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2005年6月

2005年6月30日 (木)

翻訳という職業に明日はない?

2日前の27日夕方、IBDのI社長と久しぶりにお会いした際、特許翻訳を含めた翻訳業界の将来について話題になりました。まず、Trados(トラドス。翻訳業界では代表的な翻訳支援ツール。一種の翻訳ソフト)に代表されるIT分野の翻訳については、翻訳者は不要になり、翻訳支援ツールで大方済んでしまうだろうという点で意見の一致を見ました。次に契約英語ですが、I社長は長年にわたり国際契約のデータベース化に取り組み、さらにはDraftsmanⅡという国際契約書の作成用翻訳ツールを開発し、販売しているという体験を踏まえ、ビジネス文書、殊に国際契約書は翻訳支援ツールで大体間に合うという時代が遠からず到来すると予測されています。そして、私の先輩の弁理士Sさんが、特許翻訳の将来性について悲観的な見解を示しているという点についても話題になりました。特許英語の翻訳について、どうして弁理士S氏が悲観的な見通しを立てているかと言えば、10~20年の後には翻訳ソフトに取って代わられるだろうと予測しているからなのです。S氏は都内にS事務所を構えている他、北京にも駐在事務所を開設しており、4名ほどのスタッフを抱えています。そして3年ほど前から、中国人のスタッフに中国語で特許出願用の書類を書かせ、それを翻訳ソフトで日本語に粗翻訳し、その粗訳を日本人のスタッフが校正すれば、特許出願費用が低く抑えられると目論んだのです。しかし、結局中日翻訳ソフトか使い物にならず、そのプロジェクトは撤退する方向で現在は動いているとのことでした。ただ、あくまでも現時点における中日翻訳ソフトが使い物にならないというだけの話であり、これが10~20年後も中日翻訳ソフトが依然として使い物にならないとは考えられない、そこそこは実用に耐えるものになるとS氏は予測しています。この点で、IBDのI社長も同意見でした。

翻訳関係の本や雑誌を読むと、(実力のある)特許翻訳者はひっぱりだこであるとしか書いていません。確かに、現時点に限れば本や雑誌に書かれていることは正しいのですが、将来的には特許翻訳者と言えども、必ずしもバラ色の未来ではないということを記憶に留めておくべきでしょう。私の場合、子どもたちが巣立つまであと最低13年は、現役の翻訳者として頑張らなくてはならないことから、このまま翻訳者を続けて良いものかどうか悩むことが時折あります。時には、このまま翻訳者を続けるよりは、翻訳関連のビジネスなどの事業に切り替えた方が良いかなと思う今日この頃です。

ところで、特許翻訳を通信講座で受講中という私に対して、S氏は以下のようなアドバイスをしてくれました。他の特許英語の翻訳を希望している方にも参考になればということで、以下にS弁理士の言葉を列記しておきます。

●単に翻訳するだけでは足りず、世界各国の特許法と条約の概要学習する必要がある。
●他の分野の翻訳と特許翻訳が際立って異なる点は「クレーム」にあり、特許権の範囲を決める最も重要な部分であると同時に、異常に長い文章であるので、慣れることが肝心である。

現在考えていることは、本・雑誌等の出版翻訳、映画などの映像翻訳など、当面は翻訳ソフトが使えない分野を中心に、現在の翻訳力、より正確には日本語力を磨くことに専念し、同時にCTなどを導入するとにより、産業翻訳のスピードと品質をアップさせていくことを考えています。さらには、特許など新たな分野も開拓していけば、あと10年くらいは現役の翻訳者でやっていけるのではと思います。

なお、翻訳ビジネスについて関心のある方は、私が作成したホームページの以下のURLを参照願います。翻訳ビジネスについて、独特のビジネスモデルをお持ちの方、一緒に事業の夢を語り合いましょう。ご連絡ください。
http://dappan.hp.infoseek.co.jp/dojo/profile/business.htm

翻訳管理スタッフ募集契約書の翻訳経験があり、外注翻訳者の翻訳をチェックできる人を求めます。

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2005年6月29日 (水)

『虚数の情緒』

b050629 太田明氏の『百人一首の魔方陣』を取り上げたので、今朝は『虚数の情緒 中学生からの全方位独学法』(吉田武著 東海大学出版会)も取り上げておきたいと思います。私はアマゾン・ドットコムにおいて、『虚数の情緒』についての書評を行ったことがあります。

きたる情報化社会の必読書

『虚数の情緒』の副題が「中学生からの全方位独学法」となっていることから、中学生向けの数学の参考書かと勘違いされかねない本である。しかし、中身を紐解いてみると、単なる中学生・高校生向けの数学の参考書の域を遙かに超えており、これからの情報化社会を生き抜くにあたって、必要不可欠なインテリジェンスを兼ね備えた百科全書派を目ざしてもらうべく、若い人たちに一読を勧めたくなるような本であることが分かる。このあたりは、吉田氏自身が自著のはしがきで「本書は人類文化の全体的把握を目指した科目分野に拘らない"独習書"である」と述べていることからも、本書が単なる数学の参考書ではないことが明らかだ。これからの情報化社会という新時代を生き抜いていくだけの、逞しい人間に成長していって欲しいと子供に願う読者は、我が子に本書をプレゼントしては如何だろうか。

無論、本書は現役の国際ビジネスで活躍されている読者にも有益な本になると思う。また、学生時代は数学か苦手だったという読者も、数学に対する苦手意識から抜け出すのに本書は格好の書となるかもしれない。ただ、何分にも本書は千ページにもなる分厚い本であり、満員の通勤電車の中で読むには躊躇するような、広辞苑なみのサイズと重さである。仕事のない休日に、のんびりと自宅で紐解くべき類の本なのかもしれない。

アマゾン・ドットコムでは、私以外にも25人の読者が『虚数の情緒』にコメントを寄せていて、コメントの内容も千差万別ですので関心のある方は目を通してみると良いと思います。印象としては、一部に例外があるものの、数学の専門家は概して『虚数の情緒』に批判的であり、私を含め、数学の素人は一般に『虚数の情緒』に対して好意的なコメントを寄せていると言えるかもしれません。

アマゾン・ドットコムの25名の方々のコメントを読んだ後も、『虚数の情緒』を子どもたちに進学のお祝いとして、プレゼントしたいという気持ちに変わりはないものの、同書はあくまでも足がかりであり、それから発展して個々の分野で先達が遺してくれた優れた書籍・論文などに取り組んでいって欲しいと願っています。某識者が、「数学が分からないのは人間ではない」と発言したことがありますが、この発言部分だけを取り上げれば、暴論だ!…という喧しい批判が外野から飛んできそうです。ともあれ、「数学が分からないのは人間ではない」という根拠について、折に触れ述べていくことが必要なのかもしれません。

ところで、筆者が『虚数の情緒』を評価している理由の一つは、黄金比およびフィボナッチ数列について、さわり程度ではあるものの、真面目に言及している点です。

最初に、黄金比については、IBDのウェブ機関誌『世界の海援隊』に発表した「幾何学のすすめ」と題する寄稿に、私は以下のように書いたことがあります。

このように、黄金の三角形が秘めている神秘的な力に魅せられたが故に、エジプト人は黄金分割を秘伝中の秘伝扱いにしたのだろうし、それを受けついだピタゴラス教団の人びとも、秘伝を外部にもらさないように秘密結社の形で秘伝を大事に守ってきたのであり、その伝統が今日のフリーメーソンにも引き継がれているのだと筆者は思う。かように、数学や芸術哲学は無論のこと、鉱物学、金属学、医学、心理学など、幅広い知の全領域に思考が及ぶ百科全書派の人間だけが真に習得することの出来る、人類至高の智慧こそが黄金比に他ならないのである。ここに、古代エジプト人の「黄金比の中に宇宙の秩序が有る」という信仰にも似た確信に、筆者も同意する所以である。

続いて、フィボナッチ数列については、やはり上記IBDのウェブ機関誌『世界の海援隊』に発表した「メタサイエンスのすすめ」と題する寄稿に、以下のように書いたことがあります。

フィボナッチ数列は、動物や植物の生長パターンだけではなく、株・金(ゴールド)相場など、人間の営みである経済活動からも見出すことができる。それを裏付けるように、フィボナッチ数列を謳い文句に相場で儲けようと盛んに宣伝しているサイトが多い。しかし、そうしたサイトの大半は、フィボナッチ数列を餌に一儲けしようとする山師たちが見よう見まねで予想屋的な商売をしているだけに過ぎないようだ。フィボナッチ数列とは、単に金儲けに使うようなケチなものではなく、秘伝の部類に属するものである。現在の日本はモラルも倫理も劣る人間で支配されていることから、そうした連中にフィボナッチ数列を公開することはタブーなのかもしれない。しかし、そうした危険性はあるものの、21世紀科学の方法論として絶大とも言える威力を持っているのがフィボナッチ数列であることも確かである。そして、日本もフィボナッチ数列に習熟していくことが、21世紀を生き延びるためにも不可欠になる。本稿に目を通した読者の中から、フィボナッチ数列、メタサイエンスに関心を抱いた読者が一人でも出現したとすれば、筆者冥利に尽きるというものだ。

黄金比、フィボナッチ数列、メタサイエンス等について、さらに深く追求してみたいという方には、『間脳幻想』(東興書院)および『宇宙巡礼』(東明社)を推薦します。

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2005年6月28日 (火)

『百人一首の魔方陣』

b050628 藤原定家が編集したという『小倉百人一首』は、日本人なら誰でも知っていますが、その百人一首が実は陰で魔方陣に結びつくという事実は、残念ながら殆ど知られていません。百人一首と魔方陣との繋がりを徹底的に解明した本の1冊に、太田明氏の『百人一首の魔方陣』があります。掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】に、太田氏自ら投稿しておられる貴重なスレッドがありますが、その中でも重要と思われる投稿を厳選し、以下に再掲してみました。以下のスレッドを読んだ上で、さらに太田氏の著した『百人一首の魔方陣』読み進めてもらいたいところですが、残念ながら太田氏の『百人一首の魔方陣』は絶版です。しかし、アマゾン・ドットコムなどで、古書として今でも入手可能ですので、入手したいという方はお試しください。
http://www.amazon.co.jp/

百人一首と言えば、下の子が小学校二年生の時、百人一首を素読させる時間を担任の先生が設けてくれたことがあります。和製版の古典素読といったところであり、今では担任の先生に感謝の気持ちで一杯です。

「百人一首の魔方陣」
1 名前: 太田 投稿日: 2004/11/27(土) 12:45 はじめまして。「百人一首の魔方陣」の作者の太田です。 ここで藤原さんがそのことで書き込みをされ、野田さんが、 百人一首が魔方陣になっているならそれは凄いことだ、と 思われていることを知って、ちょっと書き込んでみたくな りました。   本の序文にも書いていますが、「百人一首」と「魔方陣」という 言葉が結びつくと聞いただけで、それだけで拒絶反応を示す人が 大勢いることは私も重々承知しています。この二つの言葉はそれ ほど相容れないものです。 私も笑い者になるのは嫌ですから、曖昧な根拠だけではおそらく、 この本は書かなかったでしょう。 にもかかわらず、あえて書いたのは、それだけの根拠があったから ですが、それよりも私が読者に知ってほしかったのは、数学が和歌 の中に秘密のこととして定家のみならずそれ以前の歌人からずっと 引き継がれているのだ、ということです。 それが何を意味するのかを読者に考えて貰うためには、証明が絶対 に必要ですので、非常に読みにくい本になってはしまいましたが、 真剣に論証を追って下さった読者は、一様に驚かれています。 私も自分の書いたことすべてが正しいというつもりはありませんが、 それでも公開の議論に応じるだけの論証は出来たと考えています。 もしも私の主張が正しいなら、これまで情緒的側面からのみ捉えら れてきた和歌というものが、実はまったく違った論理的側面を備えており、 それが如何なる理由によるのか、秘匿されながら残し伝えられてき たということになります。 いうまでもなく、その意味するところは非常に大きなものがあり、 多くの智恵を結集して研究するだけの価値があるものです。 中でも特に、理学系の頭脳が必要です。  5 名前: jeek 投稿日: 2004/11/28(日) 22:39 太田様 はじめまして。 jeekと名乗らせていただきます。 私は、「百人一首の魔方陣」が出た当初から注目して読んでおりまして、 今まで何回繰り返し読んだかわかりません。 大変面白い内容でした。 さて、私は、百人一首の魔方陣に代表される数学がいわゆる古今伝授の 奥義であったという意見には満足できません。 数学以上の何らかの意味や内容がこめられているような感じがするのです。 おそらくそれは神道の奥義に関係するかと思います。 もちろん、あの時代に、あれだけの数学があったということ自体が驚き な訳で、それももちろん重要ですが、太田さんの結論である、パイや黄 金比などの数学的な理論が奥義だったとは思えないのです。あえて言わ せてもらうならば、百人一首などにある数学的な構造は、神道の奥義へ の入り口なのではないかと思われるのです。 あと、これはあくまでも私の直感なのですが、和歌の根源が祝詞にある とすれば、古今伝授の根源も神道に求められるのではないでしょうか。 もちろん、太田さんの仮説も大変魅力的です。 (地球上の遺跡を結ぶ個所など) 本書の続編はまだかと首を長くして待っています。 以上、一読者の感想でした。 8 名前: 太田 投稿日: 2004/11/30(火) 14:13 5.> のjeekさんへ。 神道についてはまだ手を付けておりませんので、ご意見に対しては 肯定も否定もできません。ただ一つだけ言えることは、後陽成天皇 の言葉です。関が原の合戦において、細川幽斎が石田三成の軍勢に 包囲されたとき、後陽成天皇はわざわざ勅使を遣わして窮地に陥っ ていた幽斎を救いましたが、その理由として天皇は 「(古今伝授者としてただ一人生存している)幽斎が死ねば、神道の 奥義も、和歌の秘密も消えてしまい、本朝の掟は虚しくなってしまう」 と述べています。この言葉はjeekさんの言われていることを裏付け ています。 それにしても「神道の奥義」とはいったい何でしょうね。私ももの すごく興味があっていずれ調べてみたいと考えていますが、なにし ろ極端に情報の少ない世界ですから、そこに入り込むだけで一苦労 しそうです。 もしかしてjeekさんは、古今伝授と神道の関係を何か掴んでおられ るのでは? ところで『百人一首の魔方陣』ですが、私は、"動かしようのない事 実"を提示して、和歌は数学的構造を有している、ということを主張 しているだけです。 「あとがき」の数学的比率も別に結論としている訳ではありません。 『百人一首』を魔方陣に組み上げた目的は当然ある訳で、単なる遊 びであったとは思えません。 ということは、そのメッセージは何処かに隠されているはずで、 もっとも可能性の高いのはやはり、出来上がった魔方陣の中、では ないでしょうか。であれば、それは魔方陣を組む鍵、つまり定家が 「これらの歌仙を選んだ目的は自分の心の中に有る」とした歌仙の 中にこそ隠されているべきではないか、そう私には思えたのです。 歌仙の配置には特別な意味がありますので、それらを組み合わせた ところ自然に数学的比率が出てきた、ということです。 jeekさんの仰るように、数字はあくまでもその奥にある"何か"へ導 くための、いわば手引きをするための道具、だと私も考えています。

