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2005年7月

2005年7月31日 (日)

サッカー合宿

m013 昨日は近隣の小学校のサッカーチームを数チーム招待し、曇りがちながらも蒸し暑い天候の中で、子どもたちのサッカーの試合が数試合行われました。私も2人の息子がサッカーチームにお世話になっていることもあり、早朝からグラウンド整備に必要なラインカー、メジャー、フラグ、テント、テーブル、イスなどを会場まで車で運んだりのお手伝いをした後、夕方再び小学校に集まり、サッカーチームのコーチと一緒に父兄を代表して、昨夕から本日の午前にかけての泊まりがけでサッカー合宿に参加してきました。参加した子どもたちは6年生だけでしたが、小学校生活最後の夏休みということもあり、昨夕の合宿は思い出に残るものだったのではないでしょうか。合宿先から学校に戻った後も、合宿に参加したコーチに数時間サッカーのコーチを受け、帰宅したのは昼少し前でした。 これで一休みしたいところですが、私の場合はPTAの水泳対策委員会の委員長をやっている関係から、明日行われる地区の子どもたちのボウリング大会にも出席しなければなりません。幸い、今週は大量の仕事が入っていないので助かりました。〆切の迫った仕事が1件でも入っていったら、今頃は大童だったかもしれません。

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/

ゴイシシジミむうじんさんの写真には、一枚一枚にコメントが載っていますが、ゴイシシジミに寄せていたコメントは印象的でした。

 珍しいチョウではありませんが、実に6年ぶりにお目にかかりました。クヌギ林の脇で2匹で戯れていました。最初はカメラを近づけると逃げていましたが、しばらくじっとしていたら接写させてくれて、最後は羽根にも触れさせてくれました。

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2005年7月30日 (土)

一流教授の下で学べ

m012 昨日取り上げた『反「暴君」の思想史』の将基面貴巳氏ですが、学生時代にカナダに留学した体験があり、その時に藤原肇氏の『日本脱藩のすすめ』を鞄に詰めて持っていき、ボロボロになるまで『日本脱藩のすすめ』を繰り返し読んだそうです。その藤原肇氏と将基面貴巳氏との対談が実は本になっています。この本は私も編集協力をした思い出の本なのですが、『賢者のネジ』(たまいら出版)という本です。同書の第三章「高等教育と世界を舞台に活躍する人材の育て方」という、教育関係者にとって注目すべき対談がまさにそれであり、関心のある方は同書を手に取ってみていただければ幸いです。なお、同書はアマゾン・ドットコムでは販売していませんので、クロネコヤマトのブックサービスを利用すると良いでしょう。

http://market.bookservice.co.jp/

第三章「高等教育と世界を舞台に活躍する人材の育て方」は、教育がテーマであるだけに本ブログで取り上げたいテーマが沢山あるのですが、今回の投稿の題名にもあるように「一流の教授の下で学べ」に焦点を絞って取り上げておきましょう。実は、第三章「高等教育と世界を舞台に活躍する人材の育て方」に、“「どこの大学」より「誰に学ぶか」が問題”という小見出しの個所があり、東大しか頭にない日本人にとって良い意味でのショック治療法になると考え、以下に一部を転載します。これにより、東大信仰から抜け出す日本人が1人でも増えてくれれば嬉しく思います。

「どこの大学」より「誰に学ぶか」が問題

藤原肇 先程のハーバードの教授によると、 ひとり木の下で本を読んでいるのは大体が日本人で、 「なぜ本学にいらしたのですか」 と聞くと 「アメリカでいちばんだがら」。 「あなたの専門分野でいちばんの先生の下にきたのではないですか」 と重ねて問うと沈黙する、 という調子だそうです。 私の留学当時、 構造地質学ではレニングラード大のベローゾフ教授がトップだったのでまずここを目指したのですが、 成績が悪くソ連政府給付の奨学金をもらえず断念した (笑)。 2番目がグルノーブル大のテバルマス教授だったので入学したわけです。 私は世界で、 1、 2の先生の下に行こうと考えたのであって、 大学に行こうという発想は露ほどもなかった。 「偏差値が高いから東大に行きたい、 ではなく、 自分の専門分野で誰が最高の力を持っているか評価する識見や限力を持たねばならない。

将基面貴巳 その識見を持つにはしかるべき勉強をしておかなければならない。 それがすべての前提条件になります。 東大に行くにしても、 どの先生につくために東大に行くのかを最初に問わなければならない。 私の場合を申し上げると、 日本では慶応大学に進みましたが、 高校時代、 慶応のパンフレットに教科ごとの担当教授が記されているのを見た私が、 「これはいいlと級友にいうと、 「そんなことどうでもいいじゃないか」 と一言で片付けられた。 そもそも、 誰に学ぶかという意識がないのが一般的なのです。

藤原 著書を読めば誰がどういう発言をし、 どういう思想を持っているかは分かるにもかかわらす、 まず学生自身が知ろうとしない。 また、 日本には予備校が存在し、 とにかく東大を目指せ、 慶応に行けというだけだ。 さらには、 大学も情報を外に出さない。 例えば医学部なら、 内科と外科で教授陣はいかに違い、 外科でもこの分野で業績を上げているのは誰である、 に至るまで情報を提供するべきです。 こうした意味で、 日本の教育界に情報公開がまったくない。

将基面 太学における研究のあり方においても、 欧米では情報公開が徹底している。 すべての研究誌が自由投稿制で、 あらゆる国、 あらゆる分野のあらゆる学者が自らの研究を自由に発表し、 各誌の編集部と外部のレフェリーが匿名で審査する。 しかも、 審査においては投稿者自身も匿名の形を取るため、 もっぱら質だけで評価されるわけです。 ところが日本では自分が所属する大学に提出する。 共通の土壌がない限り、 自由投稿制にしても誰も投稿しようとしない。 つまりは、 自分の所属外の誰かに評価されることを恐れる。 この事実を研究者はいいたくないし、 いう人間もいません。

日本では東大は〝最高峰〟の大学であっても、ハーバード大学の某教授が作成した世界の大学の格付表をもとにすれば、東大は世界でも200番単位に辛うじて入る大学に過ぎません。私は自分の子どもたちに対して、今のうちに様々な体験を積み、たくさんの本を読み、高校生あたりから自分の進みたい分野をある程度絞らせ、その分野で世界一という教授を捜し出そうと時折語ることがあります。無論、捜し出した教授が必ずしも日本の大学で教えているとは限らないし、また教授が日本人でない可能性も高いと思いますが、大学という箱物(ハードウェア)などに惑わされることなく、自分が目指す分野で世界一の教授の所へ行って欲しいと祈っています。

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
ナワシロイチゴ

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2005年7月29日 (金)

『反「暴君」の思想史』

b050729いつの日か書評を書いてみたいと思っている本の1冊に、将基面貴巳氏の『反「暴君」の思想史』(平凡社新書)があります。この本は、某識者をして戦後の日本の十大名著の1冊に加えたいと言わしめたほどの良書です。かなり前のことですが、私の知人の1人が同書について感想を述べたことがあり、アマゾン・ドットコムにも投稿されていますので、以下に転載しておきましょう。
将基面貴巳著『反「暴君」の思想史」について

  生まれながらにして古典となる運命を持つと予感させる稀代の良書

 本書は、将来日本で「共通善」思想受容史の研究書が書かれるとしたら、特筆大書されるだけでなく、亡国の淵にあえぐ多くの日本人の目を覚まさせ、思想的基盤を再構築し回天への行動を取らせる契機となるだけの強いインパクトを持った歴史的名著である。

 著者将基面さんは、学者・歴史家の使命への深い洞察と祖国へのコミットメントに基づいて、専門の中世末期のヨーロッパの政治思想の学識を最大限に生かしつつ、その専門性の枠に捉われることなく、幅広い学識と時空を超えた俯瞰的な足場の上に立って、比較政治思想史のアプローチを使って、古今東西の思想を鏡として、日本人の政治的思惟の特性を明らかにし、日本人が陥りやすい思想的短絡の不毛性をも懇切に指摘しつつ、暴政の打破、亡国の救済の鍵となるべき思想が何かということを明確に読者の肝に銘じてくれる。

 また、本書は国際的な碩学の手になるものだけあって、意味論を踏まえた用語定義や概念規定がたいへんにすぐれており、政治を学び考えようとする者の思考整理に大いに役立つものである。そして本書は、後学の者が比較政治思想史的アプローチによって政治思想の有無の検証や内容の差異を明らかにする際のたいへんすばらしい手本となる良著でもある。

 さらに、著者の学者の使命に関した倫理意識と義務感が卓越して素晴らしいことも特筆されるべきであるといえる。私は、本書を読み返すたびに、著者の若い血潮が、真の憂国の情と、学者の立場で故国に対して果たすべきことを成すべき時に、きっちりとやり遂げて置きたいという厳しい使命感で脈打っていることをひしひしと感じる。

 著者は本書の出版によって、日本を祖国に持つ国際的な政治思想史学者として、また世界的レベルで生きる現代の知識人として、ノブリスオブリジュを充分に果たしており、じつに感服すべき業績を残した。本書はまさに、著者の高度なボンサンスが存分に体現された名著である。

 本書を手に取るものは、暴政に対して立ち上がる勇気を強力に支える思想的基盤を培うことができるだけでなく、比較政治思想史アプローチのエッセンスをおおいに学ぶことができよう。そのうえ、生まれながらにして古典となる運命を持つと予感させる稀代の良書に廻り会う喜びを体験できたら、それは「素晴らしいの一言に尽きる」というものであろう。

 丸山眞男の「忠誠と反逆」と読み合わせるとさらに学習効果がでよう。

これだけ素晴らしい書評を書かれると、これから同書の書評を書こうと思っている者にとって大変やりずらい面がありますね。事実、上記の書評が書かれたのが2002年10月であり、いまからおよそ3年前ですが、アマゾンドットコムでは友人の投稿以降は、他の誰からも同書に対する書評の投稿がありません。これだけの書評を書ける知人を誇りに思った次第です。

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2005年7月28日 (木)

Wordfast

かなり以前から、フリーウェアの翻訳支援ツール「Wordfast」の存在は知っていましたが、なかなか手にして使うという気が起きませんでした。それと言うのも、オンラインの無料の機械翻訳を幾度か使用してみたり、市販の富士通のアトラス、Trados、Transitなどのセミナーを受けたり、さらには実際に翻訳の仕事に1~2回使った体験があるなど、機械翻訳や翻訳支援ツールの長所・短所を、翻訳者ではない一般の人たちよりは憖っか知っていただけに、Wordfastも(あまり役に立たない意味では他の翻訳支援ツールと)同じだろう程度の気持ちでいたのです。しかし、過日以下のサイトを訪れ、初めてWordfastがマイクロソフトのワープロソフトであるWordにアドインするテンプレートだと知り、急に興味を覚えたのでした。何故なら、ここ1ヶ月取り組んでいるCTも、Wordfast同様にWordにアドインするテンプレートだからです。
http://www.trustwords.com/wf/

上記のHPのオーナーである山田聡氏は、Wordfastのマニュアルを和訳した人であることを同HPを訪問して初めて知りました。そこでWordfastをパソコンにインストールした7月25日に、山田氏の掲示板に以下のような書き込みをしたのです。

http://www.trustwords.com/freecgi/TreeBBS/index.cgi?bid=1&page=1

1. WordfastとCT [サムライ] 2005/07/25 07:31:24
最近、Wordfastの存在を知ったサムライと申します。翻訳の世界に入ってから6年になりますが、最近は繰り返しの表現が多いマニュアルタイプの仕事が増えてきたことから、翻訳の仕事を効率的に行う術を模索してきました。そうした中で出会ったのが、特許翻訳者の水野麻子氏のCTという翻訳術です。これは“フォートリーディング”という画期的な手法を採り入れた翻訳技術であり、これにWordのマクロを組み合わせたもと言えば理解が早いと思います。CTについて個人的な感想を拙ブログに書きましたので、以下を参照願います。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/cat3631693/index.html

また、前々から気になっていたWordfastもWordのマクロと知り、CTと組み合わせたら何かが生まれるかもしれないと閃き、昨日Wordにインストールしてみました。これから本業の合間に山田さんに翻訳していただいたマニュアルを片手に、少しずつ操作方法を覚えていきたいと思います。分からない点や疑問点が出ましたらここの掲示板を訪問して問い合わせさせて戴きたいと存じますので、御指導のほど宜しくお願い申し上げます。

サムライ拝
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/

それに対して、山田氏から以下のような回答を頂いています。

2. Re: WordfastとCT [山田聡] 2005/07/25 15:56:40
サムライさん

CTというのは、私には未知の世界ですが、Wordのマクロ同士なら何か面白いことができるかもしれませんね。私はマクロの詳しいことは分かりませんが、できる範囲で協力させていただきます。

CTに関しては既に今月から翻訳の仕事に活用していますが、Wordfastに関しては1回サンプルの原稿を使って実際に走らせてみたに過ぎません。それでも、CTとWordfastを併用することによって生じるであろうメリットとして、少なくとも以下のようなものがあることが分かりました。

■グロッサリー(用語集)が基本的に共有できること。CTもWordfastもタブ区切り形式(TEXT)を採用しています。但し、Wordfastの場合、ワイルドカード機能を持たせるために"*"を使用しますので、厳密には単純に共通して使用することはできないかもしれません。このあたりについては、今後実際に使用していくにあたって確かめていきたいと思います。
■Wordfastの付録Ⅰの「セグメント分割とTMについて」に、「最初の行を翻訳し終えると、Wordfastが次の行を認識し、候補の訳文を提示することによって下訳もしてくれます」(p.100)とあります。過去の資産である翻訳メモリに、現在進行中の翻訳作業の原稿に候補の訳文がなくても、現在進行中の翻訳作業の原稿自体に候補の訳文があるケースが多いのは、翻訳者であれば体験上知っていると思います。その意味で、同じ原稿の中で後から出てくる候補の(似通った)訳文の下訳をしてくれるというWordfast機能は有り難く思います。そのWordfastの機能と並行して、CTの画期的な翻訳方式・フォトリーディングで翻訳を進めていったとしたら、今まで以上に翻訳のスピード・品質がアップするのでは、という気がしてきました。しかし、実際にある程度使い込んでみないことには今のところなんとも言えません。

その他、CTとWordfastの併用によって、さらに多くのメリットが出てくるような気がしますが、そのあたりは追々まとめて報告していくつもりです。

最後に、Wordfastに限らず他の翻訳支援ツールについても言えることですが、実際に自分で走らせてみることにより、身体で操作方法を覚えることが肝心なのですが、その点で初めて翻訳支援ツールというものに接する人たちは大変だろうなと思います。幸い、私の場合は色々な翻訳支援ツールを囓ってきましたので(どれもマスターしたとは云えず、中途半端ですが…)、今のところ山田氏の翻訳したマニュアルを理解し、Wordfastを色々と試すことが可能です。しかし、上級レベルになったら、山田氏のアドバイスが必要になるとは確実です。その折りは、山田さん、宜しくお願い致します。

Wordfast:パソコンの標準OSであるマイクロソフトのウィンドウズの牙城を脅かすのがリナックスであるとすれば、翻訳の標準翻訳支援ツール(一種の翻訳ソフト)であるTRADOS(トラドス)の牙城を脅かすのがWordfastである。

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2005年7月27日 (水)

「毎日教育メール」

m011 毎日新聞が発行している「毎日教育メール」という、メールマガジン形式の電子版新聞がありますが、これは教育を主テーマにしたものだけに、教育関係者で購読(無料)している人たちも少なくないでしょう。小学校から大学までを対象に、教育について幅広く取り扱っていますので、教育関係者だけではなく、日本の教育の大まかな流れを常に追っていきたいという小学生から大学生の子どもを持つ父兄にも役立つメールマガジンと云えそうです。なお、一般のメールマガジンは「まぐまぐ」などから発行されるケースが多いのですが、「毎日教育メール」の場合は毎日新聞社から直接発行されています。さらに詳しく「毎日教育メール」について知りたいという方は、以下のサイトを訪問してみてください。配信を希望される方も、以下のURLから申し込むことができます。
http://www.mainichi.co.jp/life/kyoiku/edumail/

私の場合、小学生の子どもを持っていることから、やはり小学校教育の全体の流れを追うために購読していますが、その他に【本と読書】というコーナーにも注目しています。このコーナーは、教育を主テーマにした幅広い書籍を紹介しており、時々これはと思う本を入手して目を通しており、私にとって貴重なコーナーです。また、携帯電話を所有し、インターネットにアクセスする子どもたちが増えてきている今日、ITの良い点ばかりではなく、それを裏返しした形の様々な問題点も表面化しつつありますが、そうしたITと子どもたちという視点のニュースにも力を入れている点にも好感が持てます。現在の我々が迎えようとしている情報革命は、先の産業革命に匹敵するほどのインパクトを人類にもたらすことは間違いなく、そうした時代の大転換期に生まれ合わせた子どもたちに、親として何をしてやれるか、という観点から「毎日教育メール」読み続けていくのも一考です。

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
ミソハギとキタテハ

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2005年7月26日 (火)

『属国・日本論』&『石の扉』

b050726 IBDのウェブ機関誌に「近代日本とフルベッキ」というシリーズを最近まで執筆していましたが、坂本龍馬を取り上げた際に、評論家の副島隆彦氏の『属国・日本論』について書評を書いたことがあります。一読してみて思ったことは、『属国・日本論』は良書の1冊ということでした。それなのに、船井幸雄氏のような人物と対談本(『日本壊死―新しき人目覚めよ 』ビジネス社刊)を出すとは、一体全体どういう了見なのか、呆れるしかありませんが、それは兎も角、『属国・日本論』は推薦するだけの価値はあり、「近代日本とフルベッキ」に書いた書評の一部を以下に転載致します。

副島隆彦の代表作・『属国・日本論』
この『属国・日本論』(五月書房)について、筆者自身が副管理人を務める掲示板[藤原肇の宇宙巡礼]の「若き日の修験者・空海のコスモロジーと錬金術」というスレッドに、以下のような書評を先月投稿した(一部訂正)。 http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/2491/1089401588/

エンセンさん、『思想劇画 属国日本史 幕末編』のご紹介ありがとうございました。その後、副島隆彦氏のホームページ[学問道場]を訪ねてみたところ、須藤よしなおさんという学問道場のメンバーの方も『思想劇画 属国日本史 幕末編』の一部を紹介していました。

ただ、エンセンさんの紹介してくれた『思想劇画 属国日本史 幕末編』の一部を拝見したものの、副島氏の「バカヤロー! ふざけたことをぬかすな!」といった台詞に代表されるように、品のない副島氏の言葉のオンパレードといった感があり、故手塚治虫の作品を知る一人として、『思想劇画 属国日本史 幕末編』は手にする気が起こりません。内容的には良いものだけに大変残念だと思ったのですが、『思想劇画 属国日本史 幕末編』は同じ副島氏が著した『属国・日本論』(五月書房)の「幕末・明治期編」を劇画化したものと後に知り、取り敢えず『属国・日本論』をオンライン書店を通して取り寄せて一読したところ、予想に反してなかなかの良書でした。特に深く共鳴したのは以下のくだりです。機会があれば拙稿「近代日本とフルベッキ」で紹介させていただく予定です。

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政治の流れを大きく背後で動かしているのは、軍事力とそのための資金である。このリアルな事実を抜きにしてあれこれ見てきたようなことを書いてある本は駄本だ。現実の政治を知らない学者たちの、厳密な文献考証だけでも駄目である。どれだけの軍事援助をどのような勢力が行ったのかを見きわめようとするリアルな眼を持たなければ、幕末維新期の謎を解明することはできない。 『属国・日本論』P.200
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このくだりを読んでピンと来たので、同書を最初から最後まで目を通してみました。そうした中で思わず息を呑んだのは、「なぜ佐藤栄作元首相はノーベル平和賞を受賞したのか」という題名の章でした。佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞した理由と、それが20年後のソビエト連邦崩壊に結びつくまでのプロセスを、ものの見事なまでの副島氏のインテリジェンスで以て炙り出している箇所を読み、思わず唸った次第です。

ただ、二カ所惜しいところがありました。

一つは、「甘粕正彦(大杉栄と伊藤野枝を殺害した軍人でもある)」(P.233)とある点です。確かに通説ではそうなのですが、大杉栄と伊藤野枝を殺害した真の犯人は甘粕正彦ではないという説もあるのです。そのあたりの詳細は『賢者のネジ』(藤原肇著 たまいらぼ出版)の「第八章 大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁」に書かれていますので参照願います。

