『陰陽道』
『陰陽道』(長原芳郎著 雄鶏社)の存在を知ったのは掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】を通じてであり、同掲示板の中で同書を紹介している一文を目にしてピンと来るものがあったので、即座にオンラインの古本を扱うサイトから取り寄せたのでした。同書には一度目を通しただけに過ぎませんが、現代科学しか信じない人たちの目からみれば、『陰陽道』は誠に摩訶不思議な本であり、トンデモ本として斬り捨てられる可能性が高い本かもしれません。一例として、同書の「太宰治と森鴎外」という項を以下に引用してみましょう。
三鷹の禅林寺に、愛人と玉川上水に投身心中をした太宰治と、明治文壇の巨匠森鴎外の墓が向い合ってある。妙なことに、太宰治の墓へは、ブームのように参詣者が多い。それにひきかえ森鴎外の墓は、ひっそり閑としている。共に文壇の寵児であったのに不思議なことである。「墓相」ということもあるかも知れんから、ぜひ陰陽道の立場から観てこいと友人にすすめられた。 東向き=三碧、十二支は卯=発展する。名声がでる。 墓の華やかなけばけばしいのを凶相とする。質素を旨とし、生垣で囲む程度がよいとされている。地の気で説明したが、土の生気は循環するのがよいので、墓の敷地をコンクリートで堅めるのは良くないことになっている。太宰治の墓は、東を向いているから参詣ムードが起きたといえばそれまでだが、現代人には納得できない。私がこれを予言すれば、彼の文学が、権力に対する反逆、弱い人の味方、愛と真実を求める精神に貫かれていて、第二次大戦時、またその直後の青年に大きな影響をあたえた如く、昭和四十七年を頂上として再びその亡霊が現世に活躍する教示である。 『陰陽道』p.144 |
皆さんの家の墓はどの方角を向いているでしょうか、また、上記のくだりに思い当たる節があるでしょうか…。「これは迷信だ、そんなものがあるわけない」と謂われればそれまでですが、この広大な宇宙の芥子粒のような地球で、長生きしてもせいぜい百年という人間の知識なぞ、九牛の一毛にしか過ぎないのです。人間の智慧を超えた世界が存在していることを、直感的に悟ることができる人は幸せ者と謂えるでしょう。『陰陽道』は入門書的な性格を持つ書籍であり、人智を超えた世界の存在を感じ取れる人たちにお勧めします。同書は既に絶版ですが、幸いなことに、オンラインで古本を扱うサイトに多少の在庫があるようです。
今回、何故急に『陰陽道』を引っ張り出してきたかというと、掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】でも時折投稿されていた風水師のK師が先週の金曜日(9月9日)の夕方に上京という滅多にない機会が生じたので、毎年の春と秋に一時帰国される藤原肇博士も参加される脱藩道場総会、あるいは同じく藤原銀次郎さんが世話人として藤原肇博士を囲む会として開催しておられる脱藩会に、毎回のように出席しているメンバーに声をかけてみたところ、なんと当日全員の6名の方が集ったのです。これには流石に私も正直びっくりしたものです。また、K師夫妻と私の3名以外に、6名が集まったのですから、奇しくも9月9日に9名が一堂に会したことも不思議な気がします。ともあれ、『陰陽道』の「太宰治と森鴎外の墓」の項にもある方角の神秘性も、無論K師の口から出ました。また、動物には未来を予知する不思議な力があり、半年後に台風が上陸することも動物の力を借りることによって予測可能であるという点もK師から学びました。そしてつくづく思うは、自然を観察することの重要性であり、時にはパソコンから離れ、折角自然に恵まれた環境に住んでいるのですから、これからは健康のためにも野山を歩いていこうと、K師と逢った日の帰り道の車中でつくづく思ったことでした。
動物たちの持つ不思議な力と謂えば、私は掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】のスレッド「相似象」に、以下のような東京新聞の記事を転載したことがあり、今回もK師が東京新聞の記事について話題にしておられました。
タイ南部でゾウが命救う 津波察知?旅行客乗せ丘へ走る 【バンコク2日共同】ゾウが津波を事前察知、観光客の命救う─。スマトラ沖地震の津波が起きた昨年12月26日、被災地になったタイ南部の海岸にいた観光用のゾウが、津波の来襲する前に近くの丘に向け“疾走”、背中に乗せていた外国人観光客約10人の命を救っていたことが2日、分かった。 ロイター通信によると、甚大な被害を受けたタイ南部カオラックで飼われていたゾウ8頭は、スマトラ沖で地震が起きたころ、突然鳴き始めた。すぐ静かになったが約1時間後、再び鳴き、客を乗せていた複数のゾウが突然丘に向かってダッシュ。客なしのゾウもつながれていた鎖を引きちぎって後に続いた。 当時、ビーチには外国人観光客ら少なくとも3800人がいたが、逃げ遅れ、津波にのみ込まれたという。 東京新聞 2005/01/03 |
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