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2007年5月

2007年5月31日 (木)

『幕末維新の暗号』に投稿された偽りのコメント

過日、高橋信一先生の投稿『小説「幕末維新の暗号」の検討結果』 にコメントを寄せたエスなる人物が、実は真っ赤な偽物であることが判明しました。
エスなる人物の偽の投稿

上記のエスなる人物が、自分のホームページということで示していたリンク先のH様とは全くの別人であることは、ご本人であるH様から直接メールをいただいて判明した次第であり、H様の要請に従ってエスが勝手に使用したH様のリンクは削除させていただきました。H様、誠に申し訳ありませんでした。

ブログ【教育の原点を考える】では今回の事件を重く見て、今後本ブログの投稿に際して「スパム防止認証画像」を必ず表示させる仕組みに変更すると同時に、仮に投稿してもブログのオーナーである私が判断して掲載する否を決めることができるように、公開前に一時保留できる設定に変更しました。こうした一連の処置を講じたことにより、勝手に他人のURLやメールアドレスが使われるという事件が一件でも減少してくれることを祈ります。

なお、トラックバックについても最近は「セーラー服云々」といった下らないトラックバックが急増していることもあり、並行してトラックバック機能を閉鎖致しましたのでお知らせ致します。今後の皆様のご意見・ご感想は、コメントを利用していただけますようお願い致します。

さて、以下はエスの投稿です。

こんにちは。
エスと申します。

私は「明治維新の暗号」を読んで、また、別の感懐を持ちました。
確かにご批判のような事もあるのかと思いますが、加治氏と祥伝社がこれだけの事を書いて出版された勇気に感服いたしました。
明治天皇すり替えの噂はこれまですでに山ほどありました。
しかし、学者もマスコミも積極的にそれを検証しようとはしませんでした。理由は言わなくてもおわかりになるでしょう。
仮にも、日本がもし本当の民主主義国家を標榜したいのであれば、憲法で「国家の象徴」とまで謳われる天皇がまがい物か否かは検証する必要があるのではないでしょうか。改憲もすでに現実になろうとしています。
このせっかくの機会をとらえて、学会に呼びかけ、加治氏に対するご批判から天皇の真偽も含めてすべてを検証する委員会を立ち上げられてはいかがかと思います。
それが学者の務めではあるかと存じます。

いかにも、他人のホームページのURLを勝手に使用しても何とも思わない厚顔無恥なエスらしいコメントです。

ところで、エス氏のコメントを読みながら、加治氏が自身のブログに書いてあったことを思い出し、同時に『幕末維新の暗号』に加治氏本人が書いていた下りを思い出しました。

『幕末維新の暗号』はもっともらしいことを並べ立てて、反証してみせ、これはイカサマ本だと言いふらす卑劣な方法は一般的だ。だが、よく検証すれば分かるが、根拠の薄いものばかりで、こじつけの手法が多くとられている。
 そもそも小説に、史実と違うという攻撃など、トンチンカンな話で、その意図がミエミエではないか。

よく検証すれば分かるが、根拠の薄いものばかりで、こじつけの手法が多くとられている」と見得を切った加治氏は、高橋先生の『小説「幕末維新の暗号」の検討結果』の何を検証し、何処が根拠の薄いものと考えたのか、そのあたりを明瞭に示して欲しいものです。それにしても、「そもそも小説に、史実と違うという攻撃など、トンチンカンな話」と書くあたりは笑わせてくれます。加治氏本人が『幕末維新の暗号』に書いた以下の記述を一読ください。

「フルベッキ写真を、本にするんですか?」
「書こうと思っている。ただし純粋な創作より、本当であるという事実の方を上位に置いた小説だ。しかしその前に、一つ大きく躓いている。なんたることか肝心なところで、確証がつかめないんだな」

『幕末維新の暗号』P.444

一体、加治氏の本音は何処にあるのでしょうか。「小説に、史実と違うという攻撃など、トンチンカンな話」なのでしょうか、それとも「ただし純粋な創作より、本当であるという事実の方を上位に置いた小説だ」なののでしょうか?

「言いがかりなら、やめていただきたい。それに僕は歴史学者じゃない。小説家だ。あくまでも面白く読ませることが主眼です。
「小説に逃げますか。うまい逃げ場だ。癪ですが、世間に対する影響力は学術本より小説の方がはるかにでかい。その分、責任重大でしょうが」
「読者だって馬鹿じゃありません。もし書いているものが嘘なら、すぐに見破るはずです。その時点で読者の心はさっと離れ、作家はすべてを失うことになります」

『幕末維新の暗号』P.97

もし書いているものが嘘なら、すぐに見破るはずです」という加治氏の言葉に全く同感です(笑)。

サムライ拝

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2007年5月28日 (月)

参院選候補者への質問発送

ブログ【反戦な家づくり】の名月さんが、以下のようなアンケートを今夏の参院選の立候補予定者に送信しています。ブログ【教育の原点を考える】も賛同ブログの一つとして名を連ねていますが、名月さんがアンケートを送付した6月5日以降、その結果を見て思うことがありましたら投稿する予定です。

******************************************************
参議員選挙候補予定者 各位

                  質問へのご回答のお願い

 日頃は、私たち生活者の暮らしのためにご尽力いただき、感謝申し上げます。

 いよいよ参議院選挙が2ヶ月後に迫って参りました。 私たち、平和を願う国民は、固唾を飲む思いでこの選挙を迎えようとしております。

 去る5月14日には、国民投票法が強行採決され、改憲への日程が始まってしまいました。

 安倍首相は、改憲が参議院選の争点であると言い、その安倍首相の自民党の新憲法草案では、9条2項が削除されて交戦権を認める内容となり、次条において軍隊の保持が明記されています。

 こうした、9条の改変の動向について、候補者の方の賛否をお聞かせ下さい。

 ご回答いただいた結果は、末尾に列記した賛同ブログおよびその他のブログ等に掲載・転載され、少なくとも数十万人の読者にお知らせすることができると思います。

 それでは、よろしくお願いいたします。

質問1  あなたが当選した場合、その任期中に憲法9条を改変することに反対しますか。
(改変に反対する・改変に反対しない のどちらかで回答ください)

質問2  できましたら、その理由を、以下にお書きください。

期 限  恐れ入りますが、公示1ヶ月前の、6月5日までにご回答をお願いいたします。

回答先(発起人) 反戦な家づくり・明月
         (http://sensouhantai.blog25.fc2.com/
            メール:info@mei-getsu.com
           FAX:06-6720-XXXX(実物には実在の番号を書きます)

賛同ブログ(順不同)

1.季節 http://pueblo.seesaa.net/

2.闘うリベラルのチャンネル(新宅) http://f-liberal.seesaa.net/

3. きっこの日記 http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

4.BLOG BLUES http://blogblues.exblog.jp/

5.今日の喜怒哀楽 http://2.suk2.tok2.com/user/mankiru/

6.ミクロネシアの小さな島・ヤップより http://suyap.exblog.jp/

7.すえっこブログ http://saq5123.cocolog-nifty.com/blog/

8.きらきら http://kirakiranet.cocolog-nifty.com/kirakira/

9.リーフチェッカーさめの日記 http://shark.ti-da.net/

10.教育の原点を考える http://pro.cocolog-tcom.com/edu/

11.フーテンのだいだい憂鬱なブログ http://daidai4170.blog81.fc2.com/

12.黄昏石狩日記 http://pub.ne.jp/mieko53hatiman/

13.語も語る http://sunokataru.blog85.fc2.com/

14.ザ・のじじズム http://blog.nojijizm.jp/

15.milkyshadows http://blog.milkyshadows.net/

16.大津留公彦のブログ2 http://ootsuru.cocolog-nifty.com/

17.ぞえなよ! http://kobutsukihitsuji.blog94.fc2.com/

18.カナダde日本語 http://minnie111.blog40.fc2.com/

19.ゆうやけ note http://dannoura-news.cocolog-nifty.com/blog/

20.憧れの風 http://yuirin25.seesaa.net/

21.きまぐれな日々 http://caprice.blog63.fc2.com/

22.憲法と教育基本法を守り続けよう http://blogs.yahoo.co.jp/y2001317

23.亭主の日乗 http://yaplog.jp/hiroshimaya/

24.40代真面目気分 http://yosoji.cocolog-nifty.com/

25.アッテンボローの雑記帳 http://rounin40.cocolog-nifty.com/

26.玄耕庵日乗 http://genkoan.exblog.jp/

27.秋扇巵言 http://blog.so-net.ne.jp/kou-kou/

28.気の向くまま http://blue.ap.teacup.com/una3310/

29.平和のために小さな声を集めよう http://heiwawomamorou.seesaa.net/

30.Good by! よらしむべし、知らしむべからず http://c3plamo.slyip.com/blog/index.html

31.野田明子の『道々日記』 http://akikonoda.exblog.jp/

32.逍遥録 -衒学城奇譚- http://ameblo.jp/seitennkyuu/

33.自然保護、政治、思想、その他思いついたこと http://blogs.yahoo.co.jp/kk_kenjijp

34.A Tree at ease http://luxemburg.exblog.jp/

35.Heaven or Hell? http://kuroki-rin.cocolog-nifty.com/heaven_or_hell/

36.懐疑主義者のニュース倉庫・別館 http://kaigi.blog68.fc2.com/

37.飛語宇理日記 http://yanenoueno.seesaa.net/

38.moONfolKs http://missannu.exblog.jp/

39.T.N.君の日記 http://stenmark.exblog.jp/

40.津久井進の弁護士ノート http://tukui.blog55.fc2.com/

41.ツァラトゥストラはこう言っている? http://moon.ap.teacup.com/zarathustra/

42.華氏451度 http://blog.goo.ne.jp/bebe2001pe

43.カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/

44.美しい壺日記 http://dj19.blog86.fc2.com/

45.どらみ情報局 http://doramin.cocolog-nifty.com/blog/

46.ベースケ日記 http://phantom666.cocolog-nifty.com/

47.HONDAビート再生日記+あるふぁー http://blogs.yahoo.co.jp/racingspirit1964

48.BLOG版「ヘンリー・オーツの独り言」 http://henrryd6.blog24.fc2.com/

49.再出発日記 http://plaza.rakuten.co.jp/KUMA050422/

50.9条を世界に http://protect.9jou.info/

51.ファンキーブラボーな独り言 http://funkybravo.blog88.fc2.com/

52.ろくすけの手帳 http://blog.livedoor.jp/roku2005/

53.ぶうりんの希望の種まき新聞 http://blog.goo.ne.jp/boo0102_2005

54.ヘーゲル主義者の株日記 http://blogs.dion.ne.jp/phaenomenologie/

55.謙遜と謙譲の音楽 http://ch10670.kitaguni.tv/

56.PAGES D'ECRITURE http://ameblo.jp/cm23671881

57.嶋1971☆たしかな野党を応援し続ける勇気を! http://shima-spirits-jcp.cocolog-nifty.com/taiki/

58.風太郎の労働相談奮闘記 http://blogs.yahoo.co.jp/huchisokun

59.第7官界彷徨 http://plaza.rakuten.co.jp/articlenine/

60.「心の健康・社会の病い」 http://white.ap.teacup.com/nakayosi/

61.クリームな日々 http://plaza.rakuten.co.jp/cream3/

62.Be the Change http://plaza.rakuten.co.jp/bethechange/

63.ペット喜怒哀楽 http://plaza.rakuten.co.jp/pombo/

64.Happy Smile http://plaza.rakuten.co.jp/milkstyle/

65.広島瀬戸内新聞ブログ版 http://blogs.yahoo.co.jp/hiroseto2004/

66.ひまじんさろん http://plaza.rakuten.co.jp/msk222/

67.映画と出会う・世界が変わる http://plaza.rakuten.co.jp/cinemaopensaloon/

68.博士号取得大作戦! http://ameblo.jp/flowering/

69.練金術勝手連 http://blog.goo.ne.jp/nerikinjyutu/

70.「美しい国」幻想を捨てよう http://acomalu.blog100.fc2.com/

71.【くう特捜部】ログ http://blog.livedoor.jp/ku_u0/archives/54342608.html

72.vanacoralの日記 http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/

73.Some Kind of Wonderful http://jesus.9.dtiblog.com/

74.Dendrodium http://dendrodium.blog15.fc2.com/

75.Saudadeな日々 http://hartwarmingclub.seesaa.net/

76.改憲手続法案について http://m-st-jp.com/~free/users/ganbaru/

77.ダイアスパー http://daiaspar.seesaa.net/

78.憲法問題とキリスト教会 http://mtsept.jugem.jp/

79.教育基本法を読み学ぶ市民の会 in 滋賀 http://blog.so-net.ne.jp/kyoikushiminnokai_in_shiga/

80.自由教育が世界を変える http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/

81.菅井良・日記 http://d.hatena.ne.jp/nobtotte/

82.ブナの森とふくろう http://blog.so-net.ne.jp/tamara06/

83.権力に迎合したマスコミ人を忘れるな! http://panta.tea-nifty.com/blog/

84.そいつは帽子だ! http://teagon.seesaa.net/

85.安倍は戦争を起こす http://ameblo.jp/wayakucha/

86.コロンブスの卵を産む http://blogs.yahoo.co.jp/hatukome6hana

                                                        以上

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2007年5月25日 (金)

