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2007年4月11日 (水)

『役小角』

B070411 今回取り上げる『役小角』も『覇王不比等』同様に黒須紀一郎氏の作品です(ちなみに、役小角は「えんのおづぬ」と読む)。前回、『覇王不比等』の最後の方で取り上げた「くずもん」を代表する人物こそが役小角ですが、役小角が『日本書紀』に登場することは一切なく、『日本書紀』の編者は役小角をはじめとする「ぐすもん」の存在を故意に隠そうとしたことが分かります。しかし……。

『日本書紀』は、巻第二十八のすべてを費やして、壬申の乱を事細やかに記している。そして、その狙いは、大海人の決起が決して反乱などではないことを強調することにあった。それともう一つ、小角の率いる賀茂の民参戦の隠蔽である。『日本書紀』に記載された壬申の乱のどの箇所にも、役小角もしくはそれを思わせる一族の名はない。しかし、僅かに痕跡を留めた箇所は、幾つかある。いくら『日本書紀』の編者が隠そうとしても、これだけの大乱を詳述してしまえば、どこかに綻びは出てしまうものである。

『役小角』第二部 p.243

役小角やその一団が壬申の乱に参戦した痕跡が『日本書紀』の何処に記してあるかは、拙ブログを訪問してくれた皆さんが『役小角』第二部を読む際の楽しみに残しておくとして、当時10人中9人までが渡来人という日本にあって、当然ながら「くずもん」である土着系住民は10人中1人程度でした。しかし、役小角を代表とする「くずもん」は渡来人にはない、理解の及ばない世界の住人だったのです。そうした役小角らの教えを伝承した代表的な人物の一人が後に登場する空海でした。その空海が修験道の開祖とされている役小角から引き継いだものの一つが錬金術であったことは明白であり、そのあたりの詳細は 佐藤任氏の著した『空海のミステリー―真言密教のヴェールを剥ぐ』 (出帆新社) を一読すると良いでしょう。また、佐藤任氏の著作に関して意見交換を行ったスレッドがありますので、ご参考までに以下に紹介しておきます。
空海の夢

さて、役小角ら「くずもん」は何も太古の昔の人たちではなく、現代も「サンカ」と名を変えて生き続けています。尤も、サンカというと河原乞食を連想する読者も多いかもしれませんが、それは違います。藤原肇氏の著した『朝日と読売の火ダルマ時代』の中で役小角を引き合いに出した以下のような対談がありました。

 歴史的にサンカを生態人類学的に調べたら、海系統と山系統の2つの流れがあって、海系統の海人(あま)は海や川で漁をする海部で、山系統の山人は山岳地帯に住む山部であり、海部と山部の総支配人をアヤタチと呼び、これがサンカの大統領に相当します。そして、アヤタチの住む所が丹波のアヤベであり、出口王仁三郎はサンカ出身だから、その後に政府の大弾圧で徹底的に破壊されたが、大本教の本部を京都府の綾部に置いたのだし、丹波はサンカ文化にとって本拠地のようです。

 出口王仁三郎は本名が鬼三郎だった通り、確かにサンカ出身だったのは明らかだが、それで綾部に本部をつくったというのはどうかな。
丹波は古くから全体としてサンカの聖地で、大統領はしばしばアヤタチ丹波であるし、丹波、丹後、但馬はサンカ王国の中心だった。だが、出口王仁三郎や大本の話は明治のことだし、歴史的にみれば割に最近の出来事であり、中世に起源を持つサンカの歴史にとっては、それほど決め手になるとはいえないな。

 その意味で一気に古代に溯って考えると、奈良時代の役小角に関係しているようだし、深山で修行した山伏の生活にも結びつき、起源的には随分と古い時代になるようです。だから、エリアーデが論じる宗教史のような、きわめて文明の問題との関連で、学問的に文化人類学の側面からもアプローチして、きちんと整理しなければならない。また、どうしても関連領域が拡大してしまい、漂泊民と定住民という生活様式に基づく、部落問題と農民との関係という古い枠組を越え、新しいパラダイムの捉え方が必要になりました。そして、サンカの問題を社会的に理解するには、漂泊民の問題として山人と谷人の問題があり、仙と俗の間の情報理論が明らかになりました。