二つは、米国のシンクタンクを分類するのに、〝リバータリアン保守派〟(P.120)という表現を副島氏が用いている点です。しかし、欧米の識者であれば、個人であれシンクタンクのような組織であれ、自らをリバータリアンと名乗るような危ないことはしないはずです。「本当のリバータリアンというのは、自身がリバータリアンであることを徹底的に隠すのが本来の姿であり、自分がリバータリアンであることを公にすれば、命が幾つあっても足りない」というのがリバータリアンという存在であると、知人の在米の某識者が語ってくれたのを思い出します。

 上記にもある通り、「政治の流れを大きく背後で動かしているのは、軍事力とそのための資金である」という副島氏の考察は正鵠を射ており、筆者も前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「第六回 国際政治のすすめ(政治編)」に、「金融ヘゲモニーとの軍事ヘゲモニーこそは、パクス・アメリカーナを推進していく両輪に相当する」旨のことと書いていて、副島氏同様に軍事力とその資金が世界を動かしていると考える一人である。時間があれば、会員の方は前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「第六回 国際政治のすすめ(政治編)」に再度目を通していただければ有り難い。

 また、副島氏のいう「政治の流れを大きく背後で動かしているもの」を捉えるには、前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「最終回 再び日本脱藩のすすめ((総編)」にも述べたように、「上次元より観察して物事を的確に判断すること。例として、日本の経済・政治の現状を正しく把握するには、次元を一つ上げてアジア全体の経済・政治の流れを掴むようにし、アジアの経済・政治の現状を正しく把握するには、さらに次元を一つ上げて世界全体の経済・政治の流れを掴むようにすること」が出来るように修行を積むことが肝心なのである。

 オンラインで公開している『竜馬がゆく』の「BOOK」データベースによれば、「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ龍馬一人がやったことさ」と勝海舟が語ったと書いてある。果たして勝の言っていたことは本当なのだろうか。『属国・日本論』では以下のように述べている。

 坂本(龍馬)は、薩長同盟=薩長密約(1866年1月21日、京都の薩摩藩邸で、西郷隆盛と木戸孝允が合意した攻守同盟六ヶ条)を仲介した幕末史上の重要人物とされる。しかし一介の脱藩浪士が何のうしろだても無しに、このような政治力を持てるだろうか。背後にはやはり、ジャーディン・マセソンとその日本対策班であったグラバーと、イギリスの外交官たちがひかえていたと考えるべきだ。
『属国・日本論』(副島隆彦著 五月書房)P.176

 一般に、明治維新は下級武士を中心に日本人だけの力で成し遂げたものであるというのが日本での通説になっているようだが、『属国・日本論』はそうした通説に対して否と答えているのであり、筆者も『属国・日本論』に全く同感である。論より証拠、グラバー自身が薩長の仲を取り持ったと述べた記録が残っており、それにより龍馬の背後にはグラバー、さらにはジャーディン・マセソン商会がいたことが明らかである。

 グラバーはのちに薩長同盟、鹿児島訪問、倒幕という文脈のなかで自分を位置づけ、「つまり自分の一番役に立ったのは、ハーリー・パークスと、それから薩長の間にあって壁をこわしたことで、これが自分の一番手柄だったと思います」と自負している。(『史談会雑誌』)(杉山伸也著『明治維新とイギリス商人』岩波新書、1993年)

 グラバー自身もこれぐらいの白状は、どこかでやっているものである。いったいこのグラバーの背後に日本を属国にして管理してゆくためのどれほどの策略がめぐらしてあったのか、今のところこれ以上は分からない。 まるで日本人だけで、それも情熱に燃えた下級武士たちの力で明治維新ができたと考えるのは底の浅い歴史認識である。

『属国・日本論』(副島隆彦著 五月書房)P.200

 以上、龍馬を表に立てて資金面の援助を行い、薩長に武器を売り込むように指図をしていたのがグラバー商会、ジャーディン・マセソン商会であり、さらにグラバー自身が告白しているように、日本の青写真を設計していたのもグラバー商会、ジャーディン・マセソン商会であったことがお分かりいただけたと思う。では、龍馬の背後にいたグラバー、ジャーディン・マセソン商会とは、そもそも何者だったのだろうか。

上海にあったのは(今でも香港にある)ジャーディン・マセソンという大商社である。このジャーディン・マセソンは現在でもイギリスで四番目ぐらいの大企業であり中国の利権を握りしめてきた商社である。このジャーディン・マセソンの日本支社とでも言うべき商社がジョン・グラバー商会である。おそらく、彼らは全て秘密結社フリー・メイソンの会員たちであろう。私は陰謀理論(コンスピラシー・セオリー)をことさら煽りたてる人間ではないが、この事実は、日本史学者たちでも認めている。この上海のジャーディン・マセソンが日本を開国に向かわせ、日本を自分たちの意思に従って動かした組織だと私は、判定したい。
『属国・日本論』(副島隆彦著 五月書房)P.170

b050727  上記のように、副島氏はジャーディン・マセソン商会およびグラバー商会を「フリーメーソンの会員たち」といった簡単な記述で済ませているが、幕末明治にかけての日本、さらには今日に至るまでの日本にフリーメーソンが大きな影響を及ぼしてきたのであり、そのあたりをテーマに取り上げた『石の扉』(加治将一著 新潮社)という題名の本が最近発売されている。中でも本シリーズ「近代日本とフルベッキ」と関連して注目すべきは同書の「第五章 解き明かされる明治維新の裏」であるが、内容的には副島氏が『属国・日本論』の中で説いている幕末維新期の域を出ていない。しかし、フリーメーソンの全体像を把握するには格好の書であるので、『属国・日本論』同様に一読をお薦めする所以である。

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2005年7月25日 (月)

自由研究とフィボナッチ数列

m010 私の気に入っている教育関連のブログの一つに、中学校の自然科学系の先生が立ち上げている[先生に一言!]というブログがあります。このブログのオーナーであるバッハ氏(ハンドル名)は、私が本ブログを立ち上げた時に訪問してくれ、激励の言葉をかけてくれた先生であり、今でも感謝している次第です。さて、過日バッハ先生のブログを訪問したところ、「理科:自由研究は何をどうすればいいの?」というテーマの投稿がありました。

http://my-home-town.way-nifty.com/hitokoto/2005/07/post_c660.html

理科の自由研究のテーマとして、「植物と黄金比」を子どもたちにヒントとして与えたという下りを読み、これだ!と思った私は上の子に、植物とフィボナッチ数列を主テーマに、植物観察をやってみたらどうかと言ってみました。それは、上の子が植物を今夏の自由研究のテーマに選んだと言っていたからです。ちなみに、私も黄金比およびフィボナッチ数列については、以下のように自分のブログに先月言及しています。

http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/06/post_e95e.html

小学生に対しては、黄金比やフィボナッチ数列について詳しく説明しようとすると話が難しくなりますので、直に植物に現れているフィボナッチ数列を見せ、不思議な世界があるのだな程度に感じてもらえれば良しとします。別に大風呂敷を広げるつもりなど毛頭もないのですが、黄金比およびフィボナッチ数列こそ、今世紀最大の科学分野のテーマの一つになると睨んでおり、たまたま黄金比やフィボナッチ数列の存在を知った息子の将来に、良い意味で何等かの刺激になればと密かに願っています。

子どもたちに見てもらおうと思って探したのですが、小学生にも理解できるようなフィボナッチ数列に関するサイトは意外と少なく、辛うじて以下のサイトを発見したに過ぎません。これからの日本および世界を背負う子どもたちを対象にした、黄金比およびフィボナッチ数列の本格的なサイトの誕生を待ち望みます。

枝分かれはフィボナッチ数列

まつぼっくりの研究(分数多角形とフィボナッチ数)

目の感覚を利用しよう

なお、黄金比およびフィボナッチ数列について色々な本が出ていますが、やはり『間脳幻想』(藤井尚治・藤原肇共著 東興書院)が黄金比とフィボナッチ数列を説いた本としては最高のものでしょう。同書には秘伝に部類に属する内容が書かれていますが、そろそろ絶版になるという噂を耳にしており、大変残念なことだと思った次第です。

追記 その後、息子は自ら子ども図書館に行き、植物に関する本を数冊借りてきたようです。私の仕事部屋に来て、植物について何やら一生懸命にインターネットでも調べていました。どのような自由研究を行うつもりなのか、今から楽しみです。

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/

梅雨明けのカエル

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2005年7月24日 (日)

『Forbes』 健康管理

0509_forbes 昨日紹介した日本語版『Forbes』9月号に、「アームバンドで24時間“健康チェック”」という記事も載っていますが、これがなかなか興味深い記事です。

http://dappan.hp.infoseek.co.jp/dojo/trans/pic/forbes050901.htm

私のようにフリーランス(翻訳)の仕事をしていると、ほぼ毎日、一日中パソコンの前に坐って仕事をしているので、健康管理に十分気を配る必要があります。私の健康管理と云えば、若い頃に始めたヨガということになるでしょうか、ほぼ毎日20年続けています。お陰様で、同世代の人たちと比較して大病を患ったこともなく、年に一回の健診を受けても全く悪いところは見当たりません。ただ、3年ほど前にタバコを止めたことから、体重が増えました。そこで、1年ほど前からヨガ以外に何か運動をやろうと思いつつも、結局運動らしい運動は今日に至るまで何もやっていません。歩いて数分の所にスイミング・スクールがあるので、そこに通うことも考えましたが、物臭な性格ということもあり、実現に至っていません。スイミング・スクール以外に、高校生の時に合気道をやっていましたので、自転車で10分程度の所にある合気道道場に通うのも良いかなと考えたこともあります。それにしても、いつになったら自分は重い腰をあげるのやら(運動を始めるのやら)…。

同記事に、「ヘルスケア(健康医療)分野にも〝実力主義〟を導入すべきだ。最高の健康管理というのは、病気にならないために、最善努力をすることだ」とあり、耳が痛いです。さらに、「太った人は保険料率が高くなるかもしれない」とあっては、一層プレッシャーを感じざるを得ません。それにしても、同記事の見出しに「体のどこが悪いのかを教えてくれたのがこれまでの医学。だが今は、体のどこが悪くなるかをコンピュータが教えてくれる時代になった」とありますが、このあたりに情報革命が目の前に迫っていることをヒシヒシと感じさせてくれるものがあります。

ところで、一日中パソコンの前に坐っていて困るのは、何も運動不足になるということだけではありません。一日中パソコンの画面を眺めているために起こる、目の疲れも相当なものです。私自身も、昨年の11月までは目の疲れに大変悩んでいました。朝からパソコンに向かって仕事をしているので、目が疲れるのも止むを得なかったのですが、それにしても夕方あたりになると思わず目蓋を押さえてしまうほど、目が疲れて疲れて仕方がありませんでした。ところが、去年の11月に風水師であるKさんと出逢ったことで、一日中パソコンのモニターを見つめていても、全く目が疲れない方法を幾つか教えてもらっのです。残念ながら、これらの方法はKさんとの約束で本ブログで公開するわけにはいきませんが、ここではヒントを一つだけ教えておきましょう。以下のURLをクリックしてみてください。

http://homepage2.nifty.com/tnatori/trans/health.html

上記HPのオーナーも私同様に翻訳者ですが、同HPのオーナーが書いているように、世の中には目に良いドリンクが確実に存在しているのは確かです。ただ、上記HPを読む限り、どのような成分が本当に目に良いのか、上記HPのオーナーは未だよく分かっていないようです。ともあれ、11月に目の疲れを取る方法を教えてくれたKさんから、目によいドリンクの事業化に挑戦してみたらどうかと云われ、一時はその気になって賛同者を集めたりしましたが、その後本業(翻訳)が忙しくなったこともあり、残念ながら実現に至っていません。しかし、これからの世の中は、今まで以上にパソコンに接する仕事が増えていくことが予想できることから、Kさんがヒントに出してくれたビジネスの種を開花させてみたいと、ふと思うことがあります。このように、世のためになるビジネスの種を持っているというのに、己れの健康管理同様に腰が重いのは自分の悪い癖です…。

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2005年7月23日 (土)

『Forbes』 Xbox

0509_forbes 昨日発売された日本語版『Forbes』9月号に、「Xboxの戦略180度転換でソニーに挑むマイクロソフト」という記事が載っています。
http://dappan.hp.infoseek.co.jp/dojo/trans/pic/forbes050902.htm

拙宅の場合、壊れた分も含め、任天堂のゲームボーイが新旧合わせて5台もあり、その他に任天堂のゲームキューブ、ソニーのプレイステーション2も揃っていて、残るはXboxのみとばかり、敵(子どもたち)はXboxを虎視眈眈と狙っているようです。実は、数ヶ月前、仕事でプレイステーション2関係の記事を翻訳していた際、敵にプレイステーション2のことについて色々と尋ねたまでは良かったのですが、「今時、プレステ2を持っていないのは時代遅れ」、「お父さん、やっぱり本物を体験しないとリアルな記事書けないよ」とか何とか言われ、結局敵の総攻撃を防げずに落城してしまったという苦い思い出があります。過去の失敗の体験から、敵にXboxの記事を敵に見せては一大事とばかり、『Forbes』9月号に目を通した後は、敵に見つからないように仕事部屋の本棚に隠しました。しかし、記事を読むに、今年のクリスマスに発売されるXboxは、私のようにゲームの素人をターゲットにしているとあり、今からどのようなゲーム機なのだろうかと期待しているもう一人の自分がいます…

最近、下の子(小4)のクラスの子どもたちが書いた「将来の夢」という作文集を読みました。そして、自分の子どもではありませんでしたが、将来は「任天堂の社長になりたい」という子が2人、「任天堂の社長は無理だから、せめて部長になりたい」という子が1人いたのには驚くと同時に、夢がないなぁ……とため息をついた次第です。任天堂はすでに完成した企業であり、そんな会社の社長なんかになるよりは、自分自身の力で新しい事業を立ち上げ、それを大企業に育てた方が、遙かにロマンがあるのではないでしょうか。無論、事業を興して大企業に育てるだけが人生ではなく、来る情報化社会を睨んでのスモールビジネスも悪くはありません。私は、子どもたちが中学生高校生あたりになったら、『日本脱藩のすすめ』という本を薦めるつもりですが、その本には以下のようなことが書かれています。(同書は残念ながら絶版ですが、数年前に著者の許可を得た上で以下に電子化済みです)

http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/dappan/dappan.html

●ビジネス・ノウハウを武器にして、やる気を持った小集団が創意と挑戦の気概に燃えて、既存のビジネス領域に進出を企てているのです。最初のうちは困難に遭遇して苦しいことも多いですし、涙をのんで敗退しなければならないかもしれませんが、幾ら大きなものでもマンネリに陥っていれば、必ず新進気鋭の者に隙をつかれるものです。それに組織が小さければ経費は最小限度で済むので、いざとなったら耐久度は抜群ですから、とことんまで耐えぬけば、いつかは微笑む時を迎えることが可能になります。しかも、自分でビジネスをやることによって自らの創意を生かし、実力を試すことができたら、人生これくらい楽しいことはないし、これ以上の生き甲斐を感じることはありません。

●ベンチャー・ビジネスというのは、問題意識とソフトウエアが非常に優れていて、この人ならこの種の問題に関して世界一とか、関西で一番わかっているという人物が寄り集まり、しかも必要最低限度だけの人間だけで構成し、不必要な者はいっさい組織の中に入れないで運営する事業です。

 ...........中略.............

 組織の発展の歴史をふりかえってみるなら、仕事を分担して能率をあげるという原理に従って、組織は複雑化し拡大してきたのは確かです。複雑化することによって不必要なものをとりこみ、拡大したことによって多くのものを失ってしまったという事実に注目するなら、不必要なものを切り棄て、必要があるにもかかわらず失ってしまったというものを取り戻す努力をすることも、発展の別の側面ではないでしょうか。マックス・ウェーバーが喝破した通り、官僚制というのは人間が作り上げた最も合目的的な機構であり、合理性の特徴を持ちうるものであると言えますが、組織内部の個人の能力の活用と、構成員としての個々の人材の実力の自律的増進という意味では、あまりにも多くのものを喪失しているのも事実ではないでしょうか。特に、素早い決断をするプロセスと、組織の機動性を保持するためには、最小限に複雑化し、最小限に拡大するという態度に徹しなければならず、それを実現してビジネスをやっているのが、実はベンチャー・ビジネスの正体です。ベンチャー・ビジネスは規模の単位によって大きさを計る、小企業とか零細企業とは本質的に異なった理念で成り立つものであり、外見的には似ていますが、中身は気が遠くなるほどの違いを持つといえるでしょう。


●ベンチャー・ビジネスは非常に経済合理主義に徹した組織体ですから、不要なものはいっさいかかえこみません。無駄と考えられる経費は全く使いません。事務所にしても、大きなビルに入って立派な看板をかける必要もありません。誰かメンバーが持っている会社の中の一室に陣取ったて構わないし、ホテルの会議室を三ヶ月間借りて仕事を仕上げ、目的を果たしたら、さっさと解散するなり、新しい組合わせで別の組織体と共同事業を始めてもいいのです。ある意味で課題を遂行するためのゲリラ組織ですから、特別任務が終わった段階で組織は解体されて再編成されるのは当然でして、この解散能力がベンチャー・グループの活力源とも言えます。特に、労働力指向型に比べると技術指向型のものが、技術指向型のものに比べると知識指向性の高い組織体の方が、より経済合理主義に徹しており、同じベンチャー・ビジネスでも最新技術とノウハウを誇るものになればなるほど、情緒性は乏しくならざるを得ない現実があります。日本人は分かれたり解散するのが苦手ですし、不要なスタッフを切り離すのは非人情だという家族主義的気分が、温情の形で価値観の基準になっていて、みな組織の中にかかえこむのがほとんどです。一度雇ったらクビは切れないし、組織が非生産的な人間の重みで動きが取れなくなっても、自滅寸前までそこにしがみついています。しかし、組織は運命共同体ではなく、ある課題を実現する目的で作られた乗りものにすぎない以上、ビジネスをやる組織は、目的の変更によって自由自在に動ける状態にない限り、自らの重みに耐えかねて自滅してしまうのは世の習いではありませんかね。

●ベンチャー・ビジネスというのは、多分にプロフェショナリズムと結びついており、企業家精神が科学的研究や技術開発能力と結びついてビジネスを営む状態で組織化されたものとでも規定できるのではないでしょうか。

ところで、子どもとゲームと言えば、ゲームばかりやる子どもの脳が危ないと騒がれた一時期がありましたが、その出所は森昭雄氏という大学教授が著した『ゲーム脳の恐怖』(生活人新書)ではないでしょうか。しかし、同書は初歩的な間違いがあるようで、アマゾン・ドットコムなどで叩かれていますし、『社会的ひきこもり 終わらない思春期』(PHP新書)という本を著した、ひきこもり研究の第一人者である精神科医の斎藤環氏も、『ゲーム脳の恐怖』を批判している一人です。
http://www.tv-game.com/column/clbr05/

私自身は、2人ともサッカーで身体を動かしている上、自然に恵まれた環境の中にいるのだし、引きこもりどころか毎日のように友達が拙宅に遊びに来ている有様なので、ゲーム脳だの引きこもりだのは今のところ心配していません。ただ、時々ゲームに夢中になっていたら、「少し目を休ませろ」と注意する程度です。尤も、つい最近までは、ゲームばかりしているので、「外で遊べ」と叱ったことが幾度かありました。

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2005年7月22日 (金)

CT初体験

いつもお世話になっている翻訳会社から、嗜好品を製造する機械マニュアルの翻訳の仕事(英文和訳)が来たので、早速CTを翻訳作業に活用してみました。無論、CTを仕事に利用するのは今回が初めてでした。以下はCTを実際に仕事に使ってみた上での個人的な感想です。

今回の最終クライアントからの仕事は、今までに幾度か翻訳の仕事を承っていますので、今後も似たような内容の仕事を依頼される可能性が高いことを考慮し、CTを使って〝専門用語集〟を残すことにしました。具体的には、次回から今回登録した専門用語を自動的に入力してくれる機能を備えた専門用語集に作成したのですが、それ以外に、次回似たような文章に当たった場合、そうした文章・段落単位も自動的に自動翻訳してくれるように〝文章・段落の翻訳メモリ〟も残しました。ここで云う〝文章・段落単位の翻訳メモリ〟とは、翻訳支援ツールについている、一種の翻訳メモリに似通っていますが、厳密に言えば若干違います。そのあたりの解説については、機会があれば述べさせていただくとして、本日は次に筆を進めます。