批判精神の健在が一国の活力を生む

以下の記事は日本の大手マスコミの現状を痛烈に批判した記事です。昨日の「ProZ」という投稿記事で紹介した色川大吉氏の、「日本人の大半が溺愛しているあの甘いメロディとお涙ちょうだいの精神風土」の住人の代表が、日本大手マスコミのサラリーマン記者であることを如実に示した記事だと言えそうです。しかし、「みんなで渡れば怖くない」という日本の大手マスコミが陥っている精神構造から脱している、大西哲光氏や中本三千代氏のような人物もいるのだと知って嬉しくなりました。

『財界にっぽん』2007年5月号

[遠メガネで見た時代の曲がり角] 連載第6回



批判精神の健在が一国の活力を生む

藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)在米

 犬が人間を噛んでも大したニュースではないが、人間が犬に食いつけばそのニュースに人は注目する。政治のルールを無視した小泉政治のやり方は、余りにも軌道を逸した慣例無視が強烈だったために、人間が犬に食いついたのに似た印象が強く、小泉劇場はサプライズが売り物の異常性に満ちたものだった。

 だから、『小泉純一郎と日本の病理』という本を書いた時に、私は心理学的な歪みと異常性についての分析を試みたのだが、その記述部分は出版に際して削られたので、日本語版は診断のないカルテみたいになった。そこで英語版の「Japan’s Zombie Politics」では診断部を復活させたが、ロカビリー狂の小泉が訪米に便乗して、大統領専用機に乗りメンフィスのプレスリーの家を訪れ、税金を使った漫遊旅行と出版時が重なっていた。

 小泉がグレースランドで演じた狂態については、『ワシントン・ポスト」のピーター・ベーカー記者や『ニューヨークタイムス』のモーリン・ドウド記者が筆をそろえて、2006年6月1日付けで嘲笑の記事を書いている。だが、辛辣だったのはロンドンの『タイムス』であり、リチャード・ロイドペリー東京支局長が「メンフィスでの狂態の意味」と題して、日本の首相の恥晒しについて全世界に報道した。

 1995年以来リチャードは東京に駐在しているが、アジア事情に精通した彼は一年前にインドネシアの政治に関し、『In the Time of Madness』という本を出したので、小泉の狂態をマットネスという言葉で形容したのだろう。日本の新聞記者をいくら見渡しても、小泉政治のインチキさと異常性について、これだけズバリ指摘したものは見当たらない。

 日本人記者に迫力がないのは自己規制のせいだが、それに較べて興味深いのは東京駐在の特派員を始め、外国のメディアで働く日系記者の活躍である。おそらく世界に通用するレベルでの仕事をするために、日本的な「タコツボ」発想に支配されないで、近代社会が要請する「是々非々」を明白にして、はっきり記事を書く記者が多いせいである。

 もっとも中には日本病に感染して骨抜きになり、ぷら下かり記事を東京発で得意に書きまくる、『フィナンシャル・タイムス(FT)」のグウタラ特派員もいるし、昔の『ロサンゼルス・タイムス」の東京支局長のように、日本の政治家の御用記者を務めた人物もいる。だから、有楽町の「日本外国特派員協会FCCJ」に行けば、一流から五流までの報道関係者だけでなく、諜報関係者や奇妙なブローカーに至るまで、世界各地から来た興味深い顔ぶれが並んでいて、今の東京は戦前の上海租界を彷佛とさせる。

 そんな昨今の東京で活躍している記者の中で、ズバリと歯切れのいい記事を書く日系記者として、世界の側から二人のジャーナリストが注目されている。最初の一人は『ニューヨークタイムス』のオオニシ・ノリミツ(大西哲光)支局長であり、リベラリズムと民主主義を信条にしてペンを執り、日本の右翼や国家主義について遠慮なく論評するので、国粋主義者たちから目の敵のように扱われている。

 幼時にモントリオールに移住したのでカナダ入の彼は、プリンストン大学時代に学生新聞の編集長として活躍し、アフリカやモスレム圏での取材体験を誇っている。だから、北朝鮮問題で異常な興奮に支配される日本人に対し、「右翼が北朝鮮の拉致問題で憎悪を煽っている」と指摘して、2006年12月17日号に強烈な記事を書いた。また、オオニシ記者は黒幕的存在の「日本会議」まで取り上げたので、突き放した筆致を誇る彼に反発する国粋主義者たちは、安倍晋三と同じ幼稚で露骨な敵対感情を剥き出しにする。

 「拉致問題にこだわり六カ国協議に参加する資格がない」と言われ、北朝鮮にバカにされている安倍内閣の外交感覚の醜態は、感情論しかないと世界に丸見えである。だが、オオニシ記者のようにそれをズバリ指摘すると、反日論者として右翼から総攻撃されるので、日本のメディアは口をつぐみ何も書かないでいる。

 それにしても、統一教会の合同結婚式の罠にはまって妻になり、韓国に移住した数千人の日本人女性の実態が、ソフトな形の拉致の一種かも知れないのに、安倍晋三は統一教会に祝電を送ったのだし、安倍内閣は統一教会に牛耳られたままだ。こういう狂った現実をはっきり指摘すれば、オオニシ記者のように反日だと非難するが、右翼のいう愛国の愛は一体どこの国に向けたものかと、「木を見て森を見ない」偏狭さが情けなくなる。

 祖国を愛するがゆえに問題を改革するために、ジャーナリストは勇気を持って悪を告発するのであり、その典型が『日経新聞」の大塚将司記者だったが、鶴田社長の公器の私物化と独善を告発したので、懲戒解雇されるという報復をうけている。詳細は『日経新聞の黒い霧」(講談社)の記述にゆずるが、日本の新聞記者にも骨のある人が存在し、彼を側面から支援したのが元同僚の阿部重夫記者で、『選択」の編集長として鋭い論陣を展開した。

 それにしても、日本語の記事だけでは「コップの中の嵐」だが、『フィナンシャル・タイムス』の2003年4月10日号の全面を使って、それを世界に向けた改革の火の手に転化したのは、記者魂に溢れたFT東京支局の中本記者だった。この日の私は有楽町の「特派員クラブFCCJ」に出向いており、『日経」の元幹部とランチを一緒にしたので、この記事の内容について食卓の話題にしたのだが、この元日経記者も記事の鋭さを賞賛していた。

批判精神を持て
 最近の東京発のFT記事には駄作も目立つが、時どき執筆する中本三千代副編集長の記事は鋭く、安倍首相の凡庸な施政方針演説に対して、今年の1月27日付けの紙面で「失敗演説」と決め付けていた。彼女が注目される二人目の記者だが、権力に遠慮するだけでなく迫従してしまい、まともな批判をしなくなった日本のメディアの中で、「唇の寒さ」を感じさせない中本発言は爽快であった。

 大衆相手に商売をするテレビは仕方がないが、小泉政治が得意にしたタブラカシ路線に丸め込まれて、日本のメディアは全く骨抜き状態になってしまい、社会の木鐸として権力の横暴の監視を放棄して、新聞までがサブカルチャーの場に成り果てている。それは新聞社がテレビ局を系列支配しているので、金儲けで大衆に迎合する衆愚主義に毒されたために、「読者の知る権利」が雲散霧消して久しいのだ。

 長く続く不況で経済活動が低迷する中で、国民が自由の感覚を喪失して閉塞感に包まれると、幻想の中に一時的な陶酔感を求める形で、ロマン主義が台頭すると歴史は教えているが、今こそ批判精神を湛えたリアリズムが重要だ。サラリーマン記者でなくジャーナリストとして生きるなら、権力や組織に左顧右眄しないでペンを執ると共に、言論活動を天職にする人間にとっての批判精神は、何ごとにも代えられない最大の資産である。

 病人を病気だと診断しない医者はヤブ医者であり、政治の歪みや狂いを指摘するには批判精神が要るし、それをジャーナリストが持ち合わせなくなれば、医者のいないハコモノ病院の乱立と同じことになる。自分の言葉を語れない政治家でも首相になる時代でも、ジャーナリストには自分の言葉を背くことが求められており、社会に活力を与える言論が衰退するならば、「言論死して国ついに滅ぶ」に繋がってしまう。

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2007年5月24日 (木)

ProZ

三十路に入った頃、仕事でシンガポールに1ヶ月ほど滞在したことがあります。仕事の合間にシンガポールの街に出て、行き交う人たちを眺めながら脳裏に浮かんだ言葉が「人類の坩堝」という言葉でした。シンガポールには華僑、マレー人、インド人を中心に、さまざまな人種の人たちが生活しています。そうしたシンガポールという環境の中に身を置いて、何故かホッとした自分でした。これは、十代の頃に日本を飛び出し、3年近く世界を放浪した体験に基づくものなのでしょう。日本の場合、近所から職場に至るまで、人間関係にかなり神経を使わなければならないので非常に疲れる国です。英語などの外国語を一般の日本人よりも流暢に操る通訳者や翻訳者といった、“国際人”であるはずの人たちのメーリングリストなどにしても同様であり、“日本人村”という壁に囲まれて互いに気心の知れた者同士でワイワイガヤガヤしている光景があちこちに見受けられるのであり、そうした場では「和」を乱さぬように慎重に発言していかなければならないので厄介です。『ユーラシア大陸思索行』(中公文庫)を著した若き頃の色川大吉も、同著の中で以下のように語っています。

B070524 ここ(アフガニスタン)にいて、日本をはるかに考えてみると、私には日本がとても嫌悪すべき国のように見えてくる。びっしりと生い茂った湿性の植物群と流行歌の節まわしがまず浮かんでくる。日本人の大半が溺愛しているあの甘いメロディとお涙ちょうだいの精神風土のことが浮かんでくる。あの小さな島国、奇妙な天皇島での人間と人間との甘え、人間と自然とのなれなれしい内縁関係、そして、その人と人との間にある感情過多に、自己嫌悪をもよおす。私自身、あのような精神風土にどっぷりと首までつかって生きてきたのだ。そのため、私の五体は、今では臓物の内壁にまで蘚苔類が生えてしまった。ここに来てはじめて識る。みずからの実存の気持ちの悪さを。このふしぎな、“気持ちの悪さ”、私の母国との生理的な違和感、それを曳きずって、私は日本史家として、これからどう生きてゆくのか。アジアの人間の一人である私は、この旅に出て、しだいに自分の安定した座を失ってゆく感を深める。

考えてみれば、4年前のユーラシア旅行のときには、私はむしろそうした日本に居直って、歴史的に形成されたこの安全地帯の、平和で甘美な人間関係そのものを、21世紀に招来されるであろう脱戦争時代のおだやかな人間関係の先どり、むしろモデルになりうるものとして積極的に評価しようという道を考えた。今ではそれすら甘い考えであったと反省している。そのためには、まず日本人の一人々々が、そこに居直れるほど毅然とし、おのれの伝統に真実深い自身を持たなければならないのだ。この荒れた風土のなかに住む人間たちの、なんとわれわれにくらべ、一人々々の輪郭のくっきりしていることよ。かれらはたとえ知能低く、外見においていかに貧しく見えようとも、人間主体としてはなにか強靱な個の力をもちあわせている。何かきびしい生命の尊厳のようなものが、時折、キラリとかれらの渺茫たる眸から流れ出す。

『ユーラシア大陸思索行』(色川大吉著 中公文庫)p.185~186

色川氏の上記の記述に肯ける読者であれば、私が「シンガポールという環境の中に身を置いて、何故かホッとした」という理由もお分かりいただけるのではないでしょうか。ところで、その後も同じように「ホッとする」場に遭遇しました。それはProZという、世界中の翻訳者が中心になって立ち上げたサイトです。私は2年ほど前にProZに登録しましたが、本業である翻訳で忙しかったこともあり、つい最近までロム(掲示板などに投稿もせず、ただ読むだけの人を指す)を通してきました。しかし、最近になって漸く時間的な余裕が出てきたことから、さまざまな掲示板で発言を開始してみたのです。そうした中で感じたことは、シンガポールで感じたような安堵感でした。また、発言を積極的に開始するようになってから、ProZで評判の良い翻訳会社数社から声をかけてもらえるようになり、実際に仕事もすでに承っています。そうしたProZの掲示板で、特に私が積極的に発言している掲示板をご紹介しましょう。

KudoZ
ここは、翻訳者が仕事中に適切な訳語を思い浮かばない時に利用する掲示板です。ある意味では怖い場所だとも言えそうです。何故なら、余りにも次元の低い質問をすると、その人の持つ翻訳力を疑われてしまうのだし、回答する側にしてもトンチンカンな回答をすると、やはり切り捨てられてしまう可能性があります。質問者は質問の内容、回答者は回答の内容で、その翻訳者の翻訳力・人間性・専門知識などが、分かる人が見れば分かってしまうのであり、そのあたりを見極める意味で同掲示板に目を通している翻訳会社も少なくないと思います。

