« 2010年1月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年3月

2010年3月 9日 (火)

『真贋大江山系霊媒衆』

B100301 『真贋大江山系霊媒衆』(栗原茂著 文明地政学協会刊)という本があります。この本は一般の書店やオンラインでは入手出来ず、直に文明地政学協会という出版元に申し込む形でしか、入手することができない本です。今回は同書の書評を試みますが、最初に以下のサイトに目を通し、同書がどのような本なのか輪郭を掴んでください。
http://2006530.blog69.fc2.com/?q=%A4%DF%A4%C1

上記のサイトのページに目を通して、単に興味深い内容だから1冊購入してみるかといった、軽い気持ちで手に入れようとするのであれば止めた方が良いでしょう。なぜなら、この本は読み手を選ぶと思うからです。よって、以下のような人たちにこそ、本書を推薦いたします。

自分を生み、育んでくれた日本を思う気持ちがあること
昨夏の民主党の地滑り的な圧勝に見られるように、国民が自民公明党に対して、明確に「ノー」を叩き付けたのは記憶に新しいところです。しかし、期待された民主党もその後の支持率が35%前後に低迷、自民党にしても舛添要一に続き、与謝野馨元も離党の意思を示す有様で、政界の混乱に拍車がかかりそうな塩梅です。
しかし、こうした時代だからこそ真剣に自身、家族、会社、地域、日本、そして世界の動向に目を向けるようになった人たちが増えてきたのかもしれません。よって、今回ご紹介する『真贋大江山系霊媒衆』は、日本の将来を憂ふ人たちにこそ読んで欲しい本です。

右も左も関係なく、広量な心の持ち主であること
筆者の栗原茂氏は尊皇派です。それも只の尊皇派ではなく、ある意味では皇室のインナーサークルと云えるのです。同書に以下のようなくだりがあります。

かつて筆者は高松宮宣仁(のぶひと)親王殿下に問うを許された。それは青年将校蹶起の五・一五事件に加わる在野の志(ここざし)に関する問いであったが、高松宮は「当時、海軍一部に第二の同様事件を醸(かも)す空気は消えておらず、その目的の禊祓は重大ゆえ…」と思(おぼ)し召(め)され「通常ロンドン条約に係(かか)る問題を第一段といい、社会改造は第二段という考え方が伝わり広まるが、第一段は軍内首脳に向けての不平不信を何とかして一糸(いっし)も乱れぬよう整備する目標を抱えており、第二段は政党の腐敗(ふはい)、財閥(ざいばつ)の横暴(おうぼう)、農村の疲弊(ひへい)、道徳の堕落(だらく)、為政(いせい)の態度、等々の社会問題であり、条約問題は副(ふく)とも思えるが、大部分の純心を汲み取る公が法に適(かな)わぬは、我が身の不徳かな…」と諭(さと)された。
 この事件は将兵が軍司法機構で裁判を受けるが、民間人は一般法廷で裁(さば)かれ、刑の軽重に大きな違いを生じた。筆者は高松宮の思し召しを賜る(たまわ)までは、独り国賊(こくぞく)たらんも可なりと己れの死処を模索していたのだ。
(p.175)

もし、読者が左翼的思想の持ち主であれば、同書を色メガネで読んでしまう可能性が高く、折角の栗原氏のメッセージも正確に読み取れない恐れがあります。反面、左とも右とも付き合えるという人であれば得るものは大きいはずです。

自然に畏怖の念を抱いていること
筆者は黒須紀一郎の『役小角』(作品社)を読み、役小角は天皇や貴族といった支配階層とは敵対関係にあったと思い込んでいました。しかし、そのように述べた筆者に対して、栗原氏の原稿を編集している天童竺丸氏の意見は「否」だったのです。何故、天童氏は否と答えたのか。最初に天童氏自身が執筆した以下のページ、「大和へ、そして吉野へ 3(世界戦略情報「みち」平成21年(2009)2月15日第288号)」を一読してください。
http://michi01.com/kantougen.html

