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2005年6月17日 (金)

『神戸事件を読む』

b050617 神戸事件を覚えているでしょうか? そう、11歳の小学生を殺害し、その子の頭部を切断して中学校の正門にさらすというショッキングな事件が、今から8年前の1997年に神戸で発生したことは記憶に新しいところです。そして、その1ヶ月後に当時14歳の中学生が容疑者として逮捕されているのですが、しかし本当に中学生が起こした事件なのだろうか、この事件に冤罪の疑いは無いのか、という疑問が常に頭の片隅にありました。今まで、私は神戸事件についての本を数冊読み、かつインターネットでも、色々な人たちの神戸事件に関する意見を読んでいます。そして最近、鹿砦社という出版社が発行している、『神戸事件を読む』(熊谷英彦著)を入手しました。この本の存在は前々から知っており、いずれ購入して読もうと思っていた矢先、バーゲンブックというサイトで『神戸事件を読む』を半額で販売していることを知り、迷うことなく購入したのです。
http://www.bargainbook.jp/

一読した後、神戸事件は多分冤罪だろうと朧気ながらも考えていた今までの視点から、神戸事件は間違いなく冤罪である、という視点に切り替わった自分がそこにいました。同書を読み、改めて別の角度から同事件を再確認した形になり、真犯人は警察内部の人間であるとする説は、ほぼ間違いないだろうと確信するに至ったのです。また、神戸事件は、半島系およびヤクザ系の問題が、複雑に絡んでいるという熊谷氏の説に私は賛成です(その他、日本の裏社会を形造っているグループに、サンカ系および性倒錯系も存在していますが、そうした話はいずれ機会があれば行う予定です)。同書を読み進めていくことにより、少年の供述が虚偽であるという確信を持ってはいたものの、今までは何故、少年は今日に至るまで真実をさらけ出さないのかという点が、私には分かりませんでした。しかし、同書を読むことにより、漸く疑問が氷解した思いがしたのです。換言すれば、当時の少年と年齢も近い子どもの親となって、初めて明確に理解できるようになった点がある、と言うべきなのかもしれません。

さて、少年の両親が出した手記『「少年A」この子を生んで…』(文藝春秋文庫)に、両親が逮捕後初めて我が子の少年Aと面会した時の経緯を母親が書いた下りがあり、その個所を熊谷氏が以下のように引用していました。

「帰れ、ブタ野郎」
1997年9月18日、私たち夫婦が6月28日の逮捕以来、初めて神戸少年鑑別所に収容された長男Aに面会に行ったとき、まず息子から浴びせられたのがこの言葉でした。
「誰が何を言おうと、Aはお父さんとお母さんの子供やから、家族五人で頑張って行こうな」と、夫が声をかけたそのとき、私たち2人はこう怒鳴られたのです。
(略)
「帰れーっ」
「会わないと言ったのに、何で来やがったんや」
火が付いたように怒鳴り出しました。
そして、これまで一度として見せたことのない、すごい形相で私たちを睨みつけました。
<あの子のあの目-->
涙を一杯に溜め、グーッと上目使いで、心底から私たちを憎んでいるという目--。
あまりのショックと驚きで、私は一瞬、金縛りに遭ったように体が強張ってしまいました。
<なんて顔をするんやろ>
ギョロッと目を剥いた、人間じゃないような顔と言うのでしょうか。
あのような怒りを露にし、興奮した息子を見るのは、Aを生んでから初めてのことでした。
私は息子の目から自分の目を逸らさないで、顔をジーッとただ見詰めていたのですが、あの子の目からは結局、親である私たちを拒否し心底から憎んでいると思わせる、憎しみに満ちた怒りのようなものしか感じられませんでした。

また、少年Aの父親も以下のように手記『「少年A」この子を生んで…』の中で述べています。

私は神戸の少年鑑定所でAと遭った時、Aが私達を泣きながら怒鳴り散らすというあまりの豹変ぶりを目の当たりし、
<やはり事件は自分の息子が犯人だった……>
信じたくはなく、認めたくはなかった事実でしたが、そう実感せざるを得ませんでした。

さらには、『それでも少年を罰しますか』という本を著した野口氏という弁護士がおり、野口氏も少年Aの豹変ぶりは奇異でも何でもなく、非行少年の常として十分にあり得ることだと主張しています。(注:事件が発生した当時の少年Aは、非行少年ではなかったという事実を野口弁護士は見落としている)