Community
文字通りの翻訳者同士による掲示板です。世界中の翻訳者の投稿が、毎日どころか毎時間のように次々に投稿されるのであり、見るからに壮観です。私も時間がある時は積極的に発言するように心がけ、大勢の翻訳者とのつながりを築き上げていきたいと願っています。無論、翻訳者の発言に注目している翻訳会社も多いと思います。2日前に仕事の打診をしてきた、やはり翻訳者の間で評価の高い会社も、掲示板での私の発言を見て私の個人ページにアクセスしてきました。(有償会員になると、どのサイトから誰がアクセスしてきたか、本人だけが知ることができるシステムになっています)

私の場合、日本にある翻訳会社だけを対象に、翻訳の仕事を探そうという気持ちは最早なくなったのだし、今後は益々海外との翻訳会社との取引が増えていきそうな勢いです。一定レベルの翻訳技術という職人技を身に付けていれば、日本の翻訳会社だけではなく世界中の翻訳会社でも通用することが実感として分かりました。また、何も日本に居を構える必要もなく、世界中好きな所で仕事も出来る日が遠からず来そうです。すでに、仕事はメールのやり取りによって行うのが主流になっています。その意味で、子供たちが巣立ったら、将来は海外で生活をしながら仕事を続けていくことも検討しているサムライです。

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2007年5月23日 (水)

驚異的な戦争のコストとルナティックな政治事

以下の記事は、今朝配信された田中宇氏の「田中宇の国際ニュース解説」を並行して読み進めると良いかもしれません。その上で、時間的な余裕があれば木村汎教授の著書や藤原肇氏との対談本『賢く生きる』(清流出版)の一読をお勧めします。
★エネルギー覇権を強めるロシア

『財界にっぽん』2006年4月号

[遠メガネで見た時代の曲がり角] 連載第5回



驚異的な戦争のコストとルナティックな政治事

藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)在米



 1月17日は不吉な事件の勃発に結びつくことが多い。ロスの郊外ノースリッジを襲った地震は1994年で、翌年の同じ日に阪神大震災が起きた。また、1991の1月17日には湾岸戦争が空爆により開始したが、地質を専門にしてきた私の目で見れば、一月の半ばは満月の時期と密着しているので、これは月の引力と結びついているのである。

 月の引力が最大になると地球の潮汐現象として、岩石では地殼の歪みが大きくなって地震が起きやすいし、海水が盛り上がって満潮が高潮に結びつくので、昔から海戦による奇襲作戦は満月の夜を選んでいた。また、人間の脳の中も液体で構成されているので、満月の夜は頭が異常に働くことが多いために、殺人事件や交通事故が多発することから、狂気のことをルナティック(精神の異常性)と昔から言い習わしてきた。

 明治時代に一世を風靡した『金色夜叉」の舞台も、1月17日に熱海の海岸であった出来事が見せ場であり、ダイヤモンドに魅せられカネに目のくらんだお宮に、貫一が「今月今夜のこの月を涙で…」と啖呵を切る物語だ。そんなわけで地震がなければいいと思いながら、不安な気分で1月17日の『ニューヨーク・タイムス』を開いたら、大地震や開戦の記事がなかったのでほっとしたが、その代わりにショッキングな数字が並んでいた。

 それは「1兆2000億ドル(150兆円)で何が買えるのか」と題した記事で、レオンハルト記者が計算したイラク戦争の費用がこの数字であり、150兆円は阪神大震災の被害総額の20倍ちかいものだ。偉大な大自然が引き起こした災害に比べて、卑小といえる人間の手で拡大した戦禍の方が、遥かに巨大な物質的な災害を生んでいる事実は、どのように理解したら良いかと途方に暮れる思いに包まれ、「これは別種のルナティックだな」と溜息した。

 暫くレオンハルト記者の記事に従うことにするが、「5年前に戦争が始まる前の段階では、ペンタゴンは戦争のコストを500億ドル(6兆円)と見積もっていた。下院の民主党のスタッフもそれに合意していた。ホワイトハウスのリンゼイ経済顧問はより現実的に、コストを2000億ドル(24兆円)と見積もったので、ブッシュ大統領によってクビを切られている」とあり、続いて「もし、戦争が順調でも予算は少なく見積るもので、歴史を通じて楽天的なのは世の常である」として識者の意見を引用している。

 そして、ハーバード大学のケネディ政治学院のビルメス先生と、ノーベル賞を貰いクリントン政権の顧問だったスティグリッツ先生も、イラク戦争の全費用を2兆ドルと予想したと紹介している。また、それはイラク復興費を含めた戦費であり、一日あたり3億ドル以上を費やしているという、ワシントンの経済学者ウォールセンの試算と同じで、天文学的な出費が果てしなく続くと強調している。

 双子の赤字に悩む米国は経済的に破綻寸前であり、世界一の債務国の米国は貿易赤字と財政赤字のために、誇れるものは軍事力だけだという状態だ。しかも、経済が未だ破綻していないのは不動産バブルと共に、戦争による需要景気があるためだと言われており、戦争を止めるとたちまち景気は雲散霧消してしまうのだ。

 日銀が発表した2005年末の各国の試算状況の統計だと、最も大きな対外資産を持つのは米国であるが、1030兆円の対外資産に対して債務は1303兆円で、差し引き265兆円のマイナスになり、加えて2000兆円余りの財政赤字まであるという。同じ統計で日本の数字を比較してみれば、506兆円の対外資産に対して債務は326兆円で、差し引き180兆円兆のプラスになるために、一見する限りでは金持ちに見えるが、対外資産の四割の200兆円は米国債であり、換金が不能になれば紙切れ同然になり果てる。また、中央や地方政府の借金はー000兆円を超え、借金の山に押し潰されかけているのであり、日本全体が破産した夕張市に似たようなものだし、米国もアメリカ大陸版のタ張市に他ならない。

 しかも、戦争は火災が燃え上がる地獄と同じように、エネルギー多消費型で環境を汚染して、生命も物質も殺裁と破壊している点では、地上に出現したこの世の地獄のバリエーションだ。こういったことを考えながらイラク戦争を見れば、日本人はイラク派兵で戦争に協力をしている以上は、人類の生存条件を損なっている当事者だし、イラク戦争を対岸の火事のように考えているなら、満月の晩に何が天罰として起こるか分からない。

 アフガン戦争は911事件を契機にしていたが、この事件から一カ月後もしない10月7日に空爆が始まったのは、事前に戦争準備が整っていたからだ。現にロシアから独立したムスレム諸国に進出した米軍は、アフガンの北に軍事基地を持っていて、1997年のカザフスタンに続いて翌年はウズベクスタンで、特殊部隊による合同軍事演習を行っている。

 『小泉純一郎と日本の病理」の第7章に書いたことだが、それはユノカルの天然ガス・パイプライン建設計画が関係していて、アフガン経由の石油権益が戦争と絡んでおり、軍事基地をアフガンの周辺に配置したのだ。米国のイラク侵略の背景に石油資源が関係し、石油権益のあるところに米軍が進出する以上は、[大量破壊兵器の存在]は単なる口実に過ぎなかった。

 現にアフガン侵略の直前に18ドルだった原油は、空爆と共に上昇して37ドルになったし、一息ついて2003年初めに28ドルに戻ったが、3月20日にイラン侵略すると再び上昇し始め、2006年の夏に80ドルに達した後で、現在は50ドル台の水準に戻っている。原油価格の高騰によって米国の赤字は増大し、航空券もエネルギー費が何割も加算されるし、燃料コストの高騰がインフレに結びつき、株価指数の上昇が好況の幻影を生んでいる。

 原油と天然ガスの高騰によって潤ったのは、米国が仮想敵国と考えるムスリム圏の産油国とロシアである。そのことはロシアの専門家として知られた、木村汎拓殖大学教授とロシア問題について対談した時に、私は非常に興味深い情報を耳にしている。それは「石油の世紀から天然ガス主役に」と題した対談で、『賢く生きる』(清流出版)の中に収録してある。また、この本には岡田充共同通信論説委員と試みた、「アフガン戦争で始まった21世紀のアジア情勢の展望」という記事もあるので、本稿で言い尽くせなかった部分はそちらを参照されたい。

 木村先生の興味深い発言は次のようなもので、対談した時の原油価格は30ドル余りだったが、展望として蘊蓄に富む指摘を含んでいた。

 「エリツィンやプーチンが大統領になる以前の段階では、ロシア人にとり外交上の切り札は核兵器であり、ハードな兵器が国際政治の取引材料であった。ところが、2001年9月11日以降は、アフガンやイラクの戦争のせいで、原油と天然ガスの価格が高騰した。

 最初はーバーレル当たり18・5ドルで予算を組んでいたが、石油価格がードル上がるたびに原油大国のロシアには、2000億円の増収が転がり込んでくる。だから、石油が30ドル、35ドルと高騰するにつれてボロ儲けになり、最近ではクドリン財務大臣が、石油価格が28ドルなら、ロシアの経済は心配ない、と至って強気な姿勢を示している」。ブッシュは取り巻きのネオコンやロビイストに煽られて、米国にとっての仮想敵国に「神風」を提供したのであり、これを「ルナティックな政治」と呼ぶのではないか。

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2007年5月22日 (火)

思考停止推し進める「改正」教育基本法

小学校の先生の筆による過日改正された教育基本法に関する意見が、5月21日付の東京新聞夕刊に載っていました。教育に関心のある方々に一読してもらいたく、以下に転載致します。


思考停止推し進める「改正」教育基本法

岡崎勝(おかざきまさる)
名古屋市立小学校教員
1952年生まれ。愛知教育大保健体育科卒。学校マガジン『おそい・はやい・ひくい・たかい』の編集人、自立独立組合「がっこうコミュニティユニオン・あいち」の執行委員などを務める。著書に『学校再発見! 子どもの生活の場をつくる」『がっこう百科』 (編著)など。

軽視される「議論をつくす」

教育基本法が「改正」されて半年がたつ。全国で学力テストが実施され、着々と教育が「改苗」されている。だが、「改革」は、現場を少しも良くしていないし、「改正」は、大きな問題を残していった。

新学期が始まった学校は、どこも「落ち着かない」ものだ。私の仕事をしている小学校でも、新しい担任や新しい教科書、新しい児童会活動や学級の係り活動など、教室が本格的に動き出すのに時間がかかる。

友だちと学校生活をうまくやっていくために、どんなふうに役割を分担するかを、子どもたちは学級会で話し合い、「決めごと」をつくる作業に取り組む。「先生が決めた方が早い」という子どもの声もときにあがる。だが自分たちの生活は自分たちで考え、試行錯誤しながらよりよいものを追求して欲しいと思う。子どもの動きが円滑になるまで、私たちは慎ましくアドバイスしながらじっと待つ。教員の「指導力」と「忍耐力」が試される時期である。

私は、昨年の教盲基本法「改正」の経過を思いだし、子どもたちの学級会に比べ、「なんと情けない、結局、でかい声が、勝っただけなんだ」という想いがわき上がってくる。私にとって「でかい声」は、桐喝的な力を誇示できるが、中身の論議を吹き飛ばしてしまうという意味である。

教育基本法も法律だから、手続きに則って改変する「可能性」は保障されていると思う。しかし、当然のことだが、民主主義は多数決「主義」の社会ではない。一番重要なのは「論議をつくす」ということなのだ。果たして今回の「改正」で論議が尽くされたのだろうか?