上記の文章のポイントは、「役行者すなわち役小角もまた紛れもなく皇統奉公衆の一人であった、いやその棟梁であったと考えられる」という箇所です。そのあたりを追究したところ、天童氏から以下のような言葉を引き出しました。

国体と政体の狭間の存在として捉えると、役行者が何者かがすっきりしたことで書いた論でした。役行者は人間に奉仕したのではなく、神々に対する仕事をしたのだと考えれば、それが すなわち皇統奉公衆の務めだったのだと納得したのでした

恐らく、天童氏のその言葉を耳にした人の反応は大雑把に分けて三タイプに分けられるのではないでしょうか。すなわち、(1)「正に、その通りだ」と心から肯ける人、(2)「……」、漠然と人間を超越した何かが存在することを“朧気ながら感じている”ものの、心から肯けるわけでもなければ、頭から否定するわけでもなく、迷っている人、(3)「神さま? そんなものは存在するわけがない」と、頭から否定する人、という三タイプにです。

B100304 筆者の場合、頭では肯けるレベルであるが、未だに「正に、その通りだ」と心から肯けるまでには至っていない、(2)のレベルにあることが分かります。従って、現時点では頭の中でしか納得しておらず、今後の課題として実際に現地に足を運ぶといった形で、身体で納得する(心から肯くに至る)道を通るしかないと一時は思いました。しかし、数日前に『はじめての修験道』(田中利典・正木晃著 春秋社)を読み進めていくにつれ、天童氏の云う「神々」に既に“出会っていた”ことを思い出したのです。

筆者は二十代のはじめ、人生に行き詰まって自殺を考えていた一時がありました。そんなおり、ニューヨークの日本レストランで一緒に働いていた友人の地元、群馬県沼田市の実家に数日泊めてもらい、その間に友人に尾瀬ヶ原を案内してもらったことがあります。季節は5月連休直前だったと記憶しています。車で大清水に到着した時は未だ辺りが真っ暗闇でした。車から降りて徒歩で尾瀬ヶ原に近づくにつれて、周囲も明るくなり始めたものの、依然としてあたりは濃霧に包まれて何も見えませんでした。やがて、嘘のように霧が晴れると、目の前には雄大な尾瀬ヶ原の大自然が忽然と姿を現したのです。その時、まさに人智を超越した「ある存在」を感じ取りました。爾来、数十年の歳月が経ちましたが、今にして思うに、あの時こそ心の中における役小角との出会いだったのではと、ふと思うのです。このように、「神々」あるいは「人智を超えた存在」を信じる気持ちがあるかどうかで、『真贋大江山系霊媒衆』を真に理解出来るかどうかの分かれ道になるような気がします。

以上を参考に、『真贋大江山系霊媒衆』を読む読まないを判断して欲しいと思います。なお、今回はとても書評の形を取れそうにありません。何故なら、未だ同書を十分に理解したとは言えず、今後さらに掘り下げていかなければならないテーマが、数多く残されたからです。よって、今後追究していきたい主なテーマ毎に、筆者が『真贋大江山系霊媒衆』に線を引いた箇所を、今回は列記するに留めておきたいと思います。

■ 古事記
日本の古事記・日本書紀がなにゆえに後発であるのか、その所以(ゆえん)を解(と)けば史観の基礎(きそ)も透(す)けて見える。(p.180)
剖判の義を究(きわ)めれば、記紀が描く神々の名前は本来は音すなわち波動であるが、同時にその神名を文字で表記するとき、その文字は粒子であって、両者は対発生(ついはっせい)の関係にあることが分かる。この関係を極めれば、大江山系霊媒衆の真贋も透けてくるのである。つまり、大江山系は記紀が描く世界共通の性癖を意味するが、日本の大江山に巣立つ霊媒衆は例証となりえる。(p.180~181)

