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2011年4月 6日 (水)

ををしさ

昨日言及した今上陛下のビデオメッセージの中で、以下の冒頭の御発言に注目したい。

この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています

この雄々しさだが、以下の明治天皇の御製を意識されたものだと思われる。

敷島の大和心のををしさは 事ある時ぞあらはれにける

ををしさ(雄々しさ)とは、教育勅語にある一旦緩急あれば、義勇公に奉じると重なるのであり、まさに国難に直面した東日本の人々の心に、身に、雄々しさが漲っているのだ。ここで、評論家の佐藤優氏の講演会に出席した同志が、佐藤氏が「ををしさ」について言及したビデオを撮ったと教えてくれたので、以下に紹介しておこう。

Skypeで海外の友人とも語り合ったが、やはり日本人の持つ雄々しさ、そして冷静に行動する日本人の姿に、胸を打たれたという人たちが多く、同じ日本人として誇りに思う。

数日前になるが、夕食時に何気なくテレビの画面を見ると、気仙沼市の小学校の卒業式の様子が放映されていた。卒業式の後、インタビューを受けていた小学校六年生の女の子が、「(行方の分からない)お母さんにも出席して欲しかったです」と、淡々と答えている健気な姿を見て、思わず熱いものがこみ上げてきた。ここにも大和撫子の雄々しさを垣間見た思いだった。

小学校六年生の女の子や他の被災者だけではない。被災した東日本の人たちのため、懸命に取り組んでいる10万人の自衛隊員の方々、福島原発において命懸けで取り組んでいる東電の関係会社の社員、また東芝や日立の社員には、本当に頭の下がる思いだ。そして、関西大震災で真っ先に救助の手を差し伸べたのが、山口組の仁侠だったように、今回は仙台をホームグラウンドとする後藤組の仁侠が、身体を張って被災者のために動いたことは明らかにしておかねばなるまい。仁侠については拙ブログでも取り上げたので、関心の有る方は一読のこと。
『侠-墨子』

以下は、本日(4/6)付けの東京新聞朝刊

 

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コメント

Rainさん、投稿有り難うございました。

さて、「ををしさ」は本文にもありますように、日本の明治天皇陛下の御製(a poem of Imperial composition)です。当時は旧字体が使われていました。現在であれば、「おおしさ」でも良いのですが、明治帝の心を生かすために敢えて「ををしさ」とした次第です。

以上

投稿: サムライ | 2011年6月25日 (土) 午後 07時06分

日本人じゃないけど、日本文化に興味があります。
知人の年配の方に教えてもらい、おおしさ と ををしさの意味が違うと教えられたが、混同してはないぬではいか?

投稿: Rain | 2011年6月25日 (土) 午前 10時12分

日本は、天皇を中心とする神の国です。

日本人には日本語があり、日本語には階称 (言葉づかい) がある。
「上とみるか、下とみるか」の判断により序列関係 (義理) を作る。
義理が廃ればこの世は闇と考えられている。

日本人は、礼儀正しい。
日本人の礼儀は、序列作法である。
序列なきところには、礼儀なし。

日本人の社会は、序列社会である。
社会の構成員は、神々と下々に分かれている。
天皇は、序列最高位の人である。

天皇の御前では、全ての国民は「わし」でもなく、「わたし」でもなく、「わたくし」である。
価値観を揃えることで、日本人は一体感を得ている。安心感を得ている。
日本語の無い社会では日本人は価値観に迷いを生じ、心身ともに疲れ果てる。

序列社会では、序列判断とその作法により、人を遇する。
礼儀作法により、人々は向上心を掻き立てられている。
学校でも生徒に「身を立て、名をあげ、やよ励め」と歌わせている。

日本人の社会は、向上心により活気を得ている。
その原動力は、序列競争である。そのための試験地獄もある。
序列人間を作るのが、日本人教育の目的である。

教科の内容は、雑学ていどのものでよい。
日本人の学校は、格差を検出するための道具立てである。
だから、日本人は、序列人間となるために日本の学校で修業しなくてはならない。
四年間、大学で遊ぶことも、また序列作りに必要なことである。
生涯の協力も序列協力でなされるからである。

意思薄弱と他力本願を伴う幼児症に罹っていて、序列の外には出られない。
英国も日本も島国であるが、島国根性になるのは日本人だけである。

移民をすれば、序列社会を出なければならない。
外国では、序列判断も序列協力も成り立たず、日本人は本来の力を発揮できない。
それで、さまよえる日系人となり、精神的な不安定さにさいなまれる。

日系人は、移民先で勢力を拡大することもなく、祖国に帰って国の柱となることもない。
我が国の天皇制は、日本人に心の安らぎを与え、仕事に励ましを与える世俗の上下観である。
我々の過去を語ることもなく、行き着く先を示すこともない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011年4月18日 (月) 午後 05時26分

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