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2005年8月 2日 (火)

『日経新聞の黒い霧』

b050802 『日経新聞の黒い霧』(大塚将司著 講談社)という本に目を通しました。過日、私は日経新聞の落日について投稿していることからお分かりのように、以前から日経新聞社の動向について関心を持っていました。詳細は以下を一度再読していただければ幸いです。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/07/financial_times_b7c0.html

私がアマゾン・ドットコムに日経についての書評を投稿したのが、当時の鶴田卓彦相談役が退任してから2週間後の2004年4月14日でした。日経の記者が株主総会で鶴田社長の解任を要求する株主提案を提出したという内容を新聞記事で読み、それが頭の片隅に記憶として残っていたこともあり、同書を読み進めながら、「あの時に株主提案を出したのが、本書を著した大塚将司氏だったのか」と思い出した次第です。日経内部に居ないと書けないような内容を多く含む同書であり、当時そして恐らく現在でも根底では大差ないであろう日経の実態が良く描かれており、日経さらには日本の大手新聞社には本物のジャーナリズム精神を持つ記者がほとんどいないのかという理由が、同書を読むことで理解できるのではないでしょうか。これは、岩瀬達哉氏の著した『新聞が面白くない理由』(講談社文庫 )を読めば一層明らかになります。

ところで、私は本を読むときに線を引きながら読む癖がありますが、同書についても多くの線を引いています。そうした線を引いた中から、これはと思う下りを以下に羅列しておきましょう。

 「日経らしさ」。
 日経新聞社の編集局で頻繁に使われる言葉だ。
 私は長いこと、その意味するところがよくわからなかったが、鶴田社長時代になってそれが徐々に見えるようになってきた。どうやら「日経らしさ」とは、米国の受け売り、世論迎合、事なかれ主義だけを是とすることのようだった。理念とか哲学とは無縁の「情報サービス会社」として風見鶏のように臨機応変に立ち回ることが重要で、それは本来の言論報道機関の役割を放棄することを意味していた。
『日経新聞の黒い霧』 p.159

 90年以降の経済政策の結果、多くのサラリーマンたちが人生設計を狂わせ、苦しみもがいている。その責任は政治家、官僚、企業経営者だけに帰属するものではない。経済を専門とする日経新聞の責任も重い。しかも、この間、私は記者、デスクとしてその最前線にいた。意図してスクープだけを追い、ジャーナリストとしての自覚に欠けていたのは紛れもない事実である。
『日経新聞の黒い霧』 p.193

 「君な、新聞社なんて、最も遅れているんだ。組織の内部は1970年代くらいの日本企業並みじゃないか。いや60年代かもしれないぞ。まあ、つい最近まで大手銀行だってそうだったけど、この金融危機で相当変わっている。まだソニーみたいなわけにはいかないが、徐々に変わってきている。新聞社だって変わらないと、生まれ変わった日本の経済社会についていけない。そんな遠くない将来、そういう時がやってくる。その突破口を開いたのは君だろう。それでいいじゃないか」
『日経新聞の黒い霧』 p.336

 「君ね、日経新聞社のこと、言論報道機関だなんて思っている人は大企業にはほとんどいないよ。単なる情報サービス会社なんだよ。そりゃ、面と向かっては誰も言わんさ。第四の権力なんだから、反撃が怖い。でも、内心ではそう思っている。
『日経新聞の黒い霧』 p.337

最後に、以下に過去私が書いたジャーナリズム論の一端を転記しておきます。これをきっかけに、社会の木鐸としてのジャーナリストの使命とは何かについて、再び考えを巡らせて頂ければ幸いです。

本来、ジャーナリストの使命は権力の監視にある。日本の権力が辿ってきた道程を振り返ってみよう。先の第二次世界大戦による敗戦の後、祖国復興の意気に燃えていたのは何も日本国民だけではなかった。日本の権力の中枢を担う自民党にも高い理想を持って祖国の為に尽力した政治家も少なからずいたのである。やがて、そうした先人達の努力が実り、高度成長期を経て完全な復興を遂げた日本であったが、その反面、1970年代頃前後から政界が利権の漁場と化し、愚民政策による日本社会の退廃が進んだのも周知の事実である。その後の日本は経済大国の道を歩み、やがてバブル景気に沸き、日本中が好景気に酔いしれていたまさにその時、突然バブルが弾けたのであった。それからの日本は十年以上の長きにわたる平成大型不況に突入し、今日に至っても依然として大型不況からの出口を見出せぬどころか、さらに奈落の底へと突き進んでいる。このように、日本が亡国寸前にまで陥った原因の一つに、ジャーナリズム精神の墜落が挙げられるのではないだろうか。社会の木鐸という言葉を持ち出すまでもなく、権力を監視し、警告を発していくのがジャーナリスト本来の使命のはずであるが、ジャーナリストのサラリーマン化と言われて久しく、最近の日本のジャーナリズム精神の墜落は目を覆うばかりであり、とても政界や財界、あるいはマスコミ界自身に対して「鋭い知的洞察をもって(権力による)その邪用・誤用を戒める」だけの覇気は、日本のジャーナリスト、より正確には大手マスコミには最早無いと断言しても差し支えないであろう。時代は、我々自身で「鋭い知的洞察をもって(権力による)その邪用・誤用を戒める」よう要求しているのである。そして、そのために必要となる武器こそがセマンティックスなのだ。ここに、「個人の生き方に知的判断を回復させようとする努力」のすすめを説く所以である。
『日本脱藩のすすめ 第三回・意味論のすすめ』

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