『侠-墨子』
先週の2月27日、南米チリを襲った大地震は記憶に生々しいところですが、なかでも筆者が注目したのは現地で相次いで起きた略奪でした。
チリ大地震死者700人超す 震源地近く 略奪で夜間外出禁止
ここで思い出すのは平成7年(1995年)の阪神淡路大震災であり、自衛隊が到着するよりも早く、地域社会に救援の手を差し伸べたのは山口組でした。だからこそ略奪を未然に防ぐことができたのですが、一部の週刊誌を除き、日本の大手マスコミで当時の山口組の活躍を報道した所は皆無だったのです。
本ブログの読者であれば、「ヤクザ=犯罪者」というネガティブ・キャンペーンを張る、権力の言葉を鵜呑みにすることはないと思いますが、それを一歩進めた形で、「日本を救済できる切り札は、義侠としてのヤクザなのである」とすら主張する本を今回ご紹介します。それは行政調査新聞の社主こと、松本州弘氏が著した『侠 墨子』(イプシロン出版企画)で、同書を読むことによりヤクザの源流を遡ると墨子に行き着くことが分かり、ヤクザは暴政や権力に対峙して庶民の側に立つ存在であることを教えてくれます。
ちなみに、「墨」の由来について同書は以下のように説明しています。
「墨子が前科者に刻印される「入れ墨」の男であったからだとされている」(『侠 墨子』p.23)
筆者にとって同書の中で最も印象に残ったのは以下のくだりでした。
こうした墨子の精神、ヤクザ的な感性を最も苦手とする人間が、いわゆる支配者層に位置する官僚や政治家である。
彼らの判断基準は「義は不義か」ではなく、「損か得か」である。損得勘定ならヤクザにも確かにある。
しかし、彼らの支配者層の損得勘定とは、単に自分たちの利益についてだけのことであるから、恩義や忠義といった人間の情理を優先させて損得を抜きに身を捨てるような行動をするヤクザの利害意識とはまったく異質なものなのである。
現在の官僚主義の支配者層は、墨子の時代における儒家思想である。
彼らは礼(法律)を重んじる顔をしながら、裏では自分たちだけが特権的な利益を享受している。つまり「法治国家」とは「義」を畏れる官僚主義が編み出した「ヤクザ封じ」ヤクザを抹殺する「棄民政策」のスローガンのようなものである。
現在の日本社会が法治国家だというならば、公約に違反した政治家は罰せられるべきであるし、警察による犯罪事件はその最高責任機関である警視庁や警察庁の長官も処罰されるべきである。
ヤクザならば、族に倍量刑、三倍量刑とも言われ、一般庶民と同じ犯罪で裁かれるときに通常の判例から妥当とされる刑期の倍から三倍の懲役刑を言い渡される。それならば、法治国家の番人である警察官が犯罪者となれば、十倍量刑でも不足なくらいではないか。(『侠 墨子』p.28)
これは、藤原(肇)さんの以下の言葉にも繋がるのです。
藤原 私が冒頭で、日本が非近代であると断言した。そこから脱皮するには、政教分離をきちんと行うことです。それではじめて日本は近代国家として国民の幸せのために政治は何をしなければいけないかという出発点に立てる。そして、前の政治が如何に悪かったかと、悪かった人は法治国家である以上は、きちんと裁判で明らかにし、税金を八兆円注いで救った銀行を十億円で外国に叩き売った行為が、犯罪かどうかとはっきりさせることです。
これが革命におけるイロハで、弾圧しろとかいうことでなく、悪いことをした人たちは悪いことをしたんだという形、いわゆる法を破ったのだという形にしなければ社会正義とか法における正義の問題が抜け落ちてしまう。
(『財界にっぽん』2月号 「『無血革命』後の日本を展望」)
このように、小沢一郎に対するのと同じくらいに、暴政時代の自公民で「悪いことをした」議員たちも、徹底的に追究するべきでしょう。
最後に、ヤクザの元祖ともいうべき墨子ですが、筆者は中央公論社の世界の名著シリーズ『諸子百家』に収められている『墨子』を読みました。その他に徳間書店や講談社学術文庫の『墨子』もあります。また、小説ですが中島敦文学賞を受賞した『墨攻』(酒見賢一著 新潮文庫)は、漫画家の森秀樹氏が描いた『墨攻』の原作であり、一読をお勧めします。
