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2009年9月

2009年9月27日 (日)

『古事記』序

このたび、新たに古事記シリーズを立ち上げることにしました。最初に、筆者と古事記との関わりを簡単に述べておきます。

古事記を初めて手にした、高校時代のほろ苦い想い出…
B090900_2 筆者は高校三年生の時、二週間ほど九州一周の旅を体験しています。高千穂も訪問地の一つに入れていたので、九州に発つまでに『古事記』に目を通しておこうと、購入したまでは良かったのですが、如何せん内容が当時の自分には余りにも難解だったこともあり、結局20~30ページほど読んだだけでギブアップ…。その後は、古事記とは縁のない生活を長年にわたって送っていました。また、古事記とは単に権力者が都合の良いように書いた、「偽書」に過ぎないと、当時の筆者は信じていたのです。

サラリーマン生活から足を洗うと、古事記の方から筆者に近づいてきた…
筆者は1998年に一部上場の電子部品メーカーを辞め、フリーランス(翻訳)になりました。もし、あの時に会社を辞めていなかったら、今でも古事記は偽書であるという固定概念に縛られたままだったかもしれません。しかし、正社員という安定した地位を投げ捨て、フリーランス(翻訳)という道を選択したことにより、サラリーマン時代には考えられなかった世界の人たちとの多くの出会いを、矢継ぎ早に体験したのでした。そうした中、5年後の2003年に大きな転機が訪れます。その日は忘れもしない2003年(平成15年)3月15日(土)、東京都内にある栗原茂氏の自宅を初めて訪問した時でした。初めての出会いであるのにも拘わらず、栗原氏は親切にも2時間にわたって色々と語り聞かせてくれたのであり、その時の話は今でも鮮明に覚えているほど印象深いものでした。なかでも古事記の話は強烈でした。

B090901 爾来、「古事記」について筆者なりに色々と調べてみました。中でもユニークな古事記の解釈本だと思ったのは、山田久延彦氏が著した『真説 古事記』四部シリーズです。技術屋である自分にとって、同じく技術屋である山田氏の古事記に関する諸説は、奇想天外な説ではあるものの、非常に面白い内容のものが多かったのでした。たとえば、銅鐸は古代のコンピュータである、といった山田氏の主張などです。ともあれ、いつの日か自分なりに山田説を咀嚼して、自分のアイデアも加味して、ブログにでも発表したいと思っていたほどです。

B090902 しかし、後になってさらに凄い本に出合います。それは、『百人一首の魔方陣』(徳間書店)を著した太田明氏の『日本古代遺跡の謎と驚異』(日本文芸社)と、『古代超文明の謎と驚異』(日本文芸社)でした。詳しくは同書を紐解いていただくとして、同書の凄い点は、日本の古墳、エジプトのピラミッド、英国のストーンヘンジを、地球幾何学の観点で結びつけることが出来るという実証をした古書こそが、記紀、万葉集、風土記に他ならないと喝破したところにあります。『日本古代遺跡の謎と驚異』の裏表紙を見ると、以下のような下りが目に飛び込んできますが、読者の皆さんはどう思われるでしょうか。

人類の歴史は太古に仕組まれた、ある計画に沿っていた!

B090903  もしもある日突然に、「人類の歴史は、太古に仕組まれた、ある計画に沿ってつくられてきた」との結論を得たら、あなたはどう反応するだろうか? 現実から遊離した、まるで空想の世界を漂うような感覚を覚えるのではないだろうか。私自身、自分の研究がよもやそのような世界の扉を開くことになろうとは、夢にも思わなかった。しかし、この十数年間の研究を通じて積み上げられてきた成果によると、そう結論せざるを得ないのである。「われわれの歴史の進路を方向づけようとした意思が古代に働いていたこと、そして、その意思に沿って人類が活動してきた」ことを、まさに私の研究は論理的に証明しているのだ。 

 本書は一般向けに書いたものであるから、わずらわしい数学的部分はできるだけはぶき、結論の重要な部分のみを記述し、それらの根底に潜む、太古の人間の構想を浮かび上がらせることを主眼とした。とくに地球規模で広がる彼らの事業の、その意味を解く鍵となる日本の遺跡の解明に力点を置いた。

