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2005年6月15日 (水)

『教育の原点を考える』

b050615本ブログを立ち上げた動機は、昨日取り上げた『伸びる子どものお父さん』だけではありません。実は、もう1冊、きっかけとなった本があるのです。それは、今から23年前に発売された本であり、書名もそのものズバリ『教育の原点を考える』という本です。この本は、早川聖、松崎弘文、藤原肇の三氏による対談本ですが、同書の「まえがき」を以下に転載しておきますので、一読してみると得るものがあるかもしれません。とても23年前に書かれた本とは思えないほど今日的な内容であり、昨今の日本の抱える教育問題をズバリ指摘しているだけでなく、その処方箋も示した本であると気づくと思います。

残念ながら、同書はすでに絶版であり、オンラインの古本屋さんでも手に入れることはできません。しかし、筆者の一人である藤原肇氏に打診したところ、幸いなことに同書の電子化を快く承諾していただきました。現在、数名の有志と精力的に同書の電子化を進めており、第1章の「生き残るための教育問題」はすでに完成し、別に立ち上げているホームページにアップロードしてあります。以下の「まえがき」を読み、何か一つで心の琴線に触れるものがありましたら、是非以下のサイトを訪問し、第1章にも目を通してみてください。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/edu/edu.htm

『教育の原点を 考える』 まえがき

 現代の日本では、教育の荒廃ということが一種の共通認識になっていて、自分の子供だけでなく次の世代全体のためにも何とかしなければいけない、という気持を、多くの人たちに抱かせている。自己成長のプロセスとしての教育システムに対して、強い関心を持つ日本人の多くにとっては、教育界の現状は誇りの気持よりは危慎の念を感じさせる場合の方が多い。それは未来を期待して描くイメージに対して、現実が余りにも悲惨だからである。

 毎日の生活を通じて輝かしい未来を手に入れるためには、豊かなイマジネーションだけではなく、現実が期待を寄せるに値するだけの進歩性を持ち合せている必要がある。そして、崇高な理想をかかげ、長期的な展望の下に努力をすれば、ある日、目標にたどりつけるのだという希望を内包していなければならない。

 しかし、現実は暗く重い。多くの若者たちが毎日を暗記の詰めこみや補習による肉体労働で消耗し、うるわしい青春時代にものごとを批判したり、独創力を最大限に発揮する機会を手にすることも少ない。その上、人間の精神にとって最も価値のある、あの懐疑したり判断する能力を眠らせた状態で、制度としての教育過程を通り過ぎていくのである。

 考え方を学ぶよりも結果を覚えこむという、後進国型の技術主義にガンジガラメになっていることが、自由な個人に育つべき若者たちの精神を窒息させているのだが、日本という枠組の中から見ている限り、突破口はおそらくみつからないだろう。閉された世界で絶対的な威力を持って君臨する価値観に対して叛逆するのは、なみ大低のことではないのだ。だが、その枠を乗りこえて一歩外の世界に踏み出したとたん、このロジカルな価値の基準はその意味を全く失ってしまうことが多い。そのいい例が受験地獄である。日本全体を狂気に追いやり、若者の青春を灰色に塗りこめている画一的な受験競争は、実体の核心に気づくやいなや、たちどころにその意味を失ってしまう。受験地獄の実体は大学に入れないことではなく、志望する有名校に入るのが難しいだけであり、狂躁曲に踊る姿が哀れだというだけにすぎないのだ。その有名校が自分の人生にとって、果してどれだけ本質的であり、生きざまの充実にどこまで意味を持つかを考えたことが無いか、あるいは、その無関係さに気づいていないだけのことである。

 そうであれば、有名校や大会社という評判は、世界のレベルでは単に日本国内というローカルな名声にすぎず、そこに気づくことで人生は一転してしまう。しかも、問題は所属する組織の名前や肩書きではない。世界に通用する普遍的な価値基準は、個人としての今のパーフォーマソスと将来に向けてのポテソシアルであり、すべてが人間としての生きざまと魅力にかかわっているのだ。その上、世界の次元では、まったく新しい文明時代が始まろうとしているのであり、新時代にふさわしい人材に成長することが、最優先の人生の課題になるのである。

 しかし、現実の日本では百年一日のごとき価値観がまかり通り、縦型の序列の中に多くの日本人が埋没し、明日になれば有効性を失うものを手に人れよう、とすり減っている。そして、一連の権力者たちが、すでに今日において無価値になっている遺物を、明日の日本を背負うはずの世代に押しつけようとし、変化を抑えつけるべく必死になっている。実は変化すること自体が、生命力を持つ秩序の姿だ、ということさえも分らないのである。

 部分は全体を考えることによって初めて把握できる、ということからして、そういった問題点を浮きぼりにするためにも、歴史的な流れの中で位置づけをしてみることが必要である。

 そこで話題のおもむくままのブレーンストーミソグを行ってみたが、読者は果してどのような印象と批判の心を持つであろうか。われわれとしては、より希望に満ちた社会における教育と自己発展のプロセスは、自由な思想と自立の精神を持つ人格としての個人を作りあげるところに、最大の意義があると確信している。それを明白に意識するのとしないのとでは、同じ人間であっても自信を持った意欲的な人生と、常に自分の生活全域を他人によって動かされる、主体性に欠けた生涯の差になり、まったく異る実存と生きざまをもたらせるに違いない。

 一九八二年の時点で、現在の日本をこんな視点で把えている人間がいたのだ、という証言として、本書はそれなりの存在理由を持つが、この本との出会いを通じて、次の世代の中から自分の人生航路を考える上でのヒントを掴みだし、たとえ苦難の中でも気品のある生きざまを貫く人が一人でも現われてくれるなら、こんな嬉しいことはない。

 太平洋の彼方のロッキー山脈の山裾から、はるか祖国の将来を思いつつ、愛をこめたメッセージとして、この本を送り出すことにしたい。

1982年12月16日
鼎談進行担当  藤原肇

同書との出会いにより、自分自身は「苦難の中でも気品のある生きざまを貫く」人生を歩んできた、と言い切れるだけの自信は無いものの、自分なりに精一杯今までの人生を生き、あっという間に過ぎ去った月日でした。そうした私の人生体験を、自分の子どもをはじめ、周囲の多くの若者たちに伝えたい…、これが本ブログを開設したもう一つの理由だったのです。

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