『人類の月面着陸は無かったろう論』

米社が2人募集、08年にも 【ニューヨーク10日共同】宇宙旅行をあっせんしている米国のスペース・アドベンチャーズ社は10日、民間人を対象にした月への宇宙観光旅行を計画していると発表した。募集は2人で、参加費用は1人当たり1億ドル(約110億円)。早ければ2008年ごろの実現を目指す。
民間人を対象にした宇宙旅行は徐々に始まっているが、国際宇宙ステーション(ISS)までにとどまっており、月への旅行が実現すれば初めてになる。
同社によると、ロシア宇宙庁と契約し、旅行には宇宙船ソユーズを使用。船長はロシアの宇宙飛行士が務める。宇宙船とは別に打ち上げられたロケットと地球の周回上でドッキングし月に向かう。
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この記事を読んで思い出したのは、副島隆彦氏が書いた『人類の月面着陸は無かったろう論』という本です。同書で「人類は月に行っていない」と副島氏は主張しており、もし人類が月面着陸に行っていたことが判明したら、筆を断つとすら副島氏は宣言しているのですから、それなりの覚悟と自信があってのことでしょう。しかし、実際に世の中に目を向けてみるに、副島氏の人類の月面着陸は無かったろう論に対して反論している人たちが大多数のようです。たとえば、[トンデモの部屋]というホームページは、『人類の月面着陸は無かったろう論』を否定しているサイトの一つといえるでしょう。
その後、[トンデモの部屋]と対比させながら、地元の図書館から借りてきた『人類の月面着陸は無かったろう論』の一部を読んでみたところ、以下のような[トンデモの部屋]の記述に目が止まりました。(下線を引いてあるのは、『人類の月面着陸は無かったろう論』からの引用との由)
私が少しだけ調べて分かったのは、静止衛星というのがあって、これは、かなりの遠くを飛んでいることが分かった。(P.33)
調べるまで知らんかったのか!? 衛星放送の電波はどこから来ると思ってたの?
静止衛星がなぜ3万6000キロの遠距離にあるのか、といえば、それは、地球の引力(重力)あるいは向心力と、自転から生まれる遠心力が均衡する点だから、そこで衛星が静止できるのだろう。(P.33)
大間違い! 衛星の公転周期は地球から遠ざかるほど長くなり、高度3万6000キロではほぼ24時間になるので、地球から見ると天空の一点に静止しているように見えるからこう呼ばれる。
ちなみに、うちの8歳の娘が持っている小学生向けの図鑑にも、静止衛星についての正しい解説が載っていた(^^;)。この人は小学校からやり直したほうが良さそうである。
もし、6回の月面着陸が実在するというのなら、その痕跡と残骸の機材が、今なら地球から精密な高性能望遠鏡で見えるはずなのだ。(P.43)
ハワイ・マウナケア山にある国立天文台の望遠鏡「すばる」(口径8.2m)は、分解能が0.2秒角(1度の1/1万8000)である。38万km離れた月の場合、0.2秒角はおよそ350m。つまりこれより小さいものは見えない。
2004年の今は、相当にものすごいマイクロ波式の望遠鏡や電波望遠鏡もあるから、月の表面ぐらいは、何でも写し出せるはずなのだ。(P.43)
e-VLBIでも分解能は20ミリ秒角(1度の1/18万)で、月面に向けても35m以下のものはとらえられない。
それ以前にこの人、電波望遠鏡の原理が分かってないフシがあるんだけど。
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以上は[トンデモの部屋]からの一部引用ですが、実際に人類が月に行ったか否かを云々する前に、『人類の月面着陸は無かったろう論』および[トンデモの部屋]とを単純に比較して読めば、[トンデモの部屋]に軍配を上げざるを得ません。
人類が初めて月面に着陸したという世紀のニュースを報道した新聞を、私は今でも大事に保管していますし、人類が月面着陸したというのは今でも事実だと思っています。ただ、副島隆彦氏が人類は月面着陸をしていないと発言したり、脱藩会でよく顔を合わせる知人のUFO研究家、竹本良氏がNASAによるUFOおよびET隠蔽について発言したりしていたので、私自身のアポロ計画に関する知識不足も手伝って、ひっとしたら彼らの言うことは本当かもしれないと思っていた一時期がありました。
