民をあはれむ
昨年の10月10日、筆者は「平成24年度の御製カレンダー」という記事を書いた。その時、「1月12日の歌会始の儀において、今上陛下の御製、皇后陛下の御歌、皇太子殿下の詠進歌以下が講ぜられた後、平成24年度のカレンダーの昭和天皇陛下の御製を組み合わせて立体構造にすることにより、皇紀暦2672年(西暦2012年)の大きな流れが掴める」と書いた手前、ここに立体構造の構築を試みてみよう。
最初に、平成24年度の御製カレンダーに掲載されている御製は以下のとおりである。
昭和天皇
あらたまの年をむかへていやますは民をあはれむこころなりけり
もえいづる春の若草よろこびのいろをたたへて子らのつむみゆ
うつくしく森をたもちてわざはひの民におよぶをさけよとぞおもふ
国のため命ささげし人々のことを思へば胸せまりくる
新米(にひよね)を神にささぐる今日の日に深くもおもふ田子のいたつき
静かなる世になれかしといのるなり宮居の鳩のなくあさぼらけ
次に、歌会始の儀で披講された御製・御歌・詠進歌は以下のとおりである。
天皇陛下
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
皇后さま
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
皇太子さま
朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ
皇太子妃雅子さま
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
秋篠宮さま
湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影(ぎょえい)を見つつ人ら嬉しむ
秋篠宮妃紀子さま
難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる
秋篠宮家長女眞子さま
人々の想ひ託されし遷宮の大木(たいぼく)岸にたどり着きけり
常陸宮さま
海草(うみくさ)は岸によせくる波にゆらぎ浮きては沈み流れ行くなり
常陸宮妃華子さま
被災地の復興ねがひ東北の岸べに花火はじまらむとす
三笠宮妃百合子さま
今宵(こよひ)揚(あ)ぐる花火の仕度(したく)始まりぬ九頭竜川の岸の川原に
寛仁親王家長女彬子さま
大文字の頂に立ちて見る炎みたま送りの岸となりしか
高円宮妃久子さま
福寿草ゆきまだ残る斐伊川の岸辺に咲けり陽だまりの中
高円宮家長女承子さま
紅葉の美(は)しき赤坂の菖蒲池岸辺に輝く翡翠(かはせみ)の青
高円宮家次女典子さま
対岸の山肌覆ふもみぢ葉は水面の色をあかく染めたり
高円宮家三女絢子さま
海原をすすむ和船の遠き影岸に座りてしばし眺むる
以上、歌会始の儀で披講された御製・御歌・詠進歌の多くが、昨年の3月11日の東北沖大震災を下敷きにしており、先帝の御製「あらたまの年をむかへていやますは民をあはれむこころなりけり」に代表されるように、“民をあはれむこころ”で満ち溢れていることが分かる。
なかでも、筆者が注目したのが皇太子殿下の「朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ」である。先帝の「静かなる世になれかしといのるなり宮居の鳩のなくあさぼらけ」にある「あさぼらけ」と、皇太子殿下の「朝まだき」が根底で繋がっていることが分かるのだし、新しい一日の始まり、すなわち新しい時代が皇太子殿下によって始まる事を暗示しているのではないだろうか。特に、十和田湖は八甲田山の噴火によって出来たカルテル湖であり、北朝鮮の白頭山と八甲田山は白頭信仰で深く結び付いている。この白頭山信仰は「シベリア・シャーマニズム(ツラン)」が底流にある。
さて、スリーマイルおよびチェルノブイリを遙かに上回る史上最悪の福島原発事故により、日本全土が放射性物質に汚染されてしまった今日、サバイバル術の一つが飯山一郎氏の提唱する乳酸菌ヨーグルトと乳酸菌風呂である。その飯山一郎氏が2月15日「天皇陛下 万歳!(1)」と題した記事を書いた。
同記事の中で筆者が思わず息を飲んだのは、(放射性物質の為)「国民が死ぬときは、今上陛下もともに崩ず」という行だ。確かに、放射性物質は目に見えないものの、確実に我々の身体を蝕んでいることは否定できない。中でも最も恐ろしいのは内部被曝であり、これについては肥田舜太郎氏と鎌仲ひとみ女史が著した、『内部被曝の脅威』(ちくま新書)を一読すれば内部被曝の恐ろしさが十分に分かるが、さらに恐ろしいのはそのために最終的に大和民族が滅亡してしまう可能性だ。万一にも皇統が絶えることがあれば日本人は精神的支柱を失い、延いては民族としてのアイデンティティすら失うことを意味する。そこで、皇室と大和民族の行く末を見極めるため、2月24日に同志と一緒に栗原(茂)さんを訪ねた。
半日近くにわたって栗原さんの話に耳を傾けながら、まさに皇室インナーサークルでなければ窺い知ることのできない深奥の情報の提供を受けた。そして分かったことは、女系宮家、雅子妃、愛子様、悠仁親王殿下等の件を含め、昨今の大手マスコミやインターネットを賑わしている、皇室に関する喧しい賛否両論は殆どが絵空事にすぎないということである。さらに、「天皇陛下 万歳!(1)」の記事にある飯山一郎さんや小生のような心配のし過ぎも不要である。ブログ[木庵先生の独り言]の木庵氏が語っているように、われわれ民は単に「東日本震災のときの、天皇陛下と皇后陛下の被災者の方に心から同情なさっている姿を鏡にして、己もあのようにへりくだりたい」という気持ちでいれば十分なのだ。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント