”の世界権力を理解するには優れた書籍であったと今でも思う。当時の記事を以下に転載しておくが、何分にも大分長い記事のため、宮廷ユダヤについてある程度理解している方は読み飛ばして戴いて結構である。それにしても、今日に至って読み返してみるに、世界権力についての考察が未熟な記事であり、赤面の至りだ。

ところで、以下の記事に登場する物部氏の定義「アングロ・ユダヤ金融戦略」だが、物部氏は「米国は、英国、ユダヤ資本と組み、3者で、国際経済を牛耳る密約をした(これを「アングロ・ユダヤ金融戦略」という)と考えられる」と書いている。しかし、正しくは「ヴェネツィアに乗っ取られた英国、その英国の支配下にある米国、およびヴェネツィアに仕えている宮廷ユダヤ」なのだが、このあたりの解説は次回以降に回したい。

国際政治のすすめ(政治編)

物部一二三氏の筆による「日本人と日本国の現状と将来 -ミレニアム提言-」というシリーズが、『海援隊』に二年間にわたって連載されていた時期がある。筆者も物部氏のシリーズを毎月楽しみにしていた一人であるが、その中で「アングロ・ユダヤ金融戦略」なる言葉がしばしば登場していたのを読者は覚えておられるだろうか。今思うに、「アングロ・ユダヤ金融戦略」という言葉には実に不気味な響きがあった。そこで、本稿では「アングロ・ユダヤ金融戦略」にメスを入れ、「世界の政治・経済のエスタブリッシュメント(支配層)」のグランドストラテジー(大戦略)が、世界の政治・経済にどのような影響をもたらしているのかについて検証してみたいと思う。

最初に、物部氏の定義する「アングロ・ユダヤ金融戦略」については、以下に目を通していただきたい。

 
 

1980年頃、米国は、英国、ユダヤ資本と組み、3者で、国際経済を牛耳る密約をした(これを「アングロ・ユダヤ金融戦略」という)と考えられる。そこでは、「金融のビッグバン」と言う標語の下に、金融のアングロサクソン・スタンダード=グローバル・スタンダードを創り上げた。この戦略では、米英を益することを条件に、ユダヤ資本に国際金融のコントロール権を与えた。この結果は、地球上に、実体経済社会とは別に、金融経済社会を創り上げることになった。正に、新しい時代の資本主義(個々の資本主義からグローバル資本主義)制度の誕生が謀られたのである。米国と英国にとっては、自国通貨の過不足分を調整するユダヤ資本の才能は望むところであるし、ユダヤ資本に取っては、世界の実体経済を金融経済で完全にコントロールできる利権を取得することになったので、両者は完全に利害を一致させることができたわけである。

物部一二三著 「日本人と日本国の現状と将来 -ミレニアム提言-」

 

 1980年頃の米国と言えば、1981年にレーガン政権が発足し、1985年にプラザ合意が成立するといった一連の流れから想像できるように、「アングロ・ユダヤ金融戦略」すなわち米国主導の世界経済支配が確立した時期であった。そして、その米国の世界経済支配の一角を担ったのがシティ銀行、チェース・マンハッタン銀行といった多国籍銀行だったのである。また、その時期は金融分野をはじめとする多国籍企業同士の熾烈な競争が展開されたのであり、競争に打ち勝って生き延びていくために力のある多国籍企業同士が提携・合併を繰り返していった。無論、その陰で競争に敗れた力のない多国籍企業の屍の山が築かれたのは言うまでもない。そのあたりについての詳細は、広瀬隆氏が著した『アメリカの経済支配者たち』および『アメリカの巨大軍需産業』をはじめ、その他の国際政治・経済コメンテーターの書籍を参照されたい。なお、広瀬氏の場合は実際にロスチャイルド一族といったエスタブリッシュメントとの交流があったわけではないため、アメリカおよびヨーロッパのエスタブリッシュメントの本質を広瀬氏が捉えていないという情報を、実際にロスチャイルド一族などと交流を持つ某識者から直接筆者は聞いている。よって、広瀬氏の著書は割り引いて読む必要があり、アメリカの支配層を鳥瞰図的に捉えるための参考資料程度に利用すればよいと思う。

一方、1980年代から1990年代にかけての米国は、「雇用なき繁栄」という大量失業と不安定就業が恒常化して中流階級が没落していった時期であり、一握りの富裕層と圧倒的多数の困窮層という極端な二極化が進行した時期であった。不幸にして、現在の日本も二極化が進行しているのはご存じのとおりである。このように、低開発国の民衆や先進国の低所得層の民衆の犠牲の上に成り立っているのが、「世界の政治・経済のエスタブリッシュメント」が主導する「アングロ・ユダヤ金融戦略」の実体であることを忘れるべきではない。

次に、「世界の政治・経済のエスタブリッシュメント」のグランドストラテジー(大戦略)が世界の政治・経済にどのような影響をもたらしているのかについて筆を進めてみよう。

物部氏の指摘にある米国経済、さらには世界経済をコントロールしているというアングロ・ユダヤ連合による金融ヘゲモニーをはじめ、軍事・情報など他分野のヘゲモニーも視野に入れて考察するにあたり、最良の指南書の一冊が『国際寡占体制と世界経済』(岩城淳子著 御茶の水書房)である。

