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2010年1月 2日 (土)

『天皇霊性の時代』

昨年末、知人のブロガーであるふるいちまゆみさんが、「鳩山総理からのメッセージ」と題する心温まるビデオを紹介していました。

Hatoyama01

http://www.youtube.com/watch?v=gprYFxPjTEc

 

B100102 今までの自民党の首相とは違う“何か”を、鳩山総理の言動から敏感に嗅ぎ取っていることが、彼女のブログの端端から読み取れるのであり、流石は『青い音』を著した著者だけのことはあると思った次第です。まゆみさん以外にも、日本の地下水脈である「霊性」について熟知している者であれば、今までの鳩山総理の言動は自然なものと映るはずなのです。ここで、元参議院員である平野貞夫氏が執筆した、『月刊日本』1月号の「敢えて民主党を叱る」と題する記事を一部抜粋してみましょう。なお、「霊性」について詳細に説明するとなると骨ですので省きますが、関心のある読者は『天皇霊性の時代』(竹本忠雄著 海竜社)を直接紐解いてください。

 

 今回の政権交代とは、皇紀2669年の歴史の中で、鎌倉幕府の成立、明治維新に比すべき大きな変化なのだ。それは、「わが国史上初めて、民衆の手によって国家政治権力が作られた」ということだ。律令制の大和朝廷から藤原摂関政治による貴族政治、鎌倉幕府の成立による武士の政治、明治維新による中央集権的官僚政治、そしてそれに連なる変化として、今回の連立政権成立があるのだ。

『月刊日本』1月号 p.21

 

筆者が注目したのは、平野氏が「皇紀」を使用したこと、今回の出来事を単なる政権交代ではないと平野氏が観ていることの二点でした。筆者の場合、この平野発言を目にしたからこそ、『天皇霊性の時代』について簡単な書評を試みてみようと思い立ったのでした。

 

霊性の時代へ

最初に、平野氏は今回の政権交代を「鎌倉幕府の成立、明治維新に比すべき大きな変化」であると、歴史という目に見える形で時代を大区分しています。ところが、平野氏のように歴史上の大区分以外に、霊性という目に見えぬ形で時代を大区分するという、もう一つのやり方があります。この霊性による大区分の仕方は、フランスの最高の頭脳の一つであったアンドレ・マルローをはじめとする、近代ヨーロッパの最高頭脳の多くが支持している大区分の仕方なのです。

 

西洋では、二〇世紀末から二一世紀初めにかけてこの文明の交代劇が起こるであろうと、久しい以前からさまざまに予告されてきていました。神を絶対者として崇めた往古の「父の時代」から、男性性の原理を中心としたイエスこと「息子の時代」へ、そして女性性が重んじられる「霊性の時代」へと移行が行われるであろうというのです。そして実際に、西洋は大変化を遂げました。

『天皇霊性の時代』p.12

 

 多くのブログや掲示板で、「何か大きな変化が訪れるような気がする」という記事や投稿を目にします。彼らの直感は正しいのであり、正に世界は霊性の復興へと向かっています。これだけの大きな変化を遂げようとしている時代に生まれ合わせて、私たちは幸せ者と云えるのではないでしょうか。

 

教育勅語

筆者は「まほろば会」という神道系の会合に時々出席していますが、ここでは毎回誰かしらが教育勅語を奉読させられます。筆者の場合、初めて会合に出席した時、いきなり振り仮名を振っていない教育勅語を読まされたのであり、正確に読めない漢字も多く大恥をかいたものでした。GHQによる戦後の教育を受けてきた筆者は、戦後の似非教育を受けてきた世代の人間であり、西洋の毒を盛られた一人でした。爾来、解毒を試みてきた甲斐もあって漸く毒も薄まってきたようで、徐々に太古の日本に関心が向いていくようになりました。そして、今回『天皇霊性の時代』に目を通し、西洋では教育勅語が極めて高い評価を得ていることを知り、目から鱗が落ちる思いをしています。少々長くなりますが、『天皇霊性の時代』で教育勅語について言及している個所を、以下に抜粋しておきましょう。

 