政府レベルの論議は、一番大事な時期に、不正タウンミーティング問題で終始し、総理は論議を尽くしたという。しかし、実質的には、与党によって強行採決されたとしか言いようがない。強行採決は「論議打ち切り」を前提としている。

政府、国会レベルだけでなく、もっと問題だと思うのは、学校現場や保護者市民のレベルでこの「基本法」が、十分に論議されていないことである。それは、「改正」したこと以上の問題があると思う。

私が改正に反対した理由の一つに、「現場の学校の現実は、教育基本法とは、程遠いものである」ことをあげた。子どもたちの自殺や子どもの虐待があいついで報道されたことによって、子育てや学校教育の現実が非常に厳しいことが分かってきたのだ。それなら、よけいに「個の尊重」という旧基本法の理念に立ち返るような論議や施策がなされなければならない。

学校の現場では、友だちの意見を十分にまず聞くこと、声に出して言えない子の気持ちを察することを教えてきたはずだ。それは、個人が大事にされない教室は教室全体が死んでしまうと思うからだ。個人の意見を聞くのは面倒くさいものだし、納得するにも時間がかかる。論議には、意地もいるし、我慢も必要になる。何より集中力が欠かせない。それを承知での民主主義なのだ。旧教育基本法は、それを念頭に置いて「個人の尊厳と自由」を重視した。

「先生、面倒だから、多数決にしてよ」「最初から負けることわかってんのにやだよ」「多数決にしていいかという姦決をしたらいいよ」といった仲問を大切にしようという論議から学ぶことは多い。

職員会でも意見を言わない教職員、意見を言わせない管理職、そんな大人社会こそ「面倒くさがりで、忍耐力がない」のではない.か。「改正」教育基本法とこれからつき合いながら、もう一度、教育の「基本」とは何かを足下から点検するしかない。「でかい声」でない、静かな「教養と知性、自由と個性」で、忍耐強く「改正」の改正を求めていきたい。

今、一番危険なことは、思考と試行を停止してしまうことだ。学校評価制度や学力テストをはじめ、子どもたちをとりまく世界では、今まで以上に、他者からの評価をすべてとし、評価で強迫される社会になろうとしている。

「国を愛すべき」という前に、「愛せる国」とはどんな国かを考える。そんな面倒なことから逃げないでいたい。「生きる力」と「忍耐力」が必要なのは、私たち大人なのだ。

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安倍内閣の世にもお粗末な首相補佐官人事

[遠メガネで見た時代の曲がり角]連載第4回は、安倍内閣の首相補佐官人事は単なる客寄せパンダ人事に過ぎなかったことをズバリ指摘した記事です。

『財界にっぽん』2006年3月号

[遠メガネで見た時代の曲がり角] 連載第4回



安倍内閣の世にもお粗末な首相補佐官人事

藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)在米


 総花的で実力のない安倍内閣が登場した時に、論功行賞を期待した代議士たちを満足させようと、安倍晋三がメディア向けの目玉に使ったのが、子供騙しに等しい首相補佐官人事だった。閣僚の数は法律で決まっているので、物欲しげな政治家を喜ばせるために、「令外の官」で権限のない肩書きをばら撒けば、総裁選挙の投票の御祝儀代わりだと直ぐ判る。経験豊かな民間や学界の実力者を厳選して、首相補佐官に任命するのが本筋であるが、小池百合子(安全保障担当・衆)、根本匠(経済財政担当・衆)、中山恭子(拉致担当・民間)、山谷えり子(教育担当・参)、世耕弘成(広報担当・参)など、見識や経験も平凡な国会議員が圧倒的だから、人気稼ぎのパンダ人事だと一目で判る。だから、「五人組の安倍レンジャー」とか「お友達補佐官」と名づけて、日本のマスコミの多くはお茶を濁していたが、外国のメディアは厳しい目で眺めており、特に韓国の新聞は辛辣な批判をしていた。

 『朝鮮日報』は「右派の側近で固められた安倍内閣」と題し、組閣発表の翌日の記事で補佐官について論じ、中山補佐官に関しては「2002年に内閣官房の幹部として北朝鮮による拉致問題を担当し、強硬な主張を繰り広げてきた安倍氏の側近だ。北朝鮮側との約束を守るべきだと主張した外務省内のハト派を抑え、日本に一時帰国した拉致被害者5人を北朝鮮に戻さないという決断をした」と論評。また、教育再生担当補佐官の山谷えり子氏(56)は「カトリック信徒でありながら、首相の靖国神社参拝を求める運動で主導的な立場にある。ジェンダーフリー教育や夫婦別姓などにも反対し、安倍首相が率いてきた自民党内のプロジェクトチームで事務局長を務めてきた。安倍首相の教育哲学を忠実に代弁する人物と評価されている」とズバリ切り込んでいた。

 興味深いのは国家安全保障担当の補佐官についてであり、「小池百合子前環境相(54)は、05年9月の衆議院総選挙で小泉首相(当時)の〔刺客〕第1号として〔小泉旋風〕を巻き起こし、自民党を圧勝に導いた。極右といわれる中川昭一政調会長(53)が率いる〔歴史教科書問題を考える会〕の一員にもなっている。その経歴は安全保障分野とはほとんど関係ないが、[サプライズ人事]で内閣への国民・世論の関心を引きつける効果が予想されている」と論じて日本の新聞が書けない内情を指摘していた。

 小池補佐官の経歴は安全保障とは無縁であり、せいぜい英語とアラブ語が喋れるというだけで、通訳のセンス程度しか持ち合わせないことは、彼女の過去と能力を知る私が迷わずに断言する。彼女の父親は勝共連合の支援で衆院選に出たが、落選後に借金でカイロに 夜逃げして日本料理屋をやる傍ら、石油利権のブローカーとしても悪名が高く、その関係で彼女がカイロ大文学部に学んだことは、「小泉純一郎と日本の病理」の中に書いておいた。

 竹村健一の「世相ナントカ」というテレビ番組に招かれて、25年ほど昔の私は帰国の度に何回か出演したが、小池百合子は番組のホステス役をしており、番組前のコーヒーの接待を受けて何度か雑談をした。アズハリ大はイスラム神学の最高学府であり、話のついでに「小池さんはアズハリ大学に行ったそうですね」とカマをかけたら、「藤原さんは何で中東のことにお詳しいのですか」と唖然としていたのを思い出す。

 だが、アラブ世界においては情報に疎ければ、石油コンサルタントとしての仕事は出来ないし、冴えたインテリジェンス能力が唯一の財産だ。また、人間の情報感覚は若い頃の修行と訓練が決め手であり、洞察力や情報力は一朝一夕に身につかないし、地位や肩書きなどは全く無関係なものなのである。

 小池さんに初めて会ったのは四半世紀も前だが、その後タレント議員から大臣に出世しても、彼女の才能はアラブ語と英語を喋る程度で、『朝鮮日報」が喝破した通り「人寄せパンダ」に過ぎない。また、レバノン人やスイス人なら数ケ国語を操るが、外国語と接待役が上手だというメリットだけで、一国の首相補佐官が務まると彼らが聞けば、目を丸くして「それなら自分も」と思うのではないか。日本での首相補佐官の人選が実にいい加減なのは、政党の選挙対策部長か官邸の広報官レベルなのに、新人議員の世耕弘成がNTTの報道課長だったので、広報担当の首相補佐官に任命されてお笑い草だ。

 補佐官の乱発は小泉政権時代にも問題になっており、落選中の山崎拓議員の失業救済のために、鉄面皮にも首相補佐官に任命されている。セックス・スキャンダルで選挙民の信任を喪失したために、国会議員の資格がないと判定された男が、小泉のヒキで首相補佐官に抜擢されたということは、日本の憲政史にとって大汚点であった。

 首相補佐官の制度は細川首相が1996年の時点で、アメリカの大統領補佐官を真似て導入したが、事務次官と同じ給与の特別公務員なのに、人材難で大部分が国会議員や幹部官僚が就任した。しかも、組織として有能なスタッフも揃えていないし、実力競争を通じた指導性を問われることもなく、職務権限や責任がないヌエ的な存在として、議会制度に不整合のまま権力の周辺にいるだけで、日本の補佐官制度はお粗末の極みである。

 特別補佐官の真の役割は何かを検討すると、米国の大統領補佐官が担当している職務と責任は、安全保障と外交政策の立案と実施に関与して、大統領直属の国家安全保障会議National Security Council(NSC)を主催している。しかも、この諮問会議に参加する正式メンバーの顔ぶれは、正・副大統領、国務長官、国防会議議長、安全保障担当補佐官(NSC議長)であり、CIA長官も必要に応じて参加するほどの権威を持つ。しかも、NSC事務局長の下には120人の専門スタッフがいて、調査と分析のプロとして仕事を担当するが、日本の補佐官は法的権限や責任は何もなく、首相の茶飲み相手に毛が生えたような存在だ。

 韓国における大統領補佐官の場合は、大統領が議長を勤める国家安全保障会議(NSC)の下に、国務総理、青瓦台秘書室長、国家安全保障補佐官(NSC事務部長)がいて、トップに位置する三人の幹部の一人でもある。また、彼の下には外交補佐官、国防補佐官、NSC事務次長がいるという具合に、組織系統が機能するようになっているし、外国人から尊敬されるだけの人材を配置している。おそらく、パキスタンを始め北朝鮮やエジプトの場合でも、大統領や首相の補佐官の実力と役割は、日本の実態より遥かに充実しているはずで、国策遂行の機能を果たしていると思われる。

 「日本のNSCの確立」を標携して賑やかに登場したが、安倍首相自身が主要閣僚の経験もなく人気だけで選ばれたので、指導性に関しても大いに疑問視されている。

 更に、構想力は地位について習得するものではないが、日本の場合は補佐官の役割分担が曖昧だし、「適材適所」の原則が踏みにじられている上に、忠誠度による好き嫌いに支配されている。

 しかも、首相補佐官の肩書きは名目だけであり、首相や閣僚の代理メッセンジャーとして、外国に出張する程度で閣議には出られない。

 だから、首相補佐官という肩書きと職制はいかめしいが、「親衛隊ならぬ突撃隊」のレベルの顔見世として、首相の気紛れに国策が弄ばれてしまうことにより、制度が日本ではサブカルチャー化するのである。

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2007年5月21日 (月)

奴隷になる儀式が受験地獄の隠れた正体

M024 昨日(5月20日)は埼玉県飯能市で開催されたツーデーマーチの2日目であり、私も小学校6年生の息子のサッカーチームの父兄として18キロの山道コースに挑みました(左側の写真が完走の証です)。普段は自宅でパソコンに向かって翻訳の仕事をしている私にとって久し振りの運動であり、流石に疲れましたが心地よい疲れでした。今後も機会を見て山歩きなどで健康を維持していかねばと痛切に思った次第です。ところで、昨日はヤマモト・ジョージという俳優だか歌手だかが参加したというので、帰宅後インターネットで調べてみたら歌手の山本譲二でした。
第5回 新緑飯能ツーデーマーチ

この山本譲二に関して以下のような投稿が地元飯能市の掲示板にありました。

263 名前: まちこさん 投稿日: 2007/05/20(日) 20:44:39 ID:t/EUdtEA [ ntsitm221116.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp ]

ゲストのジョージ山本は5kmコースに参加。
5kmの出発式で一緒に歩きましょう!と言ってた割には
スタートしてスグの中山陸橋から車に乗っていた。そりゃないぜ。

山本譲二に関する投稿は上記の一件だけでしたので事の真偽のほどは私には分からないものの、もし、この話が本当であれば、山本譲二が車に乗り込むのを目撃した大人は兎も角、子供たちの目にどのように映ったのかと心配になった次第です。目を日本の芸能界に転じてみれば「やらせ」のやり放題という感じであり、そのあたりの実情は「きっこの日記」に目を通すとよいと思います。
テレビを信じるナンミョー予備軍たち

さて、全員の子供たちか完走した後、市役所でコーチの訓辞があった際、一人の子がサッカー部を退団するということで、その子からお別れの言葉がありました。聞く話では中学校受験のためとのことです。受験と言えば、私の上の息子は現在中学校二年生であり、最近行われた中間試験の数日前から相当悩んでいる様子が傍目から分かりました。彼は県内でも有数の県立の進学校(高校)を目指すため、私の知人の塾で頑張ってきた甲斐があって、学年で10番目程度に入りました。しかし、塾の先生は二学年が勝負だということで5番目以内に入るようにと厳しく指導しているようであり、そのあたりが息子に負担になったようです。そこで、試験の前日、私は以下のような言葉を息子に投げたのです。

受験のための丸暗記の勉強だけに没頭していては駄目だ。たとえば、「大化の改新は645年に起こり、中大兄皇子と藤原鎌足らが蘇我氏を打倒して始めた古代政治史上の一大改革」と教わっただけで、後は丸暗記するだけで終わりだろう。そんな無駄なことを記憶するのに精を出すより、今の中学生という時期は大勢の友達と付き合い、部活(サッカー)を楽しみ、学校で最も優れた図書館という先生のところに行って様々な本、殊に和漢洋の古典と言われている本を、内容は深く理解できなくても良いから、沢山読破して欲しいな。そうした体験を通じて、自分が一生を賭けたい分野を探し出すように努め、その分野で最高の先生がいる大学を目指せば良いではないか。東大だ京大だといったハコモノで大学を選ぶのは間違っている。日本では最高学府とされている東大にしても、世界レベルで見れば200番台目に辛うじて入る大学に過ぎない。実際に東大を出ているお父さんの叔父さんたちを見れば分かるだろう。ともあれ、世界を見渡せば一流の教授が集う大学が沢山ある。自分が一生を賭けたい分野を見つけ、その分野で最高とされる教授の所へ行くべきだな。

このように諭すように語り聞かせたところ、様子も大分落ち着いたようであり、高校受験という下らないプレッシャーから解放された様子が手に取るように分かり、親父としても安堵した次第です。それにしても、一流中学・高校・大学に進学すれば、卒業後は官公庁や一流企業に就職でき、生涯安定した生活ができると勘違いしている親が未だに多いのには驚かされます。そうした親に受験とは何かを考えてもらう意味で、私が管理しているホームページ【宇宙巡礼】から、受験に関連した言葉を最後に羅列しておきましょう。