■ 宗教
B100302日野強の卓説「宗教を知らざれば奇で珍なるも、宗教を知れば奇も賃もあらざりき」の通りで、その忍びが大江山に潜伏するのも共時性を伴う場の歴史ゆえである。(p.105)
神つまり宇宙万般に働くエネルギーはその一つとして人を生み出したが、人は神の信号を託宣と称して、事物の解明に励み場の歴史を整え始める。(p.115)
大江山に根ざす霊媒衆は自ら真贋を自問自答しつつ、史上初の大本教団創設を決したのである。(p.117)
このバイブルは既に大江山霊媒衆が解読しており、大本教団と行き交う浪士ほか、京の都に留まる保守系公家衆の手引きとして、教皇ワンワールド構想を探究する糧ともなる。(p.121)

■ 氏姓鑑識
氏姓鑑識は少なくとも史観の入口(p.125)

■ 役小角
抑も(そもそ)神格は、霊峰富士を東に仰いでこそ備えられた資質であり、皇祖皇宗(こうそこうそう)(スメラミオヤスメラオンハシラ)の遺訓もまた霊峰富士の御来光をアマテラスに見立て、天皇自身の慢心を抑えるよう諭(さと)している。こうした勅諭(ちょくゆ)を知るゆえ、役行者は吉野に根ざしたのであり、霊媒衆もまた神格天皇に仕えるべく大江山に控えたのである。(p.116)

■ 家紋
・  連日行幸の視察に教育環境や産業現場は当然として、最も時間をかけたのは樺太特有の植物観察と記録されている。これぞ神格の神格たる所以であり、万世一系これ歴代の生命メカニズムは、共時性を伴う場の歴史にあり、空と海と陸の滋養(じよう)に生かされる植物を知ることは、その土壌(どじょう)(鉱物)と動物を知ることに通じて、そこに手を加える人の生き方あれば、これ先住アイヌ民族ゆえに、深く敬意を表する意味を含むのだ。(p.166)

■ 皇統奉公衆
奉公の神格モデルは皇紀暦制定前にも存在しており、先住民も渡来人も、その威徳に順い奉公を身に帯び各種の姓((かばね)家業)を設けていた。この姓に巣立つ異能の先達(せんたち)こそ、皇紀元年から世界各地に配置されて、天文気象ほか場の歴史を情報化のうえ、生涯を奉公に尽くし悔い無き人生と自覚する達人(たつじん)である。この先達は男女を問わず、幼年三歳ころから世界の結界(けっかい)領域を修験(しゅげん)の場とし、成年一五歳に達すると、その動向は広域に及んで、一旦緩急(いったんかんきゅう)あれば義勇奉公これ天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)に身を委(ゆだ)ねて惜しまない。以下この先達を「皇統奉公衆」と仮称のうえ、大江山系霊媒衆や在野の浪士と区別、必要のとき書き加えていく。(p.158)

■ 堀川辰吉郎
B100303杉山の邪気を含まない霊媒エネルギーが最大に達したとき、そのエネルギーを受け止めた存在こそ真の大江山霊媒衆であり、それ以降の杉山は辰吉郎二〇歳の求心力を軸として、その遠心力たるフィールドワークは他の耳目(じもく)を惹(ひ)くエネルギーを持つようになる。(p.146)
辰吉郎の入営なければ、あるいは満洲建国なければ、現在の北京政府は成立しようのない痕跡を刻んでいる。(p.160)
辰吉郎は入営当初に清朝再生を視野に捉えており、その意は皇統奉公衆を通じて東京の昭和天皇にも通じている。通説の宮中グループはともかく、天皇が満洲建国に特段の異を顕(あら)わさないのは、清朝再興について、辰吉郎に絶対の信を託していたからだ。(p.172)

最後に、筆者は平均して月に二回栗原茂氏を囲む「舎人学校」という集いに参加しています。舎人学校の内容については、『真贋大江山系霊媒衆』の終章「奉公を貫く舎人たち」(p.198~)を参照してもらうとして、今後も機会があれば氏姓鑑識や古事記といった上記のテーマをキーワードに、舎人学校で知り得たもの、あるいは身につけたものを、支障の無い範囲で公開していきたいと思います。