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(1) 国際的金融ヘゲモニー

(2) 国際的情報ヘゲモニー

(3) 国際競争力としての生産性優位の確保

(4) 世界の科学・技術分野におけるリーダーシップの掌握

(5) 原料・エネルギー資源の囲い込み

(6) 国際関係の戦略的構成

(7) 地球ないし宇宙規模の軍事ヘゲモニー

出典:『国際寡占体制と世界経済』(岩城淳子著 御茶の水書房 P248 

戦後の米国の歩みを振り返ってみると、第二次世界大戦後から1970年代初頭までは戦禍を免れた唯一の参戦国であった米国が圧倒的な力を固持していたことに気づく。しかし、ベトナム戦争などにより米国が国力を消耗している間、戦禍に見舞われたヨーロッパおよびアジアの諸国が復興を遂げ、ついに米国を1971年8月のニクソン・ショック(金ドル交換停止)が襲い、戦後の国際経済秩序の根幹をなしていたIMF・GATT体制、所謂ブレトンウッズ協定に終止符が打たれたのであった。このように書くと、パクス・アメリカーナが終焉を迎えたかのような印象を読者に与えかねないが、実際はニクソン・ショック以降のパクス・アメリカーナの基盤は一層強固なものとなったのである。そうした米国主導による世界体制が確立された時期が1980年代であったと言えよう。

ここで、『国際寡占体制と世界経済』を下敷きに、岩城教授の図にある(1)(7)を筆者なりに解釈すると以下のようになる。

(1) 国際的金融ヘゲモニー

国際的金融ヘゲモニーとは、本稿で取り上げている世界経済の支配層そのものを指し、それが岩城教授の描いたヘゲモニー構造図の頂点に置かれているのも、国際的金融ヘゲモニーこそが中核的なヘゲモニーだと岩城教授が捉えていたからである。ニクソン・ショック以降、今日に至っても相変わらず不換紙幣ドルが世界の基軸通貨として流通し、巨大銀行がニューヨークに集中している事実そのものが、米国主導の国際的金融ヘゲモニーの重要性を示す何よりの証となる。尤も、国際金融市場におけるドルの垂れ流しという米国のしたい放題に歯止めをかける意味で、ヨーロッパ諸国が2002年1月にEUの統一通貨であるユーローを登場させたことの意義は大きく、今後の米国主導による経済支配層に少なからぬ影響を与えると見て間違いない。

(2) 国際的情報ヘゲモニー

国際情報通信分野における米国の情報ヘゲモニーは、上記の(1)国際的金融ヘゲモニーと密接な関連性を持つ。何故なら、投機的金融市場では一瞬の差、一瞬の情報格差が勝敗の決め手となるためからである。1815年6月19日に大英帝国とフランス両国の命運を賭けたワーテルローの戦いの結果を誰よりも早く入手したネイサン・ロスチャイルドが、ロンドンの株式取引所で巧妙な手口を使って濡れ手に粟の莫大な大金を手にしたという逸話を思い出せば、情報の大切さは一目瞭然となる。尤も、ネイサン・ロスチャイルドの入手した情報は“素材”に過ぎず、来る情報化社会においては素材である情報を分析・統合した上で判断を下すという “インテリジェンス”の方が重要視されることは間違いない。

(3) 国際競争力としての生産性優位の確保

「アメリカが金融ヘゲモニーとして優位に立つためには、米国系の多国籍企業が他国系の多国籍企業に対して競争上優位な地位を確保していることが必要であり、そのためには設備の近代化・人減らし合理化による労働生産性の向上すなわちコスト・ダウンで優位に立たねばならない」と『国際寡占体制と世界経済』の著者である故岩城淳子教授は説いており、筆者も同意見である。なお、生産性について考察するのであれば、併せて情報ヘゲモニーの一環であるCALS(生産・調達・運用支援統合情報システム)の脅威を知っておく必要がある。すなわち、米国においては、政府、官庁、軍隊、民間、果てはアカデミーすらもCALSによって統括されているという現実である。日本では光ファイバー網云々と騒いでいるが、これではあまりにもハード志向に偏り過ぎていると言えないだろうか。もっとソフトウェアなどのインタンジブルなものにも目を向けていくようにしないことには、今世紀に本格化する地球規模の情報化において日本は立ち後れていくばかりだ。

(4) 世界の科学・技術分野におけるリーダーシップの掌握

日欧米系の多国籍企業では、利潤を獲得していくために常に新製品開発に力を注いでいるが、そのためには科学・技術両分野において他をリードしていくことが不可欠となる。そのためには基礎科学も含め、将来を見通した科学・技術分野の戦略を立てることが必要であろう。しかし、ロケットで有名な故糸川英夫博士がいみじくも「日本にはサイエンスがない」と語っておられたように、基礎研究・科学を軽視している日本には残念ながら科学の名に値するものは皆無に近い。日本人の科学軽視の傾向はセマンティックス音痴に由来するものであり、日本の将来を思うにかえすがえすも残念なことである。

(5) 原料・エネルギー資源の囲い込み

産出・生産地域の偏った石油、レアメタル、食糧などに関して、米国は二国間協定等により資源の囲い込みを進めてきたが、これは高度な戦略の部類に属す。最近の例を挙げるならば、9・11事件を引き金として発生した米国によるアフガン侵略も、一種の原料・エネルギー資源囲い込み戦略である。さらに、一つ上の次元から眺めれば前世紀は石油を中心に世界は動いてきたことが一目瞭然であり、これは21世紀に入った今日においても変わるところがない。尤も、情報大革命の前夜に相当する現在、エネルギーの中心が石油から情報にシフトしつつある現実にしっかりと目を向けることが大切だ。

(6) 国際関係の戦略的構成

「米国を頂点として、その下位に米国と特別の関係にある諸国(日・英・独・サウジアラビア・イスラエルなど)を結集し、更にまた、その下位に戦略上重要な諸国を…という具合に、戦略的重要性にもとづいて重層的に編成された国家関係をさす。この戦略的重要性は、ヘゲモニー構造の維持と資本主義体制の維持の観点から見たもので、当然、ヘゲモニーの各要素とも深く関連している。(中略)戦略的な国家関係の確立にあたっては、その奥深い背後にある人的コネクションが重要な役割を果たしているが、それを可能にしたのは、政・官・財界その他諜報分野にいたるまでの内外の各種人材、特に外国の人材を長期間にわたって大量に育成し、全世界に戦略的に配置してきたことである。こうした人材育成のスポンサーとしては、米国政府だけではなく、ロックフェラー財団、フォード財団などの諸団体やフルブライト基金のようなさまざまな奨学基金があげられよう」と『国際寡占体制と世界経済』の著者である故岩城淳子教授は説いている。筆者も基本的に岩城教授の意見に同意するものの、岩城教授と意見を異にする部分もある。第一に、英国やドイツと同一レベルに日本を岩城教授は取り上げているが、米国は戦略的に英国やドイツの下位に日本を位置づけていると筆者は思う。第二に、人的コネクションについて言及するのであれば、フリーメーソンについても言及しないことには片手落ちという点も指摘しておきたい。

