「フルベッキ写真」の汚名の変遷
慶應義塾大学准教授 高橋信一
明治元年10月、岩倉具視の息子具定・具経兄弟が長崎の佐賀藩藩校致遠館に国内留学した際、フルベッキや致遠館関係者と撮影された集合写真、「フルベッキ写真」は明治28年7月号雑誌「太陽」で戸川残花「フルベッキ博士とヘボン先生」の中で初めて一般に紹介された。文中に「フルベッキが佐賀藩の学生と共に撮影した写真」と記されており、素性は明らかである。その後の偽説に利用された軌跡を辿ってみることにする。 先ず、明治33年米国で出版されたW.E.Guriffisの「Verbeck of Japan」では写真は掲載されていず、説明のみ書かれている。それには岩倉兄弟の他大隈重信と柳屋謙太郎が写るとしているが、後者二人については疑問がある。グリフィスが米国で指導した日下部太郎や横井兄弟の言及はない。私が先に説明したように、大隈はこの本を読んでいた。次に、明治40年大隈重信が編纂した「開国五十年史」や大正3年江藤新平の伝記「江藤南白」に掲載された。それ以前の存在については後で記す。写っている人物として、岩倉具定、石橋重朝、丹羽龍之介、中島永元、江副廉蔵、中野健明、香月経五郎、山中一郎、大庭権之助が挙げられており、江藤新平や大隈重信はいない。居もしない他の人物を当て嵌める以前に、先ず、これらの人物を同定する必要がある。昭和6年に出版された「明治百話」には晩年(明治31年死去)のフルベッキが篠田鉱造のインタビューに答えて、この致遠館の「フルベッキ写真」と長崎奉行所の学校済美館の後継広運館の関係者と写した集合写真を示しながら、上野彦馬が撮影したことなど、当時を気さくに語っている。秘密の写真ではなかった。戦後、昭和32年に石黒敬七の「写された幕末」で、明治22年に暗殺された森有礼が残したアルバム中の名刺判が「長崎海軍練習所の蘭人教師とその娘をかこむ44人の各藩生徒」と紹介された。この写真は平成18年に出版された石黒敬章「明治の若き群像 森有礼旧蔵アルバム」にも載っている。明治の中ごろまでに、この写真の名刺判の複製が一般に流布していた証拠である。ここまでは、「フルベッキ写真」は特別な意味合いのあるものではなかったのである。 これに根拠もない汚名を着せたのは、自称肖像画家の島田隆資である。昭和47年5月10日の読売新聞に「オイどんの写真じゃと・・・」と題して「フルベッキ写真に西郷隆盛が写っている」と発表した。さらに、昭和49年と51年の二度に渡り、雑誌「日本歴史」に論文を発表し、撮影時期と20数名の人物の比定を行った。しかし、その人物比定の方法や撮影時期の推定に甚だ疑問があるにも関わらず、この論文の評価は未だ全くなされていない。そのことによって、いろいろな憶測が次々に加わっていった。島田氏はその後31人まで江副廉蔵が手に入れて家に残した名刺判からの複製である「フルベッキ写真」のコピーに名前を書き込んだ。それがいろいろな方面に流布し、波紋を広げた。尚、この論文と前後して昭和50年に出版された「写真の開祖 上野彦馬」の中で、上野一郎が上野彦馬の写場の変遷を多数の写真から推定し、「フルベッキ写真」を撮影した写場が明治以降のものであることを立証した。これを覆す証拠は未だ見つかっていない。上野氏は平成9年安田克廣編「幕末維新 写真が語る」の中でも繰り返し、慶応年間説を否定している。以降、昭和49年の「勝海舟」始め小沢健志氏の各種の著作には「フルベッキ写真」は「長崎の致遠館生徒らの集合写真」として取り上げられて来た。そのような写真界の常識に反抗するように偽説は燻り続けるのである。 昭和55年に秋田角館の青柳家から、この島田氏の書き込みが入った写真が発見され、昭和55年8月19日の佐賀新聞に当時の佐賀大学教授(現佐賀城本丸歴史館長)杉谷昭氏が記事を寄せ、島田論文を既に擁護している。この角館のものと同様のものが、昭和60年5月28日、当時の自民党二階堂進副総裁から国会に持ち込まれて話題になり、東京新聞が特集記事を掲載し、島田氏の論拠は否定された。にも拘らず、平成7年12月号(高橋佐知)及び平成11年7月号(中津文彦)の「歴史読本」に見られるように、西郷隆盛と関連付けて、上野氏の論考を無視した偽説の展開が続いて来た。それに対して正当な歴史家の研究として、平成15年「日本のフルベッキ」を翻訳出版した村瀬寿代氏は、翻訳の過程で知った「フルベッキ写真」の問題を歴史学的に解明し、平成12年「桃山学院大学キリスト教論集第36号」で明治元年撮影を結論付けている。この内容を基礎にした論証は「日本のフルベッキ」の注釈に載っており、私の調査のベースになっている。また、平成15年8月に大阪市立大学名誉教授毛利敏彦氏が佐賀で講演し、慶應元年説を否定した。ここで、問題を複雑にしている明治天皇との関連を見ておきたいが、明治天皇(大室寅之祐)が写っているという話は、この時点まではどこからも出ていなかったのである。 