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2005年6月22日 (水)

『内臓が生みだす心』

b050621 読書の楽しみの一つに、今までに知らなかった未知の世界を知るというものがあります。しかし、それも程度によりけりで、今回皆様に紹介する『内臓が生みだす心』は、私が長年かけて築いてきた生命観を、根底から覆されたほどの衝撃を受けた本でした。残念ながら同書はすでに絶版ですが、2年ほど前に同書について某ウェブ誌に寄稿したことがありますので、ご参考までに以下に転載させていただきます。なお、著者の西原克成博士の対談記事が、『ニューリーダー』という雑誌に今春掲載されたので、別に立ち上げているホームページに近くアップする予定です。アップしましたら皆様にご案内します。

新しい生命観のすすめ
 『精神と物質』(立花隆・利根川進共著 文春文庫)という本がある。1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進博士を相手に、科学評論家の立花隆が一連のインタビューを試みた本だ。10年前に入手にした同著を最近久しぶりに紐解いたところ、分子生物学分野の専門用語等に引いた多くの赤線や青線、さらには各ページの余白に書いた様々なコメントが目に入り、苦労しながら通読した10年前のことを懐かしく思い出した。その『精神と物質』には以下のようなことが書かれている。

  立花隆:人間の精神現象なんかも含めて、生命現象は
  すべて物質レベルで説明がつけられるということにな
  りますか。
  利根川進:そうだと思いますね。もちろんいまはでき
  ないけど、いずれできるようになると思いますよ。脳
  の中でどういう物質とどういう物質がインタラクト(
  相互作用)して、どういう現象が起きるのかというこ
  とが微細にわかるようになり、DNAレベル、細胞レ
  ベル、細胞の小集団レベルというふうに展開していく
  現象のヒエラルキーの総体がわかってきたら、たとえ
  ば、人間が考えるということとか、エモーションなん
  かにしても、物質的に説明できるようになると思いま
  すね。
    『精神と物質』(立花隆・利根川進共著庫)p.322

 文面から明らかなように、人間の心・感情・思考といったものは、物質として説明出来るようになると利根川博士は考えているようだ。その後の利根川博士は脳研究の道に進んでいるが、そのあたりの経緯については『私の脳科学講義』(利根川進著 岩波書店)に詳しい。『私の脳科学講義』(p.39)の中で利根川博士は、「人間はまさに考える葦です。人間においてもっとも進化した心の現象の基盤をなしている脳のはたらきを解明することが、すなわち人間が何者であるかを知ることにつながるわけです」と述べており、この発言から心は脳から生じると利根川博士が考えていることが一目瞭然である。無論、筆者も心は脳から生じるものと信じていた一人であった。一ヶ月ほど前に、『内臓が生みだす心』(西原克成著 NHK出版)という本を手にするまでは。

『内臓が生みだす心』を手にした時の筆者の受けた衝撃は大きかった。筆者が長年築き上げてきた生命観がガラガラと崩れ落ち、改めて新しい生命観を立て直す必要に迫られたのである。このように、己れの物の見方・考え方を根底から揺さぶられたのは、民間の一歴史研究家であった故鹿島昇氏の一連の著作に接して以来のことであり、実に数年ぶりのことになった。早速、筆者が『内臓が生みだす心』から受けた衝撃について以下に述べていこう。

■ 心は本当に脳から発生するのか
『内臓が生みだす心』の著者・西原克成博士は、同書の冒頭で『記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記』(クレア・シルビアとウィリアム・ノヴァック著 角川書店)という本を紹介している。以下に同書から転載した『記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記』の第一章に目を通していただきたい。驚愕する読者が多いはずだ。

   間もなくわたしは、自分が受け取ったものが、たん
  なる体の新しい部品ではないと感じるようになった。
  移植された心臓と肺が、それ自体の意識と記憶を伴っ
  てわたしの体内におさまっているのではないかという
  気がしてきたのだ。ドナーである若者の魂と個性の一
  部が、わたしの体の中で生きつづけている証しとなる
  ような夢を見、自分自身の変化を感じるようになった。
       『記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記』

 心肺同時移植で心が変わったという内容の本なのだが、一見オカルト本の類かと誤解されかねない本である。無理もない。人間の持つ心・感情・思考といったものは、すべて脳から生じるというのが世の中の“常識”になっているからだ。ところが、「脳は単なるコンピュータに過ぎず、心を生みだすのは心肺を含めた内臓である」と喝破したのが西原博士であった。西原博士は自著『内臓が生みだす心』の中で以下のように述べている。

   ラットの脳にサメの脳を移植しても、ヒトの大人の
  脳にヒトの胎児の脳細胞を移植しても、脳細胞は単な
  るトランジスターのごとくに電極として電流を配電す
  るだけです。したがって脳細胞を移植しても人格や心
  に何事も変化が起こりません。一方、内臓を移植する
  と心まで替わってしまう事実が、心のありかが内臓に
  あることを物語っています。
              『内臓が生みだす心』P.27