(7) 地球ないし宇宙規模の軍事ヘゲモニー

「圧倒的に優勢な核兵器体系や人工衛星システムを軸とする宇宙覇権を背景に、各種軍事協定によって戦略的に重要な地域をコントロール下に置きながら(6)、各々の地域の特殊性に応じた、科学・技術の先端部分、原料・エネルギー資源などの囲い込み(45)や、地球を覆う情報・通信網の構築(2)などを実現させてグローバルな管理体制に万全を期するという構図である。また、ケインズ的有効需要政策においても、科学・技術戦略においても、軍産複合体が果たす役割はきわめて大きい。こうした全体的関連の中で体制保証の支柱をなしているという意味で、(7)がヘゲモニー構造全体を支える基盤の位置を占めているといえよう」と『国際寡占体制と世界経済』の著者である故岩城淳子教授は説いている。岩城教授の主張のとおり、軍事力はパクス・アメリカーナを維持し、(2)(6)を貫いていくためにも不可欠なものであろう。ようするに、(1)の金融ヘゲモニーと(7)の軍事ヘゲモニーは、岩城教授の言う諸ヘゲモニーを推進していく両輪に相当すると言えよう。

以上、パクス・アメリカーナをさまざまな角度から検証してきたが、ここでふと筆者の脳裏にパクス・ブリタニカが浮かんだ。ご存じのとおり、かつてはパクス・ブリタニカの覇者たる英国は、ボーア戦争、第一次大戦、第二次大戦と半世紀にわたって続いた三つの戦争で国力を消耗・衰退させ、ついにはパクス・アメリカーナに覇権が移行したというのが『国際寡占体制と世界経済』の岩城教授をはじめとする世間の一般的な見方である。しかし、果たしてそうであろうか。寧ろ米国は未だに真の独立国とは言えず、深奥は相変わらず英国の「植民地」のままではないのだろうか。英国本土だけに目を向ければ確かに王室と労働者しか残っていないが、真に優秀な英国人は世界中に散らばっていて世界のソフトウェアといったインタンジブルな分野に深く関与している事実を見過ごしてはいないだろうか。

2003年11月吉日

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2012年3月 9日 (金)

『悪の遺産ヴェネツィア』

B120229 天童竺丸氏の『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』を漸く読み終えた。読了してつくづく思うのは、己れを産み育んでくれた瑞穂の国・日本への天童氏の温かい眼差しであり、憂国の至情であった。そのあたり、以下の同氏の言葉にも滲み出ているのが分かる。

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あえて蟷螂の斧をもって、ヴェネツィアとは何なのかを考えることにしたのも、ヴェネツィアの「悪の遺産」が脈々として世界権力の現在の工作に生きているからであり、その歴史的実体の解明が日本にとって緊急に重要な課題のひとつであると信ずるからである。(『悪の遺産ヴェネツィア』p.10

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主題の「ヴェネツィア」だが、以下に天童氏が簡素に述べている。

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 地中海交易を中心に欧亜を結ぶ国際交易を支配し、その後ヴェネツィア党として英国の中枢を乗っ取って東インド会社を設立、アジア植民地を開拓し、アフリカおよび南北両米大陸の資源を手中に収めながら、両次の世界大戦と冷戦とによって露独日など民族主義国家を壊滅させたのち、米国を世界の警察権執行人として使嗾しつつ、経済至上の世界一元化を推進してきた寡頭世界権力の中枢を為す重要な系脈として、ヴェネツィアはこんにちなお依然として侮るべからざる存在である、と私は考える。(『悪の遺産ヴェネツィア』p.910

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ここで筆者が注目したのは「露独日など民族主義国家」の行である。ここ数年、ヴェネツィアが壊滅させたはずの露独日が、再び不死鳥のように蘇りつつあることから、ヴェネツィアが今度こそ露独日の息の根を止めようと、あらゆる手段を数年前から講じていることをご存じだろうか。そうしたヴェネツィアの気持ちを代弁しているのが、フランスの知の巨人ジャック・アタリのようで、コスモポリタン某が自身の掲示板に以下のように述べている。

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ジャック・アタリがフランスの放送で、「消滅への道をたどっているのは、日本とドイツとロシアだ・・・」と断言していたのを知り、これは凄い発言だと思った日が偲ばれますが、日本では。米国、中国、北朝鮮の没落を言う人が多いようです。

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コスモポリタン某には祖国日本への“温かい眼差し”が感じられず、ジャック・アタリの発言を褒めちぎっているだけで終わっているのは誠に残念だった。それは兎も角、ジャック・アタリの「露独日」という発言の裏を筆者なりに読み取れるようになったのも、天童氏の『悪の遺産ヴェネツィア』のお陰である。『悪の遺産ヴェネツィア』は世の中に1冊しか存在していないことから、同書に述べているヴェネツィアの“歴史的実体の解明”を、簡単な解説を交えて今後も時折読者にお伝えしていきたいと思う。それにより、ヴェネツィアの正体を一人でも多くの読者が知り、ヴェネツィアという凶暴な台風の今後の進路を予測し、十分な事前対策を講じるためのヒントにして欲しいと思う。

最後に、飯山一郎氏の掲示板『放知技(ほうちぎ)』で同書の「世界権力の正体を明かす」という章を筆者は紹介しているが、此処でも改めて紹介することで今回は終わりとしたい。