大室寅之祐の子孫を自称する大室近祐が明治天皇すり替え説を唱えていたことは、その支持者である歴史家の鹿島昇の著作「日本王朝興亡史(平成元年)」や「裏切られた三人の天皇(平成9年)」で知られていた。しかし、これらの著作には「フルベッキ写真」への言及はまったくなかった。平成13年4月24日に鹿島氏が亡くなった後、共同研究者の松重揚江氏が「日本史のタブーに挑んだ男(平成15年)」の中で、始めて「フルベッキ写真に明治天皇(大室寅之祐)が写っている」と唱えた。一方、国際ジャーナリスト中丸薫氏は「真実のともし火を消してはならない(平成14年)」の中で、自分が明治天皇の子孫であるとの主張とともに、「平成13年4月14日に大阪でフルベッキの孫の知り合いの人物から額に入った「フルベッキ写真」をもらった」と言っている。「フルベッキ写真」には全員の名前が入っており、明治天皇が写っていると主張している。明治天皇説が捏造されたのは、平成13年ごろである可能性がある。誰が始めて全員の名前を入れたか未だに不明であり、偽説によって登場人物に多少の変動が見られる。 また、こうした偽説の流布が発展する契機になったものとして、平成9年岩波書店が発行した「日本の写真家シリーズ1」の「上野彦馬と幕末の写真家たち」に、これまでで最も高精細で完全なオリジナルに近い「フルベッキ写真」が掲載されたことが挙げられる。これは近年になってからパリで競売に掛ったものが日本に持ち込まれ、産業能率大学の購入所蔵となったものである。台紙にフランス語のキャプションが入っているが、業者が入れたもので、意味はない。以降、インターネットや土産物屋、各種出版物で見られるほとんどの「フルベッキ写真」はこれから無断・同意で盗用・引用されたものと考えられる。ちなみに私がブログで使用しているのは、このブログ上に野田氏が掲載しているもので、「上野彦馬と幕末の写真家たち」からスキャンした画像である。中丸氏が手に入れたものも、これに類するものだろう。しかし、中丸氏からの反論はない。 陶板額の流布はおそらく、平成13年ごろに佐賀の陶業者金龍窯が最初に発売した。前掲昭和55年の佐賀新聞の記事に触発されたそうで、島田氏の論文のコピーを付けていたが、名前は入っていなかった。佐賀を中心に山口、高知、京都などの行楽地の土産物屋の店先に並び、インターネットでオークションにもかかった。全員の名前を入れたものは同じく彩生陶器によって平成16年ごろに売り出され、この年の暮れから翌年にかけて、全国紙朝日、毎日、産経、日経、そして読売の旅行雑誌に広告が掲載された。これが全国の幕末史愛好家に与えたインパクトは大きかったと思われる。「フルベッキの子孫が日本に実在した」という虚偽とともに、歴史家が解明していないことをいいことに、世の中の受けだけを狙った一種の詐欺行為が堂々と行われた訳である。添付の冊子には、歴史的な解明は全くされていず、名前が入った人物の紹介文のみが載っている。慶應元年当時の年齢が全員入っており、佐賀の相当熟達した研究者が、背後で「フルベッキ写真」を利用して自己の勝手な主張を公にしようと諮ったものである。 昭和55年の佐賀新聞の記事を書いた杉谷氏は平成19年4月に郷土史機関紙「葉隠研究」に歴史小説を発表して、慶應元年明治天皇長崎到来説を唱えているが、内容には歴史的事実に反することが何箇所も見受けられ、元々無理な主張である。同様な偽説を信奉する諸説は、本来真摯に歴史を探求しているはずの歴史愛好家のグループからも出て来ており、一例は平成17年2月の長崎県有家町史談会の会報「獄南風土記」第12号であり、偽説を無批判に取り上げ、流布させようとしている。今回の加治将一「幕末維新の暗号」は、これまでの偽説をトレースしただけで、新たな推測はワンパターンの「フリーメーソン」に留まっている。同定も不完全で、このようなアジテーゼに感激する読者がいる日本の風土に大きな疑問を感じる。自由な発想だと擁護する向きも多いが、事実の記録を尊重して、ちゃんと考えた上での判断でなければならない。他人に流される国民性の問題である。「幕末維新の暗号」の欺瞞については、先のブログを参照されたい。今後も繰り返して「フルベッキ写真」は蒸し返されるかもしれないが、近年は古写真を重要な歴史を記録した史料として正規に認め、学問的に研究する気運が盛り上がりつつある。世界的にも日本の古写真は注目されており、このようないい加減な議論がまかり通るのは恥ずかしいことである。これを機会に、一般の歴史研究者が古写真を見つめるノウハウを勉強してほしいと節に願う。今回の内容に訂正・情報がありましたら、寄せていただくとありがたく思います。
(平成19年6月3日)
|
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント