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2005年9月 8日 (木)

『空海の夢』

b050907 『空海の夢』(松岡正鋼著 春秋社)は二度ほど目を通した記憶があり、そのたびに同書から刺激を受けていました。以下は『アメリカから日本の本を読む』から引用した『空海の夢』の書評です。

空海の夢

 一回目を読み終ったあと、カバーの図柄をぼんやりと一五分以上も眺め続けた本である。頭の中が白く乾いて、無闇矢鱈にすがすがしかった。空海という人問の存在を知り、場面としての生命の海が眼前に彷彿と拡がった。

 それだけでなく、現役のエディトリアル・ディレクターとして活躍する著者が、私と同時代に生きるより若い世代であると知ったことが嬉しかった。文明の変革期であり時代の転換点に位置する現代は、本物の知識人が種として絶滅に瀕している時代だからである。

 『もくじ』に続いて本文に入る間の黒いページに白抜き文字で、「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」とあるのが、強烈なショックをもたらせた。

 解説は本文中にあって、著者も肺腑をえぐられる印象を持ったようだが、『秘蔵宝鑰』の序にあるこの章句には、空海の決定的な生命観が籠っている。

 彼の名の空が私の用語のドライウェアを示し、海が生命と結びついてウェットウェアを意味するとしたら、日本が生んだ不世出の哲人は、宇宙生命そのものを体現していることになる。

 「空海は全存在学の思想系譜にこそ位置づけされるべき」と確信し、「空海ほどElan vitalを日本において主唱した思想家はいなかった」と著者は言い切る。そして、空海には《意識の進化》と《言語の進化》という二つの大きな視座があることにより、「生命の普遍性や言語の普遍性に対する信じられないほどの今日的考察がある」事実を確認した著者は、その背後にあるコトダマの底流にふれるために、エディトリアル・オーケストレーションの妙を最大限に発揮してみせる。

 「生命が意識を持ったということは、ほぼ同時に言語あるいは記号系をもったということだ」に始まる、人類史と生命史の語り口は絶妙である。情報系の視点で捉えた生命史のパースペクティブは、実に広く深くダイナミックである。地質学を専攻にした私が大学四年を費して学んだことのエッセンスに相当するものが、僅か十数ページに抽出整理してあったので、私は感嘆の吐息をもらしたほどだ。

 知識量を誇る単なる博識やIQの高さくらいなら、たやすく心を動かす私ではないが、そのレベルを超えて情報系の文珠を見た思いがしたので、私は目を見張ってしまった。

 「思想は時代を横なぐりにする。しかし、空海は時代をタテになぐった」とか、「空海は人物そのものではなく、その奥にゆらぐキ一フメキにのみ感応できた」といった表現は、修辞を超えて物事の本質に喰いいる発想であり、誰にでも書ける文章ではない。

 これだけ核心に迫る表現力を操る日本の文士に、これまで出会ったことがないが、『仮名乞児の反逆』と題した空海の青春譜は、まさに大河小説のエッセンスであり、甘露を含む澄んだ水質と豪快な水量を、緻密な構成の中で描きあげている。

 また、インドから中国に伝来した密教の物語りは、それ自体プラネタリー・ドラマの一部を構成するだけでなく、コスミック・シンフォニーの響きを持つ。

 日本史もアジア史も思想史も、著者にとっては生命史の一部になっている。全体の明晰性を反映して細部まで透き通った水になり、読む者を目がけてノアの洪水のように襲いかかってくる水勢のダイナミズム。『空海のアルス・マグナ』と題して、『絶対の神秘』に始まって、『象徴の提示』、『儀礼の充実』、『総合と包摂』、『活動の飛躍』と並んだ表題を眺めているだけで、頭の中をコスミック・シンフォニーが鳴り響く思いが拡がっていく。