以上だが、上記の「百人一首の魔方陣」の投稿全てに目を通してみたいという訪問者は、以下をクリックして下さい。それにしても、藤原定家が『百人一首』に魔方陣を組み入れた本当の目的は何であったのか、興味は尽きないですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2491/1101527110/l100

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2005年6月27日 (月)

『Forbes』 ビル・ゲイツの予測は的中したか?

forbes0508 今月の22日に発売された日本語版『Forbes』8月号に、「ビル・ゲイツの予測は的中したか?」という記事が掲載されました。
http://dappan.hp.infoseek.co.jp/forbes/forbes050801.jpg

ちょうど10年前、マイクロソフトのビル・ゲイツが著した“The Road Ahead”(邦題:『ビル・ゲイツ未来を語る』)が発売されましたが、本の表紙は車が走っていない道路上に、ビル・ゲイツ本人が立っているという印象的な写真だったので、覚えている方も多いでしょう。ビル・ゲイツが同書を著してから10年、当たった予測もあれば外れた予測もあるという具合であり、あのビル・ゲイツですら予測が外れたのかと言えるのか、あのビル・ゲイツだから予測が外れたのだと言えるのか、そのあたりは皆さんの判断にお任せします。

ところで、ビル・ゲイツの予測は、あくまでも10年というタイム・スケールでの予測でしたが、これからさらに50年、100年というタイム・スケールで考えてみるとどうなるでしょうか。遠い未来を思い描くにあたり、皆さんに必ず役に立つと思われる“航海図”があります。以下をクリックしてみてください。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/petro/fig/fig14.jpg

この図は、「マクロメガの視点による重大事件年表」という図であり、出典は『地球発想の新時代』という本からです。今度の週末にでも図をじっくりと眺めてもらえれば、未来像に関して何らかのヒントが得られるかもしれません。私の場合、十八世紀中葉にイギリスで起こった産業革命が、その後の人類の行動・思考様式を劇的に変えたと説く、ピーター・ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)を脳裡に浮かべながら、それを現在起こりつつある情報革命に投影させるという形で、私なりの近未来像を描いています。そうすると面白いもので、産業革命は終焉をすでに迎え、今や次の情報革命が始まろうとしている夜明け前に私たちはいることが分かります。そして、次の情報革命も、現在の人類の行動・思考様式を、先の産業革命同様に、根底から変えてしまうパワーを秘めていることが想像できるのです。そうした未来像をある程度描くことができるからこそ、自分なりの新しい教育像を描き、本ブログに書き連ねることができるのかもしれません。情報化社会をどう生き抜くか、21世紀を生きる我々にとって、このテーマは考えてみるだけの価値はありそうです。機会があれば、折に触れ、様々な角度から取り上げたいテーマです。

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2005年6月26日 (日)

フルベッキ

m005 人材育成と言えば、幕末から明治にかけて活躍したお雇い外国人の一人、G・F・フルベッキを取り上げないわけにはいきません。私は、ある企業のウェブ誌に1年間にわたり、「近代日本とフルベッキ」と題して、フルベッキおよびフルベッキを取り巻く明治の志士たちを描いてきました。さらに、この1年間の間に「近代日本とフルベッキ」という臨時ホームページを公開してきましたが、今月号を以てウェブ誌への掲載が終了するのに伴い、来月の上旬に臨時ホームページも閉鎖の予定です。よって、日本近代化の父の一人であったフルベッキに関心のある方は、閉鎖する前に一度訪問していただけたら幸いです。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/ibd/

今月の最終号で、私は以下のように書いています。

フルベッキの遺志を継ぐ

 明治2年から明治10年にかけて、フルベッキが貢献した分野は何も上述の法律制度だけではない。法律制度以上に貢献したのが教育制度ではなかったかと思う。俗に日本の大学の源流は長崎にあると言われるようになった当時の長崎の致遠館などの私塾では自治の精神に溢れ、学問の自由を謳歌していたのであり、これが日本の近代化に大きく貢献したことは言を待たない。ただ、こうした自由な気風が後年の大学設立に生かされることなく、文部省という権力に屈したものに成り果てたのが現在の日本の教育制度であり、そのために日本社会の真の進歩が中途半端なものになってしまったのは返す返すも残念なことであった。現在の日本はバブル崩壊から久しく、かつ近い将来には嘗ての産業革命に匹敵する大きな社会的変革が日本はもとより世界を襲うのは確実であり、そうした新時代に相応しい人材育成に欠かせないのが自治の精神と学問の自由である。その意味で、人材育成という観点から教育のあり方を見直すことは、今日における緊急の課題であるといえよう。幸い、【宇宙巡礼】というホームページを管理している筆者の知人から、人材育成について深く考えさせてくれるという今や絶版となった『教育の原点を考える』(早川聖・他 亜紀書房)という本の筆者の了解を得て、同本を電子化して公開したという知らせが届いた。以下が『教育の原点を考える』のURLであるが、教育とは何も学校教育という問題だけではなく、広くは日本の将来をも左右しかねない大きな意味を持つものであるからして、一人でも多くの読者に目を通して頂き、教育の原点について考えるきっかけとなれば大変有り難く思う。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/edu/edu.htm

 とまれ、教育は正しく国の骨幹であり、微力ながら筆者も何らかの形で世の中に貢献できればと願っている。その意味で、近代日本の父・フルベッキの遺志を思い出し、明日の日本を背負う若者たちの踏み台になりたいと、心から願う今日この頃である。

http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/index.html#7

フルベッキについては、『日本のフルベッキ』(松浦玲監修・村瀬寿代訳編 洋学堂書店)や『明治維新とあるお雇い外国人 フルベッキの生涯』(大橋昭夫・平野日出雄共著 新人物往来社)がお薦めです。なお、W・E・グリフィスの著した『Verbeck of Japan』を翻訳した村瀬氏の講演会が、来月下旬に神戸大学で行われます。フルベッキその人に関心を持つ訪問者は、この機会に参加してみてはいかがでしょうか。

公演:「幕末期、日本人の西洋文化受容-長崎における新教宣教師、フルベッキを中心として-」村瀬寿代(桃山学院大学)
日時:2005年7月22日(金曜日) 午後1時30分~5時
場所:神戸大学国際協力研究科棟 1階 大会議室

その他詳細は、以下のURLを参照願います。
http://www.nime.ac.jp/jsmr/kenkyukai_kansai03.html

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
田植えを体験する子どもたち。

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2005年6月25日 (土)

兄と弟

m004 つい最近まで、ワイドショーを賑わしていた、若乃花・貴乃花兄弟の喧嘩騒動も峠を越したかと思ったら、今度は福岡で弟が兄を刺殺するという痛ましい事件が起きました。その点、拙宅の兄弟は実に仲がよいのですが、思うに、これは同居している祖母の存在が大きいと思います。昔ながらの祖母と毎日接する中で、2人の兄弟も目に見えぬ影響を祖母から受けているようです。息子たちのサッカーの統合コーチを務めるAコーチが、「お兄ちゃんは、昔の子どもがそうであったように、実に弟の面倒をよく見るなあ。昔の子どもたちが持つ素朴さが残っている」と感心したような話しぶりだったので、「それは自分の手柄では全くなく、2人の息子の祖母の影響が大きいのだと思う。祖母を通じて、昔の子どもたちが持っていた良さを、自然と身につけたのかもしれない」と答えています。 兄弟喧嘩と言えば、遠くは源頼朝と源義経兄弟の確執を思い出すが、今の日本で私が注目しているのは、若貴の醜い兄弟喧嘩ではなく、角川春樹と角川歴彦兄弟の喧嘩です。そのあたりは鹿砦社が5月に創刊した『紙の爆弾』に詳しいので参照願います。

15歳弟が兄刺殺 福岡

 二十三日午後三時すぎ、福岡市南区のマンションで、中学三年の弟(15)が専修学校三年の兄(17)を包丁で刺すなどして殺害した。マンションの住民が一一〇番通報。駆け付けた福岡県警南署員が、現場にいた弟を殺人の現行犯で逮捕した。
 調べでは、弟は自宅の部屋で兄を包丁(刃渡り一八・三センチ)で刺した。兄は同じ階の別の部屋に助けを求めたが、弟は追いかけて背中や腹など十数カ所を刺し、兄の体をその部屋の浴槽に投げ込んで殺害した疑い。
 兄はこの日、弟に「弁当を買ってこい」と命令。弟は買ってきた後、兄に殴られ、のこぎりで肩や頭を切られ軽傷を負った。兄は以前から弟に暴力をふるうなどしており、同署は兄弟げんかが原因とみて詳しい動機を調べる。
 南署員が現場に到着した際、弟は血まみれで包丁を持って立っており、「兄を刺した」と犯行を認めた。調べに対し「のこぎりで切られ、包丁で刺した」と話しているという。兄弟は、美容師の母親(46)と中学二年の妹(13)の四人暮らし。事件当時は兄弟、妹の三人が自宅にいた。
 弟の中学校によると、弟はまじめな性格で、学校を休むこともほとんどなかった。この日は学期末テストを受け、午後一時半ごろに帰宅した。兄の通う学校によると、兄も欠席は少なかったが、この日は「寝坊した」と電話で連絡し、休んでいたという。

■「思いがけない」
 十七歳の兄を刺殺した少年が通う福岡市南区の中学校では二十三日夜、校長が記者会見し「非常にまじめな生徒で友人関係も良好だった。思いがけないことが起きて驚きを隠せない」と語った。
 校長によると、弟は「敬語も使えて言葉遣いも丁寧で、あいさつもしっかりできた」という。四月から五月にかけて行われた三者面談で、弟は「得意な科目の理科を生かして工業高校に進みたい」と話していたという。
 校長は弟について「目立つタイプではないが、いじめや不登校などの問題もなく、学校生活に十分適応していた」と話した。また、刺殺された兄も同校に入学したが、中学一年の十一月に転校したという。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20050624/mng_____sya_____010.shtml

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
梅雨時の畦に咲く野の花。

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2005年6月24日 (金)

産業翻訳者とCT

書籍などの出版翻訳、企業文書・マニュアルなどの産業翻訳、映画の字幕などの映像翻訳など、翻訳という仕事には色々ありますが、ここでは、繰り返しの単語・語句・文章が多い、マニュアルあるいはマニュアルに類した原稿を主に翻訳する、産業翻訳という仕事に限定して一言述べてみます。産業翻訳者のイメージを一言で述べるとすれば、家の外で鶴嘴(つるはし)をふるって、肉体を扱き使う仕事に従事しているのが日雇い人夫とすれば、家の中で鶴嘴(つるはし)ならぬパソコンのキーボードを打ちまくって、肉体ならぬ頭脳を扱き使う仕事に従事しているのが、産業翻訳者という日雇い人夫だ、と書くと他の産業翻訳者から顰蹙(ひんしゅく)を買うでしょうか。