さて、CTを使って最初に行ったことは、大量の原稿をサーッと〝眺めながら〟、目に入った出現頻度の高い専門用語を、次々とWordの置換で一括置換しながら、同時に専門用語集を同時進行の形で作成していきました。ある程度専門用語が溜まった段階で、次に〝読まずに読む〟というCT方式に倣い、ダーッと翻訳を進めました。尤も、練習で少し体験したとは云え、実際にCTを使って翻訳作業を行うのは初めてというともあり、流石に最初の1時間はノロノロ運転でした。しかし、慣れて行くにしたがい、スピードも徐々にアップしていったのです。初めてCTで翻訳作業を行ったのにも拘わらず、今までの1.5~2倍スピードアップしたなという手応えを得ました。次回も同じような仕事が回って来たと仮定すれば、今回構築した〝専門用語集〟および〝文章・段落の翻訳メモリ〟を活用することで、一層スピーディに次回の仕事が進むのは確実であると思います。

ところで、今回は生産機械の操作マニュアルということもあり、CTが威力を発揮してくれる形になりましたが、来月に入ると1年間に及ぶ経営・ビジネス分野の仕事がスタートするのであり、この場合はどうなるでしょうか…。何処までCTが通用するのか、今から非常に楽しみです。そこの最終クライアントとは初めてのお付き合いになりますが、予め用語集を送付してくれるというので、用語の統一程度はCTが利用できると思います。ただ、内容的には世界経済の潮流および勃発的な世界政治・経済のニュースが中心になると思いますので、用語の統一以外ではCTは役に立たないような気がします。ともあれ、実際に取り組んだ上で後にご報告したいと思います。

なお、今回CTを使ってみてつくづく思ったことですが、CTは翻訳作業に絞って開発されたWord専用のマクロであることから、ある程度翻訳の体験がある人、あるいは翻訳の仕事をしている翻訳者でないと、CTは宝の持ち腐れで終わってしまうことは確実です。よって、CTはプロの翻訳者(殊に産業翻訳者)あるいは日常業務の中で翻訳も行う機会が多いビジネスマンにこそ、大変心強いツールであると断言できますが、そうでない人は手を出さない方が無難です。

CT(Cooperative Translation):プログラマーの水野雅之氏と特許翻訳者の水野麻子氏ご夫妻による手作りのマクロ集。産業翻訳に威力を発揮するマクロが揃っており、マスターすれば翻訳のスピード・品質・収入のアップに繋がる。詳細は以下のサイトを参照のこと。
http://www.monjunet.ne.jp/CT/

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2005年7月21日 (木)

「異文化ビジネスのすすめ」最終号

「異文化ビジネスのすすめ」を毎日流してきましたが、本日流す第6号で終わりです。最終号は長文ですので、廃刊の挨拶、その他は省いてお届けします。
 
Intercultural Business━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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_/_/_/              【異文化ビジネスのすすめ】 最終号                 
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_/                                               
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2002/04/19



■■  脱藩道場
■■  http://www.ibd-net.co.jp/

 編集人が脱藩道場の立ち上げを思い立ったのは、在米の藤原肇博士の“脱藩思
想”を世の中に普及させるためでした。藤原博士については、本メールマガジン
【異文化ビジネスのすすめ】でも幾度か藤原博士の思想をご紹介させていただい
たことがあります。メールマガジン【異文化ビジネスのすすめ】は廃刊となりま
すが、姉妹メールマガジン【日本脱藩のすすめ】で引き続き藤原博士の思想をお
伝えしていく予定です。本メールマガジンの読者であった皆様に、この機会にメ
ールマガジン【日本脱藩のすすめ】をご購読(無料)いただければ幸いです。

 また、編集人はメーリングリスト【藤原肇】(藤原ML)を主宰しています。
尤も、最近は編集人が投稿する機会は殆どなく、現在は専ら海外のメーリングリ
ストで積極的に発言しています。

 3~4年後、日本はいよいよ国家としての財政破綻を迎えようとしています。
そうした世情を反映してか、編集人が参加している日本のメーリングリストは元
気がありません。たまに活発な意見の応酬が交わされているかと思っても、井の
中の蛙を連想させる、タコツボ的な議論のやり取りがほとんどです。酷いものに
なると、相手の意見に対してではなく、相手の人格を攻撃しているというお粗末
なメーリングリストも時折見受けられるほどです。そうした日本のメーリングリ
ストに嫌気がさし、編集人をして海外のメーリングリストに発言の場を変えさせ
た最大の理由です。

 ところで、今月(4月)お会いした藤原博士からお聞きした話で、戦後の日本
の十大名著の一冊に入ることは間違いないという本を紹介していただきましたの
で以下にご案内致します。

『反「暴君」の思想史』 将基面貴巳著 平凡社新書

 藤原博士をして、「素晴らしいの一言に尽きる」と言わしめた本であるだけに
読み通すには強靭な頭脳が必要であり、個人のインテリジェンスのレベルを試さ
れる本です。そのつもりで目を通していただければと思います。


 最後になりましたが、半年という短い間読者の皆様には大変お世話になりまし
た。ここに改めて御礼申し上げます。もし、2年後にメールマガジン【異文化ビ
ジネスのすすめ】再臨の知らせを目にしましたら、是非またご登録いただければ
光栄です。


 読者の皆様のご健闘を祈念しつつ…



____________________________________
編集人: 国際ビジネスコンサルタント サムライ
連絡先: dappan@anet.ne.jp
URL: http://www.ne.jp/asahi/dappan/net/
読者数: 580名
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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2005年7月20日 (水)

パキスタンに小学校を造る

m009 私は「週刊メールジャーナル」というメルマガを定期購読していますが、本日発行の号は教育に深く関わる話であり、大変心を打つ内容でした。よって、著者の川崎明氏に連絡を取り、転載の許可を得ましたので以下に転載致します。この機会に、皆さんも「週刊メールジャーナル」を定期購読してみては如何でしょうか。発行元はまぐまぐです。

 
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  2005/7/20 No.293   週刊メールジャーナル  読者数10877人(前回)
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●フンザの学校=ハセガワ・メモリアル・パブリック・スクール=
 に御支援を!!
              フンザ学校設立基金代表 長谷川 昌美

1991年10月10日、夫・長谷川恒夫は、パキスタン北部の未踏峰(当時)
ウルタル峰(7388m)を登山中、雪崩に遭遇し、隊員・星野清隆とともに
死去いたしました。

ウルタル峰のベースキャンプ(3300m)は、フンザ・カリマバード村の共
有地であり、村人の御好意で、夫と星野隊員の墓を作らせて貰うことができ、
ふたりは、ピークを見上げる姿で、安らかな眠りにつきました。

私は、翌年からこの墓に詣でるかたわら、地元の人々と話し合い、村の将来を
考慮した建設的な事業を展開していくための組織、カリマバード福祉協会(N
PO)を発足させました。

そしてその最初のプロジェクトとして『ハセガワ・メモリアル・パブリック・
スクール』建設が決まったのが、1993年のことでした。用地の買収も済み、
1995年4月の定礎式以降、学校建設工事がスタートしました。

その一方で、1996年秋、先生7名により、仮校舎(民家)を使って6クラ
ス、80名の生徒たちの授業が始まりました。また、1997年10月23日
には、1階工事が終了したため、生徒たちを新校舎へシフトさせました。

その2年後、2階部分の工事も終了し、1999年4月16日、学校の竣工式
を執り行うことができました。

現在(2005年4月)は、男女550名の子どもたちが35名の先生たちに
より、以下のクラスに別れて、英語で授業を受けています。

         ナーセリー  (日本の幼稚園クラス)
         プレップ   (   同上    )
         グレード1~6(日本の小学生クラス)
         グレード7~10(同 中学生クラス)

パキスタンはイスラム共和国であるため、公立学校では、男女別学、パキスタ
ンの公用語ウルドゥー語を中心とする教育が通常行なわれています。

山間部では教育施設の数に限界があるため、就学率、識字率も低いのですが、
フンザではイスラム教イスマイリ派を信仰する人々が圧倒的に多く、この宗派
は教育、医療、農業、文化財保護などを積極的に応援するため、パキスタン国
内においてもフンザは極めて進歩的な地域となっています。

そんな村の人々の、地域の将来は子供たちの教育にかかっているというという
切実な願いが、この学校設立という形に結実いたしました。

この私立の学校は、男女共学、英語での授業、コンピュータ導入、という山間
僻地としては極めて稀な恵まれた教育環境にあります。

現在は、生徒数の増加により、建物が手狭になってきたことも事実です。隣接
する土地を購入するための資金、成績優秀な恵まれない生徒のための奨学金、
先生たちの指導力向上のためのトレーニング費用など、まだまだ資金的な協力
が必要なことは申しあげるまでもありません。

学校設立に際しては、多くの日本の人々からの御援助を頂きましたが、引き続
き、この学校にご理解をいただき、御協力を賜りますよう、宜しくお願い申し
上げます。

        郵便振替口座  00140-1-23664
        名    義  フンザ学校設立基金

フンザ学校設立基金 〒151-0061 東京都渋谷区初台2-26-1-401
          (有)アルパインガイド長谷川事務所内
          TEL 03-3370-8522 FAX 03-3320-0398
          e-mail: masami-h@za2.so-net.ne.jp

【あとがき】

故長谷川恒夫氏はきわめて優れた職業登山家であったが、ヒマラヤに挑んだ多
くの登山家がそうであったように、稀ではあるが命と引き換えのヘビーリスク
から、あるとき、逃れることはできなかった。

しかし、山を愛し、自然環境の保護にも熱心であった彼のために、ベースキャ
ンプの建設やガイドに、フンザの村人は積極的に協力し、そして事故のあと、
捜索や墓所の建設にも、快く協力してくれたようである。

長谷川未亡人が、こうした村人の好意に応えるため、学校建設に思い至ったこ
とは、自然な成り行きではなかったか。

パキスタンは、西隣りのアフガニスタンと長い国境で接し、その山岳地帯には、
いまもアルカイーダの根拠地があるとされる。

東の隣国インドとは、カシミールの領有を巡っての、長年の紛争がよく知られ
るところだ。また、そのことが、両国が核を保有するにいたった直接的な動機
になったともいわれている。

先日のロンドンにおける自爆テロの犯人らはパキスタン系英国人であり、犯行
前にパキスタンを訪れ、イスラム過激派組織「ジャイシェ・ムハマド」の構成
員らと接触したという情報もある。

この国のムシャラフ政権が、軍事政権であり続ける理由や、国内のイスラム過
激派の取り締りが腰砕けにならざるをえない理由には、かつてこの国が、英領
時代に移民供給国であったことや、東西冷戦の狭間で振り回された背景がある
とされ、現在の、困難な政治環境が推測される。

また、パキスタン北部に位置するフンザ地区は、ときに桃源郷とも呼ばれるほ
どの美しい風景をもち、観光客を惹きつけているが、生活文化は、限りなくア
フガニスタンに同化しうる地理的環境にもある。

このような環境での、ハセガワ・メモリアル・パブリック・スクールの存在は、
地政学的にも、イスラム過激派の供給条件を、内部から緩和する与件として、
高く評価されるべきではないだろうか。

イスラマバードの日本大使館も、大使の裁量で可能な範囲かもしれないが、毎
年ささやかな経済的支援を続けているのも、当然の帰結であろう。

編集子は、毎月第3水曜日に開催される集まりを通じて、長谷川夫人とご一緒
しているのだが、これまでの学校建設・運営のご苦労をよく承知している。

本誌のコンセプトとは筋違いかもしれないが、読者の皆さんに、一度はご紹介
したいと思っていたが、ロンドンでのテロ事件を契機に、民間外交の一端をご
紹介させていただくことにした。

国際平和への協力の仕方はいろいろある。編集子は、長年ユニセフを通じてさ
さやかな寄付を続けてきたが、今年からは、このハセガワ・メモリアル・パブ
リック・スクールに、切り替えようかと思っている。
_____________________________________
このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を利用して発
行しています。( http://www.mag2.com/ ) 
配信を希望または中止されたい方はこちらでどうぞ。 
http://www.mail-journal.com/touroku.htm
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 週刊メールジャーナル 2005年7月20日 第293号(水曜日発行)
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    編集発行人:川崎 明 / 発行所:メールジャーナル社
        〒130-0026 東京都墨田区両国2-1-4 第2西村ビル201
ホームhttp://www.mail-journal.com/ 
メールadmin@mail-journal.com
転載・再配布等には事前にメールジャーナル社に許可をお取り下さい。
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写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
駅から車で1時間の所にあるダム湖…、熊に注意!

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「異文化ビジネスのすすめ」第5号

本日の「異文化ビジネスのすすめ」第5号は概念図の威力についてです。
 

Intercultural Business━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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_/_/_/              【異文化ビジネスのすすめ】 第5号                 
_/_/                                                                 
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2002/01/08



■■■ ≪道しるべ≫ 概念図の威力(3)
■■■ 
■■■ マクロメガの視点による重大事件年表

 読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。昨年の10月末に前号を
発行してからというものの、本業が忙しくなり、なかなか筆を進める時間が取れ
ないまま今日に至ってしまいました。こにに心よりお詫び申しあげます。なるべ
く月に2本の発行を目指して努力していますが、仕事との絡みもあり、ときには
数ヶ月空白も今後も有り得えるかと思いますので、予めご了解のほどお願い申し
上げます。

 さて、今号では、「マクロメガの視点による重大事件年表」について簡単な解
説を加えたいと思います。昨年の10月に第3号を発行し、その中で「マクロメ
ガの視点による重大事件年表」を、じっくりと眺めておいてくださいと読者の皆
さんにお願いしましたが、実際に「マクロメガの視点による重大事件年表」を眺
めてみて、どのようなインスピレーションが閃いたでしょうか。

「マクロメガの視点による重大事件年表」
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/petro/fig/fig14.jpg



 第3号で、ホロコスミック図が「空間」の概念図であり、マクロメガの視点に
よる重大事件年表は「時間」の概念図であると、編集人が述べたことを読者の皆
さんは覚えておられるものと思います。すでにお分かりの通り、「マクロメガの
視点による重大事件年表」とは、横の座標軸で時間を対数目盛で表わし、縦軸で
われわれの住む地球上での重要な事件を表わした概念図と言えます。

 ここで、図の中のキーワードを解説すると以下のようになります。

≪ドライウェア代(Dryware Era)≫
ドライウェア代は、物質の歴史を指します。物質を根源に置いたのは、波動理論
学に基づいているからであり、実際には、星雲や星も“生きて”おり、広義の生
命現象を営んでいると云えます。

≪ウェットウェア紀(Wetwaare Period≫
ウェットウェア紀は、狭義の生命活動を指します。すなわち、間断なく遺伝子を
子孫から子孫へと伝えていき、また生命体それ自体が多岐にわたって進化してい
くという生命活動の歴史です。
、
≪ソフトウェア世(software Epoch≫
ソフトウェア世は、“考える葦”であるホモサピエンス、すなわちわれわれ人類
の歴史を指します。

≪ハードウェア期(hardware Age≫
ハードウェア期は、道具を使うようになった人類の歴史を指します。思考活動を
始めた人類は、後に己れの外延物としての道具を使うようになったわけですが、
最初は土や木、あるいは他の生物を利用していました。そして、次第に石、金属
を使うに至ります。


 さて、道具を手にした人類は、やがて農業革命へと進み、第一文明期を迎えま
す。この第一文明期の特徴を一言で述べるとすれば、土地と密着した労働集約型
の“産業社会”であったと言えます。そして、その産業社会では、生産の労力と
して専ら人間と家畜に頼っていた社会でもありました。換言すれば、第一文明期
のエネルギーは食糧であったと言えます。

 人類は、何千年という長期間にわたって第一文明期を過ごしていましたが、や
がて産業革命という、人類にとって2番目の大革命を迎え、第二文明期へと突入
していきます。この文明期の特徴は、技術集約型の産業社会であったと言えるで
しょう。この時代、人々の農村から工場へという“大移動”が発生しており、そ
れは同時に大量生産時代の幕開ともなりました。また、エネルギーの観点から眺
めれば、第一文明期のエネルギーが食糧であったのに対し、第二文明期のエネル
ギーは、石炭などの化石燃料でした。その後、エネルギーの中心は石炭から石油
さらには石油から天然ガスへと変遷していったものの、基本的には化石燃料であ
る炭化水素という点で一致しています。

 そして、今や人類は第3の大革命を迎えつつあります。現代という時代はカオ
スの時代であるとよく言われていますが、それは当然のことでして、夜明け前が
最も暗いのは当たり前の話です。この第3の大革命こそ情報大革命に他ならず、
この大革命による新旧の秩序の入れ替わりという大混乱期が過ぎますと、やがて
本格的な第三文明期の曙を迎えることになります。この第三文明期の特徴を一言
で言い表わすとすれば、情報集約の産業社会ということになりそうです。すなわ
ち、近未来の産業社会を支える新しいエネルギーが情報ということになるのでは
ないでしょうか。

 第1号、第3号、そして今号で、一見、「異文化ビジネス」とは全く関係のな
いことを長々と編集人が取り上げていることに対し、訝る読者も多いかと思いま
す。ここで、編集人が第1号での以下のように書いたことを改めて思い出してい
ただければ幸いです。

========================================================================
 編集人の狙いは、このホロコスミックスの概念図からスタートし、時空という
次元の視座から、私たちは何処にいるのかを明らかにすることにあります。一見
遠回りのようでありながら、実のところ意外と情報大革命の全体像を把握する近
道となるでしょう。そして、情報大革命の全体像を識ることが、何故、異文化ビ
ジネスに不可欠かということを、読者の皆さんが納得できるような形で筆をすす
めていくつもりです。よって、異文化ビジネスそのものについて言及していくの
は、概念図の説明を終えた後にしたいと思いますので、もうしばらく概念図との
お付き合いをお願い致します。
========================================================================

 「ホロコスミックス」、「マクロメガの視点による重大事件年表」、さらには
次々号で取り上げる予定の「MTKダイアグラム」といった概念図は、すべてが
在米の藤原肇博士の手によって編み出されたものです。編集人が水先案内人とし
て読者に文明の鳥瞰図を示し、エネルギーと関連させて各々の産業社会の変遷を
述べたきた理由は、以下の藤原博士の言葉で明白になります。

========================================================================
……外側から内側に向かって眺めることにより、問題の本質が見えるようになる
のであり、エネルギーの流れが産業社会の体質を決め、その性質が社会の生理を
規定しているのである。……
              『日本が本当に危ない』藤原肇著 エール出版社
========================================================================

 編集人は異文化ビジネスの本題に入る前に、直感的に藤原博士の諸概念図を最
初に読者に対して呈示していこうと思い立ち、本メールマガジン【異文化ビジネ
スのすすめ】の連載を開始したのですが、今号の執筆に当たり、たまたま藤原博
士の『日本が本当に危ない』を通読していたところ、上記の藤原博士の言葉に出
会ったのは新鮮な驚きでした。多分、以前に『日本が本当に危ない』を読んでい
た折、概念図を最初に提示することの重要性が知らず知らずのうちに編集人の脳
にインプットされていたのかもしれません。


 以上、「マクロメガの視点による重大事件年表」の説明を終えた今、残るはM
TKダイアグラムのみとなりました。どうか、もう暫くのご辛抱のほどお願い致
します。

 以上、次々号では上述のMTKダイアグラム図について言及していきます。


∇次号予告:≪国際ビジネスの実務≫ 国際ビジネスの科学的な進め方(3)



____________________________________
編集人: 国際ビジネスコンサルタント サムライ
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2005年7月19日 (火)

鹿砦社・松岡社長の法廷傍聴記

過日逮捕された鹿砦社・松岡社長の逮捕理由開示の法廷が、本日の7月19日午後1時から神戸地裁で開かれるというお知らせを流したところ、掲示板【宇宙巡礼】あるいはブログ[教育の原点を考える]を見た人たちの中で、実際に傍聴に行った人たちもいたようです。中でも、知人のZさんは以下のような感想を寄越してくれたのが印象的でした。これを読めば、神戸地裁の裁判官の頭の中身が一目瞭然であり、今後さらに馬脚を露わすであろうことは容易に想像がつくことから、今後の展開にますます目が離せなくなりました。

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感想は被告の拘留理由から何から何まで裁判官の見識の低さにはお粗末としか言い様の無いものでした。

弁護士の質問にもまともに答えられず、しどろもどろで役人答弁繰り返すのみ。極め付けは拘留理由の根拠を説明して下さいとの質問に「ここで理由を答える必要性はなく、傍聴人のために裁判をしていません」と述べ、では何の為の公開裁判か、何でそこに裁判官として座っているのですかとまで聞かれていました。

審議の内容も誰が聞いても公平な裁判とは思えず権力の嫌がらせとしか表現できない幼稚なもので松岡社長が気の毒です。
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「異文化ビジネスのすすめ」第4号

本日の「異文化ビジネスのすすめ」第4号は国際ビジネスについてですが、その前に以下の緊急報告をさせていただきます。 過日、鹿砦社の松岡社長が逮捕されたニュースをお届けしましたが、それについて関西の永岡浩一氏が掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】に、「(緊急)鹿砦社・松岡社長の法廷が7/19!」と題して以下のような報告を行っています。

 緊急のお知らせです。先日名誉毀損で逮捕(!)された鹿砦社・松岡社長の逮捕理由開示の法廷が7月19日、午後1時から神戸地裁であります。松岡社長の意見陳述も予定されています。法廷は2階の小法廷で、これをご覧の方で、ご都合の付く方は、ぜひ傍聴に来てください。
 神戸地裁は極めて反動的で、私も住民訴訟で全て敗訴、門前払いでした。過去には市民勝訴の判決を出した裁判官が異動させられたこともありました。この様子だと、松岡社長の保釈を神戸地裁は認めず、判決も実刑をぶつけることは、容易に想像が付きます。
 極めて危険です。これを読まれているあなたが、何らかで権力に拘束されても不思議ではありません。日本は民主主義の国ではないのです。中国や北朝鮮と同じ独裁国家なのです。
 言論の自由のため、皆さんのお力添えをお願いします。

http://jbbs.livedoor.jp/study/2491/

http://www.rokusaisha.com/

7月19日と云えば今日ですが、参加できる方は宜しくお願い致します。

 


Intercultural Business━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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_/_/_/              【異文化ビジネスのすすめ】 第4号                 
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2001/10/29



■■■ ≪国際ビジネス≫
■■■ 
■■■ 国際ビジネスの科学的な進め方(2)

 今号から、社会科学を根底に置いた国際ビジネスのプロセスを中心に筆を進め
ていきますが、その前に、前々号で述べた社会科学の重要性を再度ここで強調し
ておく意味で、小室直樹博士の『危機の構造』から以下を抜粋しておきます。


     さらにここで十分に認識しておくべきことは、社会的現実を
    科学的に分析し、この分析にもとづいてこれを合目的的に制御
    するという社会科学的な態度と能力とが日本人には決定的に欠
    如していることである。この“精神”の欠如は、現在だけに特
    有のものではない。戦前も戦後も、あるいはいかなる社会変動
    を経験しても全く変わっていないのである。このような態度を
    続ける限り、いかなる危機も救い難いものであるといわざるを
    えない。この点を克服してこそ、政治的、経済的、社会的危機
    は外部のものではなく内部のものとなり、所与のものとして位
    置づけられる性質のものではなく、われわれの克服可能な課題
    となる。この課題を制御対策とみなし、社会科学的に分析し、
    有効な制御を施すとき、いかなる危機もその超克の下に解決さ
    れるであろう。

                    『危機の構造』小室直樹著


 以上の小室博士の主張する社会科学的に分析することの重要性に気づき、実際
に国際ビジネスに社会科学的手法を採り入れたIBDの石上進社長の慧眼ぶりは
流石と云わざるを得ません。重要な国際交渉の場で、石上社長が陰の参謀役とし
て動いたことにより、救われた一部上場企業は数知れずあります。いずれ、その
あたりのエピソードも取り上げていく予定です。


 さて、社会科学と国際ビジネスとの関係について述べていきます。再び石上社
長の言葉に耳を傾けてみましょう。

========================================================================
 国際ビジネスは、政治、経済、法律、価値観、文化、その他を異にする者と者
との間で行われますので、その底辺に流れるルール並びに進め方のルールをよく
見極め、それに沿って行ってこそ成功するのです。そのように成功したビジネス
は、事業国でも歓迎され、結局、海外事業国とわが国との平和の架け橋となるの
です。ところが、多くの日本企業は、日本国内の延長線上で、即ちルールに気が
付かないで国際ビジネスも行ってしまうために失敗し、その失敗の原因も解らな
いままに、国際ビジネスから無念の撤退をしている例が見受けられます。
                           (c) IBD 石上進
========================================================================


 日本人の国際ビジネスパーソンの特徴として、己れの仕事にかかわる分野に関
しては深い知識・体験を有しているものの、国際ビジネスモデルという全体像を
己れのモノにしていないため、現実の国際ビジネスで躓いたり、失敗するケース
が非常に多いと云えます。国際ビジネスを成功に導くためには、社会科学的な分
析法をマスターし、物事を巨視的に見渡すことで、しかるべき国際ビジネス戦略
を構築できるはずなのに、依然として国際ビジネス上の失敗が続いているのは、
小室直樹博士が上記に述べている通り、社会科学的に分析するという“精神”が
欠如しているから他なりません。                


 次々号からは、「輸出ビジネス戦略とビジネス・モデル」について取り上げて
いく予定です。


∇次号予告:≪道しるべ≫ 概念図の威力(3)


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編集人: 国際ビジネスコンサルタント サムライ
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2005年7月18日 (月)

「異文化ビジネスのすすめ」第3号

昨日は九州北部で梅雨明けとなりましたが、ここ関東圏も数日の内に梅雨明けとなりそうです。さて、本日は「異文化ビジネスのすすめ」第3号です。
 
Intercultural Business━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2001/10/15



■■■ ≪道しるべ≫ 概念図の威力(2)
■■■ 
■■■ ホロコスミックス(宇宙システムを構成する多次元構造)

 前回の概念図の威力(1)で、宇宙システムからコスミック素子に至るまでの
世界を図示した、ホロコスミックス概念図のURLをご案内しましたが、実際に
ホロコスミックス概念図を目にして、さまざまなインスピレーションが閃めいた
ことでしょう。

[ホロコスミックス概念図]
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/fig/fig01.html


 今号では、ホロコスミックス概念図について、簡単にご案内致します。


 最初に、ホロコスミックスの下側にある、「コスミック素子」に注目してくだ
さい。

 現時点においては、コスミック素子の上次元に相当するクォーク族とレプトン
族こそが物質の究極、すなわち素粒子であると考えられています。その理由とし
て、現代の科学技術の水準で観測する限り、クォークが複合粒子であるという兆
候がまったく見られないからです。

 しかし、かつては陽子や中性子が単一の素子、すなわち究極の「素粒子」であ
ると考えられていた時期がありました。しかし、その後、陽子や中性子はクォー
クが集まってできた複合素子であることが判明しています。同様に、もしかした
ら、将来、クォーク自体もある種の複合素子であることが判明するかもしれませ
ん。その意味で、ホロコスミックス図は、クォークよりもさらに下の次元にコス
ミック素子の存在を予期しているようであり、何とも暗示的です。

 しかし、コスミック素子が極小の世界ではありません。コスミック素子よりも
さらに下の次元があり、其処は、もはや人間の五感では捉えることのできない世
界です。ホロコスミックス図では、その世界を「点」として表現しています。


 さて、ここで、気分を変えて目を外に向けて見ましょう。天空に輝く満天の星
が目に入ると思います。

 同様に、ホロコスミックス図の上側を見ますと、私たちの居る「宇宙」のさら
に上の次元に「宇宙システム」があるのに目に止まると思います。宇宙システム
は、宇宙に存在するあらゆるものを貫く「法則」を内包しており、その法則を具
体的に表わしたものの一つが、フィボナッチ数列です。


 さらに、宇宙システムの上次元である「空」に注目してみましょう。

 ホロコスミックスの一番上側に、奇妙な形をした図形が描かれています。その
図形には、「空」・「点」・「実」・「影」とあります。このあたりの世界にな
りますと、極小の世界同様、人間の五感の及ばぬ世界です。まさに、瞑想によっ
てのみ“識”ることのできる世界と云えるのではないでしょうか。

 それにしても、極小の世界を象徴する「点」と極大世界を象徴する「空」とが
“連続”している様は、何を表わしているのでしょうか? さらには、「実」と
「影」は何を表わしているのか……。実は、メビウスの輪がこの不思議な図の謎
を解く糸口になります。メビウスの輪に関心を抱いた読者には参考文献として、
『宇宙巡礼』(藤原肇・張錦春共著 東明社)の一読をお勧めすることにし、こ
こでの詳述は割愛させていただきます。

『宇宙巡礼』
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/books/uchuujunrei.html


 さらにホロコスミックス概念図を眺めていますと、現在私たちの居る「宇宙」
以外にも、別の「宇宙」があるかもしれないというインスピレーションが閃きま
す。このあたりになりますと、異文化ビジネス系メールマガジンの世界からはみ
出してしまいますので、詳しくは、姉妹メールマガジン【日本脱藩のすすめ】に
「宇宙と地球」と題して、宇宙システムあるいはフィボナッチ数列について将来
取り上げる予定でいます。よって、関心のある読者はメールマガジン【日本脱藩
のすすめ】に登録の上、暫くお待ちいただければと思います。


 ちなみに、ホロコスミックスに関しては、藤原肇博士のホロコスミックス論文
(英文)をホームページ【日本脱藩のすすめ】にアップしてあります。藤原博士
の論文は、日本でこそあまり注目されなかったものの、アメリカ、ヨーロッパ、
中国などでは一大センセーショナルを巻き起こした論文です。ホロコスミックス
に関心を持たれた読者は目を通しおくと良いかもしれません。編集人も、藤原博
士の論文の和訳に挑戦することで、21世紀の科学の“潮流”に少しでも触れよ
うと努力した一時期がありましたが、未だに博士の論文の内容を半分も理解でき
ていない状態です。よって、ここでは論文のページを紹介するのみにさせていた
だきます。

[Holocosmics:
        Beyond the new horizon of a unified theory in the Meta-Sciences]
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/paper/meta/meta.htm


 最後に、ホロコスミックスの真中にある「世界」、すなわち私たちの住む地球
に視点を移してみましょう。

 以下のURLをクリックしてみてください。これは、「マクロメガの視点によ
る重大事件年表」概念図です。「ホロコスミックス」概念図が“空間”の概念図
とすれば、「マクロメガの視点による重大事件年表」は“時間”の概念図です。
ホロコスミックス概念図と同様に、今度の週末にでもじっくりと眺めていただけ
ればと思います。必ず何等かのインスピレーションが閃くことでしょう。

「マクロメガの視点による重大事件年表」
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/petro/fig/fig14.jpg


 次々号では、マクロメガの視点による重大事件年表概念図そのものについて、
言及していきたいと思います。


∇次号予告:≪国際ビジネスの実務≫ 国際ビジネスの科学的な進め方(2)


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2005年7月17日 (日)

「異文化ビジネスのすすめ」第2号

昨日はサッカー大会が行われつ、ついに息子たちのサッカーチームが念願の初優勝を勝ち取りました。このまま優勝の味も味わずに、来春小学校を卒業してしまうのかなと思っていただけに、子どもたちは大喜びであり、父兄の喜びも一入だったようです。試合後、子どもたちを中心に祝賀会を開いたのは言うまでもありません。次の大会が楽しみになりまた。
 
Intercultural Business━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2001/10/08



■■■ ≪国際ビジネス≫
■■■ 
■■■ 国際ビジネスの科学的な進め方(1)

 ≪国際ビジネス≫のスタートにあたり、「国際ビジネスの科学的な進め方」を
最初に取り上げないわけにはいきません。何故なら、これからシリーズでお届け
する≪国際ビジネス≫の根底を流れているものが、「国際ビジネスの科学的な進
め方」に他ならないからです。

 国際ビジネスを科学的に進めようと提唱されているのは、IBD(国際事業開
発株式会社)の石上進社長その人です。国際契約コンサルティングの分野におい
て日本では第一人者として、石上社長は知る人ぞ知る存在であり、現在、編集人
はIBDの研究員として、石上社長のもとでコンサルタントとしての修業に励む
という幸運に恵まれています。

 ところで、二ヶ月ほど前、編集人は石上社長の6時間におよぶセミナーに参加
するという機会に恵ました、その時の石上社長のテーマが、ズバリ「国際ビジネ
スの科学的な進め方」そのものだったのです。そこで、石上社長のセミナーから
学んだものを編集人なりに咀嚼し、編集人の独断と偏見による「国際ビジネスの
科学的な進め方」について、しばし筆をすすめていきたいと思います。


 最初に、石上社長の言う科学とは、社会科学のことを指しています。換言すれ
ば、国際ビジネスを“社会科学的”に進めることがいかに大切であるかを、石上
社長は説いていることに他なりません。

 ところで、社会科学とは一体どういう学問なのでしょうか。ウェブスターでは
“Social Science(社会科学)”を以下のように定義しています。

========================================================================
Social science: a branch of science that deals with the institutions and
functioning of human society and with the interpersonal relationships of
individuals as members of society. 
                               (c) Merriam-Webster Collegiate Dictionary
========================================================================


 次に、石上社長の考える社会科学について、石上社長自身の言葉でもって以下
に述べていただきましょう。

========================================================================
 社会科学は、人間の過去の営みによって自然的に作られた社会の仕組み、政治、
産業、技術、経済、法律、価値観、嗜好、思想、文化等がどのように仕組まれて
形成されているか、それらがどのように機能しているのか、並びに、どのような
社会が人間に取って最も有益であるのかを明らかにし、それを実現できるように
することを目的としています。そのため、社会科学は、人間社会を対象として分
析し、その中に隠されている真実を見抜き、それを法則、原理、原則という形で
言語表現し、それに基づいて将来を予測してゆきます。但し、社会科学において
は、一時的な便宜性よりも普遍的な正義を求め、知識のみに振り回されない人間
の信義の確立を求め、部分的な繁栄よりも人類の採るべき道を追求してゆきます。
従って、社会科学は、哲学に限りなく近い存在ということができます。
                           (c) IBD 石上進
========================================================================


 二ヶ月前のセミナーでも、石上社長は社会科学を根底に置いた国際ビジネスの
重要性を説いています。上記の石上社長の言葉と重複する形になりますが、石上
社長の主張する社会科学の実際のプロセスを理解していただくために重要なこと
ですので、二ヶ月前の石上社長の言葉を思い出しつつ、以下に再録します。


・第一段階 「観察」
客観的に社会を広く深く観察すること。この作業は、社会という対象を客観的に
見る作業であり、換言すれば「傍観者」の立場に徹して社会を見ることに他なら
ない。

・第二段階 「表現」
観察した後、入手した諸々の社会現象のデータ・事実を分析する。そして、その
中に法則、原理、原則といったものを見つけるように努め、最後に、簡素に、か
つ正しく過不足なく文書化してまとめること。

・第三段階 「行動」
いくら立派な文書を作成しても、そこで終わっては何にもならない。現存する社
会が向かうべき将来の正しい人間の営みとなるべく、行動に移すというレベルに
達してこそ本物と云える。

 以上の石上社長の言葉は、インテリジェンスを磨く修業に相通じるものがある
ことが分かります。(※インテリジェンスについては、メールマガジン【日本脱
藩のすすめ】でも取り上げていますので、ここでの詳述は省きます。)
。

 余談ですが、石上社長のお話をお聞きしながら、咄嗟に編集人の脳裏に浮かん
だのは小室直樹博士の社会科学上の名著『危機の構造』(中央公論社)でした。
ご存知の通り、小室直樹博士は経済学者であると共に、社会科学者としても一流
であり、小室博士の『危機の構造』は、戦後出版された社会科学分野の本の中で
も五指に入るほどの本です。残念ながら、現在は絶版になっており、入手できま
せん。アノミーによる終焉を迎えつつある日本で、必読の書に属す本であるとい
うのにその本が絶版扱いとは、信じ難い気持ちになります。


 さて、次に、社会科学と国際ビジネスとの結びつきについて取り上げる必要が
出てきました。そのあたりは、次々号で言及していきたいと思います。


∇次号予告:≪道しるべ≫ 概念図の威力(2)



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編集人: 国際ビジネスコンサルタント サムライ
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2005年7月16日 (土)

「異文化ビジネスのすすめ」第1号

わずか4年前とはいえ、当時メールマガジンを数号発行するだけで600名前後の読者が集まるのですから、メールマガジンの黄金期だったと改めて思います。かつてはブームであったメールマガジンも、最近になって廃れつつあるような気がしますが、これもブログなどの新しい媒体の台頭が原因なのでしょう。
 
Intercultural Business━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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_/_/_/              【異文化ビジネスのすすめ】 第1号                 
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2001/10/01



■■■ ≪道しるべ≫ 概念図の威力(1)
■■■
■■■ ホロコスミックス(宇宙システムを構成する多次元構造)

 いきなり、「ホロコスミックス」あるいは「宇宙システム」という言葉を目に
し、メールマガジン【異文化ビジネスのすすめ】は本当に異文化ビジネス系のメ
ルマガなのだろうかと驚き、さらには宇宙と異文化ビジネスとは何の関係がある
のだろうかと、戸惑いを覚えた読者が多かったのではないでしょうか。

 尤もな疑問ですが、取り敢えずは素直な目でもってホロコスミックス概念図を
眺め、ホロコスミックスとはどういうものか、大雑把なイメージを捉えていただ
いと思います。最初に、以下のURLをクリックしてみてください。

[ホロコスミックス概念図]
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/fig/fig01.html

 編集人の狙いは、このホロコスミックスの概念図からスタートし、時空という
次元の視座から、私たちは何処にいるのかを明らかにすることにあります。一見
遠回りのようでありながら、実のところ意外と情報大革命の全体像を把握する近
道となるでしょう。そして、情報大革命の全体像を識ることが、何故、異文化ビ
ジネスに不可欠かということを、読者の皆さんが納得できるような形で筆をすす
めていくつもりです。よって、異文化ビジネスそのものについて言及していくの
は、概念図の説明を終えた後にしたいと思いますので、もうしばらく概念図との
お付き合いをお願い致します。

 なお、これからシリーズで取り上げていく予定の概念図のすべては、かつては
石油ビジネスを営み、現在は国際政治コメンテーターとして八面六臂の活躍をさ
れている藤原肇博士が編み出したものです。参考までに、概念図に対する藤原博
士の考えを以下に掲載しておきます。


    …文章なら表現の仕方でいくらでもごまかせますが、図表や数
    式は真剣勝負と同じで、思想が赤裸々に出てしまうから、それ
    をいかに寓意図化するかに工夫を凝らし、シンボライズしてし
    まうところに最後の勝負があります。「書は言を尽くさず、言
    は意を尽くさず」というとおりで、ものごとの極意は図面化さ
    れて伝わるのです。

     だから、寓意図や象徴体系は直感的に洞察するものであり、
    一般的には説明などついていません。この洞察力を磨き直感を
    鋭くするために、人は優れた師を求めて遍歴し、苦労を重ねて
    修業を続けるのであり、ことばでなんでも表現し尽くせるなら、
    芸術や修業は無用のものになるはずです。シンボライズするこ
    とによって、直感的な体験を通じて真理に出会い、秘伝を会得
    するようになっているんですね。

     ルネッサンス頃から19世紀にかけての本で、興味深い読後感
    や繰り返して手に取りたくなるものの多くは、著者自身がペン
    をとって模式化した図版が付いています。それは手が脳の外延
    物であるために、人は図面化するプロセスを通じて、無意識の
    うちに、思想の深化と整理を行なっているせいです。だから、
    感心したことはすぐに取り入れる癖があるので、最近の私の本
    の場合には、何枚かの図を努めて入れるようにしています。そ
    れには私なりの理由がありまして、「一枚の概念図は一冊の本
    より優れていることがある」と信じているからです…

            『地球発想の新時代』( 藤原肇著 東明社)


 以上の藤原博士の言葉から、何故編集人が言葉で以ってで説明せずに、いきな
り概念図のURLを示したか、読者にはおぼろげながらも納得していただけたの
ではないでしょうか。

