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2005年8月22日 (月)

フルベッキ写真(4)

 フルベッキが長崎滞在中に問題の写真が撮られたというのが事実とすれば、フルベッキがアメリカから上海経由で長崎に到着した1859年11月7日夜から、明治政府に招聘されて長崎を発つ1869年3月23日までの、およそ十年の間に撮影された写真ということになる。では、具体的にそれは何時だろうか。そのヒントの一つが、写真に写っているフルベッキの長男ウィリアムだ。まだ幼いウィリアムを連れてきたフルベッキが、大勢の侍たちに囲まれて記念写真に収まるのはどういうケースなのだろうか。

 フルベッキ夫妻は11人の子供を授かっている。夫妻の最初の子供は1860年1月26日に誕生した長女・エマ・ジャポニカであったが、生後まもなく病気にかかり、同年2月9日に天国に召されている。翌年の1861年1月18日に、写真に写っているとされる長男ウィリアムが誕生。ちなみに、ウィリアムはその後立派に成人し、1930年8月24日に亡くなった。ウィリアムの次に誕生したのが、1863年2月4日に生まれた次女のエマ・ジャポニカであった。夭折した長女の名前を継いだ形になったのだが、次女の場合は天命を全うし、1949年に亡くなっている。その次に誕生したのが次男のチャニング・ムアであるが、残念ながら正確な誕生日は分かっていない。三男のグスターヴが1867年(誕生月日は不明)に生まれているから、次女のエマ・ジャポニカが生まれた1863年2月4日から三男のグスターヴが生まれた1867年の間ということになるのは確かである。続く四男ギドーは1868年7月15日に生まれた。その他の子供たちはフルベッキが長崎を発った1869年3月23日以降の生まれなので本稿では割愛する。以上、フルベッキが上京するまで生まれた子供たちを一覧表にまとめると以下のようになる。ちなみに、松浦玲・村瀬寿代説あるいは佐宗邦皇説とあるのは、各人が主張するフルベッキ写真の撮影日のことである。

子ども
子ども
松浦玲・村瀬寿代説※1
佐宗邦皇説※2
ウィリアム(男) 7歳11ヶ月~8歳 4歳1ヶ月~4歳2ヶ月
ジャポニカ(女) 5歳10ヶ月~5歳11ヶ月 2歳~2歳1ヶ月
ムア(男) ジャポニカと年子であれば4歳10ヶ月~4歳11ヶ月 ジャポニカと年子であれば、1歳~1歳1ヶ月
グスターヴ(男) 1歳~2歳 誕生していない
ギドー(男) 5ヶ月~6ヶ月 誕生していない

松浦玲・村瀬寿代説※1…1868年12月(明治元年10月)~1869年1月30日(明治元年12月18日)の間に撮影。
佐宗邦皇説※2…元治2年(慶応元年)2月中旬から3月18日の間に撮影。[筆者注:元治2年=西暦1865年]

 ところで、写真に映っているフルベッキは椅子に座っている。そしてウィリアムであるが、著者はウィリアムがフルベッキの脇に立っているのだろうと当初考えていたが、ウィリアムの姿勢から察してフルベッキがウィリアムを膝に抱いていると思うに至った。いずれにせよ、写真から受ける印象では、ウィリアムは5~6歳といったところだろうか。当時の銀板写真技術では、明るい場所でも20分は同じポーズを取り続けなければならなかったと聞く。とすれば、佐宗邦皇説の4歳2ヶ月の子供が長い間同じポーズを取っていられるとは到底思えないという声もあるが、実は1851年に上野彦馬が湿板写真を発明しており、露光時間も秒単位になったので、たとえ4歳の子供でも問題はなかったと思う。仮に松浦玲・村瀬寿代説が正しいとすれば、撮影時のウィリアムは「7歳11ヶ月~8歳」の小学二年生ということになろうが、小学三年生の子供がいる筆者からみれば、写真のウィリアムは小学二年生にしては小さすぎるのではと思う。無論、同学年の子供でも身長にばらつきがある点も考慮しなければならないだろうが、兎も角写真に写っているウィリアムは5~6歳に筆者には見えるのである。

仮に、写真に写っている子供がウィリアムでないとしたらどうだろうか。松浦玲・村瀬寿代説を当て嵌めれば、次女のジャポニカの5歳10ヶ月~5歳11ヶ月と、ほぼ6歳の年齢であるが、写真に写っている子供は蝶ネクタイをしているので男の子であることが明らかであるので、ジャポニカではないことは確かだ。次に、具体的な誕生日がはっきりしていないムアが年子だったと仮定すれば、写真撮影時のムアは4歳10ヶ月~4歳11ヶ月であり、かろうじて〝合格〟ということになるが、残念ながら確実な裏付けがない。結局、写真に写っている子供はウィリアムであると考えるのだが如何だろうか。

謎のフルベッキ写真

・フルベッキ写真(5)に続く

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コメント

お知らせありがとうございました。本ブログでも「『属国・日本論』&『石の扉』」と題して7月26日に「近代日本とフルベッキ」第ニ章の一部をアップしました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/07/post_73e8.html

投稿: サムライ | 2005年8月23日 (火) 午前 04時11分

先日、他の記事にてご紹介しました「灼熱」というブログの中に、
『「近代日本とフルベッキ」第ニ章 坂本龍馬』が、世界の海援隊の
HPのURLと共に紹介されておりました。

http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200410280000/

投稿: 尾崎清之輔 | 2005年8月22日 (月) 午後 11時30分

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