大昔は人海戦術によって土木工事を進めていたのが常でした。しかし、現在ではクレーンなどを現場に投入することで、アッという間に作業が完了します。実は翻訳の世界、殊に産業翻訳の世界でもかなり前から似たような現象が起こっているのです。それは、翻訳作業の効率を高めてくれる翻訳支援ツールなどの出現です。私の場合、6年前から、Trados(トラドス)、Transit(トランジット)Atlas(アトラス)、SuperHT3(スーパーエイチティースリー)などを体験してきました。(貝島良太さんの開発したSuperHT3は、厳密な意味での翻訳支援ツールではないかもしれません。その貝島さんとは過去に二度お会いしており、SuperHT3は優れた翻訳用のツールであるという印象が残っています)富士通のアトラスに至っては、実際に入手してパソコンにインストールしてあります(尤も、アトラスの場合は富士通から無料で提供されたものであり、また、翻訳作業用にではなく別に使用目的があったのですが、ここでは割愛します)。しかし、気が付いてみれば翻訳支援ツール無しで翻訳の仕事を開始して6年が過ぎていたということになります。それというのも、私の場合はアメリカの経済誌の記事、映画の台本、企業のホームページなど、翻訳支援ツールが使えない翻訳を中心に翻訳の仕事を請け負ってきたからでした。しかし、ここ1~2年というものの、翻訳支援ツールを使えそうな仕事が徐々にですが増えてきました。そこで、自分に合った翻訳支援ツールは無いものかと探していたのです。土木作業のように、翻訳という作業にも“クレーン”を投入すれば、翻訳作業が今までの何倍も早く進むはずだと私は考えたのです。換言すれば、パソコンの機能を上手く生かして翻訳作業の能率をアップするという、何か良い術がないかと今まで探してきたのでした。

そして、ついに行き当たったのがCT(Cooperative Translation)という翻訳ツールでした。CTについての詳細は以下のURLをクリックし、氏名・電子メールを入力して送信ボタンを押せば、「無料テキスト」を送信してくれますので、そちらを参照願います。産業翻訳の仕事のスピードだけではなく、品質も同時に向上させたいと考える産業翻訳者には、必ず参考になるはずです。
http://www.monjunet.ne.jp/CT/hop/

結局考えた末、CTを入手する決心をし、昨日オンラインで購入を申し込んでいます。産業翻訳の主流と言われているTrados、個性豊かな国産派のAtlas、ユニークな設計思想で造られた貝島さんのSuperHT3などは選択しませんでした。何故なら、自分の体験から、産業分野、殊にIT以外でも幅広い裾野を持つ産業分野のマニュアルあるいはマニュアルに類似した原稿の翻訳作業を行う場合、CTをマスターすることにより、翻訳のスピードと品質が共にアップするという確信を得たからです。尤も、CTは厳密な意味での翻訳支援ツールではないかもしれません。Tradosが主にITという名の大地を一気に均す大型ブルドーザーだとすれば、CTは山椒は小粒でもぴりりと辛いミニショベルなのです。

今後、CTをマスターし、実際に産業翻訳の仕事に活用していく道程を、折に触れて訪問者の皆様に報告していきたいと思います。また、正規に料金を支払ってユーザーになったのですから、実際に使ってみてのCTの良い点も悪い点も、遠慮なく皆様に報告していきますので、お楽しみに。

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2005年6月23日 (木)

『昭和の劇』

b050622 『昭和の劇』(太田出版)は、つい最近亡くなった映画脚本家・笠原和夫氏の著作です。

第1部 ひばり映画と時代劇
第2部 やくざ映画の時代
第3部 『仁義なき戦い』と実録路線
第4部 戦争映画と天皇
第5部 日本映画界の衰退

・MARCデータベースより
ヤクザ映画ファン必読! 「仁義なき戦い」などを手掛けた脚本家・笠原和夫の世界を解き明かす! 綿密なインタビューによって明かされたエピソードが満載。笠原作品から日本映画、東映映画の歴史を追う。

・BOOK著者紹介情報より
笠原 和夫
昭和2年(1927)5月8日、東京生まれ。新潟県長岡中学を卒業後、海軍特別幹部練習生となり、大竹海兵団に入団。復員後、様々な職につき、昭和29年(1954)、東映株式会社宣伝部に常勤嘱託として採用される。昭和33年(1958)、脚本家デビュー

以上ですが、これだけでは笠原和夫氏という、一人の映画脚本家が過去手掛けた映画についての本に過ぎないと思う人もいるかもしれません。しかし、同書に目を通していただくと分かりますが、私が今年目にした本の中では、今のところ最も印象に残る本になっています。ある意味では、今までの昭和史についての知識が“表の知識”だとすれば、“裏の知識”について書かれているのが『昭和の劇』なのです。それだけに、内容的に多くの人たちの目に触れる本ブログに書くのは憚れるような内容も数多くあり、そうした個所を本ブログには書くわけにはいきません。よって、“ソフトな内容”の部類に入ると思われる個所を2例のみ、同書から引用しておきましょう。

最初は、笠原氏が海軍と陸軍を比較しているくだりです。一般に、陸軍よりも海軍の方が自由で合理的だったと私たちは思いがちですが、実際はそうでもなかったようです。

笠原:まあ、僕は海軍が好きなんだけど、どちらかというと、陸軍の方が正当な人間が多かったんじゃないかと思うんだな。『昭和の劇』p.338

また、過日の「古典の素読」のコメントで夏目漱石を取り上げましたが、以下は漱石論です。
絓:ただ、日露戦争に反対した人間なんて堺利彦、幸徳秋水くらいなもんで、そんなにいませんよ。
荒井:例えば、そのあたり、夏目漱石はどう思ったの?
絓:いやあ、イケイケ、ですよ。ちゃんと詩を書いているからね、「従軍行」という。これは漱石が公に残した唯一の新体詩で、天子からもらった剣で露助の首をちょん切れ、みたいな詩ですよ。これは研究者は知っててもあまり言いませんけどね。そういうものを書くことによって彼は国民的作家になっていくわけなんだけど。『昭和の劇』p.428

アマゾンに載っている『昭和の劇』に対する書評にも、「上は天皇、下はヤクザ。右は血盟団、そして左は共産党。本書は、東映実録路線で一時代を築いた稀代の脚本家・笠原和夫がそのデビューから筆を折るまで、書き上げた全作品に関する証言録である」という形で『昭和の劇』を紹介している読者がいましたが、なかなか味のある紹介だったと思います。

以上、昭和史の裏を知りたいという訪問者に一読をお薦めします。

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2005年6月22日 (水)

『内臓が生みだす心』

b050621 読書の楽しみの一つに、今までに知らなかった未知の世界を知るというものがあります。しかし、それも程度によりけりで、今回皆様に紹介する『内臓が生みだす心』は、私が長年かけて築いてきた生命観を、根底から覆されたほどの衝撃を受けた本でした。残念ながら同書はすでに絶版ですが、2年ほど前に同書について某ウェブ誌に寄稿したことがありますので、ご参考までに以下に転載させていただきます。なお、著者の西原克成博士の対談記事が、『ニューリーダー』という雑誌に今春掲載されたので、別に立ち上げているホームページに近くアップする予定です。アップしましたら皆様にご案内します。

新しい生命観のすすめ
 『精神と物質』(立花隆・利根川進共著 文春文庫)という本がある。1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進博士を相手に、科学評論家の立花隆が一連のインタビューを試みた本だ。10年前に入手にした同著を最近久しぶりに紐解いたところ、分子生物学分野の専門用語等に引いた多くの赤線や青線、さらには各ページの余白に書いた様々なコメントが目に入り、苦労しながら通読した10年前のことを懐かしく思い出した。その『精神と物質』には以下のようなことが書かれている。

  立花隆:人間の精神現象なんかも含めて、生命現象は
  すべて物質レベルで説明がつけられるということにな
  りますか。
  利根川進:そうだと思いますね。もちろんいまはでき
  ないけど、いずれできるようになると思いますよ。脳
  の中でどういう物質とどういう物質がインタラクト(
  相互作用)して、どういう現象が起きるのかというこ
  とが微細にわかるようになり、DNAレベル、細胞レ
  ベル、細胞の小集団レベルというふうに展開していく
  現象のヒエラルキーの総体がわかってきたら、たとえ
  ば、人間が考えるということとか、エモーションなん
  かにしても、物質的に説明できるようになると思いま
  すね。
    『精神と物質』(立花隆・利根川進共著庫)p.322

 文面から明らかなように、人間の心・感情・思考といったものは、物質として説明出来るようになると利根川博士は考えているようだ。その後の利根川博士は脳研究の道に進んでいるが、そのあたりの経緯については『私の脳科学講義』(利根川進著 岩波書店)に詳しい。『私の脳科学講義』(p.39)の中で利根川博士は、「人間はまさに考える葦です。人間においてもっとも進化した心の現象の基盤をなしている脳のはたらきを解明することが、すなわち人間が何者であるかを知ることにつながるわけです」と述べており、この発言から心は脳から生じると利根川博士が考えていることが一目瞭然である。無論、筆者も心は脳から生じるものと信じていた一人であった。一ヶ月ほど前に、『内臓が生みだす心』(西原克成著 NHK出版)という本を手にするまでは。

『内臓が生みだす心』を手にした時の筆者の受けた衝撃は大きかった。筆者が長年築き上げてきた生命観がガラガラと崩れ落ち、改めて新しい生命観を立て直す必要に迫られたのである。このように、己れの物の見方・考え方を根底から揺さぶられたのは、民間の一歴史研究家であった故鹿島昇氏の一連の著作に接して以来のことであり、実に数年ぶりのことになった。早速、筆者が『内臓が生みだす心』から受けた衝撃について以下に述べていこう。

■ 心は本当に脳から発生するのか
『内臓が生みだす心』の著者・西原克成博士は、同書の冒頭で『記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記』(クレア・シルビアとウィリアム・ノヴァック著 角川書店)という本を紹介している。以下に同書から転載した『記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記』の第一章に目を通していただきたい。驚愕する読者が多いはずだ。

   間もなくわたしは、自分が受け取ったものが、たん
  なる体の新しい部品ではないと感じるようになった。
  移植された心臓と肺が、それ自体の意識と記憶を伴っ
  てわたしの体内におさまっているのではないかという
  気がしてきたのだ。ドナーである若者の魂と個性の一
  部が、わたしの体の中で生きつづけている証しとなる
  ような夢を見、自分自身の変化を感じるようになった。
       『記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記』

 心肺同時移植で心が変わったという内容の本なのだが、一見オカルト本の類かと誤解されかねない本である。無理もない。人間の持つ心・感情・思考といったものは、すべて脳から生じるというのが世の中の“常識”になっているからだ。ところが、「脳は単なるコンピュータに過ぎず、心を生みだすのは心肺を含めた内臓である」と喝破したのが西原博士であった。西原博士は自著『内臓が生みだす心』の中で以下のように述べている。

   ラットの脳にサメの脳を移植しても、ヒトの大人の
  脳にヒトの胎児の脳細胞を移植しても、脳細胞は単な
  るトランジスターのごとくに電極として電流を配電す
  るだけです。したがって脳細胞を移植しても人格や心
  に何事も変化が起こりません。一方、内臓を移植する
  と心まで替わってしまう事実が、心のありかが内臓に
  あることを物語っています。
              『内臓が生みだす心』P.27

 西原博士の「脳細胞は単なるトランジスター」という発言を目にして驚いた読者が多いと思うが、これは西原博士をはじめとする複数の研究者によって既に実験済みのことなのである。たとえば、この分野で有名な研究を挙げるとすれば、フランスのル・ドワランがウズラとヒヨコとの交換移植で誕生させたキメラがある。このキメラはウズラの脳や羽を持つヒヨコなのだが、鳴き声はニワトリであり、行動様式もニワトリそのものであったという。同様の実験は西原博士も行っており、西原博士の場合はメクラウナギとサメの脳をイモリやラットに移植している。そして、西原博士によれば、脳を移植されたイモリとラットの行動様式に何ら変化が認められず、さらに平然と五ヶ月も六ヶ月も普通に生きていたそうである。

■ 内臓が生みだす心
 次に、心は内臓から生まれるという西原説の根拠に筆を進めることになるが、心が内臓から生じるという西原説を詳細に紹介するとなると、とてもではないが本稿では紙幅が足りない。よって、西原説を理解するための鍵となるキーワードの幾つかを羅列するに止めたい。さらに西原説について知りたくなった読者は、西原博士の著作群に目を通していただければ幸甚である。西原博士の著作群については以下のサイトが参考になる。

http://www.nishihara-world.jp/books/index.html

1.進化の原動力は重力である…生物の進化は突然変異と自然淘汰とによると主張するダーウィンの進化論も、今や風前の灯といった感がある。西原博士の凄いところは、脊椎動物の内臓や骨格に重力が及ぼす影響に着眼した点であり、さらに重力が生物の進化に大きな役割を演じていることを突き止めた点であった。そして、世界で初めて人口歯根と人工骨髄の開発に成功することにより、重力進化論の正しさを西原博士は見事に証明してみせたのである。ここで、どうして人口歯根と人工骨髄の開発が重力進化論の証明となるのかと訝る読者もおられると思うので、やや専門的になるが以下に西原博士の発言を引用しておこう。

