« 『真贋大江山系霊媒衆』 | トップページ | 『百人一首の暗号』 »

2010年5月 5日 (水)

夜明け前の日本

今年の初め、財界にっぽんという出版社の応接室で、来日中の藤原肇氏と半年ぶりにお会いしたことがあります。短い近状報告を交わした後、場所を近くの喫茶店に移し、さらに1時間半にわたって藤原氏の話に耳を傾けていくうち、藤原氏と元参議院議員で政治評論家の平野貞夫氏が、日本の将来について非常に憂いており、それが『財界にっぽん』誌の両氏の対談の運びとなったことを再確認したのでした。なお、後の2010年3月24日に行われた平野貞夫氏の講演会にも筆者は出席しており、その時の様子を知人がビデオに残しています。
敢えて民主党を叱る」平野貞夫(於:赤坂区民センター)

ちなみに、平野氏と藤原氏の対談記事は全部で5回のシリーズで編集されており、その内の4回まではホームページ【宇宙巡礼】にアップ済みです。(最終回の「鳩山政権誕生で新時代への期待は…(5)」は来月上旬にアップ予定)
鳩山政権誕生で新時代への期待は…(1)~(5)

さて、藤原氏とお会いした今年の1月中旬当時は、民主党寄りの朝日新聞社が行った調査(2010年1月16日)は42%でしたが、数日前の東京新聞を見るに、なんと半分の20%に下がっていました。
100430_tokyo
2010年4月30日付の東京新聞

後述しますが、筆者の場合、鳩山首相に対する期待も1月の時点では多少は残っていたものの、現在はほとんど残っていません。そう思うようになった一因が、上記の「鳩山政権誕生で新時代への期待は…」シリーズでした。藤原氏は掲示板「藤原肇の宇宙巡礼」で以下のように述べています。

「平野貞夫さんとの『財界にっぽん』出の対談は、検察ファッショとマスコミの狂乱があまりにも酷いために、その背後関係の解明を中心にして、「平成無血革命と歪んだ日米関係」という題の対談として、延長戦の追加対談として終わってしまった。この対談で論じたテーマ自体が非常に重要であり、誰かがきちんと分析と解説をして当然なものだが、今の日本にはこうした問題を取り扱える頭脳がいないし、それ以上に勇気を持って発言する人が不在なのが惜しまれる」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2491/1251693224/71

さらに、今や自民公明体制の崩壊という流れになってきており、大変喜ばしいことです。このあたりについては、以下のサイトが参考になるでしょう。

雨後の竹の子、乱立する新党の実像   青山貞一
野中爆弾証言の標的は「小泉・竹中構造改革」一派であろう

“有権者を見くびり小馬鹿にした”のは貴殿ら横柄なマスコミでないか

先月、都内の某所で筆者は『月刊日本』の山浦嘉久氏、同誌に興味深い「疑史」という連載を執筆されている落合莞爾氏らの話を、半日以上耳を傾けてきましたが、その時に山浦氏が、「昨年(2009年夏)の選挙結果は自民党の55年体制を払拭したいという国民の意思表示であり、民主党を選んだわけではない」と喝破したのは流石と思ったものです。大手マスコミのように、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言わんばかりに、盲目的に民主党を叩くのも異常ですが、かといって坊主の袈裟には問題は何もないものの、民主党そのものには問題があるという点に注意を向けるべきだと思います。特に、山浦氏が以下のように述べていたのが強く印象に残りました。

「日本の歴代首相で自国のことを、“この国”と言ったのは鳩山由紀夫が初めてである。このことからも、鳩山が派遣社員ならぬフリーメーソンからの派遣首相であることが分かる」

筆者の記憶からして、終身雇用が盤石であったバブルが弾ける1989年以前の日本では、「この会社」と言う社員はいませんでした。「うちの会社」「わが社」と言うのが普通と言うよりは、当たり前の時代でした。しかし、終身雇用制が崩壊した今日、派遣社員は「この会社」、「次の会社」などと言っているのを思い出すべきでしょう。それにしても、「派遣首相」とは言い得て妙です。

