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2011年1月

2011年1月27日 (木)

あけぼのすぎ

今年の初め、某皇統奉公衆に以下のような話をお聞きしました。

Calender_2071 昭和聖徳記念財団が毎年発行している、昭和天皇御製カレンダーには、昭和天皇の御製六首が掲載されているが、1月14日に皇居・宮殿「松の間」で行われた歌会始の儀で詠まれた、今上天皇陛下と皇后陛下の御製並びに御歌、皇太子と皇太子妃の詠進歌、皇族の詠進歌は、実は今年の昭和天皇御製カレンダーの御製六首と、根底でそれぞれ深く繋がっているのだ。しかも、今年の昭和天皇御製カレンダーの冒頭(1月および2月)の御製が、「わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり」であったことに思いを致すなら、今年のキーワードこそが「あけぼのすぎ」に他ならず、このキーワードの深所を知れば、自ずと今年はどのような年になるのかが分かる。

和歌の深奥の世界については、拙ブログでも『百人一首の暗号』というテーマで、簡単に取り上げたことがありますので、関心の有る方は同記事を参照して戴くとして、上記の皇統奉公衆によれば、「あけぼのすぎ」は神武天皇を指しており、換言すれば今年の皇紀2671年こそが、“新たな皇紀暦元年”に他ならない」とのことです。このあたりは、1月15日号の機関誌『みち』に載った栗原稿の以下の行を思い起こせば、今年はどのような年になるのか、朧気ながらも分かってくるのでないでしょうか。

皇紀暦に潜む通史の真価に照らせば、本年からこそ皇統派日本人の働き処であり、それは神の計らいにも連動しているのである。巷間ではすべてが勝手に壊れていき、いかように勢力分布図が塗り替えられようと、そんなことに関心を示す必要も余裕もないのが公を目指す皇統派日本人の心得の条である。『みち』1月15日号 p.13

B110127 今年の拙ブログでは、世界情勢を睨みつつ、「あけぼのすぎ」について都度取り上げるかもしりません。なお、御製「わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり」の背景については、『昭和天皇のおほみうた』(鈴木正男著 展転社)に詳しいので、ご参考までに以下に記しておきます。

木[昭和六十二年、御年八十六歳]

わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり

 左は前掲『皇居の植物』御序文(御執筆は昭和六十一年九月)の一端である。
〈現在、吹上に高くそびえているアケボノスギ(メタセコイア)は、米国の古生物学者ラルフ・チ
ェイニー博士が、米国の中国学術調査隊の持ち帰った種子とそれを発芽させた苗とを昭和二十四年十月に贈ってくれたものである。この植物は、中国の学者が四川省萬県磨刀渓で発見したものであるが、その時すでに日本の古生物学者三木茂博士が昭和十六年(一九四二)に発表したMetasequoiaの論文を見ていたので、化石としてしか知られていなかった植物が生きて発見されたことになり、新種M. glyptostroboides Hu et CHENGと命名、発表したものである。米国と中国と日本とを結ぶ協力が調査によい成果をもたらしたと言えることは誠に喜ばしい。〉
 この御序之で明らかな如く、すでに絶滅して化石としてのみ存在してゐたメタセコイアと云ふ植物が実は中国四川省の奥地で生育してゐることが発見され、日本の学者が和名「あけぼのすぎ」と命名した。そして、その苗と種子を米国の学者が献上したのであつた。
 この「あけぼのすぎ」の苗が献上されたのは昭和二十四年春に発芽したもので、三八センチの苗木がその年の十月に吹上御苑に植ゑられたのであつた。
 それより四十余年を経て、この苗はすでに二〇メートルに余る亭々たる大樹になつてゐた。
 その育ちゆくさまを年々に御覧になつてゐて、それをわが国戦後の復興になぞらへて、昭和六十二年の歌会始御題「木」により御詠み遊ばされたのである。
 まことに王者の気品ゆたけき堂々たる御作である。特に第三句「年々に」と仰せられたところに千鈞の重さを感ずる次第である。
 この御製あつて二年後に、陛下は崩御されたのであつた。
 ところで、この「あけぼのすぎ」を我々は見ることが出来る。それは皇居ではなく、赤坂御所のものである。地下鉄銀座線の青山一丁目の交差点に立ち、皇居の方に眼を向けると赤坂御所は左に土の塀が続き、一番手前の土塀沿ひに三本の高い木が眼にとまる。これが「あけぼのすぎ」である。