   脊椎動物の進化が、重力作用に対する生命体の対応
  力で力学刺激を中心として起こっていることを発見し
  たのです。たしかに、本来腸管で行う造血という仕事
  が骨髄腔に移るのは、脊椎動物の進化の第二革命の上
  陸劇のときで、哺乳類型の歯根膜(歯の周りにある靱
  帯関節で、このクッションで咬み砕くことが可能にな
  る)のある歯(釘植歯という)が発生するのは第三革
  命の哺乳類の誕生のときです。ともに進化のエポック
  でのみ発生する生体の組織と仕組みが、生体力学刺激
  というエネルギーで出来ることを発見したのです。
              『内臓が生みだす心』p.38

尚、重力進化学と並行して、ヒトの本当の祖先は原始脊椎動物の軟骨魚類のネコザメであったことを発見し、併せて脊椎動物の三つの謎も西原博士が明らかにしたことを付言しておこう。ちなみに、脊椎動物の三つの謎とは、「進化がどうして起こるのか」・「免疫の仕組みはどうなっているのか」・「腸の内臓の造血の仕組みが、高等動物だけに限ってどうして骨髄腔という体壁系に移るのか」の三つを言う。換言すれば、脊椎動物の三つの謎が解けたことの意味するところは、これまでに難病と言われて治療法がまったく分からなかった免疫系の疾患も、根治的に治癒させる手法が編み出せるということに他ならない。

2.腸管は生命の源である…どうして腸管が生命の源なのかと言えば、腸から酸素と栄養とを吸収することによって生物は生命を維持しているからであり、吸収できなくなった途端に絶命することから、腸管こそが生命の根幹と断言できるのである。そして、この腸による吸収能力こそが新陳代謝(リモデリング)能力に他ならず、この新陳代謝の能力の差が個人の欲求の差・個性の差となって表れるのである。換言すれば、腸の持つ消化・吸収能力が個人の五感の源、すなわち心となって表れるのであり、『記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記』の筆者であるクレア・シルビアが、「移植された心臓と肺が、それ自体の意識と記憶を伴ってわたしの体内におさまっているのではないかという気がしてきた」と感じた所以である。

3.心は質量のないエネルギーである…五感とは、文字通り目・耳・舌・鼻・皮膚による感覚のことであり、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚を指している。ここで注目すべきなのは、鼻の嗅覚と舌の味覚以外の目の視覚、耳の聴覚、皮膚の触覚は、「質量のないエネルギー」を感じ取っているという点である。たとえば、光という質量のないエネルギーが目に飛び込むことによって、ヒトは目の前に広がるアルプス山脈を見ることが出来、音という質量のないエネルギーが耳に飛び込むことによって、ヒトは雪解け水が流れる小川のせせらぎや山鳥の鳴き声を聞くことが出来、寒風という質量のないエネルギーが皮膚に突き刺すことによって、ヒトは高山における身も凍るような低温を感じ取ることが出来るのである。思うに、この世が質量のある物質だけで成立しているという一九世紀の唯物思想は、ヒトには嗅覚と味覚があるのみで、視覚・聴覚・触覚が無いと断言しているようなもので、明らかな間違いだったのである。

 さらに付言するとすれば、西原博士が分子生物学に対して成した最大の貢献は、二〇世紀科学の最大の成果である「エネルギー保存の法則」を分子生物学に導入した点であったといえよう。「エネルギー保存の法則」の重要性については、少々長くなるが西原博士自らの言葉で語って頂く方がよさそうである。

   本書(『内臓が生みだす心』)を書くのは大変難し
  いことでした。まず「エネルギー保存の法則」を完璧
  に身体で体得しないと、「心」が生命エネルギーであ
  ることがわからないからです。これには、アインシュ
  タインの相対性理論をエネルギー保存の法則にてらし
  て深く考え、矛盾する点があればこれを正す必要があ
  ります。また、一九一一年にカメルリン・オンネス
  (K. Onnes)によって発見された超伝導現象(超低温
  [-273℃]で電子が常温より二千万倍スピードアップ
  する)と、ハーバード大学でこの三年間に行った超低
  温(絶対温度付近)における光速の実験データ(-273
  ℃で17m/sec、-273.13℃で0m/sec)の事実をエネルギ
  ー保存のもとに統一的に理解することが必要なのです。
  光速は不変ではないのです。

  -(中略)-

   超低温でエレクトロン(電子)が早く走り光がゆっ
  くりになるということは、常温の時間が超低温で二千
  万倍に伸びるのです。これこそが光を仲立ちとして、
  空間と時間が相対的関係にあるという相対性理論の神
  髄です。光も時間も空間もエネルギーなのです。

   人工骨髄と人口歯根のハイブリッドシステムによる
  開発で、重力エネルギーに基づく流動電位というエネ
  ルギーによって、人工器官を移植した動物の細胞遺伝
  子を発現し、骨髄造血細胞や骨芽細胞、セメント芽細
  胞や線維芽細胞をセラミクス周辺に誘導することに成
  功しました。その結果、脊椎動物の進化が重力エネル
  ギーで起こっていることを発見して、重力とは何かを
  解明した成果が、三つの謎の解明と、相対性理論の真
  正解釈です。これは生命現象が水溶性コロイドの有機
  体における電気現象であることを明らかにした賜です。

   光というエネルギーを仲立ちとして空間と時間が相
  対的関係にあるというのが真正相対性理論で、空間も
  時間もエネルギーということになります。光速も温熱
  エネルギーで変動します。光速と時間を掛け合わせる
  と常に一定になります。これがその場(エネルギー状
  態)における空間の大きさで、常に一定です。エネル
  ギー保存の法則のゆえんです。

   ただし重力エネルギーは、ニュートンの示したごと
  く、質量のある物質にそなわった本性ですから、質量
  のある物質のみ作用し、光や空間や時間には一切作用
  しません。これを混同したために二〇世紀は、何もか
  もはちゃめちゃになってしまったのです。このことさ
  えわかれば、生命科学と医学の謎の「心」や「精神・
  思考」や免疫病は、わけなく解明されます。エネルギ
  ーとエネルギー代謝によって「心」や「精神」が支え
  られ、その変調によって免疫病が発症しているからで
  す。医学は、どんなに御託をならべても治せなければ
  意味ないのです。

   今日のわが国の医学は、十九世紀のウィーン学派の
  スコダの唱えた診断学的虚無主義の時代に近い状態で
  す。スコダは医学では患者の生命よりも診断学のほう
  が大切であるとして、剖検で病理診断を競ったために
  当時強く批判されたものでした。

   エネルギーとその代謝を制御し、エネルギー摂取の
  誤りを正せば容易に難病は治せます。生命が宇宙空間
  における水溶性コロイドの電気現象だからです。した
  がって心も気功も電磁波としてカメラで光でとらえら
  れます。二一世紀の新しい生命哲学の樹立は、まさに
  日本人の手の中にあるのです。
              『内臓が生みだす心』p.233

■ コペルニクスと西原克成博士
ポーランドの天文学者であったコペルニクスが、1543年に『天球の回転について』を著し、キリスト教を基盤とした宇宙観であった天動説を覆す元となった地動説を提唱したことはよく知られている。その意味で、西原博士は現代のコペルニクスなのかもしれない。尤も、コペルニクスが地動説を唱えた以降でも、地球の運動が実感されないといった理由から、なかなか地動説を受け容れてもらえない時代が続いた。ニュートンの出現で数学的・力学的に地動説が証明されるまで、実に約150年も待たなければならなかったのである。コペルニクスの時のように、西原説が世の中の常識となるまで、百年単位もの時間がかかることのないように祈りたい。

出典:世界の海援隊 http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/

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2005年6月21日 (火)

翻訳の限界

「国際ビジネス談話室・成功例と失敗例」というメールマガジンが、まぐまぐから発行されています(不定期)。
http://blog.mag2.com/m/log/0000072359

このメールマガジンの発行元は、契約英語の翻訳に携わる翻訳者であれば一度は耳にしたことがあるであろう、IBDという国際ビジネスコンサルティング会社です。
http://www.ibd-net.co.jp/

そして、メールマガジン「国際ビジネス談話室・成功例と失敗例」の筆者は、IBDコンサルタント<何でも博士>と称する、現役の国際契約関連のコンサルタントI氏であり、私はI氏とは毎週のようにお会いしていた一時期があり、今でも年に数回はお会いしています。そのI氏が、最新のメールマガジン「国際ビジネス談話室・成功例と失敗例」を昨日発行していましたが、文末にI氏の近状が「お詫び」の形で書かれていました。

==========================
*著者からのお詫び*
今回分の掲載が大変遅くなりましたことをお詫び申し上げ
ます。また、当初の計画に反し、長々と29回目までにも
なってしまいましたことも併せてお詫び致します。本話は、
あと6回続けさせて頂きます(本年12月まで)ので、も
う暫くのお付き合いをお願い申し上げます。

著者は、現在も多くの重大なコンサルティング案件を抱え
て、四苦八苦しております。現実の案件は、本件で述べて
いるが如く複雑でありまして、成功も失敗も極めて微妙な
要素から来るものです。これらの要素をご説明するために
は、また、読者諸兄に拙書事例を役立たせて頂くためには、
どうしてもポイントを詳述せざるを得ません。この点をご
理解頂きまして、引続きご愛読の程、宜しくお願い申し上
げます。(著者拝)
==========================

I氏とは2週間ほど前にメールのやり取りを行ったばかりですが、相変わらずお忙しいのだなと痛感しつつ、メールマガジン「国際ビジネス談話室・成功例と失敗例」に目を通したのでした。そのI氏とは来週早々に久しぶりにお会いし、情報交換を行ってくる予定ですので、その時に契約英語あるいは翻訳にまつわる情報があれば、来週皆様に御報告したいと思います。それは兎も角、I氏のメールマガジン「国際ビジネス談話室・成功例と失敗例」は、国際ビジネスの第一線で活躍されているビジネスマンが読めば、その人にとって物凄い知的財産になるはずであり、それを実際のビジネスの場で応用すれば、国際交渉の成功率が大幅に高まることは間違いないと思いますので、第一線で活躍する国際ビジネスマンに定期購読を強く推薦したいと思います。また、国際契約の翻訳をすることが多い翻訳者にも、実際の国際契約を巡る交渉の場の雰囲気を一部味わっていただく意味で、一度I氏のメールマガジンを覗いてみるとよいかもしれません。

さて、ここでコンサルタントと翻訳者の違いを述べてみたいと思います。数年前、I氏を囲み、翻訳者が中心になってフランチャイズの勉強会を行ったことがあります。参加していた翻訳者の中には、元貿易マンであったJTF(日本翻訳連盟)の理事もいました。そのような立派な方々に混じって、私のような当時は駆け出しの翻訳者が参加して良いのだろうかと思いつつも、末席を汚したような形で半年近く参加させていただきましたが、今では良い思い出です。そのフランチャイズ勉強会は、単なる勉強会に終わらせることなく、ゆくゆくは実際にフランチャイズにビジネスとして挑戦してみようという計画を立てていました。しかし、残念ながら結局フランチャイズ事業は立ち上がるには至りませんでした。失敗の主な原因は、I氏を除き、残り全員が基本的には国際契約およびビジネスのズブの素人だったからです。その後、I氏と時折個人的にお会いした折りに当時の事が話題に出たことがありますが、その時のI氏の以下の話が印象的です。

「IBDでは契約の翻訳に関しては優れた翻訳者を抱えている。そして、普段は翻訳者が翻訳した契約書を顧客に送るだけで間に合うことが多い。しかし、微妙なケースによっては、いくら一流の翻訳者が訳した契約書であっても、そのまま顧客に提出したり、国際ビジネス交渉の場に持っていくわけにはいかず、翻訳者が訳した契約書を徹底的に私が直さなければならないこともあった」とI氏が語ってくれたことがありました。このあたりのコンサルタントと翻訳者の違いは、書き出すと長くなりますので別の機会に譲るとして、I氏がそうした指摘が出来るのも、国際契約に纏わる体系的知識・語学力に優れ、実際の国際契約の交渉の場数を数多く踏んできたI氏だからこそ言えるのであり、I氏レベルの国際ビジネスコンサルタントは、日本でも5人といないのではないかと思います。

そのI氏の実力を如実に物語るエピソードを、ここで一つ紹介しましょう。日本には契約英語を教えている翻訳学校が多いと思いますが、I氏の目から見ると、及第点を与えられる契約英語の講師は殆どいないのだそうです。I氏と懇談していた時、翻訳者であれば誰もが知っている、契約英語の講座を一部に持っている翻訳学校のことが話題になり、私が当該翻訳学校で契約英語を教えているという、日本を代表する商社出身の講師の名前を出した途端、I氏は「サムライ君、彼の国際契約に関する知識にはいい加減なところがある。そのつもりで付き合った方が良い」とアドバイスしてくれたことがあります。