 考え方を学ぶよりも結果を覚えこむという、後進国型の技術主義にガンジガラメになっていることが、自由な個人に育つべき若者たちの精神を窒息させているのだが、日本という枠組の中から見ている限り、突破口はおそらくみつからないだろう。閉された世界で絶対的な威力を持って君臨する価値観に対して叛逆するのは、なみ大低のことではないのだ。だが、その枠を乗りこえて一歩外の世界に踏み出したとたん、このロジカルな価値の基準はその意味を全く失ってしまうことが多い。そのいい例が受験地獄である。日本全体を狂気に追いやり、著者の青春を灰色に塗りこめている画一的な受験競争は、実体の核心に気づくやいなや、たちどころにその意味を失ってしまう。受験地獄の実体は大学に入れないことではなく、志望する有名校に入るのが難しいだけであり、狂躁曲に踊る姿が哀れだというだけにすぎないのだ。その有名校が自分の人生にとって、果してどれだけ本質的であり、生きざまの充実にどこまで意味を持つかを考えたことが無いか、あるいは、その無関係さに気づいていないだけのことである。

 そうであれば、有名校や大会社という評判は、世界のレベルでは単に日本国内というローカルな名声にすぎず、そこに気づくことで人生は一転してしまう。しかも、問題は所属する組織の名前や肩書きではない。世界に通用する普遍的な価値基準は、個人としての今のパーフォーマソスと将来に向けてのポテソシアルであり、すべてが人間としての生きざまと魅力にかかわっているのだ。その上、世界の次元では、まったく新しい文明時代が始まろうとしているのであり、新時代にふさわしい人材に成長することが、最優先の人生の課題になるのである。

だから僕は日本の若い人に、日本を脱藩する勇気を持ちなさいと呼びかけるのです。日本の大学受験熱にうかされたり、塾なんかに行ったところで、手に入れるものはタカが知れています。せいぜい有名商社や大銀行に入杜するくらいであり、そういうところの優れた人間は、現在ではいかにそこから脱出するかを悩んでいるのです。前田百万石の旗本になって二人扶になるか、一匹狼をしばらくやってみるかの選択が待ち構えているなら、僕は一人の自由人としての体験をもとに、一匹狼をやるようにと自信を持ってすすめたいと思いますね。

奴隷になる儀式が受験地獄の隠れた正体

動態幾何学(Curvilinear geometry)には厳めしい響きがあり、何かとてつもなく難しそうな感じで、これは頭が痛いと思う人がいるかもしれない。言葉の持つイメージは確かに難解に見えて、非常に大変だという印象を与えてしまうが、第一印象の強さに驚いてしまう必要はない。それは最近の中学生の数学に[集合]があるのを見て、何だかさっぱり分からない記号が多いが、自分が時代遅れになったのかと驚くのに似ている。新しい概念に初めて出会った場合には、常にそんな印象を持つのが人間であり、最初に外国語を習った日の当惑と同じである。

[This is a book.]という文章を黒板に書いた先生が、最初のジスは主語でコレという意味を持ち、次のイズは三人称のビー動詞だが、不完全自動詞だから補語のブックを持ち、これが単文という基本文型だと説明したら、誰だって目を白黒するに決まっている。

だが、アメリカやイギリスに行けば英語は共通語で、幼稚園児でも英語を喋っており、文法などを知らなくても不自由はしないし、慣れるだけで誰とでも意思疎通ができる。

数学も似たようなもので一種の言葉だから、慣れてしまえば無意識で言葉が使え、方程式は一七文字の俳句や五言絶句と同じで、考えを濃縮するルールの種に過ぎない。最初に俳句を作った時は難しく考えるが、言葉のリズムが分かれば簡単であり、季語の約束が面倒くさいと思えば、俳句にしないで川柳にしたらいい。

それと同じことで、方程式の代わりに図を描くのが幾何学で、三角形や円は子供の時から描いたはずだし、子供の学習はまず塗り絵から始まるのだから、図形で表現する幾何は川柳の身近さを持つ。それを難しいものと思い込んでいるのは、今の学校教育のやり方が悪いからであり、図形が表現するのは文字のない太古の昔から、人間にとって身近な思考の表現手段だった。歌えば楽しい音楽という表現の形式が、中学校の授業では短三度とかフーガだといって、知識として教えこもうとするために、音を楽しむ音楽が苦痛になることが多い。

それと同じで本来は楽しくて仕方がない図形発想が、入試のための幾何学の解法の複雑さのために、楽しみが苦痛になってしまっただけで、問題は日本の受験地獄の現状にあるのだ。

知識は力の源泉として必要なものだが、知識はそれ自体が静態的なもので、発想や判断という動態的なものに比べ、次元において遥かに劣っている。

ところが、日本の教育制度は知識に偏重し過ぎており、これは近代の始まりの頃には有効だったが、二一世紀には余り重要度がないものである。

しかも、これは知識の多さや記憶量で人間を計る、受験制度の悪い習慣が支配するためであり、一流校に入るために聳える受験地獄の関門が、どれだけ若者を苦しめていることだろうか。

このような知識万能が日本を支配したのは、技術至上主義の路線を適進するために、産業社会としての経済的な理由のせいである。大量生産の設備を能率的に動かす、巨大組織の部品(パーツ)として役立つ人間教育は、マニュアル(教科書)に忠実で知識の量を誇るから、人材が日本のような規格型にならざるを得ない。

こうしてパブロフの犬のように国民を育て、人間が規格品外にならないように、偏差値を使って選別しているのだし、荘園の領民に似た奴隷的な人間になる儀式が、受験地獄の隠れた正体(実態の意味の全体)に他ならない。

しかも、国内では最高と思われている東大が、米国の大学を除くと67番目に過ぎず、アメリカを含む全世界で200位以下なのに、国内に向けて輝いた虚像に幻惑され、青年たちは世界の三流校に憧れている。教育制度が経済的な理由に基づいて、人間疎外のシステムとして機能しているのなら、即刻この迷路から抜け出す必要がある。

日本の大学入試は教育制度ではなく、若い世代のエネルギーを無限に摩耗させ、ブラックホールに等しい存在として機能するなら、この虚妄の構造の放置は悲惨ではないだろうか。

『経世済民の新時代』(藤原肇著 東明社)p.58~60

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政治の暴走を防ぐ言論界の役割と平衡感覚の価値

社会の木鐸としてのジャーナリズム精神を、日本のマスコミが失ったと叫ばれるようになってから久しく、同様の傾向は9・11以降のアメリカのマスコミにもありました。しかし、以下の記事に見られるようにアメリカのマスコミも「目覚め」つつあるようで、次は日本のマスコミにも「目覚め」て欲しいと期待したいところですが、果たして…?

『財界にっぽん』2006年2月号

[遠メガネで見た時代の曲がり角] 連載第3回



政治の暴走を防ぐ言論界の役割と平衡感覚の価値

藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)在米


言論の威力によるラムズフェルトの更迭

 中間選挙で共和党が上下両院でマジョリティを失い、ブッシュ大統領は大敗北に終わった結果に対して、「失望している。責任の大部分は共和党を率いる自分にある」と認めた。そして、イラク侵略と復興作戦においてヘマの連続で、惨敗選挙の原因を作ったラムズフェルト国防長官を更迭した。だが、更迭自体は「辞任を認めた」というすり替え論理だったが、更迭せざるを得ない状況が選挙直前に起きていた。

 それは投票日の前日に発表される予定の社説が、四日前の11月3日にメディアに公表され、全米に報道されて津波現象を誘発していた。その社説の最後の数行は印象的であり、米軍のイラク占拠政策の破綻を論じてから、「・・・これは中間選挙などではない。11月7日にいずれの党が勝つにしても、大統領は厳正に照らし出された真実に、直面しなければならない時に至っている。ドナルド・ラムズフェルドは去らなければならない」。この社説は投票前日の11月6日に発売になる『陸軍タイムス』を始め、『海軍タイムス』『空軍タイムス』『海兵隊タイムス』に掲載されている。

 『陸軍タイムス』を始め軍人と家族を読者にした各紙は、国防総省や軍関係が発行する新聞ではなくて、ガネット・グループという民間のメディアの刊行物だ。また、ガネットは全国紙の『USAトゥディ』を始め全米で100紙の日刊紙や、ラジオ局やテレビ局を幾つも経営するだけでなく、英国やドイツでも新聞や雑誌を出している。だから、日本の大新聞と経営スタイルは大差なく、オピニオンとして発表した社説の威力が、支離滅裂な政治と誤魔化しによる情報の歪みに対して、言論として効果的に機能を発揮したと言える。

 11月3日から4日にかけてCNNやCNBCを始め、大手メディアやそのホームページが情報を流したので、その影響で5日の「ニューヨーク タイムス」の社説は、「ブッシュ政権で議会を主導してきた多数派の仕事ぶりは酷かった」と決め付け、中間選挙では共和党候補者をいっさい支持しないと断言した。投票直前に盛り上がった報道界の批判の声は、それまで鬱積していた閉塞感に対して、アメリカ人の反発が炸裂したと観察できた。

民主主義の基盤としての報道の自由

言論界の役割は国民に事実を報道すると共に、政治家や役人など公人の動きを注視して、政治による権力の乱用を監視する点にあり、それが言論活動を「社会の木鐸」と呼ぶ理由でもある。選挙や試験による選択を経た政治家や官僚と違って、言論活動は誰にも開かれた場であるので、発言の正統性は市民からの信頼と支持に担保される。だから、市民の側に軸足を置かないメディアは、ジャーナリズムの範疇に入らないのは当然なのだ。

 米国では憲法の修正第一条が「表現・報道の自由」であり、何にも増して重要な権利だと認められているし、報道の自由は民主主義の基盤であると考えて、公権力が機能する上での絶対条件だとされている。司法、立法、行政は相互牽制で鼎立するが、この公権力を監視する役目を持つ報道界が、第四の権力と呼ばれるのは監視能力に由来している。

 だが、政治的に後進国の日本では議会が脆弱で、国会議員が法律を作れないだけでなく、法案を討議する能力や手続きが欠けており、行政府が立法と司法を支配しているために、民主主義も議会主義も機能していない。ドイツの憲法を「ドイツ連邦基本法」と呼ぶが、基本法が憲法に準じるものだと理解せず、議論抜きで「教育基本法」を強行採決したように、日本は政治的に野蛮国そのものなのである。

 それは報道界が報道の自由を尊重せず、正しい情報を国民に伝える責任を放棄して、記者は役人の発表を記者クラブで貰うし、幹部は官庁や政府の審議会の委員になり、公権力の監視ではなく窓口役になり果てている。だから、ガネット・グループや「NYタイムス」が断行したような毅然とした批判の記事は、自己規制に毒された日本に登場しないのだ。その点では日本の出版界も腰抜けであり、私の『小泉純一郎と日本の病理』が出るまでは、小泉批判の本は書店に並んでいなかった。だが、拙著は自己規制で三割も削られた上に、最初の二ヶ月で五刷りになったのだが、新聞や雑誌の書評はゼロで黙殺されたのだった。

 それに対してアメリカの言論界は健在であり、選挙の一ヶ月前の10月2日発売ということで、「ワシントン・ポスト」のボブ ウッドワード記者が書いた『否認の国家』が出た。しかも、三日間で百万部を越す大ベストセラーになったが、9月30日に「NY・タイムス」が書評に取り上げただけでなく、メディアもこの本を話題にして騒然としていた。また、「ニューズ・ウィーク」の10月8日号はこの本を取り上げ、14頁にわたる特集記事を掲載して議論しているが、公権力に対しての報道界の対応は実に見事だった。

報道のメッセージは活字だけではない

イラク侵略政策の破綻がブッシュ政権を痛打して、ラムズフェルド国防長官が辞任した経過を始め、選挙の結果について既に多くの人が論じている。この選挙は共和党の保守本流派と中西部のリバータリアンが、宗教右派とネオコンの専横に辟易したために、軍人向けの新聞やブッシュに近いウッドワードまで、驕慢な権力者に反旗を翻したことが重要だ。

 私が注目したのは11月9日の新聞の記事だが、アメリカの選挙に関しての報道に見る限り、分析や解説において米国の有力紙の記事よりも、英国の高級紙の方が遥かに優れていた。経済紙の「フィナンシアル・タイムス(FT)」と「ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)」ではいつもFTが優勢だが、この日もWSJの記事はFTに圧倒されていた。 私は特に「ニューヨーク・タイムス(NYT)」「ロサンジェルス・タイムス(LAT)」の二紙を丹念にチェックしたが、NYTが16頁でLATは21頁の選挙特集頁を組み、圧倒的な紙面を選挙結果に割いていたのに、内容の深さでは僅か2頁のFTの記事に較べて、米国の有力紙が劣っていたのが印象的だった。