 さて、実際にホロコスミックス概念図を目にした読者の皆さんは、ホロコスミ
ックス概念図からどのようなインスピレーションが閃いたでしょうか? 次々号
では、ホロコスミックス概念図そのものについて、少々言及していきたいと思い
ます。


∇次号予告:≪国際ビジネスの実務≫ 国際ビジネスの科学的な進め方(1)



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2005年7月15日 (金)

「異文化ビジネスのすすめ」増刊準備号

かつて、【異文化ビジネスのすすめ】というメールマガジンを短期間でしたが発行したことがあります。記録に残す意味で本ブログに再掲させていただきます(一部訂正)。
 
Intercultural business━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
_/_/_/_/                                                               
_/_/_/            【異文化ビジネスのすすめ】 創刊準備号                 
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2001/09/16



【目次】
____________________________________
■ ご挨拶
■ 編集方針
■ プロフィール
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



■■■ ご挨拶
■■■ 
■■■ 【異文化ビジネスのすすめ】 サムライ

 このたびは、メールマガジン【異文化ビジネスのすすめ】にご登録いただき、
ありがとうございました。

 この創刊準備号は、創刊号の発行を前に、読者の皆様にメールマガジン【異文
化ビジネスのすすめ】の編集方針を知っていただくために発行したものです。今
後の参考にしていただければ幸いです。

※ メールマガジン【異文化ビジネスのすすめ】第1号は、10月1日に発行の
  予定です。



■■■ ≪編集方針≫
■■■ 
■■■ 

 12年前のバブル崩壊以来、日本では一向に景気回復の兆しが見られず、特に
最近の日本では重苦しい閉塞感に覆われていました。アメリカの場合も、漸く景
気に陰りが出てきたと思った矢先、ニューヨークの世界貿易センタービルとワシ
ントンの国防総省がテロリストの仕業のために崩壊するという、今後の歴史の流
れを大きく左右しかねない大事件が9月11日に発生しました。明日の9月17
日、ニューヨーク証券取引所が一週間ぶりに再開されますが、世界中が固唾を呑
んで成り行きを見守っていることは想像に難くありません。
 
 1989年、地中海のマルタ島でブッシュとゴルバチョフによる米ソ首脳会談が行
なわれ、「マルタ合意」が打ち出されています。これにより、半世紀におよぶ冷
戦に終止符が打たれ、当時の世界中の人々は夢と希望に満ちた人類の未来を頭に
描いたものでした。

 しかし、9月11日の米国テロ事件により、そのような夢と希望は木っ端微塵
に砕かれ、世界中の人々が頭の中に描いていた夢と希望は、単なる虚妄に過ぎな
かったことが白日の下に晒されたことになります。

 無秩序となったカオス状態の世界の背後には、宗教と民族の問題が深く関わっ
ていますが、より上の次元から眺めますと、そこには、さらに大きな潮流がある
ことが分かります。すなわち、情報大革命です。

 人類が体験した大転換期は、過去二度ありました。農業大革命、そして産業大
革命です。現在は、第三の大革命である情報大革命の真只中に位置し、産業大革
命の名残である旧秩序がガラガラと音を立てて崩れていますが、これが現在の世
界のカオス状態に一層の拍車をかけています。

 そして、こうした時代だからこそ冷静に歴史を顧み、現実の世界の姿を正しく
把握する史眼が不可欠なものとなります。史眼は、何も異文化ビジネスを営む、
あるいは営もうとする人たちのみならず、21世紀を生きる者にとっては不可欠
なものとなるでしょう。


 以上述べたことを念頭に、メールマガジン【異文化ビジネスのすすめ】では、
21世紀型のビジネスを模索している人たち、新しい時代を生き延びていこうと
する人たち、己れ自身を変えていこうとする人たちを念頭に置いたメールマガジ
ンです。よって、以下のような編集方針で筆をすすめていき、シリーズでお届け
していく予定です。


∇ ≪道しるべ≫

 最初は、「概念図の威力」と題したシリーズから始めます。

 数回にわたり、以下の概念図を取り上げていきます。

 ・ホロコスミックス(宇宙システムを構成する多次元構造)
 ・マクロメガの視点による重大事件年表
 ・MTKダイアグラム
 ・景気サイクル
 ・組織におけるライフサイクルの理想曲線
 ・その他

 上記の概念図は、これから毎回お届けするメールマガジン【異文化ビジネスの
すすめ】の基底をなすものであり、今後の≪道しるべ≫の執筆も上記の概念図を
もとにすすめていきます。情報大革命を真に理解するためには、時空という次元
の視座から、今の私たちはどこにいるのかを正確に把握する必要があり、そのた
めには、読者の皆様への概念図の説明は欠かせません。

 「概念図の威力」シリーズ後は、「経世済民」シリーズを予定しています。

 かつて、国際ビジネスを行ない、グローバル経営を営む者は、「経世済民」の
精神を身につけていた人たちが多かったような気がします。しかし、12年前の
バブル景気を体験した日本人は、利のみを漁る民族に成り下り、経世済民の心を
何処かに置き去りにしてしまったようです。

 長い不況のトンネルから抜け出すためにも、今こそ経世済民の精神を見直す必
要があり、それが「経世済民」シリーズ執筆の理由です。読者と共に、日本再生
の道を探っていきたいと思います。


∇ ≪国際ビジネスの実務≫
 国際ビジネスにおける実務的な話が中心のシリーズです。以下のテーマを予定
しています。 ≪道しるべ≫と交互に、シリーズでお届けします。

 ・国際ビジネスの科学的な進め方
 ・輸出ビジネスと貿易実務
 ・海外マーケティングとプレゼンテーション
 ・ビジネス英語ライティング
 ・ビジネス英語ネゴシエーション


∇ その他
 ≪グローバル経営≫、≪異文化摩擦≫、≪ビジネス書≫、≪寄稿≫、その他を
随時掲載していきます。



■■■ プロフィール
■■■ 
■■■ 

 10代後半、日本を脱藩。ほぼ3年間かけて、世界を一周。 
 その後、1998年9月30日まで、サラリーマン生活を体験。 
 1998年10月1日に独立すると同時に【脱藩道場】を創立。 
 さらに、2000年7月1日【亀山社中】を創立、現在に至る。 


∇ ホームページ【亀山社中】
http://homepage1.nifty.com/dappan/

∇ ホームページ【日本脱藩のすすめ】
http://www08.u-page.so-net.ne.jp/rb3/dappan/

∇ メールマガジン【日本脱藩のすすめ】
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2005年7月14日 (木)

『明治14年の政変』

b050714 「近代日本と大隈重信」という観点から、明治の元勲・大隈重信の足跡を振り返ってみた場合、明治14年の政変を取り上げないわけにはいかないでしょう。何故なら、明治14年の政変は大隈が深く関与していたからという理由だけではなく、その後の日本の運命を大きく左右した事件だったからです。そこで本日は、1年前にIBDのウェブ誌に載せた書評を一部公開します。書評の対象となった本は、元駐日韓国公使で大阪市立大学客員教授だった姜範錫氏が著した、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』(朝日選書)という本です。

大隈重信

明治14年の政変とは一体どのような政変だったのか、中学・高校時代の日本史で学んだはずであるが、おさらいの意味でCD版の百科事典『マイペディア』に当たっておこう。


明治14年の政変:1881年(明治14年)参議大隈重信とその一派が政府から追放された事件。1880年民権派の国会開設請願運動は頂点に達し,政府は憲法制定と国会開設を決意したが,開設時期に関して大隈は即時開設,伊藤博文,井上毅(こわし)は漸進的意見で対立した。1881年3月大隈は伊藤にはからず急進的な意見を左大臣有栖川(ありすがわ)宮を経て上奏。これを6月末伊藤が知り大隈との対立が激化した。このころ開拓使官有物払下事件が起こり,民権派の政府攻撃が高まった。反大隈派はこれを大隈が福沢諭吉らと結んで行った反政府陰謀であるとして,10月大隈とその一派を罷免した。同時に1890年を期して国会を開設し,その前に憲法制定を行うという詔書を公にして,プロイセン的な欽定憲法の制定にのりだすとともに,開拓使官有物払下を中止,伊藤・井上馨(かおる)を中心とする薩長藩閥政権を確立,明治国家体制形成のその後の方向を決定した。
『マイペディア』

 ここで最初に告白しておかなければならないことは、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』に接する前の筆者は、上記の『マイペディア』にも記述されているように、明治14年の政変の直接のきっかけは「北海道官有物払下事件(開拓使官有物払下事件)」であるとばかり思っていたという点である。すなわち、北海道官有物払下事件に乗じて一気に天下をとってしまおうとする大隈一派の陰謀説として捉えていたのである。筆者がそう考えていたのは、造船疑獄やリクルート事件などで代表されるように、日本では官有物の払い下げに必ず汚職が付き纏ってきたという暗い歴史が筆者の頭にあったからであり、かつ疑獄のルーツが北海道官有物払下事件に求められるだけに、明治14年の政変の大きなきっかけとして北海道官有物払下事件という疑獄を筆者は結びつけて考えていたのである。しかし、明治14年の政変は北海道官有物払下事件が起因であるとする筆者のそれまでの固定観念を、同書は物の見事なまでに打ち砕いてくれたのであり、同書を読み進めながら、「ある事象に関する情報を収集し、分析し、評価して、行動に移す」というインテリジェンスとはこういうことを指すのかと改めて思い知らされると同時に、論理という名の大理石を丁寧に積み重ねたような姜範錫氏の著作『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』に目を通した後、未だに己れのインテリジェンスの至らなさにため息をついた筆者でもあった。それにしても、これだけの良書でありながら絶版となっているのは実に惜しいという気がする。インターネットで調べたところによれば、姜範錫氏は他にも『征韓論政変 明治六年の権力闘争』(サイマル出版会)という本も出しており、残念ながらこの本も絶版扱いとなっているようだ。

 さて、肝心な姜範錫氏本人の明治14年説であるが、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』の冒頭で述べている以下のくだりを示せば、あとは同書の本文がどのような展開を示しているかは、ある程度明治時代についての知識を持ち、勘の鋭い読者であれば多少は推測できるのではあるまいか。


 明治14年の政変は明治6年の政変で確立された薩長藩閥主導の体制に対して、この体制の一角になお座を占めていた肥前出身の参議大隈重信を頂点とする政治的集団がなにかを挑み、挫折した政治的事件として捉えてはじめて、歴史のながれに沿った位置づけが可能になるのではないだろうか。明治政権の確定過程の観点からみれば6年政変の〝正〟、14年政変の〝反〟、そして〝合〟としての明治22年の憲法制定である。
『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』

 詳細は同書に譲るとして、同書の白眉は「6年政変の〝正〟、14年政変の〝反〟、そして〝合〟としての明治22年の憲法制定」として捉えているところにあり、ヘーゲルによって定式化された弁証法論理である正反合に準えて、明治14年の政変を「反」として捉えているあたりの姜範錫氏は流石と思わず唸った次第である。「正」である明治6年の政変は、同じ姜範錫氏が著した『征韓論政変 明治六年の権力闘争』を参照してもらうとして、「反」である明治14年に対する姜範錫氏自身の説を如実に示しているくだりを、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』から以下に引用しておこう。

 以上、明治14年年初における大隈、伊藤、井上の同志的結合関係が、国会開設要請の全国的運動の大きなうねりの中で政治的友敵関係へと変貌し、10月における大隈とその政府内党与の全面的退陣に帰結していった過程を通じ、明治14年政変の実相の解明を試みてみた。その結果、「政変」をもたらしたことの始まりは、大隈一党が薩長体制とは一線を画する独自路線を決意し、薩長藩閥政権へ取ってかわる姿勢と行動を実際にとったためであったことが明らかにされたと思う。薩長政権を実際に脅やかすことがなかったならば、「政変」に際しての常軌を逸した薩長の一連の行動を有効に説明することはむずかしい。
 参議大隈が薩長体制における〝伴食的〟立場からの離脱を決意するにあたっては、薩長「一、二種族の専有」打破に執念を燃やしつづけた小野梓の一連の献策が少なからず作用したであろうこともほぼ明らかにされたと思われる。
 薩長体制側にとっては〝獅子身中の虫〟ともいうべき大隈らの動向は、イギリス型政党内閣制を導入することによって薩長藩閥体制を立憲的、制度的に克服することを試みたものであったため、薩長側もこれを表立って斥けることができなかった。そこで、開拓使官有物払下事件にことよせての陰謀的手法(いわゆる大隈陰謀説)をも動員して大隈一党を一せい放逐するに至ったのである。
『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』

 ここで、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』を通じて得た筆者なりの明治14年の政変観を述べるとすれば、次のようなことがいえよう。すなわち、明治14年の政変は、単に大隈重信とその一派が政界から追放されたという性質の事件だけではなしに、政治形態としてイギリスをモデルにした「君民共治」という立憲君主制を構想していた大久保利通の遺志を継ぐ大隈重信およびその一派の追放を意味していたのであり、ここに大久保が構想していた「君民共治」、即ちイギリス型政党政治が日本に根付く機会を奪い去った一大痛恨事が明治14年の政変であったといえよう。そして、その後の歴史が物語っているように、明治14年の政変を境に日本はプロシア精神に基づく絶対主義と、その絶対主義を支える軍隊、官僚制、皇国教育等が盛んになっていくのであり、その御破算が1945年8月15日だったということになる。歴史に「もし」は禁物であろうが、もし大久保・大隈のイギリス路線が明治の日本に敷かれていたら、今日見る日本はまったく違った国になっていたのではあるまいか。

 ところで、もう一点、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』を読みすすめていく中で目から鱗が落ちる思いをしたのは、例の大隈奏書(明治14年3月に大隈重信が左大臣有栖川宮に提出した憲法に関する意見書)の起草者についてであり、筆者は通説通りに福沢諭吉の弟子であった矢野文雄の手による起草とばかり思っていたが、実は小野梓の思想が色濃く刻まれた奏書であることを『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』によって知り、ここにも世の中の通説を鵜呑みにすることの危険性を痛切に思い知らされたのである。ここで、何故今日に至っても大隈奏書は矢野文雄の起草であるという通説が罷り通っているのかと云えば、71歳だった矢野自身が『大隈侯昔日譚』に以下のような文章を遺しているからだ。


 さる著書に、当時大隈さんから岩倉さんに差し出したと云う、立憲制度樹立の意見書なるものがのっていた。それを読んで見ると、たぶん福沢先生が書いたものであろうとしてあるが、これは福沢先生の文章ではない。わが輩が書いたもののようである。
『大隈侯昔日譚』

 「わが輩が書いたもののよう」など、いかにも耄碌した老人の書き方である。その証拠に、有栖川宮とすべきところを岩倉と書き間違えている点などが挙げられよう。ともあれ、通説になっている「大隈奏書の起草者=矢野文雄」という図式は間違った説であり、正しくは「大隈奏書の起草者=小野梓」という説であることを理解して初めて、明治14年の政変の全容が掴めるのである。

蛇足ながら、『明治14年の政変 大隈重信一派が挑んだもの』を読みすすめながら何故か小野梓に惹かれる筆者であったが、同書の中に「18歳から22歳にかけての最も知的吸収度高い時期に英米を中心に世界のかなりの地域を見聞した経験は、生涯小野の知的活力の淵源になったに違いない。しかし言語上の制約、それにも増してほとんど実費で生活を支えなければならぬ苦労が重なったため、小野にとっては刻苦勉励の留学であったと考えられる」というくだりを読み、小野に親近感を抱いた訳が分かったのである。それは、筆者も小野と同じ歳の頃に、3年間の世界放浪の旅を体験してきた人間だったからだ。

 ところで、大隈重信の〝ライバル〟であった伊藤博文であるが、中江兆民が大隈と伊藤を並べて評しているので以下に引用しておこう。


  両者の間に逕庭なし、強て其相違を求めば、薄紙一枚の差あるのみ。伊藤は才子利口者としての頂点に達せり。世の才子利口者を学ばんとする物到底伊藤の上に出づべからず。大隈は其に反して英雄豪傑の天地にをる。しかれども其風格の低き、俗臭の大城、到底英雄豪傑の最下層を出でざる也。即ち一は才子小人の絶頂、一は英雄豪傑の下底、この間の差、薄紙一枚のみ。
『一年有半』(中江兆民著 岩波文庫)

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2005年7月13日 (水)

ムーミンのいる森

moomin 私の住む街の郊外に、あけぼの子どもの森という公園があります。ここはムーミン屋敷があることで有名で、本ブログのスタート時もムーミン屋敷の写真を紹介しました。教育に関連するテーマを取り上げる際、むうじんさんのHPから拝借した写真を飾っていますが、そのむうじんさんのHPにムーミン屋敷のページがあります。以下は、むうじんさんが娘さんと一緒にムーミン屋敷を尋ねた時の日記であり、素晴らしい写真もありますので一度訪問してみて下さい。
http://www.geocities.jp/minamikomamura/map/hannou/muumin.htm

また、ムーミン屋敷の近くに阿須運動公園があり、ムーミン屋敷を楽しんだ後は童心にかえり、時が流れるのを忘れて子どもたちと泥だらけになって遊ぶと良いのではないでしょうか。私も子どもたちが幼い頃は頻繁に来ていましたが、流石に高学年にもなると行きたいと言わなくなりました。幼かった子どもたちと駆け回った日々が、今では懐かしい想い出です。子どもたちの服が真っ黒に汚れ、〝監督の不行き届き〟ということで山のカミに叱られたことも幾度かありました…。

間もなく鬱陶しい梅雨が明けると、太陽の季節の到来です。阿須運動公園には広い水浴びの場もあり、幼い子どもたちの賑やかな声が今にも聞こえてきそうです。

http://www.geocities.jp/minamikomamura/map/hannou/akebono.htm

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2005年7月12日 (火)

読み応えある神戸新聞の報道

朝日新聞以外の大手マスコミも鹿砦社の松岡社長逮捕の報道を行っていますが、東京新聞も含めて警察発表の域を出ていない中、神戸新聞が読み応えのある報道を行っています。
http://www.kobe-np.co.jp/

新聞記事は数ヶ月もすると、再び読もうと思っても削除される記事もあることから、本ブログに神戸新聞の貴重な記事をWordファイルに残しておきます。

「050712_kobe_newspaper.doc」をダウンロード

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鹿砦社の松岡社長逮捕

過日ご紹介した『紙の爆弾』を出版している鹿砦社の松岡社長に、逮捕状が出たというニュースが朝日新聞に流れました。--2005年07月12日07時02分--
http://www.asahi.com/national/update/0712/OSK200507110055.html

以下が問題の記事ですが、記事に目を通せばお分かりのように、相変わらず警察発表を盲目的にそのまま横流ししたに過ぎない記事であることが一目瞭然です。記事にある「パチスロ機製造会社」とはアルゼのことですが、記事から受ける印象としては、如何にもアルゼが鹿砦社から迷惑を受けているという印象を与える内容になっています。昔からパチンコ業界と警察の〝裏〟の繋がりについては情報通の間で知られたことであり、今回の朝日新聞の記事、すなわち警察発表に、アルゼすなわちパチンコ業界を守りたいという警察の本音が出たと言えないでしょうか。

出版社長に逮捕状、内容に名誉棄損の疑い 神戸地検

 パチスロ機製造会社の役員や、プロ野球の元球団職員を出版物やインターネットで中傷したなどとして、神戸地検特別刑事部が、兵庫県西宮市の出版社社長に対し、名誉棄損の疑いで逮捕状を取ったことが11日、わかった。一般の書店で販売されている出版物の内容をめぐり、出版社の代表者が同容疑で逮捕されるのは全国でも異例。

 名誉棄損の疑いが持たれているのは、兵庫県西宮市甲子園七番町の出版社「鹿砦社(ろくさいしゃ)」の社長(53)。

 調べでは、社長は03年、パチスロ機製造会社の経営手法などを批判した著書を発行。この著書や自社のホームページに掲載した文章で、パチスロ機製造会社の役員の私生活に触れたり、「役員が逮捕されていた」などとする週刊誌記者の証言を書いたりするなどして、役員らの名誉を棄損した疑いが持たれている。

 この著書については、役員らが03年9月、名誉棄損やプライバシーの侵害に当たるなどとして、神戸地裁尼崎支部に出版差し止めの仮処分を申し立てた。03年10月に同支部が仮処分決定をしている。