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コメント
そーみなさん、拙ブログ訪問有り難うございました。
『侠-墨子』の著者である松本州弘氏と付き合いの深い某組織の関係者から、時折松本氏の話をします。そして、今回初めて松本氏の著作を読み、改めて同氏は「義」の人であると確信した次第です(義については同書参照)。「義」を現代風の言葉で云えば、「世直し」ということになるでしょうか…。
小生は故小田実の『何でも見てやろう』に刺激を受けて日本を脱藩、三年間世界を放浪し、帰国後は藤原肇氏の『日本脱藩のすすめ』と出会い、藤原流の「世直し」の方法を独学してきました(その後、1998年に藤原思想に惹かれた人たちが集う脱藩道場を立ち上げ)。そして、愚生の「世直し」は今でも続いており、そうした観点で十代の頃から読書をしてきました。『墨子』も実践を非常に重んじていますね。そのあたりは『侠-墨子』でも強調している点でした。
すっかり、今東光の毒に染まりましたね(笑)。実は、愚息もその口のようで、小生が所有している大量の和尚の本を夢中で読んでいるようです。
五木寛之の『風の王国』は良い小説ですね。役小角が修行をしたという葛城山周辺が、やはり『風の王国』の舞台になっています。サンカと役小角は深い関係があるのですが、いずれこのあたりは記事にしてアップしたいと思います。
投稿: サムライ | 2010年3月 3日 (水) 午前 05時34分
サムライ様にはいつも興味深い書籍を示唆して頂きありがとうございます。う~ん!今度は市民図書館で風の王国を三冊借りるつもりでしたが、この墨攻も追加します。漫画の方は最後まで読んだか曖昧な記憶です。因みに松本州弘氏の『侠 墨子』は図書館にありませんでした。今和尚の毒舌日本史はもう一度メモしながら読みたくて仕方がないんですが、図書館側で保管先不明で借りられずに先送りになっています。速読ができればもっと本を読めるのでしょうが。でも速読で叙述を楽しめるかは疑問ですね。最初速読・二回目熟読が理想なのかな?
投稿: そーみなー | 2010年3月 2日 (火) 午後 09時00分
匿名希望さんが何を以て「善政」と定義するのかは分かりませんが、今回の小沢一郎の不起訴は、第一ラウンドで小沢が勝ったに過ぎず、近いうちに始まると思われる第二ラウンドでは、ひょっとすると小沢vs.検察の共倒れになるかもしれせんよ。
ともあれ、政治家としての小沢一郎は田中角栄の秘蔵っ子と云っても過言ではなく、その人物像は平野貞夫氏の一連の小沢関連の著作を参照すると同時に、『闇将軍』(松田賢弥 講談社+α文庫)や『日本が本当に危ない』(藤原肇 エール出版社)も読んで、バランスを取ることが必要。
むろんの、経世会だけでなく清和会などの妖しい連中も叩くべきです。このあたりは、山崎行太郎氏のブログが面白い。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/
『毒蛇山荘日記』
投稿: サムライ | 2010年3月 2日 (火) 午前 04時50分
>このように、小沢一郎に対するのと同じくらいに、暴政時代の自公民で「悪いことをした」議員たちも、徹底的に追究するべきでしょう。
などとおっしゃいますが、自民党の旧田中派や旧竹下派(経世会)が政治の中枢にあった頃の治世は果たして善政だったのでしょうか。その渦中の小沢一郎こそ「自民党による悪政時代」の象徴的人物であると思われるのですが、その小沢一郎がまるで自民党と無関係の人物であるかのような言い回しには甚だ違和感があります。また「小沢一郎は不起訴」というグレー判定で終結してしまった程度の追及を「徹底的に追求」と呼ぶことにも大きな疑問があります。その自公政権で“「悪いことをした」議員たち”も小沢一郎同様に疑惑を捜査するものの結局グレー判定の「不起訴」で終結してしまってよいのでしょうか?
投稿: 匿名希望 | 2010年3月 2日 (火) 午前 02時53分