私は本物の国際ビジネス・コンサルタントであるI氏と知己なのですから、契約英語を専門にすれば非常に贅沢なアドバイザーを持つことになりますが、残念ながら私の専門は技術系の産業翻訳(機械・自動車、電気・電子、土木・建築)が中心です。ともあれ、翻訳というテーマだけに絞っても、I氏との語り合いの中から色々と書けそうですので、今後も翻訳をテーマに、I氏との対話の内容を支障のない範囲で書いてみたいと思います。

ところで、そうした産業翻訳で6年間体験を積んできたものを生かす道はないかと探っていたところ、特許翻訳というものに最近ぶち当たりました。そして、現在は本業の傍ら通信教育で特許翻訳を勉強中です。特許契約の勉強を始めたのも、当初の情報収集の段階では特許翻訳は高収入であり、将来的な需要も高いという情報だけが集まったからです。しかし、その後の情報収集の中で、私の大先輩であり、現役のベテラン弁理士であるS氏からの情報が手に入りました。そのS氏の場合、特許翻訳の将来性について悲観的な見解を示しています。何故か? 特許翻訳者を目指す方々にも関心のあるテーマだと思いますので、S氏の情報については次回述べたいと思います。

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2005年6月20日 (月)

日本脱藩のすすめ

昨夕は、塾を経営している友人の他、中学校時代の同期生2名が加わり、m003総勢4名で久 ぶりの飲み会を地元の蕎麦屋で開きました。2人の息子が友人の塾でお世話になっていることから、教育の話も当然出ました。例えば、最近は小学生を対象に英語を教えている塾があるといった話です。しかし、小学生に英語を教える必要があるのでしょうか…。小学生に英語を教えるよりも、過日の「古典の素読」で取り上げた、論語をはじめとする中国古典の素読をやらせたり、地元の子ども図書館に連れて行って多くの本と接するようにさせた方が良いと私は思うのですが…。つまり、「こんにちは」、「お元気ですか」といった日常英会話を柔らかい頭に叩き込むよりは、先達の叡智が詰まった四書五経を、理解できなくても柔らかい頭に叩き込む方が良いという考えです。子ども図書館の場合、本に親しむ習慣を身につけさせるため、2人の息子たちが幼稚園の頃から、時間を見つけては子ども図書館に連れて行ったものです。おかげさまで、今では2人とも自然に本と接するようになっており、子ども図書館以外にも、学校の図書館の本も積極的に借りて読むまでになりました。その点、昨日の塾を経営する友人も2人の息子の読書好きを誉めてくれましたが嬉しく思ったものです。

「自分の塾に通う子どもたちは、ほとんどが学校のテストで満点を取る」、と友人は語っていますが、そのために学校の友達を見下すような態度が出ることのないように、私は友人にお願いしています。子どもたちを塾に通わせているのは、本人達の意志を尊重したからであり、決してガリ勉になって欲しいと願って、塾に通わせているわけではないからです。塾を経営する友人の話に耳を傾けると、塾に通う子どもたちの保護者は、ゆくゆくは自分の子どもを良い高校・大学に進学させせたいと考えているようです。そうした考え方が今の日本では当たり前なのかもしれませんが、私は別の考え方を持っています。私の考え方については、以下の「日本の脱藩のすすめ」を読んでもらうとして、世界を視野に入れ、日本以外の高校・大学の進学を考えてあげることも、もう一つの選択肢だと私は思います。より具体的に言えば、子どもたち自身が学びたい分野の一流の教授の下で学ぶことができるように、少なくとも私は自分の子どもを導いていくつもりです。したがって、専攻したい分野の教授が必ずしも日本の大学で教鞭を執っているとは限らないし、その教授が日本人であるとは限りません。ともあれ、大学ではなくて教授を選ぶべしという私の考え方は、少し説明が必要ですので別の機会に譲りましょう。大分前置きが長くなりましたが、昨日お約束した小論、「日本脱藩のすすめ」を以下に転載します。

日本脱藩のすすめ
 バブル崩壊後、10年以上の長期にわたる大型不況が続き、重苦しい閉塞感に日本は覆われている。そうした状況下で、「日本脱藩のすすめ」などと書こうものなら、「日本を捨て、海外に脱出しよう」という意味かと受け止められかねない。否、筆者の言う「日本脱藩のすすめ」は決してそのような後ろ向きの意味ではない。ここで言う「日本脱藩のすすめ」とは、経営思想家であるピーター・F・ドラッカー風に言うならば、「来る知識社会への準備のすすめ」ということに他ならない。すなわち、旧秩序がガラガラと音を立てて崩壊している今日、これから到来するであろう知識社会を生き抜くためには、国家も会社も個人も今までの古い殻を脱ぎ捨て、新しい時代に向かって脱皮していく準備が肝心だと言いたいのである。

無論、日本脱藩とは単に物理的に日本を飛び出すことだけを意味しているのではないが、若者であればそれも許されると思う。つまり、若いときの海外体験はなにものにも代え難いということだ。もし読者がまだ学生あるいは二十代の社会人であるなら、ここは思い切り武者修行に海外に出ることにより、後々の人生に大きなプラスになると思う。筆者自身、高校を卒業した後に一年間働いて資金を貯め、日本を飛び出して3年間にわたって世界を放浪してきた人間である。当初はイギリスで3ヶ月ほど英会話学校に通い、その後2~3ヶ月かけてヨーロッパを一周して帰国するつもりでいた。しかし、ロンドンでアルバイトをしていたイタリア料理店でアルゼンチンの女の子と友達になったことがきっかけで、彼女の故郷であるアルゼンチンを訪問したくなり、ヨーロッパ旅行を取り止めて南米大陸へ発ったのである。中南米を半年ほど放浪した頃、旅行資金も底をつきはじめたので、メキシコシティから一路ニューヨークへ飛んだ。ちょうどクリスマス前だったため、寒空の下でマンハッタンに点在する日本料理店を一軒一軒回って仕事を探したことになる。当時、一週間が過ぎてもなかなか仕事が見つからず大変焦ったものだが、今では懐かしい想い出だ。そして、確か8日目だっただろうか、その日も1日歩き回ったのに成果がなく、がっかりしてホテルに戻ろうとした帰り道、たまたま「江戸」という看板の日本レストランが目に入ったので寄ってみた。すると、メガネをかけたインテリ風の支配人が「あっ、ちょうどいい。在ニューヨークの日本人向けにおせち料理を作っているんだが、人手が足りない。早速頼むよ!」と言うではないか。その支配人の言葉を耳にした時は咄嗟に言葉が出ず、頷くのがやっとだった。結局、その日本レストランでは8ヶ月ほど働き、かなりの旅行資金を貯めた。その後、2ヶ月弱アメリカとカナダを長距離バスで一周し、続いてサンフランシスコで1年半ほど大学生活を送り、日本に帰国している。

筆者の場合は単なる放浪生活を送ってきたに過ぎず、人前で誇れるような体験ではない。しかし、筆者と異なり、海外に活躍の場を求めて成功した日本人も確実に存在する。そうした日本人の1人として、1987年にノーベル賞を受賞した利根川進博士を挙げたい。そして、利根川博士と言えば、立花隆との共著『精神と物質』(文春文庫)を思い出す人も多いのではなかろうか。同著の中で利根川博士は以下のように述べている。

   「日本の大学院というのは、ちゃんとした教育機関
  になってないんですよ。工学系とか文学系とか、他の
  系統の大学院はしりませんよ。しかし理系の大学院は
  そうなんです。学生を教育しない。だいたい講義とい
  うものがないんです。はじめから、みんな自分はもう
  大学を出たんだからと、一人前の研究者のような顔を
  しているし、表面上は先生からもそう扱ってもらえる。
  だけど実際には、科学者として本格的に研究していく
  ための基礎的訓練をきちんと系統的に受けていないわ
  けです。一種の師弟制度で、教授、助教授の研究を手
  伝いながら、見よう見まねで覚えていく。この研究は
  どう大切なのかをじっくり自分で考えるとか、実験結
  果について徹底的にディスカスするとか、そういう訓
  練がない。だから科学研究の本当の基礎が欠けた研究
  者ができてしまう。日本の基礎科学が弱い原因はこの
  あたりにある」
 『精神と物質』利根川進・立花隆共著 文春文庫 p.53

ここに、利根川博士が日本の大学院に進まずにカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に留学し、海外での修行を始めた理由が明確に述べられている。利根川博士の述べている欠陥は、何も日本の理系の大学院に限ることではなく、日本という国家から企業・地域社会に至るまで、来る知識社会では時代遅れとなる制度・組織を未だに抱えてところが多いのである。

日本を飛び出していったのは何も科学者だけではない。野球を例に挙げれば、1995年に海を渡った野茂英雄を皮切りに、続々と日本人メジャーリーガーが誕生している。そして、現在最も注目を浴びているのがヤンキースの松井秀喜選手だろう。昨秋、巨人軍の主砲の松井秀喜選手がメジャー入りの決断を発表した時、日本のプロ野球界に大きな衝撃が走ったことは記憶に新しい。そして、その後の松井はヤンキースに入団し、今や日本でも連日のように松井の活躍が報道されている。それにしても、松井と言えば名実ともに巨人の、そして日本の四番バッターだったが、その松井が巨人を去り、ヤンキースに入団したのも、メジャーという一流の仕事場で己れを試したいという気持ちが強かったからに違いない。

一流の仕事、一流の人物を求め、海外武者修業を体験した日本人が他にも大勢いる。そうした海外武者修行を実践した日本人の中で第一級の人物と言えば、やはり真言宗の開祖空海をおいて他はあるまい。空海は最澄と共に804年に遣唐使として唐に渡っており、来年は空海の入唐千二百周年にあたる。空海の唐における修業の様子については、陳舜臣が著した『曼陀羅の人』という小説から、唐における空海の修業の一端を垣間見ることができると思う。日本に戻ってからの空海は八面六臂の活躍であり、後の日本の宗教界・思想界に大きな影響をもたらしたのは改めて述べるまでもない。

ここで日本の現状を振り返るに、このままでは日本は二流・三流の仕事場に成り下がり、二流・三流の日本人や外国人の吹き溜まりになってしまうのではと筆者は危惧している。そうならないようにするためにも、多くの海外の優れた企業・人材を積極的に受け入れ、国を挙げて精神的な開国を行うべきではないだろうか。海外から新しい血を入れることにより、国際競争力のない既存の企業は次々と潰れることになると思うが、それが世界の常識であり、経済の本来の姿のはずだ。そうした競争の中から、世界に通用し、真のマネージメントを身につけた雑草のように逞しい優良企業が誕生してくるのである。そのためには、多くの優秀な企業・人材を海の彼方から引きつけるだけの魅力ある国に日本を変えていかなければならない。明治維新当時の原動力となった先達に倣い、第2の「明治維新」に向け、現代の日本人も今こそ英知を結集すべき時期に来たのではないだろうか。

出典:世界の海援隊 http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
むうじんさんの田圃の田植え。梅雨時の風物詩です。

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2005年6月19日 (日)

世界武者修行

m002 2人の息子がサッカーをやっていることは、6月13日の「地域ぐるみの子育て」で少し触れましたが、特に上の子がサッカーに熱心で、「大きくなったら、ワールドカップに出る!」というのか夢だそうです。また、「アルゼンチンの高校にサッカー留学をしたい」とも言っています。私は、3年間かけて世界放浪の旅をしてきた人間ですが、やはり蛙の子は蛙ですね。

ところで、「みんなの日記」という、息子のクラスの父兄間で回覧している、リレー日記というのがあります。私は、その日記に、3年間の体験を簡単に書いたことがあります。それを以下に公開致しますので、私の拙文に目を通し、自分の子供を世界を舞台に活躍するような逞しい人間に育てたい、と思ってくれたお父さん・お母さんが、一人でも出てきてくれたら、大変嬉しく思います。

「みんなの日記」 2005年1月24日(月)
今日、学校から戻った息子(H)に「みんなの日記」を渡された時は、街角で旧友と久しぶりに出会ったような、なんとも言えぬ懐かしい気持ちになりました。□□先生、5年×組の父兄の皆様、昨年の7月1日以来ですね、大変ご無沙汰しております。