 また社長は、プロ野球の球団職員が98年にビルから転落死した問題をめぐり、鹿砦社の季刊誌で、遺族が執筆した原稿を連載。元球団職員2人の名前を実名で挙げ、転落死した職員の殺害に関与したかのような内容の記述で2人の名誉を棄損した疑いが持たれている。

 鹿砦社は人文社会科学や歴史の専門出版社として1969年に創業。88年にこの社長が就任した後、芸能人やスポーツ界をめぐるスキャンダルを取り上げた「暴露本」を出版して話題となった。

 人気アイドルグループらの自宅周辺の写真や地図などを掲載したいわゆる「追っかけ本」では、東京地裁などに出版差し止めの仮処分を申し立てられた。同地裁などから計4回、出版差し止めの仮処分決定を受けている。

 出版社が記事の内容をめぐって刑事責任を問われたのは、東京地検特捜部が95年6月、月刊誌「噂(うわさ)の真相」の当時の編集長と編集部員が、推理作家が盗作しているとした記事を掲載したなどとして、2人を名誉棄損罪で在宅起訴したケースがある。この事件では、02年3月、東京地裁で元編集長に懲役8カ月執行猶予2年、元編集部員に懲役5カ月執行猶予2年の有罪判決が言い渡され、最高裁で確定している。

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『Financial Times』

0507FT 『Financial Times』は世界の一流の経済紙であり、同じ日本の経済紙である『日本経済新聞』とはまさに月とスッポンといった感があります。数年前、アマゾン・ドットコムに『日本経済の「闇」がわかるFTの読み方』(藤原直哉著)という本について書評を投稿した際、私のFT(フィナンシャル・タイムズ)に対する見方を示しましたので以下に再掲します。
FTのすすめ
2004/04/14

藤原直哉氏が、FT(ファイナンシャル・タイムズ)・WSJ(ウォールストリート・ジャーナル)・日経(日本経済新聞)の三紙を比較しているのを興味深く読んだ。藤原氏は、日経新聞が日本のビジネスマンに読まれている理由として横並び主義を挙げており、「この新聞さえ読んでおけば、上司に何か質問されても答えに窮することはないし、取引先へ行けば雑談のきっかけになる。なんとなく安心だから、朝の日課として読むのである」と解説している。世界を舞台に活躍するビジネスマンにとって、日経は購読する価値が全くない新聞である上、この3月31日に漸く例の鶴田卓彦相談役を退任させることができたという低落ぶりで、旧態依然とした体質が世界中に明らかになってしまった。そうしたことから、日経が来る情報大革命の大波に翻弄され、やがては海の藻屑となることは容易に予想できよう。

WSJについて藤原氏は、「WSJは、あくまでもアメリカの国益と国民感情を重視した、アメリカのための新聞なのである。だから、この新聞ばかり読んでいる人には、ほんとうの世界情勢はわからない」と切り捨てており、小気味がいい。確かに、WSJは視野狭窄のユダヤ系アメリカ人が牛耳る新聞だから当然の話なのである。

FTについて藤原氏は、「FTも、しょせんはアングロサクソンの価値観から解き放たれることはない」としながらも、「世界でもっとも信頼できる英国の高級経済紙」であるとFTを高く評価している。藤原氏がFTを高く評価する背景については同書に譲るとして、藤原直哉氏と同姓の藤原肇というフリーランス・ジャーナリストもFTを勧めている一人であることをこの場で触れておきたい。私の場合、藤原肇氏との交流が長いことから、藤原氏にすすめられて若い頃から欧米の一流紙や雑誌を購読してきた。おかげさまで、現在ではコンサルティング業務の一環として、FTやIHT(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)の要約や全訳を主要官公庁に配信することも多い。ともあれ、その藤原肇氏が『夜明け前の朝日』(鹿砦社)という本を出しているが、これはジャーナリズム精神が墜落した日本のマスコミを徹底的に叩いた本なので、本書と併読されると得るものが多いと思う。

最後に、本書はFT入門書という性格も備えており、これから世界を舞台に活躍したいという、若い日本人にも読んで欲しい本であることを付言しておこう。


FTを参考資料として活用している興味深いブログに、「Investor's Eye」というのがあります。これは30年間マーケティング・ビジネス界に身を置き、現在は某大学の教授になっている人のブログですが、関心のある人は訪問してみると良いでしょう。たとえば、7月10日の日記は、「今週のファイナンシャル・タイムズ週末版から気になる記事をピックアップしてみた…」という書き出しから始まっていました。
http://professor-snape.txt-nifty.com/investors_eye/

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2005年7月11日 (月)

近代日本とフルベッキ

m008 「近代日本とフルベッキ」と題したシリーズをIBDという国際ビジネスコンサルティング会社で1年間にわたり執筆してきたが、フルベッキといっても単にお雇い外国人の一人くらいにしか思われず、私が何故フルベッキについて1年間も取り組んだのか理解して貰えないことが多いようです。そこで、ホームページ「近代日本とフルベッキ」を数日の内に閉鎖するにあたり、前書きの形で書いた拙文を以下に再掲しておくことにしました。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/ibd/

はじめに

 幕末から明治にかけて活躍したお雇い外国人は多い。そうしたお雇い外国人の一人にオランダ出身のフルベッキがおり、日本近代化の基盤をつくった人物であったといわれている。そのフルベッキおよびフルベッキと縁のあった明治の元勲について、様々な角度からスポットライトを当てていこうとするのが本シリーズの狙いである。  尤も、フルベッキといっても直ぐにはピンと来ない読者も多いと思うし、明治初期のお雇い外国人について書かれた物の本にフルベッキの名が羅列されていた程度にしか思い出せない読者も多いのではないだろうか。何を隠そう筆者も最近まではそうした一人であったが、そんな筆者が改めてフルベッキの日本における業績を見直してみようと漠然とながらも思うようになったのは、1年ほど前に発行された総合経営誌『ニューリーダー』(2003年7月号)に掲載された「近代日本の基盤としてのフルベッキ山脈(上)」という記事のコピーを入手したのがきっかけであった。

 その後は仕事に追われていたこともあり、フルベッキの記事が載っていた『ニューリーダー』のコピーは机の片隅に積まれたままになっていた。それが本腰を入れてフルベッキとフルベッキを取り囲んだ人脈について掘り下げて調べてみようと決心するに至ったのは、たまいらぼ出版の玉井禮一郎社長と今年の5月に秩父山脈の麓にある蕎麦屋に立ち寄り、夕食においしい蕎麦に舌鼓を打ちながら歓談を持った時であった。実は、今年の6月下旬にたまいらぼ出版から『賢者のネジ』(藤原肇著)という新刊が発行されたが、その本に上記のフルベッキの記事が収録されている。筆者は藤原肇博士と知己であった関係で、たまいらぼ出版発行の『賢者のネジ』の校正などを手伝うことになったのであるが、それが蕎麦屋での『賢者のネジ』を巡る話に繋がったのである。しばらくして話がフルベッキに及んだとき、玉井社長が非常に珍しい写真があると切り出してきた。どのような写真かと思わず身を乗り出すと、玉井社長の口をついて出てきたのは勝海舟・西郷隆盛・大久保利通・大村益次郎・大隈重信といった明治の元勲が、フルベッキを取り囲むようにして雁首を並べている写真があるという、まさに我が耳を疑うような話だったのである。しかし、いくら人間的に信頼している玉井社長の言葉であっても、筆者にとって俄には信じ難い話であった。常識的に考えても、明治の元勲が一堂に集まった集合写真が存在するはずがないと考えるのが普通ではなかろうか。幸いにして問題の写真のコピーを入手したので、本シリーズの第一回「序章」で問題の写真を読者に公開すると共に、写真の真贋について筆者の意見を述べたいと思っている。なお、筆者にとってのフルベッキ研究の道標となった「近代日本の基盤としてのフルベッキ山脈」が収録される『賢者のネジ』の詳細については、以下のたまいらぼ出版のサイトを参照していいだければ幸いである。
http://www.nextftp.com/tamailab/

 『ニューリーダー』の対談記事「近代日本の基盤としてのフルベッキ山脈」で一番印象に残ったのは、同記事の副題「人材育成が〝東亜ルネッサンス〟へのキーワード」でも謳っている人材育成についてであった。同記事の中で藤原博士は以下のように述べている。


藤原肇:(フルベッキが)教育者として人材を育てたという視点が重要であり、西欧文明に根を生やすフルベッキという幹から、横井小楠をはじめ大隈重信や勝海舟の枝が伸びた。そして、幕末にかけて育った人材が葉や花となって、われわれに近代国家の果実を約束したのに、普仏戦争の幻想に迷ったプロシア派の日本人が、ドイツ産の幹を接木したのは悲劇でした。

 勝海舟・西郷隆盛・大久保利通・大村益次郎・大隈重信といった、綺羅星の如く一流の人材を輩出した幕末の日本が、その後は坂を転げ落ちるように堕落し、ついには第二次世界大戦による敗戦を迎えるに至ったのである。そして時代は移り変わり、今や平成幕末を迎えようとしている日本の姿が私たちの目の前にある。歴史は繰り返すというが、敗戦後の日本は過去から何も学ばなかったのであり、そのツケが平成幕末の到来を招いたといえるのではなかろうか。世間ではグローバルスタンダード、IT革命などを指して現代の黒船と騒いでいるが、これらは単なる細波に過ぎないのであり、本当の大波である黒船の正体はそのような生易しいものではない。黒船の正体はズバリ情報大革命という名の巨大な黒船であり、今日明日にも浦賀沖に全容を現すというのに、それに気づいている人たちが意外と少ないのは大変奇妙な光景に筆者には映る。

 それでも、大勢の人たちにも一目瞭然の形で浦賀沖に黒船が全容を現す日も近いと思うが、今度の黒船はどのような影響を東洋の小さな島国日本にもたらすのだろうか。幕末の時のように、現代の「お雇い外国人」が現代の日本にも出現するのだろうか。さらには、現代の〝勝海舟〟〝西郷隆盛〟〝大隈重信〟〝横井小楠〟〝坂本龍馬〟ら一流の人材が現代の日本に再び出現するのだろうか。

 本シリーズの目指すところは、フルベッキを軸として幕末・明治という時代を振り返ると同時に、現代の日本のとるべき進路を提示してみようとする大それた試みであるが、たとえ1%でも日本丸の舵取りに反映してもらえるのであれば、これに勝る喜びはない。

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
街のワンダーランド…

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2005年7月10日 (日)

CTのすすめ

私は、1~2ヵ月に一度の割でメールマガジンの「まぐまぐ」を訪問し、「翻訳」をキーワードにして[まぐまぐ検索]に入力、検索の結果としてリストアップされたメールマガジンの中から、これはと思う翻訳関連の新メールマガジンを登録するのを常としています。

http://www.mag2.com/

今年の4月初旬だったでしょうか、あの時は半年間忙しかったので、実に半年振りに「まぐまぐ」を訪問したのです。早速、新しい翻訳関連のメールマガジンが出ていないかなと[まぐまぐ検索]を実行し、検索の結果として出てきた翻訳関連のメールマガジンの一覧表を眺めていくと、「勉強嫌いでも一流翻訳者になれる! 」というメールマガジンを見つけたのでした。一流翻訳者とまではいかなくても、そこそこのレベルの翻訳者を目指している私は、そのメールマガジンが謳っている「一流翻訳者」という文字に惹かれ、登録しました。そして暫くして届いたメールマガジンの、「在宅翻訳でさくさくっと月収60万円」という題が目に飛び込んできたのです。今時の在宅翻訳者で、月収60万円は当たり前ではないかと思いつつ読み進めていくと、著者の奥さんが特許翻訳者とのことであり、月に180万円稼いでいると書いてあります。月収100万円稼いでいる特許翻訳者を知っていましたが、倍近い月収180万円という金額には驚きました。単純計算で年収で2千万円です。最初、眉唾物だなあと思いながら読み進めていくと、同メールマガジンの最後の方に執筆者名が「水野雅之」と書いてあるのに目が止まったのです。水野という姓でピンと来たので早速調べてみたところ、特許翻訳者の水野麻子氏のご主人であることが分かりました。その瞬間、プロの翻訳者である水野麻子氏とパソコンのプロである水野雅之氏の2人が作ったものなら、産業翻訳者に役立つ翻訳ツールに違いない、と直感的に思ったのでした。次に、どうして月収180万円が可能なのかという点について知りたく、私は水野麻子氏のホームページを訪問してみたのです。

http://www.monjunet.ne.jp/CT/

一通り水野氏のホームページに目を通した私は、同ホームページに登場するCT(Cooperative Translation)を知り、これこそ自分が今までに探していた翻訳ツールであると分かったのです。そして、このCTというツールが月収180万円を可能にしていることが明らかでした。それならということで、いずれ自分もCTを購入し、自分の産業翻訳に活用しようと心に決めたのです。そうこうするうちに、水野雅之氏が2ヶ月ほど休んでいたメールマガジン「勉強嫌いでも一流翻訳者になれる! 」が発行されたのでした。久しぶりの水野氏のメールマガジンを読み進めていくうち、3つの特典付きで翻訳ツールを販売するという案内に目に止まりました。そうして水野氏に背中を押された形で私は以下のURLをクリックし、メールマガジンが発行された当日の6月23日、「辞書パックと導入パックのセット(税込79,800円)」を申し込んだのです。(ちなみに、今回の特典は7月24日18:00まで。まだ時間がありますので、これから産業翻訳を目指す方は検討するだけの価値はあると思います)なお、私がCTを皆さんに薦めるのは、産業翻訳の分野全体にわたって活用できるという確信を得たからですが、実際に入手する否は皆さん一人一人の責任で判断して下さい。

http://www.mizunomasayuki.com/order.htm

その後、漸くダウンロードした大量の資料の2回目の通読を一昨日終えました。また、その間に水野氏が主唱するCT方式も一部実際に試しています。そして、「CTは特許翻訳のみならず、他の分野の産業翻訳に使えるかもしれない」という当初の直感が、今では「CTは間違いなく大半の産業翻訳の仕事に使える」という確信に変わっていました。ダウンロードしたCTに関する大量の資料の中から、特に教えられたのがパソコンとの付き合い方、換言すれば今まで人間が行ってきた産業翻訳の仕事を、可能な限りパソコンに分担させるという新しい視点でした。今後としては、実際に産業翻訳の仕事を進めていく中で、試行錯誤を繰り返しながらCTを試用していき、徐々に私なりのペースでCTをマスターしていく予定です。CTマスターへの過程において、折に触れて本ブログに報告していく予定でいます。

さて、現時点において私がCTに対して抱いているイメージを述べるとすれば、産業翻訳者という名の職人さんにとって、己れの翻訳作業のスピードを数倍アップするだけでなく、同時に翻訳品質も向上させ、翻訳による収入も大幅に増加させる魔法の杖ならぬ魔法のツールであると思います。ただし、出版・映像翻訳などの分野の翻訳の場合は全く役に立たないツールもあることは、長年にわたって出版・映像翻訳、殊に雑誌の記事の翻訳に携わってきた人間として自信を持って断言できます。よって、CTの購入を検討している人は、自分はどのような分野の翻訳の仕事をしたいのかという見極めを行った上で、CTを入手するか否を判断すべきだと思います。繰り返しになりますが、CTはプロのソフトウェア技術者とプロの翻訳者のご夫妻による手作りの翻訳ツールであり、痒い所に手が届く翻訳ツールであることを強調しておきたいと思います。

一点だけ難点を挙げるとすれば、CTは何分にも新しい発想に基づいたものであり、今までの翻訳の仕事の仕方を根底から変えてしまうものであることからして、よほど根気のある前向きな翻訳者で、昔ながらの〝己れの持てる技術を全力で投入し、客に喜ばれるモノを造る〟のだという職人気質を持った翻訳者でないと、マスターは困難なような気がします。この点だけ、くれぐれもご注意ください。

ところで、フォートリーディングというのは科学的観点から見て素晴らしいものであり、いかにもアメリカ人好みのリーディング・スキルであると思いますが、所詮はそれまでのことであり、空海の持つ〝閃き〟・〝時空把握能力〟には到底及びません。フォートリーディングの場合、本を1ページ読むのに1秒もかかるとのことですが、空海の場合は瞬時に森羅万象を掴み取ってしまうだけの能力を備えていました。しかし、我々は空海と違って凡人に過ぎないのであり、フォートリーディングのレベルに達することができれば良しとすべきなのかもしれません。

http://www.lskk.jp/

CT(Cooperative Translation):プログラマーの水野雅之氏と特許翻訳者の水野麻子氏ご夫妻による手作りのマクロ集。産業翻訳に威力を発揮するマクロが揃っており、マスターすれば翻訳のスピード・品質・収入のアップに繋がる。詳細は以下のサイトを参照のこと。
http://www.monjunet.ne.jp/CT/

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2005年7月 9日 (土)

ロンドンのテロ事件の真犯人は?

主に日本語を中心にインターネットをサーチしてみましたが、日本の大手マスコミは例外なく海外の報道を鵜呑みにして、そのままアルカイダ系の仕業として報道しており、日本の大手マスコミの記者クラブ体質は相も変わらずです。そうした中で堂々と本名を名乗り、かつロンドンでテロを起こした犯人をズバリ指摘した人物に副島隆彦氏がいます。以下は副島氏の掲示板【気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板】からです。
ロンドンでのテロは、アメリカとモサド(イスラエルの情報機関)がやったのだろう
投稿者:副島隆彦投稿日:2005/07/08(Fri)

副島隆彦です。
今朝、起きて新聞を見たら、ロンドン市内でテロが起きていた。
これは、アメリカの情報機関の中にもぐりこんでいるモサドの仕業だろう。それにイギリスのブレア首相もかんでいる。こういう政治ショーを、スコットランドの田舎の観光地でサミット(G8)をやっている最中にわざわざやらなければならないほど、グローバリスである今のアメリカ政府とイギリス政府は、合法的に世界を引っ張ってゆく力を無くしている。心底、馬鹿なやつらだと私は思う。

2001年9月11日に発生したアメリカのテロ事件の2ヶ月後、在米の藤原肇博士を囲んで語り合ったことがあり、その場に出席していた参加者に対して私は「犯人はイスラエルが絡んでいる」と述べたことがあります。今回もイスラエルが絡んでいると私は睨んでいます。 以下はアメリカのSTRATFORというインターネット新聞からの記事の抜粋です。
RED ALERT - BREAKING INTELLIGENCE
07.07.2005

The Associated Press reported July 7 that an anonymous source in the Israeli Foreign Ministry said Scotland Yard had warned the Israeli Embassy in London of possible terrorist attacks in the U.K. capital. The information reportedly was passed to the embassy minutes before the first bomb struck at 0851 London time. The Israeli Embassy promptly ordered Israeli Finance Minister Benjamin Netanyahu to remain in his hotel on the morning of July 7. Netanyahu was scheduled to participate in an Israeli Investment Forum Conference at the Grand Eastern Hotel, located next to the Liverpool Street Tube station -- the first target in the series of bombings that hit London on July 7.

