『百人一首の暗号』
そして、この度『百人一首の魔方陣』の改訂新版とも云うべき『百人一首の暗号』(太田明著 学研パブリッシング)を、学研経由で筆者の太田さんから謹呈して戴きました。太田さん、今回は本当に有り難うございました。ちなみに、太田さん本人の話では、今月の11~15日に同書が発行されるとのことです。
なお、前著『百人一首の魔方陣』と新著『百人一首の暗号』の違いですが、新著の「謝辞」に以下のように書いてあるのにご注目ください。
前著は意にそぐわないことばかりで、初版で絶版を申し入れたものです。ところが、三上編集長は、その研究内容をご理解ください、思いがけずも改訂新版のお話をくださいました。本書を世に送れるのはひとえに三上編集長のお陰であります。ここに心よりお礼を申し上げます。
一応、ご参考までに同書の目次を以下にアップしましたので、関心のある方はアクセスしてみてください。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/ota/angou/angou.htm
さて、一般読者より一足先に新著を紐解くという幸運に恵まれた筆者は、太田さんが前著の『百人一首の魔方陣』から、さらに自身の研究を掘り下げているのに目を見張ったのでした。藤原定家が百人一首に仕掛けた壮大な暗号の正体こそが、10次魔方陣であった事実が今回は一層明確な形で述べられています。このように、百人一首に隠された10次魔方陣が炙り出される様は壮観であり、筆者は暫し時の経つのを忘れて『百人一首の暗号』の世界に浸ったのでした。
ところで、同書に目を通しながら、同書は百人一首に隠された10次魔方陣から始まり、さらに和歌の奥義に太田さんが一歩足を踏み入れているのを知り、大変嬉しく思った次第です。そのあたりを如実に述べている箇所を、以下に続けて抜き書きしておきましょう。
また、宗祗・幽斎によれば、和歌とは本来「いにしへより世を治め、民を導く戒(いましめ)の端(はじめ)」なのだそうだ。そして『新古今集』が「花」ばかりで「実」を忘れていることに定家は嘆き、「実」を多くするために『百人一首』を撰したのだという。「世を治め、民を導く戒の端」とはまた随分大層な言葉だとは思うが、しかし、先の後陽成天皇の言葉からも推察できるように、和歌とは、ただ詩心を三十一文字(みそひともじ)の中に表現するだけ、というものでもなさそうである。私たちはその一部の証拠をすでに、手に入れている。(p.83)
後陽成天皇は、幽斎が死ねば「本朝の神道奥義、和歌の秘密」が途絶えてしまうとされていたが、和歌の秘密はわかるとしてもなぜ、この國の神道奥義までもが途絶えてしまうのか。それは和歌の秘密が「やまとふみ」、すなわち『日本書紀』に通じているからではないのか。神道で崇めるのは『日本書紀』に現れる神々である、と私はこれまでそう信じてきた。しかし、これは少し違うかもしれない。『日本書紀』の8年前に完成した『古事記』こそが、その「やまとふみ」であろう。なぜなら、『日本書紀』は漢文で書かれており、『古事記』は万葉仮名、つまり「やまとふみ」で書かれているからである。
「五箇の秘歌」の人麿はなぜ魔方陣に関係してこなかったのか。その理由が今にして分かる。それは、浮いた人麿のその意味を考えさせるためである。人麿はこの国の歌聖であるが、歌聖の前にまずそれを創始した始祖が存在する。その始祖の詠む和歌は、わが国初の史書『古事記』においてすでに現れている。思えば、『万葉集』が万葉仮名を使用しているのは、『古事記』のこの「やまとふみ」に従うためではなかろうか。(p.281~282)
古今伝授を受け継がれているであろう今上陛下は、魔方陣のことをご存じなのだろうか。
年の初めに、歌会の模様がテレビに映し出される。そしてそこに、ゆっくりと和歌を詠まれる天皇のお姿がある。まさか心のうちで数を計算されているのではなかろう、とは思うのだが……。
もし、和歌の秘密をご存じなら、なぜそれを明らかにされないのだろうか。
私にとっての皇室はまさに、現代のミステリー・スポットである。(p.283)
太田さんの直感は正しいのであり、過去2年間にわたって皇室に詳しい栗原茂氏から直接お聞きしてきたお話を、支障の無い範囲で以下に記録として残したいと思います(以下、栗原氏作成の原稿から)。
●皇紀二六七〇年(平成二二年)の歌会(題は光)
天皇陛下
こもれひの ひかりをうけて おちはしく こみちのまなか くさあおみたり
木漏れ日の 光を受けて 落ち葉敷く 小道の真中 草青みたり
皇后陛下
きみとゆく みちのはたての とほしろく ゆうくれてなほ ひかりあるらし
君とゆく 道の果たての 遠白く 夕暮れてなほ 光あるらし
皇太子殿下
くものへに あまのひかりは いてきたり ふしのやまはた あかくてらせり
雲の上に 太陽の光は いできたり 富士の山はだ 赤く照らせり
同妃殿下
いけのもに たつささなみは ふゆのひの ひかりをうけて あかくきらめく
池の面に 立つさざ波は 冬の日の 光をうけて 明かくきらめく