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●世界権力の正体を明かす

 前回までウェルフ家の消長を追ってドイツの黒い森や地中海、はてはパレスティナまでさんざん彷徨ってきた。やたらカタカナ名前がいっぱい出てきて、しかも同じ名前で父子だったり敵同士だったり、読みづらくて仕方がないとの苦情をさんざん頂戴した。

 そして何よりのご批判は、こんな西洋中世史の些細な事柄をいまさら読まされて、いま国家存亡の危機にあるときに何の意味があるのかというお怒りだった。

 ごもっともである。そして、そのお怒りに対しては、わが筆力の不足をただただお詫びするしかない。ただ、なぜにいまさら西洋中世史をなぞり返して、ウェルフ家という一貴族の歴史をたどってきたのか、弁明をしておく必要は感じている。それが改めて、本稿の意図をご説明することにもなるからである。

 歴史を偶然の所産と観る見方もあれば、特定の勢力の意図に基づいた人為の所産と観る見方もある。

 われわれは後者、すなわち世に謂う「陰謀史観」にかならずしも与するものではない。ひとつの意図で貫かれていると見ると、その意図に反する事柄や逸脱・祖語とも見るべき事件が歴史の随所に見られるからである。

 歴史はそれほど単純ではあるまい。大きくはこの地球の変動があり、ときどきに剥き出しになって人間を圧しつぶしてきた自然の猛威もある。また、敵対する強力な勢力が出現し彼らの前に立ちはだかることもあるだろう。ひとつの勢力の意図通りに歴史が作られたと見ることは、とてもできない。

 しかしまた一方、歴史をすべて偶然の所産と観るには、あまりにも暗合・符合するもの、出来すぎた事件が多いのも事実である。

 とくに「戦争の世紀」ともいわれ、戦争と殺戮に彩られた先の二〇世紀には、天然資源の独占を通して世界を支配しようという意図が数々の事件の背後に見え隠れする。そして、天然の膨大な資源に恵まれたアフリカ大陸がいま、数々の戦争と革命とクーデタと疫病とによる殺戮の果てに、荒涼たる死の大陸と化しつつあることを偶然と見るならば、それは知の怠慢であり精神の荒廃であると誹られても仕方あるまい。アフリカ大陸に住み着いていた人々は天然の富に恵まれていたがために、その富の纂奪・独占を狙う勢力の犠牲となって大量殺戮に処されたのである。

 二一世紀には彼らの邪悪なる意図の鉾先が、このアジアに向けられる徴候がある。すなわち、エネルギーをめぐっての血で血を洗う動乱が仕掛けられようとしているのだ。アフリカ大陸の悲劇はけっして他人事ではない。

 われわれは、世界の覇権的支配を意図するこの特定の勢力を、「世界権力」と呼んでいる。日本でも戦前からこの一派をユダヤ人と観て、「ユダヤの陰謀」なるものへの警戒を発した諸先輩があった。たしかにユダヤ人は世界権力の一翼を担う重要分子ではあるが、その本質はあくまで「宮廷ユダヤ人(ホーフユーデン)」に止まるというのが、現在の研究成果の教えるところである。すなわち、黒い貴族という主人に仕える従僕の地位にすぎない。

 それは、一介の運転手から米国国務長官へと成り上がりながらエリザベス女王に忠誠を貫いて爵位を得たヘンリー・キッシンジャーの役割に端的に見ることができる。また最近では、「金融の神様」ジョージ・ソロスもこうした「宮廷ユダヤ人」の典型的人物である。

 永年にわたって英国アリストテレス協会を牛耳った哲学者カール・ポッパーは、かつて一世を風靡したアダム・スミスやトーマス・ホッブス、ジョン・ロック、チャールズ・ダーウィンやハックスレー兄弟、バートランド・ラッセルなどと同じく、英国ヴェネツィア党による世界支配のための理論を提供する御用学者である。

 その主著『開かれた社会とその敵』は自由な市場原理による競争社会という理論を掲げつつ、実は社会秩序ないし国家存在を目の敵にしてその破壊を指示する戦闘指令書だった。カール・ポッパーの忠実な弟子となり、恩師の過激な理論の祖述的実践者となったのが、ハンガリーに生まれたナチス協力ユダヤ人の息子であるソロスだった。

 ソロスは恩師の「開かれた社会」理論を実践する役割を与えられて、金融バブルを世界各国で仕掛けたが、ソロスの投資会社であるクォンタム・ファンドに原資を提供したのは誰あろう、英国女王その人である。

 英国女王の私有財産の運用を任されて実力を発揮したソロスは「金融の神様」などと畏怖され、またマレーシアのマハティール首相など各国指導者の怒りを買ったが、何のことはないインサイダー情報によるインサイダー取引の実行責任者だったにすぎない。

 注目すべきはソロスのもうひとつの活動である。彼は世界各国とりわけ東欧圏を中心に「開かれた社会基金」(Open society Fund)を創設して、「慈善事業」にも精を出しているといわれたが、じつはこの「慈善事業」なるものが曲者で、ソロス基金こそソ連の崩壊を導き、東欧圏の社会主義からの離脱を促進した「トロイの木馬」であったのだ。

 中共の支那に対しても、ソロスの「開かれた社会」工作は仕掛けられていた。その支那側の協力者が趙紫陽である。一九八九年に起きたいわゆる「天安門事件」は、このソロスによる中共政権解体工作に対し、鄧小平など当時の中共指導部が断固たる粉砕措置に出た事件である。

 汚れ役はもっぱら「宮廷ユダヤ人」に任せみずからは超然としているのが、英国女王を表看板とする黒い貴族である。その英国王室という表看板を掲げるに当たって、いかに永年の執拗な粒々辛苦があったか、その前端をつぶさに見るために、縷々ウェルフ家の歴史を本稿でたどってきたのである。ゲルフ領袖とされたウェルフ家が現英国王室ウィンザー家となるには、永い永い紆余曲折の歴史がある。それこそ、「特定の勢力」の意図通りには、歴史が進まないという何よりの証拠である。