また、山浦氏は以下のようにも語っています。

「かつて、黒船が1853年に浦賀沖に姿を見せてから、1868年の明治改元まで15年間を要した。その伝で行けば、今回の革命が成立するのは2009年から15年後の2024年の可能性がある。ただし、現代はインターネットという情報化社会なので、15年という時間が短縮されるのではないか」

平野貞夫氏の云う「平成無血革命」から未だ1年も経っていませんので、今回の革命について評価を下すのは早計であり、いくらインターネット時代とは云え、山浦氏の云う“黒船”から、平野氏の云う「平成無血革命」が真に成就するまでには、やはり15年前後の時間がかかるのではないでしょうか。ともあれ、一家の大黒柱として、日々の生活の糧を稼ぐための生活に追われている身ではありますが、己れを生み育んでくれた日本のために、自分にもできる範囲のことを、微力ながらも実践していきたいと思う今日この頃です。

|

« 『真贋大江山系霊媒衆』 | トップページ | 『百人一首の暗号』 »

コメント

そーみなーさん、小生は「『真贋大江山系霊媒衆』」の記事のコメントで以下のように書きました。

``````````````````````````````````````````````````````
世阿弥と云えば、恥ずかしながら『風姿花伝』を未だ一度も目を通したことがないことに、今気が付きました。読みたいけど、当面は読む時間がなさそうだな…。でも、子ども達には是非に読んで欲しいので、源氏物語の現代語訳を最近出した林望氏の『風姿花伝』を手に入れ、読ませようと思います。世阿弥の『風姿花伝』は、日本の誇る最高の芸術の書であると、大勢の識者から直接間接聞き及んでいます。
``````````````````````````````````````````````````````

その後、林望氏の本を取り寄せてみましたが、パラパラと捲った限りではなかなか良い本だと思いました。ただ、『風姿花伝』の一部しか取り扱っていないので、岩波書店などで出している『風姿花伝』の原書を読む手もありますが、最初は林望の本から入るのが良いと思います。

子ども達も小生の仕事部屋に来て色々と本を取り出しては読んでいるようですが、未だ林望氏の『風姿花伝』には目を通していないようですね…。

なお、そーなみーさんの疑問、「ひとつ残った疑問は公家という輩は明治維新後に事実上の世襲官僚・政治家に形を変えたのでしょうかね」については、いずれ何からの形で拙ブログでお答えする機会が来ると思います。ただ、堀川辰吉郎の話などは、落合莞爾氏が『月刊日本』に執筆している以上のことを、落合氏本人や栗原氏から聞き及んでいますが、どこまで世間に公表して良いのか今の小生には判断できないため、そのあたりの見極めが付くまでもう暫く時間をください。

投稿: サムライ | 2010年6月12日 (土) 午前 07時45分

おはようございますサムライ様
通勤中にちんたら読んでた婆娑羅太平記をやっと読み終えました。読破してちょっと残念な感もありますが、婆娑羅~は「役小角」に続いてもう一度読み直したい本になりました。状態良い古本で探して購入しようかな。
ひとつ残った疑問は公家という輩は明治維新後に事実上の世襲官僚・政治家に形を変えたのでしょうかね。そういえば昔何かで今の官僚組織を作り上げたのは枢密院の山県有朋だったと読んだ記憶があります。
ところでサムライ様のブログでしょうか、観阿弥世阿弥を扱った書籍で優良図書があるとどこかで読んだ記憶があります。婆娑羅~後半にちょくちょく名前が出てきて観阿弥世阿弥がきになってきました。芸能の事には全く疎い私にも読める本であれば読んでみたいですね。何かご存知でしょうか?

