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2005年10月

2005年10月30日 (日)

『小泉純一郎と日本の病理』

b051030 私が開設しているホームページ【宇宙巡礼】で取り上げている在米の藤原肇氏の本が、『小泉純一郎と日本の病理』と題して光文社ペーパーバックスより発行されました。今朝の段階でアマゾンでの売上は第16位です。以下はメールマガジン【日本脱藩のすすめ】で読者にお知らせした『小泉純一郎と日本の病理』の案内です。

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              日本脱藩のすすめ  臨時増刊号
                
              『小泉純一郎と日本の病理』

                                                          2005/10/29
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■■■ 『小泉純一郎と日本の病理』
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■■■ http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/books/

 一年ぶりに、藤原肇博士の新書が発売されましたのでお知らせ致します。
数日前もアマゾンの売上ランキングで120位近くまでいきましたが、それ
だけ多くの人たちに注目されていることが分かります。しかし、鹿砦社社長
松岡利康氏の逮捕・長期勾留が物語るように、昨今における権力側の締め付
けが厳しさを増しており、今回の新書『小泉純一郎と日本の病理』も、いつ
発行禁止になるか予断を許さない情勢です。よって、万一のことを考え、心
ある読者は今のうちに入手されておくことをお勧めします。なお、同書に目
を通した読者の一人から同書の書評が届きましたので、本人の了解を得た上
で以下に転載します。


◆◆ 「うっかり一票、すっかりゾンビ」に対する頂門の一針
◆◆ 一目山隋徳寺

 構造地質学のプロとして地球の診断医であるだけでなく、同時にメタサイ
エンティストであり、歴史学徒でもある著者は、既に4半世紀にわたり数多
くの著書で、我々に日本の亡国現象を指摘し、それに対する深いダイアグノ
シス(診断)を明示し続けてきた。

 しかし、私を含め、日本の若い世代はその的確な診断書の数々を日本がか
かった業病の治療作業に活かしきる力を持たず、その努力も怠ったため、日
本はついに病膏肓に入り「腐」から「死」に至って、ついには国民が911
選挙において小泉首相に大権を付与するところにまで立ち至ってしまってい
る。

 本書はペーパーバックス・スタイルの手頃な書籍であるが、一読すれば、
ただでさえ大きな変動が予想される世界のなかで、我々がこれから祖国日本
において、いかにとんでもない時代を生きることになったかが深く感得でき
る力強い内容と情報を持った書である。そして、本書を読めば、開いてしま
った地獄の釜の蓋をいかに速やかに閉じるかに叡智を絞ってとりくまなけれ
ばならないということが身にしみて理解されるはずである。

 不幸中の幸いと言えるのは、著者が、国民が911選挙の結果を眺めて、
自分たちは過ちを犯したのではないかとはたと反省する絶妙のタイミングを
捉えて、このインパクトあふれる『小泉純一郎と日本の病理』を世に出し、
ゾンビ達に支配されて前後不覚の死に体に陥った日本に頂門の一針を叩き込
んでくれたことである。

 願わくは、少しでも多くの人が本書を手に取り、その頂門の一針の衝撃を
分かち合い、「ゾンビ政治」と「賎民資本主義」による政・官・財・宗と闇
社会の構造的癒着と腐敗・暴走を阻み、人材の枯渇、教育の荒廃を改めよう
とする決意を共有して、自ら本気で目を開き、目を覚す契機としてほしいも
のである。

 小泉政権が今後の日本と日本人をどこへ導いていくのか?に対する著者の
答えはP294に端的に記されているが、それが誇張や脅しではないことは、本
書を読み終えた者は戦慄をもって感得することであろう。 

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2005年10月24日 (月)

『新石油文明論』

b051024 今秋開催予定の脱藩道場総会に、『新石油文明論』(槌田敦著 農山漁村文化協会)が取り上げられることになり、参加する予定の私は早速オンライン書店に発注をかけました。そして、数日後に届いた同書を一気に読了したのですが、久々に読み応えのある本に出会ったなという幸せな気分に包まれた次第です。以下、例によって印象的に残った個所を一部列記しておきましょう。