 そして、中世イタリアの都市国家の間あるいは貴族同士の争闘という矮小化された形で一般にも伝えられている教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いは、ドイツないしイタリアをも巻きこんで一大地中海国家へと国家的統合を目指す勢力に対して、これを分断し宗教的・精神的呪縛の軛に縛りつけてみずから地上権力としても君臨しようとするローマ教皇と国家間の分裂抗争こそ商売の最大好機と見るヴェネツィアとが結託して粉砕しようとした動きにほかならない。

 ダンテ・アリギエーリやニッコロ・マキアヴェッリが悲願としたイタリアの国家的統合を妨げた最大の障害は、ヴェネツィアという一都市国家とローマ教皇庁の存在であった。そしてさらに言えば、ローマ教会をして地上権力へと変質させたのは、ヴェネツィアの無神論的自由市場理論だった。

 この「市場経済理論」すなわち「自由交易理論」は、なにも英国ヴェネツィア党の御用学者たるアダム・スミスやカール・ポッパーらの発明ではない。もともとヴェネツィアの専売特許的主張なのである。

 キッシンジャーが唱えた「勢力均衡理論(バランスオブパワー)」とて、その地政学的粉飾を剥ぎ取ってみると、「自由にのびのびと商売ができるのが何よりいいのだ」というヴェネツィアの本音が聞こえてこよう。

 その本音はのんきに聞こえるかも知れないが、こと「自由交易」が犯されそうになるや、ヴェネツィアは本気になった。国家の存亡を賭けても、「自由交易」を犯す敵との戦いを敢然と挑んで止まなかった。第四次十字軍を誑かして東ローマ帝国を一時的に中断しラテン帝国を樹立したのも、トルコ帝国との度重なる海戦にめげなかったのも、「自由交易」という国家的悲願を守るためだったのだ。

 寡頭勢力による巧妙な支配の機構によってみごとなまでに自国の国家的秩序を保ちつづけた(もちろん例外的な国家危機もあった)ヴェネツィアは、イタリアないしヨーロッパの各国に対してはさまざまな粉飾を凝らした「自由な競争こそ社会発展の原動力」などという御都合主義理論を撒き散らして徹底的な不安定化工作を発動しつづけた。これすべて、みずからが商売をやりやすい状態を保つためである。

 イグナティウス・ロヨラのイエズス会創設とマルティン・ルターによる宗教改革運動の両方とも、そのスポンサーはヴェネツィアだった。ゲルフとギベリンの抗争では味方同士だったローマ教会の強大化を牽制するためである。宗教改革は外から仕掛けられた揺さぶりであり、イエズス会は内奥深く打ちこまれた楔に喩えることができよう。

 そしてさらに、このヴェネツィアの主張はみずからいっさいの歴史記録を残さなかったフェニキア=カルタゴが黙々孜々として実践したところのものである。

 メソポタミア文明とエジプト文明の狭間にあって海洋交易都市として繁栄したフェニキアの存在は、いまではアルファベットの元になるフェニキア文字の発明によってわずかに記憶されるにすぎないが、もし彼らをして語らしめれば、「自由交易経済」こそ人類発展の原動力であると言いつのって、まるでソロスの口吻を彷彿とさせるに違いない。

 ユダヤ人の王ダヴィデが思い立ちその息子ソロモンによって実現されたエルサレム神殿およびソロモン宮殿の建設は、設計から資材の調達、施工に至るまでことごとくテュロスの王ヒラムの協力なしには実現できなかったであろう。

 ソロモンの栄華をもたらした「タルシンの船」による交易も、いわばヒラムの勧誘による投資事業だったのだ。強権による独占を主張しないかぎり、投資家は多いほどリスクが分散されるのは古今の真理である。交易品の調達から交易船の建造、そして実際の交易事業まで、すべてはテュロスの王ヒラムの意のままに運ばれたに相違ない。

 二大文明の間隙に位置し交易で栄えたフェニキア海岸都市群は一時期ペルシア帝国に従属させられ、最終的にアレキサンダー大王によって破壊されたが、そのひとつテュロスは地中海全域に交易中継のための植民都市を建設しており、それらの中心だったアフリカ大陸北岸のカルタゴに拠って生きのびた。

 そのカルタゴは数次のポエニ戦争によってローマ帝国に滅ぼされたとされるのだが、実はカルタゴは亡びなかったというのが、本稿の仮説である。たしかに、アフリカ大陸北岸の植民都市そのものはローマによって徹底的に破壊されつくし、塩まで撒かれて地上から姿を消した。そして、カルタゴがスペインなどの各地に建設した交易拠点もローマに簒奪された。

 しかしカルタゴの遺民たちは秘かにローマや各地に潜入し、ジッと時の経つのを窺いつづけた。そして、ローマ帝国の分裂・衰退の時が来るや、アドリア海の深奥、瘴癘はびこる不毛の小島に忽然として姿を現わしたのである。

 フェニキア=カルタゴの遺民でなくして、誰がこのような悪条件の重なる不毛の地に都市を建設しようなどと企てよう。テュロスしかり、カルタゴしかり、ニューヨークしかり、彼らが拠る海洋都市は、「海に出るに便なる」ことが必要にして充分な条件であるらしい。彼らには、陸の民には窺い知れない嗅覚と美学とがあるのであろう。その不毛の地に都市国家を建設するために注ぎこまれた途方もない富と努力を想像すると、気も遠くなるほどだ。

 彼らを誰がヴェネツィアと呼びはじめたのか。自称か他称かは知らないが、VeneziaVeni- は紛れもなくローマ人がフェニキア=カルタゴを呼ぶときの名称Poeniである。V音とP音ないしPH音は相互に容易に転訛しうるからである。ローマに破壊され尽くしたカルタゴの末裔ヴェネツィアが、ローマを再建しようとするあらゆる試みを粉砕してきたのも、無理からぬところではある。