秋篠宮殿下
イグアスの ほたるはあまた ひかりつつ ちりかふかけは ほしのことくに
イグアスの 蛍は数多 光りつつ 散り交ふ影は 星の如くに
同妃殿下
さやはるの ひかりさやけく ききのまに さきそめにける かたかこのはな
早春の 光さやけく 木々の間に 咲きそめにける かたかごの花
常陸宮殿下
ちちきみに よつゆのなかを みともして みそのをいけは ほたるひかりぬ
父君に 夜露の中を み供して み園生を行けば 蛍光りぬ
同妃殿下
おほきろく なししいちろの そのしらせ もとむひかりを こらにあたへむ
大記録 なししイチローの その知らせ 希望の光を 子らにあたへむ
三笠宮妃殿下
ゆきはれし ふららのやとの あさのまと ダイヤのダスト きらめきひかる
雪はれし 富良野の宿の 朝の窓 ダイヤモンドダストの きらめき光る
高円宮妃殿下
きたはしの そらにいろづく オーロラの ひかりのまふを せのみやとみし
北極の 空に色づく オーロラの 光の舞ふを 背の宮と見し
高円宮長女妃
わうごんに ひかりかかやく なみきみち えかをのともの はくいきしろく
黄金に 光り輝く 並木道 笑顔の友の 吐く息白く
高円宮二女妃
はのうへに ほつりとのこる あめつふに くもまよりさす ひかりひとすし
葉の上に ぽつりと遺る 雨粒に 雲間より差す 光ひとすじ
--- 中略 ---
●昭和天皇の御製
今上天皇選録の本年の意
にしひかし むつみかはして はえゆかむ よをこそいのれ としのはしめに
西ひがし むつみかはして 栄ゆかむ 世をこそ祈れ としのはじめに
かせさゆる みふゆにすきて まちまちし やえさくらさく はるとなりけり
風さゆる み冬に過ぎて まちにまちし 八重桜咲く 春となりけり
あたらしき さえにまなひて たつくりの わさもひにひに すすみゆくなり
新しき ざえに学びて 田づくりの わざも日に日に 進みゆくなり
そらはれて ふりさけみれば なすたけは さやけくそひゆ たかはらのうへ
空晴れて ふりさけみれば 那須岳は さやけくそびゆ 高原のうへ
いそちよも たちしちきりを このあきの アメリカのたひ はたしけるかな
いそぢあまり たちしちぎりを この秋の アメリカの旅に はたしけるかな
あのにわの みやこにまつる かみかみに よのたいらきを いのるあさあさ
わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝朝
さて、今上天皇が詠まれた題「光」の御製と、昭和天皇の御製から今上天皇が選録された右六首との関連であるが、人格レベルの解釈では単なる事典を引いた知識にしかならない。右六首は昭和聖徳記念財団発行の本年カレンダーに記載を許されており、一首が二ヶ月分とされ、その時空に適合しているが、実は六首の御製すべてに左の御製を照合させているのである。
こもれひの ひかりをうけて おちはしく こみちのまなか くさあおみたり
本稿一ページに記載の各お歌は、すべて今上天皇の御製に連れており、さらに右六首中の一首と照合するように詠まれており、たとえば、皇后陛下の歌は今上天皇との連歌となりながら、右二番目の御製に応じているのである。すなわち、
かせさゆる みふゆにすきて まちまちし やえさくらさく はるとなりけり
きみとゆく みちのはたての とほしろく ゆうくれてなほ ひかりあるらし
の如く常に歴代の公が現代の私を率いており、その奥義を潜ませるのが古事記であるがため、少なくとも「かみつまき」誦習は欠かせないのだ。
さて、ここで栗原氏の云う「かみつまき」とは、『古事記』(上巻)のことを指し、上記の抜き書きが示しているように、太田さん自身も和歌と古事記の間に、何やら繋がりがありそうだということに気づいておられます。このあたり、筆者は栗原氏から直に『古事記』、氏姓鑑識、そして家紋について直に学んでいる最中であり、いずれ機会があれば昨年9月に拙ブログに書いた「『古事記』序」の続編の形で筆を進めたいと思います。
ご参考までに、今年のお題「光」について、以下の栗原氏本人のコメントも併せてご紹介しておきましょう。
数年前の御製「白い道」から、今回の「青々」のつながりを理解するには『古事記』上巻が分からないと駄目である。
ここで云う「白い道」とは、平成十九年度歌会の題「月」の御製、「務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり」のことであり。栗原氏に云わせれば「白い道」とは、「大和、そして吉野への道」を指すとのことです。「大和、そして吉野への道」ですが、以下の ページに目を通すことにより、大凡を掴んで戴けると思いますので、この機会に一読ください。
最後に、『百人一首の暗号』を通じて和歌の奥の世界に関心を抱いた読者には、『祈りの御歌』(竹本忠雄著 扶桑社)を推薦します。
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