 フランスにルネ・セルヴォワーズ大使という方がおられますが、『日本…その理解の鍵』という著書のなかで『教育勅語』を絶賛し、他の二つの世界的に有名な国家宣言と比較して、そのどれよりも優れていると書いています。一つは、一七世紀、一八世紀に在位六十余年におよんだ清の康煕帝の詔勅です。康煕帝といえば、中国歴代君主中、随一の名君と讃えられ、かつ文武両道に優れ、勅令によってかの歴史的な『康煕字典』を編纂せしめたほどの方ですが、これほどの大皇帝の発布したものでありながら「康煕帝の詔勅のほうは、具体的でプラクティカルなだけだが、これに較べて『教育勅語』のほうは遙かに偉大な道徳的高みを持つものである」とセルヴォワーズ氏は、はっきり、軍配を日本に挙げているのです。そしてもう一つ、一七八九年にフランス革命政府の発した『人権・市民権宣言』と較べて、こう述べているのです。

 

 両者の比較は、雄弁にこのことを物語っている。

 『人権・市民権宣言』のほうは個人の権利をいろいろと認めているが、社会に対する個人の義務については事実上これを没却している。一方、『教育勅語』のほうは、共同体の構成メンバーの相互的責務についてこれを強調している。天皇は、共同体の要をなし、天上の秩序を代表しておられるのである。

 (明治天皇の)数々の詔勅のなかで、まことに『教育勅語』は鍵となる重要性を持ったテキストである。それは、天皇の臣下に対する直接的コミュニケーションとして呈され、日本人たる以上、十五の義務あることを喚起する。が、ただに臣民の知性と理性に訴えるのみならず、尊敬される一家の家長、父が語るごとくに語るのである。この意味でこの勅語は心理学的傑作と称すべきものである。

『天皇霊性の時代』p.216-217

 

 すなわち、教育勅語の「朕 爾臣民ト倶ニ 挙挙服膺シテ 咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ(私も、あなたがた臣民とともに謹んでその純一の徳を実践することを冀っております)」というくだり、私たち日本人にとっては何てことないくだりに見えますが、西洋の目からみると帝王の勅語としては大変なものであり、これを知った西洋人は誰もが驚愕するそうです。

 

神話

さて、霊性を知った上で、では自分はどのように行動べきかを考えねばなりませんが、そうした行動にあたっての指針を得るには神話を知らねばならず、殊に古事記を徹底的にやる必要があります。その意味で、筆者は昨夏から古事記という神話を誦習することにしたのでした。神話と云えば、柳田国男は以下のようにもらしたそうです。

 

 民俗学の大家、柳田国男翁は、最晩年に、こう痛恨の一言を発したと伝えられています。

 「しまった。昔話や方言などに熱を上げるんじゃなかった! 神話を研究すべきだった。なぜなら、神話は、神話などというものではないからだ。日本人とは何かを知るために自ら開いた民俗学の目標は、究極には日本の神々の研究によって果たされるべきだった。だが、もう時間がない…」

 神話は神話などというものではない… 

 では何か、といえば、それは霊性の大河である、と筆者は言いたいように思います。

 その大河には、さらに、水源がある。そこに遡って、流れと身をなして下るべし……と。

 柳田翁の後悔を私どもも引きずってはなりますまい。

『天皇霊性の時代』p.124

 

本稿で幾度か登場した「霊性」、実は神話こそ霊性という名の大河の水源なのであり、その水源である神武天皇の令(みことのり)を改めて噛み締めるべきかと思います。

「苟くも民に利有らば、何ぞ聖の造に妨はむ」(日本書紀巻第三)

(いやしくもたみにかがあらば、いずくんぞひじりのわざにたがはむ)

 

意味するところは、「自分の実践することが少しでも民衆の利益になるならば、どうしてそれが自ずから、聖の行いと合致しないはずがあろうか」というものであり、日本建国にあたり神武天皇が明確に打ち出した民利優先思想なのです。この逆を行ってきたのが嘗ての自民公明政権でした。そして、改めて冒頭の鳩山総理のビデオをもう一度見つめてください。ビデオに映る鳩山総理の言葉には、神武天皇の令が色濃く反映されていると云えないでしょうか。

 

とまれ、ヨーロッパの知識人は、「霊性」という新しい海洋を見つけ、大型船の建造を終えて間もなく大航海に出航しようとしています。そして、岸壁に取り残されるのは、折角日本という霊性に囲まれている環境にありながら、その存在にすら気づかず、置いてきぼりをくらいそうな「進歩的文化人」と呼ばれる日本人たちのようです…。

 

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