このように、ますます古事記の世界にのめり込んでいった筆者は、最近になって上述の栗原氏が古事記の勉強会を来春から始めるということを知り、現在は準備段階として行っている月2回の古事記(ふることふみ)の誦習会に参加することにしたのです。そうした中で知り得た、従来にない古事記の世界を少しずつ本ブログにアップしていきたいと思います。たとえば、アラスカ州ガコナのハープの研究者が、現在『古事記』を解読しようと血眼になっているといった話です。古事記には現在、さらには未来の技術も織り込まれているというのが栗原氏の主張であり、筆者も最初は半信半疑でしたが、すでに山田久延彦氏や太田明氏の書籍に目を通してきたこともあって、かなり免疫が出来ていたのでしょう、今では素直に栗原氏の話に耳を傾けることができるようになりました。

なお、古事記シリーズを始めたものの、何分にも翻訳業という時間を取られる生業をしていることから、筆の進め方としては古事記という主テーマを中心に、エッセイ風に自由に書き連ねていく形をとりたいと思います。気まぐれな性格のため、次回の投稿はいつの日になるやら…(苦笑)

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2009年9月 4日 (金)

翻訳者として生き残りをかける

昨年の9月16日にリーマンブラザースが倒産してから、早くも1年が経とうとしています。あの当時の筆者の予測として、1年後の今頃はアメリカが国家破産して、本当の世界大恐慌に至ると予測していました。幸い、未だアメリカの国家破産には至っていないものの、先々週にお会いした某国際政治ジャーナリストが、「来週(8月24日の週)にもアメリカの銀行業務が停止に追い込まれる恐れがある」と語っていました。結果として、先々週の銀行業務の停止はありませんでしたが、依然として世界経済は緊迫した状況下にあることに変わりはありません。よって、日本への食糧輸入がストップしたなどといった最悪のケースも考えて、一家で食べていけるだけの畑を家の庭か近所の空き地に確保したり、それだけの畑がない都会の人たちは実家のある田舎に戻ったり、田舎に移住することを検討すると良いかもしれません。

ともあれ、昨年のリーマンブラザース倒産以来、日本人の翻訳者が集う掲示板などでは、仕事量が過去にないほど落ち込んだとか、翻訳会社から翻訳料金の値下げを要求されたとかで、伝わってくるのは暗いニュースばかりです。筆者の場合も、日本語版の『Forbes』の記事翻訳を数名の翻訳者グループで請け負っていましたが、今月の25日に発行される十一月号を最後に休刊となり、日本語版『Forbes』は最早ありません。これで、現在お付き合いのある日本国内の翻訳会社は2社のみとなりました。この2社の場合、レートは良いのですが仕事量は多くはなく、せいぜい2社合わせて小遣い銭ていどの稼ぎにしかなりません。

それでも、筆者の場合、昨年のリーマンブラザース倒産から1ヶ月間ほどは仕事が激減したものの、その後は前年並み戻り、現在では猫の手も借りたいほど忙しい毎日を過ごしています。これは何も筆者が翻訳力に優れているとか、誰にも出来ない特殊分野の翻訳を承っているといった理由ではなく、次のことを実践しただけにすぎません。すなわち、(1)日本だけではなく、世界中の翻訳会社のトライアルを受け採用されたこと、(2)Trados(トラドス)を入手して一応使えるレベルに達したこと、(3)世界最大の翻訳者の組織であるProZ.comに登録したことの3つです。

そのおかげで、現在はどうにか一家を養っていけるだけの稼ぎを出していますが、近い将来において世界大恐慌が襲来したら、食糧を確保するといったことなどが先決問題となり、、とても仕事どころではなくなるでしょう。

ともあれ、リーマンブラザース倒産に象徴される旧資本主義の崩壊前も後も、現代人の生殺与奪の権を握っているのは依然としてアングロサクソンの支配層なのですが、このあたりは別の機会に述べたいと思います。

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