『昭和天皇のおほみうた』(鈴木正男著 展転社)p.258~259

Img_0212 道友が赤坂御所を昨日(1月26日)訪れ、3本の「あげぼのすぎ」を撮影してメールで送ってくれました。昭和24年に発芽したとありますので、まだ60年強しか経っていないわけですが、天に向かって真っ直ぐに、すくすくと成長した様子が良く分かる写真だと思います。

さて、以下の最初の六首は、昭和天皇御製カレンダーに掲載されたものであり、それ以降は今年の歌会始の儀で詠まれたものです。

【昭和天皇御製】(皇紀2671年度版カレンダー)

わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり

わがくにのたちなほりこしとしとしにあけぼのすぎのきはのびにけり

あたたかき卯月の庭の桜花ふる春雨にさきみちにけり
あたたかきうげつのにはのさくらはなふるはるさめにさきみちにけり

たちなほれるこの建物(たてもの)に外(と)つ国(くに)のまれびとを迎(むか)へむ時(とき)はきにけり
たちなほれるこのたてものにとつくにのまれびとをむかへむときはきにけり

世に出すと那須の草木の書編みて紙のたふときことも知りにき
よにいだすとなすのくさきのふみあみてかみのたふときこともしりにき

わが庭の初穂ささげて来む年のみのりいのりつ五十鈴の宮に
わがにはのはつほささげてこむとしのみのりいのりついすずのみやに

ポーイスカウトのキャンプにくははりし時の話浩宮より聞きしことあり
ボーイスカウトのキャンプにくははりしときのはなしひろのみやよりききしことあり

2671

【歌会始の儀】(皇紀2671年)

天皇陛下

五十年(いそとせ)の祝ひの年に共に蒔きし白樺の葉に暑き日の射す

皇后陛下

おほかたの枯葉は枝に残りつつ今日まんさくの花ひとつ咲く

皇太子さま

紅葉(もみぢ)する深山(みやま)に入りてたたずめば木々の葉ゆらす風の音(と)聞こゆ

皇太子妃雅子さま

吹く風に舞ふいちやうの葉秋の日を表に裏に浴びてかがやく

秋篠宮さま

山(やま)峡(かひ)に直(すぐ)に立ちたる青松の嫋やかなる葉に清(さや)けさ覚ゆ

秋篠宮妃紀子さま

天(やま)蚕(まゆ)はまてばしひの葉につつまれてうすき緑の繭をつむげり

常陸宮さま

中庭のにしきぎの葉は赤々と朝の光に燃えるがごとし

常陸宮妃華子さま

新年のおせち料理にそへてもる南天の葉はひきたちてみゆ

三笠宮妃百合子さま

ほどけしも巻葉(まきは)もありて今年(ことし)竹(だけ)みどりさやかにゆれやまぬかな

寛仁親王家長女彬子さま

手に取りし青きさかき葉眼にしみて我が学び舎に想ひはせたり

高円宮妃久子さま

新年(にひどし)にめでたく飾る楪(ゆづりは)の葉に若きらの夢たくしたり

高円宮家長女承子さま

葉脈のしをり見つけし古き本思ひではめぐる初等科時代に

高円宮家次女典子さま

雲のなき冬空さえて行く人の落ち葉ふむ音さやかに聞こゆ

高円宮家三女絢子さま

風吹きてはらはらと舞ふ落葉手に母への土産と喜ぶをさな

ところで、ジャーナリストの藤原源太郎氏も、「あけぼのすぎ」を意識してか知らずか、今年は「人類文明史におけるこれまでの価値規範の年であると、『みち』(1月15日号)で指摘していました。

 

昨年の猛暑に続き、年末から年初にかけて世界的に寒波が襲来し、欧米では都市機能に支障を来たすほどの異常事態が頻発しています。また、夏の豪州では、一部地域で雪が降り大洪水に見舞われるなどの異変も報道されております。今年に入ってからも、米国や欧州、南米などで、野鳥や魚が大量に怪死する不気味な現象も起きています。急激な天変地異現象は、世界的な食糧危機の到来を暗示しております。
 年初早々から異様な現象が世界的な規模で発生していることを考えますと、今年は波乱の年になることを天が警告して、人類文明史におけるこれまでの価値規範の大転換を促しているものと思われます。しかるに、この大転換期に際して貪欲な金融資本主義勢力は、食糧危機をも投機の好対象ととらえているため、食物だけでなく関連資材の値段が急騰しております。