 西原博士の「脳細胞は単なるトランジスター」という発言を目にして驚いた読者が多いと思うが、これは西原博士をはじめとする複数の研究者によって既に実験済みのことなのである。たとえば、この分野で有名な研究を挙げるとすれば、フランスのル・ドワランがウズラとヒヨコとの交換移植で誕生させたキメラがある。このキメラはウズラの脳や羽を持つヒヨコなのだが、鳴き声はニワトリであり、行動様式もニワトリそのものであったという。同様の実験は西原博士も行っており、西原博士の場合はメクラウナギとサメの脳をイモリやラットに移植している。そして、西原博士によれば、脳を移植されたイモリとラットの行動様式に何ら変化が認められず、さらに平然と五ヶ月も六ヶ月も普通に生きていたそうである。

■ 内臓が生みだす心
 次に、心は内臓から生まれるという西原説の根拠に筆を進めることになるが、心が内臓から生じるという西原説を詳細に紹介するとなると、とてもではないが本稿では紙幅が足りない。よって、西原説を理解するための鍵となるキーワードの幾つかを羅列するに止めたい。さらに西原説について知りたくなった読者は、西原博士の著作群に目を通していただければ幸甚である。西原博士の著作群については以下のサイトが参考になる。

http://www.nishihara-world.jp/books/index.html

1.進化の原動力は重力である…生物の進化は突然変異と自然淘汰とによると主張するダーウィンの進化論も、今や風前の灯といった感がある。西原博士の凄いところは、脊椎動物の内臓や骨格に重力が及ぼす影響に着眼した点であり、さらに重力が生物の進化に大きな役割を演じていることを突き止めた点であった。そして、世界で初めて人口歯根と人工骨髄の開発に成功することにより、重力進化論の正しさを西原博士は見事に証明してみせたのである。ここで、どうして人口歯根と人工骨髄の開発が重力進化論の証明となるのかと訝る読者もおられると思うので、やや専門的になるが以下に西原博士の発言を引用しておこう。

   脊椎動物の進化が、重力作用に対する生命体の対応
  力で力学刺激を中心として起こっていることを発見し
  たのです。たしかに、本来腸管で行う造血という仕事
  が骨髄腔に移るのは、脊椎動物の進化の第二革命の上
  陸劇のときで、哺乳類型の歯根膜(歯の周りにある靱
  帯関節で、このクッションで咬み砕くことが可能にな
  る)のある歯(釘植歯という)が発生するのは第三革
  命の哺乳類の誕生のときです。ともに進化のエポック
  でのみ発生する生体の組織と仕組みが、生体力学刺激
  というエネルギーで出来ることを発見したのです。
              『内臓が生みだす心』p.38

尚、重力進化学と並行して、ヒトの本当の祖先は原始脊椎動物の軟骨魚類のネコザメであったことを発見し、併せて脊椎動物の三つの謎も西原博士が明らかにしたことを付言しておこう。ちなみに、脊椎動物の三つの謎とは、「進化がどうして起こるのか」・「免疫の仕組みはどうなっているのか」・「腸の内臓の造血の仕組みが、高等動物だけに限ってどうして骨髄腔という体壁系に移るのか」の三つを言う。換言すれば、脊椎動物の三つの謎が解けたことの意味するところは、これまでに難病と言われて治療法がまったく分からなかった免疫系の疾患も、根治的に治癒させる手法が編み出せるということに他ならない。

2.腸管は生命の源である…どうして腸管が生命の源なのかと言えば、腸から酸素と栄養とを吸収することによって生物は生命を維持しているからであり、吸収できなくなった途端に絶命することから、腸管こそが生命の根幹と断言できるのである。そして、この腸による吸収能力こそが新陳代謝(リモデリング)能力に他ならず、この新陳代謝の能力の差が個人の欲求の差・個性の差となって表れるのである。換言すれば、腸の持つ消化・吸収能力が個人の五感の源、すなわち心となって表れるのであり、『記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記』の筆者であるクレア・シルビアが、「移植された心臓と肺が、それ自体の意識と記憶を伴ってわたしの体内におさまっているのではないかという気がしてきた」と感じた所以である。

3.心は質量のないエネルギーである…五感とは、文字通り目・耳・舌・鼻・皮膚による感覚のことであり、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚を指している。ここで注目すべきなのは、鼻の嗅覚と舌の味覚以外の目の視覚、耳の聴覚、皮膚の触覚は、「質量のないエネルギー」を感じ取っているという点である。たとえば、光という質量のないエネルギーが目に飛び込むことによって、ヒトは目の前に広がるアルプス山脈を見ることが出来、音という質量のないエネルギーが耳に飛び込むことによって、ヒトは雪解け水が流れる小川のせせらぎや山鳥の鳴き声を聞くことが出来、寒風という質量のないエネルギーが皮膚に突き刺すことによって、ヒトは高山における身も凍るような低温を感じ取ることが出来るのである。思うに、この世が質量のある物質だけで成立しているという一九世紀の唯物思想は、ヒトには嗅覚と味覚があるのみで、視覚・聴覚・触覚が無いと断言しているようなもので、明らかな間違いだったのである。