ところで、私が十代の頃に3年間世界放浪の旅を体験したことは前回書きましたが、実は息子のHにも当時の想い出話を時々話して聞かせることがあります。そのせいでしょうか、数ヶ月前に「中学を卒業したら“サッカー先進国”のブラジルの高校に進学したい」とHが言ってきたときは驚くと同時に、嬉しく思ったものです。ただ、私はポルトガル語が殆ど出来ませんし、昔は兎も角ブラジルには今や文通を続けている友人・知人もいません。そこで、「アルゼンチンもサッカーに強いぞ。それに日本みたいに四季がはっきりしている自然豊かな国だし、食べ物は美味しいし、みんな親切だぞ。お父さんはスペイン語に不自由しないから、通訳・翻訳もOKだ」と持ちかけたら、すっかりその気になったようです。実は、私はアルゼンチンの親友の娘さんのゴッドファーザー(教父)になっていて、その友人家族とは親戚同様のお付き合いです。だから、仮に将来Hをアルゼンチンにサッカー留学に行かせるとしても、そこの家にお世話になって、アルゼンチンの高校なり大学に通わせれば安心というものです。ここで念のため、ゴッドファーザーと言っても映画の「ゴッドファーザー」に登場してくるような怖い世界の話ではなく、国民の大半がカトリック教徒のアルゼンチンでは、自分の息子・娘にゴッドファーザーをつけるのが普通で、ゴッドファーザーになったら、その子に対して時には経済的に援助したり、時には精神的な支えとなってやったり、時には人生の先輩としてアドバイスもしたりするといった、文字通り父親の代役をするのがゴッドファーザーなのです。私は、十代の時に2ヶ月近くかけてアルゼンチンを北から南へと3000キロほどヒッチハイクで縦断しましたが、アルゼンチンの人びとは非常に友好的で、特に日本人に対しては好意的でした。それは、南米に移民として渡った日本人が、同国で懸命に働き、同国の発展に尽くしたからだといっても過言ではないでしょう。その娘さんの母親はシルビア・バイレーリと言い、昔ロンドンで私と同じイタリアン・レストランでアルバイトをしていました。その関係で彼女の生まれ故郷のアルゼンチンを是非訪問したいと思い、ロンドンから南米へアフリカ経由で飛んだのでした。その後、シルビアは日本にも来たことがあり、拙宅に半年滞在したこともあります。私も彼女の実家に2週間ほどお世話になりました。そして、時は移り変わり、お互いの娘・息子たちをそれぞれの家でお世話する時が来たような気がします。また、ホルヘ・ボルソンという、やはり同じロンドンのイタリアン・レストランで共にアルバイトをしていたアルゼンチンの友人も拙宅に半年ほど居候していた事があります。彼も底抜けに明るいラテン気質のアルゼンチン人でした。

 ともあれ、Hが将来アルゼンチンにサッカー留学が実現するかどうかは、国家破産したアルゼンチンの国情というものがあって、実現出来るかどうかは何とも言えませんが、少なくとも海外で武者修行をしたいという、Hの心意気を父として応援したいと思います。何故なら、今の日本は社会的に大きく変革しようとしているため、そのしわ寄せが若者に行き、若者の失業者の増加、フリーターの増加、学力の低下という形で現れているからです。従来でしたら、一流中学・一流高校・一流大学、さらには一流企業を目指すというのが理想的なパターンと考えられていましたが、今日では潰れることなど到底あり得ないと思われていた大手企業がバタバタと倒産し、大手金融機関が次々に破綻している有様です。つまり、大学の卒業証書さえ手にすれば一生安泰という時代は過ぎ去り、今後は日本さらには世界に通用する“モノ”を身につけなければ、生き抜いていけないという時代に突入したのではないでしょうか。そうした時代にあって、ではどのように生きていくべきかについて考察した小論を、一年半ほど前に某ウェブ誌に「日本脱藩のすすめ」と題して投稿したことがあります。ご参考までに当時の原稿を貼り付けておきますので、関心のある方に目を通して頂ければ幸いです。

※上記の「日本脱藩のすすめ」は、明日公開します。

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
むうじんさんの住む里に現れたカモシカです。無論、野生です。

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2005年6月18日 (土)

古典の素読

m001 拙宅には、子どもたち宛てにDMがよく届きます。DMの中身は様々ですが、最近になって一番多いのが学習塾からのDMです。主要科目の国語と算数以外に、英語も教えるという塾のDMもありました(小学生の英語教育については、別の機会に改めて取り上げます)。私の2人の息子の場合、本人たちが自ら塾に通うことを希望してきたので、友人が経営する学習塾に週2回通わせています(国語・算数)。しかし、本音を言えば、古典の素読をやらせてくれる、昔風の寺子屋を探していました。論語の素読を実施しているという、某幼稚園の記事を新聞か何かで読んだ記憶がありますが、今日に至るまで、古典の素読を行っている塾を発見ことはでませんでした。そこで、やむを得ず、私は2年前の一時期、2人の子どもに自ら論語の素読をやらせたことがあり、その当時の体験をまとめ、某ウェブ機関誌に寄稿したことがあります。素読の効用について見直していただく意味で、少々長くなるとは思いますが、以下に再掲しておきます。

漢文・漢詩のすすめ
 筆者には腕白盛りの小学校四年生と二年生の息子がいる。毎朝、朝食の前に下の子が二階にある筆者の仕事部屋に上がってきて、筆者がパソコンで特別に作成しておいた『論語』をおもむろに広げると、その日の素読が始まる。「論語第一巻 学而篇 子曰わく、学んで時に習う、亦説ばしからずや…」と最初に筆者が声を出して読み上げると、続けて息子が同じ箇所を大きな声を出して読み上げるのである。それを幾度か繰り返した後、今度は一人で2~3回繰り返して読ませ、支えずに読めるようになったら次に進むというやり方である。時間にして、15分ほどでその日の素読が終わる。夜になると、今度は上の子が二階に上がってきて同じように素読を行うのである。

 何故、筆者は二人の息子に素読をやらせているのか。それは、明治維新の志士たちの素養の基が四書五経だったからである。同時に、中国古典の素読を通じて人間として大切な志を持つようになって欲しいという願いもある。それが素読を子供たちにやらせている理由である。

 さて、今回のテーマの漢文・漢詩であるが、最初に漢詩を取り上げてみたい。漢詩について語る時、筆者の脳裏にいつも浮かぶのが『毛詩大序』である。その『毛詩大序』に以下のようなくだりがある。

  詩は志によって育まれたものである。心に秘めた時は
  志であり、言葉をもって表現すれば詩となる。
                     『毛詩大序』

 ここで言う「志」とは何か。著者は奈良本辰也の著した『志とは何か』の影響もあって、二人の子供に「●志」、「◆志」と名付けたほど「志」に強い関心を抱く者である。ここでは筆者の下手な「志」の説明より、在日の詩人・荘魯迅氏が語る「志」の方が分かりやすいと思われるので以下に転載させていただく。

  「志」とは心にめざす生き方であると同時に、異なる
  境遇におかれたとき人間の心に満ちあふれる哀歓をも
  指す。突きつめて言えば、詩は志の現れで魂の歌なの
  だ。詩人は鋭い感受性をもって社会生活に心身をゆだ
  ね、深い洞察力をもって人生の真意を観照したからこ
  そ心をゆさぶる多くの名吟を生み出した。それらの名
  吟に託された詩心に迫るためには、作品の行間に見え
  隠れする詩人の魂を凝視し、その喜びや悲しみの叫び
  に耳を傾け、そして感情がほどばしる心の脈動をとら
  えなくてはならない。
       『漢詩珠玉の五十首』まえがき(荘魯迅著)

 著者の荘魯迅氏は、他にも『物語・唐の反骨三詩人』(集英社親書)という本を著している。この本は反骨精神の塊のような陳子昴・孟浩然・李白を取り上げたものであり、なかなか読み応えのある本と言えよう。ただ惜しむらくは巻末の主要参考文献の一冊に岩波書店の『唐詩選』(前野直彬著)を取り上げているのが玉に瑕である。何故なら、この本には考えられないような誤訳が至る所で見出せるからだ。紙幅の関係で具体例は取り上げないが、関心のある読者は張明澄氏の著した『誤訳・愚訳 漢文の読めない漢学者たち!』(久保書店)および『間違いだらけの漢文 中国を正しく理解するために』(久保書店)を参照されたい。ところで、荘魯迅氏は「反骨精神」という言葉を用いているが、筆者であれば「反骨精神」の代わりに「野ごころ」を用いたいところだ。「反骨精神」も「野ごころ」も根底では相通じるものがあり、「反骨精神」に満ちた人生、「野ごころ」ある人生といった言い方ができよう。そうした人生を送る上でのベースとなるものこそ、「志」に他ならない。

 誤訳・愚訳と言えば、小室直樹博士の著した『資本主義中国の挑戦』(光文社)を思い出さずにはいられない。小室博士の述べる誤訳・愚訳について、少し長くなるが以下に引用しよう。
  
   日本では聖人といえば、知恵が広大で行ないが正し
  い人、心の優しい人になる。君子は徳のある人、小人
  は凡人という意味だ。
 
   しかし、中国では聖人というのは為政者(政治権力
  者)のことであり、君子は統治階級に属する人、小人
  は一般庶民という意味になる。

   儒学者の説を聞いて最初に驚くのは、孔子が魯の国
  の大臣になって真っ先にやったのが大粛清だった、と
  いうくだりである。無能な政治家をすべて殺したし、
  諸候の会合で無礼な行ないをしたこびとや役人をも殺
  した。日本人の感覚からすれば、聖人が人を殺すとは
  なんと無慈悲で、そんな聖人なんかあるものかと思う
  だろう。政治上の問題で人を殺すのはスターリンだけ
  ではないのか、と思う人もいるのではないだろうか。

   論語の“誤読”で一つの例は「君子は義に喩り、小
  人は利に喩る」という言葉だ。これを正しく解釈する
  と「統治階級の人は義に喩り、庶民は利に喩る」とい
  う事実を述べているにすぎない。

   ところが日本人は「義に喩るのが君子で、利に喩る
  のは小人である。」と逆に読んでしまう。さらに、「
  君子は義に喩るべきであり、小人は利に喩るべきであ
  る」などとも読みたがる。いっそう徹底すると「あな
  たは義に喩って君子になりなさい。利に喩って小人に
  なってはいけません」という教訓にしてしまう。

   儒教の組織論はすっかり抜けてしまって、儒教が人
  間当為の教えであるという側面だけが、やたらと強調
  される。

   これほどの大きな“誤読”をする原因は、どこにあ
  るのか。それは、中国と日本とでは社会構造がちがい、
  しかも儒教は、中国の社会構造に深く根ざした宗教で
  あるからである。
   『資本主義中国の挑戦』p.200(小室直樹著 光文社)

 息子たちが高校生・大学生になったら、中国と日本の社会構造の違いを説いている小室直樹博士などの著書を勧め、そうした書籍から社会科学の観点に立ったモノの見方・考え方を身につけて欲しいと思う。それにより、息子たちが自分の頭で考え、自分なりの結論を出す人間になっていくことを期待したい。そして、そのような人間になるための下地造りが素読なのである。

 四千年に及ぶ中国の歴史の中から数多くの古典が誕生した。その中から一つだけを選べと言われたら、読者は何を選ぶだろうか。筆者であれば躊躇なく老子の『道徳経』を選ぶ。何故なら、人類の誇る至高の古典こそが『道徳経』に他ならないとからである。『道徳経』の素晴らしさについては、島崎藤村や森鴎外など日本を代表する文豪が以下のように書き遺している点に注目されたい。
  
   トルストイがその晩年に、老子の教を探し求めてゐ
  たといふことは床しい。思想とは完成するにつれて殻
  を脱ぐやうなものではあるまいか。あらゆるものを見
  尽くし、あらゆる試練に耐へ、その志を弱くし、その
  骨を強くするところまで行って、万苦を経て後に思想
  無きに到ったやうな人が老子ではあるまいか。  
                     『桃の雫』 (島崎藤村)

   聖人の道と事ごとしく云へども、六経を読破したる
  上にては、『論語』『老子』の二書にて事たるなり。
  其の中にも、『過ぎたるはなほ及ばざるがごとし』を
  身行の要として、無為不言を心術の掟となす。この二
  書をさへよく守ればすむ事なり。  
                『澁江抽齋』(森鴎外) 

 『道徳経』は文字数にして僅か五千文字の小世界だが、この小世界の何と深遠なことか。どの本が最も一流かという投票を世界一流の学者たちが行えば、多分『聖書』と『道徳経』が一位および二位を占めるのではないだろうか。『聖書』が宗教書として一位を占めることは容易に想像できるが、何故次に『道徳経』が来るのか? それは『道徳経』の言葉の一つ一つに含蓄が籠もっているからである。『道徳経』に関する解説書・研究書が山をなしていることから分かるように、多様な読み方が出来るのが『道徳経』であり、それだけ『道徳経』の深奥に迫ることが困難であるとも言える。

 それにしても、実にさまざまな『道徳経』の読み方があるものである。道教の聖典として読む識者がいるかと思うと、孫子やマキャベリなどを遙かに凌ぐ世界一の戦略書こそ『道徳経』に他ならないと語る識者もいる。現代科学の最先端をいく量子力学の発見が既に数千年前の『道徳経』の中に書かれていると主張する識者がいるかと思えば、仙人と錬金術を結びつけて『道徳経』を語る識者がいるという塩梅である。これからも、道草を食いながら五千文字の世界を彷徨うことにしよう。
 

出典:世界の海援隊 http://www.ibd-net.co.jp/official/kaientai/

写真提供:むうじん館 http://www.fsinet.or.jp/~munesan/
写真は、私の住む街の中心から車で50分も山奥に入った所にあるダム湖です。

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2005年6月17日 (金)

