今年の1月1日未明に発生した、エジプトはアレキサンドリアにある、コプト教の教会前で自爆テロ、そして3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震……。そこに至るまでの一連の事件を念頭に、『月刊日本』誌3月号に掲載された、同誌論説委員の山浦嘉久氏の以下の記事をお読みください。今月の下旬に発売される、『月刊日本』4月号にも注目しましょう。
「ほんとにあなたは、エジプト王フェルンカヌンの墓碑銘が誰に必要なものか、おわかりではないのですか? 私にも、あなたにも、スカートを履いたこの男にも、戦車に乗っている兵隊たちにも、誰にも、絶対に必要なのです! 私の目には延々と続く何世紀もの黒々とした廊下が浮かんでいます。エジプト王の言葉を、あなたも覚えておいてください、『終りにも始めあり……』」
イリヤ・エレンブルク『トラストD.E - ヨーロッパ撲滅史』より
チュニジア政変に触発されて1月25日から始まったエジプト動乱は、2月11日、ムバラク大統領の辞任、軍政への権力移譲という結果になった。公式には9月に「自由かつ公平な形で」民主的に大統領選拳が行われることになっているが、予断を許さぬ状況が今後も続くであろう。
このエジプト政変でもっとも苦境に立たされることになるのがイスラエルである。ムバラク政権は30年の長きにわたり、米国の意向を受ける形で、イスラエルと中東諸国家の直接対時を抑える役割を果たしてきた。そのムパラク=エジプトという安全弁が今回、外れてしまったのである。軍政が続いてもイスラエルにとっては安心できず、民主的選挙によって反イスラエル政権が誕生しても困ったことになる。
この一連の事態の背後で蠢いていると見られるのが、国際ユダヤ社会の中の「宗教シオニスト」勢力である。われわれは「シオニズム」という言葉で、単純に「約束の地カナンにイスラエルを再建し、拡大発展を使命とするユダヤの民の悲願」と捉えがちだが、あくまでも「シオニズム運動」とは「神によって約束された安息の地に帰ろうとする」運動のことである。その「約束の地」はイスラエルに限られているわけではない。
イスラエルに固執する人々は、厳密には「政治シオニスト」勢力である。それに対し、真の「約束の地」は政治的に、あるいはユダヤ人が自力で勝ち取るものではなく、文字通り「神から与えられる形で実現する」と拘るのが厳格な「宗教シオニスト」勢力である。従って、彼らは、人為的に作られたイスラエルという国家を誤った、不義の国家であると考える。さらには、こうした問違ったイスラエルが存在する限り、真の「約束の地」は到来しないとさえ考える。すると「宗教シオニスト」勢力にとっては、真の敵は中東諸国ではなく、イスラエルそのものということになるのだ。
さらに、各種のシオニスト勢力の動きとは別に、単一原理で世界を一元的支配下に置こうとするグローバリスト=ユダヤ金融資本主義勢力も加わってくる。こうして、ユダヤ世界が一枚岩ではないどころか、さまざまに争っている内実が垣問見えるのだ。そして、米国の政治はもちろん、世界政治そのものがこのユダヤ世界の内紛に翻弄されることになる。
その争いはキリスト教世界、イスラム教世界を巻き込んで、天啓宗教・一神教宗教同上の「神々の争い」を生み出している。この争いが世界金融に衝撃を与えたリーマン・ショックを生み出し、「対テロ戦争」を生み出しているのだ。そして彼らは世界最終戦争(ハルマゲドン)へと、まっしぐらに転げ落ちていく。世界そのものを、そして、わが日本をも道連れにして。
折しも、年未から年始にかけて、世界的に穀物不足が生じていることが報道された。金融資本主義勢力はこうした世界的危機をも金儲けの好機と捉えて、食糧だけでなく関連資材の値段も急騰している。まさに人類の生存そのものが脅かされる事態はそう遠くはない。
かくして、本年は人類文明史における大転換期と言うべき年となるだろう。この大転換期にあたり、わが国の政治は拙劣を極め、醜い侏儒のような人間が政権を担っている。彼らには自分の背丈から見えるものしか見ないし、それ以上のものがあるとは想像だにできないのである。
本年のわが国は、いよいよ堕ちに堕ち、どん底に至るであろう。いわば、ひとつの終わりである。だが、どんな終わりも、それ自体のうちに新しい始まりを秘めている。われわれが未だ目に見えぬところで、ひっそりと、新時代を告げる新しい生命が必ずや芽吹いているはずである。
それこそが、日本文明の叡智そのものであり、「八紘為宇(はっこういう)=万邦をしてその所を得さしめ(万国共存)=万民の時処位(じしょい)を安んずく(一君万民)」ことへの回帰なのである。
おほかたの枯葉は枝に残りつつ今日まんさくの花ひとつ咲く
平成二三年 御歌会始見皇后陛下御歌
『月刊日本』三月号 p.60~61
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