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2010年10月23日 (土)

古事記 深奥の世界

東京の池袋にある文明地政学協会では、『世界戦略情報 みち』(以降、『みち』)を毎月二回発行しています。同誌は、歴史・政治・経済・天文・民俗・古典など、分野が多岐に渡る情報誌で、各々の記事は何れも独特の優れた視点で書かれています。そうした記事の一つに、「アッシリア文明史論」という連載記事があり、筆者は過日の記事でも述べた栗原茂さんという皇室インナーサークルです(詳しくは、『真贋大江山系霊媒衆を参照。同記事では高松宮と栗原さんとの交流について述べた)。

その文明地政学協会の一角で、栗原さんを囲んで舎人学級という集いが平均して月に2回のペースで開かれ、そこでは『みち』に毎号掲載される栗原稿の輪読の他、古事記の上巻(ふることふみ・かみつまき)の誦習が行われ、その後は直会(なおらい)に入って酒を酌み交わしながら、栗原さんの国体レベルの講話に耳を傾けるというのが通常の流れです。筆者も舎人学級に末席を汚すようになって1年が経ち、漸く今では上巻の三貴子(みはしらのうづのみこ)の誕生までは、古事記本を見ないでも諳んじることができるようになりました。

 それは兎も角、何故に筆者がそこまで古事記に取り組むのかという具体的な理由は、『みち』の平成22年10月1日号以降、すなわち「アッシリア文明史論」(19)以降から数回にわたって、古事記上巻について栗原茂流の解釈論が展開されているので参照していただくとして、本稿では舎人学級に参加する舎人の一人として、栗原流の古事記を学んでいる理由をお伝えすることにより、筆者なりに理解した範囲の栗原流古事記の輪郭を掴んで戴ければと思います。

最初に栗原流古事記を筆者が学んでいる理由を述べるとすれば、それは、「己れは何者で、己れは何処に行くのか」ということを知るためであり、譬えで云えば自身の人生という航海に不可欠な羅針盤を、手に入れるためなのです。尤も、その羅針盤は目の前に『古事記』本としてあるのですが、この古事記を自家薬籠中の物にしていく必要があり、そのスタートラインに立てるのは早くて来年(皇紀暦2671年)の秋頃になると予想しています。それまでは栗原さんの解く古事記解釈論を素直に学ぶ「守」の段階に筆者は居るのであり、その次に栗原流古事記ではなく、自分なりの古事記論を組み立てていく作業「破」の段階に進み、最終的には筆者独自の古事記論を確立した「離」の段階まで進みたいとは思っていますが、果たして自分に残された少ない時間の中、何処まで行けるのか今の段階では皆目分かりません。しかし、少なくとも「守」の段階を終えて、次の世代に栗原流の古事記を手渡す作業だけは、最低限行っておきたいと思っています。

■ 己れは何者か…

現在は一時中断していますが、栗原さんの著した200ページ近くの『家紋講座』があります。この本は(発売未定)植物学の基礎から始まって、氏姓鑑識に進む内容であり、現在は同書を参照しつつ、己れ自身の家系を調べている最中です。ソクラテスではありませんが、汝自身を知ることが栗原流古事記を理解するための第一歩なのです。

■ 己れは何処に行くのか…

己れ自身が何者かを知ることが最終ゴールではありません。次に、己れの身に明日、明後日、そして将来にわたって、何が起きるかを知ることが肝心です。譬えで云えば、暗礁に乗り上げないように航海を続けていくことが、長い人生を生き抜く上で大切なのです。よって、自身だけではなく自身の身の回りで起きている出来事、すなわち国際政治・経済の正確な潮流を掴み、それに基づいて己れの行動指針を決定していかなければなりません。そして、世界の動向を知るための最大のヒントが、実は古事記に隠されており、ここに世界のリーダーたちが必死になって古事記の解釈に取り組んでいる所以があります。筆者の場合、未だに「守」の段階で修行中の身でありながら、現在から西暦2012年(皇紀暦2672年)あたりまでなら、朧気ながら何が起きるのかが見えつつあります。そのヒントは“対発生”にあります。数字で表せば“2”ですが、それに対してアテン一神教から発生したユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教は“3”という数字を重視しており(たとえば三位一体)、ここに一神教には対発生という概念が無いことを如実に物語っています。そして、その欠陥を一神教の国々(日本を除く他のG8)が悟ったのが、2000年に開催された沖縄サミットでした(中国もG8メンバーではなかったものの、開催前に小渕総理から招待状を受けていました。しかし、中国は日本からの招待を断って欠席しており、ここに実は中国が傍若無人な振る舞いを続けている理由があるのですが、今回は割愛します)。

このように、沖縄サミットに参加したG8が悟った対発生(同時発生)は一神教に欠けている概念であり、そして何故に古事記は2という数字を大切にするのか、何故に以下のように次々と神々が対発生したのか…。それは、万物はすべからく対発生によって発生するという素粒子論に基づきます。(99柱に振り仮名を添えたPDFファィルを作成しました。今後続く古事記関連の記事に幾度か引用しますので、ダウンロードしてご活用ください)

「99.pdf」をダウンロード

宇麻志阿斯訶備比古遅神・天之常立神

國之常立神・豊雲野神

宇比地邇神・妹須比智邇神

角杙神・妹生杙神

意富斗能地神・妹大斗乃辨神

淤母陀琉神・妹阿夜訶志古泥神

伊邪那岐神・妹伊邪那美神

対発生という観点から考えると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の母胎であるアテン一神教が発生したのと時を同じくしてツランが発生したという、栗原さんから直接聞いた秘話も確かに合点がいきます。そして、従来のアテン一神教が行き詰まり、世界が混沌としている今日、一方のツランが眠りから目を覚まし、アテン一神教と対となって世界を動かしていくのではと、思うのでした。

最後に、舎人学級に1年以上参加させて戴いたことにより、舎人として大事なのは公(おおやけ)という道を踏み外さない人生を歩むことであり、決して私利私欲という私(わたくし)に囚われた人生を歩んではならないと、常日頃念頭におきつつ日々を送っていきたいと思うに至ったことを、ここに記しておきたいと思います。

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コメント

keikoさま

投稿有り難うございました。お知らせいただいたメールアドレスに私信を送信しましたが、戻ってきてしまいます。メールアドレスが間違っているようです。

マヨさんのブログに時々投稿されていたkeikoさんですか…?

投稿: サムライ | 2010年10月28日 (木) 午前 05時29分

こんにちは 上海でもケムトレイルを高速道路上から写して来ました。つむじ風さんへの投稿を読みましたが、私もそう思っていたのですが、そうではなかったのです。

落合莞爾さんにお会いになることがあるのですね。
メールを頂けると嬉しいですが。

投稿: kei2 | 2010年10月28日 (木) 午前 02時42分

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