この説が一般に受け容れやすい説だろう。何故なら、伊藤を〝暗殺した〟後に投獄された安重根が獄中で認めた『伊藤博文の罪悪』にもあるように、韓国の独立運動家であった安重根、その安の行動を陰で支援したであろう排日団体にとって、韓国統監府の初代統監でもあった伊藤博文は祖国を日本と併合しようとする憎い〝輩〟に映っていたに違いないからである。しかし、伊藤は寧ろ日韓併合には消極的だったのであり、そのあたりを現在の北朝鮮は理解していると【ウィキペディア】というインターネット版の百科事典で述べている。それによると、北朝鮮の安重根評は、「救国の意志は尊重しているものの、暗殺という手段、さらには併合に対して消極的であった伊藤博文を暗殺の対象に選んだ事により評価はそれほど高くない。教科書では金日成の反面教師のように扱われている」とあるのだが、果たして本当かどうか怪しいものである。寧ろ、同ページで述べている韓国の安重根評、「現在の韓国では〝反日闘争の英雄〟として評価され、〝義士〟と呼ばれている」が、安重根に対する北朝鮮の民衆の正直な気持ちではないだろうか。
【ウィキペディア】 ともあれ、狙撃犯は安だけではなかった可能性は高いにせよ、日本による祖国の併合を防止せんとする安および安を支えた祖国排日団体が、伊藤博文暗殺の黒幕であるとする線が一番しっくりすると筆者は思う。なお、その後の朝鮮だが、1909年10月26日に日韓併合に消極的だった伊藤博文という邪魔者が消えたことにより、翌年1910年8月22日には早くも日韓併合条約が成立し、朝鮮半島の併合へと至ったのであった。
日本の政治結社説
日本の政治結社説についてであるが、たとえば、上垣外憲一氏の『暗殺・伊藤博文』(ちくま新書)や大野芳氏の『伊藤博文暗殺事件 闇に葬られた真犯人』(新潮社)などは、真犯人として日本の政治結社の面々、就中杉山茂丸を挙げている。筆者もページを捲りながら杉山黒幕説に傾きつつあったが、一読した後に念のためインターネットを検索したところ、【夢野久作をめぐる人々】というホームページの主宰者が以下のような書評を公開しているのを運良く見つけたのである。その主宰者の以下の書評を読んだ後、実際に主宰者とメールを交わした中で知ったことは、上垣外憲一氏および大野芳氏の両氏とも杉山茂丸の人物を十全に把握しないまま本を著したということであった。その意味で、以下に紹介したホームページ【夢野久作をめぐる人々】は一度訪れる価値はあると思う。そして、なにより杉山茂丸=黒幕説を鵜呑みにせずに済んだのは有り難かった。
【夢野久作をめぐる人々】
其日庵資料館(杉山茂丸著作集)
「暗殺・伊藤博文」批評
噴飯!
蛇足ながら、ホームページ【夢野久作をめぐる人々】の上記のページを読みながら感服したのは、上垣外憲一氏および大野芳氏の両氏に対する舌鋒の鋭さ以上に、己れ自身を厳しく律して生きる主宰者の姿勢であった。そうした【夢野久作をめぐる人々】の主宰者の生き様に清々しさを感じるのは筆者だけではあるまい。
ご参考までに、【夢野久作をめぐる人々】の主宰者が上垣外憲一氏を批評している文章の中で、とくに筆者の印象に残った個所を以下に引用させていただく。 そもそも本書の著者は、杉山茂丸や玄洋社について、どれほど研究をされたのであろうか。巻末の参考文献には、茂丸の著作から「山縣元帥」と「桂大将伝」が挙げられている。どちらも茂丸の著作としては入手し難いものであり、これらの著作を参照されている点はさすがにプロの研究者であると敬意を表する次第であるが、比較的入手し易く、かつ代表的著作というべき「俗戦国策」や「百魔」は読まれておられないのであろうか。玄洋社の存在が重要であると言及しながら、「玄洋社社史」を参照されていないのはいかなる理由によるものであろうか。 本書には軽率な事実誤認が散見されることも、著者の論述に疑念を起こさせる所以となっている。 ----中略----
総じて本書は、著者の推論を正当化する可能性のある文献については都合よく深読みをし、それを否定する可能性に対する考究が疎かにされているように感じられる。そのような態度はマスコミのセンセーショナリズムに任せるべきであって、研究者の採るべき態度ではなかろう。
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また、大野芳氏についても以下のように批評していた。