 ところで、自然科学者や経済学者が、地球環境や社会について的確に対応できないそもそもの原因は、それらの学問の基礎となる物理学の現状にある。現在の物理学には、孤立した系または平衡状態にある系、つまり物質やエネルギーが出入りしない物質系を論ずる熱力学しか存在しない。このような孤立・平衡系の熱力学では、物質やエネルギーの出入りする生命や人間社会を含む現実の世界が理解できるわけがない。
 そこで、基本に戻って、物質やエネルギーの出入りする開放系の熱物理学を新しく構築することとした。この開放系の熱物理学なら、活動維持、いわゆる持続可能性の条件が得られる。それは、入力出力物質循環複合循環、そして遷移の5つの条件から成り立つ。
『新石油文明論』p.2

ここで述べられている「開放系の熱物理学」は、同書の白眉とも云うべき画期的な概念です。槌田氏の説く「開放系の熱物理学」については、同書にじっくりと目を通して理解するのも良いでしょうし、直ぐにも「開放系の熱物理学」について知りたいというのであれば、以下の図サイトを訪問してください。
『環境問題』を考える

ご参考までに、以下は「開放系の熱物理学」の図です。

circulation01
物質系が活動を維持するための条件

この図は、私たちにとって身近な車のエンジンや飛行機のエンジンの全行程を、今まで見慣れたピストンリングの図を使わずに、別の観点から図示したものであり、この図に「開放系の熱物理学」の基本概念が凝縮されているのです。同書ではそのあたりを以下のように述べています。

 「エントロピーは発生するばかりで、消滅することはなく、エントロピーが溜まれば活動は止まってしまうと熱物理学は教えている。しかし、活動を維持する不思議な物質系が存在する。それはエンジン(生命を含む)である。
『新石油文明論』p.89

詳しい解説は同書に譲るとして、槌田氏の説く「開放系の熱物理学」は、今まで私たちが抱いていたエントロピーの固定概念を打ち破ってくれるだけではなく、エンジンに限らず、生命、人間の諸活動、社会、さらには地球、宇宙の活動も上図に当てはまることも教えてくれるのです。そして、ここで云う“諸活動”が、本ブログでも取り上げたことのあるホロコスミックス(宇宙システムを構成する多次元構造を示すの図)に行き着いたのは、私にとって自然な成り行きでした。

ともあれ、御用学者の多いご時世で、世の中の間違った常識に囚われることなく、己れの信じるところを貫くというのは並大抵ではなく、その点からも私は槌田氏の姿勢に心を打たれのでした。その槌田氏の著した書籍ですから、私が考えていたこと一致することが多いのも決して偶然ではないのでしょう。例えば、現在は地球温暖化で騒いでいますが、私は逆に近い将来において地球は寒冷化するのではと思っていただけに、槌田氏も同意見であることを知って我が意を得たりと思ったのです。

その他、原発が無駄な代物であるという点についても槌田氏と意見の一致を見ています。槌田氏の場合、原発について以下のように厳しく糾弾しています。

 …原発の運転続行は、人類の遺伝子の破壊を進め、人類の安全を脅かす重大犯罪である。
『新石油文明論』p.27

原発について言及するにあたり、槌田氏は過去勃発した代表的な原発事故についても述べています。すなわち、・ウィンズケール原発事故、・スリーマイル原発事故、・チェルノブイリ原発事故、・美浜原発事故の四つの代表的な原発事故です。中でも、尤も深刻だったのが日本で発生した美浜原発事故だったというのですから、驚く他はありません。詳しくは同書の25ページを読んで頂くとして、美浜原発事故をはじめとする過去の原発事故が、大惨事にならずに“軽傷”で済んだのも、人類にとっては非常にラッキーだったと云えそうです。(チェルノブイリ原発事故は大変な事故だったのではないか、という声が聞こえてきそうですが、あの程度の事故で済んだのは人類にとって幸いだったとしか言いようがないと、同書を読めば理解していただけるでしょう)

