『真贋大江山系霊媒衆』
『真贋大江山系霊媒衆』(栗原茂著 文明地政学協会刊)という本があります。この本は一般の書店やオンラインでは入手出来ず、直に文明地政学協会という出版元に申し込む形でしか、入手することができない本です。今回は同書の書評を試みますが、最初に以下のサイトに目を通し、同書がどのような本なのか輪郭を掴んでください。
http://2006530.blog69.fc2.com/?q=%A4%DF%A4%C1
上記のサイトのページに目を通して、単に興味深い内容だから1冊購入してみるかといった、軽い気持ちで手に入れようとするのであれば止めた方が良いでしょう。なぜなら、この本は読み手を選ぶと思うからです。よって、以下のような人たちにこそ、本書を推薦いたします。
◎ 自分を生み、育んでくれた日本を思う気持ちがあること
昨夏の民主党の地滑り的な圧勝に見られるように、国民が自民公明党に対して、明確に「ノー」を叩き付けたのは記憶に新しいところです。しかし、期待された民主党もその後の支持率が35%前後に低迷、自民党にしても舛添要一に続き、与謝野馨元も離党の意思を示す有様で、政界の混乱に拍車がかかりそうな塩梅です。
しかし、こうした時代だからこそ真剣に自身、家族、会社、地域、日本、そして世界の動向に目を向けるようになった人たちが増えてきたのかもしれません。よって、今回ご紹介する『真贋大江山系霊媒衆』は、日本の将来を憂ふ人たちにこそ読んで欲しい本です。
◎ 右も左も関係なく、広量な心の持ち主であること
筆者の栗原茂氏は尊皇派です。それも只の尊皇派ではなく、ある意味では皇室のインナーサークルと云えるのです。同書に以下のようなくだりがあります。
かつて筆者は高松宮宣仁(のぶひと)親王殿下に問うを許された。それは青年将校蹶起の五・一五事件に加わる在野の志(ここざし)に関する問いであったが、高松宮は「当時、海軍一部に第二の同様事件を醸(かも)す空気は消えておらず、その目的の禊祓は重大ゆえ…」と思(おぼ)し召(め)され「通常ロンドン条約に係(かか)る問題を第一段といい、社会改造は第二段という考え方が伝わり広まるが、第一段は軍内首脳に向けての不平不信を何とかして一糸(いっし)も乱れぬよう整備する目標を抱えており、第二段は政党の腐敗(ふはい)、財閥(ざいばつ)の横暴(おうぼう)、農村の疲弊(ひへい)、道徳の堕落(だらく)、為政(いせい)の態度、等々の社会問題であり、条約問題は副(ふく)とも思えるが、大部分の純心を汲み取る公が法に適(かな)わぬは、我が身の不徳かな…」と諭(さと)された。
この事件は将兵が軍司法機構で裁判を受けるが、民間人は一般法廷で裁(さば)かれ、刑の軽重に大きな違いを生じた。筆者は高松宮の思し召しを賜る(たまわ)までは、独り国賊(こくぞく)たらんも可なりと己れの死処を模索していたのだ。(p.175)
もし、読者が左翼的思想の持ち主であれば、同書を色メガネで読んでしまう可能性が高く、折角の栗原氏のメッセージも正確に読み取れない恐れがあります。反面、左とも右とも付き合えるという人であれば得るものは大きいはずです。
◎ 自然に畏怖の念を抱いていること
筆者は黒須紀一郎の『役小角』(作品社)を読み、役小角は天皇や貴族といった支配階層とは敵対関係にあったと思い込んでいました。しかし、そのように述べた筆者に対して、栗原氏の原稿を編集している天童竺丸氏の意見は「否」だったのです。何故、天童氏は否と答えたのか。最初に天童氏自身が執筆した以下のページ、「大和へ、そして吉野へ 3(世界戦略情報「みち」平成21年(2009)2月15日第288号)」を一読してください。
http://michi01.com/kantougen.html
上記の文章のポイントは、「役行者すなわち役小角もまた紛れもなく皇統奉公衆の一人であった、いやその棟梁であったと考えられる」という箇所です。そのあたりを追究したところ、天童氏から以下のような言葉を引き出しました。