■ 資料
『歴史の闇を禊祓う』(文明地政学協会刊)
『超克の型示し』(文明地政学協会刊)
『真贋大江山系霊媒衆』(文明地政学協会刊)
以上の入手先:http://michi01.com/kankousyo.html
『伊犂紀行』(日野強著 芙蓉書房)絶版
『日本を動かした大霊脈』(中矢伸一著 徳間書店)絶版

| | コメント (22) | トラックバック (1)

2010年3月 3日 (水)

ツランという絆

ユースタス・マリンズの著した『世界権力構造の秘密』(成甲書房)の訳者である天童竺丸氏は、一方でツラン同盟の事務局長という要職にある方であり、一昨年の春から同氏とお付き合いをするようになってから、筆者は「ツラン」の実体について初めて知りました。

 

最初に、筆者がツランの世界に足を踏み入れたのは、天童氏が編集人を務める機関誌『みち』の発行人であり、国際ジャーナリストでもある藤原源太郎氏に、栗本慎一郎氏の著した『シルクロードの経済人類学』(東京農大出版会)を教えて戴いたことがきっかけでした。詳細は拙ブログに同書の書評を載せていますので参照にしてください。

シルクロードの経済人類学

 

昨夏、ツラン民族研究のためトルコから来日した留学生で、現在は某大学でツランに関する博士論文を執筆中のA君を囲み、藤原氏、天童氏、『月刊日本』の編集長・坪内隆彦氏らが集ったのでした。筆者も末席を汚し、半日に及んだ会合(以降、「ツラン会合」とする)の印象は、「東は日本列島から、天山山脈の北方を走る草原の道を経て、西はフィンランドやハンガリーに至るという、壮大な一つの文明圏(ユーラシア大陸の東の端からカスピ海まで、当時は30日で到着した)」というものでした。半年前に栗本慎一郎氏の『シルクロードの経済人類学』などに目を通していただけに、草原の道と深い関わりのあるツランに非常に興味を覚えたのであり、ハンガリー人、フィンランド人、トルコ人、キルギス人などの中央アジア人、日本人と、ツランという目に見えぬ糸で互いに結ばれているのではという、雄大な気分にさせられた1日でした。

 

■ツランの過去

ツランとは元来は地名だったのであり、中央アジアの大平原を指していました。具体的には西方はウラル山脈、東方はアルタイ山脈で挟まれた大平原のことです。この地域を原郷とする民族がツラン民族であり、言語的にウラル・アルタイ語族で結ばれています。すなわち、中央アジアの大平原の西に移動した民族がフィンランド語、ハンガリー語、トルコ語を話す人たちとなり、東に移動した民族が朝鮮語や日本語を話す人たちになったと云えるでしょう。したがって、ツラン民族でないのが印欧語族のインド人やヨーロッパ人(所謂白人であるアーリア人)、孤立語を話す中国人や苗族などになります。昨夏のツラン会合で出席者の一人が、「漢人(中国に住む人々)は、日本人の兄弟ではなく異民族である」と喝破していたのが今でも耳に残ります。

 

なお、戦前はシュメールが軍部に悪用されたように、ツランも同じ運命を辿りました。戦前のシュメールについての詳細は、5年前に書いた以下の拙ブログを参照ください。なお、その後の筆者の古代史研究が進み、現在ではシュメールが人類文明の曙ではないという地点にまで辿り着きました。では、われわれ人類の原郷は何処か、そのあたりについては1~2年後、拙ブログに記事として取り上げたいと思います。

古代史研究のすすめ

 

なお、戦前のツランについて、ツラン会合の出席者の以下の発言は貴重です。

 

『大興安嶺探検』(今西錦司編集 朝日文庫)という本がある。この本の説明書きに「1942年、自由の天地を求めて若き探検家グループ21名は、憧れの大地へ飛び出して行った―。日本の生態学の第一人者で探検家でもある今西錦司を隊長に、森下正明、吉良竜夫、川喜田二郎、梅棹忠夫、藤田和夫ら、現在、アカデミズムの頂点に立つ諸氏の青春時代の探検記録」(アマゾンドットコムより抜粋)とあるように、戦前に行った調査である点に注目したい。今西らはツランについて熟知していたのであるが、戦後はGHQによって今岡十一郎の著した『ツラン民族圏』が発禁扱いになっていることから分かるように、戦後は公にツランについて研究できなくなった。だから、戦後の今西、梅棹、川北らはツランについて触れていない。