故人の名誉や、その子孫の名誉を踏みつけにしようというのなら、少しは真剣に杉山茂丸を研究してはどうだ。いい加減な参照をしていては、主論がどれほど立派でも、すべてが無価値にしかならないということぐらい、ノンフィクション・ライターなら判っていよう。そして茂丸を研究するなら、一又正雄の「杉山茂丸 明治大陸政策の源流」と室井廣一の「杉山茂丸論ノート」は必読ではないか。また、茂丸の著作では「俗戦国策」はどうしても外すわけにはいかない筈だ。そんなことすら知らないで書いたものを、金を取って売ろうなぞ、厚顏無恥も甚だしい。そしてそれは、著者だけではない、杜撰な作品を上梓した新潮社も同罪だ。
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ロシア帝国説
1891年(明治24年)5月11日、日本を訪問中であったロシア皇太子ニコライが、滋賀県大津市で警備の巡査・津田三蔵に突然斬りつけられるという事件があった。幸い顔に二個所傷をつけただけで命には別状はなかったものの、その後ニコライ皇太子を待っていた運命は過酷なものであった。事件の3年の後にニコライ二世に即位したが、1904年に日露戦争に突入し日本に破れている。そして、まだ敗戦の記憶も未だ覚めやまぬうちの1909年の伊藤暗殺だったのだから、その黒幕=ニコライ二世説が流布するのも分かるような気がするが、それだけでニコライ二世すなわちロシア帝国=伊藤暗殺犯とするのは性急すぎるというものだ。なお、その後のニコライ二世は1917年のロシア2月革命が起きて退位させられ、翌年レーニン率いる革命政府によって処刑されたのであるが、それと関連させて伊藤暗殺をロスチャイルドと絡める説もあり、それが以下の「ロスチャイルド説」である。
ロスチャイルド説
ロスチャイルドが「裏切り者の伊藤博文」を暗殺したという説が、インターネット掲示板「阿修羅」などで真しやかに流れている。しかし、どうもこの類の陰謀説には胡散臭さを感じる筆者であり、真面目に陰謀説を追求する必要性を感じない。無論、ホームページ【萬晩報】で「ビッグ・リンカー達の宴2-最新日本政財界地」という、ロスチャイルドなどをテーマにしたシリーズを精力的に執筆している園田義明氏のような優れた作品もあるので一概に否定はできないし、1863年(文久3年5月)の伊藤博文のイギリス密航は長崎のグラバーの後押しで実現しているが、グラバーの背後にはジャーディン・マセソン商会、さらにはイギリス(ロスチャイルド)の影がちらつくのであり、ここに伊藤とロスチャイルドとの関係を認めることはできよう。しかし、日英同盟を結んでロシアに対抗しようとする桂太郎に反対して日露協商を結ぶべきだとするなど、ロスチャイルドの意に反するような行動を取った伊藤博文を裏切り者と見なし、ロスチャイルドが伊藤を暗殺したとは到底思えないのである。もし、そうなら、日露協商を結ぼうとした時点で伊藤を暗殺するのが筋ではないだろうか。
以上、おおよその伊藤博文暗殺事件に絡む〝黒幕〟について筆を進めてみたが、それでも依然として伊藤博文の暗殺には謎が残っているような気がするのは何故だろうか。それは、伊藤暗殺事件がジョン・F・ケネディ暗殺事件を連想させるからであり、暗殺がオズワルドの単独犯行ではなく、複数の射撃者による可能性が高く、未だに物議を醸している点でも共通しているからだ。さらには、そうした狙撃者の背後に黒幕がいたのではという憶測が伊藤博文およびケネディ大統領暗殺に共通して流れているのだ。しかし、黒幕について調べようとしてもなかなか真相は掴めないであろうし、両事件に深く首を突っ込むことはタブーなのかもしれないという気がする。その意味では、伊藤博文の暗殺事件も今のところ排日団体説で一応満足している筆者ではあるが、もしかしたら底の知れない謎が横たわっているような気がしないでもない。それに関連して、実は一つだけ気になる点が残った。それは、安重根自ら遺したという『伊藤博文の罪悪』の以下の一節である。
「1867年、大日本明治天皇陛下父親太皇帝殿下弑殺の大逆不道の事」
安重根に上記の件を伝え、『伊藤博文の罪悪』に認めた、あるいは認めさせたのは誰(組織)だったのだろうか?
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