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2005年8月14日 (日)

サムライの由来

m017 本ブログでは、「サムライ」というハンドル名を用いていますが、サムライは私が3年間の世界放浪の旅の途中で出逢った人生の先輩のニックネームでした。その人生の先輩の名前を本郷七郎さんと云い、本郷さんについてメールマガジン【日本脱藩のすすめ】に以下のように書いたことがあります。

(第11章)
 三十輻共一轂   三十の輻、一つの轂を共にす。
 當其無有車之用  其の無に当たりて、車の用有り。
 挺埴以爲器    埴を挺めて、器を為る。
 當其無有器之用  其の無に当たって、器の用有り。
 鑿戸以爲室   戸ゆうを鑿って以て室を為る。
 當其無有室之用  其の無に当たって、室の用有り。
 故有之以爲利   故に有の以て利を為すは、
 無之以爲用    無の以て用を為せばなり。

意味(電脳仙人倶楽部):[例えば三十本の棒が一点に集まり車輪の真ん中には空っぽの穴があってそこに車軸が入るから車の用を為す。また土をこねて器をつくるにしても器はその中が空っぽだからこそ器の用を為す。あるいはまた部屋をつくるにしても土の壁に穴を掘って出入り口をつくり、その中を空っぽにするからこそ部屋となる。だから有用なものとは、その中が空っぽで何もない事で、何もないからこそそこにものの用が生まれると言うもの。]

解説(電脳仙人倶楽部):《この章は実に解り易い話で、しかもそれが決して陳腐なものとならないのは、あたかも明快に物の「存在と無」についての哲学的命題を解こうとするからだろう。しかもこの解かり易さは「無」を以って「道」を語り、「有」を以って「生命の有様。」を語り、「老子」全体その八十一章の中にしっかりと組み込まれて今に伝わる。これまでは何やら漠然としたその物言いが、にわかに身近な物に例えられて語られるが、確かに茶碗の中まで土がつまっていたら、それは茶碗の用を為さないし、家だってそうである。「だから有る物の有用性とは、それは空っぽで何も無いから、そこに物の用が働きを持つ。」と、逆に「無」の有用性を説いて、有るか無いか解らない様な「道」の有用性を併せて説明しようとする。この事は別の章でも、「優秀な人材などというものは無くてよいもの。彼はせいぜい一部所の長ぐらいには使えるが、そんな優秀さなどは要らない。」と同じような事を説いている。人は優秀さを競う。ぼーとなんかしていられない。優秀な技術、優秀な資格、そんなものをどんどん取り込んで頭の中を一杯にし、有りもしないものを求めるより、目の前の手にする事のできるものを大切にする方が先だ。時代は物質文明の時であり、掘り出した石がダイヤモンドの原石なら、せいぜいカットに磨きをかけてこれを大切なものとする。いやまさに老子はそんな現代の風潮にも痛烈な皮肉をこめる。しかしいったい、道祖神や「道」を説く事を好んで老子のことばを伝えて来たかつての日本はどこへ行ってしまったのだろうか。科学が「核」の恐怖をして我々の生活を豊かなものにするというその万能性を失い、またその限界を露呈する今、我々は「知恵のことば」の前に自らの優秀さを「無」にして、現代に新たな調和を作り出すための価値観を再構築する必要があるのだろう。しかもそれはこころの世界の事だから、我々がそうしようと想えば叶う事で、現代は、この「想うこころ」が萎えてしまった時代でもあるのだろう。知識優先の時代に、意識の萎えた時代に我々は生きているに違いない。誰しも子どものようなこころを持ち続ける事も難しい事で、いつまでも子どもである事を許す社会でもない。しかし「道」に照らすなら勉強する事は本当に必要なのだろうか。》

 第11章を目にするたびに思い出す人物がいます。本郷七郎さんといい、昭和40年代前半のある日、用があって銀行に行ったときの話です。銀行の窓口で待っている間、たまたま手にしたのがヨーロッパのスイスの街並みやアルプス山脈の神々しいグラビア写真集でした。そして、本郷さんはその写真を眺めているうちに無性にヨーロッパに行きたいという思いに駆られたのです。そして、本郷さんの夢は実現しました。しかし、数カ月間ヨーロッパを廻って帰国するはずが、「流れる雲を追って地の果てまで」と旅を続けているうちに、結局7年半の海外放浪の旅になってしまったのです。

 見方によっては、本郷さんの7年半は、自分の出世に結びつくわけでもないし、また、長年日本を留守にしていたため、なかなか自分の国に馴染めないという、いわば、自己危機に陥って、苦しむといったさんざんな目に会っています。

 一流大学を出て、一流企業に就職することを人生の最大目標とする人たちから見れば、なんという無駄な生き方だと捉えられるのではないかと思います。 しかし、本郷さんにとっての7年半が、かけがえのない体験として、今日の本郷さんの人生に活きています。

 必死になって日本社会に復帰した本郷さんは、その後、ガムシャラに仕事に励み、現在では小さいながらも一つの会社の専務取締役を担当するまでになりました。また、最近は心にゆとりができ、7年半の間撮りまくった写真が、今までは辛くて見るのも嫌だったのに、今では写真を眺める喜びが出てきたそうです。

 若い頃は、本郷さんのように空白の期間を持つことは大切なことです。7年半という期間はともかく、脱藩道場でも若いメンバーに少なくも1年間程度の海外武者修行をすすめる所以です。老子流に言えば、無用の用のすすめということになりそうです。 

以上、本ブログのサムライの由来でした。

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
ヤマホトトギス

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