ニューヨークのWTC(世界貿易センター)にイスラエル系の銀行・企業が沢山入居していましたが、被害に遭ったイスラエル人はほんの一握りであったことを思い出すべきでしょう。

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国連

急に思い立ち、「教育」「翻訳」「書籍・雑誌」以外に、「経済・政治・国際」のカテゴリーも加えることにしました。本日は「経済・政治・国際」カテゴリーの第1号として、国連を取り上げたいと思います。過日紹介した記事「意味論音痴が日本を亡ぼす」でも、小室直樹氏か国連について以下のように発言しています。

  小室直樹:国連は対日軍事同盟の戦後的形態であり、日本やドイツを敵視した敵国条項が未だにあって、日本人が理想郷のように考えるような存在ではない。しかも、敵国条項を含む国連憲章ができた時点では、日本だけが連合国と戦争を継続していたので、日本に対しての軍事同盟に他ならない。疑問の多い機構を有難がるのは愚劣だのに、歴代の日本政府は国連中心外交などという、実にバカげたことを言ってきたんだから呆れる。

今も昔も変わらず、日本人にとっての国連は〝理想郷〟として映っているようです。しかし、上記の小室氏の発言にあるように、国連とは先の大戦中に日本を仮想敵国として成立した、軍事同盟であるということを見落としている人たちが多いような気がします。小室氏と知己の深田匠氏の場合、自著『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』(高木書房)の中で国連を一刀の下に両断していますが、参考までに深田氏の『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』にある、「国連信仰という愚かな虚妄-日米同時撤退で国連を解体せよ!」(同書 p.402)から一部を引用しておきます。

 日本は国連と国連関連機関全ての予算総額の半分近くを一国で負担しているのに、それでも「敵国」と規定され何の権限もなく、いわば日本は国際社会のタカリに合っているようなものなのだ。波多野元国連大使が「(国連にとって日本は)自動金銭引出機でしかない」と述べられたのは、まさに国連と日本の関係の核心を指摘した言葉である。それなのに日本人の愚かな「国連信仰」は中々覚めないのだ。

私は、『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』で繰り広げられている深田匠氏の主張に対して、全面的に肯定しているわけではないが、少なくとも国連についての深田氏の記述については基線的に同意します。また、国連の正体を知る事情通にとっては当たり前の話かもしれないが、深田氏は国連について以下のようにも述べているので、参考までに一部引用しておきましょう。

 国連のいかがわしさは、その乱発する国連賞や表彰を金で売っている実状にもよく現れている。例えば創価学会は国連に累計数十億円もの寄附を行い、その見返りに池田大作は「国連平和賞」「国連栄誉表彰」「国連事務総長表彰」「国連人権賞」などを贈られている。池田大作が国連から賞を贈られるほど世界平和や人権に貢献したなどとは、創価学会会員を除いて誰も納得できるものではない筈だ。国連の賞や表彰には「値段がついてくる」というのは、事情通の間では公知の事実であり、国連なんて金さえ貰えれば文鮮明にでも麻原彰晃にでも賞を贈りかねないぐらいなのである。

 東京の青山通りに面した一等地に建てられた巨大なピラミッド型十四階建ての豪華なビルをご存知であろうか。国連の関連機関の一つである国連大学というもので、その建設から運営予算から一切合切を日本が負担しており、現在でも日本は年間約三千八百万ドルを毎年一国で負担している。大学とはいっても学生はおらず単なる研究機関的なものだが、実はこの国連大学が反日主義を掲げる反政府左翼勢力に事実上占拠されており、世界に向けて「日本の戦争犯罪」なるものをアピールする拠点になっているのだ。これは同大学開設から十三年間も副学長を務めた武者小路公秀が、北朝鮮の主体(チュチェ)思想を信奉し金親子を崇拝する人物であったことにも由来する。そのため元々国連大学は北朝鮮擁護ばかりに力を入れてきたわけだが、近年中共の意を受けた左翼政治勢力が国連の名前を反日史観プロパガンダに利用しようと、この国連大学に活動の拠点を置いている。あの「クマラスワミ報告」へと至る「従軍慰安婦強制連行(軍事的性奴隷)」なるものも、この国連大学から国連人権委員会に持ち込まれたものである。つまり日本政府はその狂信的国連信仰が故に、反政府活動に大金を与え続けているということだ。

以上、国連という言葉一つとっても、正しくその実像を知るということがセマンティックスを身につける第一歩になるのです。今度も時折、「意味論音痴が日本を亡ぼす」を引用しつつ、セマンティックスについて言及していきたいと思います。ところで、一昨日『紙の爆弾』について取り上げ、最新号でベンジャミン・フルフォード氏が印象に残る記事を書いていると紹介しましたが、当のフルフォード氏が同誌の中で以下のように述べているのには幻滅しました。

  さらに、日本を良くする方法としてもう一つ。自衛隊を国連の指揮下にし、他の国にも同じことを呼び掛けることだ。
『紙の爆弾』p.15

 〝自衛隊を国連の指揮下にせよ〟とは、一体どういうことなのでしょうか。フルフォード氏は気が触れたとしか思えません。

参考文献:「意味論」音痴が日本を亡ぼす

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2005年7月 8日 (金)

若者の死

m007 中学校以来の友人Aの奥さんが、お互いの子どもたちが通う小学校の通学路で交通事故を起こし、オートバイに乗っていた相手の18歳の大学生が死亡するという事件が今年の5月下旬に発生しました。幸い、友人の奥さんは任意保険に入っていましたので、金銭的な問題は一応心配ないものの、これからという若者の死により、友人夫妻は一生重い十字架を背負って生きていかなければならなくなったのです。事故の後、直ちに共通の友人と語り合いましたが、我々に友人夫妻を助けてあげることなど何もない、できることと言えば、若干の金銭的な援助しかないという結論に達したのでした。友人Aの共通の友人たちにも募り、共通の友人の中から代表の一人が直接友人A宅を訪問し、何かの足しにということで全員から集めたお金を渡しています。後、友人Aから肉筆の手紙受け取りましたが、その中には以下のような文が目に入り、友人Aの気持ちを思うと言葉が出ませんでした。

……相手方のご両親のことを思うと今だ胸が張り裂ける思いです……

お金を送るなど差し出がましいことをしたかなと、一瞬後悔の念にかられましたが、続けて友人Aの以下の文を目にして、救われた思いがしたのです。

……皆様方の温かいお気持ちとご厚意、本当にありがとうございます。
幼い娘の笑顔と皆様方の友情に支えられ妻と二人前向きに進みたいと思います……

あの痛ましい事故から日にちも経ち、そろそろ四十九日を迎えようとしている今でも、用事で事故現場を車で通るたびに、事故現場に置いてある花束が目に入り、握るハンドルに思わず力が入ります。

物の本に、「親が子どもにしてやれる最後の教育は、〝死に様〟である」といったことが書いてあったのを思い出します。せめて親が死ぬまで、あるいは子どもたちが巣立つまでは、生きていたいと心から思いますが、こればかりは運命という人智を超えたものであり、明日交通事故で死ぬかもしれません。ともあれ、どのような形で死を迎えるにせよ、子どもたちの目から見て恥ずかしくない死に様にしたいと願う今日この頃です。

合掌

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
花の命は短くて… 野に咲く夏の花

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2005年7月 7日 (木)

『紙の爆弾』8月号

kamibaku200508 かつて、『噂の眞相』という月刊誌がありました。『噂の眞相』は、世の悪を徹底的に追及し、不正を暴く良心的な雑誌でしたが、残念ながら1年ほど前に廃刊に追い込まれています。幸いなことに、『噂の眞相』が当初持っていた反骨精神を受け継ぐ形で、鹿砦社が『紙の爆弾』という月刊誌を今年の4月に創刊しています。本日発売の8月号では、『Forbes』前アジア・太平洋支局長で、『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日』や『泥棒国家の完成』などを著したベンジャミン・フルフォード氏が投稿していますので、この機会に同誌を手にしてみては如何でしょうか。なお、以下の注文フォームからの申し込みに限り、送料が無料になるとのことです。単なる芸能界スキャンダルを追うだけでなく、政治・経済面の不正を徹底的に追及していく姿勢を、今後も『紙の爆弾』が貫いていく限り、私は同誌を支援していくつもりです。
http://www.rokusaisha.com/0test/tyumon01.html

■『紙の爆弾』8月号、スクープ、過激記事満載で7月7日発売!

 4月に創刊した月刊『紙の爆弾』だが、“3号雑誌”を通過し、かの『噂の眞相』なき後の空白感にあった多くの読者を獲得し、本格的スタートを切る。
 7月7日発売の8月号からカラーグラビア(8ページ)を新設し、今回はイラク戦争の悲惨な現実を、タブーとなり隠蔽された多数の写真によって訴えた。昨年われわれは、ブックレット『もうひとつの反戦読本』『徹底暴露!! イラク侵略のホンネと嘘』でも巻頭カラーグラビアで、志半ばにして異国の地で斃れた2人の外交官らの惨殺写真を掲載したが、不当に配本を制約されたりして広く読者に届けることができなかった。外務省から抗議も受けた。われわれは懲りていない。これが“三度目の正直”だが、今回は果してどうか。
 かつて1960年代から70年代初め、われわれはベトナム戦争のリアルな報道によって、戦争の悲惨さを知り、それに怒りを覚え、ベトナム反戦運動は高揚した。今、どうだろうか? 戦争はキレイ事ではない。隠蔽された戦争報道で、イラク侵略の本質がゴマかされることを許してはならない。
 8月号ではリアルタイムなスクープ記事も少なくない。詳しくはタイトル一覧をご覧になっていただきたいが、特にジャスダック上場のパチスロ大手企業にして、警察癒着のひどい社会的犯罪企業「アルゼ」関係では、われわれの告発がまともに採り上げられるならば、おそらくアルゼのみならず(普通だったら一つの会社が崩壊するスキャンダルだ)、パチンコ・パチスロ業界を揺るがせかねないだろう。本年春、われわれが単行本(『アルゼ王国 地獄への道』)によって告発したアルゼ連結子会社「セタ」による「偽造紙幣事件」は、A級の証拠資料を所有していた人物(雑誌『政財界』元顧問・小早川茂氏)を警察が急襲し、それらA級資料を一切押収していき、このことで不発に終わろうとしている。アルゼの顧問弁護士=中村信雄弁護士による、偽造された「被害届」に基づいて、阿吽の呼吸で早速警察は動いたが、ここにアルゼ-警察間の連繋プレーを見て取れる。
 しかし、自ら「なんでもアルゼ」などとうそぶき、“スキャンダルの総合商社”との異名を持つアルゼのこと、新たなダイナマイト・スキャンダルをわれわれは入手した。
 考えてもみよ、上場企業の創業者オーナーの自宅が銃撃されたということは、民主主義社会を揺るがせかねない一大事だ。これをマスメディアは報道さえしない。警視庁記者クラブ詰めの記者は知っていたはずだ。また、今回、違法基板(裏ロム)の現物も入手し、証拠写真も撮った。警察高級官僚出身者を代表取締役に戴く、この会社が、警察庇護の下に違法行為をやりたい放題やっている事実を、今回われわれは、動かぬ証拠と共に告発する。アルゼとの死闘も佳境を迎えた。その警察高級官僚→参議院議員という華麗なる経歴を、2億円もの“トレード・マネー”といわれる大金と引き換えに、悪魔に身を売った阿南一成アルゼ社長の晩節が汚されるのは必至だ(阿南社長は、6月29日の株主総会で続投が承認されたが、もはや“泥沼”から抜け出せない証だ)。───
 さらに、世界的経済誌『Forbes』前アジア・太平洋支局長、ベンジャミン・フルフォード氏も、われわれの巨悪と社会的犯罪企業に対する確固たるスタンスを理解していただき、インタビューに応じてくれた。これまでにない豊富な内容が盛り込まれた本号が、これで引き締まった。『噂の眞相』の総括記事関係で作家・安部譲二氏にも取材に応じていただき、「あなたたち、頑張れ、ガンバレだよ」とエールを送っていただいた。
 月刊『紙の爆弾』は、山岡氏ら勇気ある執筆陣、フルフォード氏や安部譲二氏ら心強いサポーターと共に、真に巨悪とタブーと闘う雑誌として自らを鍛え上げていくであろう!

【鹿砦社】http://www.rokusaisha.com/

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2005年7月 6日 (水)

松本道弘

「松本道弘」という名前を耳にすると、二十代の頃に無我夢中で取り組んだ〝英語道〟を思い出します。ここで言う英語道とは、松本道弘氏が主唱した英語の習得方法であり、二十代の頃に英語をモノにしてやるという気迫で以て英語道の修業を積み重ねていた私は、友人の野良住人君が立ち上げた「異文化研究道場」に参加し、道場仲間と切磋琢磨して、英語力のみならず、さらには異文化に関する背景知識の習得にも努めたものです。松本道弘氏の英語道場も、当時は東京にありました。そこで、野良君が松本道弘氏に挑戦状を叩きつけようと持ちかけてきたので、私も松本氏への〝恩返し〟の意味で、賛成して作戦を立てたことがありましたが、残念ながら諸事情で実現には至りませんでした。仮に松本氏への挑戦が実現したとしても、松本氏と我々とでは剣の実力ならぬ英語の実力に雲泥の差があったのであり、それはあたかも田舎侍が塚原卜伝に挑戦するようなもので、今から思うに余りにも無謀極まりない挑戦でした。

その後は松本道弘氏の英語道場に数度通い、松本道弘氏の本の編集協力(『ビジネス現場の英語ハンドブック』)も体験しています。また、TOEICを去り、某電子部品メーカーの海外営業部にいた私に松本道弘氏から電話がかかってきたことがあります。前に勤めていたTOEICの北岡靖男と会いたいうので、取り次いで欲しいという依頼の電話でした。しかし、その後に実際に北岡氏と会ったという松本氏に尋ねたところ、「お互いの英語に対する考え方が平行線であった」と寂しそうに語っていました。また、私は松本氏との合宿にも参加したことがあり、その当時の写真が残っています。上記の『ビジネス現場の英語ハンドブック』の写真がそれで、2段目の真ん中に立っている横縞模様のセーターを着ているのが私であり、1段目の真ん中に坐っている紺の背広姿で赤色のネクタイをしているのが松本道弘氏です。

そうした次第ですので、私は松本氏の説く英語道にはかなりの影響を受けたのであり、懸命に英語道の修業に打ち込んだものでした。そのお陰で、当時の私の英語力はかなり伸びたと思います。しかし、何と言っても松本氏の英語道場生で良かったと思ったことは、松本道弘氏を通じて在米の藤原肇氏との接点を持てたということでした。藤原氏は『脱藩型ニッポン人の時代』という本を著していますが、同書の中で藤原氏の読者が西尾幹二について藤原氏に質問している下りがあり、その質問を行っている読者が私です。尤も、実際に藤原氏に会ったのは同書が発売されてから7年も後の1998年のことであり、初めて開催した脱藩道場総会に藤原氏を招待した時でした。なお、松本氏の英語道については、拙メールマガジンにも幾号かにわたって書いてありますので、関心のある方は目を通していただければ幸いです。例えば、以下のような号もあります。

【日本脱藩のすすめ】第10号「英語道事始」

折に触れ、私の英語修行中時代(実は、今も修行中の身です)について、英語道と絡めて述べていきたいと思いますので、関心のある人たちに引き続き読んで戴ければ幸いです

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2005年7月 5日 (火)

『翻訳に役立つ Google活用テクニック』

b050705 『翻訳に役立つ Google活用テクニック』(安藤進著 丸善株式会社)は、検索エンジングーグル(Google)の使い方について書かれたハウツー本であり、一応は翻訳者に的を絞ってはいるが、特に翻訳者ではなくても毎日英語の情報に接するビジネスマンにも役に立つ本です。姉妹書として、同じ著者の筆による『Googleに聞け! 英語の疑問を瞬時に解決』(丸善株式会社)も出ているが、『翻訳に役立つ Google活用テクニック』に目を通した人には少々物足りないかもしれません。しかし、インターネットに接するようになって日も浅いという人たちにとって、『Googleに聞け!』は格好の「グーグル入門書」であると思います。

ところで、過日も述べたように、私はイカロスという会社の「日英特許翻訳 入門コース」という通信教育の受講を開始したばかりですが、「日英特許翻訳 入門コース」のテキストに何となく違和感を抱いていました。テキストの何処に違和感を感じるのかと思っていたら、最近同テキストで英文百科事典についての記述を読み、どうして違和感を感じていたのかという理由が分かったのです。単刀直入に言えば、テキストに書かれている情報が古いということに尽きます。

ライナ: liner です。上記の段ボール同様、関連の英文資料を探すことで訳語を見つけることができます。あるいは、英語版のVisual Dictionaryなどから段ボールの構造に関するページを参照してもよいでしょう。百科事典の代表格であるBritannica Encyclopediaでは、papermaking(製紙)の項目を読むと liner が出てきます。英文の百科事典は参考資料としては見逃せない存在で、和英辞典や日本で造られた専門辞書などからは探しにくい用語を調べたいときには重宝します。
『日英特許翻訳 入門コース Second』p.36

イカロスの「日英特許翻訳 入門コース」に掲載されている、最新の公開公報番号が平成11年(1999年)であり、グーグルが日本で広く知られるようになったのは2000年9月以降であるという2点から考えるに、同社のテキストは1999年後半~2001年前半の間に作成されたものであるものと思ってほぼ間違いないでしょう。もし、2001年後半以降に作成したテキストであれば、特許翻訳者に限らず、大勢の翻訳者から高い評価を受けているグーグルについて詳しく記述してあっても可笑しくないはずなのに、何処にもグーグルの威力についての記述が見当たらないのです。もしかしたら、単に私が見落としているだけなのかもしれませんが、少なくとも全部で6冊あるテキストの内、最初の2冊に関しては詳細なグーグルの威力に関する記述は無いようです。

また、今回取り上げた『翻訳に役立つ Google活用テクニック』自体にしても、発行が2003年10月15日と2年前であり、それ以降グーグルに加わった新機能については、当然のことながら取り上げていません。例えば、「ディスクトップ」というグーグルの新機能などです。ちなみに、「ディスクトップ」とは、自分のパソコンのハードディスクに格納してあるファイルを一瞬のうちに検索してくれる優れモノであり、秀丸(テキストエディタ・ソフト)のgrep機能に似ています。「ディスクトップ」の詳細については、直接グーグルのホームページで確認してもらうとして、インターネットの世界は日進月歩の勢いで進化していることを改めて実感したものです。
http://www.google.co.jp/

ところで、拙宅には大分前に購入した書籍版のブリタニカ百科事典(英語)がありますが、記憶では確か30万円前後したと思います。しかし、現在では翻訳作業時に紐解くことは全くなくなりました。1枚のDVDに収められているというブリタニカ百科事典(英語)も発売されていますので、それを入手してパソコンにインストールしてもいいのですが、現在のところグーグルで十分間に合っているので購入する気持ちが起きません。
http://www.britannica.co.jp/hometop/nenkan-e/

ご参考までに、『翻訳に役立つ Google活用テクニック』についてアマゾン・ドットコムに載っていた書評で、印象的な書評を幾つか取り上げておきます。

狭量な私はこの本をライバルに見せたくないと思ってしまったほどだ。

この本によって翻訳者の調査活動の意義が変わり、その範囲が飛躍的に拡張したと思います。

『翻訳に役立つ Google活用テクニック』には思い出があります。現在はJTF(日本翻訳連盟)の専務理事を務める高崎栄一郎氏が、STC(Society for Technical Communication)の翻訳学習会の座長を1年ほど前まで務めていました。私も1年半前に同翻訳研究会に出席し、数年ぶりに高崎氏にお会いしています。2回ほどSTC翻訳学習会に参加しましたが、最初に参加した時の講師は技術翻訳者の山本治男氏、その次に参加した時の講師が佐藤康夫氏であり、テーマはそれぞれ富士通のアトラスを駆使した英文和訳(山本氏)および和文英訳(佐藤氏)についてでした。その後の会合が安藤進氏を招待してのグーグルについての講演会だということを知り、高崎氏に次回も参加したい旨伝えたのですが、生憎仕事の〆切に間に合わなくなる恐れが出たために、学習会の数日前になって参加を諦め、代わり出版されたばかりの安藤氏の『翻訳に役立つ Google活用テクニック』を購入したという思い出があります。その安藤氏ですが、過日久しぶりにJTFのホームページを訪問したところ、JTF主宰の安藤氏の講演会が、「効率改善:ネット検索で翻訳の品質向上を目指そう」というテーマで行われるということを知りました。グーグル検索術に関心を持っている方は、この機会に参加されると良いでしょう。

公演:「効率改善:ネット検索で翻訳の品質向上を目指そう 」安藤 進(技術翻訳者・青山学院大学・多摩美術大学講師)
日時:7月12日(火) 14:00~16:40
場所:翻訳会館
概要:『翻訳に役立つGoogle活用テクニック』『Googleに聞け!英語の疑問を瞬時に解決』(丸善)など、翻訳のためのネット検索では第一人者として有名な安藤進氏が20年以上にわたる豊富な翻訳体験を語る。実際に検索エンジンを使用しながら、インターネットそのものを表現辞典として活用するための最新テクニックを紹介する。参加者からの質問に応えながら進めていく予定である。

その他詳細は以下を参照願います。
http://www.jtf.jp/04Z.html

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2005年7月 4日 (月)

『横井小楠』

b050703昨日の続きです。

鵺的存在の幕藩正学

 次に、士農工商の「士」は武士を意味していないということについて一言述べるとしよう。尤も上記の引用を注意深く読めば、朱子学で云う士農工商の「士」は日本で云う武士のことではないことを朧気ながらも察することができると思うのだが、念のため「士」について説明した個所を以下に引用しておく。


