「フルベッキ写真」の連載を終えて
フルベッキ写真(1)でも述べましたように、1年半前に国際ビジネスのコンサルティング会社のIBDのウェブ機関誌に1年間にわたって寄稿した「近代日本とフルベッキ」では、フルベッキ写真について様々な角度から調べていますが、その「近代日本とフルベッキ」の最終章で私は以下のように書いたことがあります。
1年ほど前、フルベッキを囲む志士たちの集合写真に初めて接した時の驚きは、まるで昨日のことのように覚えている。フルベッキ写真に写っているのが日本人なら誰でも知っているはずの明治天皇、西郷隆盛、横井小楠、勝海舟だと言われても信じられない思いだったが、写っている人物が本物か偽物かについて明白に断言できるだけの自信もなかった当時の筆者であった。しかし、1年間にわたって連載を続けていくうちに、フルベッキ親子、大隈重信、岩倉兄弟を除き、あとはほぼ間違いなく〝贋物〟であると確信が持てるようになった。ともあれ、1年間続いた本シリーズに最後まで付き合っていただいた読者に対し、この場を借りて御礼を申し上げるとともに、いつの日か再び『世界の海援隊』誌上でお目にかかれるのを祈念しつつ筆を擱く。 |
昨日アップした「フルベッキ写真の考察」を著した慶応大学の高橋助教授に指摘されて、フルベッキ写真に写っているとされる岩倉具経は、実は岩倉具経ではなく江副廉蔵であることを教えていただいたのは、今から思うに大変有り難い指摘でした。所有している『明治維新とあるお雇い外国人 フルベッキの生涯』に、フルベッキ写真に写る本物の岩倉具経とそっくりな岩倉具経が掲載されていたのですから、もう少し同書の岩倉兄弟の写真に注意を払うべきだったと思います。ともあれ、この一点のミスを除き、「フルベッキ親子、大隈重信、岩倉兄弟」以外(さらには中野健明も含む)は別人であるという点で高橋助教授と意見の一致を見ました。今度とも高橋助教授と意見や情報交換を交わしていきたいと思うし、新しい発見があれば拙ブログを訪問した皆さんにも報告するつもりですので、フルベッキに関心のある方は折りにふれて本ブログを訪問して戴ければ有り難く思います。また、何らかの情報なり意見をお持ちの方は、是非本ブログまでお願いします。
1年ほど前に、『賢者のネジ』の出版のお手伝いをした際、アメリカの藤原肇地質学博士から拙宅に電話があり、フルベッキ写真についても話題になったことがありました。その時に藤原博士が、「まともにフルベッキ写真を調べた者はいない」と語っておられたのを今でも覚えています。確かに、当時の世間におけるフルベッキ写真を巡る論争は、(1)フルベッキ写真に映る武士の一団は、佐賀藩が長崎に開校した致遠館の生徒であるという説、および(2)後に明治政府の元勲となる西郷隆盛、大久保利通ら明治政府の元勲であるという説の二つの説が主なものだったと思います。結論から言えば、西郷隆盛や大久保利通、さらには明治天皇までもが写っているとする(2)明治政府の元勲であるという説は明らかな間違いでしたが、(1)致遠館の生徒であるという説にしても、フルベッキ親子以外は贋物と主張する説が専らであり、これは厳密な意味では正しくありませんでした。そうした(1)致遠館の生徒であるという説の主張に対して、「フルベッキ親子以外にも、大隈重信、岩倉兄弟も本物である」と主張した先覚者が、私の知る限り『日本のフルベッキ』(洋学堂書店)を著した村瀬寿代氏だったと思います。村瀬氏に続き、そうした村瀬氏の意見に賛意を示したのが慶応大学の高橋助教授であり、私サムライであったということになります。尤も、写真に大隈重信、岩倉兄弟らが写っているという事実は、ウィリアム・エリオット・グリフィスが自著『Verbeck Of Japan』(Reprint Services Corp)の中で百年以上も前に既に述べていることであり、格別新しい発見というほどのものではなく、単にグリフィスの著した『Verbeck Of Japan』を原典で読んだ日本人がほとんどいなかったため、今日まで見過ごされてきたに過ぎなかったと言えそうです。
最後に、教育と関連させて心に留めておくべきなのは、世の中の風説に惑わされることなく、自分自身の目と足とで確かめ、関係者とのインタビューを積み重ねたり資料に当たったりすることの大切さであり、さらにはそれらを基に自分の頭で考え、真実を地道に発掘していくというプロセスがいかに大切かという点でしょう。もしかしたら、IBDのウェブ誌『世界の海援隊』に1年間にわたって「近代日本とフルベッキ」を連載して得た最大の成果は、「自分の目と足で確かめる」ということの重要性を再認識したことだったような気がする今日この頃です。
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