 FTは2頁目のトップには三人の笑顔の顔写真で、勝者としてBarack Obama(イリノイ上院議員),Arnold Schwarznegger(カリフォルニア州知事),Joe Lieberman(コネチカット上院議員)を並べ、3頁目は敗者の苦虫を噛み潰した写真として、Conrad Burns(モンタナ上院議員),Donald Rumsfeld(国防長官),News Gingrich(前上院院内総務),Rick Santrum(ペンシルバニア上院議員)の順で並んでいた。しかも、2頁目の中央に大きくNancy Pelosi(次期下院議長)の破顔の写真があるのに、3頁目には敗者の総帥Bushの顔写真さえ欠落しており、そこに英国風の風刺の効いたユーモア感覚が読み取れた。

 それ以上に印象的だったのは一面の写真であり、各紙共にブッシュの両側に国防省を牛耳るラムズフェルトとゲーツが並ぶが、FTではブッシュは困惑した表情をしており、新旧の国防長官は苦渋に満ちた顔だから、この日の一面に相応しい写真が使われていた。また、LAタイムスも三人が緊張した表情の写真だのに、NYタイムスの写真では何と三人が笑っており、状況に全くふさわしくない写真で唖然とさせられた。

 これは編集や校閲の弛緩状態を明示しており、最近のNYタイムスの論説や意見欄の酷さと同じで、一流紙という評価が果たして正しいのかと、疑いたくなるようなお粗末さぶりだった。見出しの写真が状況や記事の内容と肉離れしても、それを読者が気づかないと思い上がって手を抜けば、幾ら長い伝統を誇っても無意味であり、米国の一流紙は英国の高級紙に差をつけられてしまう。日本人が有難がって論評を引用するが、「百聞は一見にしかず」を象徴するのが写真だし、一流紙でも油断大敵に支配されているのである

報道写真で思い出すのは、1989年に発生した朝日新聞の珊瑚礁事件です。父の代から朝日新聞を購読していた拙宅ですが、珊瑚礁事件をきっかけに、暫くして朝日新聞の購読を止めて東京新聞に切り替えています。その後、『朝日と読売の火ダルマ時代』(藤原肇著 国際評論社)や『夜明け前の朝日』(藤原肇著 鹿砦社)を通じて一層朝日新聞の内幕を知るところとなりましたが、上記の記事にあるような「オピニオンとして発表した社説の威力が、支離滅裂な政治と誤魔化しによる情報の歪みに対して、言論として効果的に機能を発揮」するような記事を載せられるのは、日本の大手マスコミの中では東京新聞か朝日新聞あたりであろうし、特に朝日の持つ影響力は大きいだけに期待したいところです。

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2007年5月20日 (日)

安倍内閣の激情を煽るネオコン勢力の連携ブレー

070519wb 5月18日付の東京新聞の夕刊で大きく取り上げられた、世銀のウォルフォウィッツの辞任の報道を目にし、流れが確実に変わりつつあることを肌で感じた読者が多かったのではないでしょうか。そのウォルフォウィッツという人物はどのような経歴の人物で、現在の阿部内閣とどのように結びつくのかは、以下の記事が参考になるはずです。(東京新聞の記事は左側の写真をクリック)

『財界にっぽん』2006年1月号

[遠メガネで見た時代の曲がり角] 連載第2回



安倍内閣の激情を煽るネオコン勢力の連携ブレー

藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)在米


日本の核武装を炊きつけたネオコン

  強烈な国家主義と北朝鮮に対しての強硬姿勢が売り物で、主要閣僚の経験もない政治的に未熟な安倍晋三が総裁選に勝ち、安倍内閣の発足直後の10月9日のことだ。新首相が北京訪問を終え韓国のソウルに立ち寄った時に、北朝鮮が核実験をしたという情報が飛び交い、世界のメディアが大騒ぎして金正日(Kim Jong Il)が時の人になった。誰がこのプロットを仕掛けたかに関しては、911事件と同じで真相が判るまでに、数十年の歳月が必要になることだろう。それもタイミングを合わせたように、翌日の「ニューヨーク・タイムス」の「オピニオン欄」に、デービッド・フラムの「相互確約の破断」と題した記事が出た。

 「日本は核拡散防止条約(NPT)から脱退して、独自の核防衛を築くのを奨励せよ」とか「日本の核武装は中国と北朝鮮への懲罰になる上に、イランの核武装を断念させる狙いに合致する」というのは暴論だし、付会牽強で非理性的な内容と言っていい。日本の核装備でイランや北朝鮮を牽制するという、目先の利害だけのフラムの戦術レベルの論旨には、文明を見据えた戦略的な発想が欠けていた。

2002年1月29日の「ユニオン年頭教書」でブッシュは、「イラン、イラク、北朝鮮を悪の枢軸」と糾弾したが、この演説のスピーチ・ライターがフラムだった。感情的な「悪の枢軸」のレッテル貼りは余りにもお乱暴で、外交感覚に乏しく世界から冷笑されたが、こんな人物が大統領のスピーチ・ライターだったのは、米国の政治の荒廃と行き詰まりを示していた。だが、フラムの現職がタカ派のシンクタンクである、AEI(アメリカン・エンタープライズ研究所)の所員であり、そこにネオコンが結集している事実を知れば、「ジャパン・カード」を切った可能性も強かった。

ネオコンのお眼鏡にかなった安倍の売り込み演説

2004年5月1日の「毎日新聞」はワシントン発で、「安倍幹事長、幸運なお披露目に」という見出しで、「訪米中の安倍晋三自民党幹事長と冬柴と鉄三公明党幹事長は30日、主な滞在日程を終えた。安倍氏にとって幹事長として初の外国訪問だったが、パウエル国務長官、ラムズフェルド国防長官、ライス大統領補佐官(国家安全保障担当)ら米政府の主要メンバーが会談に応じるなど、ブッシュ政権の厚遇ぶりが目立った。・・・米政権の期待に応えるように、安倍氏は保守系のシンクタンクで行った講演(29日)で『集団的自衛権を行使できないという日本政府の解釈は限界に来ている』と明言。『サダム・フセインが大量破壊兵器を持っていたと疑うのは極めて合理的だ』とも語った。・・・」と報じた。

この保守系のシンクタンクがAEIであり、そこで講演した安倍は「日米同盟の双務性を高めるため、集団的自衛権の行使を認める憲法改正が必要だ」と主張し、「私をタカ派というならそう呼んでもいい」と断言。この発言がチェニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官という、ブッシュ政権の戦争屋三羽烏に強い印象を与えて、この時点で安倍は「使える男」と評価されたのだと、ワシントンの事情通の間では言われていた。特にポール・ウォルフォウィッツは卓越した経歴を誇っていて、シカゴ大学でネオコンの元祖のレオ・シュトラウスに薫陶を受け、サイエンスの専門知識で核兵器問題にも精通している。そして、ネオコンの正統のプリンスとして輝くだけでなく、イラク侵略の仕掛け人として君臨しいていたから、安倍にとっては願ってもないパトロンだ。

その後に世界銀行の総裁になったように、ウォルフォウィッツは選民中のエリートだから、人によってはシナルキズムの帝王だとも言うが、彼に注目されたことが安倍の運命を変えた。それで安倍は「日本のネオコン」の代表権を与えられて、小泉に続く日本列島の総督に推挙されたのであるし、中国が最も嫌う日本の核装備を目指して、改憲という仕事を請け負ったという理解に結びつく。

情報後進国「日本」混迷と脇の甘さ

2006年9月20日に安倍が自民党総裁に選ばれ、26日に組閣して安倍内閣が発足する前後にかけて、日本の電網界のブロッグが異常な興奮に支配されたが、誰が最初に発信した記事かは分からないけれど、以下のようなタメにする記事のコピーが氾濫した。     

2005年10月25日、26日、ブッシュの支持基盤であるネオコン派の政治家、知識人が集まるワシントンの政策研究所、AEIアメリカン・エンタープライズ・インスティチュートが主催して、日本の国会議事堂裏のホテルキャピトル東急で、「政策研究集会」が開かれた。テーマは「日本と中国を、どのようにして戦争に突入させるか、そのプラン作り」である。参加者はAEI所長クリストファー・デムス、次期総理・安倍晋三、鶴岡公二(外務省、総合外交政策局審議官)、山口昇(防衛庁、防衛研究所副所長、陸将補)、民主党・前党首・前原誠司、その他自民、民主の複数の議員。テーマは「有事、戦争にどう対処するか」では無く、「中国と日本をどのようにして戦争に持って行くか」である。以上は裏付けが取れた正確な情報である。以下は裏付けの取れていない未確認情報である。今後2年前後に、日本海側の都市に、「米軍の」ミサイルを着弾させ死傷者を出させ、それが北朝鮮からのものである、とマスコミ報道を行い、一気に日本国内の世論を戦争賛成、治安維持体制に持って行く、また京都、大阪付近で新幹線の爆破テロを起こし世論を戒厳令体制、戦争賛成方向に誘導する。・・・(後略)

これがいい加減な情報であるのは一目瞭然だのに、この記事が100以上のブロッグで取り上げられた理由は、「中国と日本を戦争させる」という記述のせいだ。国際電話で私に知らせてくれた人まで現れたが、こんな粗雑な記事が次々にコピーされて、撹乱情報に操られて慌てふためくというのは、デマに弱い日本の現状を見事に示していた。

というのは、AEIが「日米同盟の変遷」と題してゼミを行うことは、元ニューヨーク・タイムスの記者の上杉隆が「週刊東京脱力」というサイトで、前年の10月26日に出席名簿と共にレポートしていたし、AEI自体が500頁ちかい議事録を出していたのに、電網界は「裏づけのある」という虚報に踊って大騒ぎした。ことによると、日本人の政治感覚のお粗末さを嘲笑する目的で、日本語の出来る近所の国の誰かがいたずらして、安倍内閣の発足を記念して一杯食わせを狙ったのか、慌て者の日本人が早とちりしたのだろう。あるいは、核武装やミサイル防衛(MD)に熱中するよりも、情報感覚を研ぎ澄ましてソフトに習熟すれば、安全保障の力は格段に高まるのだから、そのことを考えろという天の啓示だったのかも知れない。

実は、AEIのゼミの実態はミサイル防衛が主体で、見え透いた兵器の売り込み工作だっただけでなく、「ジャパン・カード」を切る予行演習にもなっている。そんな刷り込み作業の集会だったのに、ネオコンのフランチャイズを貰った安倍だけでなく、野党の代表や国会議員が集団でゾロゾロと出席して、洗脳工作を受けた事実が問題だったのである。 

東京新聞の記事では、辞任の理由として交際女性の厚遇を理由に挙げていましたが、真の理由は別のところにありそうです。ベンジャミン・フルフォード氏の以下のブログ記事は、そのあたりのヒントになるでしょう。しかし、窮鼠猫を噛むではありませんが、ネオコンを余り追い詰めると危険であり、今後の行方を見守るべきであると思います。一方で、ウォルフォウィッツというパトロンを失った安倍晋三は今後どう出るか、その動きに注目していきましょう。

中国秘密結社に利用されているのではないか?