投稿: そーみなー | 2010年6月12日 (土) 午前 07時07分

「婆娑羅な政治家いないかな~」ではなくて、そーみなーさんが婆娑羅になればいいんですよ。何も政治家でなくても、別の道で婆娑羅な道を歩むことができると思います。期待しています!

なお、イスラエルがガザ支援船団を襲撃した話、これは許し難い。約束はできませんが、来週に入るまでにイスラエルの出自を書きたいと思います。

投稿: サムライ | 2010年6月 2日 (水) 午前 05時21分

今晩はサムライ様
今回の社民党の連立離脱環境を創作した民主党的体質には本当に失望してしまいました。今更官僚云々のせいにするのは政党としての未熟さを指摘するだけですね。今後は民主党も自民と同じ様に色眼鏡で見ることにしました。しかしながら、沖縄の独立という言葉は安易に使いたくありませんね。私自身は現状の日本政治など馬鹿馬鹿しいと思うほど「婆娑羅太平記」に嵌っています。私の価値観を変えるくらいのインパクトがあります。散所・悪党という言葉は強烈に生存権という事の意義を考えさせてくれます。古代という言葉が適切かは分かりませんが日本人は古代に近いほど知恵を駆使していたのかなと思ってしまいます。その流れで言うと鳩山さんには天の時と地の利はあったのでしょうが、いかんせん人の和に疎かったんでしょうね。鳩山政権は現代版・建武の新政なのかもしれません。婆娑羅な政治家いないかな~。乱文失礼いたしました。

投稿: そーみなー | 2010年6月 2日 (水) 午前 12時48分

そーみなーさん、お早うございます。

『婆娑羅 太平記』も半分読み終えたとの由、後半も是非楽しんでください。多分、現在は第四巻の「悪党の砦」あたりを通読中と思いますが、p.185に以下のような行があります。

「そもそも吉野というところは、古来より不思議な謎を秘めた地であった。無論、役小角が開いた修験道の聖地でもある。ここより大峰山に至る約六里を金峯山と総称するが、第一番にこの吉野に拠って大乱の兵を挙げたのは、大海人皇子、後の天武天皇であった。天下を二分する古代最大の内乱が、この吉野から起こった。天武が崩御して、跡を継いだ女帝持統も、在位中三十数回も吉野を訪れている。これも、古代史の謎である。時代は下がって、源頼朝に追われた義経が奥州へ下る途中身を隠したのもこの吉野である。そして、今度は大塔宮が、この吉野で倒幕の兵を挙げた。後につづく南北朝大乱の嚆矢となる。そして、二朝分裂の後は、吉野に南朝の行宮が置かれることになる。いずれにしても、吉野という処には、乱を誘発する何かがあるのだ」

ここで、佐藤優氏と村上正邦氏による「第三回吉野勉強会」が再来週に吉野で三日間に渡って行われますが、愚生にとっては人生の先輩である知人が今回も参加するとのこと。その知人、昨年に皇居で今上天皇に「平成遷都1300年おめでとうございます」直接申し上げたら、頷かれたそうです。

投稿: サムライ | 2010年5月12日 (水) 午前 07時35分

おはようございますサムライ様
婆娑羅太平記大変面白く読んでいます。毎日の通勤バスの中が貴重な読書室となっています。何となく、北条鎌倉幕府が自民党で後醍醐天皇周辺が民主に見えてくるから不思議です。面白いのは、婆娑羅な朝家・公家の周辺に民衆の事を第一に考えている地位の低い民衆と同じかそれ以下の地位の者たちが実働部隊でいることですね。物語は丁度折り返しに差し掛かっていますが後半も楽しみです。経過報告でした。サムライ様のお仕事が順調でありますように。。。

投稿: そーみなー | 2010年5月12日 (水) 午前 06時44分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 夜明け前の日本:

« 『真贋大江山系霊媒衆』 | トップページ | 『百人一首の暗号』 »