『志に生きる!』
『志に生きる! 昭和傑物伝』(江口敏著 清流出版)は、文字通り昭和の代表的な傑物を描いた本であり、同書に一貫して流れているのは、“反骨精神”あるいは“野心(のごころ)”であると言えるでしょう。そうした傑物には到底及ばないものの、私も自分なりに志に生きてきたつもりであり、それ故に二人の息子の名前にも「志」の字をあてているほどです。今という時代は志を貫き通すのが大変困難な時代であるだけでなく、志そのものを何処かに置き忘れたかような人たちが増えてきているだけに、志に生きる大切さを改めて思い出してもらうためにも、一人でも大勢の人たちに同書に目を通して欲しいと願う次第です。徳富蘇峰のような人物も傑物(ずばぬけてすぐれた人物)の一人に数えている点については異論がありますが、それでも同書はその人の持つ反骨精神の度合いを測る恰好なリトマス紙の役割を果たすように思います。いつものように、以下は『志を生きる! 昭和傑物伝』に目を通した中で印象に残った個所をコメント付きで引用したものです。
明治41年、栄治郎は念願の第一高等学校に入学した。当時の校長はキリスト教徒であり、高い西洋的教養を身につけた理想主義者の新渡戸稲造博士だった。当時の一高はバンカラ主義が幅を利かせ、新渡戸校長の個人主義、理想主義は一高の鋼健尚武の気風と相容れない軟弱思想だという反発が強かった。論争を挑まれた新渡戸は大勢の寮生を前に、「自分はあながち一高の伝統的校風を破壊しようとするものではない。本意はただ、人生の目的に単なる立身出世ではなく金を儲けることでもなく、個々人の人格、すなわち個性の尊厳を認識して、そのすこやかな成長をうながそうとするにある。諸君よ、果たしてこれが一高の校風と矛盾撞着するだろうか。鋼健もよい、尚武もよい、しかし私の教育の究極のねらいは人格の向上にこそある」と説いた。会場は水を打ったように静まり、泣いている生徒もいた。栄治郎もその一人だった。日本古来の国粋主義であり立身出世主義者であった栄治郎が、人格至上の理想主義に回心した一瞬だった。 『志に生きる!』p.184 |
私のコメント:上記の新渡戸稲造の言葉に出逢えただけでも、同書を購入した価値はありました。新渡戸博士の説く「教育の究極のねらい」に深い共鳴を覚えます。
いつの時代でも、リーダーの立場にある人には見識が求められると思います。国際的な視野に立って、国をどう導いていくかを判断する能力が必要なことはもちろんですが、自分が正しいと信じたことについては、筋を曲げないで、どこまでも貫いていく逞しさも一つの見識ではないでしょうか。自分の信じる道を貫き、敗れれば潔く退く。そのためには決して栄達を望まない。井上(成美)さんにはそういう見識が見事に備わっていたと思います。常に辞表を懐にして任に当たるという覚悟がありました。この井上さんの見識、覚悟は現代の企業社会にももとめられるものだと思いますが、井上さんほどの覚悟をしているリーダーは果たして何人いるでしょうか。 『志に生きる!』p.29 |
私のコメント:信念を貫かねばならないのは何もリーダーに限りません。私たち一般人にとっても、人間として人生を生きていく上での必要な心構えであると思います。
最後に、やはり同書に登場する出口王仁三郎の項で、以下のようなに「出口王仁三郎は有栖川宮熾人(たるひと)の落胤である」という記述がありました。
しかし、喜三郎(出口王仁三郎)には他の弟妹にはない、もう一つの出生の秘密があった。それは、のちに第二次大本事件の裁判でも審理された、有栖川宮熾人親王の落胤という秘密である。喜三郎の母・世弥は娘時代、叔父の経営する伏見の料理屋へ奉公に出、熾人親王の子を宿した。前後して、親王は東京遷都のため東上。妊娠を知った世弥は逃げるようにして故郷へ帰り、母と謀って、近所の奉公人を養子婿に迎え、七ヶ月後、早産の子として喜三郎を生んだ…… 『志に生きる!』p.343 |
私のコメント:『ニューリーダー』という優れた経営誌があります。私が『ニューリーダー』を定期購読しているのは、在米の地質学博士・藤原肇氏の対談記事が時折掲載されているというのが主な理由なのですが、実はそれ以外にも落合莞爾氏の「佐伯祐三・真贋論争の核心に迫る 陸軍特務吉薗周蔵の手記」というテーマの連載記事にも注目しているからなのです。尤も、『ニューリーダー』は大分前から定期購読していましたが、落合氏の記事にじっくりと目を通したことはありませんでした。それが1年ほど前、藤原氏に落合莞爾氏の記事の凄さを教えていただき、帰宅後改めてじっくりと落合莞爾氏の一連の記事に目を通してみたところ、そこに書かれている内容の凄さに戦慄を覚えたのでした。一般の目に触れる本ブログに落合氏の記事の内容について詳述する訳にはいきませんので、関心のある方は一度『ニューリーダー』を手にしてみてくださいとだけ此処では述べるにとどめておきます。ちなみに、出口王仁三郎も「佐伯祐三・真贋論争の核心に迫る 陸軍特務吉薗周蔵の手記」に時折登場します。
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