「国体と政体の狭間の存在として捉えると、役行者が何者かがすっきりしたことで書いた論でした。役行者は人間に奉仕したのではなく、神々に対する仕事をしたのだと考えれば、それが すなわち皇統奉公衆の務めだったのだと納得したのでした」
恐らく、天童氏のその言葉を耳にした人の反応は大雑把に分けて三タイプに分けられるのではないでしょうか。すなわち、(1)「正に、その通りだ」と心から肯ける人、(2)「……」、漠然と人間を超越した何かが存在することを“朧気ながら感じている”ものの、心から肯けるわけでもなければ、頭から否定するわけでもなく、迷っている人、(3)「神さま? そんなものは存在するわけがない」と、頭から否定する人、という三タイプにです。
筆者の場合、頭では肯けるレベルであるが、未だに「正に、その通りだ」と心から肯けるまでには至っていない、(2)のレベルにあることが分かります。従って、現時点では頭の中でしか納得しておらず、今後の課題として実際に現地に足を運ぶといった形で、身体で納得する(心から肯くに至る)道を通るしかないと一時は思いました。しかし、数日前に『はじめての修験道』(田中利典・正木晃著 春秋社)を読み進めていくにつれ、天童氏の云う「神々」に既に“出会っていた”ことを思い出したのです。
筆者は二十代のはじめ、人生に行き詰まって自殺を考えていた一時がありました。そんなおり、ニューヨークの日本レストランで一緒に働いていた友人の地元、群馬県沼田市の実家に数日泊めてもらい、その間に友人に尾瀬ヶ原を案内してもらったことがあります。季節は5月連休直前だったと記憶しています。車で大清水に到着した時は未だ辺りが真っ暗闇でした。車から降りて徒歩で尾瀬ヶ原に近づくにつれて、周囲も明るくなり始めたものの、依然としてあたりは濃霧に包まれて何も見えませんでした。やがて、嘘のように霧が晴れると、目の前には雄大な尾瀬ヶ原の大自然が忽然と姿を現したのです。その時、まさに人智を超越した「ある存在」を感じ取りました。爾来、数十年の歳月が経ちましたが、今にして思うに、あの時こそ心の中における役小角との出会いだったのではと、ふと思うのです。このように、「神々」あるいは「人智を超えた存在」を信じる気持ちがあるかどうかで、『真贋大江山系霊媒衆』を真に理解出来るかどうかの分かれ道になるような気がします。
以上を参考に、『真贋大江山系霊媒衆』を読む読まないを判断して欲しいと思います。なお、今回はとても書評の形を取れそうにありません。何故なら、未だ同書を十分に理解したとは言えず、今後さらに掘り下げていかなければならないテーマが、数多く残されたからです。よって、今後追究していきたい主なテーマ毎に、筆者が『真贋大江山系霊媒衆』に線を引いた箇所を、今回は列記するに留めておきたいと思います。
■ 古事記
・ 日本の古事記・日本書紀がなにゆえに後発であるのか、その所以(ゆえん)を解(と)けば史観の基礎(きそ)も透(す)けて見える。(p.180)
・ 剖判の義を究(きわ)めれば、記紀が描く神々の名前は本来は音すなわち波動であるが、同時にその神名を文字で表記するとき、その文字は粒子であって、両者は対発生(ついはっせい)の関係にあることが分かる。この関係を極めれば、大江山系霊媒衆の真贋も透けてくるのである。つまり、大江山系は記紀が描く世界共通の性癖を意味するが、日本の大江山に巣立つ霊媒衆は例証となりえる。(p.180~181)
■ 宗教
・ 日野強の卓説「宗教を知らざれば奇で珍なるも、宗教を知れば奇も賃もあらざりき」の通りで、その忍びが大江山に潜伏するのも共時性を伴う場の歴史ゆえである。(p.105)
・ 神つまり宇宙万般に働くエネルギーはその一つとして人を生み出したが、人は神の信号を託宣と称して、事物の解明に励み場の歴史を整え始める。(p.115)