 儒教でいう四民すなわち士農工商の「士」は、「さむらい」ではない。読書人であり読書人中から選ばれて官僚となったものを指す。政治の学である儒教のテキストをよく勉強してすぐれた政治ができると評価される人材、それが士である。中華帝国においては、そういう人材を官僚に抜擢する方法として科挙が設けられ、中国における近世すなわち宋以降(宋以後近世説は内藤湖南…宮崎市定に従う)では、どのような出身であろうと科挙に通るだけの学力があればただちにトップレベルの官僚に就任できるたてまえになっていた。そういう道を選ぶことも、選ばないことも自由であり、むろん途中でやめてもよかった。
 だから、日本の近世徳川時代の武士を、士農工商の士に当てて、あたかも儒教では日本の近世武士のごときものを「士」と呼んでいるかによそおったのは、実に無理無体なのである。日本の近世武士は、身分統制令によって強制的に固定された支配階級であり、しかもその中での主従原理は強烈で、将軍や藩主は家臣に対して生殺与奪の全権を持つ。そうして、そういう身分関係の全体が世襲されている。似ているところなど、ちっともありはしないのである。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.328~329

 以上のように、儒教本来の姿とは似ても似つかないのが徳川幕府および諸藩の儒教、なかんずく正学としての朱子学であったことが明確にお分かりいただけたと思う。ご参考までに上記の引用は『横井小楠 儒学的正義とは何か』の「増補2 アジア型近代の模索」からであり、筆者はこの増補2を『横井小楠 儒学的正義とは何か』の白眉とすら思うのだが、それは兎も角、「実学」・「士」同様に徳川幕府および諸藩によって歪曲されてしまった「忠」と「孝」等についても増補2で解説を加えており、「実学」・「士」・「忠」・「孝」といった儒教が持つ本来の理念を徳川幕府および諸藩によってかなり歪曲された事実を知らない人が圧倒的に多いと思われる今日、横井小楠を真に理解するためにも是非目を通して欲しい増補である。ともあれ、ここで改めて強調しておくべきことは、小楠のように儒学的正義を貫こうとする行為の意味するものは、日本流に歪曲・矮小化された儒教とは真っ向から対立すること、換言すれば幕府諸藩と対立することに他ならないということであり、これは容易に想像できるように当時であれば非常に勇気の要ることであった。

 ここで、本稿冒頭で筆者が「〝徳川政府〟から明治政府へという転換期」と表現したことを思い出していただきたい。実は、松浦氏が云う「世襲武士支配体制」は明治になっても根本的に改められておらず、寧ろ徳川政府の編み出した鵺的正学をそのまま引き継いだのが明治政府なのであり、それが今日に至っても日本および日本政府に影を落としているといえよう。そうしたニュアンスを込めて本稿冒頭の「〝徳川政府〟から明治政府へという転換期」という表現になったのであり、明治政府さらには今の日本政府も〝徳川政府〟と精神的に何ら変わるところがないということを暗示したつもりである。だからこそ、幕末維新期を「中世から近世へ」と表現するのに躊躇し、代わりに「〝徳川政府〟から明治政府へ」としたのである。さらに、産業革命に続く情報革命が世界を覆いつつある今日であるというのに、もしかしたら人間性としては徳川時代よりも現代の日本人の方が劣っているのではという気がしてならず、幕末維新期には居たフルベッキ、佐久間象山、横井小楠、福沢諭吉、西郷隆盛らに相当するだけの人材が周囲を見渡しても見あたらないということからして一層の現実味を帯びてくるのである。


出でよ、21世紀の小楠

 時折、以下のようなことを考えることがある。「もし、横井小楠が暗殺されず、病も回復して新政府で存分に腕を振るったとしたら……」。歴史に「もし」は禁物であろうが、もし小楠が暗殺されず、かつ病気から回復し、新政府に長く尽力していたら、と思うと残念でならない。何故なら、松浦玲氏の言葉を借りれば、「日本は明治維新で西方覇道に切替え、そのことにより植民地化をまぬがれたけれども、西方覇道の手先になってしまった」という誤った道に日本が進むのを防止してくれたであろう人物こそが、横井小楠のはずだったからである。


 小楠は最後まで儒学者であり、その儒学的理想を日本に実現し、世界に拡げようと念願し続ける政治家であった。小楠をここまで追跡してきた私には、彼の理想が、実現不可能だとはとても思えない。多年講学し続け、その上、越前藩や幕府での実践を得た、ずっしりと手ごたえのある思想だと感じられる。むろん小楠自身もそう自負していた。明治元年の廟堂では、おそらく彼一人が、自分を中心として世界に仁義の大道を敷くというほどの大構想を持ち、それを本気で実現するつもりだったのである。
 暗殺は、その大構想を、まだ実現の緒にもつかないうちに絶ち切ってしまった。小楠を失った明治政府からは、自分のところでまず正義を確立し、それを世界に及ぼすという理想の存在は、まったく感じとれない。世界の大勢にいかにうまく乗っていくかということばかりが前面に出ており、国内体制も、その目的に沿ってつくりかえられていく、明治元年に横井小楠という参与がいたのは、夢かまぼろしかという感じが強い。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.279

 人材が枯渇している今日、〝平成の横井小楠〟の出現は望むべくもないのだろうか……。

出典:世界の海援隊 http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/

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2005年7月 3日 (日)

『横井小楠』

b050703 私は、6月26日の「フルベッキ」で述べたように、IBDのウェブ機関誌『世界の海援隊』に1年にわたって「近代日本とフルベッキ」と題したシリーズを連載したことがあります。内容は、フルベッキおよびフルベッキと縁のあった、幕末から明治にかけて活躍した元勲を取り上げたものであり、そうした人物の一人として横井小楠を取り上げたことがありました。以下は私が執筆した横井小楠についての一節ですが、かなりの長文ではあるものの、国家破産などと穏やかならぬ噂が飛び交う今日の日本において、静かに横井小楠の思想を振り返ることは決して無駄にはならないと思い、今日の日本にとって何等かのヒントになるであろうと思われる個所を、「近代日本とフルベッキ 第2章・横井小楠」から抜粋してみました。しかし、何分にも長文であることから、本日および明日の2回に分けて転載しますが、心ある訪問者に一読して戴ければ幸いです。

小楠の儒教的正義

  筆者は冒頭で黒船来航か当時の日本にもたらしたインパクトの大なることを述べたが、松浦玲氏は黒船来航を幕末維新に歴史の舞台に登場した人物を評価するための一種のモノサシにしているようである。ご参考までに、以下は松浦氏が自著『横井小楠 儒学的正義とは何か』(朝日選書)の中で黒船来航について言及している個所である。


 いつのころからか、幕末維新期の人物について考えるには、まず嘉永六年ペリー来航のときにその人物が何歳であったかを調べる、というクセがついてしまった。ペリー来航に始まる動乱の中で自己形成をとげたのか、すでに一応の思想を確立したあとでこの衝撃を迎えたのかによって、その人物への迫りかたがずいぶん違ってくるのだ。
 文化六年(一八〇九)に生まれた横井小楠は、ペリー来航の嘉永六年(一八五三)には、数え年で四十五歳である。
 人の成長パターンはさまざまだけれども、四十五歳までには、その人がなにものであるか、わかってしまっているのが普通であろう。
 小楠の場合もそうである。彼にとって最も本質的な自己形成は、三十代から四十過ぎにかけての時期におこなわれた。その期間の辛苦で、彼は、自分の学問=政治思想の根幹となるものをつくりあげていた。だから彼は、できあがった思想家として、ペリー来航以後の新局面に対処したのである。その思想を一口で表現すれば、自分が究め尽くした儒学的正義こそが一切の政治の基本だ、ということになろうか。
 このことの意味は、非常に大きい。これから吹き荒れるヨーロッパ・アメリカ型近代の攻勢に対し、アジアの思想を代表してたちむかうだけの足場を小楠は築いていたわけである。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.5

  以上の松浦氏の言葉で大凡の察しがつくように、黒船来航に及んでペリーとの応対についてまとめた『夷虜応接大意』を著したほどの小楠であったことからして、西洋思想・技術に並々ならぬ関心があったことが容易に想像できるものの、それでも小楠の儒学的な思想基盤は不動であり、微動だにしなかったのだと思う。ここで、〝小楠が究め尽くした儒学的正義〟とは何かという点について解説するにあたり、改めて儒学さらには朱子学とは何かという点について見直しを行なう必要がある。何故なら、松浦氏自身も心配していることだが、儒学そのものを正確に把握している人があまりにも少ないからであり、ここで多少のページを割いてでも松浦氏の『横井小楠 儒学的正義とは何か』をもとに儒学について簡単に説明しておくべきだと思ったのである。そうしないことには、横井小楠の思想を正しく理解できないばかりか、徳川幕府の正体を見抜くこともできないであろう。

 最初に、現在の儒学に対する既成概念を捨て去り、本来の儒学の根底思想に戻るためには以下の二つのポイントを押さえておく必要がある。

・朱子学とは実学のことである。
・儒教でいう士農工商の「士」とは、武士のことではない。

 朱子学あるいは儒学というと、何となく〝観念的〟、〝理論的〟等の言葉を思い浮かべるのが普通ではないだろうか。しかし、実のところ朱子学とは至って実学そのものと云えるのである。そのあたりについて、松浦玲氏は以下のように正直に告白しているので目を通していただきたい。


 朱子学が実学だ、あるいは朱子学も実学だということは、経学の勉強をきちんとやったひとや中国思想史専攻のひとにとっては、ごくごく当たりまえの常識であるらしい。しかし、日本史出身で経学の伝統とも無縁だった私には、比較的新得の知識である。小楠のことを調べて、発足時肥後実学党の「実学」はどうしても朱子学を意味しているに違いないと気付くまでは、むしろ朱子学と正反対のものが実学だと思っていた。朱子学は観念的体系で、それとは反対の実際的な、実用的な、プラクチカルな学問が実学だというのが、私の育った「知的世界」における常識であったし、今でもそうである。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.298

 上記のくだりは『横井小楠 儒学的正義とは何か』の「増補1 実学と儒教国家」からの引用であり、「増補1 実学と儒教国家」は同書の中でも優れている章の一つであると筆者は思っている。何故なら、増補1は小楠の思想の根本に関わってくるだけに、増補1を読んでいない読者は横井小楠の思想を真に理解することは不可能であると云っても過言ではないからだ。そして、「増補1 実学と儒教国家」を筆者が通読して学んだ最大のものは、以下の引用にもあるように朱子学は実学であるという事実そのものである。このあたりは『横井小楠 儒学的正義とは何か』の中でも重要なポイントの一つであるので、少々長くなるが実学について言及している重要個所を以下に引用しておこう。

 つまり小楠は、学問思想にもとづいて現実政治の処理方針を立てるその立てかたに朱子学の真骨頂が現れていると考えた。だからこそ、彼らの実学党の講学は、その面を最も重視した。朱子学が政治的実践の学であることを真正面から受けとめ、そのとおりに講学し行動したのだといえよう。むろんこれは、朱子そのひとの学問と政治的実践に照らしてみて、完全に正解である。
 しかし肥後藩主流にとっては、朱子学をそのように正解したことが、最も許しがたく危険千万に思えたであろうことは疑いない。彼らにとって、幕府の正学であり藩の正学である朱子学が、幕府や藩の政治を是非論評するなど、とんでもない話であって、それがとんでもないことは説明の必要がないほど自明なのであった。
 だがそれにもかかわらず、より立ち入って考えれば、小楠の方が正確であることは朱子学(より大きく儒学)の根本性格に照らしみて、動かしがたい。肥後藩主流派といえども、つきつめられればそれを承認しなければならない筈である。実学党運動の既成秩序に対する破壊性は、まさにここにあった。日本全体が非政治的実践的に曲解した朱子学に安住していたところへ、不粋にも正確をふりかざして、それが実学だと主張するグループが現れたのである。そうして、小楠らの言う方が正解であり正論であることは、幕末の知識階級にとってごく初歩的な知識に属している。そうでありながらそこに目をつむっていた、まさにそのところに切りこんでいるところに小楠らの運動の猛烈さがあり、忌み嫌われる理由があるのだった。
 朱子学ないし儒学の理想主義をストレートな政治批判と政治的実践としてもちこめば、現実の日本の幕藩武家政治は、ひとたまりもない。だが、そういう理想主義的主張が陽明学や古学その他朱子学以外の学派的主張として展開されれば、幕府ないし藩主流としては、異学だからそういう勝手な批判をするのだと、しりぞけることができる。しかし、小楠ら肥後実学党の場合は、それを朱子学として主張している。藩主流からみれば「正学」を逆手にとられたかたちになっており、そこに、憎しみもひときわという感じになる大きな原因があろう。
 小楠ら、「正解」朱子学を日本武家政治批判としてストレートにもちこんだ場合、一番摩擦を起こすのは、近世幕藩武家社会の武家世襲原理なかんずくその頂点にある将軍および藩主世襲原理である。
 朱子学の目標を一口で言えば、為政者が聖人となって理想政治を行なうことである。学問をするのは聖人になるためで、聖人は到達可能である。そうして、為政者が朱子学的な意味で聖人となれば、それで完全無欠の政治が保証される。為政者は聖人でなければならず、そのことはとりわけトップの座にいるものつまり天子に対して最も強く要求される。これを日本の幕藩体制に移せば、将軍および各藩藩主が聖人でなければならない。肥後実学党とりわけ小楠は、それを要求した。
『横井小楠 儒学的正義とは何か』p.306~308

 「為政者は聖人でなければならない。とりわけトップの座にいるものに対して最も強く要求される」というくだりは、サメの脳味噌と云われた前首相の森喜朗氏、口先だけの軽薄者である小泉純一郎現首相と対極に居るのが聖人であると云えば理解は早い。さらに付言するとすれば、堯舜孔子の道から程遠い所にあるのが今日の日本ということになる。

出典:世界の海援隊 http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/

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2005年7月 2日 (土)

当世下町寺子屋事情

m006 『JANJAN』という、市民記者によって構成されているインターネット新聞があります。私の場合、インターネット版の読売や毎日新聞などにアクセスしない日があっても、『JANJAN』にアクセスしない日は滅多にないといった具合です。
http://www.janjan.jp/

実は、このインターネット新聞『JANJAN』に、教育に関係する面白いコラムがありますので、今回ご紹介したいと思います。このコラムの執筆者・宮永正義氏は塾の先生であり、当世下町寺子屋事情というコラムを連載しています。
http://www.janjan.jp/column/terakoya-list.php?PHPSESSID=c5c13d0ade220cb224ec0ff48effd126"

はじめに

名古屋で個人塾を営む筆者が身辺雑記や、日ごろ交わす子どもたちとの会話をライブ感いっぱいに伝えてくれます。今の子どもたちが何を考え、感じているのか、知りたい方には必読です!

実は、宮永先生にはもう一つの顔があり、それが「上の森原人・とほほ見聞録」というコラムです。
http://www.janjan.jp/column/miyanaga/list.php?PHPSESSID=c5c13d0ade220cb224ec0ff48effd126

はじめに

筆者は、93年から、海上の森での愛知万博に反対するため、市民グループのメンバー向けに「海上の森くらぶ通信」を毎月一度発信してきた。自然保護から訴訟、県知事選挙まで、地元の本人曰く「そこらのオジさんが本音で、世の中の納得できないことにブツブツ言い続けた記録」だ。

ここまで書いたら、宮永先生の略歴と写真をアップしないと片手落ちというものです。

m006a

宮永正義氏のプロフィール
1947年2月・名古屋生まれ 
名古屋工業大学電気工学科6年中退 
24歳から講談社系列企業に6年間所属。 
28歳で副業に学習塾を始め30歳で独立。 
以来、下町で個人塾教師を生業として30年。 
 趣味のバードウオッチングの関係で 
自然保護関連の市民活動に余暇を割いている。

写真からお分かりのように、宮永先生は一見怖そうな顔をしておられます。が、コラムを読むと、塾での顔は意外とユーモア溢れる、人間臭い先生のようであり、生徒たちにとっては、良き“父親”的な存在なのではという印象を受けます。自分の息子も、こうした人生体験豊かな先生の所で勉強ができたら幸せだろうなと、つくづく思ったことでした。

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
息子たちがクワガタの写真を見たら、目をランランと輝かせるはず…、腕白たちの季節到来だ!

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2005年7月 1日 (金)

『教育の原点を考える』 第II章

b050615先ほど、『教育の原点を考える』の第II章「学校の源流をめぐって」をアップしましたのでお知らせ致しします。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/edu/edu.htm

以下は、第II章の中で特に印象に残った下りです。

早川聖 それでいいのです。教師は人間を育てるという仕事柄からして、社会的な尊敬を与えられるのだし、常に批判精神を持つ独立した人格として人びとの鑑になるのも、豊かすぎることによって、人間として堕落しないということの反対給付に他ならない。人間は豊かすぎるとほとんどの場合が精神的に堕落するし、教師が精神的に堕落したらこの世は終りです。しかし、そうだからといって貧しさの中に追いこんでもいけません。

理想の教師像を、余すところなく説明した早川聖氏の言葉と謂えます。特に、「教師が精神的に堕落したらこの世は終わりです」という言葉には、重みがあるのではないでしょうか。教師としての矜持を保つため、人を育てるという大きな仕事を背負う教師は、お金に恵まれ過ぎると良くないという早川翁の戒めです。これは、何も教師に限らず、一般人にも言えることです。お金を持ち過ぎることの弊害を、もしかしたら子どもたちも何となく知っているようであり、一時は私の子どもたちの通う学校で、「良い人はドラえもん、悪い人はホリエモン」という言葉が流行っていました。私がライブドアの堀江貴文氏を批判したわけではなく、他の父兄が批判し、それを耳にした子どもたちが「良いのはドラエモン、悪いのはホリエモン」というのを流行らせたのだと勝手に想像してますが、子どもたちの言っていることはまともであり、なかなかやるわいと思った次第です。ただ、清貧は良いが、赤貧はいけないですね。いくらお金に困っているかとはいえ、お世話になった会社に乗り込んで、そこの社長を脅したり、友人・知人をぺてんにかけて金を巻き上げたりするというのは、人間して最低であって詐欺師以外の何者でもありません。逆に、清貧であり続ければ、人間としての精神的な美しさを保ち続けられるのです。

早川聖 要するに、学ぶのはそれぞれの個人だが、教えるのが誰かということです。もちろん直接教えるのは情熱を持った教師に違いないが、制度としての教育が教師の情熱と意欲をベースにするのか、それともその背後に国家権力や教会、あるいは専制君主や独裁者といった、特殊な目的意識を持った存在がひかえているのかどうかの問題です。私自身の立場は、教育は教師に始まって教師に終ると考えるので、本来あるべき教育というのは、学習も学問も勉強も含んだ幅広いもののはずだとおもいます。
藤原肇 ぼくは学問ということばが好きだし、教育ということばより高度で幅が広く、しかも主体性をより多く含んでいるので、教育より学問を上位のものだと確信しています。またルイ・アラゴンの詩の一節に、「教えるとはともに希望を語ること、学ぶとは、誠実を胸に刻むこと・・・・」という素晴らしい表現があるけど、これは早川さんが考えるところの、教師に始まって教師に終るという師弟関係のパターンの中でしか生きません。その意味で、学問をするための教育の場というのは、すべての権力的なものから独立していることが望ましい、といえる。

早川聖氏の言うように、学習・勉強・学問などを含んだ幅広いものが教育と言えるのか、あるいは藤原肇氏の言うように、学問は教育の上位概念なのかどうかは兎も角、そのあたりの判断の拠としてクローズアップされてくるのが、セマンティックス(意味論)だと思います。セマンティックスは、一般に日本では馴染みのない概念ですので、いずれ機会を改めて取り上げることにしましょう。いずれにせよ、今の日本で真にセマンティックスを操れるのは、小室直樹、正慶孝、藤原肇の三氏しかいないと云われています。尤も、こう書くと「俺だって意味論については知っている」と言う人たちが必ず出てきますが、そう思う人たちに対しては、「意味論音痴が日本を亡ぼす」を熟読してもらい、その上で再度意見を述べるようお願いしています。意見の内容によっては、「意味論音痴が日本を亡ぼす」の対談者も目を通すであろう、掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】での投稿をお願いするかもしれません。

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