以上のように、少年Aを真犯人と思いこんでいる、少年Aの父親および野口弁護士に対して、『神戸事件を読む』を著した熊谷英彦氏は、以下のように同書の中で、真犯人=少年A説を明確に否定しているのです。

つまり、少年が「帰れ、ブタ野郎」と怒鳴った真の相手は、両親ではなく取調官だったのだ。
(略)
それにしても許せないのは、警察・検察が、その少年をして、両親がわが目を疑うほどに「豹変」させたという事実である。いかに警察・検察のやり方がむごかったか、それを如実に物語ってはいないだろうか。ひとりの少年の精神をそこまでぼろぼろにしたという意味で、警察・検察の残忍非道ぶりは、まさに酒鬼薔薇そのものといえるかもしれない。
『神戸事件を読む』 p.237~238

ここで私が危惧しているのは、社会の木鐸としてのジャーナリズムが取るべき姿勢を、とうの昔に放棄した日本の大手マスコミしか目にしていない人たちは、いきなり上記の熊谷氏の真犯人説の個所だけを読む形になるため、熊谷氏の説を余りにもバカげた説として捉えるのではないかという点です。熊谷氏の主張する、警察内部にいる人間=真犯人説を、支離滅裂な説であると感じた方は、取り敢えずは熊谷氏の『神戸事件を読む』に目を通し、自身の目の曇りに気づき、その上で真実を真っ向から見つめる勇気を持って欲しいと切に思います。先の第二次世界大戦中、大本営発表を繰り返すことで国民に嘘八百を並べ立て、国民を戦地に追いやった朝日新聞やNHKなどが、今日に至っては、そのような過去など無かったかの如く振る舞っています。そうした大手マスコミの厚顔無恥な態度に呆れているのは、何も私だけではないでしょう。熊谷氏は、さらに以下のように述べています。

いま少年は医療少年院で更正が図られているというが、真に更正されるべきは、あるいは日本社会そのものといえるかもしれない

まさに至言です。少年Aと年齢も近い小学6年生の父親として、少年Aの将来を憂いると同時に、1人の少年の人格を踏みにじり、絶望のどん底に突き落とした警察・検察の残忍非道ぶりに、言いようのない憤りを感じます。それをキチンと報道しなかった大手マスコミに対しては尚更です。とまれ、堕落した日本の大手のマスコミの実態を知らしめることが、ある意味で本ブログの使命の一つとすべきなのかもしれません。未だに、大本営発表を垂れ流す体質から抜け出せないでいる現在のNHKや朝日新聞、そうした大手マスコミの愚行のために、いつか来た道に引き戻され、私たちの子どもが戦地に送られる日が、再び来ないとも限らないのです。

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コメント

『神戸事件を読む』の著者である熊谷さんから丁寧なメールをいただきました。ご本人の承諾を得た上で、以下に転載致します。


サムライ 様

メールありがとうございます。
また、私の文意をよく汲み取っていただき、感謝いたします。
あの本では、奥付にアドレスを載せたお陰で、多くの方々からメールをいただきました。
読後感は、まさに百人百様で、いまさらながら、さまざまな考えの方がおられるのを痛感いたしました。
と同時に、自分の筆力の至らなさも、あらためて思い知った次第です。
なかなか自分の考えを正確に人さまに伝えるのは難しいものです。
たとえば、真犯人のくだりなどは多くの読者に誤解を与えたようです。
実際問題、インサイダーでもない限り、どこまで情報を精査しても、しょせん推測の域を出ません。
しかし、それでも真犯人の可能性については言及すべきだと判断しました。
私の知人などでも、少年は冤罪だというと、じゃあ犯人はだれなの? と必ず訊き返してきます。
神戸事件を考えるうえで、避けては通れない問題だからです。
しかも神戸事件の場合、真犯人を考えることが事件の本質を問うことにもつながると私は思うからです。
あの事件を契機に、日本の社会はみるみるうちに変貌を遂げてしまいました。
まるでグリコ・森永事件を契機に、日本全土が(事件を象徴するかのような)バブルの狂乱に見舞われたように。

今回は、神戸事件そのままに、強者が弱者を踏みつけにしても、それが平然と許される社会になってしまいました。

じつに憂うべきことです。
でも、そうなってしまった責任の一端は、間違いなく私たちにもあるはずです
たとえ微力でも、言うべきときには言い、行動すべきときには行動しないと、いつまでたっても何も変わりません。

そうした意味でも、今回のブログの開設には敬意を表します。
充実したブログになるといいですね。

熊谷 拝

投稿: サムライ | 2005年6月18日 (土) 午前 05時04分

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