『神戸事件を読む』

b050617 神戸事件を覚えているでしょうか? そう、11歳の小学生を殺害し、その子の頭部を切断して中学校の正門にさらすというショッキングな事件が、今から8年前の1997年に神戸で発生したことは記憶に新しいところです。そして、その1ヶ月後に当時14歳の中学生が容疑者として逮捕されているのですが、しかし本当に中学生が起こした事件なのだろうか、この事件に冤罪の疑いは無いのか、という疑問が常に頭の片隅にありました。今まで、私は神戸事件についての本を数冊読み、かつインターネットでも、色々な人たちの神戸事件に関する意見を読んでいます。そして最近、鹿砦社という出版社が発行している、『神戸事件を読む』(熊谷英彦著)を入手しました。この本の存在は前々から知っており、いずれ購入して読もうと思っていた矢先、バーゲンブックというサイトで『神戸事件を読む』を半額で販売していることを知り、迷うことなく購入したのです。
http://www.bargainbook.jp/

一読した後、神戸事件は多分冤罪だろうと朧気ながらも考えていた今までの視点から、神戸事件は間違いなく冤罪である、という視点に切り替わった自分がそこにいました。同書を読み、改めて別の角度から同事件を再確認した形になり、真犯人は警察内部の人間であるとする説は、ほぼ間違いないだろうと確信するに至ったのです。また、神戸事件は、半島系およびヤクザ系の問題が、複雑に絡んでいるという熊谷氏の説に私は賛成です(その他、日本の裏社会を形造っているグループに、サンカ系および性倒錯系も存在していますが、そうした話はいずれ機会があれば行う予定です)。同書を読み進めていくことにより、少年の供述が虚偽であるという確信を持ってはいたものの、今までは何故、少年は今日に至るまで真実をさらけ出さないのかという点が、私には分かりませんでした。しかし、同書を読むことにより、漸く疑問が氷解した思いがしたのです。換言すれば、当時の少年と年齢も近い子どもの親となって、初めて明確に理解できるようになった点がある、と言うべきなのかもしれません。

さて、少年の両親が出した手記『「少年A」この子を生んで…』(文藝春秋文庫)に、両親が逮捕後初めて我が子の少年Aと面会した時の経緯を母親が書いた下りがあり、その個所を熊谷氏が以下のように引用していました。

「帰れ、ブタ野郎」
1997年9月18日、私たち夫婦が6月28日の逮捕以来、初めて神戸少年鑑別所に収容された長男Aに面会に行ったとき、まず息子から浴びせられたのがこの言葉でした。
「誰が何を言おうと、Aはお父さんとお母さんの子供やから、家族五人で頑張って行こうな」と、夫が声をかけたそのとき、私たち2人はこう怒鳴られたのです。
(略)
「帰れーっ」
「会わないと言ったのに、何で来やがったんや」
火が付いたように怒鳴り出しました。
そして、これまで一度として見せたことのない、すごい形相で私たちを睨みつけました。
<あの子のあの目-->
涙を一杯に溜め、グーッと上目使いで、心底から私たちを憎んでいるという目--。
あまりのショックと驚きで、私は一瞬、金縛りに遭ったように体が強張ってしまいました。
<なんて顔をするんやろ>
ギョロッと目を剥いた、人間じゃないような顔と言うのでしょうか。
あのような怒りを露にし、興奮した息子を見るのは、Aを生んでから初めてのことでした。
私は息子の目から自分の目を逸らさないで、顔をジーッとただ見詰めていたのですが、あの子の目からは結局、親である私たちを拒否し心底から憎んでいると思わせる、憎しみに満ちた怒りのようなものしか感じられませんでした。

また、少年Aの父親も以下のように手記『「少年A」この子を生んで…』の中で述べています。

私は神戸の少年鑑定所でAと遭った時、Aが私達を泣きながら怒鳴り散らすというあまりの豹変ぶりを目の当たりし、
<やはり事件は自分の息子が犯人だった……>
信じたくはなく、認めたくはなかった事実でしたが、そう実感せざるを得ませんでした。

さらには、『それでも少年を罰しますか』という本を著した野口氏という弁護士がおり、野口氏も少年Aの豹変ぶりは奇異でも何でもなく、非行少年の常として十分にあり得ることだと主張しています。(注:事件が発生した当時の少年Aは、非行少年ではなかったという事実を野口弁護士は見落としている)

以上のように、少年Aを真犯人と思いこんでいる、少年Aの父親および野口弁護士に対して、『神戸事件を読む』を著した熊谷英彦氏は、以下のように同書の中で、真犯人=少年A説を明確に否定しているのです。

つまり、少年が「帰れ、ブタ野郎」と怒鳴った真の相手は、両親ではなく取調官だったのだ。
(略)
それにしても許せないのは、警察・検察が、その少年をして、両親がわが目を疑うほどに「豹変」させたという事実である。いかに警察・検察のやり方がむごかったか、それを如実に物語ってはいないだろうか。ひとりの少年の精神をそこまでぼろぼろにしたという意味で、警察・検察の残忍非道ぶりは、まさに酒鬼薔薇そのものといえるかもしれない。
『神戸事件を読む』 p.237~238

ここで私が危惧しているのは、社会の木鐸としてのジャーナリズムが取るべき姿勢を、とうの昔に放棄した日本の大手マスコミしか目にしていない人たちは、いきなり上記の熊谷氏の真犯人説の個所だけを読む形になるため、熊谷氏の説を余りにもバカげた説として捉えるのではないかという点です。熊谷氏の主張する、警察内部にいる人間=真犯人説を、支離滅裂な説であると感じた方は、取り敢えずは熊谷氏の『神戸事件を読む』に目を通し、自身の目の曇りに気づき、その上で真実を真っ向から見つめる勇気を持って欲しいと切に思います。先の第二次世界大戦中、大本営発表を繰り返すことで国民に嘘八百を並べ立て、国民を戦地に追いやった朝日新聞やNHKなどが、今日に至っては、そのような過去など無かったかの如く振る舞っています。そうした大手マスコミの厚顔無恥な態度に呆れているのは、何も私だけではないでしょう。熊谷氏は、さらに以下のように述べています。

いま少年は医療少年院で更正が図られているというが、真に更正されるべきは、あるいは日本社会そのものといえるかもしれない

まさに至言です。少年Aと年齢も近い小学6年生の父親として、少年Aの将来を憂いると同時に、1人の少年の人格を踏みにじり、絶望のどん底に突き落とした警察・検察の残忍非道ぶりに、言いようのない憤りを感じます。それをキチンと報道しなかった大手マスコミに対しては尚更です。とまれ、堕落した日本の大手のマスコミの実態を知らしめることが、ある意味で本ブログの使命の一つとすべきなのかもしれません。未だに、大本営発表を垂れ流す体質から抜け出せないでいる現在のNHKや朝日新聞、そうした大手マスコミの愚行のために、いつか来た道に引き戻され、私たちの子どもが戦地に送られる日が、再び来ないとも限らないのです。

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2005年6月16日 (木)

翻訳の仕事がしたい…

最近、私の後輩から以下のようなメールが届きました。

私の知り合いに翻訳業を目指している者がいますが話しを
聞いていると生業として自立できるのはほんの一握りで相
当シビアな世界だと言っていました。時々新聞等で翻訳業
を夢見ている人達の声が紹介されていたのを記憶していま
すがそれによると欧米の一流大学や大学院で留学経験のあ
る人でも仕事で常時、続けていくのはよほど実力がなけれ
ば難しいという内容でした。

1998年秋、私は当時発足したばかりの早期退職優遇制度を利用して、サラリーマン生活から足を洗い、独立開業の世界に飛び込みました。会社を辞めた当時は、「当面は翻訳でメシを食っていこう」とノンビリと構えていたものの、本当に自分は翻訳者になれるのか、翻訳者になったとしても、家族を養っていけるだけの収入を得られるのか…、と正直言って一抹の不安はありました。幸い、退職金を割増でもらっていましたので、最初の1年間は翻訳スクールに通い、翻訳技術を身につける余裕があったのは幸いでした。ただ、当時通った翻訳スクールの1年間コースを修了してから、5年が経った現在の時点で振り返ってみるに、翻訳スクールで身につけた翻訳技術は微々たるものでしたが、長年染みついたサラリーマンの垢を落とし、フリーランスとしてやっていく心構えを身につけることができたという点では、1年間という空白期間は無駄ではなかったと思います。それにしても、当時の自分を支えてくれた母および妻には、改めて感謝したい気持ちで一杯です。

さて、翻訳者になるのに必要なものは、海外あるいは国内の一流大学という学歴、900点以上のTOEICのスコア、英検1級の資格など…ではありません。世の中で一流とされる翻訳者には、高卒や短大卒の翻訳者がかなりいるという印象を受けます。高卒で超がつく一流翻訳者と言えば、何と言っても小舘光政氏でしょう。小舘氏本人は個人ホームページを持っていませんが(以前は持っていました)、以下のURLで小舘氏が紹介されています。ITや半導体関連の翻訳者を目指す人なら、小館氏のインタビュー記事は目を通しておくといいでしょう。
http://www.kato.gr.jp/lifestyle/lifestyle4.htm

短大卒で超のつく一流翻訳者は、水野麻子氏でしょう。特許翻訳者を目指すのであれば、水野氏のホームページは必見です。
http://www.monjunet.ne.jp/PT/

ともあれ、これで学歴と翻訳はあまり関係ないことがお分かりいただけると思います。

では、翻訳者になるのに必要なのは、英語関連の資格でしょうか? いいえ、TOEICの点数や英検1級の資格と翻訳力とは、あまり関係はありません。私は、TOEICを立ち上げた北岡靖男氏の国際コミュニケーションズで、営業の仕事をしていた一時期がありますので、TOEICの経緯についてはよく知っているつもりです。仕事中のある日、当時のTOEIC事務局長だった伊東顕氏が来て、「サムライ君、今度TOEICの調整インタビューがあるが、受けてくれないか」と言ってきたことがありました。調整インタビューとは、730点以上の点数を取ったTOEIC受験者で、希望する人だけが有償で受けられるインタビュー試験を実施する前に行う、「調整」インタビューのことを指します。つまり、インタビューを行うネイティブの間で、インタビュー採点評価の基準を統一(調整)するため、私がモルモットになったというわけです。ちなみに、その時私がもらった評価は「3+」であり、伊東氏に「サムライ君は、ネーティブに近い!」と誉められたのを覚えています。その後、伊東氏は国際ビジネスコミュニケーション協会理事長に就任されてことを風の便りで聞いていますが、今でもお元気にご活躍なのでしようか、一度再会してみたいような気がします。

話が脱線しましたが、6年間にわたり翻訳業界に身を置いた私が考える翻訳者の条件として、社会人としての一般常識を身につけていることを第一条件に取り上げたいと思います。これは何も難しいことではなく、仕事の提出期限を守るとか、請け負った仕事の内容を外部に決して漏らさないといった、当たり前のことを実行できる能力のことなのです。しかし、〆切を守ることが如何に大変か、実際に翻訳の仕事に携われば分かるようになるでしょう。

次に翻訳者に求められるのは、俗に言う、「英語力」、「日本語力」、「技術知識」「調査能力」の四要素ですが、上記の後輩に対して、私は以下のような内容のメールを認めています。(一部訂正)

愚生が翻訳者として飯が食えるようになったのは、○○さんのお陰であると
思っています。何故なら、私が毎週執筆していたメールマガジン[△△△△]
で色々と厳しく指導していただいたからです。お陰様で、日本語に関しては
その辺の翻訳者には決して負けないだけの自信があります。英語はFT(英
国の経済紙。The Financial Times)が読める程度でいいのですし、パソコン
もメールのやり取りやファイルの添付の仕方、検索の仕方が分かれば十分な
のです。勝負は母国語である日本語だと思います。何故なら、英日の方向で
翻訳する(英文和訳)のですから、キチンとした日本語が書けなければ話に
ならないというわけです。しかし、まともな日本語を書ける翻訳者は意外に
少ないのです。

逆に、愚生は日英の方向の仕事(和文英訳)も半分くらい翻訳会社などから
承っていますが、まだまだアメリカの高校生程度の英語しか書けません。

最後に、当たり前の話ですが、翻訳者は翻訳をやっているだけで良いというわけにはいきません。フリーランスというのは、仕事を獲得するための営業センスが必要であり、また、毎年の確定申告をまとめるための経理の知識も必要です。さらには、インターネットについて熟知し、パソコンを駆使できなければ話になりません。

