伊藤博文・暗殺の謎(1)
はじめに
伊藤博文の名前を耳にすると、旧千円札(本稿の「追跡:フルベッキ写真」参照)を思い出す読者がいるかと思えば、近代日本の土台造りに貢献した明治の元勲としての伊藤博文、あるいはハルビン駅で安重根の凶弾に斃れた伊藤博文を思う読者がいるかもしれない。ここで、伊藤の遺した業績を思い出す意味で、最新版の電子版百科事典『マイペディア』に当たっておこう。
元勲としての伊藤博文に関する書籍・文献は汗牛充棟という有様であることから、本稿では伊藤が遺した数多くの業績について言及するのを割愛し、寧ろ今までに余り世間で取り上げることのなかった伊藤博文像について本号ではスポットライトを当ててみたいと思う。最初に、謎とされている伊藤の前半生を簡単に取り上げた後、もう一つの謎である伊藤暗殺事件に迫ってみることにする。
テロリスト・伊藤博文
しかし、一部では孝明天皇の死は病死でもなく、毒殺でもない、刀(あるいは竹槍)で刺し殺されたと主張するグループが存在する。筆者も「孝明天皇=暗殺説」を説く人たちの書籍を通じ、この驚愕すべき「孝明天皇=暗殺説」が果たして事実なのかあるいは途方もない大嘘なのかと関心を抱く1人であり、このあたりについては次号において「第九章 明治天皇」を取り上げる予定なので、その時に「孝明天皇=暗殺説」および伊藤博文による孝明天皇暗殺説を追ってみることにしよう。
ご参考までに、孝明天皇暗殺説を取り上げた代表的な書籍に、『裏切られた三人の天皇 明治維新の謎』(鹿島昇著 新国民社)という題名の本がある。同書は孝明天皇および〝2人の明治天皇〟について取り上げたものであり、筆者は初めて同書(姉妹本に『明治維新の生贄 誰が孝明天皇を殺したか』がある)を手にした時、天地がひっくり返るような衝撃を受けたのを昨日のことのように覚えている。ここで同書の内容を述べるとすれば、孝明天皇の死は通説になっている病死でもなく、一部の人たちが考える毒殺でもなく、刀あるいは竹槍で刺し殺されたというのが同書の主張なのである。そして、同書によれば孝明天皇暗殺を企てたのは岩倉具視であり、暗殺実行部隊として孝明天皇を刺殺したのが伊藤博文その人だったというのだから驚く他はない。また、同書は孝明天皇暗殺以外にも驚くべきことを書いているのだが、それらについての詳しい内容の紹介および筆者の意見は次号で述べることにして、本号では急ぎもう一つの伊藤博文に纏わる謎、「伊藤博文暗殺事件」について以下に筆を進めたい。
伊藤博文暗殺は、安重根の単独犯行か?
最初に、伊藤博文暗殺は安重根による単独犯という世間の〝通説〟に対して、安重根による単独説を疑問視する人が多いという点であるが、それは当時伊藤に随行していた貴族院議員の室田義文の証言に基づくところが大きい。室田の証言によれば、右肩から斜め下にかけて伊藤の体を弾が貫いているのだから、そのように弾道になるにはハルビン駅の2階から伊藤を射撃する必要があり、伊藤を真っ正面から撃った安重根の位置からではあり得ない弾道であると云うのである。この室田の証言から、筆者も複数の狙撃者によって伊藤は暗殺されたのであると思うに至っている。さらに、安重根の単独説であれ、複複数の狙撃者による犯行であれ、その背後には黒幕がいたはずである。そこで、一応以下のように黒幕の候補者(?)を挙げてみた。
(1)朝鮮の排日団体説
以下、順を追って解説していこう。
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