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2007年4月 8日 (日)

『日本書紀』

B070408 『日本書紀』は、日本人なら誰もが知っている古典ですが、そのわりには全巻に目を通した人の話は余り耳にしませんし、私もそんな一人でした。ところが最近、その『日本書紀』で確認したい箇所が次々に出てきたので、そろそろ手許に置いても良い時期だと思い、アマゾンで同書を探してみたことがあります。幾つかあった『日本書紀』の中で、宇治谷孟が口語訳した『日本書紀』(講談社学術文庫)が良さそうに見えたので、早速アマゾンのショッピングカートに入れ、続いて[注文ボタン]をクリックしようとした時、ふと思って日本の古典を並べた書架に目を向けると、『日本書紀 上・下巻』(宇治谷孟訳 講談社学術文庫) が目に飛び込んできたのでした。5年前ほどに購入していたのをすっかり忘れていたのです。現在、同書を寝室のベッドの横に積み、就寝前に他の古典や数多くの書籍と並行して少しずつ読み進めているところです。ちなみに、並行して読み進めている他の古典は、『六韜』(林富士馬訳 中公文庫)、『三略』(真鍋呉夫訳 中公文庫)、『抱朴子・列仙伝・神仙伝・山海経』(葛洪他訳、平凡社)です。その他古典以外の書籍も並行して読み進めていて、いずれ書評に取り上げたい本が多いのですが、今回は『日本書紀』と関連して読み進めた書籍のみに絞り、シリーズの形で数冊取り上げていきたいと思います。

ここで『日本書紀』の話題に戻りますが、ここ半月ほどにかけての私の読書傾向は正に『日本書紀』を軸にしたものであり、『日本書紀』に関連したさまざまな書籍を漁りながら思ったことは、『日本書紀』は一種の“踏み絵”だということでした。つまり、『日本書紀』をどのように捉えているかによって、その人の思想が浮き彫りになるということです。何故なら、『日本書紀』の行間には日本のタブーが至る所に隠されているからであり、その日本のタブーを何処まで炙り出せるか、炙り出したら何処までそのタブーを受け容れることができるかは、その人の持つ思想なり人生体験によって異なってくるのではないでしょうか。

以上の点を踏まえ、『日本書紀』とは何か、『日本書紀』に隠された日本のタブーとは何かといった点を中心に、支障のない範囲で筆を進めていきたいと思います。ご参考までに、今後予定している『日本書紀』関連のテーマは以下のとおりです。

第一回・『聖徳太子と日本人』(大山誠一著 角川ソフィア文庫)
天皇制とは何か、架空の人物・聖徳太子を創った『日本書紀』、『日本書紀』編纂の中心人物であった藤原不比等など

第二回・『覇王 不比等』全三巻(黒須紀一郎著 作品社)
『日本書紀』編纂を行った藤原不比等の正体、『六韜』、『三略』など

第三回・『役小角』全三巻(黒須紀一郎著 作品社)
里と山と、空海、『抱朴子』、その他

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