 

■ツランの現在

ツランを巡る現在の状況について知っていただく意味で、ツラン会合の参加者らの発言を一部、以下に取り上げておきましょう。

 

ツラン民族の存在か世の中に知れ渡ることを嫌がっているのは、アングロサクソン、ユダヤ、ロシア、中国などである。したがって、政治的な配慮が働きによって、ツラン民族同士の横のネットワークが貧弱化している。現在においてツランについて取り上げることは、イスラエルなどを刺激してしまうので注意のこと。

日本語に兄弟語はないというのは、果たして本当か。日本語の原郷を分からなくしているのは、裏に政治的な意図があることを忘れるべきではない。ちなみに、同じツラン圏である日本語とトルコ語は語順が一致しており、英語のように動詞が途中に来るのではなく、最後に来る。

 

■ツランの未来

ツランについて取り上げているホームページ、ブログ、書籍は極めて少なく、ましてやツランの将来について、本格的に取り上げた記事や書籍等は、筆者の知る限りありません。

 

ともあれ、一昨年秋のリーマンショックによって世界が大混乱に陥りましたが、それでも我々にはアングロサクソンが築いた土俵で今後も生きていく他はありません。そうした現状を踏まえた上で、では今後はどのように生きていくべきなのか、一人一人の読者と共に考えていきたいと思います。中国あるいはツランという新たな土俵を作ろうにも、独自の土俵を作るだけの余裕も能力も中国にあるとは思えません。気鋭のカラスさん、ではなかった国際ジャーナリストの園田義明氏による以下の発言は正に正鵠を射たものと云えそうです。

英米主導の土俵に文句を言うならそれでよし。 しかし、中国とて英米土俵でうまく踊ろうと必死になっている。

ポール・ケネディ 「国のパワーの源泉は、力強い生産基盤、健全な金融、そしてガバナンスにある」

 

中華土俵が駄目なら、ツラン土俵はどうでしょうか…。このあたりについては、ツラン同盟の事務局長である天童竺丸氏との交流を通じて筆者なりに調査していきたいと思います。ある程度まとまり次第、拙ブログに記事としてアップしたいと思います。

 

■資料

・インターネット編

(1)日本はツラン同盟結成を打ち立てよ

※ この文章を書いたのは藤井厳喜氏ですが、藤井氏は機関誌『みち』の発行人・藤原源太郎氏や編集人・天童竺丸氏との交流があり、このお二人からツランに関する情報を主に仕入れていることは間違いありません。以下も藤井氏の記事。

(2)ツラン同盟論 ~日本人の源流とは?~

(3)ツラニズム再考

※ 「日本はツラン同盟結成を打ち立てよ」の付け焼き刃的な底の浅さを痛烈に突いています。この「貂主の国」と云う北ユーラシアの歴史を取り上げたブログは、目を通す価値があるでしょう。以下の2本の記事も同じブログ主のものです。

 (4)ツラン民族圏

 (5)荒川静香とツラン

 

・書籍編

(1)『ツラン民族圏』(今岡十一郎著 竜吟社)絶版

(2)『ツラン民族運動とは何か』(今岡十一郎著 言海書房)絶版

(3)『アジアの国民国家構造』(久留島浩著 青木書店)

(4)『陰謀と幻想の大アジア』(海野弘著、平凡社)

| | コメント (32) | トラックバック (0)

2010年3月 1日 (月)

『侠-墨子』

B100202_2 先週の2月27日、南米チリを襲った大地震は記憶に生々しいところですが、なかでも筆者が注目したのは現地で相次いで起きた略奪でした。
チリ大地震死者700人超す 震源地近く 略奪で夜間外出禁止