・ 大江山に根ざす霊媒衆は自ら真贋を自問自答しつつ、史上初の大本教団創設を決したのである。(p.117)
・ このバイブルは既に大江山霊媒衆が解読しており、大本教団と行き交う浪士ほか、京の都に留まる保守系公家衆の手引きとして、教皇ワンワールド構想を探究する糧ともなる。(p.121)
■ 氏姓鑑識
・ 氏姓鑑識は少なくとも史観の入口(p.125)
■ 役小角
・ 抑も(そもそ)神格は、霊峰富士を東に仰いでこそ備えられた資質であり、皇祖皇宗(こうそこうそう)(スメラミオヤスメラオンハシラ)の遺訓もまた霊峰富士の御来光をアマテラスに見立て、天皇自身の慢心を抑えるよう諭(さと)している。こうした勅諭(ちょくゆ)を知るゆえ、役行者は吉野に根ざしたのであり、霊媒衆もまた神格天皇に仕えるべく大江山に控えたのである。(p.116)
■ 家紋
・ 連日行幸の視察に教育環境や産業現場は当然として、最も時間をかけたのは樺太特有の植物観察と記録されている。これぞ神格の神格たる所以であり、万世一系これ歴代の生命メカニズムは、共時性を伴う場の歴史にあり、空と海と陸の滋養(じよう)に生かされる植物を知ることは、その土壌(どじょう)(鉱物)と動物を知ることに通じて、そこに手を加える人の生き方あれば、これ先住アイヌ民族ゆえに、深く敬意を表する意味を含むのだ。(p.166)
■ 皇統奉公衆
・ 奉公の神格モデルは皇紀暦制定前にも存在しており、先住民も渡来人も、その威徳に順い奉公を身に帯び各種の姓((かばね)家業)を設けていた。この姓に巣立つ異能の先達(せんたち)こそ、皇紀元年から世界各地に配置されて、天文気象ほか場の歴史を情報化のうえ、生涯を奉公に尽くし悔い無き人生と自覚する達人(たつじん)である。この先達は男女を問わず、幼年三歳ころから世界の結界(けっかい)領域を修験(しゅげん)の場とし、成年一五歳に達すると、その動向は広域に及んで、一旦緩急(いったんかんきゅう)あれば義勇奉公これ天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)に身を委(ゆだ)ねて惜しまない。以下この先達を「皇統奉公衆」と仮称のうえ、大江山系霊媒衆や在野の浪士と区別、必要のとき書き加えていく。(p.158)
■ 堀川辰吉郎
・ 杉山の邪気を含まない霊媒エネルギーが最大に達したとき、そのエネルギーを受け止めた存在こそ真の大江山霊媒衆であり、それ以降の杉山は辰吉郎二〇歳の求心力を軸として、その遠心力たるフィールドワークは他の耳目(じもく)を惹(ひ)くエネルギーを持つようになる。(p.146)
・ 辰吉郎の入営なければ、あるいは満洲建国なければ、現在の北京政府は成立しようのない痕跡を刻んでいる。(p.160)
・ 辰吉郎は入営当初に清朝再生を視野に捉えており、その意は皇統奉公衆を通じて東京の昭和天皇にも通じている。通説の宮中グループはともかく、天皇が満洲建国に特段の異を顕(あら)わさないのは、清朝再興について、辰吉郎に絶対の信を託していたからだ。(p.172)
最後に、筆者は平均して月に二回栗原茂氏を囲む「舎人学校」という集いに参加しています。舎人学校の内容については、『真贋大江山系霊媒衆』の終章「奉公を貫く舎人たち」(p.198~)を参照してもらうとして、今後も機会があれば氏姓鑑識や古事記といった上記のテーマをキーワードに、舎人学校で知り得たもの、あるいは身につけたものを、支障の無い範囲で公開していきたいと思います。
■ 資料
『歴史の闇を禊祓う』(文明地政学協会刊)
『超克の型示し』(文明地政学協会刊)
『真贋大江山系霊媒衆』(文明地政学協会刊)
以上の入手先:http://michi01.com/kankousyo.html
『伊犂紀行』(日野強著 芙蓉書房)絶版
『日本を動かした大霊脈』(中矢伸一著 徳間書店)絶版
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