 呼吸の芸術であるシンフォニーは宇宙生命の流れの韻律である。《ジュピター》として名高い第四一番の壮大な響きからすると、ニックネームのない交響曲四〇番は、私にとって《クウカイ》の名でもいいと思えてきた。第二楽章のアンダンテと第三楽章のメヌエットには、たゆたいのモチーフをたたえた《イロハ歌》が感じられる。モーツァルトの明るさが空海の冥さと、妙に整合していくのが面白い。

 私はこれまで本書を二度読んだに過ぎないが、読むたびにより深い味わいを体験できたことからして、真言密教の開祖空海に対して、松岡さんが今後どのようなアプローチをし、どんな形で無言の対話を行間に埋めこんでいるかを探る楽しみがありそうだという予感がする。

 奥行きの深いテーマ故に、私はこれまで著者と空海の世界の一部をかい間見ただけにすぎないかもしれない。それに、死ぬまでの問に更に何度となく読みかえし、そのたびに異った味わい方が出来るタイプの本だ、との印象も強い。しかも、一度と言わず何度でも、本書を読んでみたらいかが、と若い世代の人にアドバイスするのが心楽しく思えるのだから、素晴らしいではないか。

『アメリカから日本の本を読む』p.189

上記の書評を『アメリカから日本の本を読む』に書いた藤原肇氏は、その後掲示板[藤原肇の宇宙巡礼]に以下のような投稿をしておられます。

「空海の間脳幻想について」今年は空海が渡唐して1200年目だということもあり、空海について池口和尚との三回にわたる対談をまとめ終えた段階で、「性霊集」を読み直したいという気持ちになった。私は似たテーマの本を数冊ほど同時に読むという癖があり、今回は久しぶりにA「空海の夢」,B「空海の風景」,C「曼荼羅の人」を並列方式で読み、いわゆる直列方式から離れて読書を試みた。結論だけ書くとこれまでの評価はABCの順だったが、今回の並列方式の読書の結果はCABになったのであり、十数年前は「空海の夢」に強い印象を受けたので、「アメリカから日本の本を読む」にも書評したのだった。今回の再読を通じてCにはインテリジェンスの面白さを感じ、Bはあくまでもインフォメーションの本だと思い、Aはその中間だという印象を強くしたことが興味深かった。(このヒントを叩き台に議論が賑わって欲しい)

上記のスレッド[空海の夢]にも書きましたが、同スレッドの中で私は「空海二度渡唐説」をはじめとする、興味深いサイトの数々を紹介しました。関心のある方は是非スレッド[空海の夢]を一度訪問してみてください。

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コメント

「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

投稿: 石垣眞人 | 2008年9月 2日 (火) 午後 02時50分

サムライ様

 もしご縁がありましたら、こちらこそ宜しくお願い申し上げます。9月14日のブログは一度拝読したつもりなのですが、読みが浅く、しっかりと内容を記憶していなかったようです。
 なるほど、知識、智恵、智慧とは。私など知識の段階で未だ修行中ですから、智恵が天井のように思え、智慧については、まだよく想像すらできておらぬのかも知れません。

 その「知識」にからめて一つだけ告白しますと、「半導体が専門」というのは恥ずかしながら私の自負のようなものなのです。私は大学の工学部、大学院などで電子工学の正式な課程を終了している訳ではなく、翻訳の仕事に就いてから後、職業訓練法人日本技能教育センターのコースを2年ばかり受講したという程度の経歴であるに過ぎません。あとは実務の中で日々勉強ですから、きっとサムライ様の方がお詳しいことでしょう。翻訳のジャンルという意味での「専門」は特許翻訳でありまして、半導体以外にも通信、制御、機械、ビジネスモデルまで色々と翻訳しておりますが、その中で最も件数が多いのが半導体なのです(といってもこの分野自体も広いのですが)。自らもせめて一つの分野では専門家のはしくれとしての自覚を持ち、先端技術については日々勉強をせねばならぬという自戒をこめて「専門は半導体分野」と言う事にしております。
 それでは、今後もブログを楽しみにしております。