ところで、そもそも私が副島隆彦氏に見切りをつけたのは、船井幸雄氏のような人物との対談本(『日本壊死―新しき人目覚めよ』)を出版したからであり、それからというもの私の副島氏に対する見方がガラリと変わったのです。そのためでしょうか、最近は副島氏の粗ばかりが目につくようになったのです。しかし、かつては日本のことを憂い、一生懸命にやっている評論家だと思って期待していたただけに、現在の副島氏を見ていると大変残念な気持ちになります。なお、私は船井幸雄氏という人物についてメールマガジンに一筆書いていますので、関心のある方に以下のメールマガジンを一読頂ければ幸いです。
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コメント
(・∀・)ニヤニヤ当時の技術水準では、人類は月に到達していないでしょう。
今現在でもできていないわけだし、副島氏以外でも、
アメリカ人でさえもこういっている人は沢山いますよ。
ロケットのスピードでもバンアレン帯は15分くらいかかるといわれているので、急性被爆症になるはずです。
東海村で起きたようなことになるんじゃないかな?
あっ、911でも同じようなヘッポコショウをやりましたよね。
あれと同じだと思いますよ。
投稿: realthings | 2010年10月14日 (木) 午前 12時40分
>『人類の月面着陸は無かったろう論』
この本の評価は別として、私も人類は月に到達していな
いと思っています。
その理由は、地球を取り巻く、放射帯(バンアレンタイ)
の突破です。
未だ放射能処理を出来ない人類が、本当に、乗り越える
事が出来たのか?
一説には、高速移動すると、放射能の影響を受けないと
いう事をいう方もいますが、何の根拠もない(^^)。
投稿: おとうさん | 2006年8月 8日 (火) 午前 08時09分
行当場当さん、再び貴重なコメント有り難うございました。
>我々日本人においては若い頃から直観と演繹の反復を通じて物事に
>対する習熟度を上げていく訓練を経て、精神のハビトゥスとして身に
>付けるに至っていないことから、どうしてもこのような別の意味での
>「精神性」に寄ってしまいがちですね。
近い将来、清沢洌が著した『暗黒日記』の書評を書きたいと考えています。『暗黒日記』を読み進めると分かりますが、戦時中の日本人の「精神性」も現代の日本人の「精神性」も、余り変わるところがないですね。
>こちらのブログの主題である教育の原点を考えるために、「教養」と
>いう一つのキーワードから、子供たちのみならず、まずは大人が身を
>以って範を示していくべきであることは申し上げるまでもございません。
『暗黒日記』で清沢が最も重視したのが教育であるだけに、『暗黒日記』から教育というエキスを抽出し、本ブログで述べてみたいと思います。
サムライ拝
投稿: サムライ | 2005年8月17日 (水) 午前 03時40分
船井幸雄氏の如何わしさについては、嘗て部下だった人達からも
見切りを付けられつつあるようですが、まだその威光にすがりたい
依存体質の持ち主の方々へは、斎藤貴男氏の「カルト資本主義」
(文春文庫)の一読をお勧めします。
国民性や地域性、また環境の違いと言ってしまえばそれまでですが、
我々日本人においては若い頃から直観と演繹の反復を通じて物事に
対する習熟度を上げていく訓練を経て、精神のハビトゥスとして身に
付けるに至っていないことから、どうしてもこのような別の意味での
「精神性」に寄ってしまいがちですね。
こちらのブログの主題である教育の原点を考えるために、「教養」と
いう一つのキーワードから、子供たちのみならず、まずは大人が身を
以って範を示していくべきであることは申し上げるまでもございません。
例えば日頃より情動的な内容と宣伝と広告を文字通り「放って送る」
ことを使命としているテレビや、作り手の思考範囲程度のストーリーに
踊らされるゲームなどは、出来るだけ避けるよう努めることが肝要だと
思います。
投稿: 行当場当 | 2005年8月16日 (火) 午後 05時01分