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2007年5月19日 (土)

平成版の東条内閣の発足と安倍内閣の相関図

以下の記事は昨年の経済誌『財界にっぽん』12月号に出た[遠メガネで見た時代の曲がり角]という連載記事ですが、同記事には安倍内閣が東条内閣になるという予言が書かれており、その予言が的中していることは本ブログを訪問された皆さんも御存知のとおりです。本ブログの【教育の原点を考える】は、題名からして小中高に通う子供を持つ世の中のお父さんお母さんからのアクセスも多いと思いますが、現在の日本の“東条内閣”が子供たちに何をしようとしているのかを知ることが大切なのではないでしょうか。上記の[遠メガネで見た時代の曲がり角]という連載記事は、【宇宙巡礼】というホームページに載っていますが、一人でも多くの人たちに読んでもらう意味で本ブログでも再掲することにしました。是非、多くの感想なり意見をコメントにお寄せください。なお、現在までに公開されている安倍内閣を取り上げたシリーズ[遠メガネで見た時代の曲がり角]の他の記事についても、順次本ブログで再掲致します。

『財界にっぽん』2006年12月号

[遠メガネで見た時代の曲がり角] 連載第1回



平成版の東条内閣の発足と安倍内閣の相関図


藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)在米



ベストセラーになった「小泉純一郎と日本の病理」(光文社ぺ―パーバックス)の第一章で、「中国政府を相手にせず」という暴言を吐いて、日本の対中外交をメチャクチャにした近衛と、靖国神社参拝で中国や韓国との外交を損なった小泉を対比し、上海事変による対中侵略とイラク派兵を強行した政治の相似性を論じた藤原肇博士は、「近衛内閣に続くのは東条内閣だ」と予言していたが、安倍内閣は果たして・・・・



安倍晋三への世界の厳しい目

  安倍内閣を論じるにあたって海外のメディアの多くが、安倍晋三が岸信介の孫で三代目の世襲代議士であり、岸がA級戦犯で安倍が国家主義者だと指摘している。FTの9月17日の「Weekend」という特集記事で安倍を紹介し、「安倍は、祖父の記憶にまとわり付く戦犯の汚名に憤慨する。彼は日本のアジア侵略が西欧の帝国主義よりも悪いとか、第二次世界大戦では日本に罪があるという考えを疑い、東京裁判を米国の見せしめだと考えて正当性を認めない」として、「靖国神社を安倍が参拝するのは、この戦争が不名誉なものではなかったと確信している」書く。そして、に全面2ページを費やしての記事で、岸や安倍の出身地の山口県と長州閥を論じるが、吉田松陰をめぐる話などは内容に乏しく、東京特派員のDavid Pilling記者の記事は、至って表面的な観察でブラサガリ取材に過ぎない。 経済情報では優れた取材力を持つのに、政治となると流石のFTでもこんな手抜きで、いい加減な記事を活字にしてしまうのは残念だ。

 安倍晋三官房長官が自民党総裁に選出される直前だが、シンガポールの「海峡タイムズ」紙は9月19日付の論評で、「安倍が第二次大戦での日本の侵略を認めず、愛国心を強調し平和憲法を改定して軍事化を目指す」と強い警戒の気持ちを表明していた。

 安倍が首相になった9月27日の「インディペンデント」は、「安倍が軍事力を増強して愛国心を高揚させ、戦争放棄を謳った憲法を改めると誓った」と書き、超国家主義者で軍国主義の復活を目指す安倍の政治路線に、侵略主義復活への不安を表明したし、同じ日の「ニューヨーク タイムス(NY. Times)」の社説は、「小泉の挑発的な靖国神社参拝の中止宣言が、安倍内閣の最初の仕事でなければいけない」と書いていた。

 こうして、日本の侵略戦争を東アジア解放の聖戦と考え、東京裁判を否定する安倍の姿勢に対し、世界のジャーナリズムはその祖先帰りを危惧して、祖父の岸信介がA級戦犯だったこととの関連で、不信と警戒の意思表示をしたのである。


「理想を過去に求める」安倍晋三の執念と因縁

  祖父にA級戦犯から首相になった岸信介がいるが、彼は東大で国粋主義の中核だった上杉慎吉教授の薫陶を受けたし、少壮官僚として体験した欧米視察では、ドイツの産業合理化運動と呼ばれた、産業の国家統制の政策に傾倒している。また、ノーベル平和賞の佐藤栄作元首相は岸の実弟で、共に官僚を経て首相を歴任しており、政治家の家系のプリンスだということは、安倍新首相を語るときには常に引用され、外国のメディアでも先ずそのことを強調する。国内のメディアでもそこで終わっており、その先に別格のA級戦犯の松岡が控えていて、その超国家主義が日本の運命を狂わした点は、多くの場合において省かれている。裁判中に病死したのでウヤムヤになっているが、他国頼みの危険な外交をやった松岡洋右は、近衛内閣で外相を務めナチスかぶれの政治家だった。そして、枢軸外交による日独伊三国軍事同盟の締結を始め、国際連盟から脱退して孤立路線を選び、松岡旋風で親英米派の外交官46人の首を切り、日本の外交基盤をメチャメチャにしてしまった。強烈な国家意識は明治以来の長州閥の特性だが、岸を中核にして安倍晋三に続く家系は、国家統制と軍国主義への強い遺伝子を持ち、それが松岡や岸などの国粋主義から、宮本顕治のような共産主義のボスに至るまで、国家権力への欲望を駆り立ててきた。

 なぜ安倍が愛国主義を教育の中心におき、教育基本法や憲法の改定を急いでいるかや、防衛庁を省に昇格して軍事行動の自由のために、集団自衛権の見直しを優先課題にしているかは、この安倍の家系を包む国家主義の亡霊が、日本の政治に憑依している証拠である。それは国防国家への志向という衝動が、ポピュリズムの時代精神として現れたのであり、それは岸信介が試みた戦前の統制国家が、どんな軌跡を残したかを知れば明白になる。


臨戦国防国家体制への回帰

  岸は東大三年生で高文に合格して翌1920(大9)年に農商務省に入るが、同期入省には三島由紀夫の父の梓がいた。農商務省は4年後に農務省と商工省に別れるが、商工省の少壮官僚の岸は欧米視察を体験している。また、1930(昭5)年の訪独で産業カルテル化を見た岸は、1928年に始まったソ連の「第一次5ヶ年計画」と、ドイツが基幹産業の国家統制に影響されて、帰国した翌年に「重要産業統制法」を作っている。また、満州事件の翌1931年に誕生した満州国では、この「重要産業統制法」を国策の基本にしたし、1936(昭11)年に岸が満州国産業次長に就任してからは、「産業開発5ヵ年計画」による国防国家が本格化した。

 満州での仕事を三年で切り上げて帰国した岸は、古巣の商工省に戻って国家総動員体制を仕上げ、安倍内閣の商工次官を経て東条内閣の商工大臣になる。満州で岸が実験した国防国家路線は、日本の産業活動を国策に服従させて、終身雇用、源泉徴収、業界団体、公団公社化などに見る、戦時経済に合わせた1940年体制になっている。これはナチスが推進した国家社会主義の実現であり、その源流にはソ連が実行した計画経済に基づく、軍事力と経済力を侵略のために総動員した、官僚による独裁的な国家支配のシステムがあった。

 関東軍の参謀長だった東条英機は、満州国の産業を支配した岸と親しく、アヘンを機密費として利用しあった仲だったと言う。しかも、戦時体制の大日本帝国の政策を動かしていたのは、首相、外相、陸相、軍需相に加えて参謀総長を兼務した東条と、東条に軍需相は召し上げられたとはいえ、軍需次官と国務大臣を兼任した岸信介だった。また、東条を首相にと奏上したのは木戸内府だが、木戸幸一は商工省第一部長だった時代に、岸の上司だった長州閥に属す官僚で、木戸孝允(桂小五郎)の孫でA級戦犯でもあった。

 こうした東条、岸、木戸、松岡というA級戦犯の四角形と、祖父の岸を敬愛する安倍晋三が人気で首相になり、国家主義に根ざす軍事路線を推進して、憲法を改めて国防国家の復活を目指すことは、東条内閣の再来を思わせずにはおかない。岸信介が推進した国家社会主義と東条の軍国主義が、安倍内閣に相乗効果を伴って再生すれば、日本の運命は極めて危険だと知る必要があるし、超国家主義はナチズムに紙一重なのである。

『財界にっぽん』[遠メガネで見た時代の曲がり角]連載第1回

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2007年5月18日 (金)

【緊急】賛同ブロガー募集! 

現在、『財界にっぽん』という経済誌に在米の藤原肇博士が安倍内閣を論じている記事が毎月シリーズで出ており、私が管理しているホームページ【宇宙巡礼】にもアップして公開しています。

[遠メガネで見た時代の曲がり角]
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article.html

そのホームページ【宇宙巡礼】の姉妹サイトとでも言うべき掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】に以下のような投稿が載りました。

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14 名前:森川 投稿日: 2007/05/17(木) 14:57:26
国会は議論する場だのに、憲法を改悪しようとする安倍によって、議論抜きで国民投票法が強引に通ったのに、国民はそれをぼんやりした気持ちで受け入れている。この思考を停止した国民の愚昧さは、どうにも救いが無いと言うしかないと考える。戦前の暗黒政治に逆戻りするだけだと思う。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2491/1120993034/
日本人の絶望的保身体質
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それに対して私は以下のような投稿を行っています。

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16 名前:サムライ 投稿日: 2007/05/17(木) 20:03:51
サムライです。ブログ【教育の原点を考える】の管理人として、ブロガー仲間の名月さんの呼びかけに賛同する旨のメッセージ先ほど流しました。皆様の中で個人ブログをお持ちの方は是非今回の名月さんの呼びかけにご参加ください。ちなみに、先ほど「きっこの日記」のきっこさんも賛同のメッセージを流していました。

http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-352.html
【緊急】賛同ブロガー募集! 「民主党候補者に改憲の賛否を問うアンケート」

サムライ拝
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それにしても、森川氏の「この思考を停止した国民の愚昧さは、どうにも救いが無いと言うしかないと考える」という発言に対しては、正にその通りなので反論のしようもありません。それでも、「反戦な家づくり」の名月さんをはじめ、「きっこの日記」などのブロガーといった、心あるブロガーが立ち上がりつつあるのがせめてもの救いであり、安倍内閣の暴走を食い止めるためにも、一人でも多くのブロガーが「反戦な家づくり」に集うことを心から祈ります。

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2007年5月 8日 (火)

『幕末維新の暗号』

B070508 『あやつられた龍馬』(祥伝社)や『石の扉』(新潮社)といった一連のフリーメンソンものを書いている加治将一氏が、『幕末維新の暗号』((祥伝社))という新著を出したと【阿修羅】という掲示板のトップページに紹介されていたので、早速クロネコヤマトのブックサービスに発注をかけると同時に、本ブログ【教育の原点を考える】でフルベッキに関する貴重な論文を寄せて頂いている高橋信一先生にも即メールでお知らせしました。すると、すぐに高橋先生からメールで応答があったのであり、その後幾度がメールのやり取りを行った結果、加治将一氏『幕末維新の暗号』の書評をアップしようということになりました。よって、ここに高橋先生の書評に続いて私サムライの書評を載せますので宜しくお願い致します。

書評:『幕末維新の暗号』

■TVディレクターvs.作家
私が加治将一氏の新著『幕末維新の暗号』を読了してつくづく思ったことは、過日私がアップした『覇王不比等』を著した黒須紀一郎氏の著作と比較して、同じ小説とはいえ両書には雲泥の差があるという点でした。思うに、この違いは黒須氏がテレビのフリー・ディレクターであり、加治氏が作家であるということに由来するのでしょう。『覇王不比等』でも既に読者の皆様に紹介しましたが、アマゾンドットコムに載っていた書評にあった、「売文を商売にする作家よりも、テレビや映画のディレクターやシナリオライターに、本当に有能な人が多い」、という発言の正しさがここでも証明された形になります。

ただし、誤解のないように一言添えておきますが、作家の中にも本物はやはりいるものであり、その一人が『曼陀羅の人』を著した陳舜臣氏です。拙ブログでも同氏の『曼陀羅の人』を取り上げていますので、一度是非ご訪問いただければ幸いです。
曼陀羅の人

■インテリジェンスvs.インフォメーション
黒須紀一郎氏の『覇王不比等』や陳舜臣氏の『曼陀羅の人』がインテリジェンス・レベルの本であるとすれば、加治将一氏の『幕末維新の暗号』はインフォメーション・レベルの本に過ぎないという点もここで指摘しておきたいと思います。インテリジェンスとインフォメーションの違いは、拙ブログでもたびたび取り上げていますのでここでは敢えて繰り返しませんが、参考として以下の2本の拙ブログの記事を一読していただければ、ある程度はインテリジェンスとインフォメーションの違いを理解していただけるものと思います。
空海の夢
聖徳太子と日本人

■誠実さ
聖徳太子と日本人』では、最後の方で『否定できない日本』(文春新書)を著した関岡英之氏の本をインフォメーション・レベルに留まっている本と批評しましたが、それでも引用先を米国政府の『年次改革要望書』であることを正確に書いている点は当然とは云え常識ある態度だと思うし、また日本人に『年次改革要望書』の存在を広く知らしめた功績は大きかったと思います。

それに反して、加治氏の場合はどうでしょう。関岡英之氏の場合はノンフィクションであり加治氏の場合は小説というフィクションだという違いはあるにせよ、高橋信一先生が『小説「幕末維新の暗号の検討結果」』でも述べておられるように、他人の説を盗用し、恰も自説の如く小説に書く加治氏は、人間として当然持つべきモラルが欠けていると謂わざるを得ません。たとえば、以下の高橋先生の書評が好例です。

(17) p.269・・・「鍋島直彬」の存在の仮説は私のオリジナルである。出展を明示しないのは、盗用である。彼が明治元年に長崎にいた理由は戊辰戦争に勇んで参戦しようとした直彬が鍋島直正から長崎警備を命令されたためである。通例なら、佐賀本藩の仕事であった。慶応元年の所在証明は別にする必要がある。

『小説「幕末維新の暗号の検討結果」』

とあるように、「鍋島直彬」についての情報を最初に知った者の一人が私であり、かつ拙ブログにアップロードしているだけに、間違いなく「鍋島直彬」の存在の仮説を初めて発表したのは高橋先生であることを此処に証言しておきたいと思います。

また、『幕末維新の暗号』は明治天皇すり替えという日本のタブーを取り扱っていますが、これは加治氏のオリジナリティでは全くなく、故鹿島昇氏の『裏切られた三人の天皇』(国民社)を下敷きにしていることは明らかです。『裏切られた三人の天皇』については拙ブログでも若干ふれていますで参照頂ければ有り難く思います。
明治天皇(2)