 つまび

投稿: つまび | 2005年9月23日 (金) 午後 06時43分

感想有り難うございました。

インフォメーションとインテリジェンスの違いは、本ブログの9月14日の『曼陀羅の人』の方を読んで頂くとさらに良いかもしれません。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/09/post_c0b6.html

7年ほど前、インテリジェンスに関して書いているでろうと思われる書籍を、アメリカのアマゾンドットコムから5冊ほど取り寄せてみましたが、どれも知識レベルの本であり、良くて知慧レベル止まりの本でした。それは、「智慧」というインテリジェンスの最高のレベルに達した人間が数えるほどしかいないという事の証にもなります。『インテリジェンス戦争の時代』に20年前に初めて接した時は、将来は最高レベルの「智慧」のレベルに行ってやろうと意気込んだものですが、20年が経った今、未だに「知識」と「智恵」の間を行き来している情けないサムライです。まさに日暮れて道遠しといった感があります。


サムライ拝


追伸
確か、つまびさんのご専門は半導体であったと記憶しています。偶然ですが、今月に入ってから何故か半導体の仕事が急に増えてきました。また、最近は半導体が専門の某翻訳会社からアプローチがあり、トライアルを受けたところ合格しています。いつか、何処かでつまびさんと半導体関連の翻訳のプロジェクトで一緒になるかもしれませんね。その節は宜しくお願い申し上げます。

投稿: サムライ | 2005年9月23日 (金) 午後 05時55分

 サムライ様

 いつもブログを拝見しております。ハンドルは、つまびといいます。先日掲示板[藤原肇の宇宙巡礼]に「つまびらかなのが好きな私」として投稿をさせて頂いたのですが、「つまび」を常用のハンドルとしております。同掲示板上ではサムライ様に質問に対する返答を頂きました。サムライ様にはお礼を申し上げたいと存じます。
 さて、インフォメーションとインテリジェンスについての藤原氏の考察ですが、「空海の夢」の書評と併せ読んで、おぼろげながらもその輪郭が見えたような気がし、面白いと思いました。同時に、既成の学問体系の中には未だ包含されておらず、それゆえマージナルな分野であり、検証と批判の体系が構築途上であるために、思うに、議論を行う際も場合によっては一人の人間の唱える論説を教義としてセクト的な活動に終止してしまう危険を孕んではいる、宇宙と人間精神をテーマとする議論に、ご自身の専門領域を超えて意欲的に言論活動を行われている、藤原氏の存在を知ることができました。
 「ホロコスミックス理論」をはじめとする藤原氏の諸々の論説は、私は読み始めたばかりであり、今の私に何か言うことはできませんが、いつかまた上記掲示板にお邪魔させていただければと思います。
 さてインフォメーションとインテリジェンスについてですが、私は人間のもつインテリジェンスの素晴らしさに興味をもつと同時に、正確なインフォメーションを収集し、それに基づいてインテリジェンスと呼ばれるものに迫る精神活動をすることの難しさ、またその大切さについて日々考えております。またこのテーマについてサムライ様が何か書かれるのを楽しみにしています。
 翻訳、速読、人間の潜在能力?(ダウジングについては私も過去に興味を持ったことがあります)などについては私も興味があり(翻訳は生業でありますが)、サムライ様とは興味範囲が何か符合しているようにも思え、面白く感じました。
 速読と人間の潜在能力に関し、私は栗田昌裕という人(指回し体操の提唱者)の本や論文を好んで読み、氏の提唱する訓練などもしたことがありますが、もしかしたらサムライ様もご興味を持たれるかもしれないと思い、以下に紹介させていただきます。(なお私は栗田氏や氏のSRS研究所とは関係が無い人間です)
 長文失礼しました。

http://www.srs21.com/report/essence/12characteristic_of_srs.htm


つまび

投稿: つまび | 2005年9月23日 (金) 午後 05時00分

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