『みち』(1月15日号)

その藤原源太郎氏、今年の御歌「おほかたの枯葉は枝に残りつつ今日まんさくの花ひとつ咲く」について、以下のように語っています。

これは、今年の1月14日に、皇居の歌会始で詠まれた皇后陛下の御歌(みうた)であるが、大局的な観点から見た国際情勢に纏わる深所のメッセージが隠されている。すなわち、“西洋主義”とも云うべき現在の体制(おほかたの枯葉)が間もなく崩壊し、新しい体制(まんさくの花ひとつ)が芽生えつつあるのだ。

どうやら、今年は“皇統派日本人”が立ち上がる年のようです。なお、此処で云う皇統派日本人とは、原日本人のことを指しており、右翼といった思想云々とは無縁の言葉です。この皇統派日本人については、いずれ機会があれば記事にしたいと思います。

以下は、『みち』310号に載った昨年の歌会始の儀についての記事

Michi30101

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2011年1月10日 (月)

スポーツ報知宛て公開状

以下は、慶応大学の高橋信一先生が、スポーツ報知宛てに書いた公開状です。大勢の方々にサンメディアという会社の実態を知って戴きたく、本ブログでも掲載させて戴きます。なお、参考資料をPDFファイルにまとめましたので、以下よりダウンロードしてください。
「sunmedia.pdf」をダウンロード

ブログ【教育の原点を考える】管理人


 2010年12月17、18日のスポーツ報知における「フルベッキ写真」関連の記事と広告について考える。サンメディアという会社は「フルベッキ写真」だけでなく、「坂本龍馬」、「偽お龍さん」の写真を出典も明らかにしないで勝手に使って色付けして売り出している。報知新聞社が単なる広告だけでなく、本紙面で取り上げて偽説を持ち上げていることに、私には報道機関としての姿勢が問われるべきだと思う。単に反対意見を掲載すれば、中立性を保てて責任を果たしたというものではない。偽説の信頼性も検証すべきである。それを放棄している。

 私は12月14日に報知新聞社の記者と会って話をしてサンメディアとは係わらない方がいいと言ったのだが、宣伝に利用された。カラープリントをもらったので、スキャナで取り込んで、研究協力関係にある東京大学を通じて手に入れた産能大が所蔵する高解像度の「フルベッキ写真」のオリジナルの画像データと比較した。代表的な箇所を比較したものをファイルで添付する。

 サン・メディアは画像解析のソフトウェアを開発して実際に近い色をつけたとしているが、色付けだけでなく画像そのものをコンピュータ上で手を入れて変形させていることが分かる。右端の「陸奥宗光」と名指しされた人物の目尻は新たに書き入れられている。産能大のものと比べると家紋の形も明らかに変形している。首の後ろ部分の襟足が削られている。パソコン上の絵筆によるアニメーションをやった訳で、これが進むと、今後オリジナル写真に関係なく、都合よく画像を改変して見せる捏造が横行する切っ掛けになったと言える。

 以前にも説明したが、産能大のオリジナル写真ではネガの段階でのハレーションで家紋の模様はほとんど潰れて見えないものが多い。しかし、「陸奥宗光」の家紋は「蟹牡丹」であり、潰れても円や楕円形にはならない。明らかに別人の家紋である。他にも、オリジナル写真でははっきり解像出来ていたフルベッキの右後方の「別府晋介」に当てはめられた人物の「二重輪」の家紋は判読出来なくされている。家紋を論じるなら、やってはいけないことである。元々解像出来ていないのなら、産能大の写真のような解像度の高いオリジナルの鶏卵紙の写真から画像データを取ったのではなく、何かからのコピーであることを示している。画像のデータ元を明らかにすべきである。「井上馨」の家紋も形が明らかに違う。くれぐれも画像を改変してはならない。