なお、『幕末維新の暗号』は小説という形を取っているにしては、何故か巻末に主要参考文献を掲げています。そして、その中に『裏切られた三人の天皇』も羅列してありました。『幕末維新の暗号』の中での明治天皇に関する記述は『裏切られた三人の天皇』無しには成り立たなかっただけに、流石の加治氏も知らんぷりはできなかったようです。

■品性
高橋先生の『小説「幕末維新の暗号の検討結果」』を一読すれば明白のように、小説とは云え加治氏の『幕末維新の暗号』は嘘が余りにも多い本であり、多くの読者を惑わせる愚書です。

同じ小説でも、黒須純一郎氏の著書群には品性が感じられました。その点、加治氏の本からは全く品性は感じられなかったのですが、何故かとよくよく考えてみたところ、高橋先生といった他人の説を平気で盗用するといった人格の問題もさることながら、『裏切られた三人の天皇』といった本をそのまま下敷きにして加治氏に都合よく編集しているだけの本である点が大きいように思えます。その点、黒須純一郎氏の『覇王不比等』を一読した後、改めて中国の兵法書である『孫子』、『六韜』、『三略』を紐解いてみたいという衝動に駆られたことを思えば、品性だけでなく作者の持つ人間的な深みにおいても天地ほどの開きがありそうです。

加治氏の本に惑わされる読者が一人でも減ることを祈りつつ本稿の筆を擱きます。

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小説「幕末維新の暗号」の検討結果

 慶応大学の高橋信一助教授から『幕末維新の暗号』(加治将一著 祥伝社)の書評が届きましたので、本ブログ上で皆様に一般公開させて頂きます。なお、以下の「フルベッキ年表」(verbeck_relatled_chronology01.xls)も是非参照願います。
「verbeck_relatled_chronology01.xls」をダウンロード

小説「幕末維新の暗号」の検討結果

慶應義塾大学 准教授 高橋信一

(1) 私がブログで論じたことを出展の引用をしないで、盗用している。平成18年4月8日に加治将一氏に呼ばれて大崎のホテル・ニューオータニ・イン東京で会合し、私の資料のコピーを渡し、いろいろな説明をした。その内容が、登場人物の名前を変えて随所に使われている。それ以後更新されたブログは踏まえていない。加治氏にはブログの最新版を精読することを強く薦める。
p.32・・・「フルベッキ写真」流布の経緯。
p.39・・・「四分の一が悲劇に見舞われた」の記述。
p.46・・・ここの記述もブログを踏まえたもの。
p.79・・・「オリジナルの存在について」の記述。勝手な引用が他にも多数ある。

(2) 空想を論じるのは自由である。しかし、それをもっともらしく見せるために、記録が残っている史実をねじ曲げてよいはずがない。

(3) 偽説を唱える人たちの常として、いつも最初に出てくるのは、「写真に写っている人物がこれこれであるから、撮影はこれこれの年だ」といういい方である。この本は一貫して、その姿勢で書かれている。しかし、似ていても、別人である可能性はいくらでもある。主観に基づく人物の同定は極めて難しく、慎重に行われなくてはならない。簡単に決め付ける前に、証拠を上げて論拠を説明すべきである。古写真を観察する際に常に必要なのは、人物如何に関係なく、その写真がいつ撮影されたかということを出来得る限り厳密に説明するべきだということである。最初から判断が間違っていれば、結論が正しいはずがない。

(4) p.47・・・「彦馬の子孫・・・」はまったく根も葉もない為にするものである。感情的な攻撃の前に上野一郎氏が間違っている証拠を一つでも上げて論証すべきであろう。それをやろうとしないのは、上野氏の研究を否定しないと偽説の立つ瀬がないからである。

(5) p.55・・・「石畳の通路・・・」は元々この場所にあった家屋を壊した名残であろう。広い写場についての記述は私の最近のブログに書いたように、昭和9年に永見徳太郎が「長崎談叢」第14輯に「白い塀垣の脇に黒幕を垂れ、ロクロ細工の手摺飾りを置き、その背景前で青天井のもと撮影していた」とあり、白壁が築造された明治以降のものであることがわかる。明治4年にベアトが朝鮮出張の前後に長崎で撮った写真にもその様子が写っている。「Felice Beato in Japan」参照。この写場が上野彦馬のものであることは明治3年4月26日に撮られた「毛利元徳と木戸孝允ら」の写真から確認出来る。「写真の開祖 上野彦馬」参照。撮影日は「木戸孝允日記」に記録されている。

(6) p.60・・・「4,5歳に見える」なら、明治元年のエマでまったく差し支えない。外人の子供の男女の見分けは不可能である。

(7) p.79・・・島田隆資の論文をちゃんと読めば、「一ばん前列左はしは木戸さんか、岩倉さん」、「江副廉蔵は前列左から三人目」となっている。指している人物は木戸孝允と目される人物から数えて三人目でなくてはならない。江副家に残る若い頃の江副の写真からも、この人物の一人右隣りであることは明白である。尚、江副廉蔵は慶応3年12月29日に致遠館に入学したことが記録に残っている。慶応元年に入学した事実はない。撮影されたのは、慶応4年(明治元年)以降である。「岩松要輔 近代文明との出会い 英学校・致遠館」参照。

(8) p.81・・・「大隈重信」の対照写真は明治5年暮れから翌年初めにかけて、横山松三郎により、ウィーン万博出品のために撮影されたもので、同定に使うには後年過ぎる。中野健明の同定(p.149)に利用された慶応3年撮影の「佐賀 幕末明治500人」の口絵写真が順当なところである。それと比較すると月代が剃られていない点や、眼つき、あごの形など明らかに別人である。「フルベッキ写真」の人物は額に凹凸があるが、大隈にはまったくない。古写真研究家の森重和雄氏が指摘したように、「写真の開祖 上野彦馬」所載の人物の方がよく似ている。

(9) p.82・・・「済美館生徒とフルベッキ」写真に全員の名前が入っているというのは事実誤認である。ほとんどは広運館の教師たちであるが、一部氏名が不明になっている。長崎県立歴史文化博物館所蔵。

(10) p.107・・・「折田彦市」についても、私のブログの転用である。せめて、「一枚の肖像画 折田彦市先生の研究」を引用すべきである。尚、折田の周辺の人たちは、この人物の後ろの高杉晋作と目される人物だとしている。主観に頼る人物同定の限界である。

(11) p.133・・・「横井兄弟」の対照写真は慶応2年の留学前に上野彦馬の写場で撮られたものである。こちらも広い写場ではない。「陸奥宗光」参照。なぜ慶応元年に撮られた写真の方が月代を剃っていないのか?本物に見えるという主観の方が疑わしい。「日本のフルベッキ」でグリフィスが「フルベッキ写真」の説明をしていて、それを根拠に大隈がいると主張しているが、グリフィスはラトガース大学で長期間自分が直接面倒を見た横井兄弟や日下部太郎(p.410)が写っていると言っていない。岩倉具定兄弟以前に先ず名前が上げられるはずである。p.248に「グリフィスは大隈と入魂」と書いているが、大隈との面識や交友の記録は存在しない。「グリフィス・コレクション」を精査すべきである。

(12) p.148・・・「中野健明」に関しては、私のブログを訂正をしなければならないかもしれない。森重和雄氏の指摘によれば、明治5年ごろ米欧回覧で岩倉具視らと渡英した先で撮影された若い中野の写真(中野家寄贈になる東京大学史料編纂所 古写真データベース所蔵)を基にすると、岩倉具経の前に坐る人物の可能性がある。年齢とともに顔が大きく変化する人物の実例かもしれない。決め付けは厳に慎むべきである。

(13) p.230・・・「フリーメーソン」の関与を考えるには、もっと当時のメンバーの活動について明らかにする必要がある。名称だけを引き合いに出して何かを論じるのは妄想以外の何者でもない。幕末から明治にかけて来日した外人の内、誰がフリーメーソンに関係したかは、1864年に横浜に設立されたフリーメーソンのメンバー・リストで知れる。それによると、例えば、1867年にフェリーチェ・ベアトがフリーメーソンのメンバーになったことが知られている。「フルベッキ写真」とベアトの関係を解明してみせよ。「John Clark: Japanese exchanges in art, 1850s to 1930s with Britain, continental Europe, and the USA : papers and research materials」及び「Terry Bennett: Old Japanese Photographs」参照。

(14) p.247・・・「山中一郎」の対照写真は私のブログからの盗用である。

(15) p.249・・・「江藤新平」の名誉回復を目指した「江藤南白」のキャプションに江藤の名前がないことが、彼が写っていないことの傍証である。こちらに「フルベッキ写真」が使われたのは、江藤が関係した佐賀藩士を紹介するためでしかない。

(16) p.259・・・「フルベッキの長男」とキャプションされているのは「開国五十年史」でなく、大隈が関係していない「江藤南白」である。事情を知らない編纂者が子供を男子と見間違えたと考える。

(17) p.269・・・「鍋島直彬」の存在の仮説は私のオリジナルである。出展を明示しないのは、盗用である。彼が明治元年に長崎にいた理由は戊辰戦争に勇んで参戦しようとした直彬が鍋島直正から長崎警備を命令されたためである。通例なら、佐賀本藩の仕事であった。慶応元年の所在証明は別にする必要がある。

(18) p.274・・・勝手にトリミングされた写真に対角線を引くのは、何の意味もない。敢えてやるなら、カメラのレンズの焦点の位置を探すべきである。これはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」でも行われている。両サイドに写る板戸の水平線と、石畳のラインを延長した交点はフルベッキと子供の頭の中間に来る。イエス・キリストでも大室寅之祐の頭でもない。これは上野彦馬が撮影した集合写真全般に言えることだが、彦馬は常に中心人物からカメラの中心をずらして撮っている。むしろこの「フルベッキ写真」は中心が合っており、異常である。写場は彦馬邸であるが、撮影は他の人物を考えてもいい。

(19) p.288・・・「高杉晋作と伊藤博文」が長崎でグラバーにイギリス行きを相談し、時期が悪いと説得されて思い留まったのは慶応元年3月であり、完全な勘違いである。この間違いは後にも繰り返されている。上野彦馬の慶応元年当時の狭い写場で撮った二人を含む三名の写真が以下の文献に掲載されている。「伊藤博文伝」、「東行:高杉晋作」。

(20) p.350・・・明治政府が「天皇の写真」を囲い込み始めたのは、1872年1月に横須賀に巡幸した際にスチルフリードが撮影した写真をネガごと買い取ったことが始まりである。「John Clark: Japanese exchanges in art, 1850s to 1930s with Britain, continental Europe, and the USA : papers and research materials」参照。尚、私の最近のブログでは岩倉家に「フルベッキ写真」のオリジナルが存在したことを論証している。処分されたり、秘蔵されるようなものではなかった。単に流布しなかっただけである。「済美館生徒とフルベッキ」写真もオリジナルは流布していない。

(21) p.412・・・「森有礼」の留学記録は存在する。「森有礼全集」参照。彼は慶応元年1月に他の薩摩藩士と伴に鹿児島を出て羽島の船宿に潜伏、3月にイギリス密航を敢行した。密航者の本名と変名は分かっており、森が含まれているのは自明である。「薩摩藩英国留学生」及び「明治の若き群像 森有礼旧蔵アルバム」にそのリストと主だった密航者の慶応元年当時の写真が掲載されている。イギリスで撮影した集合写真も残っている。その写真をつぶさに検討すれば、「フルベッキ写真」に該当者がいるかどうかわかるはずである。誰もこれを検証しようとしない。

(22) p.415・・・「三条実美と岩倉具経」が写っているという写真は、明治2年8月に来日した写真家ブルガーが2週間ほどの長崎滞在中に撮影したステレオ写真の片割れであり、ステレオ写真のホルダーにはブルガーの名前が印刷されている。「サムライ古写真帖」参照。この写場で撮影が行われていたのは明治元年から明治6年の間である。それ以前の写真は存在しない。探し出すべきである。はっきり慶応元年と証明出来る写真があれば、偽説が真説になろう。明治2年のこの時期には、三条は東京におり、具経は兄具定と長崎で行動を伴にしていたはずである。なぜ三条や具経だと思い込んだのか。写真の内容も吟味せずに勝手な当て嵌めが行われた。

(23) p.416・・・下岡蓮杖にS.R.ブラウンの娘が写真術を教えたとしているが、教えたのはブラウン本人である。「S.R.ブラウン書簡集」参照。

(24) 全体として、これまで言われて来た俗説を掻き集めて来たもので、目新しい発見はない。似ている写真の当て嵌めに終始している。そのやり方も個人的な主観以外に何も明示されていない。密航者を含めた薩摩藩士の存在についてほとんど触れていないのは、可能性を論証出来ないためであろう。撮影日を絞り込むことが出来なかったことも含めて、文献調査や歴史の事実の探求が大幅に不足している。小説としているが、加治氏の意図が成功したとは言い難い作品である。

(平成19年5月5日)

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