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2005年7月 3日 (日)

『横井小楠』

b050703 私は、6月26日の「フルベッキ」で述べたように、IBDのウェブ機関誌『世界の海援隊』に1年にわたって「近代日本とフルベッキ」と題したシリーズを連載したことがあります。内容は、フルベッキおよびフルベッキと縁のあった、幕末から明治にかけて活躍した元勲を取り上げたものであり、そうした人物の一人として横井小楠を取り上げたことがありました。以下は私が執筆した横井小楠についての一節ですが、かなりの長文ではあるものの、国家破産などと穏やかならぬ噂が飛び交う今日の日本において、静かに横井小楠の思想を振り返ることは決して無駄にはならないと思い、今日の日本にとって何等かのヒントになるであろうと思われる個所を、「近代日本とフルベッキ 第2章・横井小楠」から抜粋してみました。しかし、何分にも長文であることから、本日および明日の2回に分けて転載しますが、心ある訪問者に一読して戴ければ幸いです。

小楠の儒教的正義

  筆者は冒頭で黒船来航か当時の日本にもたらしたインパクトの大なることを述べたが、松浦玲氏は黒船来航を幕末維新に歴史の舞台に登場した人物を評価するための一種のモノサシにしているようである。ご参考までに、以下は松浦氏が自著『横井小楠 儒学的正義とは何か』(朝日選書)の中で黒船来航について言及している個所である。


 いつのころからか、幕末維新期の人物について考えるには、まず嘉永六年ペリー来航のときにその人物が何歳であったかを調べる、というクセがついてしまった。ペリー来航に始まる動乱の中で自己形成をとげたのか、すでに一応の思想を確立したあとでこの衝撃を迎えたのかによって、その人物への迫りかたがずいぶん違ってくるのだ。
 文化六年(一八〇九)に生まれた横井小楠は、ペリー来航の嘉永六年(一八五三)には、数え年で四十五歳である。
 人の成長パターンはさまざまだけれども、四十五歳までには、その人がなにものであるか、わかってしまっているのが普通であろう。
 小楠の場合もそうである。彼にとって最も本質的な自己形成は、三十代から四十過ぎにかけての時期におこなわれた。その期間の辛苦で、彼は、自分の学問=政治思想の根幹となるものをつくりあげていた。だから彼は、できあがった思想家として、ペリー来航以後の新局面に対処したのである。その思想を一口で表現すれば、自分が究め尽くした儒学的正義こそが一切の政治の基本だ、ということになろうか。
 このことの意味は、非常に大きい。これから吹き荒れるヨーロッパ・アメリカ型近代の攻勢に対し、アジアの思想を代表してたちむかうだけの足場を小楠は築いていたわけである。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.5

  以上の松浦氏の言葉で大凡の察しがつくように、黒船来航に及んでペリーとの応対についてまとめた『夷虜応接大意』を著したほどの小楠であったことからして、西洋思想・技術に並々ならぬ関心があったことが容易に想像できるものの、それでも小楠の儒学的な思想基盤は不動であり、微動だにしなかったのだと思う。ここで、〝小楠が究め尽くした儒学的正義〟とは何かという点について解説するにあたり、改めて儒学さらには朱子学とは何かという点について見直しを行なう必要がある。何故なら、松浦氏自身も心配していることだが、儒学そのものを正確に把握している人があまりにも少ないからであり、ここで多少のページを割いてでも松浦氏の『横井小楠 儒学的正義とは何か』をもとに儒学について簡単に説明しておくべきだと思ったのである。そうしないことには、横井小楠の思想を正しく理解できないばかりか、徳川幕府の正体を見抜くこともできないであろう。

 最初に、現在の儒学に対する既成概念を捨て去り、本来の儒学の根底思想に戻るためには以下の二つのポイントを押さえておく必要がある。

・朱子学とは実学のことである。
・儒教でいう士農工商の「士」とは、武士のことではない。

 朱子学あるいは儒学というと、何となく〝観念的〟、〝理論的〟等の言葉を思い浮かべるのが普通ではないだろうか。しかし、実のところ朱子学とは至って実学そのものと云えるのである。そのあたりについて、松浦玲氏は以下のように正直に告白しているので目を通していただきたい。


 朱子学が実学だ、あるいは朱子学も実学だということは、経学の勉強をきちんとやったひとや中国思想史専攻のひとにとっては、ごくごく当たりまえの常識であるらしい。しかし、日本史出身で経学の伝統とも無縁だった私には、比較的新得の知識である。小楠のことを調べて、発足時肥後実学党の「実学」はどうしても朱子学を意味しているに違いないと気付くまでは、むしろ朱子学と正反対のものが実学だと思っていた。朱子学は観念的体系で、それとは反対の実際的な、実用的な、プラクチカルな学問が実学だというのが、私の育った「知的世界」における常識であったし、今でもそうである。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.298

 上記のくだりは『横井小楠 儒学的正義とは何か』の「増補1 実学と儒教国家」からの引用であり、「増補1 実学と儒教国家」は同書の中でも優れている章の一つであると筆者は思っている。何故なら、増補1は小楠の思想の根本に関わってくるだけに、増補1を読んでいない読者は横井小楠の思想を真に理解することは不可能であると云っても過言ではないからだ。そして、「増補1 実学と儒教国家」を筆者が通読して学んだ最大のものは、以下の引用にもあるように朱子学は実学であるという事実そのものである。このあたりは『横井小楠 儒学的正義とは何か』の中でも重要なポイントの一つであるので、少々長くなるが実学について言及している重要個所を以下に引用しておこう。