ここで思い出すのは平成7年(1995年)の阪神淡路大震災であり、自衛隊が到着するよりも早く、地域社会に救援の手を差し伸べたのは山口組でした。だからこそ略奪を未然に防ぐことができたのですが、一部の週刊誌を除き、日本の大手マスコミで当時の山口組の活躍を報道した所は皆無だったのです。

本ブログの読者であれば、「ヤクザ=犯罪者」というネガティブ・キャンペーンを張る、権力の言葉を鵜呑みにすることはないと思いますが、それを一歩進めた形で、「日本を救済できる切り札は、義侠としてのヤクザなのである」とすら主張する本を今回ご紹介します。それは行政調査新聞の社主こと、松本州弘氏が著した『侠 墨子』(イプシロン出版企画)で、同書を読むことによりヤクザの源流を遡ると墨子に行き着くことが分かり、ヤクザは暴政や権力に対峙して庶民の側に立つ存在であることを教えてくれます。

ちなみに、「墨」の由来について同書は以下のように説明しています。

墨子が前科者に刻印される「入れ墨」の男であったからだとされている」(『侠 墨子』p.23)

筆者にとって同書の中で最も印象に残ったのは以下のくだりでした。

 こうした墨子の精神、ヤクザ的な感性を最も苦手とする人間が、いわゆる支配者層に位置する官僚や政治家である。

 彼らの判断基準は「義は不義か」ではなく、「損か得か」である。損得勘定ならヤクザにも確かにある。
 しかし、彼らの支配者層の損得勘定とは、単に自分たちの利益についてだけのことであるから、恩義や忠義といった人間の情理を優先させて損得を抜きに身を捨てるような行動をするヤクザの利害意識とはまったく異質なものなのである。
 現在の官僚主義の支配者層は、墨子の時代における儒家思想である。
 彼らは礼(法律)を重んじる顔をしながら、裏では自分たちだけが特権的な利益を享受している。つまり「法治国家」とは「義」を畏れる官僚主義が編み出した「ヤクザ封じ」ヤクザを抹殺する「棄民政策」のスローガンのようなものである。
 現在の日本社会が法治国家だというならば、公約に違反した政治家は罰せられるべきであるし、警察による犯罪事件はその最高責任機関である警視庁や警察庁の長官も処罰されるべきである。
 ヤクザならば、族に倍量刑、三倍量刑とも言われ、一般庶民と同じ犯罪で裁かれるときに通常の判例から妥当とされる刑期の倍から三倍の懲役刑を言い渡される。それならば、法治国家の番人である警察官が犯罪者となれば、十倍量刑でも不足なくらいではないか。
(『侠 墨子』p.28)

これは、藤原(肇)さんの以下の言葉にも繋がるのです。

藤原 私が冒頭で、日本が非近代であると断言した。そこから脱皮するには、政教分離をきちんと行うことです。それではじめて日本は近代国家として国民の幸せのために政治は何をしなければいけないかという出発点に立てる。そして、前の政治が如何に悪かったかと、悪かった人は法治国家である以上は、きちんと裁判で明らかにし、税金を八兆円注いで救った銀行を十億円で外国に叩き売った行為が、犯罪かどうかとはっきりさせることです。
 これが革命におけるイロハで、弾圧しろとかいうことでなく、悪いことをした人たちは悪いことをしたんだという形、いわゆる法を破ったのだという形にしなければ社会正義とか法における正義の問題が抜け落ちてしまう。

(『財界にっぽん』2月号 「『無血革命』後の日本を展望」)

このように、小沢一郎に対するのと同じくらいに、暴政時代の自公民で「悪いことをした」議員たちも、徹底的に追究するべきでしょう。

B100201 最後に、ヤクザの元祖ともいうべき墨子ですが、筆者は中央公論社の世界の名著シリーズ『諸子百家』に収められている『墨子』を読みました。その他に徳間書店や講談社学術文庫の『墨子』もあります。また、小説ですが中島敦文学賞を受賞した『墨攻』(酒見賢一著 新潮文庫)は、漫画家の森秀樹氏が描いた『墨攻』の原作であり、一読をお勧めします。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年5月 »