 二〇世紀はフェニキア=カルタゴの末裔たちが自らの最終的勝利を宣言して繁栄を謳歌した世紀であった。一八世紀に呱々の声を挙げた革命の嬰児は一九世紀の一〇〇年をかけてじっくりと養育され逞しい闘士へと成長を遂げる。そして二〇世紀に入ると、最初に血祭りにされたのが「新たなるローマ」を標榜していたロマノフ王家のロシア帝国であったのは革命勢力の本当の出自がどこにあるかを示して象徴的である。そして、「連合国」なる新たなる装いを纏った革命勢力は第一次の世界大戦によってハプスブルク帝国とトルコ・オスマン帝国を倒し、第二次世界大戦によって独第三帝国と日本帝国を解体させたのである。二〇世紀前半に各帝国に対する武力制覇を成し遂げた世界権力は執拗にも第三次世界大戦というべき金融戦争を各国に仕掛け、国家破綻を世界中に撒き散らかしてきた。そして二一世紀が到来する。「自由市場」「開かれた社会」「グローバリゼーション」を地球規模に蔓延させ、向かうところ敵無しとなったはずの彼らを自滅が襲ってくる。その運命や、如何に?

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2012年3月 8日 (木)

『西郷の貌』

B120308 高橋信一先生からメールが届き、加治将一氏が新著『西郷の貌』を祥伝社から出したという連絡を戴く。早速、小生も同書を斜め読みしてみたが、フルベッキ写真に明治天皇、岩倉具視親子、横井小楠らが写っていると相変わらず信じ込んでいることを知り、どうしようもない作家先生だと呆れる思いであった(『西郷の貌』p.76)。

また、同書に「天皇という虚構」(p.57)という一節もあるので目を通してみたが、一読して山崎行太郎氏の「マンガ右翼・小林よしのりへの退場勧告」に登場する、小林よしのり氏の天皇観を彷彿させるに十分だった。加治将一氏は1948年生まれ、小林よしのり氏は1953年生まれと、二人ともマルキシストの影響を強く受けた日教組の申し子だから、あのような天皇観を持つに至るのも無理もない。

ところで、加治氏は「万世一系は虚構である」と主張しているが(p.63)、このあたりは小生が喜んでセッティングするので、尊皇派の栗原茂氏と堂々と議論をして欲しいと切望する。それとも、『西郷の貌』はあくまでも小説だと逃げるのかな…(苦笑)しかし、掲示板でハンドル名をコロコロと変えるような連中と較べれば、まだ加治氏は潔いと思う。ハンドル名を変えても、分かる人には分かるものである。

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一人の人間がどんなに言葉を変えても独特の癖が出てしまうんです。人間一人の脳みそで何十人もの書き方は無理なんです。どうしてもパターン化します
http://maglog.jp/nabesho/Article1374632.html
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加治将一「西郷の貌」の問題点

高橋信一

 前作「幕末維新の暗号」の妄想を正当化したいと、いろいろな写真を漁っていることは理解出来るが、歴史の事実の検証能力の不足は解消していないと思われる。不足分を空想で補う手法は変わらない。それが作家の役割と言ってしまえば、その通りである。様々な歴史の周辺状況を書き込んでもっともらしさを演出しているが、ここでは写真関連についてのみ問題点を指摘することにする。
 70ページに掲載された写真は、元治元年12月から慶應元年1月にかけて薩摩藩主島津忠義の名代で島津久治と珍彦が長崎のイギリス艦隊を表敬訪問した時に、上野彦馬のスタジオで撮影された写真であることは以前から知られていた。この「島津久治公一行」の写真は「フルベッキ写真」が撮影された明治元年より4年先立つ元治年間に作られた上野彦馬の初期のスタジオのひとつで撮影されたことを如実に表している。このスタジオは一部改造されながら使われ、慶應3年始めに坂本龍馬の有名な立ち姿の写真の撮影にも使用されたものである。本文の中で、作者は鹿児島の博物館の職員に「全員の名前は知られている」と言わせているのに、事実を真面目に検証しないまま勝手な当て嵌めを行っている。使用した写真は解像度が悪く、オリジナルのものではないと思われる。オリジナルはイギリスの古写真研究家テリー・ベネット氏の「Early Japanese Images」に取り上げられている。
 島津久治の長崎訪問については「写真サロン」昭和10年12月号で、古写真研究家の松尾樹明が「写真秘史 島津珍彦写真考」として説明しており、写っている人物数名を明らかにしている。また、昭和43年刊行の「図録 維新と薩摩」には13名中11名の名前が上げられているが、西郷隆盛従道兄弟、樺山資紀、川村純義、東郷平八郎らは含まれていない。唯一、仁礼景範のみが当っていることには敬意を表したいが、他の既に知られた人名が間違いであると言える根拠を示すのが先決ではないか。解像度の悪い写真を用いたため、似てもいない右端の人物「床次正義」の顔を「フルベッキ写真」の「黒マント」の男と同一視している。ふたつの写真の撮影時期が近いというなら、両者は酷似していなければならない。「島津久治公一行」の写真に写っている「床次正義」の家紋は西郷家の「菊」ではない。
 東郷平八郎の伝記を確認したが長崎に留学した記録はない。彼が慶應元年に留学した証拠として長崎県立歴史文化博物館所蔵の松田雅典が伝えた「英学生入門点名簿」を上げているが、これは長崎奉行所管轄の「済美館」教師柴田昌吉が運営していた私塾の学生名簿であり、柴田が慶應3年4月に幕府に徴用されて江戸に出た後を継いだ兄の松田雅典が残したものであることは名簿中の記載から明らかである。「済美館入門学生」の名簿ではない。名簿には慶應元年9月に入門した人物として曽我祐準の名前があるが、「曽我祐準翁自叙伝」にある「この年5月に長崎に出て柴田塾に入門した」という記述と符合する。その他の同時期の柴田塾入門学生として、曽我が親しくした十時信人、関沢孝三郎、江口栄治郎、柘植善吾が符合する。その名簿に記載されている「東郷平八」が東郷平八郎であるかどうかは別にしても、この人物が入門したのは、名簿の記載状況から慶應元年でなく、慶應3年4月以降であると言える。「名簿」をしっかりと隅々まで読み直すべきである。
 その他の間違いは343ページの三条実美と岩倉具経が写る写真の解釈である。前作の発表の際にも私が「教育の原点を考える」ブログで指摘したことだが、無視している。こちらの写真は明治2年8月に来日したオーストリアの写真家ウィルヘルム・ブルガーが長崎の上野彦馬の「フルベッキ写真」のスタジオを借りて撮影したステレオ写真の片割れである。全体像を示せば、ステレオ写真のホルダー兼用の台紙にはブルガーの記名の印刷が見えていたはずだが、都合が悪いと見て掲載時にトリミングして隠してしまったのである。三条がこの時東京にいたのは自明である。
「フルベッキ写真」が撮影されたスタジオは明治元年以降に本格的に使用されたものである。慶應元年前後には存在しなかったことは「島津久治公一行」の写真を例にして明白である。撮影時期を混乱させるのはいい加減にしてもらいたい。
(平成24年3月6日)