それでも、同書を読み進めていくなかで、今まで常識と思っていたこと、正しいと思っていたことが間違いであったことを槌田氏に指摘され、愕然とした私でした。斯様に、“世の中の常識”を信じ込むことの怖さを思い知らされたのであり、以下はそのような下りの一例です。

 南極のオゾンホールはフロンが原因ではない。オゾンの少ない高層成層圏の大気がオゾンの多い南極の低層成層圏に流れこんだから生じたのである。温暖化論にしてもオゾンホール論にしても、本文中で述べる政治や企業の利益と結びついており、最近の自然科学者はこれらの代弁者に成り果てている。
『新石油文明論』p.1

私は半導体業界で計13年仕事をしてきた人間です。半導体の関係者ならご存じの通り、かつては半導体製造においてフロンは不可欠でした。フロンを大量に使用する半導体製造装置のセールスマンとして、私はヨーロッパ・アジア諸国を飛び回り、売り込んでいた人間だっただけに、フロンによるオゾン層破壊のニュースを耳にするたびに肩身の狭い思いをしてきたものです。それだけに、槌田氏の「南極のオゾンホールはフロンが原因ではない」という下りを読み、安堵したというよりは唖然としてしまったのでした。ここに、世の中の噂、より具体的には大手マスコミが流すニュースを鵜呑みにすることの怖さを、改めて痛切に思い知らされたのでした。

また、メールマガジン【日本脱藩のすすめ】の何処かに「21世紀の最大の課題は、環境問題である」と私は書いたことがあります。槌田氏も環境面での最大の問題点が寒冷化と砂漠化であるとズバリ指摘しているのであり、さらには砂漠化の犯人は自由貿易であると明確な論理で以て語っておられた下りも印象に残ります。

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2005年10月11日 (火)

『教育の原点を考える』 最終章

b050615先ほど、『教育の原点を考える』の最終章「学問をすることと人間」をアップしましたのでお知らせ致しします。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/edu/edu.htm

以下は、第Ⅴ章の中で特に印象に残った下りです。

藤原肇 福沢諭吉は徳川藩という小さな枠組を脱藩した日本人なんです。だから、ぼくは『日本脱藩のすすめ』という本を出版した時、はるか百年昔に書かれた『学問のすすめ』をしみじみと思い出しました。日本脱藩をすることは学問をすることと意味が同じだからです。

藤原氏の「日本脱藩をすることは学問をすることと意味が同じ」という発言を読み、咄嗟に現在某コンサルティング会社に毎月投稿している「世界放浪の旅」を思い出したことでした。

早川聖 現在の若い世代やこれから日本に生れてくる世代の将来について考えるなら、明治以来の日本の教育の歴史の中にはっきりと読み取れる通り、この国ではボヤボヤしていると、とんでもない方向に子供たちを連れて行くために、教育を通じて洗脳しようとする一派がいると声を大にして警告せざるを得ません。

早川聖氏が心配していたことが、だんだんと現実的なものになりつつあることは、私が過日の『暗黒日記』でも述べたとおりです。論より証拠、9・11選挙結果を読めば日本は間違いなくかつて来た道に再び戻りつつあることが分かります。

松崎弘文 そのラテン語がフランス語とドイツ語を経由して、ケルト語と入り混って英語になったのだし、その英語がアメリカという植民地でさらに世界語への一歩を踏み出す。そして今度は日本語、スペイン語、中国語、朝鮮語、インドネシア語の要素をとりこみながら、太平洋語化していくならば、日本にはこれまで英語を第一外国語として教えて来たべースもある。だから、日本の教育システムをその方向で新路線にのせるのは急務です。

松崎氏の発言を読み、メールマガジン【日本脱藩のすすめ】第24号に「パシフィカル語」と題する記事を書いたことを思い出しました。また、同メールマガジンの第62号で「言葉 過去と未来(1)」と題する言葉に関する記事を載せています。関心のある方は併せて一読ください。

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