ここで、営業センスについて、一つのエピソードを挟んでおきましょう。

あるカウンセリングの会社が、自社で使用するカウンセラー用マニュアルの英日翻訳が必要ということで、翻訳者を募集していたことがありました。私もちょうど一息ついたところでしたので応募したところ、数日後に幸い採用されたのですが、後にその会社の社長さん(仮に、A社長とします)が言うには、4名を募集のところ、70名以上もの応募者が殺到したと言っていました。その中から、優れた訳文を提出した翻訳者を10名ほどに絞り、さらにその中から4名を最終的にA社長が選んだということになります。では、10名の中から何を規準に4名を選んだのかというと、A社長は「ヒューマンスキルの有無」とはっきり言っていました。さらに、「今回の翻訳の仕事にかける意気込みなりポリシー、あるいは当社のカウンセリングの対象である□□□について思うことを一言書いてきた翻訳者を選んだ」とA社長は付け加えていました。換言すれば、私を含め、残り3名の翻訳者は、A社長の言葉を借りれば、「選ばれるコツを身につけていた」から選ばれるべくして選ばれたということらしいです。このように、ちょっとだけ気転を利かせることが、翻訳の仕事を獲得するコツだと言えそうです。これがA社長の言う「ヒューマンスキル」、私の言う「営業センス」なのです。

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2005年6月15日 (水)

『教育の原点を考える』

b050615本ブログを立ち上げた動機は、昨日取り上げた『伸びる子どものお父さん』だけではありません。実は、もう1冊、きっかけとなった本があるのです。それは、今から23年前に発売された本であり、書名もそのものズバリ『教育の原点を考える』という本です。この本は、早川聖、松崎弘文、藤原肇の三氏による対談本ですが、同書の「まえがき」を以下に転載しておきますので、一読してみると得るものがあるかもしれません。とても23年前に書かれた本とは思えないほど今日的な内容であり、昨今の日本の抱える教育問題をズバリ指摘しているだけでなく、その処方箋も示した本であると気づくと思います。

残念ながら、同書はすでに絶版であり、オンラインの古本屋さんでも手に入れることはできません。しかし、筆者の一人である藤原肇氏に打診したところ、幸いなことに同書の電子化を快く承諾していただきました。現在、数名の有志と精力的に同書の電子化を進めており、第1章の「生き残るための教育問題」はすでに完成し、別に立ち上げているホームページにアップロードしてあります。以下の「まえがき」を読み、何か一つで心の琴線に触れるものがありましたら、是非以下のサイトを訪問し、第1章にも目を通してみてください。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/library/edu/edu.htm

『教育の原点を 考える』 まえがき

 現代の日本では、教育の荒廃ということが一種の共通認識になっていて、自分の子供だけでなく次の世代全体のためにも何とかしなければいけない、という気持を、多くの人たちに抱かせている。自己成長のプロセスとしての教育システムに対して、強い関心を持つ日本人の多くにとっては、教育界の現状は誇りの気持よりは危慎の念を感じさせる場合の方が多い。それは未来を期待して描くイメージに対して、現実が余りにも悲惨だからである。

 毎日の生活を通じて輝かしい未来を手に入れるためには、豊かなイマジネーションだけではなく、現実が期待を寄せるに値するだけの進歩性を持ち合せている必要がある。そして、崇高な理想をかかげ、長期的な展望の下に努力をすれば、ある日、目標にたどりつけるのだという希望を内包していなければならない。

 しかし、現実は暗く重い。多くの若者たちが毎日を暗記の詰めこみや補習による肉体労働で消耗し、うるわしい青春時代にものごとを批判したり、独創力を最大限に発揮する機会を手にすることも少ない。その上、人間の精神にとって最も価値のある、あの懐疑したり判断する能力を眠らせた状態で、制度としての教育過程を通り過ぎていくのである。

 考え方を学ぶよりも結果を覚えこむという、後進国型の技術主義にガンジガラメになっていることが、自由な個人に育つべき若者たちの精神を窒息させているのだが、日本という枠組の中から見ている限り、突破口はおそらくみつからないだろう。閉された世界で絶対的な威力を持って君臨する価値観に対して叛逆するのは、なみ大低のことではないのだ。だが、その枠を乗りこえて一歩外の世界に踏み出したとたん、このロジカルな価値の基準はその意味を全く失ってしまうことが多い。そのいい例が受験地獄である。日本全体を狂気に追いやり、若者の青春を灰色に塗りこめている画一的な受験競争は、実体の核心に気づくやいなや、たちどころにその意味を失ってしまう。受験地獄の実体は大学に入れないことではなく、志望する有名校に入るのが難しいだけであり、狂躁曲に踊る姿が哀れだというだけにすぎないのだ。その有名校が自分の人生にとって、果してどれだけ本質的であり、生きざまの充実にどこまで意味を持つかを考えたことが無いか、あるいは、その無関係さに気づいていないだけのことである。

 そうであれば、有名校や大会社という評判は、世界のレベルでは単に日本国内というローカルな名声にすぎず、そこに気づくことで人生は一転してしまう。しかも、問題は所属する組織の名前や肩書きではない。世界に通用する普遍的な価値基準は、個人としての今のパーフォーマソスと将来に向けてのポテソシアルであり、すべてが人間としての生きざまと魅力にかかわっているのだ。その上、世界の次元では、まったく新しい文明時代が始まろうとしているのであり、新時代にふさわしい人材に成長することが、最優先の人生の課題になるのである。

 しかし、現実の日本では百年一日のごとき価値観がまかり通り、縦型の序列の中に多くの日本人が埋没し、明日になれば有効性を失うものを手に人れよう、とすり減っている。そして、一連の権力者たちが、すでに今日において無価値になっている遺物を、明日の日本を背負うはずの世代に押しつけようとし、変化を抑えつけるべく必死になっている。実は変化すること自体が、生命力を持つ秩序の姿だ、ということさえも分らないのである。

 部分は全体を考えることによって初めて把握できる、ということからして、そういった問題点を浮きぼりにするためにも、歴史的な流れの中で位置づけをしてみることが必要である。

 そこで話題のおもむくままのブレーンストーミソグを行ってみたが、読者は果してどのような印象と批判の心を持つであろうか。われわれとしては、より希望に満ちた社会における教育と自己発展のプロセスは、自由な思想と自立の精神を持つ人格としての個人を作りあげるところに、最大の意義があると確信している。それを明白に意識するのとしないのとでは、同じ人間であっても自信を持った意欲的な人生と、常に自分の生活全域を他人によって動かされる、主体性に欠けた生涯の差になり、まったく異る実存と生きざまをもたらせるに違いない。

 一九八二年の時点で、現在の日本をこんな視点で把えている人間がいたのだ、という証言として、本書はそれなりの存在理由を持つが、この本との出会いを通じて、次の世代の中から自分の人生航路を考える上でのヒントを掴みだし、たとえ苦難の中でも気品のある生きざまを貫く人が一人でも現われてくれるなら、こんな嬉しいことはない。

 太平洋の彼方のロッキー山脈の山裾から、はるか祖国の将来を思いつつ、愛をこめたメッセージとして、この本を送り出すことにしたい。

1982年12月16日
鼎談進行担当  藤原肇

同書との出会いにより、自分自身は「苦難の中でも気品のある生きざまを貫く」人生を歩んできた、と言い切れるだけの自信は無いものの、自分なりに精一杯今までの人生を生き、あっという間に過ぎ去った月日でした。そうした私の人生体験を、自分の子どもをはじめ、周囲の多くの若者たちに伝えたい…、これが本ブログを開設したもう一つの理由だったのです。

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2005年6月14日 (火)

『伸びる子どものお父さん』

b050614 私は本を読むことが大好きです。これから折に触れて、本ブログの主要テーマである教育・翻訳関係に限らず、様々な分野の本を紹介していきたいと思いますので、本に関心のある訪問者の方に目を通していただければ幸いです。

さて、最初に取り上げるのは、『伸びる子どものお父さん』(詫摩武俊著 光文社)という本です。新潟県新津第一小学校の間嶋哲先生は、『伸びる子どものお父さん』について以下のような書評を書いておられます。

「今度は,タイトルの通り,父親必見の本です。現代は,父親の姿が見えない時代だと言われます。様々な社会問題も,結局はここから生まれているような気さえします。私も何回も読みました」
http://www.d1.dion.ne.jp/~amajima/shohyou.htm

間嶋先生ほどの回数ではないかもしれませんが、私も今までに5回以上は目を通した、本当に良い本です。この本が教えてくれたものは沢山ありますが、その中でも最大のものは以下の下りでした。また、それは本ブログを開設した最大の理由にもなったのです。

「子どもというのは、こちらから働きかければそれなりの手応えがあり、確実にレベルアップしていくものだ。質のいい子どもを育てるということに、男たちは真剣になるべきである。毎日の仕事を無事にやることだけで日常を送るのではなく、子どもを持った以上は、その子どもを立派に育てあげることが、人生の重要な仕事であり、またやりがいのあることだという自覚を強く持ってほしいのである」(『伸びる子どものお父さん』 p.17)

私の現在の仕事は、産業翻訳という分野の翻訳です(翻訳と言っても、実は様々なジャンルの翻訳の仕事があります。近い将来、そのあたりについて書きたいと思います)。6年の間も翻訳者として生き延びてきて、漸く最近になって翻訳でやっていける、という自信みたいなものがつきました。また、産業翻訳以外に、欧米の経済誌の記事の翻訳(出版翻訳)、映画の台本の翻訳(字幕翻訳)も手掛けています。

このように、プライドを持って自分の仕事に取り組んでいる私ですが、その私にとってさらに大切な仕事が、「子育て」なのです。子育てというのは、詫摩先生の言葉にもあるように、子どもの祖父母や母親に任せっきりでよい、というものではありません。ご参考までに、以下は同書の目次です。

1.子どもの個性を見つけ、伸ばすのは父親の仕事である
2.いじめの問題こそ父親の指導力が発揮される
3.豊かな人間関係の持てる子に育てるのも父親である
4.人生を楽しむ手ほどきをするのは父親である
5.未来を望み、人生への自信を与えるのは父親である
6.勉強の好きな子どもになるかどうかは父親しだいである
7.性の問題こそ、父親の出番である
8.子どもが非行に走るかどうかは父親しだいである
9.いい家族関係の要は父親である
10.いい父親とは何か

今、久しぶりに同書をパラパラと捲ってみたら、第二章の「いじめの問題こそ父親の指導力が発揮される」に、以下のような書き込みがありました。それは、1年前に子どもがいじめにあっていた時に書き入れたものです。

・「いじめ側になるわが子をつくらない」は至言である
・「(卒業後)いじめられた子が、いじめた子より立派になっている」という詫摩先生の言葉は、一筋の希望の光である

これからも、「子育て」で壁に突き当たるたびに、私は『伸びる子どものお父さん』を紐解くに違いありません。

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2005年6月13日 (月)

地域ぐるみの子育て

azu01 私の住む街は、車を5分も飛ばせば山間の道路に入り、走る道路の横を清流が流れています。熊が出没したというニュースが時々地元の新聞を飾ることもあります。このように、豊かな自然に恵まれ、時間がゆったりと流れているような街なのですが、電車に50分も乗れば都心に着きます。そうした環境の街で、小学生・中学生の子どもを持つ親たちの中には、地域で子どもたちを育てていこうとする、しっかりとした意識を持っている人たちが大勢います。

たとえば、私の2人の息子は地元のサッカー・クラブに入っていますが、昨日は2人が通う小学校で、小学校4年生を中心にしたサッカー大会がありました。残念ながら息子のチームは一回戦で敗退しましたが、会場校ということで夕方まで他の父兄と一緒に会場の準備、車の誘導などのお手伝いをしています。大会の後、子どもたちがお世話になっているコーチと父兄らが近くの店に集まり、美味しいビールを飲みながらご苦労さん会を開きました。サッカーの話だけではなく、色々な話題で盛り上がりましたが、このような形でコーチと父兄が交流を深めていくことはとても良いことだと思います。

子どもたちにサッカーを教えてくれるコーチは、全員がボランティアです。そして、サッカーの技術よりも、むしろ一人の人間として大切な挨拶、礼儀、チームワークなどに重点を置いて子どもたちを指導してくれるのです。だから、下の子が属している4年生のチームは、お世辞にも強豪チームとは言えず、たいてい一回戦で敗退しています。それでも、3年生だった昨年は15-0とか12-1と大差で負けていたのが、最近は2-1とか3-1という具合に、僅差で負ける試合が増えてきました。上の子が属するチームもそうでしたが、多分下の子のチームも来年の今頃は勝ち星を重ねていく、強いチームに変身しているのではと期待しています。

『ビッグコミック オリジナル』という雑誌に、「三丁目の夕日」というマンガが連載されていますが、あのマンガに出てくるような、温かく見守ってくれる地域で育つ子どもたちは、本当に幸せ者だと言えそうです。

写真は、ホームページ「むうじん館」のむうじんさんが撮影したものです。その他にも綺麗な写真がたくさんありますので、一度ご訪問ください。

http://www.fsinet.or.jp/~munesan/

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2005年6月12日 (日)

ブログ事始

「教育の原点を考える」と題した本ブログを開設した理由は2つあります。

1.小学生の2人の子どもの父として、広い意味での教育というテーマに絞り、本ブログを訪れてくれたお父さん・お母さんと意見交換をしてみたい。

2.翻訳の仕事に携わるようになってから6年経ちます。職業としての翻訳について様々なテーマを取り上げ、同じ翻訳者と情報・意見交換をしてみたい。

以上、大変欲張りなブログですが、訪問者の皆様、宜しくお願い致します。

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