左の写真は『西郷の貌』(p.366)に載っているもの、高橋信一先生が訂正した写真は以下のpdfファイルで確認のこと。
13men 「saigo01.pdf」をダウンロード

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2012年3月 5日 (月)

『横田めぐみさんと金正恩』

B120228 国際アナリストの飯山一郎氏の新著『横田めぐみさんと金正恩』が、衝撃のデビューを果たしてから早くも2ヵ月近くが過ぎた。発売当時は大都市の大型書店でしか入手できなかったので、筆者は池袋の大型書店まで買い求めに上京したほどで、アマゾンといった大手のオンラインショップですら入手困難な本であった。今ではネットでも入手できるようになり、かつ売れ行きが好調とのことだが、それにしても一体全体どうして同書に注目が集まるのか? その理由として幾つか挙げられると思うが、著者の見るところ主なものは以下の2点だ。

(1)金正恩の母親が横田めぐみさんであると主張している“奇想天外な”本であること(同書p.178

(2)出版を巡って多くの謎に包まれた本であること。

最初に(1)だが、金正恩の母親が横田めぐみさんであると飯山さん同様に主張している識者は、周囲を見渡す限り『月刊日本』誌の山浦嘉久氏くらいのものだ。

ここで、右翼の動きに詳しい人の話によれば、依然として拉致問題を“引き起こした”とされている金正日を、徹底的に憎んでいる右翼が殆どというのが現実なのだ。ところが、ここへ来て一水会の最高顧問である鈴木邦男氏が、同書について数本のツイートで言及していることが分かった。これが右翼の北鮮観に、どのような影響を及ぼしていくか注目していきたい。

次に(2)の「決定からわずか二週間で出版されたという謎」であるが、『月刊日本』3月号(p.49)で山浦嘉久氏が以下のように述べている。

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今回、飯山一郎氏の著書が急ピッチで、多額の資本を投下して出版された背景には、莫大なユダヤマネーが動いていたと推測できる。

そして、横田めぐみさんがついにその姿を現した時、世界史を揺るがす、日本・北朝鮮・ユダヤを巻き込んだ地殻変動が起こるだろう。

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ここで注目すべきは“ユダヤマネー”である。このように書くと、また“ユダヤ陰謀論”かとウンザリする読者も少なからずいると思うが、取り敢えずは『横田めぐみさんと金正恩』の「在朝日本人と移住イスラエル人」の章(p.53)に目を通して戴きたい。

B120304 要は、1930年代に日本で進められたユダヤ難民の移住計画、すなわち河豚計画がここに来て再び蘇ろうとしているのだ。なお、英語の本だが『The Fugu Plan』(マーヴィン・トケイヤーおよびメアリ・シュオーツ共著)があり、ユダヤ人ラビのトケイヤーも「河豚計画を裏舞台で推し進めているグループ」の一員であったことを匂わせる本なので、関心のある方は紐解いてみると良いかもしれない。

最後に、飯山氏が連載中の「金正恩の恐るべきIT戦略!」に目を通すことをお勧めしたい。筆者は飯山氏の掲示板『放知技』で立ち上げた「ツランという絆」というスレッドで、『横田めぐみさんと金正恩』の白眉は、「金正恩の超小型水爆とは?」の章(p.67)だと書いたが、「金正恩の恐るべきIT戦略!」ではさらに驚愕の北鮮関連の軍事情報が展開されている。一例として(12)の「光ファイバーによる世界最先端のイントラネットを全土に、しかも4セットも、構築してしまった」という発言だ。山浦嘉久氏が日本人で最も北鮮を知る男として高く評価している飯山氏の発言だけに、筆者も情報の内容は本当であると判断して差し支えないと考えている。

さて、筆者は「ツランという絆」で『横田めぐみさんと金正恩』の続編として、ツランを取り上げて欲しいと書いた。しかし、考えてみればツランという存在が世の中に広まると困るのが、河豚計画を推し進めている宮廷ユダヤなので、出版の資金が出るわけもなく諦めるしかない。

B120229 なお、この宮廷ユダヤだが、彼らを背後で操っていると思われる集団について述べた貴重な書籍を筆者は入手した。天童竺丸氏の筆による『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』で、400ページ以上にも及ぶ浩瀚な本だ。この本は、実は1冊しかこの世に存在していない幻の本である。もともとは栗原茂氏が機関誌『みち』に「アッシリア文明史論」を執筆するにあたり、参考資料として過去の『みち』に連載した天童竺丸氏の「悪の遺産ヴェネツィア」を、天童氏自らが1冊に纏めたものである。そこで、「アッシリア文明史論」の連載が昨年末で終わったのを機に、栗原氏に頼んで同書を譲ってもらったというわけである。現在読み進めているが目から鱗の連続であり、近いうちに読後感を本ブログに書きたいと思っている。