 カラー化の方法についても甚だ疑問がある。幕末・明治の頃の白黒写真には感光材料にヨウ化銀や硝酸銀がベースに使われており、白黒画像に可視光線の情報は含まれていないことは写真技術の常識である。銀塩分子は400nmより短い波長の紫外線の光しか吸収しないので、撮影対象から反射された紫外線の強弱のみしか記録されない。どんなに白黒の濃淡画像を弄繰り回しても、可視光線である400から700nmの範囲にあるはずのカラーの情報は得られないのである。色付けするには当時の服の色を推測して適当に当て嵌めてやるしかない。つまり、白黒画像に関係なく、勝手に色をつけるしかないのだ。遊びとしてはいいが、元画像を改竄しておいて、歴史の真実を議論する資料にしようというのにはまったくもって呆れる。実用新案の登録は無審査で行われている。ちゃんと権利の行使を主張して特許庁の評価を受け、「カラー化装置」として正当なものかを明らかにすべきである。ヘンな理屈をつけて人心を惑わすのはやめるべきである。

 最終的に報知新聞社も含めて物笑いのネタになるのは勝手であるが、手前勝手にオリジナル写真を変形・変質されて、ありもしない情報を作り出して世の中を惑わす元凶になる危険を孕んでいる。それを許しているのが、各報道機関の「フルベッキ写真」に対する姿勢の問題である。

 スポーツ報知誌面の私のコメントを繰り返すが、人物の特定に腐心するより、「フルベッキ写真」が撮影されたスタジオが明治以降に作られたものであることの認識が最重要である。報知新聞社の記者の記述には間違いがある。それを率直に認めて訂正広告を出すことを要求する。坂本龍馬を撮影したスタジオはフルベッキ写真と同じスタジオではない。サン・メディアが44人を特定したと言っているが、名前は46人全員に入っている。残り2人の人物は特定もせずに名前を入れたのか。西郷隆盛と大村益次郎は写真が存在しないと言われている。同定に何を使ったのか。もし、彼らの写真が存在しているなら、その方が「フルベッキ写真」よりも遥かに重要である。速やかに情報を開示すべきである。大室寅之祐も顔写真は知られていない。なぜ、取り上げたのか。大室が明治天皇と摩り替わったとする邪説が流布しているが、明治天皇の写真を使って同定作業が行われたのなら、なぜ、明治天皇と書かなかったのか。はっきりしてもらいたい。明治天皇が何処の馬の骨とも分からない人物と摩り替わったというなら、大正天皇も昭和天皇も今上天皇も何処の馬の骨とも分からない人物の子孫であるということになる。それを証明するために「フルベッキ写真」を利用しているなら、はっきりそう言うべきである。報知新聞は、このことをどう考えているのか。報知新聞は邪説の片棒を担ぐつもりなのか。明らかにすべきである。

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2011年1月 5日 (水)

講演会のお知らせ

遅くなりましたが、改めて明けましておめでとうございます。

本来であれば、正月三が日にでも記事を1本ていどは書きたいところでしたが、現在は大量の仕事(産業翻訳)に追われており、その余裕が無いために正月記事は割愛させて戴きました。また、時間が取れ次第、新記事をアップしていく予定です。

さて、今回は筆者が関係する講演会のお知らせです。今月下旬に行われる講演会ですが、ブログ「写真が紐とく幕末・明治」から、そのまま以下に引用させて戴きます。

テーマの「スポーツ報知掲載記事」を巡って、筆者は高橋先生と幾度か私信を交わしました。この新聞記事とは、嘗て筆者が書いた「フルベッキ写真の懲りない面々」の記事にある、新たな“懲りない面々”のサンメディアという会社についてです。大勢の読者の参加を期待しております。

※以下、ブログ「写真が紐とく幕末・明治」から

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第33回 江戸史談会
Posted 1月 4, 2011
テーマ : フルベッキ写真の真実
(反証・スポーツ報知掲載記事について)
講師 : 慶應義塾大学准教授 高橋信一

昨年12月17日にスポーツ報知に掲載されたフルベッキ写真
の記事についての反証を高橋先生が熱く語ります。

日時 : 2011年1月22日(土) 15:30より
場所 : 春廼舎(新宿区荒木町8 根本ビル1F)
会費 : 4000円(講演後の懇親会費込み)

※当日参加も歓迎いたしますが、 場所等不安な方は下記へ
ご連絡ください。

申込み・連絡先
〒160-0007
東京都新宿区荒木町8-1根本ビル 春廼舎内
江戸史談会事務局
Tel.03-3350-3732(18:00~24:00 日曜休)
http://www.geocities.jp/haruno_ya/edoshidankai.html

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