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2005年10月11日 (火)

『教育の原点を考える』 最終章

b050615先ほど、『教育の原点を考える』の最終章「学問をすることと人間」をアップしましたのでお知らせ致しします。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/edu/edu.htm

以下は、第Ⅴ章の中で特に印象に残った下りです。

藤原肇 福沢諭吉は徳川藩という小さな枠組を脱藩した日本人なんです。だから、ぼくは『日本脱藩のすすめ』という本を出版した時、はるか百年昔に書かれた『学問のすすめ』をしみじみと思い出しました。日本脱藩をすることは学問をすることと意味が同じだからです。

藤原氏の「日本脱藩をすることは学問をすることと意味が同じ」という発言を読み、咄嗟に現在某コンサルティング会社に毎月投稿している「世界放浪の旅」を思い出したことでした。

早川聖 現在の若い世代やこれから日本に生れてくる世代の将来について考えるなら、明治以来の日本の教育の歴史の中にはっきりと読み取れる通り、この国ではボヤボヤしていると、とんでもない方向に子供たちを連れて行くために、教育を通じて洗脳しようとする一派がいると声を大にして警告せざるを得ません。

早川聖氏が心配していたことが、だんだんと現実的なものになりつつあることは、私が過日の『暗黒日記』でも述べたとおりです。論より証拠、9・11選挙結果を読めば日本は間違いなくかつて来た道に再び戻りつつあることが分かります。

松崎弘文 そのラテン語がフランス語とドイツ語を経由して、ケルト語と入り混って英語になったのだし、その英語がアメリカという植民地でさらに世界語への一歩を踏み出す。そして今度は日本語、スペイン語、中国語、朝鮮語、インドネシア語の要素をとりこみながら、太平洋語化していくならば、日本にはこれまで英語を第一外国語として教えて来たべースもある。だから、日本の教育システムをその方向で新路線にのせるのは急務です。

松崎氏の発言を読み、メールマガジン【日本脱藩のすすめ】第24号に「パシフィカル語」と題する記事を書いたことを思い出しました。また、同メールマガジンの第62号で「言葉 過去と未来(1)」と題する言葉に関する記事を載せています。関心のある方は併せて一読ください。

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