 さらに付言するとすれば、西原博士が分子生物学に対して成した最大の貢献は、二〇世紀科学の最大の成果である「エネルギー保存の法則」を分子生物学に導入した点であったといえよう。「エネルギー保存の法則」の重要性については、少々長くなるが西原博士自らの言葉で語って頂く方がよさそうである。

   本書(『内臓が生みだす心』)を書くのは大変難し
  いことでした。まず「エネルギー保存の法則」を完璧
  に身体で体得しないと、「心」が生命エネルギーであ
  ることがわからないからです。これには、アインシュ
  タインの相対性理論をエネルギー保存の法則にてらし
  て深く考え、矛盾する点があればこれを正す必要があ
  ります。また、一九一一年にカメルリン・オンネス
  (K. Onnes)によって発見された超伝導現象(超低温
  [-273℃]で電子が常温より二千万倍スピードアップ
  する)と、ハーバード大学でこの三年間に行った超低
  温(絶対温度付近)における光速の実験データ(-273
  ℃で17m/sec、-273.13℃で0m/sec)の事実をエネルギ
  ー保存のもとに統一的に理解することが必要なのです。
  光速は不変ではないのです。

  -(中略)-

   超低温でエレクトロン(電子)が早く走り光がゆっ
  くりになるということは、常温の時間が超低温で二千
  万倍に伸びるのです。これこそが光を仲立ちとして、
  空間と時間が相対的関係にあるという相対性理論の神
  髄です。光も時間も空間もエネルギーなのです。

   人工骨髄と人口歯根のハイブリッドシステムによる
  開発で、重力エネルギーに基づく流動電位というエネ
  ルギーによって、人工器官を移植した動物の細胞遺伝
  子を発現し、骨髄造血細胞や骨芽細胞、セメント芽細
  胞や線維芽細胞をセラミクス周辺に誘導することに成
  功しました。その結果、脊椎動物の進化が重力エネル
  ギーで起こっていることを発見して、重力とは何かを
  解明した成果が、三つの謎の解明と、相対性理論の真
  正解釈です。これは生命現象が水溶性コロイドの有機
  体における電気現象であることを明らかにした賜です。

   光というエネルギーを仲立ちとして空間と時間が相
  対的関係にあるというのが真正相対性理論で、空間も
  時間もエネルギーということになります。光速も温熱
  エネルギーで変動します。光速と時間を掛け合わせる
  と常に一定になります。これがその場(エネルギー状
  態)における空間の大きさで、常に一定です。エネル
  ギー保存の法則のゆえんです。

   ただし重力エネルギーは、ニュートンの示したごと
  く、質量のある物質にそなわった本性ですから、質量
  のある物質のみ作用し、光や空間や時間には一切作用
  しません。これを混同したために二〇世紀は、何もか
  もはちゃめちゃになってしまったのです。このことさ
  えわかれば、生命科学と医学の謎の「心」や「精神・
  思考」や免疫病は、わけなく解明されます。エネルギ
  ーとエネルギー代謝によって「心」や「精神」が支え
  られ、その変調によって免疫病が発症しているからで
  す。医学は、どんなに御託をならべても治せなければ
  意味ないのです。

   今日のわが国の医学は、十九世紀のウィーン学派の
  スコダの唱えた診断学的虚無主義の時代に近い状態で
  す。スコダは医学では患者の生命よりも診断学のほう
  が大切であるとして、剖検で病理診断を競ったために
  当時強く批判されたものでした。

   エネルギーとその代謝を制御し、エネルギー摂取の
  誤りを正せば容易に難病は治せます。生命が宇宙空間
  における水溶性コロイドの電気現象だからです。した
  がって心も気功も電磁波としてカメラで光でとらえら
  れます。二一世紀の新しい生命哲学の樹立は、まさに
  日本人の手の中にあるのです。
              『内臓が生みだす心』p.233

■ コペルニクスと西原克成博士
ポーランドの天文学者であったコペルニクスが、1543年に『天球の回転について』を著し、キリスト教を基盤とした宇宙観であった天動説を覆す元となった地動説を提唱したことはよく知られている。その意味で、西原博士は現代のコペルニクスなのかもしれない。尤も、コペルニクスが地動説を唱えた以降でも、地球の運動が実感されないといった理由から、なかなか地動説を受け容れてもらえない時代が続いた。ニュートンの出現で数学的・力学的に地動説が証明されるまで、実に約150年も待たなければならなかったのである。コペルニクスの時のように、西原説が世の中の常識となるまで、百年単位もの時間がかかることのないように祈りたい。

出典:世界の海援隊 http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/

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