 つまり小楠は、学問思想にもとづいて現実政治の処理方針を立てるその立てかたに朱子学の真骨頂が現れていると考えた。だからこそ、彼らの実学党の講学は、その面を最も重視した。朱子学が政治的実践の学であることを真正面から受けとめ、そのとおりに講学し行動したのだといえよう。むろんこれは、朱子そのひとの学問と政治的実践に照らしてみて、完全に正解である。
 しかし肥後藩主流にとっては、朱子学をそのように正解したことが、最も許しがたく危険千万に思えたであろうことは疑いない。彼らにとって、幕府の正学であり藩の正学である朱子学が、幕府や藩の政治を是非論評するなど、とんでもない話であって、それがとんでもないことは説明の必要がないほど自明なのであった。
 だがそれにもかかわらず、より立ち入って考えれば、小楠の方が正確であることは朱子学(より大きく儒学)の根本性格に照らしみて、動かしがたい。肥後藩主流派といえども、つきつめられればそれを承認しなければならない筈である。実学党運動の既成秩序に対する破壊性は、まさにここにあった。日本全体が非政治的実践的に曲解した朱子学に安住していたところへ、不粋にも正確をふりかざして、それが実学だと主張するグループが現れたのである。そうして、小楠らの言う方が正解であり正論であることは、幕末の知識階級にとってごく初歩的な知識に属している。そうでありながらそこに目をつむっていた、まさにそのところに切りこんでいるところに小楠らの運動の猛烈さがあり、忌み嫌われる理由があるのだった。
 朱子学ないし儒学の理想主義をストレートな政治批判と政治的実践としてもちこめば、現実の日本の幕藩武家政治は、ひとたまりもない。だが、そういう理想主義的主張が陽明学や古学その他朱子学以外の学派的主張として展開されれば、幕府ないし藩主流としては、異学だからそういう勝手な批判をするのだと、しりぞけることができる。しかし、小楠ら肥後実学党の場合は、それを朱子学として主張している。藩主流からみれば「正学」を逆手にとられたかたちになっており、そこに、憎しみもひときわという感じになる大きな原因があろう。
 小楠ら、「正解」朱子学を日本武家政治批判としてストレートにもちこんだ場合、一番摩擦を起こすのは、近世幕藩武家社会の武家世襲原理なかんずくその頂点にある将軍および藩主世襲原理である。
 朱子学の目標を一口で言えば、為政者が聖人となって理想政治を行なうことである。学問をするのは聖人になるためで、聖人は到達可能である。そうして、為政者が朱子学的な意味で聖人となれば、それで完全無欠の政治が保証される。為政者は聖人でなければならず、そのことはとりわけトップの座にいるものつまり天子に対して最も強く要求される。これを日本の幕藩体制に移せば、将軍および各藩藩主が聖人でなければならない。肥後実学党とりわけ小楠は、それを要求した。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.306~308

 「為政者は聖人でなければならない。とりわけトップの座にいるものに対して最も強く要求される」というくだりは、サメの脳味噌と云われた前首相の森喜朗氏、口先だけの軽薄者である小泉純一郎現首相と対極に居るのが聖人であると云えば理解は早い。さらに付言するとすれば、堯舜孔子の道から程遠い所にあるのが今日の日本ということになる。

出典:世界の海援隊 http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/

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コメント

>朱子学とはどの政権が政権を継ぐべき正統な政権かを
>考える儒学で、政治の実学である経済政策や安全保障
>政策を考えるものではありません。

なるほど。小生のような儒学に関しては門外漢の者にとって、安川さんの意見は新鮮です。一つの意見として参考にさせていただきます。

>ブッシュさんですか。プーチンさんですか。アロヨ大
>統領ですか。

私は小室直樹氏が定義する聖人の定義に従う者ですが、その定義に基づいて3者を見るなら、プーチンは徒者ではないことが分かるし、聖人である可能性が高いでしょうね。

投稿: サムライ | 2005年8月 6日 (土) 午前 05時27分

こんにちは
御説は意見しましたが、少し異説を述べるのをお許し下さい。李氏朝鮮は朱子学のみを政治学としていましたが、反朱子学として実学がおこりました。朱子学とはどの政権が政権を継ぐべき正統な政権かを考える儒学で、政治の実学である経済政策や安全保障政策を考えるものではありません。

為政者は聖人でなければならないと考えられているようですが、さすがに小泉首相は聖人ではありませんね。では、他の国で聖人が首相や大統領をしている国はどこを考えられているのでしょうか。ブッシュさんですか。プーチンさんですか。アロヨ大統領ですか。

投稿: 安川 | 2005年8月 5日 (金) 午後 09時04分

こんにちは
御説は意見しましたが、少し異説を述べるのをお許し下さい。李氏朝鮮は朱子学のみを政治学としていましたが、反朱子学として実学がおこりました。朱子学とはどの政権が政権を継ぐべき正統な政権かを考える儒学で、政治の実学である経済政策や安全保障政策を考えるものではありません。

為政者は聖人でなければならないと考えられているようですが、さすがに小泉首相は聖人ではありませんね。では、他の国で聖人が首相や大統領をしている国はどこを考えられているのでしょうか。ブッシュさんですか。プーチンさんですか。アロヨ大統領ですか。

投稿: 安川 | 2005年8月 5日 (金) 午後 09時04分

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