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2012年3月 4日 (日)

『発酵マニアの天然工房』

B120303 昨日の雛祭りに地元の同窓生が7人ほど居酒屋に集まり、酒を酌み交わしながら老親のこと、自分たちの老後のこと、子どもたちの将来などが話題に出た。そして、いつしか話題が福島原発事故に展開していった。かつて、ある所で福島原発の話題が出たとき、飯山一郎氏の乳酸菌風呂や豆乳ヨーグルトを話題に持ち出したことがあるが、気違い扱いにされた苦い体験をしているので、その後は乳酸菌に関する話題を人前で出すことは滅多になくなった。それでも、昨日集まった同窓生は瓦礫の処理などについて自説を述べる者もいたし、サムライを昔から知っている連中ばかりだったので、久しぶりに乳酸菌風呂や豆乳ヨーグルトについて話題に出してみたのだった。

ともあれ、楽しい一時だったが、帰宅してから『発酵マニアの天然工房』(きのこ著 三五館)を紹介するのを忘れていたのに気づいた。

筆者は東京都心は最早人間の住む所ではないと思っている。その点、飯山一郎氏も同意見のようだ(◆2012/02/29(水) 頭狂から逃げ出す大企業!?)。しかし、仕事や学校といった理由で、東京を脱出したくても脱出出来ない人たちが多いのも事実だ。では、どうするか? 筆者が思うに、現時点で出来る最善の策は飯山一郎氏の唱える「乳酸菌風呂」、「乳酸菌豆乳」、「乳酸菌掃除」だと思う。乳酸菌の作り方などは飯山氏のホームページを読めばいいが、むしろ『発酵マニアの天然工房』を入手して、そのまま書いてあることを実践する方が遙かにベターだ。「乳酸菌風呂」、「乳酸菌豆乳」、「乳酸菌掃除」だけでなく、乳酸菌を使って洗濯をしたり食器を洗ったり出来るということも書いてある。また、市販のシャンプーの代わりに乳酸菌で髪の毛を洗ったり、歯磨き粉ではなく乳酸菌で歯を磨いたりするという話も興味深い。

ともあれ、『発酵マニアの天然工房』は家庭の主婦にとって役に立つ情報が満載というだけではなく、親しみやすいイラスト・図・写真が沢山あって読みやすい実用的な本だ。無論、男連中にとっても役に立つ記事もある。たとえば、「おいしい『お酒』の世界(p.54)というページ…。

お酒…、あれ、きのこちゃんは18歳じゃなかったっけ…、お酒は二十歳になってからだぞ…、なんて固いことは小生は言わない(笑)。ともあれ、大切な我が子を放射性物質から守る最良のバイブル『発酵マニアの天然工房』は、各家庭に1冊備えておきたい本だ。

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2012年3月 2日 (金)

『これから50年、世界はトルコを中心に回る』

 B120302 佐々木良昭氏が著した左の新書を読了し、書名の「これから50年、世界はトルコを中心に回る」という理由も納得出来たし、トルコと繋がりを持つ日本の企業や個人が増えていくに違いないとつくづく思った次第である。さらに言えば、同書は日本の企業の長期的な企業戦略に有益な情報をもたらすだろうし、個人レベルでもトルコと繋がりを持つ人たちが今後は増えていくと思われるので、そうした人たちにとってトルコとの架け橋的な存在の本になることだろうと思った。

一般にトルコは親日的だと言われている。そのあたりの理由を同書では以下のように述べている。

1. 日露戦争における東郷平八郎司令官、乃木希典将軍の功績(p.161

2. エルトゥールル号遭難事件(p.162

このあたりは近代史に関心を持つ読者なら説明の要はあるまい。注目すべきは以下の著者の言葉だ。

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 以上二つの出来事が日本とトルコを親密にさせたわけだが、実はそのはるか以前から、両国の間にはただならぬ因縁がある。

 6世紀の中央アジアに突厥という遊牧国家があった。

 一時はササン朝ペルシアと共闘して一大帝国を築いていたのだが、583年に内紛により「東突厥」と「西突厥」とに分裂し、唐の攻撃によって東突厥は600年代に、同じく西突厥は700年代に滅びている。

 滅亡後、突厥の民の一部は西に向かってオスマン帝国の民となり、また一部は東に向かって日本に渡り、日本民族に溶け込んだとされている。

 もしそうであれば、オスマンの末裔であるトルコ人と日本人は「突厥」という同じ根っ子を持っていることになる。世界の民族学者の中には「日本人とトルコ人は同族だ」という認識を持つ者もいるほどだ。

 なお、その「突厥に住んだ人々は「ツラン」とも呼ばれている。

 「日本人もトルコ人も同じツランじゃないか」

 という言い方をされることも少なくない。(p.164165

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 関連して、謎の民族とされているシュメールの末裔こそがツラン、すなわち突厥をはじめとする中央アジアの遊牧民族であると喝破した人物がいる。文明地政学協会の天童竺丸氏である。天童氏の説については、『放知技(ほうちぎ)』という掲示板のスレッド「ツランという絆」で紹介したので、関心のある方は同スレッドのNo.138以降を一読願いたい。

佐々木氏の新書と「ツランという絆」で紹介した天童説とを繋ぎ合わせてみると、明らかにシュメール民族が中央アジアの遊牧民族の遠祖であり、さらには日本民族もシュメール民族の血を受け継いでいることが分かるのではないだろうか。

 

なお、佐々木氏のブログによれば、「あるテレビ局がこの本をベースに特別番組を作ることが決まりました。3月中の取材、4月初旬の放映のようです」とのことであり、期待したい。

[トルコに関する本を出版しました」


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