講演会のお知らせ
フルベッキ写真について、いつも貴重な論文を寄稿して頂いている慶応大学の高橋信一先生が、来る7月24日(土) 15:30から春廼舎(東京都新宿区荒木町8 根本ビル1F)において、「 幕末の集合写真」というテーマで講演を行います。フルベッキ写真に関心のある読者は、この機会に是非ご参加ください。なお、会場・会費等の詳しい案内は以下を参照願います。
ブログ【教育の原点を考える】管理人
サムライ拝
昨日(2010年7月24日)行われた講演会のレジメを一部、高橋先生の厚意により以下に掲載します。
幕末・維新の集合写真(2)
慶應義塾大学 高橋信一
〇
フルベッキ写真関係
「歴史読本」平成22年1月号片野勧氏が「お雇い外国人・・・」でフルベッキの弟子とする多数の人物を挙げているが、ほとんどが誤解である。戸川残花「太陽」の記事の一部を採録する。大井憲太郎の伝記にはフルベッキは出て来ない。大山巌も根拠ない。広運館のフルベッキを囲む集合写真は、学生でなく教員たちによる送別写真である。
① ニューブランズウィック日本人留学生集合写真
1871年4月に帰国命令を受けた畠山義成の送別写真。ラトガース大学の学生は6人しかいない。その内、卒業したのは、服部一三のみ。他の学生たちの留学の経緯を説明する。
② アンベールと親交した文久3年当時の諸外国外交高官・領事たちのコラージュ写真
日本・スイス修好通商条約締結のため来日したアンベールが集めた肖像写真をベアトが合成した。タウンゼント・ハリスやオールコックが帰国し、ハリー・パークスやレオン・ロッシュが来日する前の日本の外交状況を示す貴重な写真。特定されている人物以外にガワーなどを同定した。アレキサンダー・シーボルトがいる。ベアトが風景と風俗写真アルバムを販売するようになったのは、アンベールの示唆によるかも。「幕末日本図絵」との関係を説明する。
③ 鹿児島訪問途上の山口県知事毛利元徳公一行
木戸孝允の日記から明治3年4月26日上野彦馬のスタジオで撮影されたこと、長三洲の記録から人物名も判明している。来原兄弟などについて説明する。三浦悟郎が見えない。
④ 明治2年6月、山縣有朋・西郷従道らの洋行記念
6月8日から21日までの間の撮影(「木戸孝允関係文書」の厚東の手紙)。福原和勝は後列
左端の人物。
⑤ 慶応3年4月、緒方惟準・松本銈太郎の留学壮行会
精得館学生の集合写真。前年のA.F.ボードインの送別会との根拠不明。A.J.ボードインの撮影と考える。A.F.ボードイン、グラタマ、マンスフェルトがいない。緒方は扇を持ってポーズを取っており、彼自身の晴れ舞台だった。
⑥ 慶応大学所蔵ベアトの初期アルバム掲載の集合写真「Residents of Yokohama」
27枚中24枚が1866年秋の大火前に撮影された白黒の風俗写真。残りは元治元年9月下関戦争後のベアトのスタジオで撮られたオランダ軍艦メデューサ号乗組員集合写真と慶応元年4月ビクトリア女王誕生日の長崎鼠島ピクニック写真。1864年横浜にロッジが建てられたフリーメーソンの仲間の写真の可能性も。ピクニック写真にはグラバーやボードイン兄弟の他、ガワー、アレキサンダー・シーボルト、そしてジョン・ラウダーとジュリア夫妻が写っている。参照写真を紹介する。
(平成22年7月24日)
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