『朝日と読売の火ダルマ時代』 p.91~93

以上の箇所だけを紹介すると、いかにもサンカあるいはくずもんは過去の話として考える読者が出てくる恐れがあります。しかし、現実はそうではなく、今日においてもサンカは実存するのであり、しかも日本社会にかなりの影響力を持っています。そのあたりを述べた下りを『朝日と読売の火ダルマ時代』から差し障りのない範囲で引用しておきましょう。

 それは昭和史だけではなく明治史にも共通で、鉄道と電力会社の経営に関しては、山岳地帯や河川領域を握っていたから、サンカ系統が支配する傾向が濃厚でした。

 地方の鉄道は森林や鉱山の開発が関係して、山岳地帯の土地の買収や工事のせいで、山を支配していたグループが強かったし、水力発電所も同じ理由によるわけですが、それに、明治時代の電力事業はすべてが民間でやり、地方のブルジョワが式心を出し合ったし、鉄道の建設も民間会社がやっていて、国営化はずっと後になってからでしたね。

 明治政府を動かした薩長の武士のほとんどは、足軽などの下級武士が中心だったから、資金的には行商や両替を営む商人や、換金商品の生糸や鉱産物を扱う豪農に、産業を育てる資金を仰いだわけです。それが工場や発電所の建設になったり、鉱山開発や鉄道の付設に結びついたし、明治の後半になると化学工場も生まれ、ナントカ電工という工場が育ちます。それが揖斐川電工、昭和電工、日窒コンツェルンにと育ち、化学工業のほとんどが川筋者との関係で、サンカ系統の企業家に活動の場を提供した。

 それは川の利権と結びついていたわけですね。

 鉄道が敷かれるまでの運輸の主体は船であり、木曾川や淀川は筏の輸送でも賑わい、河川の利権と結びついた形で産業が発達し、明治となって石炭が使われた時には、筑豊地帯は遠賀川の川船が大繁盛して、川筋者がこの世の春を謳歌したものです。それを扱ったのが火野葦平や五木寛之の小説で、筑豊炭田地帯の川筋者のあらくれ物語であり、別の意味では都市化の中でのサンカの立志伝です。また、漂泊者が居着いたのがイツキであり、それを浪民のロマンとして描いたのが『風の王国』で、五木寛之はサンカからのメッセージを託しました。

『朝日と読売の火ダルマ時代』 p.97~98

以下も『朝日と読売の火ダルマ時代』で述べられているサンカに関する重要な内容ですので引用しておきましょう。

 漂泊生活のパターンを持って移動するサンカは、定住する農民や耕作人に較べて自由奔放で、行動力に富んでいる人間に属します。だから、戦国時代や社会が不安定な変革期には、古い秩序からはみ出して生きているだけに、新しい勢力として台頭する力を持っていた。しかも、戦国時代の終わりに野武士や商人となったり、幕末に商人や産業人として進出して、新しい時代の覇者になることが出来たのです。
私は地質学を専門にして生きてきたお陰で、大学時代にはダム工事の関連の仕事をしたし、ヨーロッパでは石炭開発の仕事をしており、アフリカでは鉱山の開発に関係しました。私自身がある意味で山師として生きたことは、ある意味でサンカや山伏の生活に共通だし、徳川時代や明治時代は鉱山開発が重要で、明治の日本の産業発展史と一致します。

 これまで日本人はサンカと部落民を混同して、一種のタブーのように扱って来たが、これはとんでもない間違いであり、そのために多くの誤解と悲劇の種となった。部落や同和というのは行政上の概念で、特定な歴史的な事情によって、文化的、経済的な改善が著しく立ち遅れた地域に住む者を指し、地域の住民の認定であっても身分ではなく、失業者や身体障害者と同じ扱いなのです。ところが、日本人のほとんどはこの区別が分からずに、サンカを同和問題とごちゃ混ぜにして、差別と誤解してタブーにして来ました。

『朝日と読売の火ダルマ時代』 p.93~94

朧気ながら、サンカの特徴を掴んで頂けたのではないでしょうか。時代は正に情報大革命という大転換期に突入しようとしており、そうした時代にあっては「自由奔放で、行動力に富んでいる人間」であるサンカあるいはサンカ的気質を持った人たちが活躍する時代であると思います。私自身も、「自由奔放で行動力に富む」サンカ的な生き方をしたいと思う今日この頃です。

以上、『日本書紀』にまつわる日本のタブーの一部について言及してみました。今後も機会があれば『日本書紀』関連のテーマを取り上げてみたいと思います。

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サムライと言えば日本です。 外国の方は大好きです。 カッコイイよね、武士道精神。 [続きを読む]

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